1975/01/06 - 1975/01/06
13位(同エリア16件中)
片瀬貴文さん
リヴィングストンは、1813年、スコットランドで生まれた。
彼は、中国、朝鮮、日本などで宣教を行ったオランダ宣教師、Karl Friedrich August Gutzlaffに深く感銘を受け、宣教師になり、中国で医療を施しながら布教することを志す。
しかし、アヘン戦争のため中国行きは頓挫し、宣教拠点をアフリカへ変更した。
1840年当時イギリス領であった南アフリカへ出発。
到着後彼は布教の拠点を探し、アフリカ内陸部を北上し方々を探検。
夜間に野生のライオンに襲われ、左腕に重傷を負う。
拠点を決め結婚後、1846年まで布教と医療を続けるが、現地の民族の反発もあり、さらに内陸部へ移動。
その過程で、カラハリ砂漠を北上、1849年ヨーロッパ人で初めてヌガミ湖に到達する。
1851年にはザンベジ河まで到達したが、子供の一人が熱病で倒れ、これ以上家族とともに探検を続けるのは危険と判断、1852年家族をケープタウンに送り、イギリスへ返した。
その後、衛生度の高い内陸の高地に布教拠点を作ることを目指し、再度ザンベジ河へ辿り着くものの適切な土地が見つからず、さらに西へ向う。
彼には、アフリカのスルタンたちによる奴隷貿易を廃絶するために、その交易ルートを探索する意図もあった。
1854年、大西洋沿いのルアンダ(現在アンゴラの首都)に到着。
そのとき彼は、熱病、飢餓、赤痢に苦しみ、半死半生の状態であったが、英国王立地理協会に探検報告を送り、1855年にはメダルを授与される。
1854年ルアンダを出発し、ザンベジ川沿いへ元来たルートを辿りながら、1855年その途上で、ヨーロッパ人として初めてヴィクトリア滝を発見。
1856年インド洋岸、モザンビークのキリマネに到達、2年6ヶ月かけて、ヨーロッパ人として初めてアフリカ大陸横断に成功した。
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この旅行記へのコメント (2)
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- silvaさん 2005/07/01 07:58:31
- アンゴラ
- 初めまして silvaといいます。
懐かしい名前がでてきたので、拝見しました。
私は、1972年から2年間程 ルワンダに住んでいました。
ザンベジ川といいますとルワンダ近く(60km)に流れているリオ デ クワンダの事ですか?
リオ デ クワンダは、きれいな川でほとりにレストランがあり何回か食事に行ったことがあり、ボートで船遊びをしました。
- 片瀬貴文さん からの返信 2005/07/01 13:59:53
- RE: アンゴラ
- ザンベジ河は、アンゴラから発していますが、東に流れてモザンビークからインド洋に流れ込んでいます。
これから、コンゴ(ザイール)のことを、ゆっくり書こうと思っております。
アンゴラのこと、ルアンダのこと、もっと知りたいですね。
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