パンプローナ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
前書き<br /><br />私が出会った風景は、道です。<br />目の前にあるのはいつも道です。<br />そして行くべき方向を教えてくれる黄色い『矢印』です。<br /><br />道から学んだことは、一歩を踏み出さなければ、決して前に進まないという事です。<br />その道は、寄り道をしたり、迷子になっても、必ず未来に繋がっているということ。<br />本当に単純なことなのですが・・・。<br /><br />道は先人が歩いて固めて創った、知恵の結晶であります。<br />私は、一歩一歩、この道を造ってくれた巡礼者の事を思い、道の写真ばかりを写していました。<br /><br />現代の私たちにとっては、この道カミーノは、友と語らう道であり、独り自分と<br />向きあう道であり、1000年来の祈りの道でもあるのです。<br /><br />私のこの旅の主役は、この道を、同じ方向を目指して歩く友でした。<br />私の、今回の旅行記は、出会った人との思い出話ばかり。<br />もしかしたら、とても個人的な事で、お話してもつまらないかもしれません・・・。<br />何しろ、800kmの道のりを、風のように通り過ぎたものですから、観光名所の<br />案内は出来ませんが、まだ興奮冷めやらないうちに、記録を書いておきたいと<br />思いますので、最後までおつきあい下さい。<br /><br />*********************<br /><br /><br /><br />『ビスケー湾に面するラ・コルーニャを目指して列車は進むが、途中のカトリックの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに立ち寄ることにした。 信者は国内外から歩いて巡礼をする。私たちは時間が限られていたので、駅に荷物を預け、とにかく丘の上のカテドラルに向って歩き出す。<br />まず、その大きさに圧倒される。ロマネスク洋式の建築物で、その堅固な表情は、ポルトガルのマヌエル洋式に代表されるような、繊細さや、今にもとろけだしそうな(または崩れ落ちそうな)あやふやな魅力やもろさはない。ここを目指して集まってきた信者の圧倒的な熱意が発散されている。 <br />いつか時間とお金に余裕がが出来たときに、フランス国境からここまでの巡礼の道をたどることが、私の現在の夢である。<br />その時に迎えいれるファザードは全く別の顔を見せてくれるのではないだろうか。<br /><br />1994年9月11日の旅行記より。』<br /><br />******************<br /><br />これは、10年前にスペイン、ポルトガルを親友のむらやんと旅行した時に、サンティアゴ・デ・コンポステーラに立ち寄った時の感想です。<br /><br />正直言って、10年前のこの夢が、まさかこんなに早く現実になるとは思いませんでした。<br />また、そんなことが自分に出来るとは、思ってもみなかったことでした。<br />しかし、この時から私の道は、ここ、サンティアゴに向かっていたのかもしれません。<br />テレビの特集、巡礼の本を少しづつ読んではいたけれど、いつでもそれは遠い夢でした。<br />これを書いた1994年に5年間の留学生活を終えた私は、将来がまだ見えおらず、不安でいっぱいだったのです。<br />あれから今日まで、一途にやりたい事に向かってなんとか進んで来ることができました。<br />さて、これからの10年、私はどこに向かって歩いていくのでしょうか?!<br /><br /><br />********************<br /><br /><br /><br />[サンティアゴ伝説について、少しだけ・・・]<br /><br /><br /><br />ヤコブ(以下サンティアゴ)は、キリストと同時代、ガラリア湖畔の漁師の子として<br />生まれ、浜辺で網を繕っている時に、弟ヨハネと共にイエスに『我に従え』と言われ<br />召し出された。兄弟は、イエスから『雷(いかずち)の子』と呼ばれるほど性格が<br />激しく純情一途にイエスを敬愛した。<br />西暦44年、当時の王の人気取り政策として、エルサレムで捕らえられ、大勢の民衆の<br />前で斬首される。その首のない遺体がスペインに運ばれ、パドゥロンに漂着した。<br />その後数世紀の間、スペインは長い迫害、民族の移動、戦争や混乱があり、サンティアゴの墓所は不明になっていたが、西暦813年、或る日突然天に不思議な<br />星が現れ、聖人の墓所を示し、発見された。そこを『コンポステーラ』=『星の<br />畠』と名付けサンティアゴ・デ・コンポステーラと呼ぶようになったという説がある。<br /><br /><br />また、この道、カミーノのシンボルの一つである帆立貝の伝説がある。<br /> ひとりの騎士がガリシアの海岸を馬に乗って通っていたところ、馬が暴れだし、<br />振り落とされて海岸に落ちた。溺死寸前に騎士はサンティアゴへ加護の祈りを求めた。<br />聖人は水深く沈まぬ前に彼を支え、水から出て来た時には彼の体じゅうにびっしり<br />貝が張り付いていた。<br />貝殻を手のひら、すなわち善業を果たす道具としてとらえるという解釈がある。<br /><br />*********************<br /><br />

スペイン巡礼1(出発~サン・ジャンからロスアルコスまで)

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2004/07/19 - 2004/07/25

75位(同エリア105件中)

4

39

night-train298

night-train298さん

前書き

私が出会った風景は、道です。
目の前にあるのはいつも道です。
そして行くべき方向を教えてくれる黄色い『矢印』です。

道から学んだことは、一歩を踏み出さなければ、決して前に進まないという事です。
その道は、寄り道をしたり、迷子になっても、必ず未来に繋がっているということ。
本当に単純なことなのですが・・・。

道は先人が歩いて固めて創った、知恵の結晶であります。
私は、一歩一歩、この道を造ってくれた巡礼者の事を思い、道の写真ばかりを写していました。

現代の私たちにとっては、この道カミーノは、友と語らう道であり、独り自分と
向きあう道であり、1000年来の祈りの道でもあるのです。

私のこの旅の主役は、この道を、同じ方向を目指して歩く友でした。
私の、今回の旅行記は、出会った人との思い出話ばかり。
もしかしたら、とても個人的な事で、お話してもつまらないかもしれません・・・。
何しろ、800kmの道のりを、風のように通り過ぎたものですから、観光名所の
案内は出来ませんが、まだ興奮冷めやらないうちに、記録を書いておきたいと
思いますので、最後までおつきあい下さい。

*********************



『ビスケー湾に面するラ・コルーニャを目指して列車は進むが、途中のカトリックの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに立ち寄ることにした。 信者は国内外から歩いて巡礼をする。私たちは時間が限られていたので、駅に荷物を預け、とにかく丘の上のカテドラルに向って歩き出す。
まず、その大きさに圧倒される。ロマネスク洋式の建築物で、その堅固な表情は、ポルトガルのマヌエル洋式に代表されるような、繊細さや、今にもとろけだしそうな(または崩れ落ちそうな)あやふやな魅力やもろさはない。ここを目指して集まってきた信者の圧倒的な熱意が発散されている。
いつか時間とお金に余裕がが出来たときに、フランス国境からここまでの巡礼の道をたどることが、私の現在の夢である。
その時に迎えいれるファザードは全く別の顔を見せてくれるのではないだろうか。

1994年9月11日の旅行記より。』

******************

これは、10年前にスペイン、ポルトガルを親友のむらやんと旅行した時に、サンティアゴ・デ・コンポステーラに立ち寄った時の感想です。

正直言って、10年前のこの夢が、まさかこんなに早く現実になるとは思いませんでした。
また、そんなことが自分に出来るとは、思ってもみなかったことでした。
しかし、この時から私の道は、ここ、サンティアゴに向かっていたのかもしれません。
テレビの特集、巡礼の本を少しづつ読んではいたけれど、いつでもそれは遠い夢でした。
これを書いた1994年に5年間の留学生活を終えた私は、将来がまだ見えおらず、不安でいっぱいだったのです。
あれから今日まで、一途にやりたい事に向かってなんとか進んで来ることができました。
さて、これからの10年、私はどこに向かって歩いていくのでしょうか?!


********************



[サンティアゴ伝説について、少しだけ・・・]



ヤコブ(以下サンティアゴ)は、キリストと同時代、ガラリア湖畔の漁師の子として
生まれ、浜辺で網を繕っている時に、弟ヨハネと共にイエスに『我に従え』と言われ
召し出された。兄弟は、イエスから『雷(いかずち)の子』と呼ばれるほど性格が
激しく純情一途にイエスを敬愛した。
西暦44年、当時の王の人気取り政策として、エルサレムで捕らえられ、大勢の民衆の
前で斬首される。その首のない遺体がスペインに運ばれ、パドゥロンに漂着した。
その後数世紀の間、スペインは長い迫害、民族の移動、戦争や混乱があり、サンティアゴの墓所は不明になっていたが、西暦813年、或る日突然天に不思議な
星が現れ、聖人の墓所を示し、発見された。そこを『コンポステーラ』=『星の
畠』と名付けサンティアゴ・デ・コンポステーラと呼ぶようになったという説がある。


また、この道、カミーノのシンボルの一つである帆立貝の伝説がある。
 ひとりの騎士がガリシアの海岸を馬に乗って通っていたところ、馬が暴れだし、
振り落とされて海岸に落ちた。溺死寸前に騎士はサンティアゴへ加護の祈りを求めた。
聖人は水深く沈まぬ前に彼を支え、水から出て来た時には彼の体じゅうにびっしり
貝が張り付いていた。
貝殻を手のひら、すなわち善業を果たす道具としてとらえるという解釈がある。

*********************

  • ← サン・ジャン・ピエド・ボー(フランス)までの、ローカル列車は遅れていた。しかも雨・・・。<br /><br /><br /><br />7月18日〜19日  サン・ジャン・ピエド・ポーまで<br /><br />け・・・)<br /><br /><br />パリのシャルル・ド・ゴール空港では、一緒に旅行をするグリちゃんと待ち合わせをしている。<br />ほとんど同じ時間に、別の飛行機で、関空からやってくるのだ。<br />バカンスで混み合った出口で待っていると、無事Gちゃんにも会え、<br />早速TGVの予約をしに行くが、この季節、帰省客や満員で午後の便までない。<br />その便で行くと、どうにかギリギリ心細くないていどの時間に現地に着けそう<br />である。<br />日本で買ってきた、フレンチ・スペインレイルパスに日付けを書き込み、<br />のんびり空港内のカフェ時間を潰す。(列車は空港から直接出ているものだった)<br />ホームの上でTGVを待ちながら、持ってきた帆立貝をリュックに装着して巡礼の<br />準備を整える。<br />ここから、バイヨンヌで乗り換えて、巡礼の出発地、サン・ジャン・ピエド・<br />ボーまでは列車の旅。<br /><br />バイヨンヌまではTGVで数時間。あいにくの喫煙車両で、真新しいリュックや<br />服もすべてが、一気にスモークされる事態となった。<br />二度ほど、緊急停車もあり、バイヨンヌでの乗り換えに間に合うか、不安な時刻と<br />なってきた。バイヨンヌでは、最終から二本目に乗るはずだった。<br />それに乗れば、まだ薄明るい時間である。<br />列車は遅れ、バイヨンヌに着くと、土砂降りの雨。<br />すぐに乗り換えの小さな列車をみつけ、乗り込むが、なかなか出発しない。<br />(この列車が遅れたのか、最終便が早めにホームに着いていたのかは定かではないが)<br />何故か列車はホームを出ては、少し動きまたホームに戻り・・・を三回繰り返し<br />て、いよいよ出発した。<br />すでに雨のせいもあってか、日も暮れ、心細いことこのうえない。<br />列車は半両ほどの車両が二両。とても小さい。<br />今日中に巡礼オフィスに行って、クレデンシャル(巡礼証明書)をもらわなけれ<br />ば、出発は半日、もしくは一日遅れてしまう。<br />まあ、あせってもしょうがない。どうにかなるだろう。<br /><br />サン・ジャン・ピエド・ボーに着くと、雨は止む様子もなく、駅で地図をもらい<br />雨具の準備をして、とにかくアルベルゲ(巡礼宿)を目指して坂を上っていく。<br />まもなく雨は強さを増し、稲光りが大きな空じゅうに光る。空は上にあるのではなく、私たちが向かう正面にあり、その光りは、まるで私たちを迎え入れるように、両手を広げるがごとく包みこむ。そして光りは、電柱のない村を明るく照らしてくれた。<br /><br />坂を登っていくと、グリちゃんが<br />「これは巡礼オフィスじゃない?」<br />中に入ると、まさにそこがオフィス。10時少し前だっただろうか。<br />オフィスの人は、今夜泊まる宿は決まっているのか聞き、まだなら向かい側の<br />アルゲルベ(巡礼宿)に手続きの前に先に行ってからここに来なさいといことだった。<br />言われた通りにすると、運良くまだ部屋が空いていることがわかり、すぐに<br />オフィスへ戻る。<br />簡単な質問に答えて一つ目の記念すべきスタンプをもらい、10時には閉まると言う<br />アルゲルベに戻った。<br />これで、明日の朝から歩けるのだ!<br />すべてが準備をされていたように、私たちは幸運だった。<br />ちょうどそこに、私たちと同じように、今まさにここに着いた中年の女性がいた。<br />私たちは朝食や明日のお弁当の説明を受け、ニ階に上がる。<br />そこには先客のスペイン人の学生4人(後でわかったが、一人は社会人)がいた。<br />先の女性も同じ部屋で、私のベッドの下の段を取った。<br />誰もが回りに気を使い、静かに寝支度を整えて就寝となる。<br /><br />私は飛行機の中で寝るのは苦手である。<br />前日までのハードスケジュール。それまでも、睡眠時間を削ってきたというのに、<br />疲れてくたくたなはずなのに、気が昂っているのだろうか。<br />初めての寝袋。不安・・・、まんじりともせず夜が明けた。

    ← サン・ジャン・ピエド・ボー(フランス)までの、ローカル列車は遅れていた。しかも雨・・・。



    7月18日〜19日  サン・ジャン・ピエド・ポーまで

    け・・・)


    パリのシャルル・ド・ゴール空港では、一緒に旅行をするグリちゃんと待ち合わせをしている。
    ほとんど同じ時間に、別の飛行機で、関空からやってくるのだ。
    バカンスで混み合った出口で待っていると、無事Gちゃんにも会え、
    早速TGVの予約をしに行くが、この季節、帰省客や満員で午後の便までない。
    その便で行くと、どうにかギリギリ心細くないていどの時間に現地に着けそう
    である。
    日本で買ってきた、フレンチ・スペインレイルパスに日付けを書き込み、
    のんびり空港内のカフェ時間を潰す。(列車は空港から直接出ているものだった)
    ホームの上でTGVを待ちながら、持ってきた帆立貝をリュックに装着して巡礼の
    準備を整える。
    ここから、バイヨンヌで乗り換えて、巡礼の出発地、サン・ジャン・ピエド・
    ボーまでは列車の旅。

    バイヨンヌまではTGVで数時間。あいにくの喫煙車両で、真新しいリュックや
    服もすべてが、一気にスモークされる事態となった。
    二度ほど、緊急停車もあり、バイヨンヌでの乗り換えに間に合うか、不安な時刻と
    なってきた。バイヨンヌでは、最終から二本目に乗るはずだった。
    それに乗れば、まだ薄明るい時間である。
    列車は遅れ、バイヨンヌに着くと、土砂降りの雨。
    すぐに乗り換えの小さな列車をみつけ、乗り込むが、なかなか出発しない。
    (この列車が遅れたのか、最終便が早めにホームに着いていたのかは定かではないが)
    何故か列車はホームを出ては、少し動きまたホームに戻り・・・を三回繰り返し
    て、いよいよ出発した。
    すでに雨のせいもあってか、日も暮れ、心細いことこのうえない。
    列車は半両ほどの車両が二両。とても小さい。
    今日中に巡礼オフィスに行って、クレデンシャル(巡礼証明書)をもらわなけれ
    ば、出発は半日、もしくは一日遅れてしまう。
    まあ、あせってもしょうがない。どうにかなるだろう。

    サン・ジャン・ピエド・ボーに着くと、雨は止む様子もなく、駅で地図をもらい
    雨具の準備をして、とにかくアルベルゲ(巡礼宿)を目指して坂を上っていく。
    まもなく雨は強さを増し、稲光りが大きな空じゅうに光る。空は上にあるのではなく、私たちが向かう正面にあり、その光りは、まるで私たちを迎え入れるように、両手を広げるがごとく包みこむ。そして光りは、電柱のない村を明るく照らしてくれた。

    坂を登っていくと、グリちゃんが
    「これは巡礼オフィスじゃない?」
    中に入ると、まさにそこがオフィス。10時少し前だっただろうか。
    オフィスの人は、今夜泊まる宿は決まっているのか聞き、まだなら向かい側の
    アルゲルベ(巡礼宿)に手続きの前に先に行ってからここに来なさいといことだった。
    言われた通りにすると、運良くまだ部屋が空いていることがわかり、すぐに
    オフィスへ戻る。
    簡単な質問に答えて一つ目の記念すべきスタンプをもらい、10時には閉まると言う
    アルゲルベに戻った。
    これで、明日の朝から歩けるのだ!
    すべてが準備をされていたように、私たちは幸運だった。
    ちょうどそこに、私たちと同じように、今まさにここに着いた中年の女性がいた。
    私たちは朝食や明日のお弁当の説明を受け、ニ階に上がる。
    そこには先客のスペイン人の学生4人(後でわかったが、一人は社会人)がいた。
    先の女性も同じ部屋で、私のベッドの下の段を取った。
    誰もが回りに気を使い、静かに寝支度を整えて就寝となる。

    私は飛行機の中で寝るのは苦手である。
    前日までのハードスケジュール。それまでも、睡眠時間を削ってきたというのに、
    疲れてくたくたなはずなのに、気が昂っているのだろうか。
    初めての寝袋。不安・・・、まんじりともせず夜が明けた。

  • 記念すべき一つ目のスタンプ。

    記念すべき一つ目のスタンプ。

  • アルベルゲ室内。

    アルベルゲ室内。

  • 7月19日   RONCESVALLESまで   (24,9KM)<br /><br />朝食はフレンチスタイルのシンプルな食事だが、おいしいフランスパンを食べるこ<br />とが出来た。<br />私の隣にはすでにカミ−ノを一度歩いたことのあるベルギー人のおじさんが座った。<br />彼は昨日ここに着いた時にも親切にしてくれたのだった。<br />食後、二つ目のスタンプを自分で押すことになる。<br />うまく押せるか躊躇していると、スペイン人4人組のペドロがスタンプを押してく<br />れ、日付けも書いてくれた。<br />そんなことでさえ嬉しく感じるほど、最初からまわりのまなざしが柔らかかった。<br />宿で用意してくれた特製のボカディージョ(スペインのサンドウィッチ)を受け取り<br />すでに一歩先に歩き出したスペインの若者達の背中を見送って、出発となった。<br />昨日暗がりの中通ってきたこの町の風景も素敵だったし、アルベルゲの回りも<br />石畳が敷かれた小径、スペイン門、川、みなかわいらしい。<br />なのに、足早にここを去らなくてはならない。なんてもったい話だ。<br />必ずもう一度、あらためてここに来ようと思った。<br />歩き出してすぐに私の足は痛み出した。<br />寝不足は、体を固めるので筋肉痛を起こし易い。大敵だというのに。<br />ただでさえ足下がふらつくのに、今日は25kmの道をピレネーを越えるため<br />歩かなければならない。<br />この巡礼のスタート地点に立つことを今まで楽しみに、乗り越えてきた事もあったのに、<br />この日が一番つらい一日となり、また記念すべきつらい出発となってしまった。<br />まず、右足のふくらはぎがつる。治った瞬間左の足の裏がつる。それが治った瞬間<br />今度は右の足の甲・・・、と言った具合に、次々と痛みの場所を変え、常に足が痛い。<br />こんなことでは今日はとても歩けそうもない。<br />足が大地に着いていない感覚なのだ。<br /><br />8km地点あたりだろうか。そこに新しく出来たアルゲルベがあり、コーヒーが<br />飲めるようになっている。<br />そこでデミタスカップに入った濃いコーヒーを飲む。<br />この後、さらに登りが10km続くという。<br />グリちゃんは先に出て行き、私はもしかしたらここに泊まるかもしれないと思っていた。<br />不思議なことに、この一杯のコーヒーで、私の体は生き返ったように、もう少し<br />歩いてみようかという気になった。<br />私はまた歩きだした。<br />

    7月19日   RONCESVALLESまで (24,9KM)

    朝食はフレンチスタイルのシンプルな食事だが、おいしいフランスパンを食べるこ
    とが出来た。
    私の隣にはすでにカミ−ノを一度歩いたことのあるベルギー人のおじさんが座った。
    彼は昨日ここに着いた時にも親切にしてくれたのだった。
    食後、二つ目のスタンプを自分で押すことになる。
    うまく押せるか躊躇していると、スペイン人4人組のペドロがスタンプを押してく
    れ、日付けも書いてくれた。
    そんなことでさえ嬉しく感じるほど、最初からまわりのまなざしが柔らかかった。
    宿で用意してくれた特製のボカディージョ(スペインのサンドウィッチ)を受け取り
    すでに一歩先に歩き出したスペインの若者達の背中を見送って、出発となった。
    昨日暗がりの中通ってきたこの町の風景も素敵だったし、アルベルゲの回りも
    石畳が敷かれた小径、スペイン門、川、みなかわいらしい。
    なのに、足早にここを去らなくてはならない。なんてもったい話だ。
    必ずもう一度、あらためてここに来ようと思った。
    歩き出してすぐに私の足は痛み出した。
    寝不足は、体を固めるので筋肉痛を起こし易い。大敵だというのに。
    ただでさえ足下がふらつくのに、今日は25kmの道をピレネーを越えるため
    歩かなければならない。
    この巡礼のスタート地点に立つことを今まで楽しみに、乗り越えてきた事もあったのに、
    この日が一番つらい一日となり、また記念すべきつらい出発となってしまった。
    まず、右足のふくらはぎがつる。治った瞬間左の足の裏がつる。それが治った瞬間
    今度は右の足の甲・・・、と言った具合に、次々と痛みの場所を変え、常に足が痛い。
    こんなことでは今日はとても歩けそうもない。
    足が大地に着いていない感覚なのだ。

    8km地点あたりだろうか。そこに新しく出来たアルゲルベがあり、コーヒーが
    飲めるようになっている。
    そこでデミタスカップに入った濃いコーヒーを飲む。
    この後、さらに登りが10km続くという。
    グリちゃんは先に出て行き、私はもしかしたらここに泊まるかもしれないと思っていた。
    不思議なことに、この一杯のコーヒーで、私の体は生き返ったように、もう少し
    歩いてみようかという気になった。
    私はまた歩きだした。

  • 朝、歩き出した頃より、深く霧がたちこめていた。せいぜい前後10メートルしか<br />見えない道だったが、進むべき道ははっきりと見えた。<br />だから、一人でも全く不安はなかった。<br />ピレネー越えはキツイとさんざんおどかされていたが、近年工事を行ったので<br />あろうか、道はほとんど鋪装されており、箱根の方がよっぽどきつかった。<br />そして、追い越していく人が声をかけてくれる。そのやさしさ、響き、やすらぎの笑顔・・・私はいつの間にか、愛の世界に溶けていくような気がした。<br />これは同じ道を歩く人への連帯感といたわりであった。<br />すでに足の痛さよりも、満ち足りた気持ち、愛に包まれた道を歩ける喜びに先へ先へと足を運んだ。<br />山の上の開けた場所に来た頃には、すっかり霧も晴れ、青空と太陽が眩しかった。<br />そこへ後から来たアルゲルベで一緒だったイタリア人の女性、アンジェラがやってきた。<br />スペイン人の友人が、イタリアへ旅行に行った際、お互いの言葉で通じたと言って<br />いたのを思い出して、試してみようと思った。<br />イタリアに行って、スペイン語を話す勇気はないが、ここはもうすぐスペインなのである。<br />まず、イタリアのどこから来たのか聞いてみた。<br />すると、なんとか通じるではないか。おもしろい。<br />アンジェラはサルディニア島から列車を20時間乗り継いで来て、10日後には帰ってしまうと言う。目標はブルゴス。<br />そして、今回行ける所まで行って、その場所からまた来年歩き出すと言う。<br />昨日は話もせずに寝てしまったけれど、同じ宿に泊まったというだけで、すでに<br />特別な関係だった。<br />アンジェラと別れて私は意気揚々と歩みを進める。ここではひとりぼっちではない。<br />そんなアンジェラとの会話だけで、また元気をもらう。<br />しばらく歩き、その景色の良い場所で、お昼ごはんを食べようと思っていると、そこへ私が居ることに気がつかないアンジェラが、道をはずれた下の方へ下って行く。<br />私は生ハム、チーズが溶け込んだハーブ入りオムレツが入ったサンドウィッチを<br />ほおばると、下の方の、石の天然の大きなテーブルいっぱいにご馳走を広げた<br />アンジェラの大昼食会が始まった。<br />なんて幸せそうな人なんだろう。一人でいても、とても楽しげなのだ。<br />それを見て、私も幸せな気持ちになり、将来あんな女性になりたいと思った。<br />そこで大きな景色をゆっくり楽しみ、疲れを癒し、ゆったりと休む。<br />そこへ先のベルギー人のおじさんが通りがかる。おじさんは、ここは有名な<br />ビュースポットなんだと教えてくれた。おじさんは数年前にも一度歩いたことがあるのだ。<br />まだ昼食を楽しんでいるアンジェラをそっと残して、再び歩き出す。<br />やはり足の痛みが消えたわけではない。<br />ただ、気持ちはどんどん軽くなり、太陽が光り出すと、草も木も花も一気に<br />輝き、道にあるすべてのものが、私を励ましてくれるような気がした。<br />視界が開けたせいかますます景色は美しくなり、私は一人呟く。<br />『もう、きれいすぎて、たいへんだ!』<br />ぶつぶつ言いながら歩く。足の痛みを忘れるほど気分がいいのだ。<br /><br />水飲み場は常に必要な場所にある。ぺっとボトルに水を注ぎ足して歩く。<br />歩いて行くと、道は二つに別れていた。<br />さて、どちらに行こうか。ふと右の方向を見ると、羊の群れが木の下で休んで<br />いた。そうだ!こっちに行こう。<br />細い道を歩いて行くと、やや広い道が見えてきた。<br />さて、今度はどちらに行くべきか。誰かいれば聞けるのに。<br />やや広い道に出ると、どこからやってきたのか、大学生くらいの女の子に出会い、<br />道を聞く。彼女は私が今来た道を歩いていった。後ろ姿を見送りながら、<br />タイミング良く出現した女神のような人だなと思う。<br />こんな風に、いつも道を決める時、必ずどこからか誰かがやってきて、道を<br />教えてくれる。間違った道を行くと、遠い所から見ていた人が、そこは違うよと<br />言ってくれる。<br />おかげで道に迷うことがなかったのも、この道の不思議である。<br /><br />

    朝、歩き出した頃より、深く霧がたちこめていた。せいぜい前後10メートルしか
    見えない道だったが、進むべき道ははっきりと見えた。
    だから、一人でも全く不安はなかった。
    ピレネー越えはキツイとさんざんおどかされていたが、近年工事を行ったので
    あろうか、道はほとんど鋪装されており、箱根の方がよっぽどきつかった。
    そして、追い越していく人が声をかけてくれる。そのやさしさ、響き、やすらぎの笑顔・・・私はいつの間にか、愛の世界に溶けていくような気がした。
    これは同じ道を歩く人への連帯感といたわりであった。
    すでに足の痛さよりも、満ち足りた気持ち、愛に包まれた道を歩ける喜びに先へ先へと足を運んだ。
    山の上の開けた場所に来た頃には、すっかり霧も晴れ、青空と太陽が眩しかった。
    そこへ後から来たアルゲルベで一緒だったイタリア人の女性、アンジェラがやってきた。
    スペイン人の友人が、イタリアへ旅行に行った際、お互いの言葉で通じたと言って
    いたのを思い出して、試してみようと思った。
    イタリアに行って、スペイン語を話す勇気はないが、ここはもうすぐスペインなのである。
    まず、イタリアのどこから来たのか聞いてみた。
    すると、なんとか通じるではないか。おもしろい。
    アンジェラはサルディニア島から列車を20時間乗り継いで来て、10日後には帰ってしまうと言う。目標はブルゴス。
    そして、今回行ける所まで行って、その場所からまた来年歩き出すと言う。
    昨日は話もせずに寝てしまったけれど、同じ宿に泊まったというだけで、すでに
    特別な関係だった。
    アンジェラと別れて私は意気揚々と歩みを進める。ここではひとりぼっちではない。
    そんなアンジェラとの会話だけで、また元気をもらう。
    しばらく歩き、その景色の良い場所で、お昼ごはんを食べようと思っていると、そこへ私が居ることに気がつかないアンジェラが、道をはずれた下の方へ下って行く。
    私は生ハム、チーズが溶け込んだハーブ入りオムレツが入ったサンドウィッチを
    ほおばると、下の方の、石の天然の大きなテーブルいっぱいにご馳走を広げた
    アンジェラの大昼食会が始まった。
    なんて幸せそうな人なんだろう。一人でいても、とても楽しげなのだ。
    それを見て、私も幸せな気持ちになり、将来あんな女性になりたいと思った。
    そこで大きな景色をゆっくり楽しみ、疲れを癒し、ゆったりと休む。
    そこへ先のベルギー人のおじさんが通りがかる。おじさんは、ここは有名な
    ビュースポットなんだと教えてくれた。おじさんは数年前にも一度歩いたことがあるのだ。
    まだ昼食を楽しんでいるアンジェラをそっと残して、再び歩き出す。
    やはり足の痛みが消えたわけではない。
    ただ、気持ちはどんどん軽くなり、太陽が光り出すと、草も木も花も一気に
    輝き、道にあるすべてのものが、私を励ましてくれるような気がした。
    視界が開けたせいかますます景色は美しくなり、私は一人呟く。
    『もう、きれいすぎて、たいへんだ!』
    ぶつぶつ言いながら歩く。足の痛みを忘れるほど気分がいいのだ。

    水飲み場は常に必要な場所にある。ぺっとボトルに水を注ぎ足して歩く。
    歩いて行くと、道は二つに別れていた。
    さて、どちらに行こうか。ふと右の方向を見ると、羊の群れが木の下で休んで
    いた。そうだ!こっちに行こう。
    細い道を歩いて行くと、やや広い道が見えてきた。
    さて、今度はどちらに行くべきか。誰かいれば聞けるのに。
    やや広い道に出ると、どこからやってきたのか、大学生くらいの女の子に出会い、
    道を聞く。彼女は私が今来た道を歩いていった。後ろ姿を見送りながら、
    タイミング良く出現した女神のような人だなと思う。
    こんな風に、いつも道を決める時、必ずどこからか誰かがやってきて、道を
    教えてくれる。間違った道を行くと、遠い所から見ていた人が、そこは違うよと
    言ってくれる。
    おかげで道に迷うことがなかったのも、この道の不思議である。

  • ←歩きはじめてしばらくすると、アンジェラに会い、初めて話をした。<br /><br />

    ←歩きはじめてしばらくすると、アンジェラに会い、初めて話をした。

  • これが巡礼の道しるべ。(フランスサイド)

    これが巡礼の道しるべ。(フランスサイド)

  • 持ってきた食材を石のテーブルに広げ、大昼食会をするアンジェラ。

    持ってきた食材を石のテーブルに広げ、大昼食会をするアンジェラ。

  • <br />


  • 道は緩やかな下りとなり、緑の森、小川、夢のような景色の連続であった。<br />こんなのんびり旅をしていた私が、とうとう今日の目的地の、RONCESVALLESに<br />着いたのは4時20分だった。<br />オフィスで宿泊の手続きをし、ベッドを確保し、グリちゃんを探しながら中庭にいると、<br />そこへニコニコしながらゴールしたのは、アンジェラだった。<br />私たちは抱き合い到着を祝った。<br />スペイン4人組や、ベルギーのおじさんとも再会し、握手をした。<br />また、スペイン人の4人組にも会い、今日の出来事などを報告しあった。<br />そのうち、グリちゃんも登場、明日の出発の時間を打ち合わせして、私はミサに出るのを<br />あきらめ、汗を流し、洗濯をし、とにかく上質な眠りを得ることに集中することにした。<br /><br />シャワーを浴び、芝生の上で日記を書く。目の前には巡礼者の洗濯物がはためいている。<br />私はこの旅で、何を得られるのであろうか。<br />いや、何かを得るために旅に出たとは思いたくなかった。<br />それよりも、何の先入観のない真っ白な心を持ちたい。<br />すべての事に感動できる心を持ちたい。<br />だから、事前に調べた情報を確かめるのではなく、自分なりの、オリジナルなもの<br />の感じ方をしたいと願った。<br /><br />アルゲルベは、古い教会(?)で、一階に大量のニ段ベッドが並んでいる。<br />地下がトイレ、シャワー、洗濯機や大テーブル、電話もある。<br />機能的な部分は、近代的で使いやすかった。<br />私にあてがわれたベッドのすぐそばに、アンジェラのベッドもあり、<br />二人で今日あったこと、食べたものなど報告しあった。<br />アンジェラは、私がスペイン語が出来ると勘違いして、ぺらぺら話し続ける。<br />私はカタコトしか喋れないっていうのに。<br />それでも、そうやって古い友人のように、話をしてくれるアンジェラの期待に<br />応えて、会話をした。<br />大部屋は、思ったよりずっと静かで、私は5時間眠ることができた。

    道は緩やかな下りとなり、緑の森、小川、夢のような景色の連続であった。
    こんなのんびり旅をしていた私が、とうとう今日の目的地の、RONCESVALLESに
    着いたのは4時20分だった。
    オフィスで宿泊の手続きをし、ベッドを確保し、グリちゃんを探しながら中庭にいると、
    そこへニコニコしながらゴールしたのは、アンジェラだった。
    私たちは抱き合い到着を祝った。
    スペイン4人組や、ベルギーのおじさんとも再会し、握手をした。
    また、スペイン人の4人組にも会い、今日の出来事などを報告しあった。
    そのうち、グリちゃんも登場、明日の出発の時間を打ち合わせして、私はミサに出るのを
    あきらめ、汗を流し、洗濯をし、とにかく上質な眠りを得ることに集中することにした。

    シャワーを浴び、芝生の上で日記を書く。目の前には巡礼者の洗濯物がはためいている。
    私はこの旅で、何を得られるのであろうか。
    いや、何かを得るために旅に出たとは思いたくなかった。
    それよりも、何の先入観のない真っ白な心を持ちたい。
    すべての事に感動できる心を持ちたい。
    だから、事前に調べた情報を確かめるのではなく、自分なりの、オリジナルなもの
    の感じ方をしたいと願った。

    アルゲルベは、古い教会(?)で、一階に大量のニ段ベッドが並んでいる。
    地下がトイレ、シャワー、洗濯機や大テーブル、電話もある。
    機能的な部分は、近代的で使いやすかった。
    私にあてがわれたベッドのすぐそばに、アンジェラのベッドもあり、
    二人で今日あったこと、食べたものなど報告しあった。
    アンジェラは、私がスペイン語が出来ると勘違いして、ぺらぺら話し続ける。
    私はカタコトしか喋れないっていうのに。
    それでも、そうやって古い友人のように、話をしてくれるアンジェラの期待に
    応えて、会話をした。
    大部屋は、思ったよりずっと静かで、私は5時間眠ることができた。

  • アルベルゲ入り口。(アルベルゲとは、巡礼宿のこと。寝袋を持っていれば、ベッドを格安で提供してくれる施設です)

    アルベルゲ入り口。(アルベルゲとは、巡礼宿のこと。寝袋を持っていれば、ベッドを格安で提供してくれる施設です)

  • ←ララソーニャのアルベルゲ。<br /><br />7月21日  LARRASOANAまで  (27,4km)<br /><br /><br />まとまった時間寝たおかげで、足もとはしっかりし、気分も最高!<br />途中バルに2度寄り、ララソアーニャのアルベルゲに辿り着くまでの<br />最後の数キロは、思っていたより距離が長かったことと、暑さで、<br />ぐったりしていた。<br /><br />しかし、着いてすぐに浴びたシャワーは、最高のご馳走で、わざと水を<br />ひねり体全身で、幸せ感を味わった。<br />この気持ち良さは、ここを歩いた人にしかわからないだろう。<br /><br />外のベンチで足のマッサージをしていると、ブラジル人のおじさん<br />来て、筋肉痛のためのスプレーをかけてくれる。<br />次にベネゼエラのホセが来て話をする。<br />ホセのご両親はスペイン人で、今は引退して、サンティアゴの近くに<br />住んでいることなど教えてくれた。<br />彼は両親に会いに事も楽しみの一つなのだ。<br /><br />そんな時、向こうから、アンジェラがうれしそうに到着した!<br />私たちは抱き合って、今日の歩きを讃えあった。<br />その夜はバルに行き、簡単な食事をしたが、ここにもみんながいた。<br />チロル地方から来たオーストリア勢は、あちこちでヨーデルを披露<br />してくれたし、おしゃべりのイタリア人のアルベルトも話しかけてきた。<br />スペイン、マラガ出身の4人組(サンジャンのアルベルゲから一緒)<br />もここに泊まっている。<br />その一人アドリアーノは、来年は日本を一周したいからと言い、<br />ペドロは、禅に興味があると言って、分厚い本を見せてくれた。<br />また、彼は数年前に起こした事故の後遺症が出て、膝がいたいと、<br />びっこをひいていた。<br /><br />まだ歩き出して丸二日。なのにもうすっかり仲間意識が芽生えはじめ<br />ていた。<br />今、自分の日記を見て、こんな早くから私たちはしっかりとした絆で<br />結ばれていたことにあらためて驚く。<br />ララソアーニャのアルベルゲのホスピタレーロのサンティアゴさんは、<br />日本人びいきで、私たちに二人部屋を当てがってくれ、過去の日本人<br />の宿泊客から送られた手紙をごっそり持って、見せてくれた。

    ←ララソーニャのアルベルゲ。

    7月21日  LARRASOANAまで (27,4km)


    まとまった時間寝たおかげで、足もとはしっかりし、気分も最高!
    途中バルに2度寄り、ララソアーニャのアルベルゲに辿り着くまでの
    最後の数キロは、思っていたより距離が長かったことと、暑さで、
    ぐったりしていた。

    しかし、着いてすぐに浴びたシャワーは、最高のご馳走で、わざと水を
    ひねり体全身で、幸せ感を味わった。
    この気持ち良さは、ここを歩いた人にしかわからないだろう。

    外のベンチで足のマッサージをしていると、ブラジル人のおじさん
    来て、筋肉痛のためのスプレーをかけてくれる。
    次にベネゼエラのホセが来て話をする。
    ホセのご両親はスペイン人で、今は引退して、サンティアゴの近くに
    住んでいることなど教えてくれた。
    彼は両親に会いに事も楽しみの一つなのだ。

    そんな時、向こうから、アンジェラがうれしそうに到着した!
    私たちは抱き合って、今日の歩きを讃えあった。
    その夜はバルに行き、簡単な食事をしたが、ここにもみんながいた。
    チロル地方から来たオーストリア勢は、あちこちでヨーデルを披露
    してくれたし、おしゃべりのイタリア人のアルベルトも話しかけてきた。
    スペイン、マラガ出身の4人組(サンジャンのアルベルゲから一緒)
    もここに泊まっている。
    その一人アドリアーノは、来年は日本を一周したいからと言い、
    ペドロは、禅に興味があると言って、分厚い本を見せてくれた。
    また、彼は数年前に起こした事故の後遺症が出て、膝がいたいと、
    びっこをひいていた。

    まだ歩き出して丸二日。なのにもうすっかり仲間意識が芽生えはじめ
    ていた。
    今、自分の日記を見て、こんな早くから私たちはしっかりとした絆で
    結ばれていたことにあらためて驚く。
    ララソアーニャのアルベルゲのホスピタレーロのサンティアゴさんは、
    日本人びいきで、私たちに二人部屋を当てがってくれ、過去の日本人
    の宿泊客から送られた手紙をごっそり持って、見せてくれた。

  • ←パンプローナの市庁舎。<br /><br />7月22日   CIZUR MENORまで(パンプロ−ナ経由) (19,8km)<br /><br />翌日はサンティアゴさんに見送られて出発。<br />今日は朝食を10km先の村までオアズケして、歩いていく。<br />途中、スニッカ−ズタイムを取るグリちゃん(グリちゃんは燃料が<br />切れると歩けない)より一足先に歩き出す。<br />その道はギリシャの島で歩いたような、輝くような緑の多い素敵な<br />道だった。<br /><br />歩いていくと、水飲み場にペドロが一人でリンゴをかじりながら<br />休憩をとっていた。<br />私も水をボトルに満たしていると、リンゴを差し出してくれた。<br />遠慮なくいただき、私もほおばった。朝ご飯抜きだったからあり<br />がたい!<br />そこからはペドロと話しながら歩いた。<br /><br />彼の話では、もともと4人組だったのではなく、ペドロは他の3<br />人と、パンプロ−ナで会い、気が合って一緒に歩くことにしたの<br />だと言う。<br />したがって、他の3人は学生だが、ペドロはエンジニアであり、<br />来年は会社から出資してもらい、大学に戻りmasterを取りたい<br />ということだった。<br />ペドロは次の週の金曜にはブルゴスに着き、そこから帰らねば<br />ならないと言う。<br />昨日から膝が痛いと言っている。それは数年前のピザの宅配の<br />バイトをしている時のバイクの事故の後遺症だそうだ。<br />ピザの配達は時間との戦いである。時間が遅れたら、バイト代が<br />安くなる。<br />そんな時、車と接触したそうで、その時バイクごと倒れたが、<br />まず心配だったのは自分の体ではなく、ピザだったそうだ。<br />ピザの無事を確認して、そのまま配達して、後で病院に行ったそ<br />うだ。<br />ペドロと歩いていると、ゆっくりなのは怪我の後遺症のためばか<br />りではない。<br />すれ違う人と、必ず立ち話が始まるのだ。<br />ランニング姿で走る地元のおじさんたちには後ろから<br />『リュックを持って走ってごらん!』<br />と、声をかけ、犬の散歩をしている人と立ち止まってゆっくり話す。<br />ペドロはロンダ出身で、NYに住んでいる兄を訪ねて5月に遊びに<br />行ったが、アメリカ人の考え方は好きではないという。<br />別の場所だが、アメリカの大統領に抗議する文字が道にペイント<br />されていることもあった。<br /><br />バルに入り、軽い食事を取る。ここからパンプロ−ナに入っ<br />て行くのだが、私もグリちゃんも、もったいない事だが、観光する<br />気をなくしていた。<br />ここは、サン・フェルミンという牛追い祭りが有名な場所だ。<br />しかし、今日の目的地、パンプロ−ナの一つ先の村に早く行きたか<br />った。<br />街の中にはたくさんの人の顔写真が並べられたポスターが貼られて<br />いる。<br />エタのテロ(バスク独立)で亡くなった人たちだ。<br />巡礼では、いろいろな地域を通る。そこには問題を抱えた地域も多<br />い。<br />そんな側面をまのあたりにしながらも、足は進んで行く。<br />別の仲間も加わって、話をしながら歩いていると、ペドロはその時<br />を境に、もう会えなくなってしまった。<br />たぶん私たちより先の村へ急いだのであろう。

    ←パンプローナの市庁舎。

    7月22日   CIZUR MENORまで(パンプロ−ナ経由) (19,8km)

    翌日はサンティアゴさんに見送られて出発。
    今日は朝食を10km先の村までオアズケして、歩いていく。
    途中、スニッカ−ズタイムを取るグリちゃん(グリちゃんは燃料が
    切れると歩けない)より一足先に歩き出す。
    その道はギリシャの島で歩いたような、輝くような緑の多い素敵な
    道だった。

    歩いていくと、水飲み場にペドロが一人でリンゴをかじりながら
    休憩をとっていた。
    私も水をボトルに満たしていると、リンゴを差し出してくれた。
    遠慮なくいただき、私もほおばった。朝ご飯抜きだったからあり
    がたい!
    そこからはペドロと話しながら歩いた。

    彼の話では、もともと4人組だったのではなく、ペドロは他の3
    人と、パンプロ−ナで会い、気が合って一緒に歩くことにしたの
    だと言う。
    したがって、他の3人は学生だが、ペドロはエンジニアであり、
    来年は会社から出資してもらい、大学に戻りmasterを取りたい
    ということだった。
    ペドロは次の週の金曜にはブルゴスに着き、そこから帰らねば
    ならないと言う。
    昨日から膝が痛いと言っている。それは数年前のピザの宅配の
    バイトをしている時のバイクの事故の後遺症だそうだ。
    ピザの配達は時間との戦いである。時間が遅れたら、バイト代が
    安くなる。
    そんな時、車と接触したそうで、その時バイクごと倒れたが、
    まず心配だったのは自分の体ではなく、ピザだったそうだ。
    ピザの無事を確認して、そのまま配達して、後で病院に行ったそ
    うだ。
    ペドロと歩いていると、ゆっくりなのは怪我の後遺症のためばか
    りではない。
    すれ違う人と、必ず立ち話が始まるのだ。
    ランニング姿で走る地元のおじさんたちには後ろから
    『リュックを持って走ってごらん!』
    と、声をかけ、犬の散歩をしている人と立ち止まってゆっくり話す。
    ペドロはロンダ出身で、NYに住んでいる兄を訪ねて5月に遊びに
    行ったが、アメリカ人の考え方は好きではないという。
    別の場所だが、アメリカの大統領に抗議する文字が道にペイント
    されていることもあった。

    バルに入り、軽い食事を取る。ここからパンプロ−ナに入っ
    て行くのだが、私もグリちゃんも、もったいない事だが、観光する
    気をなくしていた。
    ここは、サン・フェルミンという牛追い祭りが有名な場所だ。
    しかし、今日の目的地、パンプロ−ナの一つ先の村に早く行きたか
    った。
    街の中にはたくさんの人の顔写真が並べられたポスターが貼られて
    いる。
    エタのテロ(バスク独立)で亡くなった人たちだ。
    巡礼では、いろいろな地域を通る。そこには問題を抱えた地域も多
    い。
    そんな側面をまのあたりにしながらも、足は進んで行く。
    別の仲間も加わって、話をしながら歩いていると、ペドロはその時
    を境に、もう会えなくなってしまった。
    たぶん私たちより先の村へ急いだのであろう。

  • ペドロが水飲み場で。

    ペドロが水飲み場で。

  • 今日の宿はシズル・メノル。小さな村のアルベルゲだ。<br />ここは、カルロマグノとモーロ人の戦いの地であった。<br />入り口の向かい側には小さな教会があり(ロマネスクの遺構)、<br />そこに高校生たちが寝とまりするらしく、アルベルゲのキッチンでは<br />その子達のための食事が作られていた。<br />この日もこの村に着く前の4〜5kmがとても暑く、シャワーが気持<br />ちの良いものだった。<br /><br />外でマッサージをしていると、オーストリア人のアレックスが話しか<br />けてきた。初めて会ったのかと思ったら、私たちと同じ列車でサン<br />ジャンまで来たと言う。<br />向こうは私たちのことを覚えていてくれたらしい。<br />結局彼とは最後のサンティアゴまで、一緒の事が多かった。<br /><br />アドレア−ノは英語が得意で、日本語の勉強もしたことがある。<br />日本に興味があり、ジャーナリズムを専攻し、美術に興味を持っている。<br />いや、彼はすべてにおいて好奇心が強く、いつも目が輝いているような、<br />生命力に溢れた青年だった。<br />彼はいつも私たちにインフォメーションを伝えてくれる。お陰で情報<br />が入り助かった。<br />アドレア−ノがベッドに一人座って、何か縫い物をしている。<br />「何をしているの?」<br />と尋ねると、鈴を付けていると言う。<br />すでに4つ目の鈴をつけていた。それは日本の鈴によく似たものだった。<br />これを、その町に着く度に買って付け足していくのだという。<br />「一緒に歩く仲間から、音がうるさいって苦情がでなければいいんだけど<br />・・・。」<br />と、言いながら。<br />そして、わたしにその鈴の一つを記念にと言ってプレゼントしてくれた。<br />私はその小さな鈴を握りしめながら、アドレア−ノの何に対してもひた<br />むきで積極的な生き方を、心から応援したいと思った。<br />そこへ、さっき紹介されたセビリアから来た、パキとその弟アンヘルが<br />アドリア−ノと話をするために、控えめに私に気づかいながら、となり<br />にいるのを見つけ、私は遠慮しようとすると、アドレアーノがまた情報<br />をくれた。6時にミサがあると言う。<br /><br />ミサの前に、グリちゃんを誘ってビールを飲みに外へ出た。<br />グリちゃんと乾杯し、村のおじいちゃんばかりが集まるようなバルで<br />一時を過ごす。<br />本当は食事がしたかったのだが、たいていのところは7時、もしくは<br />8時からと言われ、ポテトチップくらいしかつまみはなかった。<br />6時に教会へ戻ると、そこには地元の女性らしき人と、アドレア−ノが<br />話をしていた。<br />私たちはしばらくそこに座ってミサが始まるのを待ったが、結局その<br />日は何も始まらなかった。<br />また、眠れぬ夜を過ごしていた私は、カタコトのスペイン語を駆使し<br />て買った睡眠薬の使用方法をアドレア−ノに読んでもらうと、彼は、<br />1日1〜2錠飲むことを教えてくれ、<br />「もしかしたら、僕達の立てる物音のせいで眠れないの?」<br />と聞くので、とんでもないと答える。彼等は最初から、いつも他人に<br />気をつかってくれていたのだ。<br />誰のせいでもないのだ。たぶん体は疲れていても、気が昂って眠れない<br />だけなのだ。<br /><br />ふたたびグリ ちゃんと、レストランに行く。勘で注文した料理は、<br />どれもおいしくて大満足。<br />考えてみれば、この日まで食事らしい食事をしていなかったのだ。

    今日の宿はシズル・メノル。小さな村のアルベルゲだ。
    ここは、カルロマグノとモーロ人の戦いの地であった。
    入り口の向かい側には小さな教会があり(ロマネスクの遺構)、
    そこに高校生たちが寝とまりするらしく、アルベルゲのキッチンでは
    その子達のための食事が作られていた。
    この日もこの村に着く前の4〜5kmがとても暑く、シャワーが気持
    ちの良いものだった。

    外でマッサージをしていると、オーストリア人のアレックスが話しか
    けてきた。初めて会ったのかと思ったら、私たちと同じ列車でサン
    ジャンまで来たと言う。
    向こうは私たちのことを覚えていてくれたらしい。
    結局彼とは最後のサンティアゴまで、一緒の事が多かった。

    アドレア−ノは英語が得意で、日本語の勉強もしたことがある。
    日本に興味があり、ジャーナリズムを専攻し、美術に興味を持っている。
    いや、彼はすべてにおいて好奇心が強く、いつも目が輝いているような、
    生命力に溢れた青年だった。
    彼はいつも私たちにインフォメーションを伝えてくれる。お陰で情報
    が入り助かった。
    アドレア−ノがベッドに一人座って、何か縫い物をしている。
    「何をしているの?」
    と尋ねると、鈴を付けていると言う。
    すでに4つ目の鈴をつけていた。それは日本の鈴によく似たものだった。
    これを、その町に着く度に買って付け足していくのだという。
    「一緒に歩く仲間から、音がうるさいって苦情がでなければいいんだけど
    ・・・。」
    と、言いながら。
    そして、わたしにその鈴の一つを記念にと言ってプレゼントしてくれた。
    私はその小さな鈴を握りしめながら、アドレア−ノの何に対してもひた
    むきで積極的な生き方を、心から応援したいと思った。
    そこへ、さっき紹介されたセビリアから来た、パキとその弟アンヘルが
    アドリア−ノと話をするために、控えめに私に気づかいながら、となり
    にいるのを見つけ、私は遠慮しようとすると、アドレアーノがまた情報
    をくれた。6時にミサがあると言う。

    ミサの前に、グリちゃんを誘ってビールを飲みに外へ出た。
    グリちゃんと乾杯し、村のおじいちゃんばかりが集まるようなバルで
    一時を過ごす。
    本当は食事がしたかったのだが、たいていのところは7時、もしくは
    8時からと言われ、ポテトチップくらいしかつまみはなかった。
    6時に教会へ戻ると、そこには地元の女性らしき人と、アドレア−ノが
    話をしていた。
    私たちはしばらくそこに座ってミサが始まるのを待ったが、結局その
    日は何も始まらなかった。
    また、眠れぬ夜を過ごしていた私は、カタコトのスペイン語を駆使し
    て買った睡眠薬の使用方法をアドレア−ノに読んでもらうと、彼は、
    1日1〜2錠飲むことを教えてくれ、
    「もしかしたら、僕達の立てる物音のせいで眠れないの?」
    と聞くので、とんでもないと答える。彼等は最初から、いつも他人に
    気をつかってくれていたのだ。
    誰のせいでもないのだ。たぶん体は疲れていても、気が昂って眠れない
    だけなのだ。

    ふたたびグリ ちゃんと、レストランに行く。勘で注文した料理は、
    どれもおいしくて大満足。
    考えてみれば、この日まで食事らしい食事をしていなかったのだ。

  • 7月23日  PUENTE LA REINAへ  (18,9km)<br /><br />今日は早く出る。木がないような道を延々と歩く予定なので、早めに<br />出発した方がいいということだった。<br />村を出るまでは、明かりが少しあり、歩いていくと、マラガ3人組(<br />元4人組)の二人キケとアビルに追い付いた。キケの足の具合が悪いら<br />しい。かなりゆっくりであった。<br />私も前日に大きな石に左足の親指を思いきりぶつけたせいか、少々痛む。<br />この日はペルドンの丘まで一気に登る。丘の上にはモニュメントがあり、<br />ちょうど日本人撮影隊が、5分間番組を撮影していた。<br />寒いのだが、登ってきて喉が渇いていたので、オレンジジュースを飲む。<br />キケ以外の仲間もそこにいて、かなり遅れてキケが着いた時には、休憩も<br />終わり、一気に下りになった。<br />私は足の悪いキケと一緒に話をしながら歩いた。<br />下りは親指が靴に当たり、かなり痛みを伴った。キケと同じスピードを<br />合わせているので、よけいに辛い。<br />キケは一見どこにでもいる学生のように見えるが、かなり身なりも中身も<br />オールド・ファッションの、骨のある男だった。<br />肩から昔風の羊の皮で出来た(胃袋をかたどった)水筒をぶら下げ、<br />中身も要領の悪い、素朴な青年なのだ。<br /><br />やっと丘を下り、グリちゃんも一緒に歩き出す。今日の目的地、プエンテ・<br />ラ・レイナまであと一つ村を越せばいい。その時、私たちは飲み物を<br />買いに小さな店に立ち寄った。<br />キケの足取りは、増々重く、見るからに不憫だった。<br />なのに!キケはその店で、重いバナナを4本、大きなチョコレートを一<br />枚買った。<br />買った食料を指し、これが僕の命を救うと言いながら、先にレジを済ま<br />せたキケが、外で大きな物音を立てている。<br />どうやらバランスを崩して転けたらしい。<br />バナナとチョコをぶら下げたキケの後ろ姿は、もう不憫さを通り越して、<br />滑稽でしかなく、私はその姿を見て、涙が出る程笑ってしまい、歩行困<br />難に陥って困ったものだった。<br /><br />

    7月23日  PUENTE LA REINAへ  (18,9km)

    今日は早く出る。木がないような道を延々と歩く予定なので、早めに
    出発した方がいいということだった。
    村を出るまでは、明かりが少しあり、歩いていくと、マラガ3人組(
    元4人組)の二人キケとアビルに追い付いた。キケの足の具合が悪いら
    しい。かなりゆっくりであった。
    私も前日に大きな石に左足の親指を思いきりぶつけたせいか、少々痛む。
    この日はペルドンの丘まで一気に登る。丘の上にはモニュメントがあり、
    ちょうど日本人撮影隊が、5分間番組を撮影していた。
    寒いのだが、登ってきて喉が渇いていたので、オレンジジュースを飲む。
    キケ以外の仲間もそこにいて、かなり遅れてキケが着いた時には、休憩も
    終わり、一気に下りになった。
    私は足の悪いキケと一緒に話をしながら歩いた。
    下りは親指が靴に当たり、かなり痛みを伴った。キケと同じスピードを
    合わせているので、よけいに辛い。
    キケは一見どこにでもいる学生のように見えるが、かなり身なりも中身も
    オールド・ファッションの、骨のある男だった。
    肩から昔風の羊の皮で出来た(胃袋をかたどった)水筒をぶら下げ、
    中身も要領の悪い、素朴な青年なのだ。

    やっと丘を下り、グリちゃんも一緒に歩き出す。今日の目的地、プエンテ・
    ラ・レイナまであと一つ村を越せばいい。その時、私たちは飲み物を
    買いに小さな店に立ち寄った。
    キケの足取りは、増々重く、見るからに不憫だった。
    なのに!キケはその店で、重いバナナを4本、大きなチョコレートを一
    枚買った。
    買った食料を指し、これが僕の命を救うと言いながら、先にレジを済ま
    せたキケが、外で大きな物音を立てている。
    どうやらバランスを崩して転けたらしい。
    バナナとチョコをぶら下げたキケの後ろ姿は、もう不憫さを通り越して、
    滑稽でしかなく、私はその姿を見て、涙が出る程笑ってしまい、歩行困
    難に陥って困ったものだった。

  • バナナを持ち、びっこをひきながら歩くキケの後ろ姿には哀愁が・・・。

    バナナを持ち、びっこをひきながら歩くキケの後ろ姿には哀愁が・・・。

  • キケはマラガの大学生ですが、オールド・ファッションな巡礼者でした。

    キケはマラガの大学生ですが、オールド・ファッションな巡礼者でした。

  • ←王妃の橋、プエンテ・ラ・レイナ。<br /><br /><br /><br />プエンテ・ラ・レイナは、この街で別々のルートが一つになる地点だ。<br />名前の通りアルガ川にかかる王妃の橋は、ナバーラ王妃(ドニヤ <br />エステファニア)が巡礼者のために造った美しい橋のある町なのだ。<br />町の入り口にあったアルベルゲにチェック・インする。仲間のほとんど<br />がここにいる。<br />私は足の親指が気になってしかたない。爪と指の間が腫れているのだ。<br />まだこれから距離があるので、早いうちに医者にみてもらうことに決めた。<br /><br />ホスピタレーロに病院への行き方を、教えてもらい行ってみた。<br />橋のたもとにある公営病院の受け付けで言われたことは、専門の医師は<br />今いないということで、紙切れを渡された。そこには112という電話<br />番号。三時にそこに電話しろと言う。<br />112って救急番号?<br />この人もスペイン語しか話さないし、112に電話しても顔が見えなく<br />ては意思疎通は絶望的である。<br />今日は無理かな・・・と思いつつ、一応承諾して病院を出ると、そこへ<br />パキ、アンへル、後ろの方からアドレア−ノが来るのが見える。<br />アドレア−ノは頼れる存在だが、一番手前に現れたパキに、わらをもす<br />がる思いで、このことを告げると、3時に電話をしてくれ、一緒に病院<br />にもつきあって通訳してくれると言う。パキも英語が少し喋れるのだ。<br />私はパキのこの迷わず応えた即答の、親切な内容に信じられない気さ<br />えした。<br />なんて天使のような人なんだろう。<br /><br />3時にアルベルゲで会う約束をしたので、パキのいる部屋へ行ってみ<br />ると、すぐに電話をかけてくれ、先程の病院に行くことになった。<br />キケも一緒に行くと言う。キケの英語はカタコトだが、キケが行くなら<br />パキはついて来なくてもいいのかと思ったが、キケもすっかり弱ってい<br />て頼りない。<br />キケは、病院までの道のり、缶ビールを飲みながら、ゆっくり足をひき<br />ずった格好でやって来た。<br />パキは、きっと痛くてお酒で気を紛らわしているのよと笑っている。<br />パキの弟アンヘルは公園へ行き、私たち3人は病院の待ち合い室に行<br />った。<br />パキは、まじめで大人しい印象だった。まだ知り合って間もないし、<br />アドレア−ノから紹介されただけで、話もしたことがなかったのに、<br />時間を割いてつきあってくれる。<br />どうやってお礼をしたら良いのだろうか・・・・。<br /><br />スペインの病院のこと、診察が始まったのは5時だった。<br />親指の爪と指の間に出来ている肉刺は、指の上側にあった別の肉刺<br />と繋がっているということで、上側の肉刺だけ水を抜いて消毒して<br />くれた。<br />あとはこのままにした方がいいと言われた。<br />私は何か毒でも入ったのではないかと怖れていたので、ここに来て、<br />診察してもらっただけで、ものすごい安堵感があった。<br />私は心からパキに感謝をした。私の後で診察をしたキケは、さらに<br />ひどい状態になって、診察室から出てきた。<br />公営病院では医療費は無料ということだった。<br />この日、肉刺をスペイン語で、『アンポイヤ』ということを知った。<br /><br />グリちゃんがl約束の時間に病院に現れ、二人でインターネットカフ<br />ェに行く。<br />なかなかネットは繋がらなかったが、おかげでグルジャンという、<br />見かけは日本人そっくりの、カザフスタンの女性と話をした。<br />この旅で、一番英語が通じる相手を得て話がはずんだ。<br />彼女の故郷の話、現在の仕事の話…彼女は国の奨学金を得て、マヨ<br />ルカ島に留学、卒業後マヨルカ島の空港に勤務しているということ<br />だった。<br />今回は3日ほど歩いてまた9月の休みに続きを歩くそうだ。<br />お互いを写真撮影しメールアドレスの交換をして別れる。<br />

    ←王妃の橋、プエンテ・ラ・レイナ。



    プエンテ・ラ・レイナは、この街で別々のルートが一つになる地点だ。
    名前の通りアルガ川にかかる王妃の橋は、ナバーラ王妃(ドニヤ 
    エステファニア)が巡礼者のために造った美しい橋のある町なのだ。
    町の入り口にあったアルベルゲにチェック・インする。仲間のほとんど
    がここにいる。
    私は足の親指が気になってしかたない。爪と指の間が腫れているのだ。
    まだこれから距離があるので、早いうちに医者にみてもらうことに決めた。

    ホスピタレーロに病院への行き方を、教えてもらい行ってみた。
    橋のたもとにある公営病院の受け付けで言われたことは、専門の医師は
    今いないということで、紙切れを渡された。そこには112という電話
    番号。三時にそこに電話しろと言う。
    112って救急番号?
    この人もスペイン語しか話さないし、112に電話しても顔が見えなく
    ては意思疎通は絶望的である。
    今日は無理かな・・・と思いつつ、一応承諾して病院を出ると、そこへ
    パキ、アンへル、後ろの方からアドレア−ノが来るのが見える。
    アドレア−ノは頼れる存在だが、一番手前に現れたパキに、わらをもす
    がる思いで、このことを告げると、3時に電話をしてくれ、一緒に病院
    にもつきあって通訳してくれると言う。パキも英語が少し喋れるのだ。
    私はパキのこの迷わず応えた即答の、親切な内容に信じられない気さ
    えした。
    なんて天使のような人なんだろう。

    3時にアルベルゲで会う約束をしたので、パキのいる部屋へ行ってみ
    ると、すぐに電話をかけてくれ、先程の病院に行くことになった。
    キケも一緒に行くと言う。キケの英語はカタコトだが、キケが行くなら
    パキはついて来なくてもいいのかと思ったが、キケもすっかり弱ってい
    て頼りない。
    キケは、病院までの道のり、缶ビールを飲みながら、ゆっくり足をひき
    ずった格好でやって来た。
    パキは、きっと痛くてお酒で気を紛らわしているのよと笑っている。
    パキの弟アンヘルは公園へ行き、私たち3人は病院の待ち合い室に行
    った。
    パキは、まじめで大人しい印象だった。まだ知り合って間もないし、
    アドレア−ノから紹介されただけで、話もしたことがなかったのに、
    時間を割いてつきあってくれる。
    どうやってお礼をしたら良いのだろうか・・・・。

    スペインの病院のこと、診察が始まったのは5時だった。
    親指の爪と指の間に出来ている肉刺は、指の上側にあった別の肉刺
    と繋がっているということで、上側の肉刺だけ水を抜いて消毒して
    くれた。
    あとはこのままにした方がいいと言われた。
    私は何か毒でも入ったのではないかと怖れていたので、ここに来て、
    診察してもらっただけで、ものすごい安堵感があった。
    私は心からパキに感謝をした。私の後で診察をしたキケは、さらに
    ひどい状態になって、診察室から出てきた。
    公営病院では医療費は無料ということだった。
    この日、肉刺をスペイン語で、『アンポイヤ』ということを知った。

    グリちゃんがl約束の時間に病院に現れ、二人でインターネットカフ
    ェに行く。
    なかなかネットは繋がらなかったが、おかげでグルジャンという、
    見かけは日本人そっくりの、カザフスタンの女性と話をした。
    この旅で、一番英語が通じる相手を得て話がはずんだ。
    彼女の故郷の話、現在の仕事の話…彼女は国の奨学金を得て、マヨ
    ルカ島に留学、卒業後マヨルカ島の空港に勤務しているということ
    だった。
    今回は3日ほど歩いてまた9月の休みに続きを歩くそうだ。
    お互いを写真撮影しメールアドレスの交換をして別れる。

  • まだ暗いうちに出発する。

    まだ暗いうちに出発する。

  • アルゲルベに戻ると、アンジェラも来てうれしい再会をする。<br />彼女はパンプロ−ナに泊まったので、昨日は会えなかったのだ。<br />グルジャンは、ジャガイモ、インゲン、人参を茹でた簡単な<br />食事を作っていた。<br />それを庭にいた私にも分けてくれる。野菜の味がしっかりして<br />おいしい!<br />そして、今日はアドリア−ノ達が、1〜2ユーロのお金を集めて<br />食事を作るから、<br />一緒に食べないかということだった。<br />そのパーティーが始まったのは、9時半過ぎだった。パスタ、<br />サラダ、チーズや スイカがテーブルに並んだ。<br />ここに集まったメンバーは、アドリア−ノが声をかけた人たち<br />だったが、途中で帰ったメンバーはいても、ずっと最後まで<br />仲間となった人たちばかりだった。<br />その中には、結婚して今日が一週間目の新婚カップルのラウラ<br />とミッチェルもいた。<br /><br />10時15分前になると、ホスピタレーロが盛り上がった食卓に<br />やって来て、あと15分でお開きにしてくれと言う。<br />10時が就寝と決まっているのだから仕方がない。<br />私たちは手早く写真を写し、片づけを済まし、名残惜しいまま<br />その席を後にした。<br />

    アルゲルベに戻ると、アンジェラも来てうれしい再会をする。
    彼女はパンプロ−ナに泊まったので、昨日は会えなかったのだ。
    グルジャンは、ジャガイモ、インゲン、人参を茹でた簡単な
    食事を作っていた。
    それを庭にいた私にも分けてくれる。野菜の味がしっかりして
    おいしい!
    そして、今日はアドリア−ノ達が、1〜2ユーロのお金を集めて
    食事を作るから、
    一緒に食べないかということだった。
    そのパーティーが始まったのは、9時半過ぎだった。パスタ、
    サラダ、チーズや スイカがテーブルに並んだ。
    ここに集まったメンバーは、アドリア−ノが声をかけた人たち
    だったが、途中で帰ったメンバーはいても、ずっと最後まで
    仲間となった人たちばかりだった。
    その中には、結婚して今日が一週間目の新婚カップルのラウラ
    とミッチェルもいた。

    10時15分前になると、ホスピタレーロが盛り上がった食卓に
    やって来て、あと15分でお開きにしてくれと言う。
    10時が就寝と決まっているのだから仕方がない。
    私たちは手早く写真を写し、片づけを済まし、名残惜しいまま
    その席を後にした。

  • 7月24日  ESTELLAへ   (22,1km)<br /><br />今日も暗いうちに出発。<br />私はしっかり靴の紐を締め、万全の準備で出発するため、Gちゃん<br />は一足先に出て行った。<br />今日の道は明かりもなく、かなり心細い。途中左に川が流れていて、<br />そのそばに何かの気配を感じた。何かわからないが、身が凍りつく<br />ような、鳥肌がたつような、無気味な寒気を感じた。私は天国へ行<br />ってしまった人たちの名前を呼んだ。助けて!と、心の中で叫んだ。<br />すると、その先に小さな明かりがチラチラ見えてきた。巡礼仲間が<br />近くにいるのだ。<br />さらに近づくと、パキ、アンヘル、キケ、アビルだった。<br />キケも復活したようだった。<br />彼等は少し先を歩き、道が二股に別れるところは、私を待っていて<br />くれる。<br />しばらく行くと、朝日が昇り、薄明るくなってきた。ふと頭を上げ<br />ると、丘の上で光りが大きく揺れている。パキたちが、わかりにく<br />い道を、私に示してくれているのだった。<br />私は、了解!と、大きく手を振ると、彼等は安心したように、丘の<br />向こうに消えていった。その頃にはすっかり明るくなっていた。<br /><br />今日はのんびりマイペースで、肉刺ができないように、途中の休憩<br />場では靴を脱いで、足を乾かそうと思っている。<br />一つ目の小さな村で飲み物や果物を買い、ベンチで休んでいると、<br />中年の女性が荷物を見ていてくれと言う。<br />彼女は買い物をたくさんして戻ってきて、大きなボトルに入った<br />水を半分、持ちきれないからと言って、分けてくれた。<br />エステーリャまでの道は遠かった。<br />まだ親指が痛むには変わりはない。肉刺をかばうので、右足も筋<br />肉痛になる。<br />町の入り口に辿り着くと、グリちゃんが待っていてくれた。<br />そこにあった自販機のジュースを飲み干して、アルベルゲに向かう。<br />ベッドは隣の人とくっついていた。その隣にいたのは、フランス人<br />家族のお母さんだった。お母さんは、厳しい顔をして子供達を常に<br />見守っていた。<br />2日くらい前から、たびたび道で会っていたのだが、挨拶をしてく<br />れなかった。<br />子供達3人を連れ、数日間だけカミ−ノを歩いているのだった。<br />私は、隣になったのを機に、話しかけてみた。すると、顔見知り<br />だったためか、<br />話してみると、やさしい人で、16歳、13歳の娘と11歳の息子の<br />計4人で歩いていると言う。<br />どの子も美しいので、褒めると、娘たちは顔を赤らめ、母親は、<br />どんな人でも皆美しいと答えた。その後も度々この家族に会ったが、<br />すっかり仲良くなれた。<br /><br />外に出ると、アルベルゲの隣で、巡礼者用のマッサージをやって<br />いた。<br />私もグリちゃんも、中国式のマッサージを受けた。<br />私を担当してくれたのは、ベルギー人の大きな男性で、彼もかつ<br />て巡礼路を歩いたボランティアだと言うことだった。<br />赤いハーブが入ったオイルを塗り、翡翠(玉かな?)のような<br />小手でマッサージする。<br />効き目がなさそうに見えるが、この日を堺に私の筋肉痛は消え<br />ていった。

    7月24日  ESTELLAへ (22,1km)

    今日も暗いうちに出発。
    私はしっかり靴の紐を締め、万全の準備で出発するため、Gちゃん
    は一足先に出て行った。
    今日の道は明かりもなく、かなり心細い。途中左に川が流れていて、
    そのそばに何かの気配を感じた。何かわからないが、身が凍りつく
    ような、鳥肌がたつような、無気味な寒気を感じた。私は天国へ行
    ってしまった人たちの名前を呼んだ。助けて!と、心の中で叫んだ。
    すると、その先に小さな明かりがチラチラ見えてきた。巡礼仲間が
    近くにいるのだ。
    さらに近づくと、パキ、アンヘル、キケ、アビルだった。
    キケも復活したようだった。
    彼等は少し先を歩き、道が二股に別れるところは、私を待っていて
    くれる。
    しばらく行くと、朝日が昇り、薄明るくなってきた。ふと頭を上げ
    ると、丘の上で光りが大きく揺れている。パキたちが、わかりにく
    い道を、私に示してくれているのだった。
    私は、了解!と、大きく手を振ると、彼等は安心したように、丘の
    向こうに消えていった。その頃にはすっかり明るくなっていた。

    今日はのんびりマイペースで、肉刺ができないように、途中の休憩
    場では靴を脱いで、足を乾かそうと思っている。
    一つ目の小さな村で飲み物や果物を買い、ベンチで休んでいると、
    中年の女性が荷物を見ていてくれと言う。
    彼女は買い物をたくさんして戻ってきて、大きなボトルに入った
    水を半分、持ちきれないからと言って、分けてくれた。
    エステーリャまでの道は遠かった。
    まだ親指が痛むには変わりはない。肉刺をかばうので、右足も筋
    肉痛になる。
    町の入り口に辿り着くと、グリちゃんが待っていてくれた。
    そこにあった自販機のジュースを飲み干して、アルベルゲに向かう。
    ベッドは隣の人とくっついていた。その隣にいたのは、フランス人
    家族のお母さんだった。お母さんは、厳しい顔をして子供達を常に
    見守っていた。
    2日くらい前から、たびたび道で会っていたのだが、挨拶をしてく
    れなかった。
    子供達3人を連れ、数日間だけカミ−ノを歩いているのだった。
    私は、隣になったのを機に、話しかけてみた。すると、顔見知り
    だったためか、
    話してみると、やさしい人で、16歳、13歳の娘と11歳の息子の
    計4人で歩いていると言う。
    どの子も美しいので、褒めると、娘たちは顔を赤らめ、母親は、
    どんな人でも皆美しいと答えた。その後も度々この家族に会ったが、
    すっかり仲良くなれた。

    外に出ると、アルベルゲの隣で、巡礼者用のマッサージをやって
    いた。
    私もグリちゃんも、中国式のマッサージを受けた。
    私を担当してくれたのは、ベルギー人の大きな男性で、彼もかつ
    て巡礼路を歩いたボランティアだと言うことだった。
    赤いハーブが入ったオイルを塗り、翡翠(玉かな?)のような
    小手でマッサージする。
    効き目がなさそうに見えるが、この日を堺に私の筋肉痛は消え
    ていった。

  • ←蛇口をひねるとワインが!<br /><br />7月25日  LOS ARCOSへ     (21,3km)<br /><br />夜中の2時に珍しく起きてトイレに行った。何故2時と覚えてい<br />るかと言えば、その時私と同じように、ぼ〜っと,そこにいた人<br />に時間を聞かれたからだ。<br />そしてまた朝、同じ人に同じ場所で会った。<br />どちらの時も、その人は下着姿であったので、その後で声をか<br />けられるまで、誰だかよくわからなかったのだが、その人は<br />オーストリア人のヤスミンで、21歳、大学で音楽療養士の<br />勉強をしているという。<br />一緒に歩きながら、後ろを振りかえって、朝焼けで美しく染め<br />あがった空を見つけたのは、彼女だった。<br />とてものんびりやで、マイペースな女性だったが、そんな何<br />気ない美しい風景を見つけるのが得意だった。<br /><br />アルベルゲを出て2Km地点に有名なワイン工場があった。<br />そこは巡礼者に無料でワインを飲ませてくれるのだ。<br />水道の蛇口をひねるとワインが出てくるなんて、たまらない<br />企画だ。<br />しかし、早朝のこと、ワインは一滴も出ない状態だった。<br />みんな残念そうにそこで写真だけ撮ってあきらめて歩き始め<br />るのだが、アドリア−ノはそこに座り込み、9時にオープン<br />するまでここで待つと言う。<br />まだ数時間あるというのに。<br />でも彼は、『ワインが飲みたいからじゃない、ここで蛇口を<br />ひねってワインを飲むのが夢だったんだ』<br />その気持ちは良くわかる。<br />

    ←蛇口をひねるとワインが!

    7月25日  LOS ARCOSへ (21,3km)

    夜中の2時に珍しく起きてトイレに行った。何故2時と覚えてい
    るかと言えば、その時私と同じように、ぼ〜っと,そこにいた人
    に時間を聞かれたからだ。
    そしてまた朝、同じ人に同じ場所で会った。
    どちらの時も、その人は下着姿であったので、その後で声をか
    けられるまで、誰だかよくわからなかったのだが、その人は
    オーストリア人のヤスミンで、21歳、大学で音楽療養士の
    勉強をしているという。
    一緒に歩きながら、後ろを振りかえって、朝焼けで美しく染め
    あがった空を見つけたのは、彼女だった。
    とてものんびりやで、マイペースな女性だったが、そんな何
    気ない美しい風景を見つけるのが得意だった。

    アルベルゲを出て2Km地点に有名なワイン工場があった。
    そこは巡礼者に無料でワインを飲ませてくれるのだ。
    水道の蛇口をひねるとワインが出てくるなんて、たまらない
    企画だ。
    しかし、早朝のこと、ワインは一滴も出ない状態だった。
    みんな残念そうにそこで写真だけ撮ってあきらめて歩き始め
    るのだが、アドリア−ノはそこに座り込み、9時にオープン
    するまでここで待つと言う。
    まだ数時間あるというのに。
    でも彼は、『ワインが飲みたいからじゃない、ここで蛇口を
    ひねってワインを飲むのが夢だったんだ』
    その気持ちは良くわかる。

  • ヤスミンは、その日4リットルの水を持っていた。<br />最初に着いた村で、誰かがスタンプを押してくれる場所がある<br />と言うのでついて行くと、個人のお宅でおじさんがスタンプを<br />押してくれた。<br />巡礼者はスタンプを押してもらうのが楽しみなのだ。<br />リュックを置いてきた広場に戻るとヤスミンも追い付いて、<br />持ってきた水の半分を捨てている。<br />スタンプのおじさんがそこへ来たので、この辺にトイレはない<br />か聞いてみた。<br />すると彼は、自分の家へ連れて行ってくれた。そして元の広場<br />まで送ってくれる<br />途中、貴方は巡礼をしているのか聞かれたので、そうだと答え<br />ると、じゃあ私についてきなさいと言う。言われるがままにつ<br />いていくと、ガレージの前に行き鍵をあけて電気をつけると、<br />そこにはたくさんの瓢箪がぶら下がっている。<br />おじさんは、棒を持ってきて、これがいいか?と聞く。私に<br />くれるの?<br />おじさんが指した瓢箪の形がとても美しかったので、一目で<br />気に入った。<br />そしてそれを持って、またリュックが置いてある広場に来<br />てくれ、私のリュックにしっかりとそれを結んでくれた。<br />とても幸せな気持ちになった。<br />

    ヤスミンは、その日4リットルの水を持っていた。
    最初に着いた村で、誰かがスタンプを押してくれる場所がある
    と言うのでついて行くと、個人のお宅でおじさんがスタンプを
    押してくれた。
    巡礼者はスタンプを押してもらうのが楽しみなのだ。
    リュックを置いてきた広場に戻るとヤスミンも追い付いて、
    持ってきた水の半分を捨てている。
    スタンプのおじさんがそこへ来たので、この辺にトイレはない
    か聞いてみた。
    すると彼は、自分の家へ連れて行ってくれた。そして元の広場
    まで送ってくれる
    途中、貴方は巡礼をしているのか聞かれたので、そうだと答え
    ると、じゃあ私についてきなさいと言う。言われるがままにつ
    いていくと、ガレージの前に行き鍵をあけて電気をつけると、
    そこにはたくさんの瓢箪がぶら下がっている。
    おじさんは、棒を持ってきて、これがいいか?と聞く。私に
    くれるの?
    おじさんが指した瓢箪の形がとても美しかったので、一目で
    気に入った。
    そしてそれを持って、またリュックが置いてある広場に来
    てくれ、私のリュックにしっかりとそれを結んでくれた。
    とても幸せな気持ちになった。

  • このガレージの中にひょうたんが・・・!ひょうたんをくれたおじさん。

    このガレージの中にひょうたんが・・・!ひょうたんをくれたおじさん。

  • しばらくまたヤスミンと歩いていたが、そのうちそれぞれの<br />ペースになり離れる。<br />歩いていると、美しいフランス人の女の子に会った。<br />私は必死でフランス語を思い出そうとしたが、スイッチはス<br />ペイン語に切り変わってしまうと、全くと言っていいほど<br />言葉が出てこない。<br />確かに元々フランス語は喋れないのだが、前年の旅行では、<br />少しは喋っていたはずなのに・・・。<br />彼女も全く英語もスペイン語も話さないから、お互い必死で<br />言葉をチャンポンして意志疎通を試みる。<br />そこでわかったことは、彼女は16歳で、3日間だけおばあ<br />ちゃんと一緒に歩いていると言う。<br />しばらくすると、元気なおばあちゃんが追い付いて来た!<br />ここには一人で来ている人もたくさんいるけど、兄弟、<br />家族連れも多い。<br />おばあちゃんと孫なんて、いい組み合わせだ。<br /><br />またしばらく行き、休んでいると、昨日アルベルゲに着く直前<br />に会った日本人・・・とは見えない日本人のおじさんが来て、<br />隣に座って休む。<br />おじさんは、仲間と岩登りに来て、時間があったので一人で<br />この道を昨日から歩きはじめたら、ハマってしまったと言う。<br />そんな話をしていたら、アドレア−ノの一団が手を振って通り<br />過ぎて行く。<br />「ワインは飲んだ?」<br />と聞くと、<br />「水筒に入れてきたから、後で冷やしてみんなで飲もうね!」<br />と言っていた。<br />

    しばらくまたヤスミンと歩いていたが、そのうちそれぞれの
    ペースになり離れる。
    歩いていると、美しいフランス人の女の子に会った。
    私は必死でフランス語を思い出そうとしたが、スイッチはス
    ペイン語に切り変わってしまうと、全くと言っていいほど
    言葉が出てこない。
    確かに元々フランス語は喋れないのだが、前年の旅行では、
    少しは喋っていたはずなのに・・・。
    彼女も全く英語もスペイン語も話さないから、お互い必死で
    言葉をチャンポンして意志疎通を試みる。
    そこでわかったことは、彼女は16歳で、3日間だけおばあ
    ちゃんと一緒に歩いていると言う。
    しばらくすると、元気なおばあちゃんが追い付いて来た!
    ここには一人で来ている人もたくさんいるけど、兄弟、
    家族連れも多い。
    おばあちゃんと孫なんて、いい組み合わせだ。

    またしばらく行き、休んでいると、昨日アルベルゲに着く直前
    に会った日本人・・・とは見えない日本人のおじさんが来て、
    隣に座って休む。
    おじさんは、仲間と岩登りに来て、時間があったので一人で
    この道を昨日から歩きはじめたら、ハマってしまったと言う。
    そんな話をしていたら、アドレア−ノの一団が手を振って通り
    過ぎて行く。
    「ワインは飲んだ?」
    と聞くと、
    「水筒に入れてきたから、後で冷やしてみんなで飲もうね!」
    と言っていた。

  • フランス人のおばあちゃんと、15歳の孫。

    フランス人のおばあちゃんと、15歳の孫。

  • ←ヤスミン。(オーストリア人)<br /><br />日本人のおじさんが一足先に出て、ヤスミンが追い付いてきた。<br />そして私も歩き出し、彼女が視界に入る範囲の場所にいた。<br />すると、急に彼女はこつ然と私の視界から消えた!<br />私は彼女が消えた場所に行ってみると、リュックだけが置いて<br />あるのが見えた。<br />そして、その下を流れる小川で顔を洗っている彼女を発見した。<br />私も真似て、靴を脱ぎ、足を水に浸した。冷たくて気持ちがいい!<br />ヤスミンは、ボトルを水に浸すと冷えるよと教えてくれた。<br />そこに覗き込んで来たのは、アドレア−ノご一行。彼等はニコ<br />ニコしながら<br />通り過ぎて行った。<br />すっかり生き返って気持ち良く歩き出す。<br />途中大きな干し藁の上で休んでいるアドレア−ノご一行をまた<br />追い抜かして、<br />楽しくロス・アルコスに着く。<br />

    ←ヤスミン。(オーストリア人)

    日本人のおじさんが一足先に出て、ヤスミンが追い付いてきた。
    そして私も歩き出し、彼女が視界に入る範囲の場所にいた。
    すると、急に彼女はこつ然と私の視界から消えた!
    私は彼女が消えた場所に行ってみると、リュックだけが置いて
    あるのが見えた。
    そして、その下を流れる小川で顔を洗っている彼女を発見した。
    私も真似て、靴を脱ぎ、足を水に浸した。冷たくて気持ちがいい!
    ヤスミンは、ボトルを水に浸すと冷えるよと教えてくれた。
    そこに覗き込んで来たのは、アドレア−ノご一行。彼等はニコ
    ニコしながら
    通り過ぎて行った。
    すっかり生き返って気持ち良く歩き出す。
    途中大きな干し藁の上で休んでいるアドレア−ノご一行をまた
    追い抜かして、
    楽しくロス・アルコスに着く。

  • 今日は7月25日、日曜日!今日こそがサンティアゴの日なのだ。<br />今日はこの庭でパエリアパーティーがあると言う。<br /><br />シャワーを浴びて、教会が見える場所でストレッチをしていると、<br />またあの日本人のおじさんが来て話こむ。<br />庭では大きなパエリア鍋に仕込まれたご馳走がぐつぐつと煮え<br />ている。<br />アルベルゲの部屋へ戻ると、今日はニ段ベッドの上段なのだが、<br />下の段の、<br />自転車で巡礼をしているおじさんは、やさしい人で、何かと声<br />をかけてくれる。<br />足の爪の事を言うと、彼の救急セットを出してくれ、これを使<br />いなさいと言ってくれる。<br />自転車で旅をしている人とは、どうしてもスピードが違うので、<br />まず二度と会うことはない。<br />一期一会の世界だ。<br /><br />7時になると、教会のミサに出席するため、パキたちと一緒に行く。<br />教会は1175年に出来たものだ。<br />教会ではミサの最後に隣の人、回りの人、知らない人と握手をする。<br />みんなやさしそうな笑顔。<br />そして巡礼者だけが残り、神父さまのお話を聞き、カードをもらう。<br />なぜか神父さまは、私に丁寧に『さよなら』と言ってくれる。<br />8時半からは、パイプオルガンのコンチェルト。テレビ局が取材に<br />くる程素晴らしいものだった。<br />私たちは、パエリアのために、一足早く教会を出る。<br />アルベルゲには町じゅうの人が集まっていた。<br />私たちも席につき、大盛りのパエリアが配られる。肉がたくさん<br />入っている。山のパエリアだ。<br />私はパキと、キケの話を肴に飲み、食べ、おおいに笑った。<br />最初は私たちは緊張していたのか、この頃になると、力を抜いてすっ<br />かり打ち解けることが出来た。<br />宴が盛り上がってくると、地元ののど自慢が歌い出し、巡礼者達も<br />歌いはじめた。<br />すると、私たち日本人にもお鉢が回ってきて、グリちゃんが、<br />『津軽海峡冬景色』<br />を歌おうと言い出した。私は同意して歌い出す。後でその歌は<br />『津軽海峡・・・』ではなく『北の宿から』だったらしい。<br />オーストリア勢の得意のヨーデル。あとからどんどん出てくる。<br />すると、いつもは万事控えめに楽しんでいるアンジェラが出て来<br />て一人で歌い出すではないか・・・。<br />私はそんな彼女を見て、本当に素晴らしい人だと思った。<br />どんなところでも、一人で楽しむ術を心得ていて、人に対しては<br />常に優しく包み込み、<br />出しゃばらず、それでいてこういう時は場を盛り上げる。なんて<br />ステキな大人の女<br />性なのだろうと感心した。<br />アンジェラと抱き合っていると、別の女性が思いきりの笑顔と親<br />しみをこめて抱き<br />ついてきた。彼女はその晩何度も私に抱きついてきたのだが、<br />いったい誰なんだろう?<br />

    今日は7月25日、日曜日!今日こそがサンティアゴの日なのだ。
    今日はこの庭でパエリアパーティーがあると言う。

    シャワーを浴びて、教会が見える場所でストレッチをしていると、
    またあの日本人のおじさんが来て話こむ。
    庭では大きなパエリア鍋に仕込まれたご馳走がぐつぐつと煮え
    ている。
    アルベルゲの部屋へ戻ると、今日はニ段ベッドの上段なのだが、
    下の段の、
    自転車で巡礼をしているおじさんは、やさしい人で、何かと声
    をかけてくれる。
    足の爪の事を言うと、彼の救急セットを出してくれ、これを使
    いなさいと言ってくれる。
    自転車で旅をしている人とは、どうしてもスピードが違うので、
    まず二度と会うことはない。
    一期一会の世界だ。

    7時になると、教会のミサに出席するため、パキたちと一緒に行く。
    教会は1175年に出来たものだ。
    教会ではミサの最後に隣の人、回りの人、知らない人と握手をする。
    みんなやさしそうな笑顔。
    そして巡礼者だけが残り、神父さまのお話を聞き、カードをもらう。
    なぜか神父さまは、私に丁寧に『さよなら』と言ってくれる。
    8時半からは、パイプオルガンのコンチェルト。テレビ局が取材に
    くる程素晴らしいものだった。
    私たちは、パエリアのために、一足早く教会を出る。
    アルベルゲには町じゅうの人が集まっていた。
    私たちも席につき、大盛りのパエリアが配られる。肉がたくさん
    入っている。山のパエリアだ。
    私はパキと、キケの話を肴に飲み、食べ、おおいに笑った。
    最初は私たちは緊張していたのか、この頃になると、力を抜いてすっ
    かり打ち解けることが出来た。
    宴が盛り上がってくると、地元ののど自慢が歌い出し、巡礼者達も
    歌いはじめた。
    すると、私たち日本人にもお鉢が回ってきて、グリちゃんが、
    『津軽海峡冬景色』
    を歌おうと言い出した。私は同意して歌い出す。後でその歌は
    『津軽海峡・・・』ではなく『北の宿から』だったらしい。
    オーストリア勢の得意のヨーデル。あとからどんどん出てくる。
    すると、いつもは万事控えめに楽しんでいるアンジェラが出て来
    て一人で歌い出すではないか・・・。
    私はそんな彼女を見て、本当に素晴らしい人だと思った。
    どんなところでも、一人で楽しむ術を心得ていて、人に対しては
    常に優しく包み込み、
    出しゃばらず、それでいてこういう時は場を盛り上げる。なんて
    ステキな大人の女
    性なのだろうと感心した。
    アンジェラと抱き合っていると、別の女性が思いきりの笑顔と親
    しみをこめて抱き
    ついてきた。彼女はその晩何度も私に抱きついてきたのだが、
    いったい誰なんだろう?

  • 巨大パエリア鍋。

    巨大パエリア鍋。

  • 最初からいつも一緒だったアンジェラ。となりの女性は?

    最初からいつも一緒だったアンジェラ。となりの女性は?

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この旅行記へのコメント (4)

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  • チビケイさん 2005/05/27 04:15:43
    スペイン巡礼1を読み終えて(*'ー'*)ノ~~
    night-train298さん←小さな声です。お休み中邪魔しては
    いけない(-_-)zzzそーーーーっと帰りますネェーー

    昨日の夕方頃から読み始めて途中、夕食休憩やメールチェックしたり
    しながら、まるで私自身も一緒に歩いているような錯覚の中
    巡礼が始まりました(*^_^*)
    今、巡礼の旅一部を読み終えて、そーーーーっと帰ろうと思ってたのに
    やっぱり感想を書き込みせずにいられなくって(*'ー'*)ノ~~

    night-train298さんの「何かを得る為に旅に出たいと思いたくなかった」
    「真っ白な心で。。。。」思わず頷いてしまいました(゚ー゚)(。_。)ウンウン

    色んな方達と、さりげなく交わされる心の交流が凄く眩しい(*^_^*)
    アンジェラさんの素敵な人間性<どんなところでも、一人で楽しむ術を心得ていて、人に対しては常に優しく包み込み、出しゃばらず、それでいてこういう時は場を盛り上げる>
    私もそんな人になりたいなぁ。。。

    無理せず自分のペースを守りつつ周りの人達と穏やかな
    関わりを持ち続けるって凄い事だと思う(#^.^#)
    景色を見ながら読み進んで行くと本当に私も参加してるみたい(*^m^*) ムフッ 

    スペインの巡礼始まったばかりですが次に行くのが
    とても楽しみです♪

    毎日楽しみながら読ませて下さいm(__)m
    きっと真夜中の侵入者になってしまいますが(笑)
    (深夜は落ち着いて読めるんです。私は眠るのが下手だから(~_~))

    ではまた明日(・・?今日だったぁo(〃^▽^〃)oあははっ♪

    night-train298

    night-train298さん からの返信 2005/05/28 20:40:10
    チビケイさ〜ん!(野太い大きな声で!)


    私も眠るのが苦手なのですが、最近は1時ころには眠くなってきます。
    チビケイさんが来てくれた時は、ぜ〜んぜん気が付かなかったー!

    ところでなんと!!!チビケイさんたら!!!!!スペイン巡礼を読んで下さって
    いるんですね〜〜〜!
    この旅行記は、大きな(大きすぎて気が付かないくらい)うねりはあれども、
    盛り上がりのない、静かな旅行記でございます。
    平たんで、退屈することもあると思いますが、読んでいただいてると聞いて、すご〜〜〜くうれしいいんです。

    アンジェラは、最初から一週間程度の予定の参加でしたが、心に残る人ですねー。
    彼女はサルデーニャ島からやってきて、あちらでは、カウンセラーをしているとのことでした。
    そのせいか、まわりの人は、癒されるのですね。うん、チビケイさんは、アンジェラ候補ですとも!
    大人になったら(あっ、とっくに大人だった・・・)こんな女性になりたいですね。

    スペイン巡礼のは、一遍が長いし、全体も長いので、途中でやめたくなるかもしれませんが、
    ぜひ最後まで、写真だけでも見てやってくださ〜い!
  • フルリーナさん 2005/05/01 21:07:10
    いよいよ!
    いよいよ始まったね!
    ナイリンが、旅で受け取ったたくさんの感動やメッセージを共有できることをとっても嬉しく思います。それではよませていただきま〜す!

    night-train298

    night-train298さん からの返信 2005/05/03 23:54:53
    のんびり更新していきます
    ふるちゃんが一言入れてくれると、俄然やる気が出るから不思議だわ!
    ゴールのサンティアゴまで、ゆっくりおつきあい下さいね!

    もう一度振り返ってこのページを作るのって、案外楽しいの!

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