2017/09/08 - 2017/09/08
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名古屋のmisakoさん
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2017.5.28初代中村勘三郎銅像が完成式典が行われた名古屋市中村区の中村公園に出かけて来ました
銅像周りはきれいに整備され、ステキなコーナーが出来上っていました
慶長3年(1598年)生まれ。万治元年(1658年)6月9日没。
江戸時代初期の歌舞伎役者、座元。生前は猿若 勘三郎(さるわか かんざぶろう)として知られた。著名な歌舞伎役者の一人として、且つ江戸歌舞伎の開祖である。
豊臣秀吉の三大老中の一人であり終わり中村出身(駿国雑志による)の中村一氏の末弟・中村右近の孫とされている。兄の狂言師:中村勘次郎らと大蔵流狂言を学び、その経験を生かして、生涯の傑作、舞踊『猿若』を創作した。
元和8年(1622年)江戸に行く。寛永元年(1624年)2月15日、猿若勘三郎と名乗り、同年江戸の中橋南地に劇場「猿若座」(のちの「中村座」)を建て、その支配人(座元)となる。
そして同年3月には興行を開始する。
これが江戸における歌舞伎興行の始りであり、以後勘三郎代々が中村座座元として経営に携わり、中村座は江戸で一番の権威ある劇場となった。
十八代中村勘三郎が平成22年(2010年)の大阪平成中村座の記者会見の折に「太閤様と初代中村勘三郎は、出身が同じ尾張・中村ですし、以前ドラマで秀吉様を勤めさせて頂いたこともあり、私も父(十七代目勘三郎)も太閤様が大好きでした。」と語っている。
同じく名古屋の御園座公演の折にも十八代中村勘三郎は「俺の身体の半分は名古屋の中村なんだ」と常々周りの人々に話している。平成18年(2006年)には、この中村が初代中村勘三郎の生誕地であるという理由で、中村区内にある同朋高等学校において、十八代目中村勘三郎襲名披露を兼ねた名古屋平成中村座と銘打った歌舞伎公演も開催している。
加えて、十一代勘三郎が奉行所に差し出した願書には「私初代勘三郎儀は生国愛智郡中村の産(甲子夜話による)」とある。
そのようなことから、ここ尾張中村が初代中村勘三郎の生誕地であるとして、中村屋一門より公認を頂いている。
(初代中村勘三郎生誕像建立プロジェクトHPより)
名古屋市営地下鉄東山線中村公園駅徒歩10分
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
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