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 明治学院大の遠望橋が架かる坂道の手前、旧道が消える辺りにコンビニがあり、谷を下る急坂がある。この急坂が鎌倉近道(間道)と交差する所に「堅牢地祇」塔がある。バス停では「ちからいし(力石)」と「かくぜん」の間で、この大きな碑の表には揮毫者名も刻まれている。鎌倉近道(間道)沿いにある下倉田の堅牢地神塔(明治30年(1897年)銘)(http://4travel.jp/travelogue/10989336)(バス停では「宮谷」と「ちからいし(力石)」の間)から300mほど奥(鎌倉側)にある。こちらの「堅牢地祇」塔にも明治30年(1897年)銘があり、同じ年に、同じ街道沿いの300mほど離れた場所に2基の堅牢地神(祇)塔が建てられたことになる。これは東海道線(明治20年(1887年)開通)や横須賀線(明治22年(1889年))が出来た後のことである。<br /> おそらくは、「おおわらじ」がある南谷戸(みなみやと)の横にある山岳信仰の中心石碑が明治35年(1902年)に建てられていることから、明治後期に下倉田界隈にはこうした石碑が建てられたのであろう。<br />(表紙写真は下倉田の堅牢地祇塔)

下倉田の堅牢地祇塔(横浜市戸塚区下倉田町)

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2017/09/20 - 2017/09/20

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 明治学院大の遠望橋が架かる坂道の手前、旧道が消える辺りにコンビニがあり、谷を下る急坂がある。この急坂が鎌倉近道(間道)と交差する所に「堅牢地祇」塔がある。バス停では「ちからいし(力石)」と「かくぜん」の間で、この大きな碑の表には揮毫者名も刻まれている。鎌倉近道(間道)沿いにある下倉田の堅牢地神塔(明治30年(1897年)銘)(http://4travel.jp/travelogue/10989336)(バス停では「宮谷」と「ちからいし(力石)」の間)から300mほど奥(鎌倉側)にある。こちらの「堅牢地祇」塔にも明治30年(1897年)銘があり、同じ年に、同じ街道沿いの300mほど離れた場所に2基の堅牢地神(祇)塔が建てられたことになる。これは東海道線(明治20年(1887年)開通)や横須賀線(明治22年(1889年))が出来た後のことである。
 おそらくは、「おおわらじ」がある南谷戸(みなみやと)の横にある山岳信仰の中心石碑が明治35年(1902年)に建てられていることから、明治後期に下倉田界隈にはこうした石碑が建てられたのであろう。
(表紙写真は下倉田の堅牢地祇塔)

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  • 下倉田の堅牢地祇塔。

    下倉田の堅牢地祇塔。

  • 明治30年(1897年)銘。

    明治30年(1897年)銘。

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