2019/03/05 - 2019/03/07
25位(同エリア1334件中)
norisaさん
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知多美浜に宿泊後は知多半島を後にし、愛知県を縦断して、やはり未踏の明治村を訪れました。
今年は元号が平成から新元号に代る平成最後の年ですが、日本史を通じて最も激動の時代の元号は慶応から代った明治ではないでしょうか。
この平成最後の年の3月にあらためて変革の時代、明治の息吹を感じてきましたーー。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
かんぽの宿知多美浜の朝食です。
大浴場で朝風呂を頂いた後なのでお腹も喉も枯渇しています(笑)
朝カレーも頂きました!亀の井ホテル 知多美浜 宿・ホテル
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今日は昨日と違って曇り。
でも終日雨は降りませんでした。
9時頃にはチェックアウトして知多半島から濃尾平野を北上しますが、ほとんどすべての道程が高速道路ですからそれほど時間はかかりません。
しかし、幾つもの高速道を次々に通りますのでカーナビなしでは迷いそうです(苦笑) -
今日、まずは博物館明治村を見学します。
宿からは1時間半くらいのドライブですが、愛知県を縦断してきましたから当然でしょう。
第八高等学校正門が明治村のチケット売り場になっています。
ところでこの日はチケットが半額のサービスデーということでお得でした!
(未だに理由がわかりませんが我々夫婦、困窮しているように見えたのかしら(笑))博物館 明治村 テーマパーク
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荘厳かつ鮮やかな建物、これは聖ヨハネ教会堂だそうです。
形も色彩も際立った建築です。
(正門からここに来る間にも幾つか立派な建物がありますが、紙数の関係で省略してあります。今回の旅行記では60-70%はカットしました。一応写真は最大で70枚くらいに自粛していますが、そのくらい多くの歴史的建造物がありましたーー) -
この教会はもとは京都市下京区にあったものだそうです。
建築は1907年ということですから今年で112年になります。
内部は木造で日本人の大工の知恵が活用されています。 -
ところでこの教会の池のほとりにはーー。
完全に熟睡している夫婦鳥がいます(笑)
たしかにこの明治村に住んでいれば自然豊かで安心して暮らせそうです。 -
こちらは西郷従道邸宅というもの。
ご存知西郷隆盛さんの実弟ですが、西南戦争では政府軍の側でしたから、その後も出世しました。 -
御覧のように内部は豪華な西洋風住宅で253㎡もあります。
内装も調度品も高価そうなもので、1880年代の建築だそうです。
兄は鹿児島で非業の死を遂げますが、実弟はこのように豪華にぬくぬくと暮らしていた、といったら叱られますね(苦笑) -
そこからの通路には御覧のような馬酔木がびっしりと生えています。
猛毒があって動物は決して口にしないそうですが、西郷家は兄弟が分かれて戦い、片方は猛毒を食するような道を歩みましたーー。 -
さて、こちらは森鴎外、夏目漱石住宅です。
何で連名なの!? -
実はこのお宅は元々中島医学博士の住宅だったそうですが、借家として貸し出していたそうです。
その借家に鴎外が1年半ほど住み、漱石が3年住んだというわけで明治を代表する、あるいは日本文学を代表する重鎮二人が住んだのは全くの偶然のようです。
作家を目指す方はこの住宅に不法に住むと良いかもしれません(爆)
鴎外はともかく、漱石については、彼の主要な全作品を読破し、特に気に入った作品は何回も読み直した身からいうと実に感慨深いお宅ではありますーーー。 -
おっと!
こんな園内バスも走っていました。
終日乗り放題で500円と格安ですが若さを売りにする??norisa夫妻、断固として歩きとおしました。
(少なくとも10000歩、普通で15000歩くらい歩きますーー) -
こちらは2丁目に入ります。
この明治村は1丁目から5丁目まで分かれており詳細な地図もあります。
ここは通称レンガ通りです。 -
この通りには東松家住宅など古い住宅が並びます。
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こちらは札幌電話交換局、実に重厚でセンスの良い建物です。
1898年建築とあります。
昔は美人で頭の良い交換手さんが多数働いていたことでしょう(あくまで妄想です(笑)) -
これは名電1号形というもので、実際に名古屋市内を走っていたとか。
前部の網は人を轢いた時にショックを和らげる網だそうですが、なかなかいいアイディアで、今でもレクサスの前部にでも取り付けたら受けること間違いありません(爆) -
こちらは京都七条派出所ですが、勤務しているニセ?警官と衣装屋さんで着物を借りたニセ?女学生。
スケベそうなニセ?警官がお嬢さんたちをからかっていましたが、ことによるとお嬢さん方が警官と遊んであげていたのかも(笑)
ハイカラ衣装館という建物はこのお隣ですが、ここで時代衣装を借りることができます。 -
そしてーー、この威厳のある建物が北里研究所本館、医学館です。
数々の功績を打ち立てた北里柴三郎が帰国後に建てたものだそうですが、築年は1915年ですからはや100年以上経っています。
ドイツバロック風の名建築だそうです。 -
ここから振り返ると二丁目のレンガ通りや多くの建物が一望できます。
まさに明治の風情です。 -
さて、3丁目に入ると幸田露伴の住宅があります。
蝸牛庵というシニカルな名前。 -
落ち着いた和室。
文豪はここで執筆したのでしょうかーー? -
こちらは西園寺公望別邸です。
彼は京都の公家でも摂家に次ぐ精華家の家柄という高貴な身分で、若かりし頃はパリのソルボンヌ大学にも留学したエリートで、伊藤博文の腹心となり二回も総理大臣を務めました。
この坐魚荘引退後の1920年に住友財閥が建てたものだそうです。
(この頃の政財界癒着は普通でしょうか?) -
そして1940年に90歳でこの別荘のあった静岡県興津で大往生されたわけですが、20年もの間別荘暮らしを楽しまれたようですーー。
折から梅が満開でした。 -
そして、これも有名な品川灯台ですが、これは明治3年に建設されたわが国3番目の古さを誇る灯台です。
しかし、さらに古い観音崎灯台や野島崎灯台は関東大震災で倒壊してしまったため現存する最古の灯台になりました。
この灯台はフランス人技師によって設計され、ガラスや金属部分はフランスから輸入されたそうですが150年にもなろうというのに関東大震災はもちろん、多くの台風などでも倒れなかった設計、施行はさすがのものがありますーー。 -
こちらは大砲ではありません。
霧砲といって灯台の光が届かない濃霧の日に音によって海岸線を知らせたというもので、明治38年に設置されたそうです。
蒸気船など船の大型化に伴い、座礁事故は悲惨な結果をもたらしますから増大する船舶に対応したもののようです。 -
さらに進みます。
丘の上には大きな建物がありますが、長崎居留地二十五番館のようです。 -
こちらは神戸山手西洋人住居です。
しかし、補修工事中で中には入ることができません。
周囲はベランダばかりの見晴らしの良いお宅です。 -
ここは休憩所でもありますが、元は東京にあった宗教大学車寄せだそうです。
随分豪華な車寄せですーー。 -
こちらは台場潮流信号機です。
これは関門海峡にあったもので複雑な流れをする海峡の潮の流れを表示するためのもので、貴重な遺構だそうです。
先ほどの霧砲といい、この潮流信号機といい、近代日本の輸送の中心だった海運産業を支えた影の立役者だったわけです。
(今でこそJR、新幹線、航空機、高速道路網などが日本の動脈ですが、最近までは人や物資輸送の王者は海運だったわけで、日本郵船や商船三井などの原型会社が荒波に囲まれた日本の輸送を牛耳っていたわけです) -
さて、一風変わったオシャレな建物。
これはシアトル日系福音教会だそうです。 -
こちらはブラジル移民集会所です。
1889年の建築ということですが130年も前に貧しい日本人がハワイへ植民していたことに感慨深いものがあります。
(内部に往時の日本人植民者の写真がありますーー) -
こちらは尾西鉄道蒸気機関車1号だそうです。
1900年頃に活躍したものでアメリカのブルックス社製。
D51などと違い細長い華奢な印象です。 -
そして、こちらが1877年に建築された六郷川鉄橋で日本最古の複線鉄橋だそうです。
それまでは木製の橋が多かったそうですが強度や耐久性から鉄製に代っていく嚆矢となりました。 -
いろいろな建物の脇をを歩いていくとーー。
-
古い民家があります。
向って左は昔の床屋さん、右手は今はお土産物屋ですが、実は静岡県焼津市にあった小泉八雲の別荘だったそうです。
小泉八雲はご存知のように知日ガイジンの先駆けのような方で松江にもお住まいでした。
そして、彼とご家族は毎年の夏に焼津に来て海風を楽しみ、海の幸を満喫したようで、まさしく日本好きなガイジンさんのはしりです。 -
そして、そのお隣は呉服座という大阪府池田市にあった芝居小屋で1892年に建築されたそうです。
この芝居小屋の建物に見覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。
そう、NHKの朝ドラ「わろてんか」でも使われました。
この明治村は多くの映画やドラマのロケ地としても使われていますが、特にNHKの朝ドラでは多用され、「わろてんか」、「半分青い」、「まんぷく」(現在放送中)などで各種建築物が使われました。 -
しばらく歩いて小高い丘の上にある建物は愛知県刈谷市の酒造、菊の世酒造の建築物です。
ステキなスキーロッジのようにも見えます(笑) -
さらに歩くと5丁目です。
最初の印象的な建築物、それは聖ザビエル天主堂です。
これは1890年の建築ですが京都市の三条河原町という目抜き通りにあった大天主堂。 -
内部はまさしく西洋風の造り。
何よりも印象深いのはーーー。 -
数々のステンドグラス、そしてこのバラ窓です。
今から120年前にこんなシャレたステンドグラスやバラ窓があったのですね!
急速に近代化した日本、それは産業や政治、経済だけではなくこうした文化、宗教の面でも顕著でしたーー。 -
そして、これは金沢監獄の正門です。
これは1907年築と比較的新しいのですが、洗練されたデザインです。
そしてこちらから見ると装飾も多いのですが、内側は足掛かりになるような装飾は一切ないとのことで、節約だけでなく脱走防止も考慮したようです(笑) -
こちらは墨田川新大橋で1912年のものです。
本来の長さの八分の一が移築されていますが、当時は鉄鋼生産が追い付かなかったため鋼材は全てアメリカの有名な鉄鋼メーカーだったカーネギー社から輸入されたそうです。
トランプさんが聞いたら感激間違いなしでしょう(爆) -
そして5丁目のはずれのはずれにこんな建物が。
これが何だというとーー。 -
何と教会です!!
大明寺聖パウロ教会堂というもので長崎市から移築されたものだそうですが、築140年の強者。
明治政府によりキリスト教が許された後の最も古い教会建築物のひとつだそうです。
もちろん、日本人大工の手になりますが天井はコウモリ天井とよばれる漆喰製です。
今でも十分使えるモダンな教会ですネ! -
突然現れた石造りの建物。
これは川崎銀行本店です。 -
1927年の建築ですが、最上階まで登ることができます。
(結構息が上がりますので念のため(笑))
そこからは四方に眺望が開けます。
これは千代田区にあった内閣文庫。 -
そして、南側にはこの明治村の半分と接する入鹿(いるか)池です。
国内最大級の貯水量を誇る農業用貯水池です。 -
そして、これは名鉄岩倉変電所で愛知県岩倉市にあったものだそうです。
1912年建築とあります。 -
そして、これが有名なーー。
金沢監獄中央看守所、監房です。 -
何が有名かというとーー。
朝ドラの「半分青い」で主人公とオタク青年の最初で最後のデート場所だからです(笑) -
この建物はこの中央の監視所から5つの棟全てを見渡せるという優れもの。
(この監視室は網走刑務所のもの)
1907年の建築とあります。
ま、監視する方にも監視される方にもなりたくないものです(笑) -
こちらは東京駅の派出所だったもの。
1914年に造られました。 -
そしてこちらは前橋監房雑居房だそうです。
ま、日本全国どこからでも移築しています(苦笑) -
ごらんのとおりのスケスケで冬は死にそうです。
雑居房の隅にトイレがむき出しでありますが、さぞや臭くて不衛生。
今の囚人のほうがずっと良いでしょうが108日も収監されたくないですね(苦笑)
(どこかの強欲ガイジン経営者の収監期間ですが、よくも、ああも強欲厚顔でいられるもので、近代日本なのでシンセツに扱いますが、江戸時代なら市中引き回しの上さらし首間違いありません!!ーーーなどと書くと4トラ管理者に抹消されそうです(笑)) -
そして、この明治村最高の建築物にたどり着きます。
言わずと知れたーー。 -
そう、帝国ホテルの中央玄関、そして一部の内部です。
まさに優美な佇まいーー。 -
今見ている帝国ホテルは1923年、フランク・ロイド・ライトの設計のもと完成しました。
ライトは材質全てにこだわり、当初予算の6倍にもなったため日本人責任者は辞職、ライトも完成前に離日したという難物でした。
(このエピソード、オーストラリアのシドニーにオペラハウスのお話に酷似していますね(笑)) -
このホテルが真価を発揮したのはオープン前に襲った関東大震災でした。
周囲ががれきとなる中、このホテルはごく軽微な被害しかなく建築の優秀さが証明されたそうです。
(今どきの安アパートのXXパレスの社長に聞かせたいかもです(苦笑)) -
こちらは今でも営業している喫茶室。
もうとっくにお昼は過ぎているのですが、我々はお目当てがあるのでグッと我慢します(笑) -
それにしても素晴らしい設計。
吹き抜けの下を当時の女学生姿のお嬢さんが歩く光景。
100年くらいもタイムスリップしたような気にさせてくれましたーー。 -
これが設計者のライトさん。
意志が強そうです。 -
こちらは――何とポーツマス条約の時に使用された机だそうです。
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ちなみに当時の椅子やテーブルも保存されています。
そのうちのいくつかはライトの設計とのこと。 -
この六角形の背もたれのある革張りの椅子もライト自らがデザインしたとのこと。
多彩な方でもあったようです。 -
こうしてデザイン性にも強度にも優れた帝国ホテルはやがて改装にともないその玄関を含む一部がこの明治村に移築されました。
なお、この玄関や内部の受付ロビーなども今をときめく高視聴率朝ドラである「まんぷく」で使われています。
そう、主人公の「ふくちゃん」がホテルの受付嬢として接客していたホテルの玄関や受付はまさしくこの明治村にある旧帝国ホテルのここでした! -
さて、お昼を大分まわってしまいましたが、我慢していたのはこのレストランに入りたかったからです。
その名も浪漫亭。
昔懐かしい洋食のお店です。 -
店内は明治の重厚な造りを連想させる内装。
休日は行列のできる人気店だそうです。
そこで一番人気なのがーー。 -
オムライスですが、フライドポテトも付いていて美味です。
今日は半日以上費やして明治村の大半を見学してきましたのでお腹も空いていますので大満足です(笑) -
レストランを出ると丁度蒸気機関車がスゴイ煙を吐きながら通過していきます。
この明治村にはこのSLや名古屋の市電、そして昔のボンネットバスが走っていて誰でも乗ることができます。
平成があと数十日で終わろうとしている今、日本史上最も激動の時代だった明治時代のごく一部を建築物とともに振り返ってきました。
長い鎖国の後、一気に蒸気機関、電気/電信革命、交通革命、流通革命、金融革命、農業革命、商業革命その他を迎えた国民の驚き、戸惑い、野心、好奇心などはいかばかりだったのかーーー。
これに比べたら今の第四次産業革命を迎えようとしている我々のショックなど取るに足らないもののようにも思えます。
こうして充実した時間の後は残りの建築を見学し、第二の目的地に向かう予定ですーー。
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この旅行記へのコメント (18)
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- 前日光さん 2019/04/08 23:19:53
- これもテーマパークと言えるのでしょうね(^-^)
- norisaさん、こんばんは。
明治村!それこそいろいろなドラマの撮影地のようですね。
テーマパークには、あまり興味のない私でも、ここには行ってみたいです。
全国あちこち渡り歩かずに、一気に見られるというのは合理的ですよね。
「半分青い」の新聞部?だったかの少年とスズメちゃんがデートしたのは、監獄の廊下だったのですねぇ~
ホテル勤めのふくちゃんが、受付嬢をしていた場面は帝国ホテルだったのですね。
帝国ホテルの玄関に使われていたのは、大谷石なんですよ。
norisaさんが、いつその話題に触れるのかと思っていたのですが。
大谷石は、そんな昔から有名だったのです!(なんちゃって( ・∀・)
ここは明治・大正・昭和初期のドラマや映画の撮影にはもってこいですね!
平成時代のドラマは、どんなところで撮影するのでしょうか?
高層ビル群でしょうか?スカイツリーも平成の産物ではありますね。
こんな素敵な建物の中でコーヒーを飲んだり、洋食を食べたりっていいですよね。
味が3割増しくらいになりそうです。
鴎外と漱石が住んだ貸家もイイ味出していますね。
norisaさんは漱石作品を全部読破されているとか。
私は全部は読んでいませんよ。
いろいろ名作はありますが、私は「夢十夜」の斬新さに惹かれています。
あの時代に、ああいう連作シリーズ的な書き方はなかったように思います。
鎌倉時代の木には仁王が入っているのに、明治の木には、いくら掘っても仁王が出て来ないという、あの芸術論に触れた時には、漱石ってなんて普遍的な作品を書くのだろうと大いに感動しました。
漱石はいつ読んでも古くない、そこに流れる普遍性が彼を文豪たらしめるのだと思いました。
明治村から話が逸れましたが、たくさんの建築群をご紹介いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m
前日光
- norisaさん からの返信 2019/04/09 06:54:15
- Re: これもテーマパークと言えるのでしょうね(^-^)
- 前日光さん、
おはようございます。
いつもながらのご訪問やカキコありがとうございます!
明治村は有名ながら前回犬山城やトヨタ博物館を訪れた際には時間がなくてスルーしてしまいました。
心残りを解消するため今回の訪問になったわけです(苦笑)
しかし、訪問して分かったのですが、敷地は広大で、さらに多少のアップダウンがあるので一日じっくりと時間をとったほうが良いですね。
多くの見応えのある建築物がありますので。
それらをTVや映画の撮影に利用するのは自然の成り行きですね。
半分青いやまんぷく以外にもわろてんかやその他のドラマの舞台だったそうですが見ている時には気が付きませんね(笑)
ましてや大谷石までは(苦笑)
漱石と鴎外の家は意外とこじんまりでしたが、昔の方はそんなものかもしれません。
漱石の作品全部と言っても小品全てではありませんが、かなりを読破し、しかも幾つかの作品は何度も読み返しました。
その自然描写や心理描写はその後の作家の追随を許しませんね。
今なら是非ノーベル賞にスイセンしたいです(笑)
夢十夜はかなり作風の変わった秀作ですね。
仁王像のお話も鮮明に覚えています。
彼の深層心理にも通じる作品群でしょうかーー。
では、今後ともよろしくお願いいたします。
norisa
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- frau.himmelさん 2019/03/19 23:31:22
- 西郷従道邸
- norisaさん、こんばんは。
全国各地にある明治がみんな明治村に集まっていたのですね。
あの西郷従道邸も・・。
東京の目黒区と渋谷区の境にある代官山の近くに西郷山公園があります。西郷従道の邸宅があった場所です。
昔あの近くに住んでいましたので、懐かしい公園です。
昨年大河ドラマ「西郷どん」の追っかけをしているとき、庭園の見事な庭石などは鹿児島の生誕の地に寄贈されていましたので見てきましたが、そうでした、邸宅は明治村に移築されたのでした~。
norisaさんの旅行記で邸宅を見ることができて、大変感慨深いです。
平成の終わりに激動の明治を旅するなんて、さすがnorisaさんですね。
私も、明治・大正・昭和・平成の中で、最もヨーロッパの影響を受けた明治時代って好きです。
いつか明治村へ行ってみたい、と思ったnorisaさんの旅行記でした。
早くしなければ時間がないですね・・(笑)。
himmel
- norisaさん からの返信 2019/03/20 06:08:06
- RE: 西郷従道邸
- frau himmelさん
おはようございます。
いつも大変お世話になっております。
え!西郷従道邸のお宅にお住まいでしたか。
それは良い場所にお住まいでした。
やはり庭園そのものなどは移築できないので鹿児島に贈られたのですか。
当時としては西郷従道邸は見事なものだったでしょうね。
平成もあと少し。
今でないと明治村に行き遅れるような気がして知多半島から車をとばしました。
欧州の良き伝統を引き継ぐ建築物が多くて良かったです!
是非お出かけください(笑)!!
norisa
-
- はなかみno王子さん 2019/03/19 21:57:46
- 明治時代に憧れまsーー。
- norisaさま
明治村も行きたいところのひとつです。が、まだ行ってません・・
歴史的建造物から感じる歴史も良いでしょう。
でも、ほんとはこんなに変化のスピードが速い明治時代を
生きて体験したかったですね。
毎年、毎月そして毎日が変化の連続だったでしょうね。、、
新しいもの、新しい価値観、新しい技術ーーどんどん古いものが
壊されて塗り替えられていく。。
わくわくしますねーー。
最近変化が少ないことを憂う・・・でもハッピーなおうじ
- norisaさん からの返信 2019/03/20 06:03:05
- RE: 明治時代に憧れまsーー。
- おうじさま
おはようございます。
ご訪問やカキコありがとうございます。
明治村は案外不便な場所にあるので行きにくいですね。
おっしゃるようにスゴイ速度で変化した時代!
この時代のスピード感を感じられる博物公園といえます。
この時代のいろいろな変化、わけても価値観の変化についていけたかどうか。
自分だったらーー?
あまり自信がないですね(笑)
norisa
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- aoitomoさん 2019/03/18 22:11:23
- 明治村楽しそう~
- norisaさん こんばんは~
明治村はまさしく『目からうろこ』です。
見所いっぱいで、
頭がからっぽな私でも、
単純に見て分かりやすいです。
とはいえひとつひとつ歴史を知れば奥が深いんですよね~
全国からも移築したものが見れるわけですから、
色々全国回った気分になれます。
思わず明治村HPも覗いてきました。
ここも、norisaさんの旅行記片手に訪れてみたくなりました~
aoitomo
- norisaさん からの返信 2019/03/19 10:16:28
- RE: 明治村楽しそう?
- aoitomoさん
おはようございます。
いつもながらのご訪問やカキコありがとうございます!!
え、明治村って行かれたことがないのですか?
知多半島のお近くに単身赴任して、現在は和歌山にお住まいなので一回はご訪問されたのかと思っていました。
確かに犬山ですから近くはないですね。
ここは東武の世界中の建物のミニチュアを展示してある例のテーマパークとは違ってホンモノが展示されているので歴史的感慨もひとしおです。
この季節は半額でお安かったですよ!
是非お出かけくださいませ。
今後ともよろしくお願いいたします。
norisa
-
- M-koku1さん 2019/03/18 17:31:37
- 興津にあるものが本物だとばかり思っていました
- 座漁荘を見に はるばる興津まで行った覚えがあります
2004年移築と書いてありましたから 私が見たのは再現された建物だったのですね
てっきり本物だと思っていました
なんと 犬山に移築されていたんですか!
なんだか急に力が抜けてしまいました
知らない方が幸せだったかな?(笑)
「ごちそうさん」でも使ってましたね、明治村
とてもいいアイディアのテーマパークだと思います
2回ぐらい行ったことがありますが
どんどん新しいものが移築されているなんて知りませんでした
また機会があったら行ってみます
ではまた
Mより
- norisaさん からの返信 2019/03/18 19:46:10
- Re: 興津にあるものが本物だとばかり思っていました
- M-koku1さん、
こんばんわ。
いつもお世話になっております。
え!座漁荘は興津にもあるのですか。
たぶん明治村にあるのが移築されたものだと思います。
そういうこともあるのですねーー。
いえいえ、現地で御覧になるほうが臨場感があるような。
こちらは山の中なので座漁荘と言われてもどこにお魚がいるのやらーーーという感じです(笑)
明治村はNHKの朝ドラでは多用されていますね。
ごちそうさんもですか。
わろてんかや半分青い、それに今のまんぷくでは何か所も撮影スポットがあり、その案内書もありました(笑)
是非ご再訪してみてください。
今後ともよろしくお願いいたします。
norisa
- M-koku1さん からの返信 2019/03/19 00:56:37
- Re: 興津にあるものが本物だとばかり思っていました
- norisaさん
私も若いつもりでいても 年なんだと痛感させられました
自分の旅行記を見たら 興津は復元家屋だと ちゃんと書いていました!
明治村に本物があることまで 知っていました!
いつから 興津のが本物だと 思い込んじゃったのか 不明です!
ゾッとします
そろそろ仕事を引退したほうが いいのかな (=_=)
ガックリです
もう寝よぉっと
おやすみなさい
Mより
- norisaさん からの返信 2019/03/19 10:12:21
- RE: Re: 興津にあるものが本物だとばかり思っていました
- M-koku1さん
ありゃ、そういう表示がありましたか。
でも、思い込みというか誤記憶はままありますよね。
私もそういう思いをイヤというほどしています(汗)
どうぞお気になさらずに。
まだまだ御隠退には早いです(笑)
norisa
-
- rinnmamaさん 2019/03/18 13:46:49
- お会いしたかった~norisa様ご夫婦に(^^)
- norisaさんへ
お近くまでいらしてたんですね~
私、以前ボランティアをさせて頂いてまして、良い運動になっていました。
孫が生まれて止めましたが・・・
説明コメントはパーフェクト(もう、すっかり忘れてしまっています^^;)
明治村もテーマパークのはしりだったわけですが、あの地区の保全を考えながら設置されて、今も皆様が来てくださり維持管理出来ているのです。
歴史ある建物の保存も昔と違い、各地で行われてきていますので嬉しいのですが、その維持管理も大変な苦労があるんですよね(明治村もです)
あの辺りに「なんじゃもんじゃ」の群生地があるんですよ^^
もう少しすると桜が綺麗ですし、ミツバツツジが咲き出します。
後、夏目漱石邸の前庭にはカタクリの花が咲くんですよ( ^ω^)・・・
土手に野草があるのでボランティアしながら眺めていました。
懐かしく楽しませて頂きました。
rinnmama
- norisaさん からの返信 2019/03/18 14:04:04
- Re: お会いしたかった~norisa様ご夫婦に(^^)
- rinnmamaさん
投稿直後に早速おいでいただき感謝です!
え、rinnmamaさんのご自宅はお近くでしたか!?
しかも、昔ボランティアされていたとは。
(その時だったら特別サービスしていただけたかも!?(笑))
しかし、どの建物も保存状態が良いですね!
だいたい100-150年前のものですが、劣化はあまり見られないので、かなりのメンテナンス作業だ行われているのでしょうね。
今回も内部はもちろん、外部も見学できない建物が1,2割ありました。
繁忙期に向けて頑張っているようです。
(それで料金が半額なのかしら(苦笑))
なんじゃもんじゃ、ってわからないので調べたら「「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種は、ヒトツバタゴのほか、ニレ、イヌザクラ、ボダイジュなど様々である」とウィキペディアにありましたが、イヌザクラのことでしょうか?ミツバツツジにカタクリですか!
お花に詳しいrinnmamaさんならではの観察眼でしたね!!
norisa
- rinnmamaさん からの返信 2019/03/18 14:33:35
- Re: すっ飛んで会いに伺いますよ^^
- 直ぐ隣ではありませんが近いです。
明治村は不便なので、車でボランティアに通っていました。
保存条件は厳しいので文化財指定ですと時間と費用も膨大ですし、庭木の手入れも大変なんです。
以前、神戸の震災で壊れた邸宅の移築も、数年の期間掛かりました。
日本家屋の方が維持管理が大変ですね。
ナンジャモンジャ・ヒトツバタゴです。
私の2013年・5月に旅行記で花を見れますので、お暇な折にどうぞ。
以前、ヒトツバタゴの木を守られているご夫婦様から、苗を購入したのですが、10年以上しても花が咲かずで諦めていましたら、昨年思いがけず数輪咲きました^^
今年も咲いてくれると良いな~と待ち望んでいます。
rinnmama
- norisaさん からの返信 2019/03/18 17:22:48
- Re: お会いしたかった~norisa様ご夫婦に(^^)
- そうですよね~。
明治村って結構奥ですからね(笑)
文化財の規制は厳しいことで知られていますが、明治村は多数あるので費用も大変でしょうね。
この料金でやって行けるのか心配です。
ヒトツバタゴだったのですね。
なんじゃもんじゃはいろいろな植物を表すようで便利なような不便なようなーー。
お花が咲くのが大変なのですね。
我が家にもそういう花嫌いな花木がおります(爆)
norisa
-
- ふわっくまさん 2019/03/18 13:11:01
- 明治村・・♪
- norisaさん、こんにちは。
明治村へは娘がホンモノの女子高生だった頃(笑)、家族で出かけた思い出があります。
ニセモノ?警官と女子学生のくだりも、楽しく拝見させていただきました。
その時 入鹿池の近くの刑務所は、気づかなかったかも・・です。
網走刑務所と、同じ監視室があったのですねー!
帝国ホテルの中央玄関はnorisaさんご夫妻がお似合いの優雅な佇まいで、浪漫亭のオムライス=とっても美味しそうでした。
第二の目的地も、楽しみにしています。
ふわっくま
- norisaさん からの返信 2019/03/18 13:56:31
- Re: 明治村・・♪
- ふわっくまさん、
早速のご訪問やカキコありがとうございます。
そのスピード、恐るべしで最近お見かけしないpedaru師匠もビックリでしょうね(笑)
娘さんの女学生時代にお出かけでしたか。
でも、それほど昔ではないですよね!
この明治村、意外と刑務所と病院が多いのですね。
ホンモノの刑務所は入ったことがないので(汗)いい勉強になります(笑)
帝国ホテルはいろいろな番組で取り上げられているので初めて行った気がしないのですが、やはり威厳がありますね。
新しいというか今の帝国ホテルもいずれ泊まってみたいものです。
今後ともよろしくお願いいたします!
norisa
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