2010/08/30 - 2010/09/10
130位(同エリア262件中)
Toshさん
デジカメが壊れたので、一時旅行記は停止状態。この旅行記では、カメラが修理されて手元に戻ってくるまでの出来事を、後で撮った写真をアップロードしながら書いてみようと思う。
ドンホイ滞在中、カメラが壊れた。電源を入れてもファインダーが開かない。ずっと一緒に旅をしてきたカメラ。捨てるにも捨てられない。まずはどこかで修理できるか確認しよう。できなければ新しいカメラを買おう。
ビザが切れるまであと2日。本来の予定は、ハノイで2泊、その間にハロン湾に行き、その後ラオカイ−河口でビザを切り替え、サパ、ディエンビエンフーに滞在したあとラオスに抜けるつもりだった。
とりあえず、ハノイまで行き、国境でビザを切り替えなければ。中国への国境は3つ有り、何処を越えようか悩む。
ハノイ滞在中にドンダン−友誼関を越えることに決定。その先には400万人の人口を有する大きな街あった。ここにしばらく滞在し、カメラの問題を解決しよう。
しかしながら、チョット考えることもある。南寧は観光地ではない。見所は少ない。カメラを修理している最中どうやって過ごそう?
自分は旅の仕上げにここか昆明で中国語を学習しようと考えていた。まだリハビリ中、勉強をするにはまだ早い。どうしよう?…まあ、試しに1ヶ月だけ授業を受けてみることにするか。
まずは情報入手。大学は沢山あったが、コテコテ漢民族の大学はあまり好きではないので広西民族大学へ向かった。
国際交流オフィスに行くと、沢山の学生がいた。全てが東南アジアからの留学生。ベトナムかラオスだろうが検討がつかない。英語をできる女性が1人いた。その人に話を聞いた。1ヶ月、3ヶ月、半年、1年のコースがあった。
初めの計画では1ヶ月だったが、半年のコースを取ると1,500元で5ヶ月間学生寮に入れることが判明。
…ナニー!ヤッチマッタカー?…
長期の宿を求めている俺は、この値段にノックアウト。ヤッタ!でも、勢い勇んだこの決断にちょっと心配事もあった。
…回復はしつつあるが、まだ、たまに刺激が頭痛と変化する。授業中、頭痛ひどくらないと良いのだが…
まあ、人生、なるようにしかならない。
疲れたら無理をせずに授業を休もう。
体調:南寧に到着するまでは、左上半身の神経がところどころが痛んでいた。南寧到着時は、喉が痛かった。また、宿で睡眠を取ろうとしても余りとれなかった。多分1日中バスのエアコンにさらされていた影響があるのだろう。そのためか、2日目は頭痛がひどくなった。外を歩けば足に力が入らず、太陽が出ると目眩がした。腹の調子は悪くないが、この症状はカンボジアのバッタンバンで食あたりを経験したとき以来のものだった。この日は布団に入っても全く眠気が襲ってこなく、久しぶりに薬の力を借りた。
宿:
「Hanoi Backpackers' Hostel」(8月29-30日)
116,000D×2日=232,000D
「Lotusland Hostel」(8月31日-9月1日)
50元×2日=100元
出費: 1,112,000D+201元(9月2日以降は後に報告)
・宿泊費 232,000D+100元
・交通費 180,000D(ドンホイ-ハノイ鉄道)
300,000D(ハノイ-南寧バス)
1元(市内バス)
・飲食費他 400,000D+100元
円換算は下記URLにてお願いします。
http://ja.exchange-rates.org/
旅する"ワケ"
http://4travel.jp/traveler/ichayaiouno/album/10448441/
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 2.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
南寧初日、ハノイからの国際バスはこの駅に着いた。
高速を降りてすぐのところで交通に便利なところだった。
因みに、後で分かったことだが、南寧のバスは始点と終点が違うらしい。交通渋滞の回避策か?
この駅は、様々なバスの終点として使われているらしい。 -
駅に到着したは良いが、いったいどうやって今日のお宿へ行けばいいのか皆目検討がつかない。
ウロウロしながら策を練る。 -
市内バスの発着点が見つかった。
親切に、地図と、行き先が書いてある看板があった。おおおっと先進国だ!
台湾以来、案内板が無かった国に行ってたので驚いた。
コレにて、次の行動が見えた。
…ええっと、まずは鉄道の南寧駅へ…
と言うことで、6番のバスを待つことにした。 -
南寧駅に到着。今日の宿は、「Lotusland Hostel」
-
まず、この駅前の大通りをまっすぐ行くんだったな…
-
ぶらりぶらりと街を進む。
お?バナナ売り。南国だねえ。 -
服も売っている。安いなあ。後で買おう。
-
中国語が出来れば、この宿にも泊まれただろうに。
初日、1泊50元の宿を見つけたけど断られたものなあ。 -
「お、これぞ中国だねー」って感じ。
ここでは、麺やその他の食物が売られてる。 -
橋が見えてきた。この手前で右折。
-
砂利道…ここに地下鉄が通るらしい。
-
1月に行ったときには、上の写真右奥の道路工事が終了していた。道路にはびっしりとバイクが並んでいて、路上駐車場?となっていた。周りには商店があるので、当然人も沢山いた。
-
やっと到着。「Lotusland Guesthouse」
1日50元はちと高い。
でも、南寧にはゲストハウスは少ない。ここへは2泊した。 -
まずは食事。
ゲストハウスの従業員に食物のありかを聞くと、
宿を出て左に進み、橋が見えたら左折して渡り… -
この建物の前で右折し…
因みにこの建物は、パソコンや携帯を修理したり、中古を売ったりしている店が入っていた。 -
この通り沿いにレストランがずらりと並んでいた。
俺は29元の定食を食べた。どこもチト高めか?
翌日、中国語コースの説明を聞きに広西民族大学へ向かう。
58番バスはここの通りから出ていた。 -
写真のバス停「西○×」で下車。
バス停を背にし大学へ右方向に歩いて行く。 -
バスの窓から見えたビルと門。
この門から中に入る。 -
太い樹木が並ぶ、並木道を進むとこのビルが見えてくる。
中に入り、正面左側のドアを開けると、ベトナムやラオスからの学生が沢山手続きをしていた。
説明を聞いているうちに、1ヶ月のコースを取る予定だったのが、半年のコースになってしまった。
…まだ、リハビリ中なのに、授業に耐えられるかな?…
早速、手続きに入る。
まず、お金を払えといわれた。
半年間(1月まで、5ヶ月間の授業料) 6,000元
寮費(5ヶ月間) 1,500元
健康保険 300元
※健康保険は大きなケガや病気にしか使えない…正直、ウソか本当か分からないけど、一応払った。
お金を大学近くの中国銀行で払う。お金を引き落とそうとする学生がずらりとATMにならんでした。結局、折れの番になると、十分なお金が残って無かった。街にもどり、お金をかき集め、結局翌日支払った。
引き落としの最中、中国銀行は中国側手数料がかからないことが分かった。これは収穫かな? -
翌日9月2日。寮生活1日目。
入寮当日は右手前の韓国系ベトナム人しかいなかった。
1週間過ぎるうちに2人やって来て、部屋が埋まった。
皆英語が話せない。彼らとのコミュニケーションは、自分が英語で喋り、彼らはベトナム語をgoogle翻訳に入力し、出てきた日本語の文章を見せると言う形でとった。
Googleって凄い。
その後、彼らとは「チーファン(食事)」仲間となり、いろいろな所へ食事をしに行った。
しかしまあ、ここでも言えるけど、よくもまあ俺みたいなおっさんを嫌がらずに仲間に入れてくれるもんだな。えらいぞベトナム人!
11月16日事件が起きた。原因は俺の「イビキ」。写真で振り向いている男性がナイフを持ち俺を刺そうとした。
彼は常々寝れないと不満を言っていた。たびたび、俺が寝ているときに、ベッドを蹴った。
成人になる前は、一緒に寝ている人がイビキをかくとうるさくて眠れなかった経験もある。彼の気持ち、そして、他の二人の気持ちは十分に分かる。しかし、いろいろ試してはみたがどうにもならない。意識が無い。俺だって眠る権利くらいはある。それに、睡眠不足が原因でかかった病気だ。健康体なら黙っているが、このときは黙っていられなかった。ドカンと爆発した。
その後、嫌がらせが始まった。勉強したり、友人や家族とLiveメッセンジャーで話をしているときに大きな声を張り上げて話したりしていた。部屋に沢山友人を呼び、戦争のゲームや映画も見ていた。決まって、敵は日本兵。よほど俺が憎いのだろう。
仕方が無いので、1度インターナショナルオフィスに行き、宿舎を出ていきたい旨を伝えた。そして、前払いしておいたお金を返してほしいと頼んだ。しかし、出ていくのは勝手だが、お金は返さないとのことだった。
ならば、解決策を出してほしいということで、後日、日程と時間を決め、4人でインターナショナル・オフィスへ行くことにした。当日、オフィスへ行く時間になった、だが、肝心の彼は起きてこない。彼の為に解決策を出してもらおうとしているのに、何度起こしても無視。仕方ないので、ベッドをガンガンくと、怒り狂って飛び起きた。
「ヤバイ」こいつ切れたとき、ナイフを振り回してたっけ。
俺は、彼がナイフをいつも置いてある棚から取る前に背中に廻って動けないように抑えつけた。一人が彼の助けに入り、彼はするりと俺の手元から抜け、ナイフを持って俺に振りかざした。コレで一巻の終わりか?と覚悟を決めた。…そして、腹に向けて…「ブスッ」…とキタっ! と思ったところで彼はナイフを止めた。
この時は、何故か冷静だった。たぶん、自分の中に、死ぬ覚悟が出来ていたんだろう。日本を出たときはすでに廃人だったから。
一部始終を話し、そして、一部始終を見ていたベトナムの他の二人も、まあ、ちと彼に加勢をしているが、事実だけは伝えてくれた。
結局、12月から、お金を返してもらい、別な場所で住むことになった。彼は、現在、主任教諭から指導は入ったものの、まだ学校の生徒をしている。日本だったら退学だろう。お金がほしいんだろう。
彼が退学したら、俺もチョットは済まない気になるが、まあ、まだいるからね。これから、この宿舎を出たら、できるかぎり学内をうろつかないようにしよう。
あ、それと12月に寝床を移るまでにあと1週間チョットあるので、寝ている間にブスブス刺されるかもね。彼は夜中起きていいるからなあ。まあ、その時はだれかお経を読んでください。
あ、お金儲けと言えば、この3人、ほとんど授業へはいかない。4年生で卒業論文を書いているのだと言うが、担当の先生にも会う様子がない。四六時中インターネットゲームをしているので飯時以外は外に出ない。学校に行かない生徒が宿舎にいる必要は無いと思う。
あと、俺の場合は、入学当初は一人で住みたかった。そのとき、オフィスは周りの住宅情報をくれなかった。安全と快適さを主張し宿舎を勧めた。あとで調べると、学校の裏側にアパートが乱立していて、そこは1ヶ月200元で借りられることがわかった。電気とか水道料を含めても300元ほどらしい。宿舎より安い。
彼らの言う安全とはどんなものか?命を脅かされることより危険なことがあるのだろうか?それは12月になったら分かるだろう。
もし、宿舎より快適な生活が出来たなら、彼らは嘘を付いているということになる。お金を払う生徒側に立って物事を考えていないということになる。がめつい人達だということになるわけだ。このことは1月の学期終了後に報告することにしよう。
→12月の途中だが、中間報告をします。その後、無事に可利村に移りました。学校では、可利村は安全で静かで快適です。宿舎で起こったような、命を脅かされるほどの危険はいまの所ありません。今の状況から判断すると、学校はやはり”ガメツカッタ”ということになる。もし、南寧を出るまでに状況が変わったら、再度報告しよう。でも、今の状態がずっと続くような気がする。
可利村については下記URL参照:
http://4travel.jp/traveler/ichayaiouno/album/10530323/ -
9月5日頃、デジカメが直るかどうか確かめに行った。
インターネットで調べたところ、キャノンカメラの修理はこのビル「(「王+不」=「環」)球時代」の17階の会社が請け負っているということだった。他にもサムスンなど様々な会社のデジカメ修理を引き受けていた。
中国語がままならないので、ルームメートにビルまで付いてきてもらった。
直るかどうかの知らせはルームメートの電話に2日後掛かってくるとのことだった。
結局、2日後に直るかどうか直接確かめに言った。すると、まだ調べてないとこと。
「直るかどうかだけでも調べてほしい。今、買うか直すか迷ってる。」と言い残して帰った。
すると、捨て台詞?が聞いたのか、翌日に、
「直すには200元が必要だけど直しますか?」と電話がかかってきた。
「じゃあよろしくお願いします」と返答するなり、その日のうちに直ったとの連絡が来た。 -
9月10日デジカメをオフィスに取りに行く。
写真は受付のお姉さん。全然関係ない話だが、彼女は美空ひばりに似てた。彼女は、英語が聞けるけど話せないらしい。彼女ともGoogle翻訳で意思疎通。修理費200元。
中国の修理技術は自分が思ってたより高かった。
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