2010/10/30 - 2010/10/30
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captainfutureさん
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【【【 2015年1月現在、現地情報によると、独立派テロ頻発の為、カシュガル郊外、ホータン郊外、ヤルカンド・グマ・ケリヤ等の全域において、外国人は厳しく立ち入りが禁じられています。 もし入った場合は公安にその協力者とみなされ拘束の上、カメラ・ビデオ等は有無を言わさず没収されますのでご注意下さい。 】】】
2010年10月30日(土)
早朝、カシュガルより夜行バスで到着後、少し仮眠し、11時頃から街歩き開始。
団結新橋周辺の旧市街、モラナ・アシディン・マザール等、昨秋訪れた人を再訪しながら回った。
2009秋 シルクロード? 【クチャ到着 前編】
http://4travel.jp/traveler/captainfuture/album/10394446/
2009秋 シルクロード? 【クチャ到着 後編】
http://4travel.jp/traveler/captainfuture/album/10394824/
*時間は全て北京時間、1元は約12円
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー バイク
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回訪れた街
ヤルカンド、カシュガル、クチャ、ウルムチ
(中国新疆ウイグル自治区)
クチャ:古代亀茲国が栄えた地。719年、唐は安西都護府を亀茲に設け、西域の政治、経済、軍事、文化および交易の中心となった。 10世紀にはテュルクの立てたカラハン朝の支配を受ける。13世紀始め、モンゴル帝国に征服され、元の支配下となる。現在は石油や天然ガスが豊富な、中国西部大開発の重要な基地となっている。 -
持参したクチャのグーグル地図。
南北に流れる川がクチャ川、そこに掛る橋が団結新橋、その橋より東が人民路、その橋より西北の路が熱斯担路、その路が北に曲がった路が林基路。 -
11時頃、交通賓館前の天山路を西へ進み、五一路を北に曲がると、右には漢人がほとんどだった商店街の入口。
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対して左にはウイグル人の食堂等が多い杏花路が始まる。
昨秋、この左にあった食堂を手伝っていた高校生はおらず、屋外に掲げてあったウイグル伝統楽器奏者のオーケストラのような絵も取り外されていた。 -
杏花路
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メルヘンチックな塔の3階に上ってみる。
2階には高級そうなレストラン、3階には幼稚園があった。
11時半(現地9時半)のため、まだほとんど歩行者がいない。 -
ガンファンを食べたかったがどこも無く、この食堂のテラスでラグメンを食べる。
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7元(84円)
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杏花路の突き当たりにある民族風味美食一条街。
地下街にも行ってみたが、地上店とともにどこもまだ閉まっていた。
この辺りからはほとんどがウイグル人。 -
天山路に戻り、しばらく西に行くと昨秋行かなかった赤い天幕を張った露店が並ぶ商店街があり、中に入ってみる(鳥恰農貿市場の天山路挟んでむ向かい側)。
煮たヒヨコ豆の露店。
コップで量り売りしていた。 -
ナッツ類、干し葡萄、菓子等を置いていた。
炒ったひまわりの種を選別していたおじさん。 -
軽食屋
色々なものを揚げて出していた。 -
同上
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ところてんのような軽食屋
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同上
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ナッツ類やドライフルーツを売る店
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造花や招待状を売っている店。
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その店先
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生地屋
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ここにも造花や招待状を売っている店が。
やはりこの時期は結婚式シーズンなのだろうか。 -
いろいろな招待状。
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天山路を渡り懐かしい鳥恰(ウーハー)農貿市場へ。
その右側には大きなクレーン車があり高層アパートを建設中。 -
その高層アパートの販売事務所があり、覗いてみる。
写真のようなものが、3棟くらい建つらしい。
ここも街の風景がどんどん変わっていくようだ。
ちなみに一番手前の図面タイプ(87.13?)は182,799元(≒220万円)とのこと。
ウイグル人販売員が電卓を持って色々と親切に教えてくれた。 -
事務所を出て、鳥恰農貿市場から天山路の斜め右を見たところ。
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鳥恰農貿市場入口門近辺。
手前はどんぶりのヨーグルト(ケティク)売り。
右は立派なひげの果物売りのお爺さん。
奥はクチャ特産の特大のナンを売っていた。 -
鳥恰農貿市場
両脇にズラリと露店等が並ぶ。 -
振り返って入口門を見る。
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食堂
札束を握りしめた左の男性はここの店主らしかった。 -
クチャ特産の特大ナン
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鳥恰農貿市場
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鳥恰農貿市場
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店頭に積まれた一回軽く揚げた魚の身の中から客が選び、それを再び揚げて出していた。
客は奥の席で食べる。 -
鳥恰農貿市場
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鳥恰農貿市場
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鳥恰農貿市場
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昨秋も出会ったおばさん(左)。
元気そうだった。
羊の頭を煮たものは露店でたまに見る。 -
鳥恰農貿市場
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鳥恰農貿市場
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鳥恰農貿市場
結婚式撮影屋 -
遠くに鳥恰農貿市場入口門を見る。
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ヤポンから来ましたと言うと、ザクロを一つ頂いた。
この果物の露店のおじさんには翌日の日曜バザールでも声を掛けられ、その時はナツメを一つ頂いた。
日曜バザールの団結新橋向こうの広場は、ここから2キロ位。
露店をあそこまで引いて行かれたのか。 -
鳥恰農貿市場
惣菜屋。
白飯だけどこかで買えれば、少し買ってみるのだが。。。 -
鳥恰農貿市場の奥まで(入口から40分位)行き、また入口に戻って天山路へ。
写真は乗合オート三輪車 -
鳥恰農貿市場を出て、天山路を更に西へ進む。
八十袋屋と呼ばれるウイグル医学の生薬屋。 -
天山路からアパート群が並ぶ建設路を北に曲がり、人に尋ねながら文化路を西に曲がり、モロナ・アシディン・マザール(メウラナ・エルシディン・マザール)陵墓へ。
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モロナ・アシディン・マザール陵墓:14世紀にイスラムをこの街クチャに伝道した聖者アシディンを埋葬した墓。祖先はチェコのプラハ出身で、13世紀にチンギス・ハーンがプラハを征服した際に流刑にされて新疆にたどりつき、布教を始めたのだという。 19世紀に再建されたこのモスク内にある。
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入口門の上には植物の模様が。
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大木が迎えてくれた。
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標識には樹齢120年のニレの木(ULMUS DENSA)とある。
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昨秋は20時過ぎに訪れ、ここまでしか入れなかった。
右の大門はレンガ造で、下部には緑色の瑠璃タイルがはめ込まれ、月日とともに古くなった具合がとてもいい感じだった。 -
その大門をくぐって中庭へ。
土塀(土レンガ)の周囲には木造の柱廊がある礼拝所が。
ここも歴史を感じるいいモスクだった。 -
靴を脱いで静かに中へ。
5、6人の礼拝者が。
カメラのシャッター音含む全音を無音にし、邪魔にならぬよう目立たぬよう、自分も正座してそっと撮らせてもらった。
この部屋の奥には別の礼拝所があり、そこには10人位が礼拝中。
その部屋にもそっと進み、一番後ろに自分も正座してそっとカメラを用意していると、聖職者ふうの人が、他の人と同じように最前列に座りなさいと促してくれた。いや、自分はここでいいです、とジェスチャーすると、礼拝しないのなら出なさい、という感じで、そっと出口を指差さされてしまった。
(その部屋の様子は、この写真のガラス窓を通して少し見える)。 -
中庭の奥にモロナ・アシディン・マザール陵墓に通じる細い道があった。
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屋根には木の葉を立てたような変わった飾りが並んでいた。
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陵墓を出てモスクに戻ると、ちょうど礼拝を終えたお爺さん達にいつものように囲まれ、どこから来たのか、ムスリムなのか、そのドッパ(民族帽)は似会っているぞ等と色々と話しかけられる。
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モスクを出て文化路を西に歩く。
この辺りは色づき始めたポプラ並木が見事だった。
でも掃除のおばさん達は大変そうだった。 -
文化路沿いの小さな路地
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文化路から天山路に入ったところの先に、亀茲古城の碑があった。
碑は表面がボロボロになっていて、かろうじて漢字の「人民政府1957年設立」が読めた。 -
7世紀に唐が安西都護府を置いた亀茲城の城壁の跡とのことだ。
何の整備もされず荒れるがままという感じだった。 -
その天山路から遠く天山山脈を見る。
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人民路行きバスが通りかかったが、バス停が見当たらないので手を挙げたら停まってくれた(0.5元≒6円)。
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天山路と人民路の交差点で降り、人民路を団結新橋に向かっててくてく歩く。
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ベビーベッドかと思ったが、どうやらイスラム墓地にある墓の囲いのようだ。
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昨秋も会った綿花加工店の男性。
娘さんがいたのか。
左の壁のラジオからはウイグル語放送が流れていた。 -
人民路沿いの路地
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人民路沿いにあった小さなモスク
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昨秋の一家の写真を手に、この人の家はどこにあるのか道行く人に尋ねると、彼はちょうど非番のこの地域の保安の人で案内してくれることに。
おお、この車体には見覚えが。
確かに「人民路モーター修理店」の看板が。
車体はここの店主が自分で作ったもので、昨秋には無かった「民族大団結万歳」がフロントにペイントされていた。 -
留守だったので、隣りの皮靴店に尋ねてもらったら今日はバザールに行っているとのこと。
写真は翌日再訪し、一家を撮ったもの。
覚えてくれていたようで、写真を渡すと喜んでもらえた。 -
ちょうどバイク修理に来ていたお客もいて、この中国製は良くない、日本製がいいと言っていた。
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人民路
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同じ人民路で昨秋一緒に撮った今度はお爺さんの写真を手に、道行く人に見せると、ああこの人かと案内してくれた。
門にはカギが掛かり、どんどんと何度叩いても出て来ず留守かと思ったが、門の隙間からお爺さんがゆっくり杖をつきながらやって来るのが見え、開けてくれた。
写真を渡すと、ああ、あの時のというふうに喜んでもらえ、中庭に案内してくれた。
昨秋郵送したのだが、届いていないとのことだ。
この一年で随分お歳を召された感じだった。 -
人民路北側の街並みの後ろに、モスクの頭が見えた。
路地を入ると立派なモスクが。 -
ちょうど礼拝の時間らしく、上のオレンジ色のフタがぱかっと開いて、聖職者が1m以上はありそうな円錐の筒を持ってアザーンを始めた。
何だかコントのように可笑しく見え、つい笑ってしまった。 -
その中庭。
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人民路に戻り、団結新橋近くにある試験場路の南に少し入ってみる。
今旅で牛車を見たのは初めてかもしれない。
意外に速かった。 -
普通の炭の上で焼くものではなく、窯で焼いた鳥のカワプ(3元≒36円)をここで食べる(写真のお兄さんが持っている皿)。
値段も通常の3倍あるだけあって、かなり大きく食べ応えがあり美味しかった。
ちなみに一番奥にある大きな鳥のカワプは5元(60円)、吊るされた丸焼きは30元(360円)とのこと。 -
人民路沿いの市場
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いよいよ団結新橋を渡る。
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昨秋はこの川沿いで開かれる動物バザールが金曜から日曜に移ったことを知らず、せっかく来たのに見ることができなかった。
明日の日曜は本当にここで開かれるのか不安になるくらい静かだった。
写真はこの橋の上から。 -
同上
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橋を渡りきったところから。
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団結新橋を渡ったところの広場。
奥の建物3階に上ってみる。
2、3階は商店ではなく、集会場のようだった。 -
そこから橋を振り返る。
広場はバス停留所にもなっているようだった。 -
団結新橋を渡ったところの広場
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広場沿いの熱斯担清真寺というモスク
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その中庭
2009年秋に訪れた際のもの↓
http://4travel.jp/traveler/captainfuture/album/10394824/
すれ違っていく人々が、会釈をしながら右手を左胸に当て「アッサラームアレイコム」と言い、イスラム式挨拶をしてくれる。
自分も同じように挨拶をしていく。 -
広場沿いの商店
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広場沿い
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クチャ大寺への路地に入る。
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同上
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同上
奥に見える回族モスクを2日後再訪するとちょうど礼拝中で、中に入れて頂いた。 -
クチャ大寺に到着
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入口は誰もおらず、中庭に入る。
たまたま奥におばさんがいて、昨秋撮ったこの少年の写真を見せると、何とこの少年のお母さんとのこと。
すごく感激して喜んでもらえた。
彼は今ホータンに行っているとのこと。
お母さんは足が悪いようで少し引きずって歩いている。 -
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お母さんは寺院内で住み込みのような事をしているらしい。
この奥の一間で料理をしていて、奥にはベッドのようなものがあった。
お母さんはすごく喜んでくれて、私も嬉しかった。 -
寺院の奥の敷地からみた旧市街
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同上
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クチャ大寺前の路地に入ってみる。
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同上
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ほとんどが干しレンガでなく、新しく建替えたような家が多かった。
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金属製筒を金槌で形を整えていたおじさん。
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この自宅の門も自分で造ったとのこと。
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中庭に入れて頂いた。
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同上
お礼を言って後にする。 -
クチャ大寺前の路地
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同上
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同上
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時刻は19時半(現地17時半)頃。
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広場に戻り、団結新橋を渡って人民路と試験場路と交差点に戻る。
ここでは夜になると食べ物の露店が集まるようだった。 -
ここでもカワプ2本(2元≒26円)を食べる。
炭で焼いたレバーが美味しかった。 -
近くの食堂で夕食。
店内は小ぎれいな感じ。
給仕の手伝いをしていたここの娘さん。 -
鳥料理店のようで、先日の2度の結婚式で振舞ってもらった鶏肉版「コルダック」(10元≒120円)のようだった。
鶏肉とジャガイモ、トマト等の野菜を煮込んだものと、白飯。
薄い塩味でネギが入った鳥がらスープも出てきた。
どれもとても美味しかった(白飯だけはどこもパサパサした感じ)。
白飯は山盛り(日本の茶碗3杯分くらい)で出て来たので、小皿をもらい食べ切れない分(1杯分くらい)を事前に移して女将さんふうの女性に渡すと、ヤポンは小食ね〜という感じでクスクス笑われてしまった。
この後はタクシー(市内5元)で宿へ。
今日の万歩計22,500歩。
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この旅行記へのコメント (4)
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- Yattokame!さん 2011/01/24 01:42:29
- 夜行バス
- captainfutureさん
こんばんは。
寝台付きのバスなんて始めてみました。これなら長時間の移動でも疲れが少なそうですね。
クチャの街はカシュガルに比べると、スクラップの程度が少ないのでしょうか。大都会でなければまだ古い情景は楽しめるのかな〜と淡い期待を持っています。
Yattokame!
- captainfutureさん からの返信 2011/01/24 13:08:46
- RE: 夜行バス
- Yattokame!、こんにちは。
寝台バス、中国には良くあるみたいです。寝台バスにもいくつかクラスがあり、今回初めて一般型に乗りましたが、不自由は感じませんでした。長時間の移動にも便利で、ほとんど横になれますが、なにぶんバスなので揺れを我慢すれば、ぐっすり眠ることができます(ベッド下段の場合。上段はあまり落ち着いて寝られないようです。)。朝起きたら目的地に着けるというのが魅力ですよね。但し、途中下車する際は運転手や周囲の人に良く宣伝しておいた方がいいです。
クチャは、特にカシュガルのような“旧市街”はないようですが、ウイグル人地区散策、特に日曜バザールも面白かったです。でも一般的にはクチャは周辺の遺跡巡りの為の拠点として訪れる人の方が多いようで、余り街歩きをする人は多くないようです。
>大都会でなければまだ古い情景は楽しめるのかな〜と淡い期待を持っています。
クチャは更地はほとんど見なかったですね〜。写真にもあるように、もうほとんど古い家は建て替えられた後のようでした。少し郊外に行けば、まだまだ古い情景は残っているようです。
-
- ひがしさん 2010/11/25 21:50:16
- こんにちは
写真拝見しました。
昔撮らせてもらった人に写真を届けるなんて素晴らしいですね。
もらった人はびっくりするでしょうし、さぞ喜ばれた事でしょう。
なかなか出来る事ではありませんね。敬服します。
- captainfutureさん からの返信 2010/11/26 21:07:51
- RE: こんにちは
- ひがしさん、こんばんは。
いつも投票、コメントまで頂き、ありがとうございます。
写真は昨秋郵送したのですが、届いてなかったようでした。
個人宅に手紙を送ることは一般的でないようで、郵便も慣れていなかったのでしょうか。
クチャも他のウイグルの街同様、どんどん街並みが変わっていくのを感じました。
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