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母親の意向から11歳で青海学校(「(1)湯島」掲載の「十三や」の裏手に在った)を中途退学し、裁縫や書道などに通う日々が続き、14歳の夏、安藤坂の萩の舎(はぎのや)に和歌と習字の稽古に通うようになりました。萩の舎とは死の直前まで関わりを持ちますが、ここに通った道を中心に一葉さんの足音を聴きたいと思います。<br />今日は地下鉄後楽園駅から時計回りに歩き、一葉さん終焉の地も訪れました。<br />左の「たけくらべ」原稿は、雑誌に一括掲載のため清書しなおしたもので、「樋口一葉女」の署名のうち「一葉」のみ自筆で、他は後から追記されたもの。

一葉さんの足音(3)小石川

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2005/02/09 - 2005/02/09

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サニーライフ平井

サニーライフ平井さん

母親の意向から11歳で青海学校(「(1)湯島」掲載の「十三や」の裏手に在った)を中途退学し、裁縫や書道などに通う日々が続き、14歳の夏、安藤坂の萩の舎(はぎのや)に和歌と習字の稽古に通うようになりました。萩の舎とは死の直前まで関わりを持ちますが、ここに通った道を中心に一葉さんの足音を聴きたいと思います。
今日は地下鉄後楽園駅から時計回りに歩き、一葉さん終焉の地も訪れました。
左の「たけくらべ」原稿は、雑誌に一括掲載のため清書しなおしたもので、「樋口一葉女」の署名のうち「一葉」のみ自筆で、他は後から追記されたもの。

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  • 地下鉄後楽園駅を右に出て、東京ドームを左にして歩くと小石川後楽園の塀越しに紅梅がのぞいていた<br />小石川税務署の先、牛天神交差点を右に進むと北野天神梅祭りの看板が出ていたので右手の坂を上がった

    地下鉄後楽園駅を右に出て、東京ドームを左にして歩くと小石川後楽園の塀越しに紅梅がのぞいていた
    小石川税務署の先、牛天神交差点を右に進むと北野天神梅祭りの看板が出ていたので右手の坂を上がった

  • 坂の右手に天神への石段があり上る<br />江戸の天神様は高いところがお好きなようす<br />

    坂の右手に天神への石段があり上る
    江戸の天神様は高いところがお好きなようす

  • 石段の左右には紅梅が咲く

    石段の左右には紅梅が咲く

  • 1184年創建の北野神社<br />源頼朝の伝承がある牛石は社殿左に鎮座

    1184年創建の北野神社
    源頼朝の伝承がある牛石は社殿左に鎮座

  • 境内に明治42年建立の萩の舎塾主中島歌子の歌碑

    境内に明治42年建立の萩の舎塾主中島歌子の歌碑

  • 一葉さんも撫でたであろう社殿前の牛

    一葉さんも撫でたであろう社殿前の牛

  • 神社石段の下奥に見えた安藤坂に直進し、坂を右に上がる<br />白いマンションの前に萩の舎跡の案内板を見る<br />一葉さんが14歳の夏に入塾した場所である<br />萩の舎へは、亡くなる直前の9月に病を押して歌会に出席したのが最後となった

    神社石段の下奥に見えた安藤坂に直進し、坂を右に上がる
    白いマンションの前に萩の舎跡の案内板を見る
    一葉さんが14歳の夏に入塾した場所である
    萩の舎へは、亡くなる直前の9月に病を押して歌会に出席したのが最後となった

  • 明治20年2月21日九段下鈴木写真館で写した萩の舎塾生<br />15歳の一葉さんは、最上段左から3人目<br />両親が調達してくれた古い和服を縫い直し着用したが、大きすぎることが写真でもわかる

    明治20年2月21日九段下鈴木写真館で写した萩の舎塾生
    15歳の一葉さんは、最上段左から3人目
    両親が調達してくれた古い和服を縫い直し着用したが、大きすぎることが写真でもわかる

  • 安藤坂の説明版

    安藤坂の説明版

  • 安藤坂の途中から白いマンション(萩の舎跡)を振り返る

    安藤坂の途中から白いマンション(萩の舎跡)を振り返る

  • 春日通りを越えて伝通院を目指す<br />この辺りは明治まで伝通院の広大な社域であったが、明治に入り寺院の多くが失われ、今は僅かに点在するのみ<br />伝通院門前左に大黒天の福聚院が在る<br />母や妹と共に一葉さんは何度も訪れている

    春日通りを越えて伝通院を目指す
    この辺りは明治まで伝通院の広大な社域であったが、明治に入り寺院の多くが失われ、今は僅かに点在するのみ
    伝通院門前左に大黒天の福聚院が在る
    母や妹と共に一葉さんは何度も訪れている

  • 伝通院<br />徳川家康が母親(於大の方)の菩提を弔うため造営した寺院<br />一葉さんは、境内を通り小石川植物園への近道を知っていた<br />

    伝通院
    徳川家康が母親(於大の方)の菩提を弔うため造営した寺院
    一葉さんは、境内を通り小石川植物園への近道を知っていた

  • 伝通院を出て左に、一葉さんも歩いた坂道を下る<br />この辺りは、少年時代の永井荷風が好んで散策した土地で、一葉さんと擦れ違ったかもしれない

    伝通院を出て左に、一葉さんも歩いた坂道を下る
    この辺りは、少年時代の永井荷風が好んで散策した土地で、一葉さんと擦れ違ったかもしれない

  • 幸田露伴が昭和2年〜昭和20年まで住んだ小石川の家<br />露伴は、一葉文学の良き理解者であり応援団であった

    幸田露伴が昭和2年〜昭和20年まで住んだ小石川の家
    露伴は、一葉文学の良き理解者であり応援団であった

  • 住まいは建て直されているが、今も幸田家の住まい

    住まいは建て直されているが、今も幸田家の住まい

  • 幸田家の近く澤蔵司(たくぞうす)稲荷のある慈眼院へは左に入る

    幸田家の近く澤蔵司(たくぞうす)稲荷のある慈眼院へは左に入る

  • 慈眼院<br />澤蔵司稲荷は社殿みぎ奥

    慈眼院
    澤蔵司稲荷は社殿みぎ奥

  • 善光寺の門前で坂は二股に分かれる<br />左が一葉さんが歩いた善光寺坂となる(右の道は一葉さんの時代は無かった)

    善光寺の門前で坂は二股に分かれる
    左が一葉さんが歩いた善光寺坂となる(右の道は一葉さんの時代は無かった)

  • 善光寺坂の案内板

    善光寺坂の案内板

  • 善光寺坂を下りきり、更に柳町仲通りの商店街を抜けると白山通りに出た<br />信号右手の魚屋では小石川特産?の干物を作っていた

    善光寺坂を下りきり、更に柳町仲通りの商店街を抜けると白山通りに出た
    信号右手の魚屋では小石川特産?の干物を作っていた

  • 白山通りを渡り左に歩く<br />ビルの間から台地の崖と石垣が見えて、一葉さんの時代に台地を切り取り拡張した土地であることがわかる<br />いわゆる新開地と呼ばれた場所である<br />いつもながら、ここに来ると胸がキュンとなる

    白山通りを渡り左に歩く
    ビルの間から台地の崖と石垣が見えて、一葉さんの時代に台地を切り取り拡張した土地であることがわかる
    いわゆる新開地と呼ばれた場所である
    いつもながら、ここに来ると胸がキュンとなる

  • 一葉さん終焉の地<br />実際の住まいはビルの奥、崖との間に在った

    一葉さん終焉の地
    実際の住まいはビルの奥、崖との間に在った

  • 昭和27年9月、土地の所有者が私費で碑を建立<br />「一葉樋口夏子碑」は平塚らいてうの揮毫<br />転居当日明治27年5月1日の日記を再現

    昭和27年9月、土地の所有者が私費で碑を建立
    「一葉樋口夏子碑」は平塚らいてうの揮毫
    転居当日明治27年5月1日の日記を再現

  • 石碑の右すみに置かれた箱には興陽社制作の栞が入れられ、これも胸キュンである

    石碑の右すみに置かれた箱には興陽社制作の栞が入れられ、これも胸キュンである

  • 興陽社制作の栞をありがたく頂戴した

    興陽社制作の栞をありがたく頂戴した

  • 白山通りを再び渡り、魚屋前を左に歩く<br />「西片」交差点を右に入ると正面が源覚寺(こんにゃくえんま)となる

    白山通りを再び渡り、魚屋前を左に歩く
    「西片」交差点を右に入ると正面が源覚寺(こんにゃくえんま)となる

  • 「にごりえ」で、お力さんが佇んでいた境内

    「にごりえ」で、お力さんが佇んでいた境内

  • こんにゃくを供えて

    こんにゃくを供えて

  • 境内右手の塩地蔵尊<br />一葉さんも塩を付けた?

    境内右手の塩地蔵尊
    一葉さんも塩を付けた?

  • 一葉さんも見た御百度石<br />今日の散歩が終わり白山通りから地下鉄に乗車して帰宅

    一葉さんも見た御百度石
    今日の散歩が終わり白山通りから地下鉄に乗車して帰宅

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