2017/09/10 - 2017/09/10
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名古屋のmisakoさん
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平成30年度フルオープン、整備中の国史跡歴史の里に出かけて来ました
名古屋市守山区にある名古屋市最高峰の東谷山198mの麓、東谷山フルーツパークの隣に歴史の里はあります
夏休み中はスタンプラリーも行われていましたが、この時期はゆっくりと見学できました
東谷山フルーツパークの隣のぶどう園近くにある古墳もありました
”古墳は、単に古い墓のことではなく、3世紀から7世紀まで、日本のあちこちでつくられた限られた人のお墓です”(国史跡歴史の里しだみ古墳群整備まるわかりガイドより)
尾張戸神社は御朱印がありますが、この日は社務所が休みでいただけませんでした、残念
新東谷橋南から東谷橋南の道路沿いにはカフェがいくつかあり、中華料理桃李蹊やマタネ食堂もあります
JR中央線高蔵寺駅から名古屋市営バス6分で東谷橋南、勝手塚
JR地下鉄名鉄大曽根乗り換えゆとりーとライン大曽根から市バス・ゆとりーとライン上志段味、東谷橋南
ゆとりーとライン高架部分大曽根-小幡緑地は1日乗車券、ドニチエコきっぷは除外区間なので250円で、マナカで精算できます
ドニチエコきっぷ600円
歴史の里 P無料
東谷山フルーツパーク P無料(イベント期間中は有料)
開園時間9-16:30
休園日月曜日(月曜日が祝・休日の場合は直後の平日)12/29-1/3
世界の熱帯果樹温室大人300円中学生以下無料
1日乗車券、ドニチエコきっぷで大人240円
ぶどう狩り8/25-9/10
くだものふれあいフェスタ9/16-18
春は枝垂れ桜がきれいなので有名です
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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上志段味バス亭、新東国橋南バス停近くの案内板
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名古屋市最高峰198mの東谷山
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勝手塚古墳(かってづかこふん)国史跡
墳丘:帆立貝式古墳(墳長約55m)
周濠:あり
周堤:あり
出土遺物:円筒埴輪・朝顔形埴輪・蓋形埴輪・人物埴輪
築造時期:6世紀初め
勝手社の境内に、墳丘が良好な状態で残存しています。墳丘のまわりをめぐる堤が北側を中心に残っており、愛知県下で唯一堤の高まりが残っている点で貴重です。後円部の平坦面にはすき間なく埴輪が並べられていました。
(歴史の里HPより) -
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勝手塚古墳の南東側
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入口付近駐車場が見えてきました
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歴史の里について
みなさんの身近な場所に、木が茂っていたり、草が生えている小山はありませんか。そうした小山は、もしかしたら古代の豪族がつくったお墓=古墳かもしれません。
名古屋市内には、おおよそ200基の古墳が確認されていますが、市内で最も古墳が集中して残っているのが、名古屋市の北東端にある守山区上志段味です。上志段味は、岐阜県から愛知県へと流れる一級河川・庄内川が山地を抜けて濃尾平野へと流れ出る部分にあたります。上志段味にある多くの古墳はまとめて志段味古墳群と呼ばれ、国の史跡に指定されています。
志段味古墳群は尾張戸神社が鎮座する市内最高峰の東谷山の山頂から山裾、庄内川に沿って広がる河岸段丘上に分布します。古墳群の範囲は東西1.7km・南北1kmです。
現在確認されている古墳の数は66基で、33基が現存しています。古墳の形(墳形)で分類すると前方後円墳が2基(現存は2基)、帆立貝式古墳が5基(現存は5基)、円墳が50基(現存は21基)、方墳が1基(現存は1基)、墳形不明のものが8基(現存は4基)です。大きさは長さが100mを超す前方後円墳から直径10m前後の円墳まで大小あります。
志段味古墳群では4世紀前半から7世紀にかけて、古墳が築かれない空白期間をはさみながらも長期にわたって古墳が造営されており、空白期間を境として、4世紀前半から中頃、5世紀中頃から6世紀前半、6世紀後半から7世紀の3つの時期に分けることができます。
志段味古墳群は、古墳時代の全時期を通して、規模・形の異なる様々な特色をもつ古墳が、狭い範囲の起伏の富んだ地形のうえに築かれており、「日本の古墳時代の縮図」と表現することができます。
また、墳丘の平面形や葺石の特徴、石英を用いた墳丘装飾、埴輪の形態・製作技法、墳丘上の祭祀行為、埋葬施設内の副葬品などから、古墳群の被葬者たちがヤマト王権と密接な関係にあったことがうかがえます。
名古屋市教育委員会では、国史跡志段味古墳群と周辺の豊かな自然環境を一体的に保存・活用し、五感で感じる体験学習を通して、学びとにぎわいを創出できる場として「歴史の里」の整備を進めています。
(歴史の里HPより) -
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西大久手古墳、帆立貝式古墳
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西大久手古墳(にしおおくてこふん)
墳丘:帆立貝式古墳(墳長約37m・後円部径約26m・前方部長約13m)
葺石:あり(円礫)
周濠:あり
出土遺物:円筒埴輪・朝顔形埴輪・人物埴輪・鶏形埴輪・馬形埴輪・須恵器
築造時期:5世紀中頃
墳丘は、大きく削られています。南側のくびれ部付近からは巫女形埴輪・鶏形埴輪・須恵器が、前方部の前面からは馬形埴輪が出土しています。西大久手古墳の巫女形埴輪は、東日本で最も古い人物埴輪と評価されています。
(歴史の里HPより) -
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東大久手古墳(ひがしおおくてこふん)
墳丘:帆立貝式古墳(墳長約39m・後円部径約27m・前方部長約12m)
葺石:あり(円礫)
周濠:あり
出土遺物:円筒埴輪・朝顔形埴輪・須恵器
築造時期:5世紀末
後円部1段目の平坦面ではすき間なく並べられた埴輪列が見つかりました。この場所は、円筒埴輪は突帯が2条めぐる3段構成のもので、須恵器と同じく灰褐色で硬く焼成されているものが目立ちます
(歴史の里HPより) -
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大久手5号墳(おおくてごごうふん)
墳丘:帆立貝式古墳(墳長推定約38m)
葺石:あり(円礫)
周濠:あり
出土遺物:円筒埴輪・須恵器
築造時期:5世紀後半
戦後の大久手池の拡張工事により、後円部の南側が削られています。後円部1段目の幅広の平坦面で、少し間隔をあけて並べられた埴輪列が見つかっています。
(歴史の里HPより) -
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鹿垣
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大久手池
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大久手3号墳(おおくてさんごうふん)
墳丘:方墳(一辺約14m)
葺石:あり
出土遺物:須恵器・土師器
築造時期:5世紀後半
志段味古墳群で唯一確認されている方墳です。発掘調査によって、低い方形の墳丘の南側でL字形に折れる周溝が見つかり、方墳であることが明らかになりました。周溝からは須恵器の壺などが出土しています。
(歴史の里HPより) -
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志段味大塚古墳(しだみおおつかこふん)国史跡
墳丘:帆立貝式古墳(墳長約51m・後円部径約39m・前方部長約13m)
葺石:あり(円礫)
周濠:あり
埋葬施設:粘土槨・木棺直葬
出土遺物:〔埋葬施設〕鈴鏡・馬具・甲冑・帯金具・大刀・鉄鏃・革盾
〔墳丘〕円筒埴輪・朝顔形埴輪・蓋形埴輪・鶏形埴輪・水鳥形埴輪・
須恵器・須恵器形土製品
築造時期:5世紀後半
大正時代に梅原末治によって、東海地方で初めて古墳の学術的な発掘調査が行われました。その時調査された粘土槨からは5世紀後半を代表する最新の武器・武具・馬具が出土しています。北側のくびれ部の平面L字形に張り出した造り出しでは、小型の土製品を配置する近畿地方の大型前方後円墳と共通する祭祀行為が確認されました。墳丘斜面の葺石は、隣り合う石と石との間に隙間がある貼り石風の葺石で、近畿地方の古墳に類例がある珍しい施工方法です。
(歴史の里HPより) -
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白鳥塚古墳(しらとりづかこふん)国史跡
墳丘:前方後円墳(墳長約115m・後円部径約75m・前方部長約43m)
葺石:あり(角礫と円礫)
周濠:あり
出土遺物:土師器・須恵器(築造後のもの)
築造時期:4世紀前半
愛知県下第3位の規模を誇り、県内で最初に造られた大型前方後円墳です。墳丘の形は、後円部に比べて前方部が細くかつ短いのが特徴で、大王墓の奈良県柳本行燈山古墳に似ています。後円部頂部に石英が敷かれ、斜面の葺石の上には多量の石英がまかれ、墳丘が飾られていました。石英で白く輝いていた外観が、白鳥塚の名称の由来となったと言われています。
白鳥塚古墳とヤマトタケルをめぐる伝説
ヤマトタケルが伊吹山の賊を征伐に行く途中、伊吹山麓でヘビに足をかまれた。傷口がたいへん痛く、川で足を洗っていたところ、一羽の白鳥が現れた。ヤマトタケルは白鳥に尾張まで連れて行ってくれと頼んだ。ヤマトタケルをのせた白鳥は、尾張の東谷山の麓に着いたところで死んでしまった。ヤマトタケルはその場所に白鳥を葬ったが、その墓が白鳥塚と言い伝えられている。
『東春日井郡誌』より
(歴史の里HPより) -
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金井農園が見えてきました
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ぶどう園がいくつかあります
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東谷山フルーツパークの北門
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ぶどう展開催中でした
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レストハウスの冷し中華750円、フルーツのジュースやいちじくパフェ、梨パフェもありました
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東谷山散策路入口
展望台、尾張戸神社まで徒歩30分 -
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南社古墳(みなみやしろこふん)国史跡
墳丘:円墳(径約30m)
葺石:あり(円礫・角礫)
出土遺物:円筒埴輪・朝顔形埴輪・盾形埴輪
築造時期:4世紀中頃
墳丘は2段に築かれており、葺石の石材を、上段斜面は円礫、下段斜面は角礫と使い分けています。円礫は東谷山麓の段丘から、角礫は東谷山上で採取されたもので、山の下から古墳を見上げた時に目立つ上の葺石に、わざわざ山麓から運んだ石が使われていることは注目されます。円筒埴輪は中社古墳のものと形・製作技法が共通するだけではなく、科学分析により使われている土が似ていることが判明しており、両古墳の埴輪は一体的に生産されたものと考えられます。
(歴史の里HPより) -
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火をおこしたのでヒノキだったのね
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墳丘:前方後円墳(墳長63.5m)
葺石:あり(円礫)
出土遺物:円筒埴輪・朝顔形埴輪・家形埴輪・盾形埴輪
築造時期:4世紀中頃
後円部北側は、東谷山山頂からのびる尾根を切断して、古墳の形をつくっています。東谷山の麓から運んできた円礫を用いた葺石の上には石英が撒かれ、後円部頂部には石英が敷かれていたと推定されます。後円部北側では、4条の突帯(帯状突出した部分)がめぐり、各段に3個ずつ三角形の透孔があけられた円筒埴輪が極めて良好な状態で残っていました。中社古墳の円筒埴輪は、大王墓がつくられた奈良県東南部からの影響が色濃く、東海地方では最古級の円筒埴輪です。
(歴史の里HPより) -
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尾張戸神社に着きました
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展望台があります
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展望台から西方の眺め
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伊吹山かな
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「尾張」の語源は「新しく切り拓かれた土地」という意味だそうです。その後、中世には乱世のため一時荒廃したようですが、尾張守護となった斯波氏による社殿の造営や、尾張徳川家の藩祖・義直公、二代光友公に名古屋城鬼門の守護神として崇敬され、手厚く保護されてきたようです。(神社へ行こう!HPより)
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尾張戸神社(おわりべじんじゃ)は熱田神宮の奥の院
御祭神:祭神は次の3柱。いずれも尾張氏の遠祖とされる神々である。
天火明命(あめのほのあかりのみこと) 尾張氏祖神。
天香語山命(あめのかぐやまのみこと) 別名を「高倉下命(たかくらじのみこと)」。天火明命の長子。
建稲種命(たけいなだねのみこと) 天火明命十二世孫。
創建:社伝(「東谷大明神草創本紀」)によると、第13代成務天皇5年に宮簀媛命の勧請によって創建
(ウィキペディアより) -
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尾張戸神社古墳(おわりべじんじゃこふん)国史跡
墳丘:円墳(径約27.5m)
葺石:あり(角礫)
築造時期:4世紀前半
墳丘は2段に築かれており、斜面の葺石は大振りの角礫が乱雑に積み上げられています。葺石上には、白鳥塚古墳と同じく多量の石英が撒かれていたと推定され、平坦面の敷石の一部にも石英が使われています。
(歴史の里HPより) -
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車も通れる幅の山道を下山します
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山道は車では途中までしか入れないようです
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東谷山白鳥古墳に向かう途中、火曜日のみ営業のブルーベリー園を発見
天空のアグリパーク -
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東谷橋が見えます
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東谷山白鳥古墳(とうごくさんしろとりこふん)国史跡
墳丘:円墳(径約17m)
周溝:あり
埋葬施設:横穴式石室
出土遺物:〔埋葬施設〕馬具・大刀・刀子・鉄鏃・土師器・須恵器、周溝:須恵器
築造時期:6世紀末~7世紀初め
横穴式石室が、志段味古墳群の群集墳のなかで唯一、ほぼ完全な状態で残っています。石室の形は、石室の幅が奥から入口に向かって徐々に狭まっていくもので、床面に並べた人頭大の石の石列で、被葬者を納める玄室と、通路の羨道を分けています。
(歴史の里HPより) -
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