2002/12/28 - 2003/01/04
337位(同エリア392件中)
bloom3476さん
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【期間】2002年12月28日〜2003年1月4日
【略号】日本航空(JL) カンタス航空(QF)成田 (NRT)Sydney(SYD)Launceston(LST)Melbourne(MEL)
【行程】
12/28 (土) JL771 NRT 21:00--
12/29 (日) –08:30 SYD/QF1417 12:50-14:25 LST 陸路にてSt.Helens
12/30 (月) St.Helens—Coles Bay
1 /1 (水) Coles Bay-Scottsdale-Lauceston
1 /2 (木) QF974 LST09:45-10:30MEL
QF446 MEL16:00-17:20SYD
1 /4 (土) JL772 SYD10:30--18:05NRT
【費用】
1. (SYD-NRT-FRA//MXP-)NRT-SYD @AU$4500
2. SYD-LST /Y.RT QFブーメランパス @36800円
3.SYD-NRT(-ZRH//MXP-NRT-SYD) @AU$4750
4. Hertz Rent Car day/@AU$65
AU$=75円
【宿泊費】
Warawee House @$185.00
Freycinet Lodge @$315.00
Country Club Casino @$223.00
Manly Pacific Parkroyal@$220.00
旅先で出会った風景に言葉を失う時がある。
そんな時は、じっとして深く息を吸ってみる。
その大地を包む空気を体の中に取り込みながら、その景色と一体になれるからだ。
日々の仕事に追われて、無性に旅がしたくなって来た時は、私には、そんな深呼吸を促すような黄色信号が点灯するようになる。
オーストラリアの最南端に、太古の昔からの原自然が保たれて、島全体(それは北海道の3/4にもあたる巨大な面積なのだが)がユネスコの世界自然遺産に指定されている島があると聞いた。
地球は自転しているので、あのエベレストでさえも、同緯度の世界の大都市で排出された大気汚染の空を24時間で一周しながら共有しているらしい。 ところが、この島と緯度を共有する地点は南米パタゴニア半島南端を少しかすめる程しかないという。
その孤高な辺境さから、ここは地球上で、最もピュアーな水と空気の循環システムが脈打っている。 その自然の恵みをたっぷり受けた、農産物や海産物も今、地球上で、最も魅力的な「食材の宝庫」だ。
今年の正月はミルキーな牡蠣を肴にオーガニックなワインでお屠蘇を楽しもうかと考えた。それで、私達はその島、タスマニアに旅立つことにした。
飛立つまえにしなければイケナカッタ事
私はどんな土地に行っても、その国の公共交通、(車、船、ある時はヘリコプターでさえ)を使って、目的地に辿り着いてきた。 しかし、今度は難関だった。何せ北海道もの大きさがあるのに人口が47万人しかいない。(あの北海道でも569万人もいるのに。 いかに過疎地であるか想像できるでしょ!)つまり、インフラに見合う人の数が足りない。だから国立公園の行き止まりにある、その憧れのホテルに問合せても、只「レンタカーでお越しください、、」との返事であった。私はこう見えても、免許を取ってから32年間の長きに、渡って 無事故、無違反、、そして「無運転」であった。
うーんと唸ってから、私は引き出しの一番奥に放り込んでおいた運転免許証を取り出した。一度も使われなかった、その免許を眺めながら、純度100%の「ペーパードライバー」を復活させてくれそうな心優しい自動車教習所の電話番号を調べ始めた。
タスマニア島へ
成田--シドニー--ローセストン 29 Dec
成田を前夜発ったJL771便は夏真っ盛りのシドニー空港に朝8:30amに到着。クリスマス休暇で賑わうオージー・ファミリーでごったかえす中を国内線のQF1417便に乗り換えて、また南下した。2:25pmタスマニアの北の玄関のLauncestonに到着。こじんまりとした到着ロビーに入ると心の声が聞こえてくる「今からでも遅くはないハイヤーを3日間借り切って、行けばいいのだ、お金より命だ、、」Hertzのカウンターが「Welcome Mr.Yashima」の電光掲示を点滅させていた。カウンター嬢の笑顔が「もう逃げられないわヨ、、」と云っているようにも見えた。
はじめてのドライブ
ローセストン--セント・ヘレンズ
聞き取りにくいタスマニア・イングリッシュにもめげず、重要な保険範囲の事とオートロック・キーなどは確認してから、キーを受け取った。遙か昔に取っておいたHertz GoldPassportクラブの特典で車は既に空港出口に駐車されていた。ドアは無事開いた。 さてキーを廻してエンジンをかけるが、廻らない。焦る気持ちを抑えて試行錯誤5分、私は前後を確かめてから、車を「駐車」させ、先程のカウンター嬢に助けを請いに行った。
彼女は何人もの客を一人で対応していたのに、客を待たせて、この迷える子羊を助けに来て呉れた(もちろん、あきれ果てて) 「エンジンはネ、ギアをParkのスタート地点に入れてないと、かからないように出来ているの」 慈愛の心で教えてくれた彼女に私は思わず「あのう、良ければ、今日ご一緒しませんか、、、」、、、と言いたいのぐっと堪えつつ、凛して、、私は「はじめてのお使い」ならぬ、ドライブをスタートした。
マナーハウスに泊まる
島を南北に縦貫するA1高速道路を2時間へてから左折して東海岸に出た。初夏の海辺はエメラルド・グリーンに染まり、コレットの小説に出てくるような静かな避暑地が続いていた。 時折、漁村の町に出会うも、車はあっという間に通り過ぎてしまう。 南半球の夏の日没は遅い。 空港を発って、3時間ほどして、セントヘレンズの町に辿り着いた。 今夜の宿は、町の外れ、海の眺めが素晴らしい高台にある、19世紀の領主の館(MANOR HOUSES)をリノベートした宿だった。車を停めて、一番初めに歓迎を受けたのは羊たちからだった。
舟盛りのご馳走
大きなジャグジーに浸かって、長旅の疲れを落として、さあ、お目当てのシーフードだ。この町を選んだのは東海岸随一の伊勢海老の水揚げを誇る漁港があるからだった。漁協の前の大きなレストランで、私達は地元の人々に混じってテーブルに着いた。
分厚いメニューを見る。お澄まししたアングロサクソンの国々では見た事も無いほど、美味しそうな魚貝類の献立が並んでいた。 悩みに悩んで、私達は冷菜に牡蠣とサーモンの燻製、スープは伊勢海老のすり身、主菜は伊勢海老、鮑、ムール貝、蛤、雲丹、手長海老などの舟盛りを選んだ。海老のお刺身をつまむと、ぷりぷりと口の中で海が踊っているようだ。それから烏賊墨のスパゲッテイ、デザートにブルーベリーのパイのアイスクリーム寄せを頼んだ。フルーティな白ワインがまた美味しくて、持参したお醤油と割り箸のお陰で胃袋もドメスティク化して、鯨飲馬食をしてしまった。ちなみに夕食代はワインを入れないで2人でAU$110位だった。
A-1号線タスマン・ハイウェイを南下
セント・ヘレンズ—コールズ・ベイ 30 Dec
翌朝も抜けるような青空。シドニーの方は曇っていたのに、こちらは快晴が続いている。たっぷりとしたオーガニックパンと様々な果物の盛合わせの朝食を楽しんでから、出発した。ドライブ2日目、気を許さずに安全運転を心掛ける。昨日も3時間も運転したが対向車は10台にも満たない。東京で予約したHERTの受付嬢(彼女は2度もタスマニアを旅行していた)が云っていた通り、ここは初心者でもなんとかなる所だ。でも、左側の海の景色に余所見せずに、時速100kmを守ってタスマン・ハイウェイを南下した。1時間半位でColes Bay到着。そこから20分位でフレシィネ国立公園に着き、入境料を払う。そして5分程岬に行った所にFreycinet Lodgeのゲートがあった。
Freycinet National Park, Coles Bay, TAS 721
TEL:03-6257-0101
FAX:03-6257-0278
http://www.freycinetlodge.com.au/
Freycinet Lodge
この岬の突端に自然の色に隠れて立つホテルは、その無垢な自然環境、採れたての海の幸を使って供されるヌーベル・キュジーヌの美味しさで、エコツーリズムの五つ星と世界的に評価が高い。
オーストラリア建築大賞も受賞した建物は、外装は木々の色、使用している木材にはエージングした新古材が使われて周囲の美観を壊さないでいた。)
実際、私がこの宿を予約したのは10ヶ月前であったが、大晦日の最繁期という事情もあって、総室60室の内、もう数室しか残っていない人気ぶりであった。 メイン棟には受付と食堂と会議室だけで、客室は総てコテージで森の中に分散している。私のコテージは20畳位の居間とオイスターベイを俯瞰するベランダ、隣が寝室、そして海に面したジャグジーを備えていた。 電話は取り外され、連絡は受付から人が伝えに来るという配慮で、徹底して、人を文明の喧騒さから隔絶していた。
ダイニングは2種類あり、桟橋の上にあるカジュアルな方で、遅い昼食を取った。シーフードピザもパリパリとして旨く、ビールを飲みながら、真夏の光に輝く海を見た。師走の1日、こんな贅沢を味わえるのを感謝しなければいけない、と思った。
森の中のコテージで
海の見えるジャグジーに入ってから、ソファーでうとうとしてしまった。聞こえるのは、遠い波の音と風の音だけ。 この静寂にまだ慣れないので、部屋にある音響設備で持ってきたグールドの「フランス組曲」をかけた。南半球の夏の夕暮れがゆっくりと過ぎていった。
ペンギンのコロニーへ
夜、車で30分のBichenoという漁村に行った。フェアリー・ペンギンという可愛いペンギン達が巣に戻ってくる時間だった。コロニーにはたくさんの巣があって、ガイドと共に少人数のグループに分かれて、それらの巣を巡る。メルボルンやNZ南島にもペンギンの名所はあるが、このように彼等の生態を足元で観察しながら探索できるのは珍しい。ビデオを夜間モードにして撮影してみた、まさに妖精(Fairy)のような姿態を写せたのにはビックリした。
スロー、スロー
31 Dec
翌日は生憎の小雨だったが、シーカヤックに出かけた。こんな天候でも参加者は10数名いて、邦人もいた。パドルを漕ぐのは3ヶ月前の知床の海以来だ。2人艇で私のバディはキャロルさん。ケベックから移住してきていてフランス語の方が達者だ。だから英語はビギナー・モードで判り易かった。遠浅の入り江をゆっくりと進む。前でピッチを上げようとする僕に「スロー、スロー、エンジョイVIEW」
波に身を任せて眼前の景色を愉しみなさいと云う。 タスマニアでの楽しみ方を教えられたような気がした。 目の前を大きなペリカンがゆっくりと羽ばたいていった。雨に濡れながらも、気持ちには陽がさしていった。
旅先の出合い
カヤックの船着場の近くで、fish chipsの店を見つけた。今朝とってきた牡蠣を1ダースと、ムール貝とタコと白身の魚を薄く唐揚げにしてもらった。コテージに戻ると昨夜のペンギンツアーでご一緒した横浜の宅見さんファミリーが遊びに来られていた。 クリスマス明けから、来島されていて、レンタカーでキャンピングしながら島を一周していた。小学生のお嬢さんが訪問地の事をキラキラした目で語っているのを見て、子供に教えられる最上の教育を、このご両親はされているなあ、、と感心した。 次の目的地へと旅立つご一家を見送りながら、「さようなら、、」の一言にも思いを込めて相手に呼びかけていた。 旅とは、普段の中にある価値をも目覚めさせてくれるものだと思った。
海に落ちる光
大晦日のパーティがメイン・ダイニングで始まった。7時に着席したが、まだ1/3位しか埋まっていない。 シャンパングラスを持って、テラスに出た。
雨の上がった水平線に2002年の夕陽が海に沈んでいくところだった。 燃える色の絵の具が24色あるとしたら、それらを全て使って目の前の空と海とを描けるだろう。思わず息を呑むような美しさだった。詩人のバイロンはシチリアのタオルミナに来てここには5段階の青が空から海に落ちている、、と形容したそうだが、タスマニアの夕空には、それを凌駕する絶賛をしたかも知れない。そういえばパタゴニアでもこんな空を見た事を思い出した。地球の創世記を見るような、その光彩のシンフォニーに見蕩れて、私の2002年は過ぎようとしていた。
2003元旦
コールズベイ〜ブライドストゥ〜ロウンセストン
Coles Bay – Scottsdale--Launceston 1 Jan 2003
ダイニングに朝食を取りに行った。パーティはつい数時間前まで続いていたらしいが、それを物語るのは床に落ちているクラッカーの紙吹雪や色テープの名残だけで、欠伸をかみ殺したウエイターがお屠蘇の替わりに、シャンパンを客に振舞っていた。薄い霧の立ち込める海を見ながら、朝食をとった。昨夜はオメカシした子供達がパートナーを組んでステップを踏んでいたっけ。 息子は昨夜はどんな大晦日を送ったのだろう、と思った。
夏だけの眼福 Bridestone Lavender Farm
この季節しか見れない風景を見に、一寸遠回りして、Bridestoweという農園に向った。Gladstone経由の島の北路はseanicだがカーブの多い山間地帯で4時間もかかって、その農場に辿り着いた。突然現れたラベンダー畑の広大さに驚き、またその強烈な香りに、この大地が持つ原野の血を感じた。
ワラビーとカジノ
ロウンセストンの郊外にあるCountry Club Casinoはとてもユニークなホテルだ。 云ってみれば広大なゴルフ場があり、そこにワラビーが放し飼いにされている。そして、本館の地下には24時間のカジノがあり、夜になればシアターでは一流歌手達のショーも見られる、という何とも、てんこ盛りのホテルなのだ。 それでいて、客室は品の良い内装で、窓からは緑濃い庭園と、時々ワラビーが、、
年寄りから子供まで、すべてが愉しめる、この趣向はタスマニア開拓以来の家族単位での移動形態がバックボーンにあるらしい。 泊まった水曜日には
シーフード・ビュッフェdayでわずかAU$20で海の幸を好きなだけ堪能できたのも特筆ものであった。
メルボルンで飲茶
ロウンセストン〜メルボルン〜シドニー〜マンリー 2 Jan
翌朝、ロンセストンを発って、メルボルンに向った。
シドニーまでの帰路を直行便にしないで、メルボルンでトランジットする設定で事前割引を発券していた。有名なフード・マーッケットに行った。雁屋哲が絶賛していたタスマニア特産のレザー・ウッドの蜂蜜を探したが、産出量が少なく、この巨大な市場でも置いていなかった。このタスマニア一番のお土産を買う人は、島を出る前に買っておこう。アジアのフードコートに行って、美味しいチャーシュー麺とワンタン麺を食べた。
シドニーのリゾート Manlyへ
無料のチンチン電車で市内を一巡してから、シドニーに向った。ハッピーアワーと呼ばれる夕暮れ時にフェリーに乗ってマンリーに行った。海の見える部屋で、シドニーでも過ごしたい、、そんな望みを叶える為、このシドニーの葉山に遠出したのだ。(ここも10ヶ月以上前でないと取れない)目の前にオペラハウスが遠ざかる。高層ビルのスカイラインが見えなくなって、避暑地の港に着いた。タクシーで5分のManly Pacific Parkroyalに投宿。部屋に入って、バルコニーに出ると目の前には大きな太平洋が潮風を孕んで、待っていた。
シドニーのエノテカにて
3 Jan
翌日、目の前のビーチに出るとサーファーのメッカらしく朝5時位からボードを持った青年達が一人、二人とやってきていた。 私は、風に吹かれて朝食をゆっくりと取ってから、シティに行った。去年見つけた、文教地区のワイン店に行って、今年評価が高かったワインを探した。それらは産出量の少ない農家の瓶ばかりなので、旅発つ前にメールで店に希望を云って集めておいて貰った。Penfoldsばかりが有名だが、その値段の三分の一でも驚くほど美味しいワインに出会える。宅配便でホテルに届けてもらい、Crowsnestの家具街のSaleで小物を物色してからフェリーに乗って島に戻った。
シドニーの中華料理
シドニーにはチャイナタウンはある、まあまあの店もある、、しかし、現地の中国人達が、その舌で、その懐で、足を運ぶのは、この観光地ではない。
それは地下鉄線の行き止まりのような地にあるチャッウッドに存在する。マンリーからは幸いに直通バスがあって、私達はシドニーの高級住宅地を抜けて団地然としたその町に着いた。 目指すレストランの扉を開けると、そこは地元の中国人(シドニーはバンクーバーに次いで香港人の移住先であった)の家族一同の団欒が、美味しいものへの執着が集めた食材が、そして彼等を安心させる価格設定があった。 ここはまさしく「香港」であった。
シドニーに来たら鮑のシャブシャブである。 地元民は賢いので、そんなもの食べている人などいないのだが、ここは、お正月であるから、、と自分の財布に言いくるめて注文した。 この手の高級料理になると、給仕が指名されて、一番偉そうな人が出てきて、張り切る、その場が急にツールジャルダン化した。しかし、その大振りの鮑を口にいれた瞬間、昨年の教訓を思い出した。「鮑には味がない、だから、その食感を王座に上げるのは、吟味されたソースで煮込んで、その値に相応しい皿となる」
壮年、学なりがたし、、であった。
人間、やはり分にあった物を食べているのが、気楽で美味しいものだ。 今回、一番、美味しかったのは?、と、思い巡らすと、あのColes bayで並んで買ったfish chipsの皿が浮かんだ。
浮き浮きした給仕が持ってきた明細をみながら、
分相応の教訓を思い出した年の初めの宴であった。
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