2017/05/29 - 2017/05/31
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Dwind_999さん
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モスクワから北西へ約650kmに位置するサンクトペテルブルクは、約200年間続いたかつての帝政ロシアの首都。
バルト海東部のフィンランド湾に面するネヴァ川の泥沼地に、ピュートル大帝の命によって築かれた文化と芸術に彩られた麗しの聖なる都。
聖ペテロにちなんで名づけられたというサンクトペテルブルクの街歩きを楽しみました。
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ほとんど寝るだけでだった、モスクワから乗ってきた新しくきれいなダブルデッカーの夜行寝台列車は、5月29日(月)朝の6時過ぎ、小雨の降る中サンクトペテルブルクのモスコーフスキー駅(モスクワ駅)に到着。
モスクワからの路線距離は約650km、所要8時間16分。
駅名はモスクワ方面の列車が発着することに由来。
逆に、モスクワのレニングラーツキー駅(レニングラード駅)はレニングラード(サンクトペテルブルク)方面の列車が発着することに由来するという、何だかわかったようでわからない混乱を招く不可解なロシア式命名。 -
ホテルへ向かうには早すぎるので駅構内のカフェで2時間ほど時間つぶし。
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モスクワ駅を出ると、今一つすっきりしない天気の中、中央にオベリスクの建つ蜂起広場が目の前に広がります。
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スマホの地図を見ながらホテルまでの道を歩いてると、いきなり4人の若者に体を押し付けられるようにして取り囲まれ、これはヤバイと思って声を出しながら振りほどき難を逃れました。
彼らが去った後、バックパックが切られてやしないかと確認したけど大丈夫だったので胸をなでおろしました。
単なる悪ふざけだったのかもしれないけど、サンクトペテルブルクに着いた早々、いきなりこんなことをされるなんて、ああ恐ロシア。 -
気を取り直し、駅から約1km歩いて、[Kamerdiner Hotel]に到着。
建物の一角にある7室の小さなホテルで、とてもホテルとは思えない(モスクワのホテルもそうだったけど)オートロックのドアがあるだけの入口。
ブザーを押して開けてもらいました。ホテル カメルディナー ホテル
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まだ朝の9時頃でしたが一人レセプションにいた中年女性が快く受付をしてくれ、コーヒーとアイスクリームでもてなしてくれました。(コーヒーとアイスクリームは、外から帰ってきたときなどサービスで出してくれます)
スパスィーバ(ありがとう)。
ご馳走になって一息ついたあと、チェックインは14時からなので荷物を預けて街歩きに出かけました。 -
ホテルから一番近い地下鉄駅はモスクワ駅の向かい(北側)にあるプローシャチ・ヴァスターニャ駅。
古風な石造建築の入口(出口は建物の反対側にある)。 -
あらかじめロシア語で書いたメモを窓口で見せて、メトロの10回券を購入。
デポジットを含めて415P(\830)。 -
入り口に警備の職員はいるがセキュリティチェックなどは何もなく、ゲートをくぐって自動改札口へと向かいます。
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例の強烈に長いエスカレーターに乗って下り、1号線プローシャチ・ヴァスターニャ駅のホームに来ました。
サンクトペテルブルクの地下鉄は世界で最も深いところを走っているそうで、最深部は地下105mの所を走っているとか。 -
激しい走行音を鳴り響かせて車両がホームにすべり込んできました。
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1号線を途中で3号線に乗換え、センナヤ・プロシャーチ駅で下車。
駅を出ると目の前がセンナヤ広場。
「センナヤ広場に始まってセンナヤ広場に終わる」と言われるドストエフスキーの小説「罪と罰」の舞台がこの辺りに集中しています。
30数年前、読解力もないくせにドストエフスキー全集を買ったりして一時期ハマったロシア文学。
今回の旅行前にも「罪と罰」を再読してきました。
そんなわけで、ガイドブックにも「罪と罰」の舞台が紹介されていたので巡ってみることに。センナヤ広場 広場・公園
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センナヤ広場の南西にある路地がブリニコー横丁で、当時は居酒屋や売春宿が並ぶいかがわしい界隈だったそうです。
今は何軒かのBarなどがあるだけの路駐の車が連なる路地。 -
小説ではK橋として登場するグリボエードフ運河(かつてはエカテリーナ運河と呼ばれていた)にかかるコクーシキン橋。
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コクーシキン橋を渡って、写真正面の建物の右横(ストリャールヌイ通り)を進んでいくと、次の交差点の右角っこに「罪と罰」を執筆したアパートがあります。
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ドストエフスキーが1864年(43才)から1867年(46才)にかけて住んでいたアパートで、外壁に記念プレートが掲げられていました。
この辺りは当時の建物がまだそのまま残っているそうです。 -
小説ではラスコーリニコフが住んでいたというアパート。
この建物の屋根裏部屋に住んでいたという設定になっているそうです。
「罪と罰」を読んでイメージしていたよりもずっとりっぱな建物。 -
ソーニャが住んでいたことになっているアパート。
清純な娼婦ソーニャはこの2階に住んでいたことになっているが、あんがいいいアパートじゃないですか。
物語は約150年前ですから、もちろん改装されて当時とは様変わりしてるんでしょうけど。 -
ソーニャのアパートの前を流れるグリボエードフ運河(エカテリーナ運河)。
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作中でN橋として登場するヴァズネセンスキー橋。
マルメラードフ(飲んだくれの九等官の退職官吏)が馬車にひかれて亡くなった橋。
思っていたよりちいさいな。 -
グリボエードフ運河の南側を東西に走るあんがい交通量の多いサドヴァヤ通りを横切ります。
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ラスコーリニコフはこのユスポフ庭園の前を通って、金貸し老婆の家へと急ぐ。
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最後に、ユスポフ庭園前からリムスキー・コルサコフ通りを西に進み、金貸し老婆のアパートに来ました。
見てはないですが、この建物には中庭があることになっている。 -
小説「罪と罰」の代表的な舞台を歩いてみましたが、登場人物たちのあの熱に浮かされたような饒舌と混乱と熱情がもたらす狂気と魂の救済物語を、21世紀のサンクトペテルブルクにおいてイメージするにはやはり無理があるようです。
金貸し老婆のアパートの前を通ってグリボエードフ運河沿いの歩道をてくてく歩いて行きます。
運河沿いの小道は気持ちいいけど、ここは犬の散歩ルートでもあるようで犬のフンがあちこちに落ちていたのはいただけない。 -
グリボエードフ運河に架かるライオン橋。
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グリボエードフ運河の途中からから北に折れて、モイカ運河の方へと進んできました。
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古風な石造建築が連なるモイカ運河沿い。
その一角にレストラン「イジオット」があります。
イジオットはロシア語で白痴を意味し、ドストエフスキーの長編小説「白痴」の名を冠したレストラン。イヂオート 地元の料理
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「イジオット」はロシアに多い半地下のレストラン。
レトロな雰囲気の店内で、フライドガーリックトースト(220P)をつまみに生ビール(270P)を飲みながら、ドストエフスキーの長編小説の中でも特に好きだった「白痴」、その主人公の純粋無垢なムイシュキン公爵をちょっぴり思い出したりする。
ウォッカがサービスでついてきて、女性スタッフの対応も良くなかなか感じのいい店でした。 -
モイカ運河を東に歩いてきて、イサク広場の青橋のところにきました。
広場向こうに壮大なイサク聖堂が姿を現します。 -
「北のヴェネチア」とも呼ばれる水の都、サンクトペテルブルク。
ネヴァ川や中心部の3本の運河ではクルーズ観光を楽しむ姿が多く見られます。
モイカ運河でもたくさんの遊覧船やボートが行きかっていましたが、今日のように風が吹く曇り空では、やはりちょっと寒そう。 -
サンクトペテルブルクのメインストリートであるネフスキー大通りに出てきました。
向こうに金色の塔を持つ旧海軍省の建物が見えます。 -
モイカ運河からネフスキー大通りを東に進むにつれてショップやレストラン、カフェなどが増えてきます。
右のピンクの建物はビーフ・ストロガノフで有名なストロガノフ宮殿。 -
グリボエードフ運河沿いにあるベーカリーカフェのチェーン店ブーシェ(Bushe)で午後のスイーツタイム。
2階の窓側席からはカザン大聖堂も望める人気店で、客がとぎれることがない。
ケーキ二つとカプチーノで約500P(\1,000)。 -
ネフスキー大通りは西の旧海軍省から東のアレクサンドル・ネフスキー大修道院までの約4.5km。
ネフスキー大通りをモスクワ駅の方へ歩いて行く。 -
帝政ロシア時代からの老舗食料品店「エリセーエフスキー」(モスクワにもある)の前に来ました。
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エリセーエフスキー、私には敷居の高そうなショップですが、きらびやかな店内をちょっとのぞいてみました。
エリセーエフスキー (サンクトペテルブルク) 専門店
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ネフスキー大通りをずっと歩いてきてホテルに戻り、コーヒーをいただきました。
2階の部屋。 -
夜になって(といってもまだ明るいけど)、宿のすぐ近くにあるアイリッシュパブでギネスの生ビール(350P)とフィッシュ・アンド・チップス(330P)をいただきました。
コクがあって濃い味の生ビール、美味しかった。 -
パブを出た21時半頃、外はまだまだ明るい。
ホテル近くの通りは車の通行量は少ないが道路の両脇には路駐の車がズラリ。 -
ネフスキー大通りの方へ歩いて行く。
21時半過ぎ、沈みかける太陽の陽が建物上部に当っています。 -
22時頃の蜂起広場と正面のモスクワ駅。
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22時になっても人通りの絶えないネフスキー大通り。
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サンクトペテルブルクではそろそろ白夜と呼ばれる時期になる頃で、22時を過ぎてようやく夕暮れといった感じのネフスキー大通り。
23時頃から少し暗くなり始めますが、それでも日本の夜のようには暗くならない。 -
ホテルの朝食は、いくつかの選択肢が記された用紙に食べたいものを記入して前日に提出し、自分の部屋か1階ロビーに3つあるテーブルのどちらかで食べます。
交替で勤務する受付の女性一人が厨房で朝食を作ってくれ、静かな狭いロビーのテーブルで美味しくいただきました。 -
ホテルそばの通りで見かけた、打ち捨てられた車。
脇の路地に入ると車や人の通りが少ない。 -
サンクトペテルブルク2日目、ホテルを9時に出て地下鉄プローシャチ・ヴァスターニャ駅前のネフスキー大通りから24番の2両連結バスに乗ってエルミタージュ美術館に向かいました。運賃は40P(\80)。
あんがい乗客が多く立ちっぱなし。
美術館近くでバスを降りてから右ポケットのボタンが外れていることに気づき、もしやと思ってポケットに手を入れてみると・・・ない。
やられたぁ!ロンドンの二の舞だぁ!
しか~し、ポケットからなくなっていたのは除菌ウェットティッシュ。
混雑したバスの中でバスの揺れに乗じて周りの男たちが体をぶつけてきましたが、たぶんその時に掏られたんでしょう。
私の周りにいた怪しい4人の中年男たちは同じところで下車しましたがエルミタージュとは反対方面に立ち去っていきました。
収穫なしにガッカリの男たちでしょうが、スリにあれだけ注意していてもヤラれる私が間抜けなのか、彼らがうわ手なのか。
ああ、恐ロシア。 -
気を取り直してやってきたエルミタージュ美術館。
宮殿広場の方から見る、旧参謀本部の凱旋アーチ。
アーチの上を飾るのは、6頭建ての馬車に乗った勝利の女神像。旧参謀本部 建造物
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エルミタージュ美術館前の宮殿広場には、1812年のナポレオン戦争勝利を記念して、高さ47.5mのアレクサンドルの円柱が建ち、その上には十字架を持つ天使の像が掲げられている。
宮殿広場 広場・公園
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ネットで購入したEチケット(2日券$22.95)を持って、冬宮殿右横から入ります。
10時少し過ぎに着きましたが入口のドアの前には10数人が列を作っていました。 -
スタートは、絢爛豪華な白い大理石の「大使の階段」から。
エルミタージュ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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世界に名だたる美術館に入って世界の至宝を目にすることができるのはまことに贅沢なことで感動ものなんでしょうが、しかし鑑賞眼もなく美術に疎い私にはもったいない。
おまけに方向音痴ときてるオヤジだけに、広く入り組んだ迷路のような豪華絢爛な美術館の中を何だかわけのわからないままに見学して回り疲れました。 -
わんさかと団体客が押しかけてきて混雑する美術館、その人いきれに気圧されながら、館内を迷いつつ少し汗ばみながら見て回り、数々の芸術作品やコレクションに目を見張ったり驚いたりしながらも、何だかわけわからず疲れ果て、3時間ほどで出てきました。
外は気温17度くらいで、そのひんやりした空気が気持ちいい。 -
エルミタージュ美術館を出て5番のトロリーバス(40P)に乗ってネフスキー大通りを戻って行きました。
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モスクワ駅の少し手前でトロリーバスを降りてしばらく歩き、「ドストエフスキー文学記念博物館」に来ました。
半地下の入口で入場料は250P。ドストエフスキー博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1878年10月から亡くなる1881年1月(59才で死去)まで住んでいて、「カラマーゾフの兄弟」はここで書かれたそうです。
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「ドストエフスキー文学記念博物館」を出たあと、近くにあるドストエフスキーホテル(Dostoevsky Hotel)に来ました。
ホテル ドストエフスキー ホテル
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お目当ては、ドストエフスキーホテル最上階の7階にある「BAR ラスコーリニコフ」。
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「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフの名を冠したBAR。
彼の住んでいた陰湿な屋根裏部屋とは違い、ウラジーミル教会が望めるガラス窓から陽が射す昼下がりのBARでは「罪と罰の」世界に浸るには明るすぎますが、ピーナツ(80P)をつまみに冷えた生ビールで喉を潤しました。
生ビールは160P(\320)と意外に安かったです。 -
ドストエフスキーホテルを出てネフスキー大通りへと歩いて行く途中に、ピローグのチェーン店「シュトーレ(Stolle)」があったので入りました。
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ピローグはロシア風の大きなパイで、甘いのからおかず系までいろんな具材があり、切り分けて食べます。
適当に指差し注文で一人分の標準サイズに切ってもらい、カプチーノを飲みながら美味しくいただきました。
全部で325P(\650)。 -
ネフスキー大通りに出て宿の方へ戻ります。
「おっ、こんなところに公衆電話があるではないか」と、電話に興味があるふりしてスレンダーなロシア女性たちをパチリ。
それにしてもホビットなオイラからすると、180cmはありそうな彼女たち、同じ人間とは思えないようなカラダの作り。 -
気を取り直して、ネフスキー大通りを歩いて行きます。
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ネフスキー大通りを左に折れて宿の方へ歩いて行く。
西日の射すテラス席で飲食を楽しむ人たち。 -
一度宿に戻ってから20時前に出かけました。
写真は別の日に撮ったものですが、半地下にあるこの店のカウンターに座って、目の前に10本ほどもあるビールサーバーから適当に選んで生ビールをいただきました。
200P。 -
滞在ホテル付近にはBarやパブがやたらに多い。
ちなみに、ロシア人の男性平均寿命は64才とかなり短命で、その主な原因がウォッカなどのアルコール度数の高い酒類の過剰摂取のためと言われているそうです。 -
入口のビートルズの看板に興味をひかれて、[Liverpool]という地下にあるBarに入ってみました。
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入口はあんなに狭いのに地下の店内はかなり広い。
ビートルズの曲ではなかったけどオヤジバンドの演奏を聴きながらダークビールをいただきました。280P(\560)。 -
近くにあるBARの入口をいくつかピックアップ。
その多くが半地下もしくは地下にあります。 -
サンクトペテルブルク3日目は朝から雨が降り肌寒い。
部屋の中の温度は21度くらいだけど外は10度前後だろうな。
午前中はベッドに横になってNetflixでドラマを観て過ごし、雨が上がってから13時過ぎに宿を出ました。 -
ネフスキー大通りにある「ソヴィエトカフェ(Soviet Cafe Kvartirka)」でお昼ご飯。
Soviet Cafe Kvartirka 地元の料理
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ダークビール(210P)を飲みながらビーフストロガノフ(400P)をいただきました。
黒パンもついてくるビーフストロガノフ、なかなか美味しかったです。 -
さらに雨上がりのネフスキー大通りを歩いて行きます。
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時おり雨がぱらついたりして肌寒いネフスキー大通り。
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グリボエードフ運河を越え、カザン大聖堂前にやってきました。
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂を手本に造られたそうで、長い回廊と列柱が見事な大聖堂。
聖堂の中もかなり豪華な装飾が施されていました。カザン大聖堂 寺院・教会
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ネフスキー大通りを行く大道芸の巨人。
竹馬のような要領で歩いてるのだろうか。
こけたら大変だな。 -
ネフスキー大通りから見るグリボエードフ運河沿いにある「血の上の救世主教会(スパース・ナ・クラヴィー教会)」。
天気に恵まれないこの日は遊覧船の客の入りも少ないようです。 -
ここにも巨人の大道芸人が。
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カザン大聖堂からネフスキー大通りを挟んでその北側にゴーゴリ像があります。
ゴーゴリの短編小説に「ネフスキイ大通り」というのがあり、下記のような件(くだり)で始まります。
『ネフスキイ通りほど素晴らしいところはない、とにかくペテルブルグでは。この街にとってはここがすべてなのだ。なにからなにまで輝いているんですよ、この通りは---われらが都の花なんだもの!・・・』
[ゴーゴリ/船木裕訳 ペテルブルグ物語 群像社] -
17時頃、エルミタージュ美術館にやってきました。
21時まで開館している水曜日のこの日、せっかく2日券があるので入ってみました。 -
昨日は行かなかった3階をちょこっと見てから、再度適当に歩き回り、美術オンチの私では見てもよくわからないけどダ・ヴィンチやラファエロの小さいけど有名な絵画などを眺めてきました。
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