1988/12/21 - 1988/12/28
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ひろりん1948さん
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1989年12月21日から28日までスペインへ夫婦で行ってきました。もちろんツアーです。
この旅は出発の前日から大波乱の旅が始まったのです。
出発の日、突然予定になかった東京での宿泊が必要との連絡が来たのです。訳の分かたないまま私たちは伊丹空港を飛び立ちました。
当時、ヨーロッパまでの北回り便は、ソビエトの上空を飛行できなかったので、アメリカのアンカレッジ空港で一旦降りた後、北極上空を飛行し、ヨーロッパへ向かう15時間の旅だったのです。
ところが、私たちはアンカレッジに降りることはできませんでした。代わりに、カナダのバンクーバーで降りるというのです。当時カナダとは航空協定が結ばれていなかったので、正式な許可が下りないので、簡単にトランジットできません。むりやり降りたと言うことでした。そのため、バンクーバーで長時間待たされることになり、スペインのマドリード到着は大幅に遅れることになったのです。
その原因は・・・・・・・・・・・・?
帰国後数日してわかりました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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バンクーバーの出発が大幅に遅れましたが、取り合えづスペインへ行けることになりました。
北極上空です。 -
マドリードから旅は始まりました。
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マドリード空港から市内へ向かいます。
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市街が見えてきました。
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市街地を走ります。
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スペイン広場、ドンキホーテとサンチョ・パンサの像
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通りがかった現地の子供たちと
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ちょっと日本人離れした顔の添乗員さんです。
本当なら、マドリードでプラド美術館など1日間こうする予定だったのが、到着が何時間も遅れたので観光せずに、次の訪問地に向かうことになった。
添乗員さんはみんながなかなか帰ってこないので気が気ではありません。
空港を出てからのバスの中で、添乗員さんが、みんなにこれからの予定を説明し、どちらがいいか聞きました。
とにかく先を急がなければ予定のコースをたどれません。
マドリードの観光もほとんどせず、途中にトレドもよれません。それでもかまいませんかと言うことです。
ひっちゃかめっちゃかです。
私たちには賛成の道しか残っていなかったのです。 -
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コルドバを目指します。
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私たちは飛行機を降りてから駆け足だったので何も食べていません。
妻が持っていたまんじゅうをツアーの人たちと分け合いながら食べただけです。
やっと、昼食のレストランにやってきました。 -
初めててここで土産をゲットしました。陶器の燭台です。今も大事に持っています。
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ワイン蔵を見学しました。でかい陶器の入れ物に驚きました。
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レストランを離れコルドバを目指します。
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鐘のようです。
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いよいよコルドバにやってきました。
なぜ、飛行機がアンカレッジに降りられなかったのか?
ツアーが終わるまで私たちは知りませんでした。
私たちがアンカレジによる予定日の前々日、アンカレッジの火山が噴火し、その噴煙で1機の飛行機が墜落しかけたのです。
エンジンが噴煙を吸い込むと、ブレードのに噴煙が焼き付きエンジンが停止してしまいます。
機体は急降下し、墜落寸前でエンジンが動き始めたので、助かったそうです。
ちょっと日にちが違えば、それが私たちの飛行機だったかもしれません。 -
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もう夕暮れ時です。
アルミナールの塔。 -
ユダヤ人外など市内を散策します。
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2度目のショッピングです。
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夕食のレストランでのフラメンコショー
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ラーメンを食べながらホテルの窓からの風景。
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