2006/08/19 - 2006/09/19
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こまちゃんさん
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8月27日。
午後の部~漢長城・玉門関~
敦煌滞在活動の最終日、午後の部。
食事も採らずにひた走る戈壁灘道路。
持参したカスタードケーキを頬張りながら、藍天の下、遠くに見える烽火台!!漢の長城古跡だ。
そしてそこは、西の最果ての関所「玉門関」。
(参考→http://4travel.jp/traveler/chinaart/album/10035813/:2005年、夏の玉門関紀行(漢の長城))
敦煌へ戻ると、司馬義おやじたちとの最後の宴。
感無量のこまたちを、夜の帳と闇が優しく包み込んで行く・・・
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- 中国国際航空
PR
-
少し休憩がてら、博物館の資料などを見学した我々は、狸のおいちゃんが駆るタクシーで、漢の長城へと向かい戈壁をひた走る。
O友さんが、「一寸用足し良いですか?」
「あ、良いですよ。天然トイレだらけですから」
とジョークを言うと、、、
-
「大です(^^。でも大丈夫、普段自転車で慣れてますから♡」
そうだよな、自転車であちこち走ってるくらいだから、このくらいは日常になって居るんだなぁ。。。と妙に感心(~~;。
その様子もパチリ!
(上の写真をズームした。若干服が写っている) -
空はドンドン藍色になって行く。
そこに浮かぶ雲が素敵だった。 -
敦煌の空。
こまが一番好きな天然藝術だ。 -
景色に見とれていると、、、
お、遠くに烽火台が見えてきた。
漢の長城跡近くにあるものだ。 -
漢の長城で爺ぃも記念撮影。
-
漢の長城正面にある石碑。
良く勘違いされているが、この長城と万里の長城は別物。時代背景が全く違う。
後の明の長城は、中国の東海から甘肅省嘉峪関の萬里長城第一墩で終わっているもの。
それに対して漢長城は、萬里長城ではない上に、沙州(元安西国の東部。アフガン地域から沙州まで)の防攻壁だった。 -
降り立った所から延びる長城を眺めると、、、
こちらは西へ延びる漢の長城。 -
北側から眺めた所。
-
こちらは東へ延びる漢の長城。
朽ちた長城が東へ延びている様子。 -
東へ延びる様子を見ると、こう言った朽ち果てた姿も見られる。
強者どもが夢の後を実感させられる光景。
みんなでここに登って、漢長城登城記念撮影もした。 -
タクシーのたぬきなおいちゃんを記念に。
敦煌市内にいるので、敦煌へお越しの方、良ければ利用してあげてほしい。
こま達は、商業一条街の南牌坊下で集まっている司机(運転手)の中から見付けた。 -
再度出発。程なく玉門関への牌坊が見えてくる。
牌坊到着前に300mm望遠で捉まえた玉門関の勇姿。
(望遠使用時、f6.3の暗さなので、空の青さが出ない) -
玉門関への参観ゲート牌坊。
-
牌坊を潜り、正面に見える玉門関を、真っ先に望遠で捉えた。
(やはり空の色が出ない) -
玉門関は、このゲートから歩いて直ぐだ。
途中、地元の人が放牧する驢馬に遭遇。
道を横切っていた。 -
全部で10匹弱通過。
放牧って言ったが、この辺りに人なんて住めるんだろうか?
この驢馬のご主人って、この辺りに住んで居るんだろうか? -
・・・と左側に目をやると小屋があった。
昔の家屋を模造したような佇まいの小屋だが、飼い主が住んでいるのだろうか?・・・
「草原火○観測点」と言う看板が見えるので、観測員が居たのか、今でも居るのか。。。 -
玉門関の烽火台に到着。
正面から。 -
左方向から裏手へ回り、雲をあしらって西面を撮影。
(東西南北は、真にその方向ではなく若干ズレがある)
今は跡形もないが、当時は漢長城が延びていた方向。 -
回り込んだ西側には、池のある草原地帯が広がっていた。
なるほど、それで驢馬を飼っていても大丈夫なのか。
町から80km、驢馬と一緒にここまで来る訳はない。 -
青空の綺麗な、南の空をバックに撮影した3枚綴りのパノラマ画像。
道路も見えている我々が今来た方向だ。 -
玉門関の裏側。
いつも明々と太陽を浴びる南側ベランダのような所。
その壁は、何の飾り気もない、将に「壁面」だ。
ここでは「北」と表示してはいるが、玉門関烽火台自体は、方角に対して四面を向けていない。
裏側は、正確には東北東になる。 -
ふと気が付くと、足下には沢山の地蜂の穴があった。
虫たちの生存力は凄い。 -
何の飾りっ気もないこの平面が、何かを語りかけているような裏面の壁。
当地に居ると、何故かそう言う感じがしてならない。
音源など何もない所ながら、何かしらいつも音が聞こえてくる気がするのだ。
え?何!?耳が呆けて難聴になっている・・だって?(`_´# -
昼の日差しに照らされる東壁。
1時頃だが、この辺りでは殆ど新疆時間と同じ日照具合なので、11時頃の日の照り降ろし。 -
昼前なら、この角度が一番明るく、背景も青くシャープに撮れる。
右側が真裏で、左側が中国側。 -
玉門関前にて、牌坊を中心に270度パノラマ撮影。
写真7枚綴りで構成した。
画像の右端は、玉門関の西面の柵が見える。
同じく左端は、玉門関の東面から延びる盛り土。 -
じっくり見終えた我々は、そろそろ帰る事にした。
帰りの道すがら、振り向きザマに撮影。 -
道中の小径には(単なる人の歩いた獣道)、駱駝草が沢山生えていた。
駱駝が居れば役者が揃うのに・・と考えていた矢先に・・・ -
「何か用か?」と言わんばかりに、駱駝草を頬張る駱駝に遭遇!!
どこに居ったん?・・・(@@;
(到着時は居なかったよな…) -
用がなかったらほっといてくれないか?
と言った感じで、食事の邪魔をされた駱駝はご機嫌斜め。
口からは血は出てないようだ。喰い方が上手いのかも。
右側にハエが飛んでいるのが妙にタイミング良かった。 -
牌坊辺りから標準で撮影。
望遠にすると青空が灰色になってしまうので普通サイズで撮影。 -
同じ位置から、玉門関を中心に5枚綴りでパノラマ撮影。
-
牌坊の影で腰掛けていたお爺ぃさんに、何か聞いている爺ぃ。
やはり、さっきの小屋には人が居た。
一応、玉門関の見張り番と言う事で、彼が住んでいるらしい。
驢馬も駱駝も、そして今日は見なかったが馬も飼っているそうだ。
生活資源は町から運んで貰うらしい。
しかし、苦もなく過ごしているような表情で話すこの人に脱帽。 -
そこから見上げる藍色の大空。
不思議な雲が空一面に散らばっていた。
満天の藝術。。。
そこに散らばる雲は、まるで子山羊が草むらで大はしゃぎしているようだ。 -
玉門関を見終えると、後は町へ帰るだけだ。
朝も昼も、持参したカスタードケーキとナン(新疆のパン)だけだったので、戻ったら直ぐに何か食べたい気分だ。
心の中では、あの牛肉面に決めているこまであった・・・ -
遠くの景色が揺らいで見える。
腹が減ったせいではなく、日差しと空気の関係でたち上った蜃気楼だ。
この蜃気楼は、陽関への道路に合流するまで見えていた。 -
陽関へ向かう道路に合流。
そこにある玉門関と雅丹地貌の案内板。
これを作った時、材料や廃材を持ち帰らずに、その辺りに置きっぱなしになっているのが判る。
これが中国の基本概念。 -
鳴沙山が見えてきた!
町まではもうすぐだが、広い大陸ではもう少し時間が必要。 -
とは言うものの、こうやって見てみると、この先に町って有るのかな・・・と考えて仕舞うほど、有るのは真っ直ぐな「道」だけだ。
-
やはり車って凄い。幾らボロでも((^o☆)\バキッ!狸おいちゃんのパンチ♡)、110kmの速度で10分程走ると、町の入り口に到着した。
-
ロータリーに来ると、沢山の老人ライダーがたむろしていた。
「四川老人摩托車倶楽部」
救命胴衣みたいな黄色いベストが、ちょっと格好悪かったけど、家に燻っているお年寄りに比べりゃ、これまた結構だ。
考えが進んでいる人だけがドンドン進んで行くのも中国だった。。。
四川から走ってきたのだろう・・・元気な爺さん達だ。。。あ、ウチにも居たっけ。(^^;
またも、旨すぎて食べてしまってから気付いた。
牛肉面の写真を撮っていなかった。。。 -
O友さんを飛天賓館で降ろし、夜の11時頃には司馬義おやじの所でのんびりしていると告げて別れた。
葯業ホテルに着いてから、運転手の連絡先と言う事で名刺をもらって彼ともお別れ。腹ごしらえが出来たので、我々は一旦ホテルで休む事にした。
2時間ほど休んだ後、爺ぃと2人で英英さんの従兄弟が経営する本屋さんに出掛けた。
ご主人(おじさん)から電話が入り、会う事になっていたから。 -
書店へ向かう途中、无公害農産品市場を通り抜けした。
これは「ハリネズミ」。
何故か鶏や兎のカゴと並べて置いてあった…。(ーー;
実物を初めて見たけど、何だかガタガタビクビク震えていた。
爺ぃの話では、莎車(ヤルカンド)には沢山居るらしい。
毛のような部分は軟らかく「針」ではないので、決して漫画のようにモノが刺さったりはしない。(^^; -
これも同じく、无公害市場に有る肉屋さん。
羊肉が沢山ぶら下がっている。
塩分を含んだ天然牧草で育つ敦煌の羊は、新疆の本場羊肉料理に決して引けを取らない。
-
書店のおじさんに会い、彼のお誘いで、回民族風情のある所で食事を・・と言う事になった。
こまがクニクニを迎えに行き、書店で合流後、みんなで敦煌の北側へ向かう。 -
太陽大酒店の近所、敦煌電視台の向かい側に公園があり、その中に小型のパオが並んでいて、レストランになっていた。
その様子は、残念ながら暗くて写らなかった。
公園から見た夕焼け空。
茜色の雲の塊が、図鑑で見た「木星」の表面みたいで神秘的だ。 -
青いながらも、夕焼けを感じる敦煌夕方の空。
公園の奥には、張掖生まれで沙州の英雄『張議潮』の像があった。
@== ミニミニ沙州歴史館 ==@
重く課せられた年貢など、農民の苦汁を見て育った張議潮は、それではいけないと悟り、17歳の頃、その事を戒め、当時の社会の現状に対する自分の不満を託した詩『無名歌』を書く。
その農民を慈しんだ内容は、人々の心を打ち支持を受け、民衆を塗炭の苦しみから解放した。
そこで彼は、国のために尽力する志を立てたのである。
その為に、武道を習って心体を磨き、交易では使者となり、戦争では策士となり、吐蕃の繁栄に多大な影響を及ぼす要の人物となった。 -
しかし、争いによる平和など訪れない。
動乱の末、戦況芳しくない状況下、仕方なく唐に投降して機会を窺うも、志し全う出来ず長安にて死去。
莫高窟の156窟には「張議潮出行圖」と言う有名な巨大壁画が残されている。
@== ミニミニ沙州歴史館終わり ==@
←これがその、沙州の英雄「張議潮」の騎馬像。 -
さて、蘊蓄はこのくらいにして、、、
こちらは、最初に出された手抓羊肉。
本場の肉は、ホントに豪快なカットで出てくる。
文字通り、手で抓んで食べないとどうしようもない感じだ。 -
昨年9月末、帰り間際に意気投合した彼ら。
何かと話が弾む2人。
昨年、帰り間際になってやっと知り合ったのだが、折角130日も居たのに、もう少し早く仲良くなっていたら良かったのにね。。。 -
パオ内部の様子。
台の上に胡座・・ではなく、きちんと椅子とテーブルが置かれてある。 -
食事が済んでパオを出てみると、周りはすっかり真っ暗。
公園横にある敦煌電視台の塔。
上海の東方明珠っぽいのが可笑しい。 -
タクシーで商業一条街(夜市の通り)まで行き、そこで書店のおじさんとはお別れ。
彼は書店へ、我々は、、、、、、 -
小吃広場への西側のゲートを入って、司馬義おやじの店へ向かった。
-
O友さんには、夜の11時にここに居るからねと別れたので、着いて直ぐに辺りを見渡すと、石井さんと2人で先に盛り上がっていた。
(画像は爺ぃが席に着いた所) -
キンキンに冷えたビールに手を伸ばしているのは・・・
そう、腹痛も何のその、「やっぱり好きなモン止められんぜぃ!」と言いながら飲むクニクニの手だ。
こまは大人しく、今日は杏皮水にした。
(入国してからも、未だ疲労が抜けない・・・) -
司馬義おやじの1元シシカバブ。
小振りでジューシーなので食べやすい。
5角のもある。 -
こまからは買わなかったが、やはりカメラには興味があるらしい。
奥さんに財政を掴まれている司馬義家では、おやじは自分の焼くカバブのように、上手く事を運べない様子だった。(~~;
だから良いんだよ!気にしないでくれ!
(多分全然気にしてないと思うけど…(;_;) -
気が付かれただろうか?
司馬義おやじの帽子が「花帽」ではないが、中々どうしてよく似合う。
若かった頃のナベサダ(渡辺貞夫)か、ギタリストの渡辺香津美って感じ(こま的感覚)。 -
ところで、この帽子の持ち主、クニクニは・・・
司馬義おやじの帽子を拝借。
これ又中々お似合いで! -
敦煌最後の夜。
カラオケの元祖の国からやって来た日本人達は、唱って盛り上がるのだった。。。
石井さんとクニクニで唱う「北国の春」。
歌詞が判らない所は「でたらめ唱ってもみんなは聴不懂〜♪」と唱う。
石井さんが唱う、そのぴったり填ったフレーズにバカウケ!(^O^/~ -
またもやこまも調子に乗って、アカペラであずさ2号を。
♪あした私は旅に出ます・・旅立ちます〜♪
ですからねぇ。
司馬義おやじや流しのギター君夫婦、何で立ったまま微笑んでんの?
「覗き込まんといてぇ〜!」
地元の人や、他のお客が近寄ってきては、何故か「後から覗き込む」のでびっくりしたり・・・(~~;
気になって歌詞が飛んでしまう事しばしば・・・(^^;
日本の曲なんて、北国の春や空港以外、流しのギター君のレパートリーには無い。肺活量5600のこまが、そのまま気合いで生声パワー!(^^;
手に持っているのは、流しのギター君のヘッドセット。(何か今回のこま、登場しすぎの感有り…) -
夜もかなり更けて2時半・・・
流石に眠い。
名残惜しい気持ちをグッと堪え、やはり最後の日とは言えども締め括らなければならなかった。
司馬義おやじ達と熱い抱擁を♡・・・と思ったが、居ないので辺りを見渡すと・・・ -
おい!オッサン!!?
メシ喰っとる場合かぁ〜!!(`_´#
捜す先で司馬義おやじは、カバブの肉を串からせっせと抜いていた。
急に腹が減ったのか、おもむろに食事を始めていたのだった。(~_~;(素早っ!)
まあ、殆ど立ちっぱなしで遅くまでの仕事や、そりゃ腹も減るわいな・・・ -
こうして楽しかった敦煌滞在最後の夜は更けていった・・・・
この感じの締め括り、昨年の最終日には出来なかったのが残念で仕方がなかった。
引越荷物の荷出し時に交通ハプニングに出会し、夜間の気温差から爺ぃの大発熱などで、「夜に行く」とは約束してたけど、叶わなかった最終夜の気さくな宴会。今年リベンジ出来て良かった。。。(*^ー^*
司馬義おやじの美人娘達も、9月になれば烏魯木齊へ帰ってしまうらしい。
暫くはおやじ達だけで、色気は無くても味で勝負!是非頑張ってくれ。
じゃあ、おやじ、そして老余、金城牛肉面・・・みんなさようなら。。。再見敦煌(;_;
きっとまた来る日まで、会える時まで・・・
一定有機会再能来,到得再次能見見面時候・・・
再見!!!
さあ、明日は烏魯木齊へ向けて出発だ!
火車は夜の便だが、昼のウチに出掛けて寝台車座席の確保だ!!
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