寝屋川・枚方・交野×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
航空券
旅行記

寝屋川・枚方・交野 行ってきま~す3

  • 今まで行った人3
  • これから行く人0
  • 現在旅行中0

いってきま~すを宣言する

なんとなく大阪へ (その3)

2013/10/04 投稿

by isabonさん

isabonさん

JETスターのセールで、往復6000円だったので買ってしまった。 成田発7:25/帰路関空発20:05だ。これなら自宅から行ける時間帯だ。 大阪の拠点の整理が主なる目的だ。が、枚方周辺の散策も予定に入れた。 今日(9月25日)、大阪に行くべく、朝早く家を出て、八千代中央から5時24分の東葉線に乗った。3列車は早く乗れたので、悠々到着の筈だった。ところが、パスモの金額が足りなくてチャージのために切符販売機に寄った。この予定外の行動で、調子が狂い、いつもより余分の荷物、ふすま紙を数枚巻いた物を切符販売機の下に置いたまま列車に乗った。勝田台駅に着く前に気づき、勝田台の切符売り場職員に助けを求めようとした。 が、若い職員は、事情をなぜか余り乗り気では無い顔で聞き、かっての馬鹿げた経験から、落し物は勝田台の送られることを知っている僕が後続の電車に乗せてほしいと言うと、現下に拒絶した。空港に向かうので戻る時間は無いのだ、と言っても、できません、の一言であった。そのまま自分の仕事に戻ろうとしたので、荷物の状況を確認して、と言うと、乗り気でない様子で、パソコン画面に向かい、拾得物リストの画面を開き始めた。電話してよ、と言うと、いやいや電話をしたが、八千代中央には即座に通じた。一言二言話しただけで、「あります」と答えた。が、別にそれ以上の依頼もする様子も全くなく電話を切った。僕が黙って顔をみていると、「なんですか」と聞く。荷物をどうするかの話もする気はないらしい。そこで、僕が後はどう荷物を回収できるか、との話も、荷物の識別をどうするかも、すべて僕が話をした。と、言うことで、彼は、あたかも、人の不幸を喜んでいるかのような態度をずっと続けた。 以前の職員はこうでなかったような気がする。「荷物を忘れ、しかも空港に行かねばならない」と知れば、なんとか助けてあげようとする職員が居たように思う。結局はできなくても、少なくとも相手の立場に立って考えようとする職員が居たように思う。 逆の立場で考えた場合、鉄道の顧客はいちげんさんでは無い。中には毎日通過する人もいる。 そんな人をわざわざ敵にすることもないし、顧客を敵にする商売なんてありえない。 そもそも、相手の身になり一緒になって問題を解決すれば、 楽しいではないか。そうすることで感謝され、味方を増やすことができる。 僕ならそう思って行動し、うまく行けば、幸せこの上ないだろう。 僕には彼の考え方が理解できない。 だが、どうやら、今の若い人、それに今の企業は、連絡する機器が増え、自分自身は容易に他と連絡できるとか、駅間の連絡も容易になったとしても、それを、顧客の苦境のために使う気はないらしい。 もう、若い人に期待するのはやめよう、と考えた。、もちろん東葉線にも期待することもやめよう。 彼らにやっかいにならないように頑張らねばならない。 大阪に着いても、その職員の、無感覚と言うか、面倒そうな顔と言動が、思い出されて情けなかった。 後になって思うのだが、多分彼はなんとか出来るのに、わざと何もしなかったようだ。対応全体がそんな雰囲気だった。 八千代中央の職員への返事もちょっとおかしかった。 おそらく「送ろうか」ってでも言ったのだが、いいよ、なんて言ったような雰囲気だった。 他にする仕事があるので、僕への対応を最小限にしたいような態度だったから。 なぜ、何の対応もしなかったのか、それどころか、品物が八千代中央にあると判っても、その後どうするか、 とかの」対応さえしなかったのは何故か、大阪から帰ったら東葉線に問い合わせよう。 彼は、忘れた荷物を送ることは、「そんなことはできない!」って言っていたが、 それは、そのような顧客応援は、社則で禁止されているかのような口調の拒絶であった。 ほんとうにそうなのか、それとも彼だけの意思なのか、それも問い合わせるべきだろう。 東葉高速には掲示板とかE-Mailはないので、駅に質問ポストがあるらしい。ここに投稿して回答をここに載せますので、楽しみにまってください。 問題は、投稿された本人の立場だが、この投稿で、彼の立場が悪くなることはなかろう。 先ずは、実際に会社が彼の言うように、「顧客への応援はほどほどに」と言っている場合は、全く問題ないし、 そうでないとしても、たったひとりの顧客評価で、彼の将来を決めることはないだろう。 それに、東葉高速が、顧客向きの会社なら、彼に関する本件の投稿は、彼に取って、良い経験、警告になるだろう。 将来への良きアドバイスになるようにと文面を考えればよい。 案外、「全面的にあんたが悪い。我が社員は言われたとおりの行動をとっただけで、その行動はなんら非難されるものではない」って回答かもしれない。余分な心配は無しで投稿しよう。 そう言えば、スイス旅行で、行く方向と逆の列車に乗った時に、 次の駅で降りて駅員に助けを求めたら、時刻表をCPUで調べて、 この駅の前で、何番のバスに乗れば、何個か先のバス停留所で乗るべき列車に追いつけると、 必死になって調べてくれた。言われたとおりに乗ると、言われたバス停のどまんまえに列車が停まっていて発車寸前だった。 それに比べ、日本の公共機関のサービスはどんどんと低下しつつあるのか。そうなれば、それは組織の問題と言うよりは、人間性レベルの低下が原因と言えそうだ。 つまり、日本の公共機関の職員は、自分の仕事は「切符売りと、これこれで、乗客のミスは自分で何とかすれば良いのだ」と考えているなら、これは間違いだろう。顧客へのサービスとはもっと人間的な事柄を含むのだ、と僕は思う。 28日NHK教育で、12時からの「明日をつかめ」は、JR奈良駅で働く職員が、お客さんに嫌な思いをさせないことをモットーに精一杯働く姿を報道していた。JRでさえこうである。この報道と僕の経験との格差に考えさせられた。通常、客商売の、特に窓口は、こうあるべきだと思うのだが、東葉高速は、社員にどんな教育をしているのだろうか。更に同じJRだが、JR北海道での不祥事も、かような意識の不足が招いているのだと思えた。 でもまぁいいや。今回は和室天井の塗装と、庭の除草や剪定に注力して、10月末にアンコールワットは大阪発だから、また立ち寄ってふすま貼りをしよう。 ただ、不注意での失策をなんとかしないように注意が必要だが、注意が散漫になる一瞬に、どうしても失敗を繰り返してしまう。どうすりゃいいでしょうか。 和室天井の塗装は見事にできた。前回は壁をアイボリーで塗り、少々むらが見えていたが、時間が経ち発色したので気にならない状態になった。 天井はニッペの水性つやあり、木部、鉄部、コンクリート用のアイボリーを0.7L(3m2用)中途半端に塗布したが、高槻のコーナンではこの塗料がなく、アサヒペン0.7L3m2用 水性多用途用しかなかった。幸い880円と安いので買ったが、同じつやありアイボリでも色が合わないと追加で買わねばと思いながら買った。実際に塗るとニッペのより明るい色で全く合わなかった。しかし不思議なことに、6畳の部屋の天井をすべて塗れた。塗ってすぐはむらが目立ったので、追加で買わねばならないかと思ったが、翌日見ると発色してむらが目立たなくなった。 ふすま貼りはできないので、前回に持参しておいた、和室木部の着色剤、水性と水性ニスの2種類を各所に塗った。木部に傷があり、ここに着色料が滲むことで、塗布しても古びた感じは回復できない。水性の方は水を加えることで、塗布した時の色の濃さを容易に変えることができる。水性ニスは艶がでるが、やはり古さを回復するのは難しい。それに、ニスは艶が出るのだが、その上に他の色を色修正に塗布しにくいとの欠点がある。 木部についてはもっと工夫が必要だ。 しかし、全般的に色が濃くなり過ぎないか、と心配したが、木部の年齢的色落ちが修正されたので、これで襖張替がなされれば、かなり見栄えが良くなりそうだ。楽しみだ。 今回の経験で判ったが、和室の場合、壁が白系で、木部が余り濃すぎてはどうか、と考えていたが、少なくとも、地味な感じで濃くなると、案外壁の色と調和が取れるようだ。 襖の取っ手の外し方が判った。釘が斜めに打たれていることがポイントであった。つまり、釘の頭が斜めになっているので、片側(奥側)には必ず隙間が開いている。ここに金具を差し込めば釘を抜けるわけだ。金具としてはマイナスドライバーを100均で買っておいたダイヤモンドヤスリを使った。この理屈に達するまでに、3個の引手を痛めてしまった。 それとこちらに太陽光発電架台の設置は、場所的には十分だ。しかし、庭はかなり深くまで耕しているので、コンクリート基礎を計画するときは注意しなければならない。 但し、次回は、10月29日にバスで訪問する。アンコールワットに行く中継で、今度は、襖紙を忘れないようにする。 先ずは、支障がある機器の取り換え、改善を目的とする。つまり、 ?風呂の水栓の取り換え。 ?2階網戸の取付。 ?ウオッシュレットの取替 ?ガス不要化 短期時はガスを使わなくて良いようにする。 ?ポータブルクーラー 等を対応して、次いで、見栄えを良くすることにする。 今回は、メンテに終始して、近隣の観光まではできなかった。この時期にしては、余りに暑過ぎて観光をする気力を無くしてしまったのだ。 帰路は極めて順調で、関西空港では時間が十分にあり、関空から大阪市内への交通を調べた。バスで枚方へは2000円、阿倍野へは1500円であったから、結局最も安いのは、地下得切符と称される、難波経由で、南海、地下鉄利用が980円であった。食事は2階のノレン通りが最も安そうであった。 成田空港には予定より早く着いた。京成に乗り、東葉線乗換の勝田台では降りず、京成大和田で降りて雨の中を40分をかけて徒歩で自宅に辿りついた。 これからも、出来るだけ東葉線を使わないように工夫することにした。

isabonさんの掲示板にコメントを書く

なんとなく大阪へ

2012/11/06 投稿

by isabonさん

isabonさん

JETSTARが、往復7000円なんて破格の値段だし、枚方のGuestHouseのメンテも兼ねて行くことにした。 便は、成田14:24発、帰路 関空発16:10 発と極めて好ましい時間であった。が、その後、成田発21:05、関空発20:40 と変わってしまった。これだと、往路で関空に着いてから、その日の内に、枚方にたどり着けない。そのため、天王寺の動物園前辺りの、朝食2200円の宿を予約した。懐かしい天王寺も楽しめるかと楽しみにしていた。 ところが、そののち、また連絡が来て、成田16:10発が無くなって、早朝6:15発になった。動物園前の宿はキャンセルしたが、この便には乗れる筈がないと、キャンセルしようかと電話したら、成田の宿を無料で予約してくれるってなった。今回はいいのだが、これから、この便に乗るにはどうすりゃいいのだろうか。こんなことしてたら、JetstarJapanに乗る人が無くなってしまうのじゃ、と心配だ。どうやら、やはりバス便が僕の身に合っているのだろうか。 どうせならと、小学校の友人をネットで探したら、古墳を楽しむ会に所属する、それらしき人名の人に連絡を取ったら、やはり、小学校の友人であった。彼と会う約束もした。 楽しい旅になりそうだ。 出発当日のホテルは、成田ビューホテルと称され、送迎バスが駅、空港の双方を結んでいるらしい。夕食は京成成田駅で降りてJR成田駅に行く途中のコンビニで買い、国鉄駅前のロータリー前で送迎バスの停留所を探したが見当たらない。また戻ってゆくとなんとコンビニの眼前に目当てのバスらしきものが停まっていた。乗り込むとしばしで出車した。ホテルにまっすぐに向かうかと思いきや、なんと、イオンの前に停まり多くの乗客が降り出して心配になり、運転手に聞くと、そのあと、ホテルに向かうとのことで安心した。ホテルはかなり空港に近い場所にあるが、やはり早朝送迎バスでないと行けない。そのため翌日は早いので、早々に就眠とした。 結局、LLCってことは、あまりサービスも求めない僕向きのFLIGHTだってことだった。が、早朝便のことだけあって、雲は多い日であったが、富士山が実に見事に見える旅であった。 何のトラブルも無く、天王寺に着いて朝食を食べ、河内松原駅に向かった。小学校の時代とは違い、立派な駅に変わっていて、駅前で小学校の旧友I君と、それは簡単に出会った。やはり、子供の頃の面影は、お互いに、見事に残っていたようだ。僕の頭の中の彼の顔の記憶が、不思議なことに、すぐさま今の彼の顔にと置き換わった。 その昔の我が家は、松原駅から東西に走る線路に沿って、西の方2KM程度にあった。一方、彼の家は、今は無くなった小学校、それは駅に沿って南側にあったが、その小学校の更に僅かだが、南側にあった。が、そこに至る道には竹林に覆われた場所を通らねばならず、その竹林が怖くて、彼の家を含めてその南側に行ったことはなかった。が、今ではすべてが商店街と住宅街に変わっていて、I君は彼の車で、先ず僕を彼の家に連れていった。家の場所は同じだが新しく建て直された家であった。彼についての記憶からすると、彼はとてもはりきり屋で、いつもクラス活動を真っ先にする少年だったのだが、いろんな思い出話をしているうちに、僕たちの小学時代には、彼は既に父親を病気で亡くしていたとのことで、学校生活で、あれほど活発な少年が、と愕然とした。そう考えると、わが人生とは、長い人生で付き合いのあった多くの人々の人生については殆ど知ることなく過ごしてきたことにも思い至った。戦時中の疎開者住宅で育ったことに加えて、小学校高学年で引っ越し、市内の、公立ながらも受験中学校、受験高等学校に通ったことからも、この傾向を高めてしまったのであろう。さびしい気持ちもするが、どうしようもないことでもある。 家に招待されるとは思いもせず、お土産も準備していなかった。どうも、まともな人付き合いが少なく、しかも、現役引退が長く続いたことも影響してまともな社会人では無くなったらしい。ちょっと話は飛ぶのだが、帰ってからお礼にと、ネパールで買ったお茶を送ったが、このお茶の味について、女房や娘の感想と同様な感想の感謝メールが送られて来て驚いた。僕の味覚が最悪なのは、てっきり戦後の物質不足のせいだと考えていたのだが、I君のことから推察すると、どうやら、そのせいではなく、生まれつきのものかもしれないと思えたのだ。 さて話は元にもどして、その後、彼は車で松原市内の見どころを案内してくれたが、ほとんどは僕の知らない、それに、驚くほど由緒のある場所であった。順にたどると、南に下って、柴垣神社 http://www.e-kokoro.ed.jp/matsubara/matsu-e/6nen/6-3new.pdf#search='%E6%B2%B3%E5%86%85%E6%9D%BE%E5%8E%9F+%E6%9F%B4%E5%9E%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE' 更に南に下ると、黒姫山古墳がって、ここで昼食をご馳走になった。なかなかおいしかった。やはり、食事は関西の方がおいしい。 http://inoues.net/ruins/kurohimeyama.html 僕の青年時代は、この古墳よりは東側の、仲哀天皇や応神天皇のエリアを主に回っていて、これほどの古墳が松原地区にあろうとは思いもしなかった。 少し西の26号線、これは、松原と高見の里のほぼ中間辺りを南北に走る道で昔はなかったのだが、おそらく細い旧道があったのだろう、それに沿って北上し、先ずは、鋳物師発祥の地、 http://kamnavi.jp/en/kawati/hirokuni.htm 次いで、法雲寺、更に来迎寺(丹南藩陣屋跡)を訪れた。これら由緒のありそうな施設は、僕の住んでいた場所から、南にそれほど遠くは無い場所の筈なのだが、まったく行ったことがなかったのだ。僕たちの子供の頃は、それほど、行動範囲は小さかったのだろう。 次いで彼は、大塚山古墳を案内してくれた。なんとも懐かしいエリヤの自分の知らなかった素晴らしい場所を案内してもらい、感動の時間を過ごすことができた。 その後、松原駅で再会を約束して別れた。 その後、枚方では家の修理を楽しみ、天気があまり良くなく、外ではたまにしかできなかった。が、暇を見て、京阪私市線に沿って河内磐船、つまり交野近くまで歩いた。枚方からの道はなかなか面白い道であった。 これからもいろいろと大阪を楽しめそうだ。

isabonさんの掲示板にコメントを書く

大阪旅行

2010/04/15 投稿

by wg5229さん

wg5229さん

友達の家に行ってきますー 朝ついて、そっから何するんか 決まってないけどとりあえず たこ焼きは食べたい!!

wg5229さんの掲示板にコメントを書く

4Tポイントを貯めよう

チャンスは一日一回。
エリアに隠された宝箱を探せ!お題はTOPページにて発表! 本日のお題はこちら!

4Tポイントとは?

PAGE TOP