2001/09/13 - 2001/09/20
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Koopinさん
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■マンハッタンで9.11事件に遭遇し、帰国できなくなってしまったKoopinは、9月13日友人を頼りにコネチカット州ニューヘイブンへ逃げ延びました。結局ここで20日まで過ごさせてもらいました。
■工事中です。記憶を1つ1つ確かめながら書きますので、完成には時間がかかると思います。
■文字が多くて済みません。
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■写真は2001年9月15日、ニューヘイブンを見下ろすことができる、とある丘の頂上にて。お世話になったHくん夫妻とKoopin夫妻。(ちなみに、なぜ高い丘に登ったかというと、高い所にいれば日本語のニュースが入りやすくなるのでは、と考えたから。大きなラジオを抱えて、耳を澄ましましたが、周波が合いませんでした。)
■この旅行の日程は、予定では次の通り。8月30日成田からNYへ。そのままニューヘイブンに移動し、Koopin♂の小学校時代の友人Hくん夫妻に会って1泊。8月31日にインディアナポリスに移動し、9月9日まで仕事。10日再びNYに行き仕事、12日に帰国。
■しかし9月11日、NYで同時テロ事件に遭ってしまいました。そこでHくん夫妻の御厚意に甘えて、飛行機が動くまでニューヘイブンで待機させて頂くことになりました。
■9月13日早朝、マンハッタンをメトロノースで脱出、9時過ぎにニューヘイブンに到着。メトロノースには、たくさんの人が乗っていました。中でも目を引いたのは、埃をかぶって真っ白の消防士さんたち。「ついさっきまで、ツインタワーで作業をしていました」という姿。電車に揺られながら、詳しい情報を求めて新聞を読みました。灰を被って真っ白になったマンションの一室の写真が一面に載っていました。
■駅からタクシーで10分ほどのところにあるイェール大学美術館で、Hくんを待ちます。 -
■写真は9月13日9時50分頃、イェール大美術館前。
■美術館は10時開館。開館準備の警備員さんや、出勤してきた美術館職員さんとおしゃべりして時間を潰します。マンハッタンで見たことをまくしたてるKoopin♂に、「フムフム、フムフム」と、実に落ち着いた表情で付き合ってくれました。話しているうちに、少し緊張が解けてきます。約束の時間にHくんに拾ってもらいます。
■それにしても、ニューヘイブンのなんと平和なことよ!この街では、人々の日常は奪われていないのです。マンハッタンから出てみれば、ただ、ただ、のどかな朝でした。
■駅から大学まで送ってくれたタクシーの運転手さんとNYのテロについて話しました。彼の車にポケモンの人形が置いてあったのを何故か覚えています。
■H夫妻を待つ間、大学前のスターバックスに入りました。何を飲もうかとメニューを見上げると、店員さんが「コーヒーしかないよ。食材を積んだトラックが来ないんだ」といいました。こんなところにもテロの影響があるなんて、と驚きました。
■H夫妻と合流後、大学構内の芝生の上でランチ。屋台がでて、お弁当を販売しています。木陰でゴハンを食べていると、リスがちょろちょろ。「冬でもゴハンがもらえるため、冬眠しない」とか平和な会話をしました。大分気持ちは落ち着いたとはいえ、koopin♀はH夫妻と初対面。別の意味で緊張していました。 -
■写真は8月31日イェール大学図書館内にて。この時には、まさかもう一度ニューヘイブンに来ることになるとは想像だにしませんでした。
■Hくん夫妻宅はニューヘイブン近郊のハムデン。9月14日、まずはNHKラジオの国際放送が受信できる状態にするために、RADIO SHACKで短波が受信できるラジオを購入。
■北米でNHKを聞くには短波5960、17825、9540、11705、9535KHz。時間帯によって周波数がめまぐるしく変わります。詳しくはwww.nhk.or.jp/nhkworld/japanese/freq004_j.html。
AMでもかすかに受信できることがありましたが、結局あまり役に立ちませんでした。
■そんなわけで、9月14日、ワシントンを訪問していた石原慎太郎都知事がカナダ経由で帰国したことを知ったのは、インターネットのニュース(アサヒコム)を通じてでした。この日から、インターネットと電話を使って、帰国の方法を探り始めました。
■アメリカ製の家電は大きいですね。この時購入したラジオのサイズといったら…。ラジオの機能しかないのに、両手で抱えなければ持ち運びできない程の大きさ。H夫妻はkoopinの帰国後、ラジオの置き場所に困った事でしょう。本当にすみませんでした。 -
■写真は9月15日、ニューヘイブン市街を見下ろすことができる、とある丘の頂上から。
■9月13日にはすでに空港は一部動き始めていたようです。帰国便(JFK/NRT)のチケットを確保してあるUAは、9月14日やっと電話がつながるようになりました。しかし「9月21日に飛ばす予定だから待機してくれ」の一点張り。そう言う以外ないのは分かりますが、全然信用できません。
■9月14日、最悪の場合を考えて、UAのチケットを棄ててでも帰国する方法を考えはじめました。考えついたのは、1)陸路でトロントあるいはモントリオールまで出て、そこから成田。これ一番近くて確実。2)陸路で西海岸まで出て、そこから成田。移動に時間がかかりすぎるし、正確な到着時間が読めない。3)客船で欧州インド回り1ヶ月。Koopin♂は結構乗り気だったのですが、船会社に問い合わせたところ欠航中。ガッカリ。 -
■写真は9月16日、ニューヘイブンから車で1時間半くらいの、とある港で。Hくん夫妻に連れていっていただきました。
■この港はちょっとした観光地。お店も普通に開いているし、観光客はそこそこいるし。楽しく過ごしました。覚えているのは、メイプルアイスクリームが美味しかったのと、一軒家のクリスマスショップに行ったこと。
■たしかこの日だったと思うのですが、問い合わせていた航空チケット代理店さんからお電話をいただき、19日EWR発NRT行コンチのキャンセルが2枚、30万円弱で出たとのこと。うー、結局マンハッタンを通らなければならないのは同じだし、行ってみたら待機なんてことになると馬鹿らしいし…などと迷っているあいだに、このチケットは他の方に買われてしまいました。
■koopin♀は、この時の選択(コンチネンタルに乗るために30万円!払って早く帰る、ただし安全かどうかはわからない。でも、これ以上H夫妻にご迷惑をかけることはなくなる。or料金支払い済みUAのチケットは持っている。しかしあと何日もH夫妻宅に泊まり、迷惑を掛けることになる。職場の同僚にも迷惑をかける。でも、遅い帰国であれば、安全は高まるだろう… でも、本当にユナイテッド航空の飛行機は飛ぶのか?)を今でも思い返します。「あぁ、決められなかった!」と。「どちらにするか決めて!早く!他の人にチケット取られちゃうよ」と言われて、気は急くのに決められない。早い帰国を選ぶのか、遅くとも安全を選ぶのか。命の選択をせまられたような。ちょっと大げさですが、この時はそう感じました。 -
■写真は9月15日ニューヘイブン近郊のとある丘にて。
■9月17日は月曜日。NY証券取引所が5営業日ぶりに取引を再開しました。TV各局はどこもライブ中継。コメンテーターたちは緊張と興奮でいつにも増して早口。9時がせまるにつれて「今日株を売る奴は愛国者ではない」などと激昂する人もいました。ダウ平均は取引再開直後には若干上昇するも、結局マイナス684.81ドルの大幅安で引けました。FRBはFFレートの0.5%引き下げを決定。
■UAにフライト予定を問い合わせると「21日で変更なし」とのこと。20日ラマダJFKに1泊予約。以降、毎日UAに念押し。
■この写真の丘で、偶然結婚式を見ることができました。友人たちに囲まれた、素朴なガーデンウエディングでした。こんな時でも結婚式は行われるのだ…と少しほっとしました。
■イェール大学の美術館にも行きました。大学の美術館とは思えないほどの大きさで、有名な絵もたくさんありました。一見の価値ありです。
■こうやって、お買い物や、絵画鑑賞などをして、平和な日々を過ごしているのに、日本に帰ることだけが出来ない。帰国できずイライラしたり、素晴らしい絵や初めて出会う風景にワクワクしたり、夜は四人で楽しくトランプ、昼はkoopin夫婦二人でケンカ。気持ちが激しく揺れ動いたコネチカットの日々でした。 -
■Hくん夫妻には本当にお世話になりました。書いた以外にもいろいろ連れ歩いてくれましたね。仕事も忙しかったでしょうに。ありがとうございました。
■H婦人は料理がお上手で、koopin♀は様々な料理や調理器具を彼女から教わりました。そして、異国の地に暮らす苦労なども聞くことができました。
■今ネットを見てみると、やはりアメリカで暮らす日本の方々は食材に苦労なさっていますね。納豆・豆腐は売っていても高価だし、あまり美味しくない。パンも日本のような柔らかいものは販売されていないそうです。H婦人は、油揚げを大事にとっていました。ケーキも日本の方が美味しいと言っていました。
■妹が「今、日本ではBSE問題で大騒ぎだよ。せっかくだから牛肉をたくさん食べてきたら」とメールを送ってきました。妹の呑気さにボーゼン。こっちは「命がかかっている」という気持ちなのに、牛肉を食って来いとは… しかし、これを読んだH婦人は「そうだね〜。今夜はローストビーフにしよう!」と美味しい夕食を作ってくれたのでした。 -
■写真は9月20日メトロポリタン美術館前にて。
■9月20日午前メトロノースで再びマンハッタン入り。そのままタクシーでMETへ。Koopin♀はどお〜してもここに来たかったのです! 入り口前でHさんお手製のおにぎりを頂いてから入場します。
■お手製おにぎりのなんて美味しかったこと!涙がでそうになりました。
■インディアナポリスでいただいたお土産の数々や、必要のない物をH夫妻に預け、落ち着いた頃に送っていただきました。
■約1週間ぶりに戻ってきたNY。街は人と車であふれていました。グランドセントラルからタクシーでメトロポリタン美術館へ向かいました。車窓から見える街並みは、たくさんの国旗がはためいていました。そして車にも小さな国旗が付けられていました。
■帰りの道すがらセントラルパークを通りました。老夫婦、ベビーシッターと赤ちゃん、多くの人がベンチに座りおしゃべりをしていました。「おお〜普段のセントラルパークには、こんなに人がいるものなのか!」とビックリ。そもそも、9月11・12日は、公園は閉鎖されていたので人が少ないのは当たり前なのですが。 -
■写真は9月20日正午頃。MET内にて。
■9月21日のJFK空港は不気味なくらい静まり返っていました。搭乗開始まで空港内の喫茶店でトランプしていたら、11日MOMA前で出会った某外語大の学生さんとばったり再会。彼はユースホステルで待機していたそうです。あれこれしゃべりながら3人でトランプで時間潰し。
■外語大の彼曰く、ユースで一緒だった人が「飛行機が飛ぶから、4時間前に空港に来るように」と言われ、明け方暗いうちにユースを出発したのに、結局飛行機は飛ばず、昼頃戻ってきたことがあったとか。30万のチケットを購入せず、H夫妻の元に留まったことは、正解だったのかもしれません。
■搭乗してみると、席は意外にも80%くらい埋まっていました。離陸すると、横にF16がくっついてきます。搭乗客はほとんど無言。カナダ国境手前でF16がいなくなり、カナダ領に入った旨機長のアナウンスが入ると、機内にようやく安堵のため息が起こり、トイレに立つ人も現れはじめました。
■離陸するときの、機内の緊張感の張りつめ方は、本当にすごかったです。「固唾を呑む」というのはこういうことなんですね。きっとみんな考えていることは同じ。この飛行機は、無事飛ぶのか。無事帰国できるのか。色々な考えが頭の中をぐるぐると回ります。「このまま考え続ければ気が狂ってしまうかも」と思い、考えることを止めました。
■Koopin♀は緊張が解けずほとんど眠れなかったようですが、Koopin♂はぐっっっすり眠りました。 -
■帰国便の食事は、ナイフがプラスチックに変更されていました。フォークはなぜかステンレスのままでした。現在はフォークもプラスチックですね。でも、ファーストやビジネスでは、いまだにワイングラス等を使用しているようですね。大丈夫なのでしょうか?
■ちなみに、初日に購入したMOMAの傘、機内持ち込みにして持ち帰ることができました。よかった〜。危険物として取り上げられてしまうのではと心配したんです。
■日本時間22日夕刻、成田到着。日本はすでに、夏から秋へと季節が変わっていて、浦島太郎の気分でした。
■成田にはkoopin♀の両親が来ていました。父は毅然としていましたが、母は半泣きでした。koopin♀は翌日、高熱を出して寝込み、さらに3日ほど有給を取り、同僚に迷惑をかけてしまいました。
■この時毅然としていた父ですが、知り合いなどにkoopin夫婦を紹介するとき、今でも必ず「9.11の時、NYにいた」と紹介します。それっていかがなものかと思いますが、やはり父にとっても大きな事件だったのだな、と考えています。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Eito-Thomas NATSさん 2005/02/20 14:29:16
- Koopin さん はじめまして!
- NYCの9.11・・思い出しますネェ。そのときの出来事をリアルに説明されていて
見入ってしまいました。自分はその日、東京にいてフランス人とアメリカ人の友人を日本を紹介する為、東京を案内していたのですが、実は自分の友人はNYC在住の日系2世で精神科医していてこの日の報道をCNNで見つけ説明してくれました。どうする事も出来ない慌てふためいた友人を今でも忘れません。幸い彼の周りには大きな被害はなかったのですがその後NYCへ戻ってから1ヶ月程は精神的に大変だったと言っています。精神科医ですから患者が殺到したそうです。もう二度と起こって欲しくないですよね・・・
アメリカの旅行記隅々まで読ませていただきました。SFOなど自分の見てないところが沢山紹介されていてとても参考になりました。それからも旅行記楽しみに読ませていただきます。それでは
- Koopinさん からの返信 2005/02/22 10:11:53
- RE: Koopin さん はじめまして!
- NATS様
お越し頂きありがとうございまーす。
話には聞いていましたが、パリも本格的にマルチエスニックな感じになったようですねー。黄色人種ももはや居心地悪い思いをせずに済むんでしょーか。
Koopin♂は90年代初頭、パリならぬ、某「南米のパリ」であからさまな人種差別に繰り返し遭いました。カフェでレモネード頼んだらレモンの原液が出てきたり、バスに乗ろうとしたらさえぎられて白人を優先されたり(苦笑。今は違うかも)。そのときは随分不快に思いました。でも、ニューヨークやサンフランシスコみたいな、多人種で居心地が良い都市に慣れてしまうと、こんどはそんな「南米のパリ」ヒリヒリ感が恋しくなってきたりして。じーつに勝手。
「サンフランシスコ紀行(4)」にSFOの写真を一枚追加させていただきました。構内を自転車で巡回する警察官の写真です。ブレブレで申し訳ないですが、何かの参考になれば。
では今後ともよろしくおつきあい下さいませ。
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