和歌山市から南紀白浜への途中下車旅(三日目)~釣りがね饅頭と金山寺味噌の御坊から、円珍・清姫伝説の道成寺経由、南紀の中心、田辺市へ。城跡は微妙でも、古刹にB級グルメがバランスよく揃っています~
2017/01/09 - 2017/01/09
2位(同エリア58件中)
たびたびさん
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御坊の街並みは、JR御坊駅からさらに紀州鉄道線で行った日高川の下流域。昨日までの海南市、湯浅町から、みかんで有名な有田市から、さらに南。御坊の名前は、街の中心にある本願寺日高別院からきているのですが、門前町という雰囲気は薄かったような。一方で、角長と並ぶ金山寺味噌の老舗、堀河屋野村は、江戸時代は海運業を営んでいたのだとか。今では交通の便とかけっしてよくない場所ですが、かつての賑わいの名残りがあって、味わい深い街となっています。
ちなみに、和歌山県は、和歌山市から南下すると一気にローカル色が強くなるのも正直なところ。千葉県でも南房総に入ると東京に近いという感覚が全くなくなってしまうのと似ています。ただ、御坊市を過ぎて、紀伊田辺に入ると、ここは南紀の中心という活気があるし、明日、回りますが、白浜だと逆に関西の誇るリゾート地の一つという感じがしてきて、華やかな雰囲気もある。単純にローカル色が強まるということでもないんですよね。
和歌山県の南部、田舎は田舎なんですが、京都とのつながりも、江戸とのつながりも意外にあった地域。舐めてかかると大事なスポットを見逃すことになるでしょう。
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早朝、御坊の宿を出て、塩屋王子に向かいます。日高川を越えて、距離は4キロ弱。昨日もかなり歩いていますが、今日もハードなところから始まりました。
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塩屋の街並みです。
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その街並みの奥にある塩屋王子神社。なんとか到着したようです。
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小山を登ったところにちょっとした社がありました。
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ところで、熊野には99の王子社がありますが、ここは最初に出来た七王子の中の一社。格の高い王子と言えるでしょう。
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歌会などが催されたこともあって、後鳥羽院の御幸でも歌が詠まれたよう。
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イチオシ
境内には後鳥羽上皇の行在所跡の碑もありました。
ただ、ここから熊野大社まではまだまだはるか。こんなところで悠々としている場合ではないような気もしますけどね。。 -
塩屋王子からの帰り道、国道沿いに珍しく朝飯をやっている店があって、それがゑびすや食堂。
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朝飯のメニューが特別あるわけではなく、そこは昼間と同じ。
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親子丼をいただきました。田舎だし、食べれる時に食べておかないと後で困ることになることもよくあるんですよね。
常連さんも少しやってきて、ラーメンなんかを食べていました。朝の気持ちのいい時間。余裕のある店内で朝のテレビを見ながら、ちょっと体を休めました。 -
御坊市内に戻ってきて。
小竹八幡神社は、日本書紀にも記載があって、神功皇后にまつわるもの。 -
合葬していた二人の神官を別々に葬ると夜のような暗さが明るくなったというのです。
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境内は、本殿の周りは森のようですが、鳥居から本殿にかけては明るくて、日本書紀の話とは関係はないと思いますが、ちょっとメリハリがついています。
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近くの国道沿いに出て、これはふく田。
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いただいたのは、つりがね饅頭。御坊にはつりがね饅頭を扱うお店が何軒かあって、食べ比べです。
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基本はいわゆる人形焼き。食べると中の餡子が偏っていて、なんか雑だなと思ったのですが、餡子の味わいはどっしりしていて、これはやっぱり老舗の味わい。結局、おいしくいただきました。ちゃんと個性があるつりがね饅頭です。
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紀州鉄道線の終点は、この西御坊駅です。
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構内には市街の観光マップ。だいたい調べてきていたはずなんですが、堀河屋野村って、なんでしたっけ?
気になるので、行ってみましょう。 -
これは、堂々とした構え。まさに老舗じゃないですか。
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入ってすぐの右手はかつての帳場。御主人に尋ねると、和歌山県の醤油の老舗は、湯浅の角長と御坊のこの堀河屋野村が双璧なのだとか。
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これが売り場。
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商品は見るからにどれも本格派といった存在感が抜群ですね。
何でもこちらはもともとは回船問屋だったのだそうですが、片手間で作っていた金山寺味噌や醤油がいつの間にか本業になったんだそうです。また、冬場が時期の醤油の製造と夏場を時期とする金山寺味噌だと時期がずれるので、両方作っていてもバッティングしないとか、いろんなお話も聞かせてもらいました。
一方で、日本海側だと北前船ですが、太平洋側だと菱垣廻船や樽廻船とか。大阪からの直行便が多いので、北前船と違って、途中の沿岸が大いに賑わうことはなかったわけですね。この辺の話ももう少し聞けばよかったかなと反省しました。 -
ここから日高別院に向かいます。
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御坊の中心日高別院の向かいにある老舗の和菓子屋さんは、菊水堂。
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いろんな賞を取ったようで、店内には賞状とかが何枚も飾ってありました。
さっそくいただいたのはつりがね饅頭。つりがね饅頭は本願寺の関係ですかというと、円珍・清姫の道成寺にちなんだものなのだそう。
さて、こちらのおまんじゅうは人形焼きの視点でいうと比較的オーソドックス。ちょっと大きめの饅頭で、カステラ生地と餡子のバランスがいいように感じました。 -
さて、これが本願寺日高別院。歴史的にも、御坊の中心。そもそも、御坊という名前はこの日高別院からきているんですね。
始まりは、享禄元年(1528年)。地元の豪族、湯川直光が建立した一堂で、吉原坊舎。その後、秀吉の紀州征伐では焼失しますが、紀伊国主浅野幸長の重臣、佐竹伊賀守の援助で再建されます。
表門、裏門ともに重厚な四脚門が構えで、 -
本堂の前には巨大な銀杏の木。今の本堂は文政8年(1825年)の再建です。
反面、朝早くからでも門があいていると思ったら開いていない。脇の鉄格子から中を眺めましたが、意外に融通がきかないなと思います。 -
街歩きに戻って。これは、つりがね本舗。日曜はやっていないという情報だったのですが、前を通りかかると開いていました。
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いただいたのは、これ一本というつりがね饅頭。
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白餡の方でしたが、スキッと染み通るような爽やかな甘さが衝撃的。うーん。これはすごい。目が覚めるようなおいしさです。
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御坊のお菓子屋さんでも誰もが認める一番の老舗がこちら、有田屋です。
屋根の低い、いかにも町家風の渋い店構えですね。 -
こちらでもつりがね饅頭があるのかなと思ったら、それはなし。そんなのここでは作らないよとでも言いたげでしたが、それはそれとして。
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この草餅もいい感じですが、
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私は、美しい白い色が目立っていた、正統派の生菓子、この薯蕷饅頭をいただきました。やっぱり、薯蕷饅頭は饅頭の王様ですからね。
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イチオシ
控えめですが赤い点が中央に打ってあって、これがなんともいえない景色となっています。しっとりした生地を想像したら、芋の食感がもっと強い感じ。上品さと力強さを兼ね備えた仕上がりです。
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お茶を一服、歴史を腹に収めたっていう感じでしょう。
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列車の時刻もあるので、そろそろ帰りが気になってきましたが、これは湖月堂。
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酒饅頭をいただきました。酒饅頭は麹菌で作った手のかかる饅頭なんですが、ここはそれではなく酒粕を入れた饅頭。まあ仕方ないよなと思いつついただいたのですが、ちゃんと酒粕の香りを活かしたまろやかな仕上がり。やっぱり老舗の片鱗はうかがえたかなという感じです。
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これは御坊市民文化会館。歴史のある街にはそれらしい施設があるものですが、ここもそんな感じ。
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いわゆる市民ホールですが、この街のイベントに使うには十分なスケール。少し古びているようにも感じましたが、屋根には、耐候性鋼。表面に保護性錆と呼ばれる錆層ができて、それ以上の腐食を保護しているのだそうです。
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御坊駅近くまで帰ってきて。これは宝神社。
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この辺りは財部の里と呼ばれた地域。詳しい説明板があって、港に近く、鉄、銅、銀等の金属類が運ばれて来たことで、鍛冶職人など金属に関する仕事に携わる人々が多く住んでいたのだそうです。
ただ、拝殿部分はボックス型の鉄筋コンクリート製。ちょっと味気ないかもしれません。 -
御坊駅まで帰ってきました。
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駅で待ち合わせしている間に、紀州鉄道をチェック。この鉄道は、御坊駅から西御坊駅の間2.7kmのローカル線です。
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歩けない距離ではないのですが、地元でこれを歩く人はいないそう。御坊市の中心は西御坊駅の方だし、御坊の人にとっては身近な鉄道です。なお、列車はシックな赤い椅子。ちょっと郷愁を誘いますね。
なお、ダイヤは接続がうまく考えてあって、西御坊で乗っても御坊駅の乗り換えで長時間待たされるということはありません。 -
御坊駅から、ひと駅ですが、道成寺駅に到着。駅から道成寺は歩いて数分と言った感じです。
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道成寺にはちょっとした門前街があって。これは、あんちん。
一番手前の大きな店構えなので、やっぱり目立ちます。つりがね饅頭も含めたお土産類に食堂もあって、観光客には総合的に対応できるお店。この一角は、ここと隣りの雲水で持っているように思います。 -
隣りは、雲水。階段下すぐのお店と中ほどのお店の二軒があります。
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もう少し行って、
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これが階段下の店。つりがね饅頭を食べるなら、こっちのお店の方が腰掛もあって、お茶も入れてくれるのでゆっくりできると思います。
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つりがね饅頭の包装に雲水の字が入っていますが、そういえば包装に店の文字が入っていたのはここだけだったような気もします。
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いよいよ道成寺ですね。こちらは、大宝元年(701年)、文武天皇の勅願、義淵僧正を開山として、紀大臣道成という人物が建立したと伝わる寺。
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山門を入って、正面に建つ現在の入母屋造、本瓦葺きの本堂は、南北朝時代に出来たもの。
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折衷様式が定着した時代なんですが、その折衷様式というのがまた千差万別。コメントするのが難しいんですよね。
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イチオシ
ただ、本堂がどうというだけではなく、山門からその正面の本堂と右手には三重塔という伽藍の配置に大寺の風格があって、
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この全体としての伽藍配置が注目点。落ち着いた心地良さを感じます。
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そして、この寺はなんといっても、絵解きをしてくれる円珍・清姫伝説が超有名。絵解きは、道成寺宝仏殿。山門を入って左手奥の建物です。
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ただ、絵解きの前に。まずは国宝の千手観音立像及び脇侍菩薩立像を拝観します。巨大な空間に立ち並んだ三体の仏像は、平安時代初期の作でいずれも高さ2m半。堂々とした体躯を持ち、その神々しい存在感は抜群ですね。元々は絵解きが目当てだったんですが、この仏像はすごくいい。遠くから見ても近くから見ても。。美しいという感じじゃないんですが、見飽きないバランスの良さがありますね。もう少し、これも有名になってもいいと思いますよ~
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さて、その後が絵解き。もう数えきれないほど絵解きしてますというお寺の人がリアルに説明をしてくれました。
ウィキペディアかた引用すると、以下の通り。今で言えば、女のストーカーなんですが、スイッチが入るのが異様に早い。安珍を泊めた辺りから、いきなりパワー全開で、ねちっこく迫る場面とか、かなりの怪しさです。
安珍・清姫のなれそめ
時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)夏の頃である。奥州白河より熊野に参詣に来た僧がいた。この僧(安珍)は大変な美形であった。紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市中辺路:熊野街道沿い)真砂の庄司清次の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後は立ち寄ることなくさっさと行ってしまった。
清姫の怒り
騙されたことを知った清姫は怒り、裸足で追跡、道成寺までの道の途中(上野の里)で追い付く。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ね、更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする始末である。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂に蛇身に化け安珍を追跡する。
安珍の最期
土佐光重画『道成寺縁起絵巻』。蛇身となった清姫が鐘の中の安珍を焼き殺そうとする様子を描いたもの。
日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ安珍を追うものは、火を吹きつつ川を自力で渡る蛇の姿である。渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んでもこれでは無意味であった。よんどころなく、梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込む安珍。しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。因果応報、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水する。
成仏
蛇道に転生した二人はその後、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。 -
清姫蛇塚は、道成寺の境内を西側の方に降りたところ。
この塚は、道成寺で清姫が安珍を焼き殺した後、日高川に身を投げた場所とも、清姫の化身の大蛇を埋めたともされる場所。小さな塚ですが、円珍・清姫伝説に直接関係するスポット。しかし、住宅地の隣りのような場所なので、ちょっとあっけなく感じるかもしれません。 -
道成寺を後にして、紀伊田辺駅に到着。今回は二回目なんですが、前回は駆け足だったし、今回は自転車を借りてじっくりと回ります。
ここまでもけっこう大変でしたが、もうひと踏ん張り。がんばりますよ~ -
まずは、闘鶏神社へ。
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イチオシ
こちらは、源平合戦の時、ここで紅白2色に分けた鶏を闘わせ、平家に付くか源氏に付くかを占った神社。
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結果、源氏に付くことを決め、熊野水軍は壇ノ浦へ出陣したということです。
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ちょっと気が付きにくいかもしれませんが、大きな見どころは奥の社殿。西殿、本殿、上殿、下殿、八百萬殿の6棟が横一列に並んでいて、熊野らしい独特の存在感を放っています。
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なお、この日は十日戎のようで、境内は華やか。
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商売繁盛の願いは、
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やっぱり一番分かりやすい。みなさんのすっきりした笑顔も印象的でした。
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ここからちょっとスイーツチェックもまじえまして。
ケーキの幸屋は、闘鶏神社のほど近く。路地に建った小さなお店です。 -
店内に入ると、プーンとケーキの甘い香り。名前の通り、すべてがケーキと言ったコンセプト。これはいいですねえ。シュークリームをいただきましたが、ほんわかしたクリームはこれ以上だとちょっと寂しいかなと思うギリギリのほんのり淡い甘さ。なるほどなあという仕上がりです。
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続いての七福堂は、きれいな店構えの和菓子屋さんです。
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いちご大福をいただきました。大粒ですがちょっと酸っぱめのいちご。大丈夫かなと思ったのですが、それをうまくコントロールした白餡の甘さが絶妙。フルーツの味は安定しないでしょうが、それを踏まえて、ちゃんと仕上げる。その腕の確かさがあるような気がしました。
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少し海側に移動して。
神楽神社は、この辺り神子浜村の産土神だったということですから、地域の神社。大梵天王社と呼ばれ、インドの神様を祀っていたというのは珍しいですね。 -
鳥居に長屋門をくぐって境内に入ると社殿の裏側には深い森。
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規模はさほどでもないですが、幽谷の雰囲気がありました。
南方熊楠が珍種の藻を発見した地でもあるようです。 -
海岸まで出て、これは浦安神社。田辺市街の海岸端を走る自動車道路の海側です。
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江戸時代は恵美須宮と呼ばれた湊浦漁業者の守護神。
小さな神社は海側から石段を上がったところ。そこからだと海が真正面です。ただ、特徴的なのはそれくらい。特別何ということはない神社です。 -
扇ヶ浜は、そこから田辺市街に戻ってきたような感じになります。
扇ヶ浜公園は、田辺市街地の海沿いにある公園。海岸に松林というのはよくある光景ですが、ここもまさにそんな景色。約1キロに及ぶ松林を気持ちよく自転車で走りました。ただ、公園と海との間には堤防があるので、安心感がある分、ちょっと開放感は弱まっているかもしれません。 -
田辺扇ヶ浜海水浴場は、田辺市街から海岸に出たところ。すぐ近くまで市街が迫っているので、とっても便利な場所です。ただ、その分、堤防がしっかり整備されていて、海水浴場はその堤防を越えた場所。気にならなければ何ともないですが、やっぱり海は気を付けないといけないなという感じです。
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ほど近い場所にあるのは、弁慶松と弁慶産湯の井戸跡。ここは、田辺市役所の前ですね。
国道沿いに大木な説明板があって、すぐにここがそれと分かったのですが、林のような植え込みの中にはいっぱい木が生えていて弁慶松はどれなんでしょうねえ。看板は立派なのに、これでは案内がちょっと雑ではないかと思います。 -
市役所の隣りにある大きな市民ホールは、紀南文化会館。
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イベントがあれば賑わうのでしょうが、この日は何もなくて閑散としていました。ちょうど雨が急に降りだして、ここで雨宿りと休憩をさせてもらいました。ロビーがゆったりしていて助かりました。
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そこから、南方熊楠旧居と南方熊楠顕彰館に回ったんですが、なんと休館です。あの~、三連休に休館って、ちょっとありえないのでは?もう少し、観光客のことも考えてもらえたらと思います。
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気を取り直して、これは弁慶の腰掛石。
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小さな神社、八坂神社の境内にありました。意外に大きくないというか、むしろ小さいくらいの石にちょうどまあるく穴が空いていて、それが腰がすっぽり入るような感じなんですね。弁慶云々ではなくて、この穴が面白い。見る人がいろんな空想をしたということかと思います。
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ところで、田辺の街は街道の街か、港町かくらいに思っていたのですが、そもそも田辺城という城下町として発展した街なんですね。
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ただ、今では城跡ははっきりしていなくて、唯一残った遺構がこの水門跡です。
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公園のように整備された一角の川近くの場所から、下に潜って行くような階段を降りていく。
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そして、ふり返って見あげると、
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イチオシ
やっとこれが頑丈な石造りの門になっていることに気が付きます。
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下りて行って初めてその見応えが分かりますので、よろしくお願いします。
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また、少し移動して、今度は田部市街の西側です。
和佐大八郎の墓は、田辺市街の端っこ。浄恩寺の山門を入ってすぐ左手にありました。入口には「和佐大八郎の墓」と大書した石柱もあるし、この寺ではまさに特別な扱いです。 -
ちなみに、和佐大八郎というのは江戸時代初期の弓の名人。京都三十三間堂の通し矢で大記録を打ち立て、紀州藩から300石を賜ったとある人物。田辺で最期を迎えたのでここに墓があるようです。
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境内の金銅仏も寄進によるものです。
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河口を走りますが、これは会津川です。
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ということで、文左は田辺の市街なんですが、かなり端の方。
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元祖、柚子最中というのが名物で、お店に入った途端に、これですねと向こうから言われてしまいました。薄い緑っぽい色合いの餡子が確かに柚子の香り。程よい甘さが上品な味わいです。敢えて言えば、インパクトはあんまりないかもしれませんが、奇をてらったところがないのは好感が持てます。
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今度は、中心部に戻ってきて。
店千代本舗は、蒲鉾の老舗なんですが、外観からは蒲鉾屋か何かわからない。 -
しかし、とにかく何かの老舗なんだろうなと思わせる店構えです。
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イチオシ
いただいたのは、ずぼら焼き。蒲鉾って、普通は蒸してあるんですが、ずぼら焼きは焼いた蒲鉾。プリンプリンした弾力ある濃厚蒲鉾。そのまま食べても、うどんに入れてもおいしいです。
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で、その隣にあるのが、たな梅 本店。これも老舗の天ぷら屋さんです。
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こちらも、お店の構えからして、雰囲気というか勿体がありますね。
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人気と言う丸天をいただきました。食べると少し甘さがあるような。めちゃめちゃうまーい。しかし、この味なんか記憶にあるような。伊勢かまぼこの若松屋の味に似ているような。実はこれ。あちこちで天ぷら食べていますが、私の中では最高峰の天ぷら。これはお勧めです。
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続いては、辻の餅。熊野古道沿いのお店です。
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通りからは店内が丸見えの飾らない構えがいい感じ。
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おけしもちという餡子のお餅と黄な粉餅をいただきました。店内の緋毛氈の腰掛に座って、昔の旅人気分。
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ちなみに、おけしというのは真ん中にちょこっと髪の毛を残した子供の髪型のことだとか。女将さんに教えてもらって、また味わいが深くなったような気がしました。
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熊野古道をさらに進んで。
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こちらは、富美堂。
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まだ新しい感じのお店でしたが、麩饅頭の幟が目について、それをいただいてみました。
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丁寧にくるまれた麩饅頭は麩の部分がちょっと薄め。しかし、それが均一なので、味わいが安定しているような。技が光っているように思います。
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で、田辺市で気になっていたのが、この高山寺。田辺市街のちょっと外れだし、山の方なので、自転車で行ってもけっこうしんどい行程です。
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イチオシ
弘法大師が開いたので、通称は弘法さん。
ここは、田辺市街を見下ろす山の上。けっこうな広さの境内を持った、意外な大寺ですね。江戸時代の建立された多宝塔が美しいですが、 -
それだけではなく、池に浮かぶお堂なども風情があって、意外に楽しめました。
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高山寺の境内、多宝塔のすぐ近くに、高山寺貝塚とうのもあります。
縄文時代早期の貝塚で、縄文時代の特徴である押型紋の文様に尖底の土器が出土したということ。今は山の上にあって、海岸からけっこう離れているし、場所的にはちょっと違和感があるのですが、かつては海のそばにあったはず。海水面の高さの変化や地形の変化もあったのではないかと思います。 -
そして、共同墓地の方ですが、この墓は植芝盛平。植芝盛平というのは田辺市出身の合気道開祖という人物。氏が合気道と命名したのは大正11年のことだったそうです。墓は、高山寺の墓地の中。たまたま寺の方がいらっしゃって、場所を教えてもらいましたが、墓地は広いので自分で見つけるのは容易ではないように思います。
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同じ共同墓地の南方熊楠の墓。田辺市は南方熊楠の後半生の研究と生活の拠点にした街であり、市内中心部には25年暮らしたという家もあるのですが、お墓はここなんですね。これも、お寺の方に案内していただいて、やっと見つけることができました。
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また市街に戻ってきて。
蟻通神社は、お祭りだったようで、境内には賑やかなお囃子が流されていました。 -
趣きのある門から、神馬の像などがコンパクトに配されて、京都の祇園っぽい感じの境内なのもちょっと印象的です。
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ところで、蟻通しというのは法螺貝に糸を通すという難問に、貝の口から蜜を流し込んで、その蜜を追った蟻に結びつけておいた糸で通したという言い伝えから。そのことで、外敵から攻められることを逃れたというめでたい話。お囃子が賑やかなのも始めは神社らしくないように感じましたが、こうしたおめでたい話があるのであればちょうど合っているようにも思いました。
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駅の近くに戻ってきて。
田辺駅前商店街の中にあるのは、鈴屋さん。 -
間口はちょっと狭いですが、田辺市内の和菓子屋さんでは一番の老舗です。雛人形と一緒に飾ったらかわいいだろうなというような落雁や手まりを象ったお菓子など、目を楽しませてくれる商品も少なくないですね。ただ、いただいたのは「弁慶の窯」という最中。天皇陛下にもお買い上げいただいたというお菓子で、ゆず餡と粒餡の二重構造なんですが、ちょっとヘビーかなあ。今はちょっと時代が変わったかもしれません。
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田辺市内の老舗寿司店、宝来寿司にも寄ってみます。ここは、観光案内なんかでも必ず載っているお店です。
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いただいたのは「ひとはめ寿司」。このひとはめと言うのは、この辺りでしか採れないという
ローカルな海藻のこと。湯にくぐらせると昆布のように茶色が鮮やかな緑色に変わるのだそうで。ひとはめ寿司は、そのひとはめで巻いた巻寿司です。 -
イチオシ
ほどよい柔らかさがあって、噛むとちゃんと噛み切れる。その加減がとっても気持ちいいですね。味わい云々ではなく、その食感を楽しむようなものかも。くえ鍋なんかにも入れると最高ですとおっしゃっていましたが、いずれにしてこれは珍しいものをいただきました。ありがとうございました。
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最後に粘って、菓匠 二宮は、駅前通り。みたらし団子をいただきました。
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熊野古道のみたらし団子はどんな特徴があるのかと思ったら、水飴のようなあまいタレをじゃぶじゃぶに掛けた団子。こちらは甘辛いのに慣れているので、これではパンチがないような。優しい味わいが予想外でした。
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うーん。これで田辺はおしまい。最後にこの弁慶像をチェックして、白浜に向かいます。
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白浜駅から、白浜温泉までのバス。これが最終便なんですが、意外に外国人観光客が多い。私でも、けっこう調べて、このバスに乗っているんですが、よく皆さん分かりましたねという感じ。そんなに旅慣れているような人たちには見えませんでしたが、外国人観光客のパワーはすごいです。
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ここが今夜の宿。
なんで白浜なのに沖縄民宿なのか。大丈夫かなあとけっこう心配だったのですが、まったく問題なし。 -
というか、若いスタッフの温かいおもてなしの気持ちもあって、気持ちよく泊まれました。副社長が沖縄大好きということで、こうしたコンセプトになったようですが、やっぱり好きな人が気持ちを込めて作ったとあって、部屋のデザインとか敷いてある御座の快適さとか。よくできている。共通スペースのゆったり感もいいと思いました。
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宿に荷物を置いて、白良湯へ向かったのですが、気が付くと海岸ではこんなイルミネーション。
白良浜いっぱいを使った砂浜のイルミネーションですよ~ -
イチオシ
イルミネーションは白浜の海岸線の遠くまで見渡せる夜景とうまくコラボして、ほどよい加減の心地よさがあります。
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海岸は砂浜に降りる階段とか安全なので、夜でもまったく危険を感じることはありませんでした。
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で、これが白良湯。町営の温泉施設は3か所あるのですが、そのうちの一つです。ただ、白浜バスセンターからすぐにあって、白浜の日帰り温泉の中では一番便利な場所かも。
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イチオシ
塩分が多いせいか、湯上りにちょっとべとつく感じもありますが、その分よくあったまるような。湯量も多いし、豪快。気持ちいいです。
今日もよく頑張りましたが、明日は最終日。白浜も二回目のはずなんですが、ほとんど記憶にない。その分、期待が膨らみます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- mistralさん 2017/08/26 10:32:33
- 美味しそう!
- たびたびさん
mistralと申します。
いつもご訪問と投票をいただきまして
ありがとうございます。
今回も詳細に辿っておられます旅行記を
拝読させていただきました。
特に和菓子を召し上がられてのコメントに
かなりお口がこえておられる!
との印象をいだきました。
かなりの数を召し上がっおられましたね。
和菓子だけでなく、洋菓子も。
それぞれが個性が感じられ
どこのお菓子も美味しそうでした。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
mistral
- たびたびさん からの返信 2017/08/28 09:44:24
- RE: 美味しそう!
- スイーツは、地元の文化度を計る物差しみたいなものかなと思います。
和歌山だと熊野古道。疲れた旅人にとって、甘いものはありがたかったことでしょう。特に、御坊は小さな街なのにこれだけつりがね饅頭の店があるとは驚きです。競争しながら進化してきた味わいがあるような気がしました。
たびたび
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