2015/10/30 - 2015/11/04
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薔薇の咲く庭さん
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キプロスはマルタと一緒に組み込んだツアーとしてよく目にするが、南キプロスだけの行程で北キプロスまで行くツアーは全くない。
そもそも北キプロス・トルコ共和国と言う国は国際連合加盟国193ヵ国のうち192か国が国家承認をしていない。認めているのはトルコのみである。よって旅行をしていて何か起きても大使館がないため対応が出来ず、北キプロスのホテルに泊まることは不可能に近い。
1974年にキプロス紛争が起き、国は2つに分断された。首都ニコシアもグリーンラインを境に分断されている。国際連合が仲介に何回も入ったというが今だに未解決である。
古代からローマの属州として地中海で栄えてきたキプロスを興味津々散策する旅に出た。一つの国家でありながら2つの国とはどのような状況であるかが分かり、不思議な旅をした記録をまとめておきたいと最近思うようになった。旅行当時は旅行記を記す予定で写真を撮らなかったため、かなり展開に飛躍があることをお許しいただきたい。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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次の日は?のつく旅でした。というのはトロードスへ行きたかったのですが、ツアーは満席で駄目。がっかりしていると、ホテルのフロントのおじさんが「日曜日だけ行われる特別のツアーがある」と教えてくれ、手配してくれました。行き先は?英語で上手く説明することが出来ないのです。
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ホテルは信用が置けるホテルなので、どうやらトロードス方面に行くツアーと言うことなので参加しました。
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行ってみるとやはり教会へ行くツアーでした。冒険している気分でした。
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バスは普通のバス。ガイドさんらしき女性も乗っていて、参加者は皆地域のお年寄り20名位。中には「私は90歳よ」と言うおばあちゃんもいて、皆さん熱心なキリスト教徒でした。
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名前は分かりませんが、古いトロードス方面の山中にあるらしい教会2つに案内してくれました。と言うより、一緒に巡礼の旅をしている感じでした。
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お祈りをしている間、教会の見学をしていました。私はキリスト教の信者ではないので見ていただけです。
このツアーにはヨーロッパ人と思われる人が2組、4人参加していました。彼らもキリスト教徒ではなく、どうもトロードスへ行くことができずこのツアーに参加しているようでした。 -
教会を2つ訪ねた後、海へ出ました。レフコシアから南下しているので、地中海には違いありませんが、なんと言う港なのかは分かりません。?
桟橋があり漁港であることは確かです。海の色がとても綺麗でした。透き通っています。11月でこのように綺麗なので夏はもっと綺麗でしょう。 -
一組のご夫婦はギリシャから来ていることがわかり、もう一組の親子はスエーデンからキプロスに観光に来ていることがわかりました。
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そして、この不思議なツアーの主催者はスクールバスの運転手さんとガイド役は奥さんと言うことらしいとギリシャの方が教えてくれました。
海の色がとても綺麗でした。透き通っています。11月でこのように綺麗なので夏はもっと綺麗でしょう。 -
なるほど!地域のお年寄りを集めて1日巡礼の旅を催行していると考えることができます。だから日曜日は学校がお休みでスクールバスを使って巡礼の旅を企画運営できるのです。
これは海岸にあった古い建物です。 -
その後、レストランへ案内されて食事。焼き魚とポテト、あとはサラダとパン、スープが出ました。お婆ちゃん、お爺ちゃんたちは同じテーブルで楽しそうに歓談しながら食べていました。スエーデンから来たと言う女性の親子とギリシャから来たと言うご夫婦と一緒に食べました。英語で会話が弾んでいました。語学力の不足を痛感。
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本当に不思議な旅でした。行き先は今だによく分かりません。不思議な旅を終えてホテルに戻ってきて、向かい側のビルを撮った写真です。
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ベランダから見えた景色です。
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日はまだ高いので再び北キプロスへ散策に出かけました。
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次の日は、朝から北キプロスへいきました。まだ誰もいないかと思ったら、
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「PEACE」と書かれた標識の前に人が座っていました。
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人はほとんどいません。ここには国連キプロス平和維持軍が駐留していることになっていますが、姿は見えません。
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窓口には何語?
ギリシャ語、英語、フランス語、ドイツ語で「最後の分割された首都」と書かれていました。 -
パスポートを渡す人です。
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パスポートチェックの反対側
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グリーンラインの中です。塀で塞いで行けないようにしてあります。かなり異様な感じです。
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ちょっとよい雰囲気の所ですが、先は行き止まりです。
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無惨な感じ
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グリーンラインを抜けて出たところにセミリエモスクがありました。掲げられている国旗は白地に赤の文字。北キプロスの国旗?と言われているものです。
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1228年に聖ソフィアとして建てられたそうですが、オスマントルコにキプロスは占領され、モスクに改修されています。
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北レフコシアの象徴の建物です。
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一日5回のお祈りを知らせるスピーカーからの声には、まいりました。夜明けとともに凄いお経のような声が突然聞こえてきて、南レフコシアのホテルで目が覚めました。何事が起きたのかと思いました。
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次に訪ねたのはビュコック・ベン。ここはショッピングセンターと言うことになっています。
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猫のお出迎えです。北キプロスにも猫はいますね。
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らくだの隊商宿のイメージで作られていますが、キプロスにらくだはいません。島ですから。何でも見栄を張って作られたとか。?
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不確かな記憶ですがかっての宿屋さんとか。
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まあ、ホテルと言えばそうかもしれません。
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さらに町中を歩くと、
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何やら記念の塔がありました。なんなのかは分かりませんでした。?
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記念館?キプロスの文化を伝える踊りを踊っているマネキンがありました。
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居間です。
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北レフコシアの乗り合いタクシーに乗って、ファマグスタへ出ました。約40分くらいかかりました。やはりバス停なるものはなく、地域の人しか乗り降りしませんでした。
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フォマグスタからはタクシーを拾い、サラミス遺跡を訪ねました。帰りにタクシーを拾うことは不可能なので、待たせておいて観光です。
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ここはローマ時代からビザンティンまでキプロスの中心地でした。古代都市です。
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柱が沢山残っていました。
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広い範囲に遺跡は残っています。しかし、ここにどのような建物があったかを想像するのは難しいです。
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これは公衆トイレだそうで、なんとなく理解できます。
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なるほど・・・
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文字が残っていますが全然分かりません。
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これは浴場跡。なんとなく理解できそうです。
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ツアーが来ていました。かなり大きな団体です。ガイドさんが説明していましたが、何語?か分かりませんでした。
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劇場跡です。もうかなり破損していて、かかい階段がよく分からないところもありました。
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「劇場の上に上ると海が見えます。」と4トラベルの旅行記を書かれた方がいらして、その通りでした。青く見えるのは海です。
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遺跡を見た後フォマグスタで昼食。フォークが2つ?そうなんです。この旅は息子と一緒の旅なのです。彼はコンダクター兼ガイドです。
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海辺を歩いて、やってきたのは
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べネチアの紋章である翼を持つ獅子のレリーフがある城。
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ここはオセロ塔。シェークスピアの悲劇「オセロ」の舞台になりました。
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しかし、今は廃墟に近い状態です。
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次に訪ねたのはラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク。3つの扉、2つの塔を持つ典型的な十字軍時代の建物です。
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ゴシック様式の大聖堂として使われていました。ランスにある大聖堂と似ているとのことでキプロスのランス大聖堂と呼ばれていたそうです。
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1571年にオスマントルコ帝国にキプロスは陥落します。偶像崇拝を禁じるイスラム教により、大聖堂内の像、キリスト像、フレスコ画、ステンドグラスは全て取り除かれて、まさにがらんどうです。
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天窓はただのガラス。
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何故かとても切ない気持ちになりました。
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今もモスクとして使われていました。
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地震とオスマン軍の砲撃によってひどく傷んでいますが、修復されない状態です。
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日が落ちてからグリーンラインに戻って来ました。北キプロス側です。
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人は2人しかいなく、寂しい検閲所です。パスポートナンバーを確認していました。今朝、南から来て戻るということが確認でき無事に通過です。
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誰もいないと少し不安になります。
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南レフコシアに無事に帰ることが出来ました。
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この日はは南レフコシアの観光です。聖ヨハネ教会。18世紀のフレスコ画が残る教会です。
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イコンが沢山残っています。ビザンティン美術館が隣にありましたが、撮影禁止でした。
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? 教会の塔?
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レフコシアはベネチア時代の周囲5kmの城壁に囲まれている街です。これはファマグスタ門で城壁の入口の一つです。
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現在は市民ホールとして使われているそうです。中を覗いてみると椅子とテーブルがありました。
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キプロスは1914年第一次世界大戦後にイギリスに併合されました。1970年にイギリスから独立しています。独立10周年に自由の記念碑を作りました。一番上が自由の女神、中段は「エオカ」ギリシャ系キプロス戦闘員、下段は刑務所から解放された人々です。真ん中に柵がありました。ほぼ等身大です。
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ホテルに戻り荷物をもってラルナカへと向かいました。
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メインストリートの「ヤシの木通り」を海岸沿いに撮ったものです。
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ヤシの木の並木が続いています。この通りを真っ直ぐに進んだ突き当たりにラルナカ城があるとバスの中の乗客が教えてくれました。
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海岸沿いに歩いていくとここにも翼を持つ獅子の像がありました。ベネチア時代のものでしょうか?
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波が打ち寄せる綺麗な海岸です。
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ラルナカ城に着きました。ん?これは大砲?
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ラルナカ城は要塞でもあった。イギリス統治時代には刑務所として使われていたということで、檻のような物も残っていました。
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屋上から見ると本当に海岸に迫った所にあります。
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ビザンティンの時代に建設され、オスマントルコによって再建されています。今も昔もこの波は変わらないのでしょうね。
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この海の向こうから沢山の船が押し寄せて来た時代があったと思います。
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ラルナカ城から徒歩数分の所に、聖ラザロ教会があります。土日には結婚式も行われるそうでした。
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入ったとたんにその古さに驚きました。暗いのです。
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今もローマ時代のままの形で保存されているそうです。
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イスラエルでキリストによって蘇生したラザロはキプロスにやって来て30年過ごしました。そして、この教会に埋葬されているそうです。
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この後ラルナカ空港へと向かい、カタール航空の飛行機に乗って、来たときと同様にカイロの上空をとおって
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紅海を越えてドバイに着きました。
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成田へ向かう飛行機に乗り継いで帰ってきました。この旅は?が多い旅でした。キプロスでは希少な経験をすることができました。一つの国でありながら全く違う文化であることが分かりました。キプロス紛争を経て今は平和な国です。これからも平和が続くことを願わずにはいられません。
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