2017/06/30 - 2017/07/03
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mirilinさん
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旅行大好きな私が39カ国目に訪れたのは、なんと身近な台湾。いつでも行けそうだからとか、日本とあまり変わらない感じがするからとか、なんだか随分後回しな感じの訪問でしたが、いや~人気な国だけあって、やっぱ楽しい!なんでもっと早くに行かなかったんでしょ。
治安もいいし、日本語も通じるし、インフラも整っていて、なんとも快適に過ごせる国でした。
ま、訪れたのが夏だったので、その蒸し暑さと刺すような日差し、突然のスコールには悩まされましたが、それもこの国らしさってことでOK!
アール・ヌーヴォー建築にハマって以来、歴史を感じる建物を見るのが大好きになってしまった私と相方は、台湾でも一眼とコンデジを1台ずつ抱えて台北と台南を東奔西走。灼熱の地で人間小龍包となりながら日本統治時代の重厚な建物や、明朝の頃からの優美な建物などにレンズを向けまくったのでありました。
なわけで、まずは台北編。
Part1は、台北駅西側(北門⇒西門あたり)の建物たち
Part2は 台北駅南側(二二八公園一帯の官庁街)の建物たち
Part3は 台北駅北西の迪化街の建物たち
の3部構成の予定です。
今回はPart2、台北駅南側(二二八公園一帯の官庁街)の建物たち編です。
Patr1はこちら http://4travel.jp/travelogue/11258410
Part3はこちら http://4travel.jp/travelogue/11260056
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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さて、Part2のスタートは、MRT「台大医院」駅の出口2の真ん前に、威風堂々と建つ「台大医院」です。
古代ローマの宮殿のような風貌ですが、現役の病院です。ひっきりなしに車が横付けされ、多くの人が行き交います。
でも、もちろん日本統治時代の由緒ある建物。1912年、台湾総督府営繕課に勤務していた建築家の近藤十郎が設計し、1921年に今のルネッサンス様式の赤レンガ2階建てが完成したそうです。台湾大学付属医院旧館 現代・近代建築
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青い空とパームツリーに囲まれたレンガ造りの建物…とても病院には見えませんよね~
建設当時は、東南アジアで最大の現代的病院だったそうです。 -
外観は、見所いっぱい。
この柱の装飾と窓のデザイン…素敵です。 -
建物正面のこの窓も独特のデザインです。
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そして、こちら。丸窓の周りを様々な果物のレリーフが囲んでいます。
バナナ、パイナップル、スターフルーツ、マンゴ…台湾らしいですね~
日本だったら、りんご、みかん、柿、さくらんぼ…かな?(笑) -
こちらは美しい植物の装飾。1階窓の上で見つけました。
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病院内なので、フラッシュ焚いてもな~と思って頑張って絞り開けて撮ったんですが、ぼけちゃいました…
病院内に足を踏み入れると、柔らかな光に包まれた広いホールがあります。 -
ホールの壁面は、優しい色のタイルと植物で囲まれ、柔らかな雰囲気を出しています。
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照明も、可愛らしいデザインです。
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建物に囲まれた中庭にはヤシの木や噴水があります。
病気の人やお見舞いに来た人が、少しでも心が休まるようにとの配慮が感じられる建物でした。 -
台大医院と道を挟んで西側に広がっているのが「二二八公園」。
こちらは、日本統治時代に台湾ではじめて作られた洋風の公園で、1908年に開園した当初は、「台北新公園」と呼ばれていたそうですが、現在は1947年に起きた歴史的な二二八事件に絡んで名称を「二二八和平公園」に変えています。
これは当時の建物ではありませんが、いかにも中華圏の公園といった感じなんで写真撮っちゃいました(笑)「涼亭」というみたいです。二二八和平公園 広場・公園
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この公園は、総面積が71,520平方メートルもあるそうです。
官庁街の真ん中に、ドーンとある公園…東京で言えば日比谷公園のような感じでしょうか?
太極拳をやっている人たちや、犬の散歩をする人など、市民の憩いの場となっているようでしたが、私たちは次の目的地「国立台湾博物館」に行くために早足で横切るのみとなりました。 -
二二八公園の北側入口にドーンと立っているのが「国立台湾博物館」です。
この建物は第4代台湾総督・児玉源太郎とその下で働いた後藤新平民政長官を記念して「児玉後藤紀念館」として建設されたそうですが、1915年の工事完了と同時に台湾の総督府に寄付され「台湾総督府紀念館」の新館として活用されることになったそうです。「台湾国立博物館」という今の名前になったのは、1999年だそうです。国立台湾博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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先ほどの「台大医院」が古代ローマの宮殿なら、こちら「台湾国立博物館」は古代ギリシャの宮殿のようですよね。
この建物は、日本人建築技師の野村一郎、荒木栄一が設計し、高石組が施工したとのこと。建設構造は鉄筋コンクリート(RC)とレンガを混合したシステムで、なかでもRC構造は二十世紀初頭の台湾において先進的な技術だったそうです。
デザインはギリシャの神殿建築の様式にローマのドーム式神殿建築の様式を組み合わせ、巨大なドリス式の柱列で入口を強調しています。 -
ペディメントの華麗な花と葉の装飾…いい仕事してます。
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入館するには、入場料がいります。当たり前ですが…
ただ、この博物館の展示内容があまり興味ないものだったので、入口から1階ホールの写真だけ撮らせていただきました。
ガードマンさんに聞いたら「いいよ」って言ってくれたんで~
入口から内部を覗くと、ルネサンスの風格を漂わせる優雅なロビーが広がっていました。同じ建物で内外で様式が違っているのは折衷主義の手法で、台湾では珍しいそうです。 -
そして、目を見張るのが天井です。
ドーム部分は美しいステンドグラスになっていました。 -
アップにしてみました
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ソクラテスとかプラトンとかが柱の影から出てきそうですよね。
1階ロビーを囲むコリント式の柱は、その上部は金色に輝き、精緻で繊細なアカンサスと螺旋状の模様がほどこされ、ロビーに華やかさを添えています。
ちなみに当時この館に使われた大理石は、わざわざ日本から輸入したそうですよ。 -
正面玄関前に2頭の牛が鎮座しているのですが、これは台湾神社にあったものが移設されたものだそうです。
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博物館前の襄陽路を挟んで向かい側にも重厚な建物が立っています。こちらは「土地銀行」の建物を修復し、国立台湾博物館の土銀(「土地銀行」)展示館として今も使われているのですが、そもそもは「日本勧業銀行台北支店」だった建物です。
株式会社大林組が施工し、1932年に着工、翌年1933年に落成したものです。 -
外見の設計に関しては、角地であることを上手く活かして、13本の太い円柱を均等に並べ、西洋の古典的な列柱と台湾の「亭仔脚」と呼ばれるひさしの回廊の設計を融合させて、強烈な印象を与えつつ、顧客に重量感と信頼感を与えるという工夫をしているそうです。
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回廊の天井には、バラの花のレリーフが均等に配されています。
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そして床はゴールドで動物や植物などが描かれています。(床は最近描かれたと思われますが…)
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がっしりと重厚な扉にもバラの花の装飾が付いてます。
先を急ぐので、中には入りませんでした。昔の面影残っていたのかなぁ? -
1991年5月24日、第三級古跡(今日の台北市定古跡)「勧業銀行旧ビル」に指定されたとのことで、こんな表示が壁についていました。
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二二八公園の脇で見かけた趣ある商店。回廊を歩いているだけだと気がつかないのですが、ちょっと上を見上げると、こんな家がちょこちょこと現れます。
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さてこちらは日本統治時代の台湾銀行本店。日本統治時代には、発券業務を受け持つ中央銀行でありながら、台湾最大の商業銀行としても運営されていたそうです。
現在も、中央銀行として機能しています。
こちらの銀行は1897年に国営として創業。1899年に木造建築の銀行が出来ましたが、シロアリで建物がダメになってしまったために1923年に現存の花崗岩の建物に作り直したそうです。台湾銀行 (旧 台湾銀行本店) 建造物
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正面は太い円柱を並べているところや、天井にバラの花の装飾があるところなど、先ほどの「日本勧業銀行台湾支店」と似ています。
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行内は、高い天井がガラスになっているのでとても明るく、気持ちのいいフロアが広がっています。ここは2007年キムタク主演でTBSで放映されたドラマ「華麗なる一族」のロケに使われたところで、確かに見覚えがあります。
写真は中央銀行内ということもあり、ガードマンさんに止められたので載せられず残念です。 -
写真は止められましたが、ガードマンさんはとても親切で、わざわざ私たちにこの銀行の建築当初の姿が掲示されているところを教えてくれました。
当初は、木造のこんな建物だったそうです。 -
そしてこの台湾銀行の隣が総統府です。
日本統治時代に「台湾総督府」として1919年に完成しましたが、第2次世界大戦時に空襲を受け、1946年に再建されて、現在は総統府として利用されています。中華民国総統府 建造物
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日本国内で建築家を募集した結果、適任者として、長野宇平治という方が選ばれたそうです。総統府のシンボルでもある正面入り口の塔の中には、上棟式のお札が大事に収められているそうです。
真上からみると、日本の「日」の字に見える形になっているとかで、完成当時、赤レンガの建造物の中では、最も高い建築物だったそうです。 -
建物の周りには、軍の車両が山のように止まっていて、なんだかすごいピリピリムード。建物の前に止まることも許されませんでした。
この日が特別なのか、いつもなのか…
上の2枚は別の日に離れたところから望遠使って撮った写真です。
にしてもこのレンガ造りのデザイン、トップバッターに訪問した「台大医院」や東京駅にも似てますね。 -
建物の前で立ち止まることを禁止され、すごすごと立ち去りながら、ふと足元を見ると、動物のレリーフが点々と埋め込まれています。
犬…猿…雉…え?桃太郎? -
猿です。
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雉です。
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あれ?山羊…
桃太郎とは関係なかったみたいですが、なんでこんなものがあるのかは不明です。 -
総統府の斜め向かいにあるのが、台北市立第一女子高級中学、現在でも名門中の名門の女子高校だそうです。
創立は1904(明治37)年、まず台湾総督府国語学校第三附属学校として開校。その後、1909(明治42)年に「台北州立第一高等女学校」となり、1922(大正11)年台北第一高等女学校と改称されました。
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建設当初の姿の写真が門の前に飾られています。
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現在の校舎は、1932(昭和7)年に建てられた鉄筋コンクリート製。関東大震災を経て、当時の耐震構造基準に則した建物になっているそうです。
瓦屋根の小さな小屋が、当時の姿を残しているのでしょうか? -
そして、「台北州立第一高等女学校」の西向かい、総統府の南側に並んで建つのが司法院「司法大厦」(旧:台湾総督府法院/裁判所)です。
設計者は後に台湾建築学会会長となった井手 薫。1934年(昭和9年)の作です。
4階部分は1977年に増築されたものですが、もちろん国定史跡となっています司法院 建造物
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建物全体がモスグリーンで、隣の赤×白の総督府に比べると地味な印象ですが、逆に重厚で品の良い雰囲気があります。
Part1のブログで紹介した西門近くの「中山堂」同様に、空襲を避けるためにこの色のタイルを使ったそうで、このタイルのモスグリーンは「国防色」と呼ばれたそうです。 -
モスグリーンのタイルで一見ちょっと地味めですが、白の縁取りをしたアーチ型の窓や幾何学模様の壁、彫刻を施した石など、パーツの一つ一つに工夫が凝らされていて見ごたえがあります。
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司法院の前の道(重慶南路一段)をさらに5分ほど南下して愛国西路を左に曲がると台湾らしい建物が目に入ります。
これは台北府城南門(正式名称:麗正門)です。大南門とも呼ばれるこの門は、1998年にその他の門とともに国の第一級古蹟として指定されています。南門 (麗正門) 建造物
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現在のこの門は、国民党政府が立て替えたもので、台北が城壁に囲まれていた頃の門はもっと簡素な形でした(Part1で紹介した「北門」が当時の姿です)が、こちらのほうがフォトジェニックです。
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南門を背に公園路に入っていくと、赤いレンガのとても美しい建物が目に入ります。
これが本日最後の目的地「台湾?愨酒公売局」。日本統治時代にタバコや酒などを専売していたいわゆる専売公社です。こちらも台湾総督府営繕課に勤務していた日本人・森山松之助氏の設計です。
私はこの建物が一番好きです。専売局 史跡・遺跡
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現在は専売制度が廃止され、「台湾菸酒股份有限公司」に変更していますが、今もこの建物が使われています。
ということで、内部には入れないのですが、とても美しいらしいです。 -
正面の塔も今まで見てきた建築物のいろんな面が凝縮されている感じです。
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さて、台北駅南側(二二八公園一帯の官庁街)の探検はこれにて終了。
一番近い地下鉄駅「中正紀念堂駅」にむかいます。
すぐ目の前に超有名観光スポットである「中正紀念堂」が見えましたが、真夏の街歩きは結構きつくって…道の反対側から写真を撮って失礼しました。大忠門 建造物
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あの青い屋根は紛れもなく「中正紀念堂」
ま、日本統治時代の建物めぐらーにはあまり関係ないスポットです(笑)
次はPart3 台北駅北西の迪化街の建物たちを見に行きます。
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