2005/08/29 - 2005/08/29
347位(同エリア489件中)
こまちゃんさん
- こまちゃんさんTOP
- 旅行記1963冊
- クチコミ258件
- Q&A回答339件
- 1,995,211アクセス
- フォロワー64人
今日は、昨日突然やって来た友人の維吾爾人姉妹を、莫高窟へとご案内しましたが、アポ無し直行だったので、融通を利かせて戴ける人たちが居なくて入りそびれちゃいました。
「門票買うから」と言うと妙に断るので、では次回にと言う事で、降りて鳴沙山へ行く事に。。。
(原因は価格の“100元/人”でしょうね。)
みなさんは、莫高窟のこんな石碑標示はご存じでしたか?
PR
-
こちらが、突然訪れて来た維吾爾姉妹2人です。
向かって左がお姉さんで長女の吐絲娜と3女の海里です。
一泊だけの訪問と言う事で、これ又到着早々観光案内に出発します。
まずは、敦煌の町をブラブラ・・・
ここは、町の中央ロータリーの反弾琵琶飛天像前です。 -
敦煌博物館前。
3羽の兎「三兎図」ならぬ、3頭の駱駝で「三駝図」って言うのかな??
妹の海里、写真では何時も開口笑い・・・
自分で見ても「いやーー何時も口開けてバカ笑いしてるぅ〜」と気にしていました。 -
市内はそんなに見る所もないので早々に切り上げ、早速莫高窟に登ってきました。
ここはこまの定番、王道士(王圓籙:Wan Yuan Lu)の墓標の塔。
彼女たち2人とも、維吾爾人の中でも学がある方々なので、この墓塔に書かれた故事が読めちゃいます。
読む、書く、話すが完璧で、所謂3拍子揃ったキャリアレディーですね。 -
ここも、もう定番の「元代僧侶の墓塔」です。
-
ここもかなりの定番石板標示です。
前にも書きましたが、この文字は通路から見て「裏側」になりますので、ご注意下さいませ。
2人の頭には、手前で咲いていたコスモスが刺されています。爺ぃの仕業です。(^^ -
後から出来た石板標示。
世界遺産を表す標示で、莫高窟側に中文、反対側(これ)に英語と世界遺産のマークが刻字されています。
普通、みんなから見える方の莫高窟側にマーク書かないかなぁ・・?と何時も思っているこまでした。 -
こちらがその莫高窟側の面。大抵、見終えて駐車場に戻る時に発見される、可哀想な石碑。
石橋を渡っていると、正面に見えて来ますが、行きでは、全然目立たない角度にある為、気付かずに行く方が殆ど。
みんな、目前に迫った莫高窟の様子に気を取られていますからね。(^^ -
昔から変わらない「石室寶藏」の牌坊(楼門)。
反対側は、帰りに説明しますね。(^^ -
こちらも昔から変わらない「莫高窟」の牌坊。
拝観の入り口に当たります。
この向かい側の詰め所に、カバンやカメラを預けてから入らなくてはなりません。
我々は、出口に当たる9層楼前の事務所で、知人から彼女たちの入場証明をして貰って入ります。(^^;ゞ -
今が午後3時半過ぎなので、拝観後では撮影時に西日が入ってしまいます。
日差しが良い状態で、先に写真を撮っておきます。 -
9層楼前の広場。
芝生が生き生きしています。
おじさん達の手入れが良いんでしょうね。
ん?おじさん達、、、何時からあんな制服着てるの?いつもは普段着なのに・・・。 -
〜余 談〜
北京の天安門広場では、3月の寒い時でもこんな感じで青々としていました。近くで撒水している人を見ていると、、、その人のホースから出ているものは・・・「緑色の塗料」でした。
これが政府の「オリンピック万全準備」です。(~_~;
で、肝心の関係者ですが、今日はみんなどこかへお出かけ中・・・この辺りで暫く待つ事にしました。 -
この石碑って、見た事ある人居られるかな?
こまの頁でも初めて載せます。
これは、2002年にこの広場が出来る前、その工事で掘り返している時に、この場所から掘り出された、幾つかの大きな石の内の一つです。
戈壁灘地層のこの土地では、岩自体が結構珍しいので、広場のあちこちにあしらってあります。 -
これは、その内の一つで、「莫高窟」の刻字を施したモノ。
穴が開いているのが結構変わっています。
広場手前、写真で言う奥の方には、背丈以上の大きな石が、庭園の置き石として据えられています。(文字やデザイン無しの素石です)
石碑と三輪車(掃除夫の方の)が中々。(^^
勝手に気に入ってます。
(普通なら退かせるか、角度を変えて写すでしょうね・・・(~~;) -
実はこの石碑の横には、もう一つ石が置いてあったのです(焦らすなってば)。
溶岩質で、ごま塩模様の変わった石ですね。 -
なんと、、、
広場内に、こんな立派なベンチが沢山配置してありました。
普段は通過しがちな広場なので、気にして居なかったので判りませんでした。
アルバムをバックしてみてみると、8月初旬から、もう既に有ったようです。
こんな沢山あったかなぁ〜・・
後で老余から聞きましたが、敦煌研究院が新たに100個ちょっと揃えたそうです。 -
ベンチは、広場内でこんな感じで並んでいます。
あと、回廊側にもズラリと並んでいました。
日陰で一休みにはピッタリですね。
以前の石製のベンチは、冷たくっておしりに良くない感じでしたから、こっちの方が断然良いですね。(^^v -
大きな木の下に配置されていますが、所々動かされていますね。
固定しないと無くなってしまいますよ!(^^;
え!?爺ぃの座っている椅子が歪んでるって!?
哈哈・・これは広角レンズのせいでした。
左に余分な空間があったので、トリミングしたのでこんな感じで違和感が出てしまいました。
お騒がせしました。
爺ぃ:「狙ったな・・・(一_一;」
こま:「不是!(内心(^ー^)」 -
結局、責任者が何時戻って来るか判らないので、門票を買おう(こまたちの招待で)と言いましたが、彼女たちは「また来るから今度、今度!」と言って入りたがりません。。。
きっと値段が原因ですね。。。でも、気分良く見た方が良いので、次の機会にと言う事で帰る事にしました。
来る時にも通る「三危撹勝」の牌坊(写真2枚繋ぎ)。
表の「石室寶藏」と表裏対になっています。
こちらの方向から見える景色は、祁連山脈の「三危山」ですから、この文字が書かれて居るんですね。 -
莫高窟前の河、大泉河に掛かる2004年に出来たばかりの石橋にて。
がっかりというか何というか・・・
表情にも出ていますが、取り敢えずこれから鳴沙山へ行って気晴らししましょう!
無料なら入るつもりで来たようです。入場料が高いので、判らないでもないですが、‘タダより高いモノはない’を、自でやった感じですね。(^^
前もって知らせてから来ればいいのに。。。
何族を問わず、大陸人って、こんな人が多いです。。。兎に角・・(ーー; -
トボトボトボ・・と歩くみんな。
今日の原因が後で判りました。老余も科長も居なかったのは、昨日管理の統制が変わったからでした。
彼らは皆、莫高窟研究院の職員でしたが、昨日この研究院が廃止され、全てを敦煌研究院が仕切る事になったそうで、その時点で莫高窟研究院は解散、失業になるそうです、(@@;その中の優秀な職員だけは、当然拾って貰えるそうですが、何か人権も何もあったモノじゃないと言う、むちゃくちゃな感じがしました。。。 -
この日、偶然にも撮影した老余の家。
彼らご夫婦が、既にこの家を引き払って、敦煌市郊外の息子夫婦の家に移っていたとは、この時考えもしませんでした。 -
カメラを向けたのは一枚ではありませんでした。
もう沢山撮っているから、特に好天でもない限りそんなに撮るはずもないこのアングル。
3枚撮っていました。
まさか昨日引き払って、誰もいない空の家だったとは微塵程にも知らずに。。。 -
沢山の穴は、美術工員や絵描き僧侶達の部屋だった所。
この先にももう一人、今年60歳の友達「老裴(pei)」ご夫婦が住み込んで働いていましたが、彼も既に引き上げていたんですね。。。 -
こう言った点では、他人と全く違う思い出を作ってしまったこま達ですね。
こまはそんな事とは露程も知らずに、帰りの道沿いの戈壁灘に、延々と続く地元民の墓地を撮影していました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
敦煌(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
25