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<br /> 中東の、と在るある国の航空会社のサイトを見ていたら、期間限定のプロモーションに眼が止まった。 暴落が伝えられる出発国のレートで計算してみると、思わずのけぞった。<br />   <br />ベネチアまで3万5千円!<br /><br />燃油も税金も含んだ公示料金だ。 <br />よし、このキップで、春の旅に出かけよう!<br />さあ、どこに行こうか、、と思案する内に7年前の夏に訪れた、あの国の色彩が浮かんできた。<br /><br />オレンジ色の瓦屋根<br />真っ青に輝くアドリア海<br />新緑の森に囲まれた湖と山並み<br /><br />海の幸、山の幸に恵まれたグルマンの楽園 ビザンティンに遡る世界遺産の数々 そして まだまだ純朴なホスピタリティ。 <br /><br />薫る風を浴びながら、野山を歩いてみたい。<br /><br />  そうだ クロアチアに行こう! <br /><br />私は、早速、クロアチア観光局から沢山の資料を取り寄せて、ワタシ的「その先のクロアチア」のプランを立てた。<br /><br />先ずヴェネチアからアドリア海を船で渡ってイストラ半島を巡り、それから、クヴァネル地方に入って、新緑のプリトヴィチェ湖群国立公園を歩いてみよう。<br /><br />そこからダルマチア沿岸に南下して中世の街並みを巡り、SplitからHval島に足も伸ばそう、、<br /><br />そうだ、ここからイタリア側に夜の船で渡り、ラヴェンナやパドヴァで世界遺産を見て、ヴェネチアに戻ろう、、 というアドリア海時計回りの旅程が出来上がった。<br /><br />WHOがフェーズ4を発表し、厚生大臣が「冷静な対応」と求めた翌日、私はささやかな冷静を携えて、遙かアドリア海へと旅発った。<br /> <br /><br /><br />南回り<br /><br />28 Apr 晴れ 成田 &#8211; ソウル- ドバイ<br /><br /> 会社を15:30に早退して、成田に16:58に着き<br />チェックイン。スプリット・チケットを提示して 荷物はVENICEまで、スルーにした。3つの区間を乗り継ぐが、無事、マルコポーロ空港で再会出来ますように! そう、念じた事もすっかり忘れる程、たくさん飛行機に乗り、機内食も食べて<br />1日目は高度1万フィートの上で過ぎていった。<br /><br /> <br /><br /><br />運行キャンセル <br /><br />29 Apr 雨のち晴れ ドバイ- ベネチア<br /><br /> 14:10 VENEZIAマルコポーロ空港 着<br />バスで、Pz ROMAまで行き、そこから61番の水上バスに乗り換えて、San Bassilioに16:00着いた。<br /><br /> 当初の計画では、ここからVenezia Lineのフェリーで対岸のクロアチアのPorec:ポレッチェまで僅か2時間半で、辿り着くハズダッタ、、<br /> しかし、出発3日前にメールで、「技術的理由により運行キャンセルとなった。代替便としてミニバスで、3時間半かけて、陸路でポレッチェの宿まで送りますが?」と打診してきた。 <br /> まあ、トリエステを経由しながら行くのも悪くはないとOKと返事していた道行きであった。<br /> <br />San Bassilioの小橋を渡ると、国際線航路のターミナルがあり、そこでチェックインするとカウンターの前に居たアメリカ人の学生が2人、腰を上げた。 アンディアーモ! ドライバーが言った。 そうか、乗客がこの3名じゃ、「技術的理由」と偽っても、運行を辞めざるを得ないな、、と合点した。クロアチア人のドライバーは70-80年代のUSヒットチャートをかけて出発した。<br />1時間位でトリエステに入る。須賀敦子の「トリエステの坂道」を思い出しながらも、車は無情にも高速で通り過ぎた。<br /><br /><br />それから、イタリアとクロアチアのイミグレを経て、車は、幹線を降りて海岸線に分け入って  行く。 そして19:00丁度にポレッチェのホテルに到着。 当初、フェリーで来た場合、19:30の到着予定だったので、この変更も悪くはなかった。<br /> ホテルに入り、窓を開けると、夕陽に染まったアドリア海が見えた。<br /> <br /><br /><br />エウフラシウス聖堂<br /><br />30 Apr 晴れ〜雷雨 イストラ半島 〜 Karlobac<br /><br />この街を訪れたのは、世界遺産のエウフラシウス聖堂を見るためだった。 ホテルから海岸通りを10分歩き、聖堂に着くと、朝の礼拝を済ませた信者が退出してくる所だった。 思いの外、簡素な礼拝堂を進むと、眼もくらむ程の豪華なモザイクで埋め尽くされた祭壇が現れた。双眼鏡を出して天井を見つめると、ロマネスクな描写の聖人達が黄金の背景に息づいていた。これらは、ラヴェンナのビザンティン美術を支えた職人達が海を<br />渡って、ここに造ったらしい。<br /><br />静寂の聖堂で私は至福を感じながら立っていた<br /> <br /><br /><br />Rovinj ロヴィニ<br /><br />9:00のバスで、海岸線を南下して、10:00 Rovinj着 BTに荷物を預け、歩いて5分位で海岸に着くと 小ヴェニスと謳われるロヴィニの旧市街が<br />眼に飛び込んできた。<br /><br /> <br /><br /> この街はベネチア共和国の属領だったので、街の造りが本家と似ており、その由来を示すようなベネチアの紋章:翼の獅子が街のあちこちにある。<br /> <br /><br />街で、ひときわ目立つ聖エウフェミヤ教会に行き、10knを払って、尖塔に登った。※ クロアチア通貨クーナ: 1kn = 22円)<br /><br /> 塔の内側は空洞で、簡単な木段を80m上がる。ヒヤヒヤしながら登り切った。その甲斐あって、塔から見下ろす風景はまるで鳥になったような気分で宮崎駿の「魔女の宅急便」で見た空中浮遊の景色がそこにあった。(※ 実際、宮崎が描いたのはドヴロヴニクだが)<br /> <br /><br /><br />芸術家の街 ロヴィニ<br /><br />イストラ半島にある魅力的な街の中でも、芸術家が多く住むようになった、、雑誌【旅 クロアチア特集号】の記事を読んで、気になっていたギャラリーとレストランを訪れた。 その内の1軒で、イコンを買った。その店の薦めでVeli Jozeという海辺のレストランで昼食を取った。<br /><br />蟹肉を炙って、蟹味噌をあえたサラダと 白トリフュを添えたタリアテレを選んだ。イストラ半島の海と山の幸を使ったご馳走に、私はいっぺんで、この街が気に入った。 <br /> <br /><br /><br />イストラ半島<br /><br />ベネチアとハプスブルグ帝国  2つの文化に影響されてきた、この半島は見所満載、前述の白トリフュを始め、名醸ワインも多い、舌の肥えた人達が暮らす土地だ。 そんな半島をローカルバスで乗り継ぐ、のんびりバス旅をしてみた。<br /><br /><br />7年前と比べて、旅行情報は自宅に居ながら、バスやフェリーの時刻表、お薦めのエノテカやレストランに骨董屋、果てはホテルのベッドの堅さまで情報を共有出来る進化をしていたので、こんな「ぶらり途中旅」も可能になっていた。<br /><br /><br />私は、気に入った街で降り、なるべくひっそりと歩いて、街に黒子のように紛れ込んだ。平日の異国の街に働く人々の素顔を見るのが、とても面白い。そんな足取りで、Porec-Rovinj-Pula- Lovran-Opatija -Rijekaという魅力的な街々を巡る内に、陽は暮れて雷鳴が轟き、どしゃぶりとなった。 <br /><br /><br />翌日はプリトヴィチェ湖群でハイキングをする予定だった。<br />プリトヴィチェに一番近いKarlovacという観光客の寄りつかない街まで行って宿を取った。 <br /><br />宿の鍵を受取ながら、不安げに明日の天気を訊ねると、陽気なコンシェルジェは、Webで天気予報を調べてから「明日は雨だって!、、でもね、今日は晴れの予定だったんだから、明日はきっと晴れだよ!」って太鼓判を押した。旅に出たら、疑うよりも騙された方が前向きなので、そのコトバを信じて、ぐっすりと眠った。<br /> <br /><br /><br /><br />プリトヴィチェへ<br /><br />1 May  快晴 Karlobac - Plitovice<br /><br />窓を開けると、朝の光で眩しかった。朝食の給仕をしていたコンシェルジェと顔を会わすと「ほらね、晴れただろう!」と太陽神の如く 胸を張っていた。<br /><br />バスに乗り、クロアチア内陸部の森の中を進んだ。 周囲はだんだん緑が濃くなってきて、雨に濡れた木々が朝日を浴びて輝いている。 1時間半で、9:50AMにプリトヴィチェの2番目の入口に到着した。 予約している Hotel BELLEVUEは歩いて5分。 宿に荷物を置き、ホテルのテラス側を5分降りると公園の入口。 ここで1日チケットを買う。 明日も使うのだが、BELLVUEの宿泊者は、そのチケットに受付のサインを貰えば2日目も、そのまま使える。<br /> <br /><br />入口を下ると船着き場Pear1に着く。ここから対岸のP2に行き、そこからまた船を乗り換えてP3まで移動した。今日はメーデーで祝日だからか現地の家族連れも多く見かける。しかし、向こうから来る船は全員、日本人、、比較的、リタイアした夫婦が多いように見えた。他にも、園内で幼児を連れた家族連れにも2〜3組、遭遇して、ここが日本人にもメジャーな観光地になってきているのを知る。 それにしても、家族で、こんな美しい風景を共有の思い出に出来るなんて、なんて素晴らしいんだろう。 私の息子は、彼の子供と一緒に、ここに来られたらいいなと思った。<br /><br /> <br /><br />P3は上湖と日本語で表記されており、そこから標高差180mの下流まで棚田のように段々と川が下に流れていく。エメラルド・グリーンの森の中、大小16の湖、92カ所の滝の間を這うようにして蛇行する光景は世界でも類を見ない。<br /><br /><br />中国の九賽溝と比較されるが、これほど多くの滝はなく、あちらが静止画の美しさに対して、プリトヴィチェは滝を流れる水が周囲の緑とぶつかる「水のページェント」が独壇場だと思う。<br />新緑の真っ直中、前夜の雨で勢いづく水流の条件が揃った今日の天候に、あのコンシェルジェを思い出して、Hvala :ありがとうと云ってみた。<br /> <br /><br />園内は全部、歩くと優に2日はかかる広大さだが、それぞれのポイントを船以外に、エコバスが運行している点は感心だ。<br /><br /> <br /><br />しかし、ここで、私は思わぬ失敗をした事に気が付いた。 それは滝を上流から流れに沿って下流に降りていったルートだった。これは奥入瀬を十和田湖の子の口から焼山まで下って行くようなもので、滝は追うのではなく、向かって歩いていかなければ成らなかった。 道理で、来る人は大勢いるのに、自分が向かう先には、あまり人はいない。 そうか、誰もいない時間に、川を上って来るのが理想なんだ、、とようやく気が付いた。<br /><br /><br /> 私は、ある計画を立ててから、バスでST4という最奧の湖まで行き、そこから湖を一周した。持参したサンドイッチで昼食を取った他、11時から6時間で公園の全コースを一通り歩いた。<br /><br /><br />誰もいない森<br /><br />2 May 晴れ Plitovice &#8211; Trogir &#8211; Split<br /><br />翌日は早起きして、朝6時にホテルを出た。 <br />昨日、バスで来た道路をザグレブ側に3km戻り、公園の第一入口のRestovacaに着いた。 前夜、ホテルのコンシェルジェから、早朝は自由に公園内に入れると聴いて、まだ誰もいない園内を歩こうと思い付いたからだ。 無人の入口から少し歩くと、渓谷の眺望が開け大滝を朝日が照らし始めていた。 <br /> <br /><br />小鳥のさえずりが、空に響き渡り、他に聞こえるものは自分の足音だけだった。 昔、マチュピチュの入口にあるサンクチャリ・ロッジという宿に泊まり、翌日、開門一番で、園内に入り、ワイナピチュに登った時のようだ。 世界遺産を独り占めにしているようで、爽快この上ない。<br /><br /><br />川に降りるに従い、滝の轟音が響いてくる。<br />昨夜遅くにも、少し雷鳴が轟き、雨が降ったので水の勢いが今日も凄い。今度は滝に向かって歩いているので、これが雨の中だったら怖い位かも知れない。 朝、早いので虫たちも新緑のベッドから起きたばかりだ。<br /><br /><br />上湖に出ると、湖面は鏡のような静けさで、新緑に萌える木々を映し、言葉を失う程、美しい光景だった。 東山魁夷の絵で、こんな景色を見た記憶があったが、今、目の前にあるのはそのLIVEだ。 早起きは三文の得というが、今朝は値千金のご褒美だった。<br /><br /> <br /><br />7時半にP3に辿り着き、リュックから果物とチーズを出してテーブルに広げた。世界遺産の景色と、小鳥のターフェル・ムジークで朝食を取った。<br /> <br /><br /> 8:10に公園管理事務所の車がパトロールに来た。挨拶をして、ヒッチハイクを頼んでみたら、快諾してくれた。 車は、渓谷沿いのオフロードをMukinje方面に疾走した。このドライブの車窓の眺めも爽快だった。 2時間かけてきた往路を帰路は遠回りだが、たった15分で駆け抜けてBELLVUEまで帰った。係官に感謝すると、満面の笑みで返礼された。こんなところが、クロアチアのホスピタリティの真骨頂だと思った。<br /><br />トロギール<br /><br />9:45のバスでプリトヴィチェを発ち、ザダル方面に向け、南下した。途中、Sibenikで昼食を取ってから、15:23 Trogirに到着した。ここも世界遺産で途中下車した。プレ・ロマネスクのタンパンが、とても美しい聖ロヴロ大聖堂を中心に迷路のような小路を散策した。ここはヴェニスのようにレストランや骨董屋が多く、立ち寄りするにはとても愉しい街だ。その内の1軒で、グラゴール文字の碑文のレプリカを購入した。グラゴール文字はギリシア文字とキリル文字を繋ぐ重要なプロセスなのだが、初めて眼にしたそのフォルムは昔、イースター島で手に入れたロンゴロンゴ文字に似ていて、地球の不思議を感じた。<br />  <br /><br />苫屋<br /> <br />トロギールから、スプリット市営バスに乗換てサロナ遺跡を車窓に眺めながら、夕刻、SPLITに到着した。 今夜の宿は、「苫屋」:とまや  旧市街から坂道を東に10分ばかり登った高台の<br />高層マンションにある小さなホステルだ。オーナーの奥寺有希子さんは、アドリア海の島に惚れ込んで単身クロアチアに乗り込み、会社を設立してホステル経営をするという強い夢を実行した人だ。 でもドアを開けて出てきたのは、木綿のような優しさを感じさせた30代の女性だった。 店名の「苫屋」は岩手県北部の野田村にある、知る人ぞ知る旅籠で、電話を引いてないので、葉書で宿泊希望を申し込むという料理宿がモデル。 その宿のホスピタリティに惚れ込み、美しい自然のクロアチアに支店を作ろうという動機だという。 私は彼女の南部訛りの話を聴きながら美味しい緑茶を頂いた。用意された部屋はスプリット旧市街が270度見渡せる部屋で、これで200knはお得だ。彼女の薦める、地元の居酒屋に夕食に出かけた。大きなテーブルに客が相席する大学の食堂のような雰囲気で、地元の人の素顔も愉しめ、私はこういう店が大好きだ。ダルマチアの赤ワインのソーダ割を飲んで、名物のFish soup に、イカスミのリゾットを食べ、スプリットの夜を愉しんだ。<br /><br />苫屋:http://www.tomaya-croatia.com/<br /><br /><br />HVAR : フヴァル島へ<br /><br />3 May  晴れ HVAR日帰り- ANCONA<br /><br />ラベンダーが島一杯に花咲くことで有名なこの島に日帰りで訪れてみた。スプリットからフェリーで2時間半で着いた。バスで中心部のHvalTownに行き、城塞に汗をかきながら登った。<br /><br />Lonely Planetのクロアチア版の表紙を飾った景色が、眼下に広がった。島全体がのんびりとしていて、シーズンはハネムーンナーでホテルはいっぱいになる、、というのも頷けた。 港の外れにあるFameja Tudorで、島の特産の白ワインを飲み、烏賊の炭火焼きと、海老のリングイニを食べた。 <br /> <br /> <br />夜間航路でアンコナへ<br /><br />ファヴァルから19:15にスプリットに戻り、荷物をロッカーから引き取ってから、スーパーでDINGACの赤ワインとパルミジャーノと生ハムを買って詰め込んだ。Webで予約していた紙を乗船券に発券し、イミグレーションを経て、乗船したのは出航20分前だった。 <br /><br />予約した部屋は一番安い4人用の船室だったが、オフシーズンなので相客はデュッセルドルフに住むオランダ人のバルカさんだけだった。 もう60歳位の彼は、バイクを鉄道に乗せて、トリエステまで来て、そこからイストラ半島、スロベニア、クロアチアを廻ってきたそうで、イタリア上陸後はベローナまで一気に走破し、ガルダ湖で泊まり、ボルツアーノからまた専用電車にバイクを積んでドイツまで戻るそうだ。 これこそ、「ぶらり途中旅」の理想型だと、欧州のインフラ(車やバイクを運べる鉄道)と、初老を迎えても、それを使いこなす旅巧者に感心した。シャワーを浴びて、部屋に戻ると、バルカーさんが大イビキをかいて熟睡していた。<br /><br />イタリア上陸<br /><br />4 May  曇り〜雨 ANCONA -Ravenna-Bologna<br /><br />6:00に起きて、バルカーさんと食堂に出かけた。<br />アドリア海は穏やかな朝を迎えていた。 果物を食べ終わる頃、アンコナの港が見えてきた。7:00 Ancona着 眠っている間に、イタリア側に辿り着く、この移動ホテルはとても、お得だ!<br /><br />イミグレを過ぎて、イタリア上陸 港からバスで駅まで移動して、08:15発のユーロスターに乗った。びゅんびゅん、すっ飛ばす やはり鉄道は速い!と、思うと同時に、クロアチアで過ごしたスローな旅路を懐かしんだ。列車はボローニャ駅に10:40に到着 駅前のMercure Hotelに荷物を預けて、Ravennaに向かった。イタリアの自動券売機は目的地を入力すると、ラヴェンナのように幹線から外れている街へ、その時間の最適ルートを提示して発券してくれる。ちょっと来ない間に随分、便利になっている。<br /><br /><br /> <br />RAVENNA  ビザンンティン美術の宝庫<br /><br />ビザンティン美術の愛好者にとって、この街は<br />コンスタンティノープル(イスタンブール)と並ぶ聖地だ。 聖像破壊運動によりビザンティン帝国内のモザイクやイコンがこなごなになった時、この都は東ゴート族に支配されていたので、その惨禍から、免れて、往事の栄華を残しているからだ。 私は先ずバスで町外れにあるサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂に向かった。6世紀半ばに立てられた聖堂が未だに信仰の家として機能している。内陣を飾るモザイクの素朴だが鮮やかな色彩に、ほれぼれした。<br /> <br /><br /><br /> それから、町に戻り、ネオニアーノ、アリアーニの礼拝堂を巡り、ダンテの墓に詣でた。<br /><br /><br /><br /> 気持ちを落ち着けてから、この旅の芸術的ハイライトである地へと向かった。<br /><br />サン・ヴィターレ教会は548年に建立されたギリシア型の八角形の寺院で、寺の裏側にあるガッラ・プラチーディアの霊廟と共に世界遺産にイタリアでも真っ先に認定された六ツ星級の史跡だ。<br /><br /><br />これほど、大きな内陣に、精緻なモザイクで聖人達が描かれているが、最も名高い肖像は、ユスティニアヌス帝とその妻テオドラの顔を後世に伝えた壁画だろう。 <br /><br />民衆の反乱に、コンスタンティノープルを逃げようと弱気になった皇帝に「帝衣は最高の死に装束である」と言って、いさめた女傑はアイロニーな表情でモザイクに残されていた、この壁画は芸術のみならず歴史上の貴重な遺産として、この町に残されている。 私は閉館ぎりぎりまで、その偉容を見惚けた。<br /> <br /><br /><br />ボローニャの居酒屋<br /><br />夕刻、ボローニャに戻った。イタリアで、最も美食の町と表される地で、どこに行こう?と、<br />在住者のサイトで調べて、エノテカと食堂が一帯になった Vini d’Italiaという店を訪れた。<br /><br /><br />ここは、地元の親父が立ち呑みでGAJAなどを呑んでいる横で、大学の食堂みたいなテーブルで、その日の献立を頂くプリフィクス形式だ。ワインと前菜、主菜、サラダ、ドルチェ、コーヒのプリフィックスで30 EURO 私は春野菜のタリアテレ、羊のソテー、グリーンサラダ、マスカルポーネを取った。熱さ、堅さ、塩加減 どの素材も最良に料理されていて感心した。ワインの値段も良心的なので、息子の誕生年 1998年のワインを希望したら、棚の奧から埃をかむったPoderi Luigi Einaudiを出してきた。 私は料理と合わせて80 EUROを払い、大満足で、店を出た。<br />            <br />スクローヴェニ聖堂<br /><br />5 May 晴れBologna-Padova-Venezia-Dubui<br /><br /> 6:02発の列車でボローニャを発つ。周りは早朝に出勤や通学をする真面目な人ばかり。イタリア人のこういう素顔を見られるからGWの旅は面白い。7:36 Padova着 この町にはGiottoの円熟期の傑作であるスクロヴェーニ聖堂を見るために降りた。 Webで2ヶ月前に予約していた入場時間まで、まだあるので、サンタントニオ聖堂まで出かけた。以前、訪れた時にはドナテッロのブロンズなど見過ごしていたので、朝の礼拝中を邪魔しないようにして見た。 広場に出ると、巡礼団のバスが着き始めていた。 <br /><br />トラムに乗って市立博物館まで行き、予約証を出して入場券を貰った。入場は1回に20名だけ、まず温度調節室に入り服装の温度を調整されてから、ようやく15分だけ入場を許されるという他に例を見ない厳重管理だ。しかし、そこには、ジョットが晩年の精魂を傾けて描いた「キリストの生涯」「最後の審判」の人類史上最高峰の財産が護られている。人物描写の劇的度 どの部分を見ても揺るぎない筆致が続く密度はシスティーナ礼拝堂を凌駕しているかも知れない。私は15分間圧倒されて、そこに立ちすくんでいた。<br /><br />パドヴァの市場<br /><br />エルベ市場の惣菜市場で、生ハムと日持ちのしそうな惣菜を買って真空パックにして貰った。<br />ワインも驚く程、良心的な値段だったが、後ろ髪引かれながらも諦めた。ボローニャ発13:07-13:40 Venezia mestre着 3EUROの市営バスで マルコ・ポーロ空港 14:20着<br />ここまで無事に辿り着けた事を感謝した。<br />チェックインでLong Transferというタッグを付けて貰い、私は長い家路についた。<br /><br />

クロアチアに五月の風を浴びに行こう!

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2009/04/28 - 2009/05/06

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bloom3476

bloom3476さん


 中東の、と在るある国の航空会社のサイトを見ていたら、期間限定のプロモーションに眼が止まった。 暴落が伝えられる出発国のレートで計算してみると、思わずのけぞった。
   
ベネチアまで3万5千円!

燃油も税金も含んだ公示料金だ。 
よし、このキップで、春の旅に出かけよう!
さあ、どこに行こうか、、と思案する内に7年前の夏に訪れた、あの国の色彩が浮かんできた。

オレンジ色の瓦屋根
真っ青に輝くアドリア海
新緑の森に囲まれた湖と山並み

海の幸、山の幸に恵まれたグルマンの楽園 ビザンティンに遡る世界遺産の数々 そして まだまだ純朴なホスピタリティ。 

薫る風を浴びながら、野山を歩いてみたい。

  そうだ クロアチアに行こう! 

私は、早速、クロアチア観光局から沢山の資料を取り寄せて、ワタシ的「その先のクロアチア」のプランを立てた。

先ずヴェネチアからアドリア海を船で渡ってイストラ半島を巡り、それから、クヴァネル地方に入って、新緑のプリトヴィチェ湖群国立公園を歩いてみよう。

そこからダルマチア沿岸に南下して中世の街並みを巡り、SplitからHval島に足も伸ばそう、、

そうだ、ここからイタリア側に夜の船で渡り、ラヴェンナやパドヴァで世界遺産を見て、ヴェネチアに戻ろう、、 というアドリア海時計回りの旅程が出来上がった。

WHOがフェーズ4を発表し、厚生大臣が「冷静な対応」と求めた翌日、私はささやかな冷静を携えて、遙かアドリア海へと旅発った。



南回り

28 Apr 晴れ 成田 – ソウル- ドバイ

 会社を15:30に早退して、成田に16:58に着き
チェックイン。スプリット・チケットを提示して 荷物はVENICEまで、スルーにした。3つの区間を乗り継ぐが、無事、マルコポーロ空港で再会出来ますように! そう、念じた事もすっかり忘れる程、たくさん飛行機に乗り、機内食も食べて
1日目は高度1万フィートの上で過ぎていった。




運行キャンセル 

29 Apr 雨のち晴れ ドバイ- ベネチア

14:10 VENEZIAマルコポーロ空港 着
バスで、Pz ROMAまで行き、そこから61番の水上バスに乗り換えて、San Bassilioに16:00着いた。

 当初の計画では、ここからVenezia Lineのフェリーで対岸のクロアチアのPorec:ポレッチェまで僅か2時間半で、辿り着くハズダッタ、、
 しかし、出発3日前にメールで、「技術的理由により運行キャンセルとなった。代替便としてミニバスで、3時間半かけて、陸路でポレッチェの宿まで送りますが?」と打診してきた。 
 まあ、トリエステを経由しながら行くのも悪くはないとOKと返事していた道行きであった。
 
San Bassilioの小橋を渡ると、国際線航路のターミナルがあり、そこでチェックインするとカウンターの前に居たアメリカ人の学生が2人、腰を上げた。 アンディアーモ! ドライバーが言った。 そうか、乗客がこの3名じゃ、「技術的理由」と偽っても、運行を辞めざるを得ないな、、と合点した。クロアチア人のドライバーは70-80年代のUSヒットチャートをかけて出発した。
1時間位でトリエステに入る。須賀敦子の「トリエステの坂道」を思い出しながらも、車は無情にも高速で通り過ぎた。


それから、イタリアとクロアチアのイミグレを経て、車は、幹線を降りて海岸線に分け入って  行く。 そして19:00丁度にポレッチェのホテルに到着。 当初、フェリーで来た場合、19:30の到着予定だったので、この変更も悪くはなかった。
 ホテルに入り、窓を開けると、夕陽に染まったアドリア海が見えた。



エウフラシウス聖堂

30 Apr 晴れ〜雷雨 イストラ半島 〜 Karlobac

この街を訪れたのは、世界遺産のエウフラシウス聖堂を見るためだった。 ホテルから海岸通りを10分歩き、聖堂に着くと、朝の礼拝を済ませた信者が退出してくる所だった。 思いの外、簡素な礼拝堂を進むと、眼もくらむ程の豪華なモザイクで埋め尽くされた祭壇が現れた。双眼鏡を出して天井を見つめると、ロマネスクな描写の聖人達が黄金の背景に息づいていた。これらは、ラヴェンナのビザンティン美術を支えた職人達が海を
渡って、ここに造ったらしい。

静寂の聖堂で私は至福を感じながら立っていた



Rovinj ロヴィニ

9:00のバスで、海岸線を南下して、10:00 Rovinj着 BTに荷物を預け、歩いて5分位で海岸に着くと 小ヴェニスと謳われるロヴィニの旧市街が
眼に飛び込んできた。



 この街はベネチア共和国の属領だったので、街の造りが本家と似ており、その由来を示すようなベネチアの紋章:翼の獅子が街のあちこちにある。


街で、ひときわ目立つ聖エウフェミヤ教会に行き、10knを払って、尖塔に登った。※ クロアチア通貨クーナ: 1kn = 22円)

塔の内側は空洞で、簡単な木段を80m上がる。ヒヤヒヤしながら登り切った。その甲斐あって、塔から見下ろす風景はまるで鳥になったような気分で宮崎駿の「魔女の宅急便」で見た空中浮遊の景色がそこにあった。(※ 実際、宮崎が描いたのはドヴロヴニクだが)



芸術家の街 ロヴィニ

イストラ半島にある魅力的な街の中でも、芸術家が多く住むようになった、、雑誌【旅 クロアチア特集号】の記事を読んで、気になっていたギャラリーとレストランを訪れた。 その内の1軒で、イコンを買った。その店の薦めでVeli Jozeという海辺のレストランで昼食を取った。

蟹肉を炙って、蟹味噌をあえたサラダと 白トリフュを添えたタリアテレを選んだ。イストラ半島の海と山の幸を使ったご馳走に、私はいっぺんで、この街が気に入った。 



イストラ半島

ベネチアとハプスブルグ帝国  2つの文化に影響されてきた、この半島は見所満載、前述の白トリフュを始め、名醸ワインも多い、舌の肥えた人達が暮らす土地だ。 そんな半島をローカルバスで乗り継ぐ、のんびりバス旅をしてみた。


7年前と比べて、旅行情報は自宅に居ながら、バスやフェリーの時刻表、お薦めのエノテカやレストランに骨董屋、果てはホテルのベッドの堅さまで情報を共有出来る進化をしていたので、こんな「ぶらり途中旅」も可能になっていた。


私は、気に入った街で降り、なるべくひっそりと歩いて、街に黒子のように紛れ込んだ。平日の異国の街に働く人々の素顔を見るのが、とても面白い。そんな足取りで、Porec-Rovinj-Pula- Lovran-Opatija -Rijekaという魅力的な街々を巡る内に、陽は暮れて雷鳴が轟き、どしゃぶりとなった。 


翌日はプリトヴィチェ湖群でハイキングをする予定だった。
プリトヴィチェに一番近いKarlovacという観光客の寄りつかない街まで行って宿を取った。 

宿の鍵を受取ながら、不安げに明日の天気を訊ねると、陽気なコンシェルジェは、Webで天気予報を調べてから「明日は雨だって!、、でもね、今日は晴れの予定だったんだから、明日はきっと晴れだよ!」って太鼓判を押した。旅に出たら、疑うよりも騙された方が前向きなので、そのコトバを信じて、ぐっすりと眠った。




プリトヴィチェへ

1 May 快晴 Karlobac - Plitovice

窓を開けると、朝の光で眩しかった。朝食の給仕をしていたコンシェルジェと顔を会わすと「ほらね、晴れただろう!」と太陽神の如く 胸を張っていた。

バスに乗り、クロアチア内陸部の森の中を進んだ。 周囲はだんだん緑が濃くなってきて、雨に濡れた木々が朝日を浴びて輝いている。 1時間半で、9:50AMにプリトヴィチェの2番目の入口に到着した。 予約している Hotel BELLEVUEは歩いて5分。 宿に荷物を置き、ホテルのテラス側を5分降りると公園の入口。 ここで1日チケットを買う。 明日も使うのだが、BELLVUEの宿泊者は、そのチケットに受付のサインを貰えば2日目も、そのまま使える。


入口を下ると船着き場Pear1に着く。ここから対岸のP2に行き、そこからまた船を乗り換えてP3まで移動した。今日はメーデーで祝日だからか現地の家族連れも多く見かける。しかし、向こうから来る船は全員、日本人、、比較的、リタイアした夫婦が多いように見えた。他にも、園内で幼児を連れた家族連れにも2〜3組、遭遇して、ここが日本人にもメジャーな観光地になってきているのを知る。 それにしても、家族で、こんな美しい風景を共有の思い出に出来るなんて、なんて素晴らしいんだろう。 私の息子は、彼の子供と一緒に、ここに来られたらいいなと思った。



P3は上湖と日本語で表記されており、そこから標高差180mの下流まで棚田のように段々と川が下に流れていく。エメラルド・グリーンの森の中、大小16の湖、92カ所の滝の間を這うようにして蛇行する光景は世界でも類を見ない。


中国の九賽溝と比較されるが、これほど多くの滝はなく、あちらが静止画の美しさに対して、プリトヴィチェは滝を流れる水が周囲の緑とぶつかる「水のページェント」が独壇場だと思う。
新緑の真っ直中、前夜の雨で勢いづく水流の条件が揃った今日の天候に、あのコンシェルジェを思い出して、Hvala :ありがとうと云ってみた。


園内は全部、歩くと優に2日はかかる広大さだが、それぞれのポイントを船以外に、エコバスが運行している点は感心だ。



しかし、ここで、私は思わぬ失敗をした事に気が付いた。 それは滝を上流から流れに沿って下流に降りていったルートだった。これは奥入瀬を十和田湖の子の口から焼山まで下って行くようなもので、滝は追うのではなく、向かって歩いていかなければ成らなかった。 道理で、来る人は大勢いるのに、自分が向かう先には、あまり人はいない。 そうか、誰もいない時間に、川を上って来るのが理想なんだ、、とようやく気が付いた。


 私は、ある計画を立ててから、バスでST4という最奧の湖まで行き、そこから湖を一周した。持参したサンドイッチで昼食を取った他、11時から6時間で公園の全コースを一通り歩いた。


誰もいない森

2 May 晴れ Plitovice – Trogir – Split

翌日は早起きして、朝6時にホテルを出た。 
昨日、バスで来た道路をザグレブ側に3km戻り、公園の第一入口のRestovacaに着いた。 前夜、ホテルのコンシェルジェから、早朝は自由に公園内に入れると聴いて、まだ誰もいない園内を歩こうと思い付いたからだ。 無人の入口から少し歩くと、渓谷の眺望が開け大滝を朝日が照らし始めていた。 


小鳥のさえずりが、空に響き渡り、他に聞こえるものは自分の足音だけだった。 昔、マチュピチュの入口にあるサンクチャリ・ロッジという宿に泊まり、翌日、開門一番で、園内に入り、ワイナピチュに登った時のようだ。 世界遺産を独り占めにしているようで、爽快この上ない。


川に降りるに従い、滝の轟音が響いてくる。
昨夜遅くにも、少し雷鳴が轟き、雨が降ったので水の勢いが今日も凄い。今度は滝に向かって歩いているので、これが雨の中だったら怖い位かも知れない。 朝、早いので虫たちも新緑のベッドから起きたばかりだ。


上湖に出ると、湖面は鏡のような静けさで、新緑に萌える木々を映し、言葉を失う程、美しい光景だった。 東山魁夷の絵で、こんな景色を見た記憶があったが、今、目の前にあるのはそのLIVEだ。 早起きは三文の得というが、今朝は値千金のご褒美だった。



7時半にP3に辿り着き、リュックから果物とチーズを出してテーブルに広げた。世界遺産の景色と、小鳥のターフェル・ムジークで朝食を取った。


 8:10に公園管理事務所の車がパトロールに来た。挨拶をして、ヒッチハイクを頼んでみたら、快諾してくれた。 車は、渓谷沿いのオフロードをMukinje方面に疾走した。このドライブの車窓の眺めも爽快だった。 2時間かけてきた往路を帰路は遠回りだが、たった15分で駆け抜けてBELLVUEまで帰った。係官に感謝すると、満面の笑みで返礼された。こんなところが、クロアチアのホスピタリティの真骨頂だと思った。

トロギール

9:45のバスでプリトヴィチェを発ち、ザダル方面に向け、南下した。途中、Sibenikで昼食を取ってから、15:23 Trogirに到着した。ここも世界遺産で途中下車した。プレ・ロマネスクのタンパンが、とても美しい聖ロヴロ大聖堂を中心に迷路のような小路を散策した。ここはヴェニスのようにレストランや骨董屋が多く、立ち寄りするにはとても愉しい街だ。その内の1軒で、グラゴール文字の碑文のレプリカを購入した。グラゴール文字はギリシア文字とキリル文字を繋ぐ重要なプロセスなのだが、初めて眼にしたそのフォルムは昔、イースター島で手に入れたロンゴロンゴ文字に似ていて、地球の不思議を感じた。
 

苫屋
 
トロギールから、スプリット市営バスに乗換てサロナ遺跡を車窓に眺めながら、夕刻、SPLITに到着した。 今夜の宿は、「苫屋」:とまや  旧市街から坂道を東に10分ばかり登った高台の
高層マンションにある小さなホステルだ。オーナーの奥寺有希子さんは、アドリア海の島に惚れ込んで単身クロアチアに乗り込み、会社を設立してホステル経営をするという強い夢を実行した人だ。 でもドアを開けて出てきたのは、木綿のような優しさを感じさせた30代の女性だった。 店名の「苫屋」は岩手県北部の野田村にある、知る人ぞ知る旅籠で、電話を引いてないので、葉書で宿泊希望を申し込むという料理宿がモデル。 その宿のホスピタリティに惚れ込み、美しい自然のクロアチアに支店を作ろうという動機だという。 私は彼女の南部訛りの話を聴きながら美味しい緑茶を頂いた。用意された部屋はスプリット旧市街が270度見渡せる部屋で、これで200knはお得だ。彼女の薦める、地元の居酒屋に夕食に出かけた。大きなテーブルに客が相席する大学の食堂のような雰囲気で、地元の人の素顔も愉しめ、私はこういう店が大好きだ。ダルマチアの赤ワインのソーダ割を飲んで、名物のFish soup に、イカスミのリゾットを食べ、スプリットの夜を愉しんだ。

苫屋:http://www.tomaya-croatia.com/


HVAR : フヴァル島へ

3 May 晴れ HVAR日帰り- ANCONA

ラベンダーが島一杯に花咲くことで有名なこの島に日帰りで訪れてみた。スプリットからフェリーで2時間半で着いた。バスで中心部のHvalTownに行き、城塞に汗をかきながら登った。

Lonely Planetのクロアチア版の表紙を飾った景色が、眼下に広がった。島全体がのんびりとしていて、シーズンはハネムーンナーでホテルはいっぱいになる、、というのも頷けた。 港の外れにあるFameja Tudorで、島の特産の白ワインを飲み、烏賊の炭火焼きと、海老のリングイニを食べた。 


夜間航路でアンコナへ

ファヴァルから19:15にスプリットに戻り、荷物をロッカーから引き取ってから、スーパーでDINGACの赤ワインとパルミジャーノと生ハムを買って詰め込んだ。Webで予約していた紙を乗船券に発券し、イミグレーションを経て、乗船したのは出航20分前だった。 

予約した部屋は一番安い4人用の船室だったが、オフシーズンなので相客はデュッセルドルフに住むオランダ人のバルカさんだけだった。 もう60歳位の彼は、バイクを鉄道に乗せて、トリエステまで来て、そこからイストラ半島、スロベニア、クロアチアを廻ってきたそうで、イタリア上陸後はベローナまで一気に走破し、ガルダ湖で泊まり、ボルツアーノからまた専用電車にバイクを積んでドイツまで戻るそうだ。 これこそ、「ぶらり途中旅」の理想型だと、欧州のインフラ(車やバイクを運べる鉄道)と、初老を迎えても、それを使いこなす旅巧者に感心した。シャワーを浴びて、部屋に戻ると、バルカーさんが大イビキをかいて熟睡していた。

イタリア上陸

4 May 曇り〜雨 ANCONA -Ravenna-Bologna

6:00に起きて、バルカーさんと食堂に出かけた。
アドリア海は穏やかな朝を迎えていた。 果物を食べ終わる頃、アンコナの港が見えてきた。7:00 Ancona着 眠っている間に、イタリア側に辿り着く、この移動ホテルはとても、お得だ!

イミグレを過ぎて、イタリア上陸 港からバスで駅まで移動して、08:15発のユーロスターに乗った。びゅんびゅん、すっ飛ばす やはり鉄道は速い!と、思うと同時に、クロアチアで過ごしたスローな旅路を懐かしんだ。列車はボローニャ駅に10:40に到着 駅前のMercure Hotelに荷物を預けて、Ravennaに向かった。イタリアの自動券売機は目的地を入力すると、ラヴェンナのように幹線から外れている街へ、その時間の最適ルートを提示して発券してくれる。ちょっと来ない間に随分、便利になっている。


 
RAVENNA ビザンンティン美術の宝庫

ビザンティン美術の愛好者にとって、この街は
コンスタンティノープル(イスタンブール)と並ぶ聖地だ。 聖像破壊運動によりビザンティン帝国内のモザイクやイコンがこなごなになった時、この都は東ゴート族に支配されていたので、その惨禍から、免れて、往事の栄華を残しているからだ。 私は先ずバスで町外れにあるサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂に向かった。6世紀半ばに立てられた聖堂が未だに信仰の家として機能している。内陣を飾るモザイクの素朴だが鮮やかな色彩に、ほれぼれした。



それから、町に戻り、ネオニアーノ、アリアーニの礼拝堂を巡り、ダンテの墓に詣でた。



 気持ちを落ち着けてから、この旅の芸術的ハイライトである地へと向かった。

サン・ヴィターレ教会は548年に建立されたギリシア型の八角形の寺院で、寺の裏側にあるガッラ・プラチーディアの霊廟と共に世界遺産にイタリアでも真っ先に認定された六ツ星級の史跡だ。


これほど、大きな内陣に、精緻なモザイクで聖人達が描かれているが、最も名高い肖像は、ユスティニアヌス帝とその妻テオドラの顔を後世に伝えた壁画だろう。 

民衆の反乱に、コンスタンティノープルを逃げようと弱気になった皇帝に「帝衣は最高の死に装束である」と言って、いさめた女傑はアイロニーな表情でモザイクに残されていた、この壁画は芸術のみならず歴史上の貴重な遺産として、この町に残されている。 私は閉館ぎりぎりまで、その偉容を見惚けた。



ボローニャの居酒屋

夕刻、ボローニャに戻った。イタリアで、最も美食の町と表される地で、どこに行こう?と、
在住者のサイトで調べて、エノテカと食堂が一帯になった Vini d’Italiaという店を訪れた。


ここは、地元の親父が立ち呑みでGAJAなどを呑んでいる横で、大学の食堂みたいなテーブルで、その日の献立を頂くプリフィクス形式だ。ワインと前菜、主菜、サラダ、ドルチェ、コーヒのプリフィックスで30 EURO 私は春野菜のタリアテレ、羊のソテー、グリーンサラダ、マスカルポーネを取った。熱さ、堅さ、塩加減 どの素材も最良に料理されていて感心した。ワインの値段も良心的なので、息子の誕生年 1998年のワインを希望したら、棚の奧から埃をかむったPoderi Luigi Einaudiを出してきた。 私は料理と合わせて80 EUROを払い、大満足で、店を出た。
            
スクローヴェニ聖堂

5 May 晴れBologna-Padova-Venezia-Dubui

 6:02発の列車でボローニャを発つ。周りは早朝に出勤や通学をする真面目な人ばかり。イタリア人のこういう素顔を見られるからGWの旅は面白い。7:36 Padova着 この町にはGiottoの円熟期の傑作であるスクロヴェーニ聖堂を見るために降りた。 Webで2ヶ月前に予約していた入場時間まで、まだあるので、サンタントニオ聖堂まで出かけた。以前、訪れた時にはドナテッロのブロンズなど見過ごしていたので、朝の礼拝中を邪魔しないようにして見た。 広場に出ると、巡礼団のバスが着き始めていた。 

トラムに乗って市立博物館まで行き、予約証を出して入場券を貰った。入場は1回に20名だけ、まず温度調節室に入り服装の温度を調整されてから、ようやく15分だけ入場を許されるという他に例を見ない厳重管理だ。しかし、そこには、ジョットが晩年の精魂を傾けて描いた「キリストの生涯」「最後の審判」の人類史上最高峰の財産が護られている。人物描写の劇的度 どの部分を見ても揺るぎない筆致が続く密度はシスティーナ礼拝堂を凌駕しているかも知れない。私は15分間圧倒されて、そこに立ちすくんでいた。

パドヴァの市場

エルベ市場の惣菜市場で、生ハムと日持ちのしそうな惣菜を買って真空パックにして貰った。
ワインも驚く程、良心的な値段だったが、後ろ髪引かれながらも諦めた。ボローニャ発13:07-13:40 Venezia mestre着 3EUROの市営バスで マルコ・ポーロ空港 14:20着
ここまで無事に辿り着けた事を感謝した。
チェックインでLong Transferというタッグを付けて貰い、私は長い家路についた。

交通手段
高速・路線バス
航空会社
JAL

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この旅行記へのコメント (1)

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  • コクリコさん 2009/05/19 22:48:46
    いつの間にクロアチアへ。
    bloom3476さん、お久しぶりです。

    安いチケットを見つけ出し、すぐに旅立つ実行力はいつも感心してしまいます。
    万緑のクロアチア、良いですね。

    文章だけでも想像力をかきたてられますが、滝がどういうものなのか写真が見たかったです。

bloom3476さんのトラベラーページ

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