1978/07/14 - 1978/09/02
9759位(同エリア51541件中)
RIOさん
憧れのアメリカ。ホームステイを考えたが、「もしホストファミリーとうまくいかなかったら・・・」と不安になった。どうせならアメリカをしっかり見てみたい。友だちのアメリカ人留学生の家(インディアナ)も訪問したい。でも一人旅は無理。そんなこんなで前年、先輩が参加した「バスでホストファミリー宅をつなげていく旅」のアメリカ中部を通るコースに決めた。期間は51日、滞在中は教会関係のボランティアグループのお世話になった。総勢60人ぐらいの日本人がニューヨークから2人から10人のグループに分かれて旅をする形。ゴールはサンフランシスコ。友だちの家へは途中でグループを離れて訪問することにした。70年代のアメリカは全盛期。どこに行ってもアメリカ人のすばらしいホスピタリティを受け、夢のような夏休みを過ごすことができた。この思いをこわしたくなくて以後アメリカへ行くのはずっと我慢してきた。もう30年以上も前の写真なので完全に変色してしまって見苦しけれど、5冊のアルバムの中から数枚を選びスキャンしてみました。
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
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旅のスタートはニューヨーク。すでに日本は高度成長時代を経て海外に進出していたので至る所に日本の企業名を見ました。大学生活は東京だったので都会ではあまりカルチャーショックは受けなかったかな。ただただアメリカに来ることができ、うれしくて舞い上がっていました。旅費は50万がかけるぐらいかかりました。「成人式の着物はいらないから」と言って親に出してもらいました。親不孝をしたと思っています。当時振り袖は100万近くかかった時代です。
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ハドソン川のクルーズ船から見たヤンキースタディアムです。安ホテルに泊まって街をぶらつきましたが、"Museum" "Vanila"の発音が通じなくて大変でした。都会の人は英語が速くてきつかったけど、その後、中部、南部の英語はゆっくりで助かりました。
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Japanという言葉を見て写真に撮っただけですが、日本に帰ってしばらくしてからこの映画を見ました。アメリカ旅行中、映画は"Saturday night fever"と"Greece"を見ました。結局両方とも日本で字幕付きで見直しました。ジョントラボルタのダンスがすてきでした。ディスコ全盛期!ホストファミリーと本場のディスコが初ディスコ、ちょっとはまりそうでしたが、日本では六本木と吉祥寺2度で終了!
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これぞニューヨーク!と当時気に入った一枚。
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当時はホワイトハウス内の見学ができました。観光客にも一般公開しているなんてさすがアメリカ!と驚いたことを覚えています。
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ニューヨークからワシントンへ。ワシントンモニュメントから見た街
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ここは後日映画「フォレストガンプ」に出てきた場所。感激しました。
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最初のホストファミリーはバッファロー。家の周りに塀が無いことに驚きました。
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ホストファミリーとテニスを楽しむ。彼女は熱心な仏教徒でした。
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アメリカ人の友人宅にたどり着く。別行動はけっこう大変でした。グレイハウンドバス利用者はアメリカ社会では低所得者層なので、路線に依ってはちょっと・・・で運転手のすぐ後ろに座ったりしました。当時、友人とは手紙での連絡だったので、本当に会えるかすごく不安でした。彼女の家は庭にミシシッピ川の支流が流れている高級住宅地にありました。
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これが庭を流れる川。野鳥がいることが不思議に感じました。
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友人がシカゴ大学を案内してくれた。
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イリノイ州、シャンぺーンのホストマザー。元高校教師で一人暮らしでした。
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ホストファミリーとの出会いと別れの場所。
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高校のグランド。日本と違って芝生なのが不思議に感じました。
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エルビスプレスリーのお墓
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エルビスプレスリーの一周忌だった。世界中からファンが集まっていた。3時間待って中に入った。
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アメリカ人は古い物を大切する。日本なら当たり前にあるような建築物を公園などで博物館のようにしていました。
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ダラスのホストファミリー、日曜日は盛装して教会に出かけます。子供は荷台。
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ダラスのホストファミリー。まずは庭でバーベキューです。
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ダラスではロデオに連れて行ってもらいました。すごい迫力。
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ケネディ大統領が射殺された場所。犯人がいたビルです。この前は公園になっていて慰霊碑がありました。
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オクラホマのホストファミリーと近所の家のプールで遊びました。
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アマリロのホストファミリーと乗馬を楽しみました。なかなかワイルドな体験でした。
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浴衣を着せてあげたのですが・・・自分でも着られるよう、練習して行ったのですが・・・ごめんなさい。
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アマリロの郊外にはこのような風景が広がります。岩の割れ目みたい所を探検したり、楽しみました。
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サンタモニカの桟橋の上です。今はどうなっているのでしょうか?
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サンタモニカの桟橋から
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ハリウッド
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サンタモニカの通り。
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UCLAです。やはり大学見学ははずせませんでした。
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ディズニーランドを楽しむ。妹の渡米から7年目にして夢が叶う。この時ミッキーは50歳でした。まだTDLが無かった時代です。
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最終ゴールのサンフランシスコ。太平洋です。大西洋から太平洋へアメリカ大陸横断は終わりました。この旅で私の英語学習への意欲は高まりました。オクラホマのホストファミリーは家族で来日してくれました。シャンぺーンのホストマザーとは彼女が高齢者施設に入るまで文通が続きました。留学生だった友人とは現在はカードの交換だけになってしまいました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- kumihouさん 2014/07/08 09:50:06
- 1978年に戻って
- RIOさんの若かりし頃の写真を拝見しました。こうして何十年も前の写真をスキャンして旅行記作成、まったくもって頭が下がります。自分の学生の頃と比べてみても面白いです。
- RIOさん からの返信 2014/07/08 22:27:52
- RE: 1978年に戻って
- kumihouさん
たくさんの旅行記に投票ありがとう。
昔の旅行記は忘れてしまわないようにと自分の為の記録みたいもの。
昔はフィルムだったから枚数が限られているし、必ず人物が入っていて
旅行記を作るのはちょっと・・・
でも遙昔なので良いかな?
それより、今の面影無しでちょっと悲しいかも?
別人のようで、もう誰もわからないかも?
これからどんどん老いていくんだろうけど、
健康を保ち、旅行を楽しめたらいいな〜!
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- ぱぶさん 2010/04/01 08:50:34
- アメリカ大陸横断グレイハウンドの旅、ステキな経験でしたね! (*^_^*)
- RIOさん:
今日の新着旅行記からRIOさんの他の旅行記に入り、たどり着きました。
ぱぶさんも若い頃、奨学生としてアメリカで何年か過ごしたことがあり、この時、アメリカ周遊も、ハワイ周遊も、この時のホストファミリー・ステイも奨学生の得点で楽しませてもらった経験があり、懐かしくこの当時のアメリカの原風景を確認できました!(1票も入れさせてもらいました)
ロスではホストファミリーの子供も一緒でディズニーに遊んだことも思い出します。
あれからうん十年、今はリタイヤーしています。それで、お返しに、ボランティアーで留学生や近在の外国人相手の「日本語を話す会」で主に留学生は東南アジアから、一般人は色々な国からの人ですが、毎週の2時間の”勉強”の他、折々のピクニック等も一緒に楽しんでいます。最近はサクラシーズンですので、帰国前の学生達に東京のサクラ名所めぐり等連れ出し、スナップを沢山撮り、CDや一部プリントであげています。
今年はぱぶさんの奨学生機関の創立50周年大会があり、ハワイに行って昔の仲間たちとも会えるのを楽しみにしています。自分のことばかりカキコしましたが、背景を語らないと、何故RIOさんの旅行記に反応したのかわからないかと思い、沢山書きました。悪しからずです。m(__)m
- RIOさん からの返信 2010/04/01 21:01:27
- RE: アメリカ大陸横断グレイハウンドの旅、ステキな経験でしたね! (*^_^*)
- ぱぶさん
書き込みありがとうございます。
ぱぶさんの旅行記を少し見させていただきました。
すばらしい体験をなされているのですね。
文が多いので全部はまだ見ていませんので、これから少しずつ読ませていただきます。これからの楽しみができました。
私の方は生活のために、まだまだ働かなければなりません。
リタイアした時に健康であれば、ゆったりとした旅ができるかと楽しみにしています。
それまでは時間を作って弾丸ツアーを決行するつもりです。
これからもどうぞよろしくお願いします。
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