2006/03/22 - 2006/03/22
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hirobekさん
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初めての小倉見学
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小倉駅中で昼食
美味しくて安い -
小倉NISSAN工場を見学
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研修生は喜んで乗ってみる
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研修生記念写真
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宿泊はRIHGA ROYAL HOTEL 小倉
快適だったがInternetが有料なのが難 -
ホテルの部屋からは小倉の港が見渡せる
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松本清張記念館
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松本清張記念館入り口 小倉城横
個人文学館としては日本有数の規模と集客力を誇る
年間12万人の見学者がある。松本清張は明治42年、松本清張は、福岡県北九州
小倉北区で生まれ九州で前半生を過ごした。
出発点が『或る「小倉日記」伝』(昭和28年芥川賞受賞)--森鴎外をめぐる物語。 -
松本清張記念館
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書斎作家としては異例の四十二歳からのスタートであったが、新しい物語性と平明さが多くの読者に支持され、『点と線』『眼の壁』などが空前のベストセラーとなった。
売れる作品への「中間小説」という一括りの評価に反撥しての「文学には純文学と通俗文学の二つしかない」とする発言は、松本清張の文学観、文学への矜持を端的に表すものであった。
主題によって形式を決定し、表現の方法を考える。そして「内容は時代の反映や思想の照射を受けて変貌を遂げてゆく」という主張は、現役のまま八十二歳で没するまで変わることはなかった。 -
再現された応接室展示
昭和三十年代から作家が住んだこの家は、東京の西郊杉並の高井戸に位置する。辺りは武蔵野の自然が残る閑静な住宅街で、家のすぐ横を渋谷と吉祥寺を結ぶ井の頭線が走る。始発から最終まで走る電車の音と振動が、毎日一定のリズムをもってそこまで届く。
独り「城」に閉じこもり、昼夜を分かたず 思索と創作に没頭した清張は、人々の動く時間と静止する時間、過ぎゆく日暦をこの電車の走る音と振動で操っていたのかも知れない。
一階は玄関を入って右が応接室で、その後ろに、応接室とは直接には繋がらない書庫がある。 -
骨董品のコレクション
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隣の小倉城へ関門海峡に面した小倉は、陸海の交通の要衝として、古くから砦や城が構えられた地でした。この地を抑えるために繰りひろげられた、多くの豪族たちの攻防の歴史も残っています。小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種や毛利勝信が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施。外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭りも誕生させました。細川氏熊本転封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真が、1632年に入国。小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていました。
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しだれ桜が満開
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江戸時代の小倉城内にタイムスリップ。
遊んで学べる楽しい体験コーナーがある -
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かぶって写真撮影ができる
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小倉城の天守閣から小倉の街が360度ぐるりと見渡せる。
また、観光案内や情報コーナーもある。 -
小倉城庭園(愛称:小笠原会館)
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天守閣眺望
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明治31年(1898年)設立された第12師団司令部隊の碑
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第12師団司令部隊の門跡 日露戦争で森鴎外が軍医として勤務
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お堀
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案内板
小倉城と松本清張記念館
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