2002/04/14 - 2002/04/28
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rojinさん
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桝添要一氏が若いころ英国留学を終えて日本に帰国する途中ギリシャに立ち寄ったら、英語が通じなくて困ったと、本に書いているのを読んで、そんな異文化の国ギリシャなら是非一度自分で体験してみたい、という気持ちになりました。
地中海気候の季節風が弱まる4月なら、まだ観光客が少ないので
丁度よいと思い、島巡りの計画を立てたのですが、島から島への移動手段が不便の為、アテネを基点にクレタ島へ飛行機で往復してから、つぎにサントリーニ島へ飛行機で往復するという日程にしました。
アテネ滞在中に、エーゲ海クルージングでアテネに近いサコロニコス湾の3島を訪ねる現地ツアーに参加しましたので、今回のギリシャの旅は首都アテネ以外はすべて島巡りの旅となった次第です。
ギリシャへ向かう為、イタリアのミラノとローマで5日間過ごしましたが、この旅行記の最後に、その滞在記を付け加えておきます。
旅の片言ギリシャ語:
ヤーサス! ( こんちわ! )
カリメラサス (お早うございます )
シグノーミ!( すみませんが )
サイセラ ナ エド アフトー?(これを見せて?)
エヘテ クラッシー ?( ワインある? )
アフトー ポソカニ? ( これは幾ら? )
デン カタラヴェーノ。( わかりません )
ト グラプステ エド?(ここに書いて下さい )
ー・・・・
エンダクシー。 ( OK )
カタラベノ ( 分かった )
アフト パラカロー ( これを下さい )
--アポ プー イステ ?(何処からきたの?)
アポテイン ヤポニヤ (日本からきた)
ボローナ パロ ミヤ フォトグラフィア?
( あなたの写真撮ってもいい? )
ー ネー(Yes)
エフハリストー ポリ( どうも有難う )
ー パラカロー ( どういたしまして )
アデイオ サス!( さよなら! )
(持参カメラは85mm一眼レフ)
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
-
ローマ空港内でオリンピック航空のカウンターを見かけたので、リコンファームしようと立ち寄ったら、係りのギリシャ青年が端末を叩いて、
”OA510便はキャンセルされて、A3便に変更されました。”と言うので驚きました。
「キャンセル? 」
ーーー”Yes. Striki."
「 A3、・・・What? 」
ーー”エイヒアン エアウェイ”という返事。
咄嗟に、ギリシャ語かな、と思って・・
「ト グラプステ エド? 」(ここに書いて)
とギリシャ語で喋ったら今度は向こうが驚いて、紙にーAEGEANーと手書きしてくれました。
「 エフハリストー!」( 有難う! )
初めて喋ったギリシャ語がうまく通じたのです。
写真が、そのAEGEAN航空です。 -
ローマ空港からアテネへ飛ぶ機内で、サービスに従事する添乗員の写真をパチリ。
典型的なギリシャ美人です! -
夕方、アテネ経由でクレタ島イラクリオンに到着しました。 そこでの宿は、四つ星の < Astoria Capsis Hotel.>というホテル。
写真はホテルの部屋のバルコニーから見た夕方の街並みです。
ガイドブックに、近くに賑やかな商店街があると載っていたので、早速、その商店街<1866通り>という市場へ足を運んでみました。
車が通れないほどの細い路地の両側に個人商店が並んでいました。
ある酒屋さんの店先で足を止めて、
「 ヤーサス! エヘテ クラッシー? 」
( 今晩は! ワイン ありますか? )と声をかけると、
店番をしていた少年が、頷いてワインボトルの棚を指で示してくれたのですが、みなフルボトルばかりなので・・・・
「 サイセラ small size. 」( 小さいのが欲しいんだが )と言うと、
ギリシャ語と英語のちゃんぽんだが分かったらしい。
店先にある籠から小瓶ワインを持ってきてくれたのです。
「 エフハリストー! ポソカニ? 」( 有難う! いくら? )
言われたお金を払って店を出ようとした時、家内がコルク栓だから開けられないわよ、と言い出したので、店番の少年に、栓を抜く仕草をし、
「パラカロー open 」( お願い、開けてよ )
と頼むと、笑いながらコルク栓を半分開けてくれました。
「 エフハリストー パラポリ! 」( どうも大変有難う! )
「 アデイオサス! 」( さようなら!)
片言のギリシャ語でも楽しい買い物ができて良かったです! -
写真はイラクリオンの夜の商店
ブラブラ商店街を散策していると、いい感じのYシャツを並べている紳士服の仕立て屋さんを見つけたので、ギリシャ語で、
「 ヤーサス! サイセラ ナ エド アフトー」
(今晩は! あれを 見たいんですが ) と呼びかけると、
人の良さそうな親父さんが奥から出てきて、色違いのものや、生地の違うもの、サイズの違うもの等、あれこれ Yシャツを棚から取り出して見せてくれて、ぺらぺらギリシャ語で説明してくれるのですが、さっぱり分からない。
「 デン カタラベノ 」( わかりません )
「 ポソカニ アフトー? 」( これ いくら? )
「 ト グラプステ エド ? 」( ここに書いて? ) とギリシャ語で言うと、
ー親父さんが奥から紙と鉛筆を持ってきて 48Eurw と書いてくれた。
その値段を見て、
「 ポソカニ ?」( いくら? )と言うと、
親父さんは、頭を捻りながら 43Eurwと書き直したのですが、・・・
また、同じ質問 「 ポソカニ ?」とたたみかけると、
わかった!分かった!という仕草で 40Eurw.と書きました。!
「 エンダクシー! アフト パラカロー 」
( OK これを貰います )
かくて商談成立です!
親父さんがYシャツを包みながら、聞いてきました。
ーー” アポ プー イステ ? ( どこからきたの? )
「アポテイン ヤポニヤ」(日本から)と返事をすると、
ーー”ポリ マクリア! ”( 随分遠いね! )
「エフハリストー! ヤーサス!」( 有難う! さようなら !)と言って店を出ると
ーー”ヤーサス!” ( さようなら! )と送ってくれました。
店を出た家内が、”楽しかったわね”~~。
_________
あるパン屋さんの店頭に客が群がっていましたので、きっと地元でも評判の店に違いないと思って、足を止めここで買おうと思いました。
若い女性店員がてんてこ舞い。客がケースの数多いパンの中から欲しいパンを指さして一つ一つ取り出し、包んで渡し、値段を合計してお金をやりとりするから時間がかかります。
待っていてもラチがあかないので、店員に向かって手を挙げてギリシャ語で叫んでしまいました。
「 シグノーミ、パラカロー!( 一寸すみません!)」
「 アフトー サイセラ!( これ頂戴よ!)」
すると、若い店員さんが飛んできて、「はい、はい、これとこれですね 」
「 ポソカニ? ( 幾ら? )」
お金を手渡して、
「 オリステ アデイオサス!( これです。さよなら! )」
こんなやりとりが強く思い出となった次第です。 -
写真はクノッソス宮殿跡
イラクリオン滞在翌日は、朝からモロシニ噴水広場前にある2番の市営バスに乗って古代遺跡クノッソス宮殿跡へ行くことに。(終点で下車) 切符を予め買ってからバスに乗ることを知らなかった為、
運転手や満員の乗客の皆さんに大変迷惑をかけてしまいました。
キオスクのある大きなバス停に着いた時、運転手さんが切符をあそこで買ってきなさい、と身振りで教えてくれたので、小生だけ
降りてキオスクのおばさんから切符二枚を買って、バスに戻ったのだが、その間、満員の乗客をバスに待たせてしまったのです。 -
遺跡の中にある壁画などは、保存状態が大変良いのに驚きました!
-
驚いたのは遺跡群だけではなかったのです。
なんと野生の尾長鳥が一匹遊んでいたのです!
羽を一杯に広げ悠々としていたので、カメラに収めようとしたら、飛び上がってしまった。大きな枝に止まったところをパチリと撮る。 -
クノッソス遺跡巡りを終えてから、再びバスで市内まで戻り、今度は、観光客の集まる海岸へ歩いていきました。
石造りの要塞が海にせり出している景観です。(写真) -
4月中旬のギリシャの気候は、太陽の下でもまだ温かくない。
-
要塞の先端に足を運ぶと、真っ青な海がどこまでも広がっている素晴らしい景観でしたね。
-
時折、観光客も要塞までやってきます。
-
イラクリオンの宿近くの<考古学博物館>も見学しました。
館内係員(写真の女性)が親切だったので、
「 シグノミ! ボロナ パロ ミア フォトグラフィア 」
( すみません、あなたの写真を撮ってもいい?)
と話しかけると、恥ずかしそうに笑った。 -
有名な展示品
-
これも魅力的だ
-
考古学博物館に展示されていたイルカの絵柄をあしらった敷物マットが近くの土産店で売っていたので一枚買ってしまう。
店の店員さんに、
「 ボロナ パロ ミア フォトグラフィア ?」
(あなたの写真を撮らせて?)
とギリシャ語で喋ったら、勿論OK。 家内とのツーショットをパチリ。 -
スペインの画家として有名な<エル・グレコ>
の彫像が街の中心にあった。
ここが出身地だそうだ。 -
翌日アテネへ戻る際、乗ったオリンピック航空はプロペラ機だ。
イラクリオンのホテルをチェックアウトする時、
覚えてきたギリシャ語でやったら、レセプションの
女性がニッコリ笑顔で応じてくれた。 -
アテネ空港から市内中心地まではシャトルバスに乗っていく。
印象的だったのはバスの車窓から眺めた景色だ。市内に近づくにつれて緑がなくなり街が薄汚れてきた。泊まったホテルはリカビトスの丘に建つSt Geoge Lycabettus Hotel.(四つ星)
バスの終点からタクシーで行く。夜になると部屋の窓から夕方の闇に浮かび上がるバルテノン神殿が望めた。(写真)
フロントの女性がとても親切で、「滞在中のお世話は私がなんでもしますから、相談して下さい」。
そこで、明日のエーゲ海1日クルージングを彼女に申し込んだ。 -
1日クルージングはサロニコス湾内の三つの島々をめぐるツアーで、ホテルから出発港まで送迎つき、昼食つきだから便利だ。
早朝迎えのタクシーがやってきて、港まで20分。
大型観光船が三隻も停泊している。1隻に3百人は乗れそうだ。
案内係りの外人に切符を渡すと、”オハヨウゴザイマス! ”と日本語で挨拶されたので驚いた。
よほど、日本人ツアー客が利用してるのだろう。
出航間近に船内放送が流れてきた。
”本日のスケジュー説明会を国別に行うので、予め言われた場所にお集まりください。”
これを英語・ドイツ語・スペイン語・フランス語・日本語・中国語でやる。勿論ギリシャ語もだ。
なるほど、観光がスムーズにいくよう細心の工夫がされているなーと感心した。 -
アテネ港に日が昇ってきた。
-
アジア系の女性を見かけたので話したら、台湾からツアーでやってきたという返事。
記念に写真を撮らせて貰う。 -
最初の島に到着。
出航時間を知らせるために、下船場所に時計の針が掲示してあった。これなら言葉は不要、便利な工夫だなと感心した。 -
島には教会もある。ギリシャの島の家では外壁を毎年白いペンキで塗り直す由。
従って、いつでも青い空と海に映える景観を維持できるのだ。 -
ここからの眺めは絶景だ。
-
真っ青な海を船が行く。
-
2番目の島<イドラ>に上陸。
-
観光船は本当に大きい。
-
島の高台の家で見かけた少年にギリシャ語で「写真を撮らせて」と頼むと恥ずかしがっていた。
-
漁師の船だろうか? 観光船かな?
-
エギナ島の海岸にて
-
観光客達
-
白い壁に青のアクセントーーギリシャ風情が漂ってくる。
-
魚市場で路上でタコを焼いて売っていた。
タコのことをギリシャ語でも<TAKO>と発音するらしい。 -
海岸に立ち並ぶレストラン
-
翌日は、夕方の飛行機でサントリーニ島へ移動した。
クレタ島に比較するとアテネからの距離は半分以下で、近い。
飛行時間は20分もかからなかった。 到着した空港から
タクシーで予約ホテルの所在地<フィラ>の街へ向かう。 ここは紀元前1500年ごろ、サントリーニ島で火山の大爆発が起こり、当時地中海に栄えたミノアス文明を崩壊させる引き金になったところ。
ホテルは火口の断崖にへばりつくように在った。
眼下の湾はその火口のあとに海水がなだれ込んだものだそうだ。 -
Hotel Aressana
-
ギリシャ語でチェックインをやってみたら、うまく通じた。
フロントの女性が笑顔で、”ヤーサス! ”
と応対してくれた。 -
夜の8時を過ぎていたが、夕陽が湾の向こうに沈むところで、海面がキラキラ輝き、澄んだ大気が夕焼けの暮色に包まれようとしていた。
-
イアタリア発の地中海クルージング中の観光船も湾内に停泊していた。
-
素晴らしい景観に感動! ギリシャ旅行の醍醐味を味わうことができた。
-
三脚なしで撮るので、手ブレが心配だった。
レンズを開放(1.8F)にしてシャッター速度をすこしでも速くして撮ったのがこの写真。情景の雰囲気がピタリと表現できて良かった。 -
海岸の崖上に立ち並ぶ店。
-
翌日、朝一番のバスで島の岬にあるイアの街へ行く。
バスから降りた観光客は我々夫婦だけ。
インフォメーションがあったので、
「 カリメラ サス! プーイネ エド? 」
(お早うございます! ここは どこですか?)
ホテルで貰った地図を出して今居る場所を聞いた。
すると、係りの女性が丁寧に地図の上に印をつけて
”この道を行けば展望台に出ますよ。この辺からこのあたりが観光場所です。」とギリシャ語と英語のちゃんぽんで教えてくれた。
「 エフハリストー! 」(有難う!)
”パラカロー! ”(どういたしまして!) -
教えて貰ったとおり海岸の崖道を歩いていくと、
眼下に真っ青な海が見えてきた。
展望台に辿り着くと、絶好のカメラ・アングル。
サントリー島でも人気スポットらしいが、時間が早いせいか周囲には誰もいなかった。 -
これぞギリシャという風景
-
こんな所にもレストランがある。
-
狭い石畳の崖道は車が通れない。
重い荷物はロバが運んでいる光景に出会う。
散策中に野良犬が二匹現れて、まとわりついてバス停までくっついてきた。
午後の飛行便でアテネに戻ることとする。 -
サントリーニ島からアテネに戻って最初に見学したのは、アテネ国立考古学博物館。
バスで行くことにしたが、市バスは行き先によって
バス停がちがうので、待角に立っていた警官に尋ねた。
「すみません、考古学博物館に行きたいんですが、バス停どこですか?」
とギリシャ語で聞くと、微動だにせず、不動の姿勢を保ったまま、口だけ動かして、”向こうのバス停だよ”と答えてくれた。
「エフハリストー」(有難う!)
バスが来た・・・かなり混んでいる。
運転手に、「博物館に行く?」とギリシャ語で確認したら頷いてくれた。合図をしてくれるのを期待して運転席近くに立っていたのに、何も言ってくれない為、降りそこなってしまった。
やれやれ・・・バス停を一つ歩いて戻ることになってしまったのである。 -
-
-
考古学博物館を堪能してから、アテネ市内の中心付近を歩いていたら、大統領府で衛兵の交代をやっている光景に出くわした。
-
なかなか格好いい。
-
市内を散策していると、いかにも古代都市アテネという景観が残っている。
-
つぎは有名なパルテノン神殿まで歩いて行くことにする。
結構時間がかかったが、アテネの街並みが一望できて面白かった。 -
地元の大学生らしい女性が登ってきたので、我々夫婦の記念写真を撮って貰おうとギリシャ語で頼んでみた。
「 シグノミ! ポリス ナ パリス ミア
フォトグラフィア ム パラカロウ 」
(すみません! わたしの写真を撮ってくれませんか? お願いします )
すると、彼女はニッコリして”エンダクシー”(OK)
シャッターを半押ししてピントを合わせてから
押してくれた。カメラに慣れているようだ。
「 エフハリスト ポリ! 」(どうも有難う!)
”パラカロー”(どういたしまして) -
地元の小学生たちも見学にきていたので写真を撮らせて貰う。
エフハリストー! ( 有難う! )
今回の旅の印象として強烈に残ったことを最後に付記しておく。
<アテネの市内は都会として近代化が遅れている部分もかなり見受けられ、とくに、道路の整備が不十分な為、埃っぽい印象を受けた。一方、ギリシャのエーゲ海の島々は素晴らしく輝いていた!>
おわり -
アテネのリカビトスの丘。
泊まったホテルはこの中腹にある。 -
エーゲ海クルージングで立ち寄った島。
-
サントリーニ島にて。
-
クレタ島のクノッソス宮殿跡にて。
追加: <ミラノ・ローマ滞在記>
1)初日: ミラノの三ツ星ホテルを探して1時間の苦労
関西空港を11時25分に飛び立ったアリタリア航空795便は、定刻どおり夕方17時過ぎにミラノ・マルペンサ空港に到着。
今日の宿は三ツ星ホテルのASPROMONTE。事前にホテルから送って貰った地図を頼りに行けば、簡単に行けると思っていたが、じつはこれが大失敗。地下鉄のLORETO駅の後ろ出口から地上に出てしまったのだ。出口の確認を怠ってしまったため、近くの店で場所を尋ねても分からない。何人かに同じ質問をしても、みんな首をかしげるばかり。だんだん不安になってきた。 1時間あまり探し回ったが見つからない。と、そこへアジア系の風貌をした夫婦が道端に車を駐車させて降りてきた。
そこで、ホテルの名前より、ホテルの近くの公園の場所を聞いた方が、車を運転する人にはいい筈だ、と咄嗟に思いついて、聞いてみた。
すると、亭主の方が車に戻って分厚い地図帳を持ちだしてきて、調べてくれた。「今居る所がここだから、その公園は通りを渡って真っ直ぐ行った右側にあるよ。」とブロークンな英語で教えてくれたのだ!
連れの奥さんの方が、「良かったわね!」という感じの笑顔をみせて、
”Chinese?”と聞いてきたので、”We are Japanese."と返事すると、
自分達はフィリッピン人よ。 ”Have a nice trip! "と手を振って離れて行った。 本当に助かった!!
2)二日目: 観光案内所での心温まる応対に感謝!
翌日は真っ先にドウーモ広場にある観光案内所に向かった。
それは、今回の旅の帰りにミラノへ立ち寄るので、その際、オペラ鑑賞をしたいと予定を組んだが、生憎オペラ座が修復工事中で、オペラ公演は別の劇場ーArchimbordiという所へ行かねばならなかった為だ。
観光案内所で場所と行き方を教えてもらう必要があったのだ。
"Buon giorno!Vorrei andare a Archimordi Teatro.Dov'e....?"
(お早う! アルチンボルデイ劇場に行きたいんですが、どこ?)
すると、係の男性がミラノの地図の上に、「ここだ!」と印をつけてくれた。
”Grazie! Come si fa....?" (有難う! そこへはどうやって行くの?)
こんどは、劇場のパンフレットを差し出して、公共交通で行く場合の最寄り駅と何番バスがいいか、の説明箇所にアンダーラインを引いて、イタリア語で説明を始めたが、突然!「 ああ、日本の方ですか?」と流暢な日本語で話しかけてきたので、こっちが驚きましたね。
そうです、と返事をすると、にこやかな笑顔をうかべながら、
日本語で「この広場からシャトルバスが毎日出ますよ。夕方6時45分から7時までの間に何本も・・・・」
こんな日本語のやりとり劇場への行き方が簡単に解決したのには、本当に良かった!嬉しかった!
3)三日目: アリタリア航空のストライキに慌てる
ミラノからローマへ飛行機で移動する日だ。国内便のアリタリア航空はリナーテ空港から出ているので、ミラノ中央駅前からバスに乗って行った。
リナーテ空港に着いてすぐにチェックイン・カウンターで10時発の航空券を出してチェックインをしようとしたら、30分早い便への変更をすすめられた。 10時発の便はストライキでclosedになったらしい。
1時間程のフライトでローマ空港に到着。予約済のホテルから送迎のシャトルバスが来る予定なので、その場所(インフォメーション・デスク)に行くと、客は誰もいない。おかしい雰囲気なので、係員に尋ねたら「今日はストライキでシャトルバスはない!Today strike. No shuttleーbus.」という返事に驚いてしまった。
ホテルに電話して確認しようと、近くの店でテレフォンカードを買って
公衆電話のダイヤルを回したが、かからない。そうか、テレフォンカードの端を切り取るんだ、と思いついて再度電話をしたら通じた!
運転手さんが電話口に出てきて
「 You wait there! After twenty minutes, I will go there. 」
かくして、やっと予約済ホテルへたどり着くことが出来た次第。
ホテルで一休みしたあと、ジャニコロの丘までタクシーで行き、そこから下町のトラステヴェレまで歩いて丘を下り、テヴェレ川を渡って静かな石造りのジュリア通りを散策、最後にサンタンジェロ橋を渡ってホテルに戻ったのである。(この散?コースはローマ育ちの女性が推奨していたところ)
4)4日目: ローマ市内観光は徒歩で。
ローマの観光ガイドブックを読んで、ローマ市内の名所めぐりは徒歩が一番いいと思い、次の日は有名なヴァチカン美術館を見学してから、サンタンジェロ城へ登り、つぎにナヴォーナ広場へ向かい、更に細い路地を通ってパンテオンに行きました。
ナヴォーナ広場へ行く途中、街の八百屋さんで果物を買い、道を教えてもらいました。
”Vorrei andare a Piazza Navona. Per a la ?"
( ナヴォーナ広場へ行きたいんですが、あっちですか?)
”No, No......ペラペラ” 店のオバサンが身振り手振りで、方向が違うわ。
少し戻って右へ曲がり、そこを真っ直ぐ行った所よ、と教えてくれた。
”Grazie ! Arrivederci ! ” ( 有難う! さよなら!)
とても親切なオバサンでしたね。
ナヴォーナ広場は観光客で一杯溢れていました。屋台でアイスクリームを買って一休みしてから、次に、細い路地を通って近くのパンテオンへ向かう。
そこは古いローマ時代の神殿で、ドーム状の屋根の真ん中が円環状に穴があいている不思議な空間でした。
そこからつぎに、ヴェネチア広場へ向かったのですが、道に迷ってしまい、観光客で溢れかえる商店街を通ってやっと辿り着くことができました。
徒歩観光ルートの後半の目玉は、トレヴィノの泉とスペイン階段です。
近道をしようと、斜めの路地に入っていく。人波にもまれないので、雰囲気を味わえるが、標識が無いので、時々、道を聞かざるを得ない。
” Scusi ! Per Trevino ?..." " Grazie ! " を繰り返す。
突如、細い路地の向こうに人々の群れが見えてきた。
ここが有名なトレヴィノの泉だ!噴水の周りに重なりあうように観光客がたむろしているので、肝心の泉が見えない程だった。
最後の目的地、スペイン階段の所までは、人波にもまれながら流れにまかせて歩く。
漸くスペイン階段に着いたら、階段にはビッシリ若者達が腰掛けており
右側の端っこだけ階段として残されている。最後の力を出し切って階段を登り切った。
ここまで歩いてきたら流石に、限界です。ホテルまでの戻りはタクシーを使うことにしました。
以上おわり。
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