2018/02/03 - 2018/02/03
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164-165さん
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初めての姫路城探訪
その荘厳な姿は見るものを魅了する美しさでした。
枚数が多くなったので、2編に分けました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JALグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2月3日大坂駅から新快速で姫路駅へ
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JR姫路駅の展望デッキからの姫路城
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姫路駅(北口)バスターミナル ⑥⑦⑧⑨⑩番のりば発のバスは、姫路城大手門前まで¥100-
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白さが薄れたそうです。
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パンフレットは白さが際立っています。
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国宝記念碑と城
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桜門橋
現在の桜門橋は発掘調査で出土した橋台の遺構を活かしながら、江戸時代の木橋をイメージして築いたものです。幅7m、長さ22mあり、平成19年2月に完成しました。 -
昔の姫路城の大手口の門は明治時代に取壊されました。今の大手門は昭和十年に再建されたものです。
当時、軍用車両の通行を確保するため、軒高を高くしてある。 -
入城時間 通常期(9月1日~4月26日) 9時から17時
夏季 (4月27日~8月31日) 9時から18時
入場料 大人 ¥1,000- 小人¥300-(小学生~高校生) -
入場券:シニア割引は有りませんでした。
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三の丸
江戸時代まではここに多くの建築物があった。
明治時代になり、軍隊の駐屯地に指定され、取り壊され更地になった。 -
姫路も結構寒かったです。
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この編の順路です。
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菱の門東方石垣からの天守閣
壁は白漆喰で塗籠められています。防火効果が高いそうです。
菱の門東方土塀の長さは88.7m,重要文化財
当時に戻った様です。 -
菱の門
「菱の門」の名称は、鏡柱上部の冠木に木製の花菱が飾られていることに由来します。姫路城 (姫路公園) 名所・史跡
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昔は右側の縦格子から門番が監視していました。
今は、城にいたずらをする輩を監視しています。 -
入母屋の東西の妻は、西側が素木の木連格子(きづれこうし)、東側が白漆喰塗込めになっています。
菱の門を通って、背面から撮影しているので、西側の妻を撮影しています。
木連格子はもっと上の屋根付近です。 -
全体鳥瞰図
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三国堀からの天守閣、威風堂々の佇まいに惚れ惚れします。
三国堀は四角い堀です。「三国濠」は池田輝政が播磨、淡路、備前の3カ国から人夫を集めて 築いたところからこの名が出たといわれます。
池田輝政は関ケ原本戦では南宮山の毛利隊を牽制する役割で大きな功績はありませんが、岐阜城攻めの一番乗りが評価されて姫路52万石の大大名となりました。 -
三国堀の逆さ天守閣
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いの門
慶長期(安土桃山時代から江戸時代にかけての1596年から1615年)の古い様式で建てられた、脇戸付きの高麗門です。 -
「いの門」天守閣側は、門の柱の内側に控柱を2本立てそれぞれを貫でつなぎ、小さな切妻屋根がかけられています。
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「いの門」を過ぎた所からの天守閣、乾小天守
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「ろの門」
右側には石垣と土塀が設置され、
土塀には狭間が開けられています。
左側の石垣と土塀は非常に高くなっています。
この土塀は「ろの門西南方土塀」と呼ばれています。 -
「ろの門」
脇戸付高麗門、本瓦葺 重要文化財 -
「ろの門」天守閣側は、「いの門」と同じ構造です。
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「ろの門」を過ぎた所からの天守閣
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この坂道の下から天守を仰ぎ見るのは姫路城 を代表するビュースポットです。
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はの門に向かう坂
はの門に向かう坂は、松平健主演のテレビ映画「暴れん坊将軍」 シリーズに、江戸城内のシーンとして度々登場することでもよく知られていて、将軍坂と呼ばれている。 -
右奥の大天守の左側は乾小天守、その右は西小天守。
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はの門
櫓門、切妻造、本瓦葺、重要文化財 -
はの門入口 排水にも気を使っています。
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弓狭間: 狭間は、外側(城外) にいる敵を狙う小窓である。
弓 狭間が縦長なのは、弓を使いやすくするための工夫です。 -
鉄砲狭間:こちらから撃ちやすく、城外から狙いづらくするために、外から見ると狭間は小さく見え、内側からは結構広くなっています。
鉄砲狭間は円、四角、三角形の3パターンを見ます。 -
一旦引き返して、西の丸を巡ります。
菱の門の入口から見て左側
武者溜り -
武者溜り
土塀でほぼ正方形に囲まれていることから「武者溜り」と呼ばれています。こうした空間は、集団で軍事行動する兵士を一時的に駐屯させる場所とも言われます。 -
長塀の端と天守閣群
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西の丸
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この西の丸内に、本田忠刻と千姫の居館、中書丸を築き住んだ。 建物は多く豊臣秀吉が築いた伏見桃山城を取りこわした用材を移して建てたもので、桃山時代の立派な書院造りの建物であった。現在は取り壊され、庭園となっている。
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百間廊下
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百間廊下のお城側
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わの櫓脇から入って半分ぐらいまでのレの渡櫓までは、往時は主に倉庫として使われていました。その先、化粧櫓までの北半分は長局でした。
長局とは、城主やお姫様にお使えする奥女中たちが起居する集合住宅のようなものです。 -
西の丸のメインである百間廊下へ入りました。ここは天守群への登閣と同様、履物は脱いで各自備え付けのビニール袋に入れて持ち運びます。
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堅固で、厳重な非常口
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石落しの用途は何か、と言いますと、ここから鉄砲で石垣に取りつく敵を狙い撃つ銃眼です。これだけの長さがあれば石落しの真下だけでなく、左右かなり広角に射撃することも可能です。つまり下方向に向けられた狭間というわけです。
知らないで、石はどこに置いてあるか最初捜しました。 -
レの渡櫓内部
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入口と出口の階段のほかに、途中2か所短いですが屋内に急な上り階段があります。滑りやすいので足元には注意です。スリッパが足に合わない小さなお子様は、階段のところではスリッパを脱いだほうが安全です。
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レの渡櫓付近からの天守閣群
樹木が邪魔していました。 -
新しいレの渡櫓とヲの櫓間の廊下は仮設だけに復元ではない様です。
大正7年(1918年)レの渡櫓に続く隅櫓と石垣が崩壊した。隅櫓に接する渡櫓も復旧は難しく解体し、石垣は積み直し、土塀を新たに築いた。建物は復旧できず、後に仮設の廊下を設けた。 -
百間廊下からの天守閣
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百間廊下からの男山方面(違うかも?)
千姫は毎朝この廊下から男山を拝んでいたと伝えられています。
(男山には本多家の繁栄を願って男山の中腹に建立した男山千姫天満宮があります) -
廊下の大戸(潜り戸付片開扉)タの渡櫓
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頑丈な造りの扉です。
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厚い木製(男子禁制の防御だったのだろうか?)
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長局の小部屋
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“姫路城ARでお楽しみ大発見”⑦防御の仕組み
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ヨの渡櫓北棟
長局は住居らしく奇麗な仕上がりになっていました。 -
“姫路城ARでお楽しみ大発見”⑧女中の暮らし
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千姫には女中23人と下働きの下女16人が付いていたそうです。
現在の日本でそんな姫は存在するのでしょうか???? -
百間廊下からルの櫓と市街
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化粧櫓付近からの天守閣群
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千姫色彩乾漆座像
隅々まで技巧が凝らされた御殿風の化粧櫓です。 -
色褪せ?千姫がかわいそうな格好になってしまっていました。
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カの渡櫓
岩盤の上に「懸造り」で建てられたが、右半分の岩盤は風化が激しく、昭和の大修理の際、石垣で覆われた。 -
化粧櫓
2階東面は幅広い出格子窓。南・西面は漆喰塗り板戸・明障子が付いた開口窓がある。 -
千姫の 春やむかしの 夢の跡 子節
千姫を詠んだこの句碑は、「城を詠める俳句展」が昭和8年3月、城内で盛大に催されたのを記念して俳句同人の白鷺会が建立したもので、文字どおり、束の間の幸せ…だった千姫の昔を偲んでいた。 -
西の丸 北門跡
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通路上の3つの礎石が門の跡です。
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化粧櫓付近からの天守閣群
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それを撮る観光客
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化粧櫓
一部一重櫓、一部二重二階櫓、本瓦葺
重要文化財 -
これから天守閣に登ります。
その時、カメラの電池が切れました。
交換用の電池は忘れてしまい、がっかりでした。
参考文献『姫路城を歩く』中川 秀昭 2017年10月25日発行
㈱神戸新聞総合印刷¥1,350-(税込み)
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この旅行記へのコメント (1)
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- trat baldさん 2018/03/21 05:33:42
- 名古屋城とは大違い。
- 見ごたえの有る写真と充分な調査に基づく記事文でまるで自分がそこにいるみたい、ヒロシさんならではの濃さに感服!
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