2016/12/31 - 2016/12/31
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あおしさん
パリで年越し2日目、12月31日大晦日。
パリで大晦日というのかわかりませんが、明日元旦は美術館などは一斉にお休みなので、今日はヴェルサイユ宮殿へ。
調べると、ヴェルサイユ宮殿行の電車はオルセー美術館の駅から出ているので、まずオルセー美術館にも寄ることにしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
天気はいまいち。
どんよりとした曇りの日です。
セーヌ川沿いから見るオルセー美術館。
学生時代以来なので、ほぼ30年ぶりです。 -
オルセー美術館は9時半から。
例によってたくさんの人が検査で待っていました。
雪もちらほら降ってきて寒い… -
オルセー美術館は元鉄道の駅で、大きな時計は鉄道時代からの名残です。
広さはルーブルの1コーナー程度だけど、このくらいがちょうどいい。
ルーブルみたいに広いとまるで作品におぼれるような感覚になってしまいます。 -
オルセーの展示物は1階はまず19世紀初めの写実主義の画家の作品が展示されています。
写実主義のトップランナー、クールベの代表作「画家のアトリエ」
当時は大きな絵画(大作)と言えば、宗教画とか歴史的場面を描くのが「お約束」でした。
しかしクールベは「私には天使は描けない。なぜなら私は天使を見たことがないからだ」と言うように、見たものを描くというフランス絵画史上革命的な方向転換をしました。
ただ、当時の美術界には受けいられれなかったようで、この絵をパリ万博に出展しようとしたものの断られてしまいました。
そこで、彼は自分の絵の展覧会=個展を開きました。
これが最初の「個展」とされています。
中央の画家がクールベ自身です。 -
クールベの部屋に入って、文字通り「目に飛び込んできた」!「なんだ!これは!」
今回、もっともびっくりした絵です。
題名は「世界の起源」といいます。
オルセーに持ち込まれたのは1995年なので、前回オルセーに来たときには無かった絵でした。
強烈な絵なので、当時から今に至るまでエピソードには事欠きません。
なんでも、オルセーで売られているポストカードでは、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」に次ぎ2位を誇る売れ行きだそうで、世界中の男どもを驚かせているのででしょう。
ウィキペデイアでも、クールベの作品で個別記事があるのはこの絵だけです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90
クールベの考えた写実主義は当時の美術界には受け入れられませんでしたが、その後の後輩たち、ミレーにしても、ルノワール、モネなどの印象派にしても、ゴッホ、ゴーギャンなどポスト印象派にしても、多大な影響を及ぼしており、その意味ではクールベは偉大なパイオニアと言えるでしょう。。オルセー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ミレーの「晩鐘」
ミレーは農村やそこで働く農民を多く描いた画家で、「農耕民族」の日本人にも人気のある画家です。
ミレーと言えば「落穂ひろい」が代表作ですが、私はこの絵の方が好きです。
もっとも、「落穂ひろい」は展示されていませんでした。
どこかに貸し出されていたのでしょうか。 -
1階の次は5階へ。
5階は印象派の画家のコーナーです。
「印象派の殿堂」と呼ばれるオルセーの中心となるところで、日本人にもなじみのある絵がたくさん展示されています。
題名はわからないけど、モネのヴェネチアを描いた絵。
モネと言えば「睡蓮」でしょうけど、私が一番この絵が気に入りました。
と、同時に、もともと「印象派」とは、当時のマスコミに「印象しか残らず、絵画とはいえない」と批判されたことが由来するらしいですが、確かにあのヴェネチアをこう描かれては、まさに「印象しか残らない」ことを理解できる絵です。
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マネの「オランピア」
売春婦をモデルにしたこの絵は当時は非難轟々そうです。
マネは印象派の画家ではありませんが、印象派の画家たちの師匠であることから、印象派のコーナーに置かれているようです。 -
5階の印象派のコーナーの次は2階のテラスへ。
ここにはゴッホ、ゴーギャンなどポスト印象派の画家の作品がおいてあります。 -
ルーブルで一番人気=混雑しているのが「モナリザ」のコーナーなら、オルセーで一番混雑していたのがゴッホのコーナーです。
ゴッホの見たことがある絵はほとんどここにあると言っていいくらいです。
その中で私が一番気に入った絵。
題名はわかりませんが、ゴッホらしい「ぐるぐる」に、緑の色が合っていて、ゴッホの絵にしては珍しく「癒される絵」です。 -
オルセーで2時間半ほどつぶして、オルセー美術館駅12時半の電車でヴェルサイユへ。
パリから20キロあまり、東京だと横浜に行くようなものでしょう。
ただ、パリより寒いようで、ヴェルサイユの樹木は氷がこびりついていて、寒い!
私は、下着はヒートテック、スラックスの下にはスポーツ用のズボンを二重に来て、手袋と完全防備しているのに、手足が寒さでしびれてきました。
気温はパリがマイナス4℃ならここはマイナス10℃くらいかも。
駅からヴェルサイユ宮殿に行くと、さすがに有名観光地だけあって、検査の行列の長いこと!
1キロ近くあるかも。
これではいつ宮殿に入れるかどうかわからないので、先に今回の目的である小トリアノン宮殿へ行くことにしました。 -
小トリアノン宮殿へはヴェルサイユ宮殿からヴェルサイユの庭を通る遊園地の汽車みたいな乗り物があるらしいのですが、乗る場所がわからず、広大なヴェルサイユの庭を寒空の中を2キロ近く歩くはめになってしまいました・・・
小トリアノン宮殿は、ルイ15世が、愛人だったボンバドゥール夫人のために作った離宮とされています。
マリー・アントワネットが愛した離宮として有名です。
宮殿といっても、小さな建物です。
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むしろここの見どころは、マリー・アントワネットが作らせた庭園です。
彼女は豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿より、この離宮や庭園で過ごすことを好んだとされています。
農村に見立てた小集落のような庭園は「王妃の村里」と呼ばれます。小トリアノン宮殿 城・宮殿
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小さな小屋が10軒ほど建てられ、牧畜を飼うための牧場もあります。
フランス革命時に「反革命」のシンボルとして、「贅沢王妃」とレッテルを貼られて処刑された彼女ですが、この村里を歩いていると、まるでフランクフルトのブルジョアの生活になじめず、アルムの山小屋を恋しがったハイジのようで、彼女が気の毒に思えました。
実際ここにはフランス革命後、今日に至るまでたびたび彼女の幽霊が出るそうです。
霊感のある人なら何か感じるかも。 -
小トリアノン宮殿の隣の大トリアノン宮殿をひととおり見てから、帰りは例の汽車の乗り物に。
片道4ユーロと安くはないけど、寒空の中を2キロ延々と歩くのはもうこりごり。 -
でも、やっぱり途中で「汽車」を下りてヴェルサイユの庭をてくてくと。
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ヴェルサイユの庭から見る宮殿は霧で霞んでいました。
そして寒い寒いヴェルサイユ庭園 テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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3時過ぎにはヴェルサイユ宮殿の行列も無くなり、今回は20分ほどで入れました。
もっとも中に入れは大混雑で、どうも日本をはじめとするツアー団体がこの時間に大挙してきているようでした。
ツアー団体の場合には検査はフリーなんでしょう。 -
ヴェルサイユ宮殿は「朕は国家なり」と豪語し、フランス王政の最盛期の王、「太陽王」ルイ14世が造った宮殿です。
豪華絢爛さはヨーロッパ随一で、さすがです。
もっともこの建設費のための重税はフランス国民を苦しめ、ルイ14世以降にフランス王政は財政破たんし、フランス革命に至ったわけで、破滅への宮殿でもありました。
奈良の大仏もそうですが、当時の人々の血と汗と涙の結晶を私たちは楽しんでいるわけで観光客はある意味残酷ですね。 -
ヴェルサイユ宮殿は広大な宮殿で各部屋も豪華絢爛。
寝室などは、これでは私ならとても落ち着かないけど、まあ、平民と王様は違うのでしょう。 -
ヴェルサイユ宮殿の一番広く豪華な場所、「鏡の間」
儀式などで使われました。
第一次世界大戦の終戦のためのヴェルサイユ講和会議もここで行われています。
日本の交渉団もさぞかし驚いたことでしょう。 -
今回私が一番気に入ったのが「戦闘の回廊」というところです。
フランス建国以来の有名な戦闘を描いた絵画が展示されています。
50枚近い絵が展示されていましたが、その3分の1はナポレオンが占めていました。
逆に言えばフランスと言う国は戦争には弱い国で、常にイギリスやドイツやハプスブルグ・オーストリアには負けていました。
ナポレオン以外では、せいぜいフランク王国全盛期のシャルルマーニュ(カール大帝)と、英仏百年戦争の際にイギリスに連戦連勝したジャンヌ・ダルクくらいかもしれません。
第二次世界大戦でも、ナチス・ヒトラーにコテンパンにされているし。
フランスは気候もよく、国全体が耕作地のような豊かな国だったので、ハングリー精神がなく、戦争には弱かったのかもしれません。ヴェルサイユ宮殿 城・宮殿
-
最初の絵はフランク族の族長・クローヴィスの絵から始まります。
ローマ帝国時代、フランク族はヨーロッパの北部に住む未開の民族=蛮族でした。
ローマ帝国が衰えて彼らは現在のフランスの地に南下してきて、フランク王国をたてたのがフランスの始まりとしているようです。
日本でいえば、卑弥呼の時代の100年ほどあと、仁徳天皇陵などの古墳が作られていた時代のことだ。
うん、フランスより日本の方が先進国だな。 -
夕方6時までヴェルサイユ宮殿で過ごしてパリへ戻りました。
31日の夕方から電車は無料開放されるようで、パリへの電車はぎっしり満員。
みなパリで年越しするのでしょう。
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