2007/03/14 - 2007/03/14
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高槻市の観光ガイドを参考に「西国街道沿いの史蹟探訪」を散策してきました。
阿為神社→大念寺→大織冠神社&将軍山古墳→耳原公園→阿為神社御旅所→本照寺→普門寺→三輪神社
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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大念寺
藤原鎌足の長男・定慧により創建。本尊を阿弥陀如来像とする浄土宗の山寺である。同寺は鎌足の墓所としてつくられたものだが、定慧が大和多武峰に改葬したため、いまは僧房の五宇を残こすのみである。また境内には、頭の部位だけが枯れる黄金竹があり、これは鎌足の首だけを改葬したからだといわれている。
寺宝として木造毘沙門天立像(茨木市指定の文化財)、雨乞い地蔵と呼ばれる木像を所蔵。 -
本堂
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鐘楼
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大織冠神社
「大織冠神社」への石段下には左の写真に見られるような『大織冠神社』と彫られた「石碑」が建てられ、また、石段途中に文政7年(1824年)銘の「鳥居」があり、一見、神社の様式がとられているように見える。
しかしながら、石段を上りきった所には社殿があるわけではなく、およそ神社らしくない。
石段を上がりきったところ右手に『大織冠鎌足公古廟』と彫られた「石柱」が立っているのが見え、正面に格子戸がはめ込まれた横穴式古墳の開口部が見える。
この古墳が、通常の神社でいうところの本殿に相当しているものと思われる。
藤原鎌足は中大兄皇子らと共に奈良飛鳥の板蓋宮で、専横の限りを尽くしていた蘇我入鹿を暗殺し、古代最大の政治改革、大化改新を行った人物として知られている。大織冠とは藤原鎌足が天智天皇から賜った最高の位である。
古くから『藤原鎌足の墓は最初摂津の阿威にあったが、後に大和多武峰に移された』との説があったようで、江戸時代になって、この古墳が大和に移される前の墓であるとされるようになったという。そのため、鳥居、石柱を建てて鎌足を祀った神社として、多くの人から崇められてきたようである。
ただ、この墓が造られたと推定される年代と鎌足の没年とが一致せず、両者の間に約100年のずれがあること、また、この墓は鎌足らが作った薄葬令に合わないこと、等から、鎌足の墓であるとすることに以前から疑問がもたれていたようである。
その後、昭和9年(1934年)に発見された「阿武山古墳」が、昭和62年(1987年)に、藤原鎌足の墓としてほぼ実証されるに至った。
以上より、この古墳の被葬者は鎌足でないことはほぼ確実であるから、今では「大織冠」という名前がそぐわなくなっているのではなかろうか。
このことについて、茨木市教育委員会名の解説掲示板には何も触れられていない。 -
大織冠神社の石段
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