2010/11/01 - 2010/11/01
16位(同エリア40件中)
captainfutureさん
- captainfutureさんTOP
- 旅行記118冊
- クチコミ7件
- Q&A回答1件
- 232,531アクセス
- フォロワー46人
【【 2015年1月現在、現地情報によると、独立派テロ頻発の為、カシュガル郊外、ホータン郊外、ヤルカンド・グマ・ケリヤ等の全域において、外国人は厳しく立ち入りが禁じられています。 もし入った場合は公安にその協力者とみなされ拘束の上、カメラ・ビデオ等は有無を言わさず没収されますのでご注意下さい。 】】
2010年11月1日(月)
熱斯担路南側のクケチマラ村等を散策。クチャ大寺(イスラム寺院)周辺は旧市街と言えども古い情緒のある街並みは少なかったが、この地域は農村の雰囲気を感じつつ、古い感じの旧市街の雰囲気も併せ持った、なかなかいいところだった。
*時間は全て北京時間、1元は約12円
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー バイク 飛行機
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回訪れた街
ヤルカンド、カシュガル、クチャ、ウルムチ
(中国新疆ウイグル自治区)
クチャ:古代亀茲国が栄えた地。719年、唐は安西都護府を亀茲に設け、西域の政治、経済、軍事、文化および交易の中心となった。 10世紀にはテュルクの立てたカラハン朝の支配を受ける。13世紀始め、モンゴル帝国に征服され、元の支配下となる。現在は石油や天然ガスが豊富な、中国西部大開発の重要な基地となっている。 -
今日は団結新橋広場の熱斯担路南側にあるクケチマラ村を散策してみることに。
まず、熱斯担モスクの西にある○哈塔巴扎路をクチャ大寺とは反対方向に進む。
まだ11時半(現地9時半)のためか人通りもまばら。
500m位進むと、左に小学校、右にホルスタイン種の広い牛舎が見えた。
この辺りになると段々と家数も少なく木々が多くなってくる。
前を歩いていたお婆さん(写真)が200m位先で右(西)へ曲がったので、自分もそこを曲がってみる。ここからは土道。 -
しばらくするとお婆さんは左へ入ってしまったが、このまま坂道を直進。
外国人があまり来ないところなのか、道行く人も不思議そうに目で追っていく。
右手を左胸に当て「アッサラームアレイコム」と軽く会釈するイスラム式挨拶をすると、相手は安心したように胸に手を当てて同じように挨拶を返してくれる。 -
この辺りは小さな家が集まり村のようになっていた。
-
奥にモスクが見えたので行ってみる。
-
モスク前でモスク横の民家の人と。
-
舗装の下準備か、近所ではスコップ等で道を固めていた。
-
モスク裏手に回ると、何かの遺跡が。
ちょうどモスクはこの遺跡の上に建っているようだ。 -
その前にはイスラム墓地。
グーグル地図で見ると、かなり広大なものらしい。 -
-
-
昨日製油所で製油していた粟か稗(ひえ)のようなものを積んでいた。
-
すこし南下し、先程の墓地外側をぐるりと回るように西に行ってみる。
-
-
畑が見えた。
ウイグルでは新鮮に映る。
この辺りはいい感じの農村風景が広がっていた。 -
西北に進みながら、スタート地点の熱斯担路に近付いていく。
自宅で鍛冶仕事のようだ。
左下には水の入った桶が見える。 -
別の民家
ラジオの音だけが静かに聞こえてきた。 -
鶏の鳴き声などが聞こえてくる、とてものどかな通りだった。
-
一軒の規模の大きな鍛冶屋が見えた。
-
入口右上には「県級非物質文化遺産2008年」のプレートが。
-
中では交互に鉄を打つトンテントンテンの音が響く。
-
そこへ表にロバ車が停まった。
お客は荷車からロバを外し、鍛冶屋に引き渡す。
鍛冶屋はお客にロバを押さえてもらいながら、胴体の前後に道具を付け宙吊りにする。 -
鍛冶屋が鎌を木桶の水で研ぎ出した。
-
まず足裏の爪を鎌で削ぎ取ってきれいに揃え、
-
後は蹄鉄を釘で固定していく。
やはり時々ロバが暴れるので、その度に、静かにしろと手で頭を叩いていた。 -
また通りを進む。
おじいさんが羊の餌に稗・粟を砕いている。
後ろに繋がれた羊は待ち切れず、首を伸ばしていた。 -
荷台には昨日のバザールの果物の露店にあったような籠が沢山積んである。
これからイチジクやナツメ等を摘みに行くのか。
道を進んでいくと、また先程の広い墓地の外側沿いに来た。
写真右はその墓地の土手。 -
墓地入口のようだった。
墓参りの人はわざわざここをくぐらず、土手をヒョイと超えて中に入っていた。 -
しばらくすると、何やら工場のようなところが。
扉が開いていたので中を覗かせてもらう。 -
門の上には、先程の鍛冶屋にもあった「県級非物質文化遺産2008年」のプレートが掲げてある。
-
入っていいですか?とジェスチャーすると、入れ入れと快く入れて頂いた。
中では5、6人が、何か練り物をゴム製の小さなポットに次々と入れていた。
今日の夕方に会った日本語ができるウイグル人によると、石鹸工場とのこと。
クチャ製の石鹸はウイグルでは有名とのことだ。
後日、この型の石鹸はウルムチの街角でも売られていた。 -
彼によると、先程の鍛冶屋と共に、クチャ人民政府がクチャの新しい観光名所として掘り起こし、これから売り出していこうとしているところらしい。
彼もその選定作業に関わったとのことだ。
彼はウルムチにある大学で日本語を学んだ後、日本の旅行社の現地社員だったとのこと。日本のTV局取材班を案内したこともあるらしい。彼には○哈塔巴扎路で声を掛けられた。ちなみに私は学生に見えたらしい(笑)。
彼によると日本人と韓国人の違いは、日本人には若白髪があるとのことだ。 -
奥の門が入ってきたところ。
イスラム式挨拶の後、日本から来ましたと言うと、ここでもTVの影響か日本軍の真似で、日本語で「はい!はい!」と敬礼をしてくる。 -
大きな窯で黒いドロドロの原料を混ぜていた。
工場内と同じくほとんど臭いがなかった。 -
奥では乾燥されたポット型の石鹸を米袋等に詰め作業していた。
-
積まれた袋詰めされた石鹸
-
13時半(現地11時半)。
奥では娘さんが昼食の準備をしていた。 -
その奥には瀟洒な邸宅が。
中に入って行けと言ってくれた。 -
立派な戸を開けるとフローリング敷きの玄関があり、スリッパに履き替えて中に入る。
右は応接間、奥は台所。 -
応接間。
テーブルには伝統菓子サンザが置いてあった。
玄関とともにシャンデリアが輝く。 -
ピカピカの台所。
実際はさっきの娘さんのように屋外で作っているのかもしれない。
さっきの彼によると、ここの主人は法律上の奥さんとは別に、実際は奥さんがもう一人いて有名らしい。
イスラムの教えに基づいてだろうか。
さすが財力の成せる業!
主人格といったら、ここで会った中では原料をかき混ぜていたあの男性かもしれない。
丁寧にお礼を言って後にする。 -
屋根を葺いていたおじさん
-
「回城遺跡」とのこと。
-
舗装された道に出て来た。
挨拶すると、わざわざ薪作りの手を休めてこちらに来てイスラム式に両手で握手してくれた。 -
横道
-
大きな石炭を砕いて量り、袋詰めしていた。
-
道沿いの民家にて。
一般の民家だが、小さな子供が沢山出入りしているので覗いてみると、中庭で駄菓子屋をやっているようだった。 -
そのまま道を北上したら、熱斯担路が林基路街に名前が変わる曲がり角に出て来た。
その後、真っすぐ林基路街を北上し天山路との交差点に出る。
そこにあった、「清城○遺跡」の「子城北口」。 -
「清城○遺跡」の「子城北口」。
-
その交差点にあった食堂で遅い昼食。
ポロ(ウイグル式人参と羊肉のピラフ)を頼む。12元(144円)。
リャンセイ(野菜の小皿。ここではきゅうり、トマト、セロリを少し酸っぱいタレに付け込んでいたものだった)も付いて来た。
ここもボリュームがあり人参や肉も沢山入っていて美味しかった。
今回も完食! -
隣りのナン屋のご主人から、どこから来たのか、ムスリムか、そのドッパは似合っているぞ等といろいろと話しかけられる。
ここのご主人からはベーグル状のナンを一つ頂いた(写真)。
お礼に東京観光案内所で貰った中国語だが東京観光ガイドと地図を差し上げた。
周りの人と一緒に、写真が沢山載っているので興味深くページをめくり、アルファベットで書かれたところは声に出して読んでくれている。
ナン屋の看板右上には、ウイグルでは時々見かける店主の似顔絵入り。
ご主人の若い頃かな。 -
帰国し自宅でウイグルを懐かしみながら食べた。
レンジで温めると、少し軟らかくなり香ばしい。
少し塩味。
かなりずっしりしたもので、直径約12cm、高さ約5cm。
これ一個で結構お腹一杯になった。 -
クチャ特産の特大ナンと。
ご主人にお礼を言い、お別れの挨拶をして後にする。 -
15時半(現地13時半)。
林基路街に戻ると、自宅での昼食から戻ってきたのか小学生が沢山いる。
ここでも色々と話しかけられるので、ヤポンから来たと言うとあっという間に伝わり集まってくる。
ラグビーをやっているようで、ラグビーボールで互いに遊びながら歩いている。
非常に人懐こい。
来い、とこちらが構えると、前列右の子に前方斜めから突進、タックルされ腰に組み付かれてしまった。 -
校門には「クチャ県林基路小学ウイグル学校」とある。
子供達とはここでお別れ。
校門奥には林基路烈士像と名付けられた銅像が見える。
林基路とは1943年に殺害された中共の駐新疆代表の一人だったようだ。
この通り沿いの小学校の左にはクチャ民俗を紹介した博物館(英語でfolkloreとあった。正式名称は失念。)があり、食後に行こうと思っていたが、すっかり忘れてしまった。
もしかしたら、ここが「クチャ県歴史文物陳列館」だったのかもしれない。 -
林基路街東側沿いの「清城○遺址」角の路地に入り、クチャ大寺へ行ってみる。
途中にあった「克黒○烽火台」。
唐の時代(7世紀)ののろし(烽火)台だったようだ。 -
クチャ大寺前。
右に少し見えるのは上の写真の「克黒○烽火台」。
さすが3,000人収容できるとあって、礼拝所の奥行きも広い。
昨秋、2日前ともうじっくり見たので、今日は素通り。 -
クチャ大寺前の路地と○哈塔巴扎路の交差点
-
そのまま真っすぐクチャ大寺前の路地を進むと中学校がり、近所には文房具と駄菓子を置いた店があった。
-
そのまま進むとクチャ川に出た。
荷台には稗(ひえ)か粟が。
先程の大きな鍛冶屋の隣りの家のように、家畜の餌にするのだろうか。 -
団結新橋広場のクチャ川に面したところを歩いていると、写真右の開いた窓から茶器の音とともに談笑する声が聞こえてきた。
何も看板は出ていない。
直感がして勇気を持って黄色の戸を開けてみる。 -
ああ、やっぱりチャイハナだった。
早速チャイを頼むと、予め茶葉の入った大きなどんぶり茶碗になみなみと湯を注いでくれる(0.5元≒6円)。
もう宿をチェックアウトし、今晩は夜行バスに乗るのでジャンバーの下はパジャマだけだったが、湯を沸かすストーブで汗が出てくる。 -
ここに座れと手招きされ、皆が席を詰めて座らせてくれた。
ナンを食べろと同席の人がちぎって差し入れしてくれる。
皆、チャイに浸して軟らかくして食べている。
私もチャイに浸して食べる。
ノートのように綴じられた巻紙帳から一枚ピリッと剥がして、そこに刻み煙草を乗せ、クルクルと巻いて舌で濡らして留め、火を付けて吸い出す。
私にも勧めてくれた。
皆、談笑したり、TVのウイグル語放送を見たりとまったり過ごしていた。 -
チャイハナの前辺り。
おじさん達の社交の場になっているようだった。 -
17時半(現地15時半)。
ウルムチ行き夜行バス20時半発車までまだ時間があるので、再び○哈塔巴扎路へ。
こんなウイグル人しかいないと思われる地区に忽然と回族のモスクがあり、門が開いていたので、お邪魔してみる。
回族は中国全土に980万人近くいて、容姿や言語は漢族と変わらないが、イスラム教を信仰する。男性は白黒のイスラム帽を被っていることがある。
当初は仏教を信仰していたが徐々にイスラム化していったとのこと(旅行人ノートより)。 -
ウイグル人のモスクとは違い、どこか中華風な感じがする。
-
カメラのシャッター音含む全音を無音にし、邪魔にならぬよう目立たぬよう、自分も正座しそっと撮らせてもらった。
-
礼拝後、快く写って頂いた。
右の人がこの敷地内の管理人(いや、もしかしたら聖職者だったのかも)。
やはり顔立ちは漢族ふう。中国語でいろいろと話しかけられた。
ウイグル人ばかりの界隈に回族のモスクがあることに驚きつつ、彼らもこの界隈に住んでいるのかと思うと、どうやって暮しているのだろうかと思ってしまった。 -
○哈塔巴扎路
-
○哈塔巴扎路
ここで文房具や駄菓子を売る店をガラス越しに覗いていたら、店先に座っていたこの人懐こい女の子に話しかけられる。
ちょうどこの店でキャラクターシールを買い、教科書にペタペタ貼っていたようで、それを差し出して見せてくれた。
中国語の国語の教科書のようで、中にはウイグル語でいろいろとメモ書きされていた。
ここで、先程の日本語のできるウイグル人青年に話しかけられ、いろいろと話しをしてくれた。 -
時刻は18:20。
クチャ川に近い熱斯担路南側も古いクチャの姿が残っていると、持参したグーグル地図に彼が親切に印しを付けて教えてくれる。
バスの時間まであと2時間位だが、早速行ってみることに。
丁寧にお礼を言い、別れの挨拶をする。
午前中、探索した路地の一本東側の路地だ。
写真はその路地入口。 -
早歩きで進む。
-
香ばしい匂いがし、声がするので覗いてみると、
-
焼き立てのクチャ特産特大ナンが並べられてあった。
持帰り様のビニール袋が横に吊るしてある。
看板は出ていないがナン屋のようだ。 -
わっと集まって来られる前に、素早く撮る。
-
やはりしばらく後ろを付いて来られてしまった。
-
注文した穀物のような物を運び入れていた。
-
-
上のお宅の入口を入って直ぐのところに羊小屋が。
-
上の家の前で。
-
-
午前中、前を通った小学校の裏手に当たるようで、行進マーチのような曲が聞こえてきた。
-
ここにも小さなモスク。
-
どんどん進んでいくと、
-
行き止まり。
奥の赤い門に人影がしたので挨拶して中に入れて頂いた。 -
かなり広い庭だった。
-
子供たちが何か畑仕事を手伝っていたようだ。
奥には家畜小屋。 -
乳牛までいた。
丁寧にお礼を言って後にする。 -
来た道を早歩きで戻る。
-
19時半過ぎ、団結新橋に戻りタクシー(市内5元)をつかまえ交通賓館へ。
タクシーは相乗りになり、先に乗っていた乗客が買物客で混雑した鳥恰農貿市場の奥の方まで乗り、また交通賓館と客運駅(バスターミナル)前の天山東路は工事中で入れず遠回りしたのでハラハラしたが、15分前に交通賓館に到着。
もうだいぶ暗くなっている。
昨秋、この街で暗い夜道で足を引っ掛け転倒して骨折し痛い目にあったことを思い出す。
フロントで預けた荷物を受け取り、デコボコした道を慎重に足元を見て客運駅へ。 -
午前中に購入していたクチャ20時半発ウルムチ行き。
昨秋と同じ青年号。
豪華車でベッド下段185元(2,220円)。
翌8時半にウルムチに到着した。 -
写真は翌朝ウルムチで撮影。
-
土足禁止。
靴はビニールに入れて持ちこむ。
新車のようで非常に快適。
昨秋の車体から改善されたのか、足も完全に伸ばせて(175cm)楽だった。 -
途中何回かトイレ休憩があったが、星空がとてもきれいだった。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
94