2017/05/28 - 2017/06/15
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ねんきん老人さん
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四国遍路。
以前から漠然と、行ってみたいとは思っていました。 本当に漠然とで、ルールも作法もまるで分かりません。
いつか勉強して行ってみよう。 そう言い合っていた妻が死に、取り返しのつかない焦燥感に突き動かされて四国まで来たものの、さて、何をどうしたらいいのか・・・。
「お母さん。 お遍路なんて偉そうなことは言えないけど、とにかく八十八か所、回ってみようか」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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【 第一番霊山寺(りょうぜんじ)・仁王門 】
前夜は鳴門市内に宿をとり、朝一で霊山寺にやって来ました。
第一番札所ということで殆どのお遍路さんはここからスタートしますし、私もそれに倣ったのですが、駐車場から仁王門に行って、まずシラケました。
阿形の仁王様の前には「巡拝へんろ用品」と書かれた看板が立てかけてあり、吽形の仁王様の前にはお遍路のいでたちをした女性のマネキンが立っているのです。
そのマネキンがまた八頭身で、肌は抜けるように白く、眼鼻立ちは少女漫画もかくやという美形です。
なんだかなあ? 札所って、こういうこと? -
【 霊山寺・多宝塔 】
多宝塔を三重塔や五重塔と同じくお釈迦様の遺骨、つまり舎利を納めたものだと思っていたのは無知の極みで、ここでは大日如来の五つの智恵を表す五智如来を祀っているのだそうです。
と言われてもよく分からないのですが。 -
【 霊山寺・十三仏堂 】
十三仏堂です。 私自身、十三仏の意味がよく分かっていないのですが、人は死後十三回の審判を受けるそうで、その裁判を司る十三人(?)の仏様たちだということは聞いたことがあります。
私にしてみれば妻が審判で悪い評価を受けるなどということはあり得ないと思うのですが、万が一にも仏様の機嫌の悪いときに審判があったりするといけないので、それぞれの仏様にきちんとお参りをしました。
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【 第二番極楽寺・仁王門 】
札所では最低本堂と大師堂でお経を唱え、その証として納経帳に御朱印をいただくのだと聞きました。
お経は短いものから長いものまでいくつもあり、それらを順に唱えていくのですから、かなりの時間を要します。
四国八十八ケ所霊場会という「お寺の組合」みたいなものがありますが、そこの基準では合掌礼拝のあと、まず開経偈(かいきょうのげ)を1回唱えることになっています。
「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義」
これはどうやら日本語のようで、ちゃんと勉強すれば意味が分かりそうです。 でも私は勉強していなかったので分からず、分からないことを口にしても仕方がないので、唱えませんでした。
「お母さん、ま、いっか?」第2番札所極楽寺 寺・神社・教会
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【 極楽寺・長命杉 】
極楽寺の境内には、弘法大師お手植えの杉というのがあります。
大師お手植えといえば樹齢は千二百年近いことになります。 それにしてはずいぶんと小さな木だなと思ってしまいますが、まあ、その辺の詮索はせずにおきましょう。
それでも相当な樹齢であることは確かで、「長命杉」と書かれています。
「長命か・・・。お母さん(妻)は64年しか生きられなかったのに・・・」
杉の木に八つ当たりしても仕方がないのですが。 -
【 極楽寺・境内 】
境内は広々として、手入れも行き届いています。
納経所の案内板に、「個人様」「団体様」と別方向が示されているのは、大変結構なことです。 その理由はやがて分かります。
さてお経ですが、昔からお経というのはお坊さんがムニャムニャ言っているけど何を言っているのか分からない・・・というのが相場で、フツーの人の手に負えるものではないと思っていました。
ですが霊場巡りをする人は殆どがそのフツーの人ですから、お経をどうしているんだろうか?というのが、私にお遍路をためらわせていた最大の疑問でした。
で、読経中の人を秘かに観察したところ、多くの人は経本を棒読みしているだけで、お坊さんのように流れるような調子で読んでいるわけではありません。 つっかえたり、止まったりしながら訥々と読んでいる人が殆どでした。
これは本当に幸いなことで、私に「お経を読む」という勇気を与えてくれました。 -
【 第三番金泉寺(こんせんじ)・本堂 】
寺社詣での基本的な所作に「お賽銭をあげる」というのがありますが、私は殆どあげたことがありません。 別に理由があるわけではなく、単にケチっているということで・・・。
ですが今回は、妻のためにお参りするという意識もあり、子供たちから預かった分も含めて全てのお寺の本堂と大師堂にちゃんとあげてきました。
額は、子供と孫の人数分として6円、私の分として10円です。
これではさすがに少ないとは思ったのですが、八十八か寺すべての本堂と大師堂にあげるのですから、年金生活者としてはラクではないのです。
実は、いくつかのお寺で賽銭箱を覗いてみました。 殆どは1円玉か5円玉で、それに10円玉が混じっている程度。100円玉はめったに見ませんでした。
「お母さん、ウチだけじゃないよ」 -
【 金泉寺・力石 】
金泉寺には弁慶の力石というものがあります。
源平の戦いで屋島に向かう途中の義経がこのお寺で戦勝祈願をした折り、弁慶がこの石を持ち上げたということだそうです。
「お母さん、弁慶はなんでそんな馬鹿なことをしたんだろうねえ?」
いつもだったら妻が笑うのですが・・・。 -
【 第四番大日寺・山門 】
大日寺という寺号からも分かるとおり。大日如来が本尊です。
八十八か寺の中には他にも二か所、大日寺というお寺があります。
納経所に行くと、お遍路衣装のおばさんが一人で何冊もの納経帳を抱えて窓口に出しています。
お寺の人が何冊ですかと訊くと、6冊ですと答えました。 「7冊と違いますか?」と確認されて、「あ、7冊です」と答えましたが、「あれ? 8冊ありますよ」と言われると「ああ、8冊です」と答えていました。
こんな所で冊数をごまかして、グループのメンバーから預かっているお金をくすねようというのでしょうか? バチ当たりなことはしない方がいいと思うのですが。
このグループとはこのあと行く先々で一緒になり、閉口しました。 マイクロバスに「○○KANKO」と書いてあり、駐車場でそのバスを見るとゲーッ!という気分になります。 -
【 大日寺・本堂 】
さて2番目に唱えるお経は「懺悔文(さんげのもん)」です。
そのあと「三帰(さんき)」、「三竟(さんきょう)」と続きます。
まあ、分かるような分からないような・・・。 私は経本にふられた読み仮名に従って、分かりそうなところだけを小声で唱えて終わりにしました。
「お母さん、お遍路って、これでいいのかなあ?」 -
【 大日寺・御朱印 】
かなり端折ったお経しかあげず、みみっちいお賽銭しかあげていない私ですが、妻との共有の宝として御朱印はちゃんといただきました。
右側は二十八番大日寺のものです。
こうして見ると真ん中に本尊の御名、左下に寺号が書いてあるのだと分かります。(なにせ、どのお寺も達筆すぎて殆ど読めないのです)
右上には「奉納」と書いてあるらしいのですが、そう読めるお寺は皆無です。(単に私が読めないだけですが) -
【 第五番地蔵寺・たらちね銀杏 】
このお寺の本尊は延命地蔵菩薩だそうです。 境内には樹齢800年の銀杏が。
「延命・・・」「800年・・・」
いちいち腹立たしい思いがして、首から下げた妻の遺骨にそっと手を触れました。
「お母さん、まだ64だよ。早すぎるよ」
-
【 第六番安楽寺・仁王門 】
「安楽寺」とはまた安直な名前をつけたものだと思ってしまいますが、薬効豊かな温泉が湧く地に建てられたとのことで、まあ分かり易いといえば分かり易い命名でしょうか。
ここでまた、あのグループとぶつかりました。 マイクロバスが止まると、納経帳の束を抱えてさっきのおばさんがまっしぐらに納経所に向かって行きます。読経どころかお参りすらせずに御朱印を貰おうというのですから、その厚顔ぶりには開いた口がふさがりません。
で、グループの他の人はどうしているのかというと、ちゃんとお参りをしている人が数名、あとはベンチに腰かけてタバコを吸いながら大声で世間話をしているだけで、例のおばさんが帰ってくるのを合図にバスに乗り込んでいるようでした。
「お母さん、お遍路って、あれでいいのかなあ?」 -
【 安楽寺・仁王像 】
なんだか近所にもこういう顔のおじさんがいるような・・・。 漫画チックなポーズと併せ、親しみが持てます。
仁王様の周りに鳩よけの網が張ってないのも嬉しいですね。 -
【 安楽寺・さかさ松 】
境内には回遊式の立派な庭園があり、その中央に「さかさ松」というものがあります。
猟師が弘法大師を猪と間違えて矢を射たものの、矢は松に当たって大師は助かりました。大師は松を掘り起し、根を上にして植えたところ、それが根付いたというのです。
この話、松が大師の前に立ちはだかって矢を防ぐということはないでしょうから、単に猟師の腕が未熟だったということでしょうし、大師がなんだってまたわざわざ松を掘り返して根を上にして植え直すなどという馬鹿げたことをしたのかも分かりません。
こういうイチャモンをつけている私を、妻は「また始まった」と笑っているでしょうか? -
【 第七番十楽寺・鐘楼門 】
人間は四苦どころか八つの苦しみから逃れられないが、極楽浄土では十の楽しみを得られるようにとの願いを込めた寺号だそうです。
ちなみに私の車のナンバーは49-89。 メールアドレスも4989から始まりますし、カード類の暗証番号もたいていは4989です。
生老病死の四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦を加えた八苦への覚悟を持って生きるというつもりで使っています。
その中の愛別離苦がこんなに早くくるとは思いませんでしたので、覚悟のできないまま妻を死なせてしまいました。 この苦しみに比べたら、自分の生老病死などは苦しみのうちに入りません。 -
【 十楽寺・本堂 】
なんだかテーマパークの安っぽいセットみたいな鐘楼門からは想像できない、重厚な感じの本堂です。
階段もこのくらいの高さがあると、上っている間に気持ちが引き締まります。
ところで、お参りのときは階段の左側を上り、右側を降りるのだそうですね。私は何にも知らずに、納札箱めざしてまっしぐらに登っていました。
「お母さん、知ってた? また恥かいちゃったね。 めんごめんご!」 -
【 十楽寺・大師堂 】
このお堂の前で遍路慣れした感じの男性が「十善戒」を唱えていました。
不殺生 不偸盗 不邪淫 不妄語 不綺語 不両舌 不悪口 不慳貪 不瞋恚 不邪見
ものすごい速さで、十か条の戒めがあたかも一語のように聞こえます。 とにかく読めばいいというのでしょうが、あれで自分を戒めることができるのでしょうか。
「お母さん、一語一語意味を考えながら読んでいる俺の方がマシじゃない?」 -
【 第八番熊谷寺(くまだにじ)・参道 】
熊谷寺は、駐車場から長い参道を歩きます。 緩やかな坂になっていて、汗が噴き出ます。
ところで、このお寺は納経所が駐車場のそばにあります。 参拝を済ませた人が車に乗る前に御朱印をいただくということで、別段不思議はないのですが、ここでちょっと信じられない光景を目にしました。
私が着いたのとほぼ同時に例の○○KANKO とは違う大型のバスが到着し、白衣姿のオジサンオバサンがぞろぞろと降りてきました。
「あれ、納経所、ここにあるやん!」
「ほな、ここでええわ!」
オバサン達の何人かが、納経帳を持って入って行きました。
私が駐車場に戻るのと前後してバスのメンバーも戻ってきましたが、さっきのおばさん達との会話がまた聞こえてきました。
「どうやった?」
「いやー、きついで」
「はー! 行かんでよかったあ」
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【 熊谷寺・二天門 】
参道で一汗かいた先に中門(二天門)があります。(仁王門は参道の南側にあります)
二天門というくらいですから、四天王のうちの二人(持国天と多聞天)が辺りを睥睨しています。 極彩色には違和感がありますが、見慣れた仏像も多くは作られた当時は極彩色だったのでしょうから、つべこべ言わずに、とりあえずお賽銭を入れます。 -
【 熊谷寺・本堂の鬼瓦 】
いやはや、こんな恐ろしい鬼瓦を載せられたんでは、悪霊もおいそれとは近づけないでしょう。
私の家なんぞは鰯の頭みたいな瓦ですから、押し売りだって借金取りだって遠慮なく近づいてきますし、貧乏神にいたっては居座ったまま出て行きません。
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【 第九番法輪寺・山門 】
やっぱり竜宮城みたいな山門より、こういう方が趣きがあって、くぐるときに気が引き締まります。
それなのに、またあの○○KANKO です。
わき目も振らず納経所に直行するオバサン。 私がお参りを済ませ納経所に行くと、まだいました。 お寺の人は重ねた納経帳を右から左に移しながらせっせと御朱印を押していますが、オバサンは縁台に腰かけて涼んでいます。 -
【 法輪寺・弘法大師像 】
お経の話を続けます。
「十善戒」のあとは発菩提心真言、さらにそのあと三摩耶戒真言というのがあります。 どちらもチンプンカンプンでどうにもならず、八十八か寺を回り終わるまで、一度も読みませんでした。
そしていよいよ「般若心経」です。 誰でも聞いたことがある、「かんじーざいぼーさー」というアレです。
これは手に負えません。 仏様の教えのエッセンスだということですが、意味の分からない、いわば無意味綴りをふりがなだけで読み続けるというのは苦痛であるばかりか、滑稽とすら思えるのです。
で、私はどうしたかというと、経本のふりがなに従って小声で棒読みし、所々なんとなく意味の分かる、例えば色即是空とか不垢不浄とか、そういうところだけをいくらか大きな声で読んで、はい終わりという具合いでした。 -
【 第十番切幡寺(きりはたじ)・山門 】
切幡寺への道は狭くてすれ違いができないため、対向車が来るとお互いに止まって、車を寄せる場所を探さなければなりません。
やっとお寺に着くと、駐車場が山門の内側に。
これはラッキー! 楽にお参りができるぞ、と思ったら大間違いです。 -
【 切幡寺・まだまだ続く石段 】
歩き始めるとすぐに「是より三三三段」という石標があり、階段の始まりです。
途中、ちょっと平らな場所があり、やれやれと思ったらそこに「是より二三四段」の文字が。
まだ99段しか上っていないということですね。 -
【 切幡寺・今のは!? 】
手摺りにつかまりながらゆっくり上り、それでも途中でゼイゼイと息を切らせて休んでいると、その横を若い女性が一段抜かしで「マシラの如く」上って行きました。
「・・・お母さん、俺も昔はああだったんだよ」
意味のないセリフでした。 -
【 切幡寺・本堂 】
さてさて、お経の話もそろそろ終わりにしたいと思います。
「般若心経」のあとは各お寺の御本尊真言(ご本尊の教え)を唱えるらしいのですが、それでなくても意味が分からないのに、それがお寺ごとに違うというのでは、もうお手上げです。
そこで私は、そのあとに唱えることになっている光明真言だけを唱えました。
これはどこのお寺でも唱える、共通の真言で、5人(?)の如来の名を次々に呼ぶもののようです。ただサンスクリット語をそのまま漢字にしてあり、読み仮名を頼りに読んでも意味は分かりません。
おん あぼきゃあ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
「べいろしゃのう」は大日如来、「はんどま」は阿弥陀如来のことらしいのですが、それ以外は分かりません。
でもどのお寺でも同じことを言えばいいので、このくらいは四の五の言わずに唱えようと思い、おかげでいくつか回るうちに覚えてしまいました。
そして弘法大師の御宝号「南無大師遍照金剛」、最後に回向文「願わくはこの功徳を以って遍く一切に及ぼし我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん」を唱えれば、納経したことになり、納経帳に御朱印を貰えます。
私の場合はあちこち省略したいい加減な読経でしたが、實は大雑把な観察によれば、これでもまだマシな方で、お経をまったくあげないお遍路さんもずいぶんいたように思います。 -
【 第十一番藤井寺・仁王門と鐘楼 】
駐車場はご近所さんが私設で営んでいるらしく、300円取られます。
それは仕方がないとして、それより私にはあまり積極的にお参りする気になれない理由があります。
それは、このお寺の本尊が薬師如来だということです。 薬師如来といえば、たいていは手に薬の壺を持った姿で表される、いわば病気を治す仏様でしょう。 だったら、なんでお母さん(妻)の病気を治してくれなかったのか・・・。
妻に手を差し伸べてくれなかった仏様・・・。
さて、もうお気づきのとおり、私のこの知識は間違っています。
薬師如来は確かに医療を司る仏様ではありますが、それだけではなく、沢山の功徳を積まれた仏様であり、また「薬師如来」という狭いアイデンティティーがあるわけではなく、他の仏様と融合して別名で呼ばれたりすることもある、いわばオールマイティな仏様であるらしいのです。
私は浅学にして薬師如来を逆恨みしていたのですが、いくつかのお寺を回るうちに、そうではないことが分かってきました。
もし間違ったままだったら、お遍路はかなり憂鬱なものになったと思います。なにしろ八十八か寺のうち、薬師如来を本尊としているお寺は22もあるのですから。 -
【 藤井寺・型抜き看板 】
ところで、本堂の前に立ててある小坊主さんの型抜き看板、何のために立ててあるのでしょう?
胸に持ったボードに「四国11番 藤井寺」と書いてありますが、小坊主さんの横の柱には大きく「四国第十一番藤井寺」と書かれています。 そもそもここが藤井寺だと知らずにお参りしている人はいないと思いますから、まったく無用の長物で、むしろ歳月を経て風格の漂うお寺の雰囲気を壊していると思うのですが。
さて、お遍路といえば御朱印をもらう人が殆どでしょう。 ところがその御朱印を押してくれる窓口は夕方5時には閉まりますから、お遍路は時間になればどこかに泊まらなければなりません。
私はどこかで車中泊をするつもりでしたが適当な場所が見つからないまま十三番近くまで来てしまい、やむなく「名西旅館」というお遍路宿に泊まりました。
結果的にこれが大当たりで、食事のときに宿のご主人や同宿のお遍路さんから多くのノウハウを教えていただきました。
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【 道の駅・燕の子育て 】
お遍路2日目、宿を出てから20kmほどで、道の駅「温泉の里神山」に着きました。
そこには燕の巣がいくつもあり、それぞれに雛がいました。
私はこれまでの経験から四国には燕が多いという確信を持っています。 今回も遍路を終えて和歌山・奈良・愛知の各県を通って帰ったのですが、意識的に観察してみて、やはりそう感じました。
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【 第十二番焼山寺・駐車場 】
県道43号から左折すると、そこから先は焼山寺専用(?)道路です。 所々車を寄せる幅がありますが、走りながらすれ違うことはできない1車線道路で、急勾配、急カーブの連続です。
そんな道を5km余り走ると、突然広々とした駐車場に出ます。 奉納された布袋様の像に迎えられ、写真奥の参道に向かいます。 -
【 焼山寺・参道 】
参道には釈迦涅槃像、不動明王像、慈母観音菩薩像、さらに普賢菩薩像、そのほか沢山の仏像が奉納されています。 信仰する人の多いお寺だということが伝わってきます。
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【 焼山寺・参道 】
長い参道ですが、写真のように整った道で、いろいろな仏様を拝しながら歩いていると苦になりません。
(実際の歩行時間は15分ほどです)
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【 焼山寺・石段 】
と思ったら、石段が現れました。
こういう自然石を使った階段は、見た目は風情があっていいのですが、歩き易いとは言えません。 手摺りもつかまり易い作りではありません。 よく見る金属製の手摺りは、お寺の景観を損ねるものではありますが、握り易く、助かります。
切幡寺で見かけた娘さんにとっては、どうでもいいことでしょうが。 -
【 焼山寺・杉木立と本堂 】
駐車料金は志納ということですから、払わなくてもいい筈ですが、納経所の窓口に「駐車料金(道路保全協力金)300円」と書いてあり、ちゃんと催促もされます。
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【 焼山寺・本堂と大師堂 】
ご夫婦でのお遍路・・・。
羨ましくもあり、妬ましくもあり。 それぞれに理由があってのお遍路でしょうから、狭い了見でやっかむのは良くないと思いながら・・・。
「お母さん、俺たちも一緒だよね」
心の中で話しかけましたが、やっぱり返事はありません。 -
【 焼山寺・熊出没注意 】
と、そんな私を現実に引き戻す注意書きが!
「もしもクマに遭遇したら
落ち着いて、クマに背を向けずに、ゆっくりその場から離れてください」
落ち着いて? ゆっくり? -
【 焼山寺・参道(下り) 】
では、ゆっくり駐車場に戻りましょう。
やっぱりずいぶん上ってきたんだなと実感します。 11番の藤井寺は標高40m、焼山寺は700mだそうですから、走っているときに耳がツンとなったのも頷けます。
※ 焼山寺は標高938mの焼山寺山の8合目にあるのだそうです。 -
【 どうすれば・・・? 】
狭い急坂を戻る途中、こんな看板を見かけました。
電光表示板に注目しろというのか、表示板を信用するなというのか? -
【 第十三番大日寺・山門 】
前夜泊まった名西旅館まで戻り、車を置かせてもらってすぐそばの大日寺に行きます。
このお寺は、大日寺といいながら、ご本尊は大日如来ではなく、十一面観世音菩薩です。
もとは大日如来だったのですが、近くの一の宮が神仏分離令で本地仏の十一面観世音菩薩を手放さなければならなくなって大日寺に押し付け、おかげで大日如来は脇侍仏に降格されたということのようです。
なんだかよく似た話が現代の大企業にもありそうですね。 -
【 第十四番常楽寺 】
お寺は流水岩という岩盤の上に建てられたとかで、荒々しい自然の起伏がそのまま庭になっています。
「お母さん、こういうのも趣きがあっていいねえ。 お母さん、俺の話、聞こえてる?」
-
【 常楽寺・樹上のお地蔵様 】
なんと、木の股にお地蔵様が!
成長する幹がしっかりとお地蔵様を固定しているようですが、何百年か後には完全に木の中に埋まってしまうのでしょうか?
※ この記事を書いたあとで分かったのですが、木の上におわすのはお地蔵様ではなくお大師様で、この木がアララギの木であることから「アララギ大師」と呼ばれているのだそうです。
若者の無知はご愛嬌ですが、老人の無知は救いようがありません。 -
【 常楽寺・娘巡礼 】
納経所の脇にこんな人形が。
子供のころ、どういういきさつか知りませんが、人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」の台詞が子供たちにも知られていました。
父母を訪ねて旅に出たお鶴が、そうとは知らず母お弓の家先で飲食の施しを乞う場面。お鶴の台詞「巡礼にご報謝~」
私は近所の家々でこの台詞を情感たっぷりに語り、今では信じられませんが本当に菓子や小遣いを貰っていました。 いい時代があったものだと思います。
その話は妻にもしたことがあり、妻は呆れていましたが、この人形を見てそれを思い出しました。
「お母さん、お鶴がいるよ、お鶴」 -
【 第十五番国分寺 】
国分寺といえば聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって全国に建てられたお寺で、それぞれ七重の塔を持ち、聖武天皇の写経が納められている・・・と、ここまでは学校で習います。
今回お遍路に出て、八十八か寺のうち4か寺が国分寺であり、それが徳島(阿波)・高知(土佐)・愛媛(伊予)・香川(讃岐)の4国に一つずつあるのを知りました。 一国一寺は詔にあるとおりで、学校で習ったことを身をもって復習した気分です。
本堂は修復中のため、仮本堂でのお参りになりましたが、ちゃんと(?)お経も唱えましたし、お賽銭もあげました。 -
【 第十六番観音寺・弘法大師像 】
八十八か寺の殆どは境内に弘法大師像が建っていますが、どれも立派なお姿で、我知らず足が止まります。 中でも私の「お気に入り」はこの観音寺のお大師様で、まだ18・9とも思える童顔ながら、その柔和なお顔立ちには既に衆生救済に自分の道を定めたような落ち着きが感じられます。 -
【 第十七番井戸寺・仁王門の巨大草鞋 】
前日は車中泊をするつもりでセブンイレブンで冷やし中華を買ってありました。急遽名西旅館に泊まったので、それが車に残っていました。。
そこで井戸寺の駐車場でそれを食べたのですが、食べ終わって何気なく消費期限を見ると、前日の午後9時となっていました。
今さらどうしようもないので、お寺に向かいます。
井戸寺の仁王門には巨大な草鞋が納められています。 門の表側にはもちろん仁王様がおわすのですが、この草履と比べると、ちょっとその存在感が霞んで見えます。 -
【 第十八番恩山寺 】
恩山寺の駐車場は木立の中で人の目が届きません。車上荒らしに注意との看板も出ていますが、どう注意すればいいのでしょう?
貴重品などないのですが、窓ガラスを割られたりするのも困りますから、メモ帳を破って「車内に貴重品はありません」と書き、ダッシュボードの上に置いておきました。
境内は人が少なく、とくに階段を上がった本堂はまったくの無人でしたので、この旅で初めて御詠歌を唱えました。
終わって階段を降りかけると、下の方にあの〇〇KANKOの面々が! そこには大師堂があり、何人かはお参りをしているようでした。
私が順番を待っていると、あのおばさんが戻ってきて、それを合図に一斉に駐車場の方に歩き出しました。 結局本堂には誰もお参りしなかったようです。
「お母さん、お遍路って、あれでいいのかなあ?」 -
【 恩山寺・ビランジュ 】
山門の近くにこんな木がありました。 ビランジュ(毘蘭樹)というそうで、初めて聞きました。
弘法大師の母堂が大師に会いにこのお寺に来たものの、女人禁制で叶わず、大師が17日間にわたる女人解禁の修法を行ってようやく許されたとのこと。そのとき大師が記念に植えたのがこのビランジュだそうで、これまた大師お手植えにしては木が小さいような気もします。
(ちなみにビランジュは桜の親戚らしいのですが、だとしたら千二百年もの樹齢が得られるものでしょうか?) -
【 第十九番立江寺(たつえじ)・仁王門 】
立江寺の仁王門は、多くのお寺がそうであるように、鳥よけの網が張ってあります。 文化財保護の観点からは仕方のないことです。
ただ、このお寺ではその網の前に巣箱が取り付けてありました。 ただ鳥を締め出すというのではなく、代わりに鳥の便宜をはかってやろうという優しい配慮が感じられ、こちらまでほのぼのとした気持ちになります。 -
【 立江寺・本堂 】
立派な本堂です。
この本堂でお経を読んでいるとき、「名前書かないで入れちゃったあ!」と叫びながら一人のおばさんが来て、読経中の私に、ほとんど体当たりのようにぶつかると、納札箱の中に腕を突っ込んで何枚かの納め札を取り出しました。それを2~3回繰り返したあと、自分が入れた札を見つけたらしく、「あー、書いてあった、書いてあった!」と叫んで仲間の待つ方によろけて行きました。
この納め札については次回以降の稿で書きたいと思いますが、人を押しのけて自分の探し物をし、呆れて読経を中断して見ている私に一言の挨拶もせずに行ってしまった非礼非常識はどこからくるのでしょうか?
「お母さん、お遍路って、あれでいいのかなあ?」 -
【 第二十番鶴林寺(かくりんじ)・参道 】
鶴林寺への道は、車にはやっかいな道です。 ガードレールがほとんどなく、しかも1車線でカーブが急なものですから、路肩がボンネットに隠れて見えないまま右に左に曲がらなければなりません。
毎年どれくらいの車遍路が通るのか知りませんが、これまでに1台も崖から落ちていないということはあり得ないと思います。
やっと車を停め、参道を歩きながら、なぜか唐突につまらない疑問が浮かんできました。
「お母さん、どうして眼鏡屋で補聴器を売っているんだろう?」 -
【 鶴林寺・本堂 】
鶴林寺というだけあって、本堂の左右に鶴が配置されています。 嘴が阿吽の形になっているのには笑ってしまいますが、ゆっくり見ている時間はなく、次の大龍寺に向かいます。
簡易舗装があちこち剥がれていて走りづらく、すれ違える場所が殆どない狭い道で、対向車のためバックすること2回、急に車が現れてぶつかりそうになること2回。 お寺で払った「道路保全協力金」300円は使われているのでしょうか。 -
【 太龍寺ロープウエイ 】
太龍寺へは車や徒歩で行けないこともありませんが、かなりハードで、危険も多いのでロープウエイを利用した方がいいと、多くの経験者が助言をしています。
で、ロープウエイの駅に行ってみると、ロビーに「夫婦鷲」と書かれた一刀彫の作品が飾ってありました。
妻が死んで「夫婦」という言葉に敏感になっている私は、作品の出来栄えを鑑賞するよりも、「鷲まで夫婦でイチャイチャしてんのか!」と筋違いのやっかみに走る始末でした。 -
【 太龍寺ロープウエイ 】
鶴林寺でゆっくりできなかったのは、このロープウエイの時間が気になったからです。 駅に着いたのが午後4時。 ちょうど上りのゴンドラが出て行くところでした。
次は4時20分。山頂に着くのが4時半で、下りの最終が5時ということですから、30分でお参りを済ませ、御朱印をもらって山頂駅まで戻らなければなりません。
チケット売り場の女性に大丈夫かと何度も念を押されましたが、明日また出直すというのも大儀なので、大丈夫だと言い張って乗り込みました。 -
【 眼下にオオカミが! 】
ロープウエイのガイドさんに言われて下を見ると、5頭のオオカミがいました。
お客の男性が「この辺にオオカミがいるのかい?」と訊き、ガイドさんが「いませんよ。オオカミは絶滅しましたから、あれはブロンズですよ」と答えましたが、なぜそこにオオカミの像があるのかは説明しませんでした。
それにしても、ちょっとポッチャリ系のオオカミですね。 -
【 第二十一番太龍寺 】
ロープウエイ山頂駅を出るといきなり階段が。30分で戻らなければなりませんから、溜息などついている暇はありません。 マシラの如く(?)駆け上ります。 -
【 太龍寺・階段 】
と、その先にまた階段が。 しかも最初より急で、段数も明らかに多いことが分かります。 私はもちろん、マシラの・・・。 -
【 太龍寺・大師堂 】
本堂は建物自体に高い階段のついた立派なものですが、時間が気になるのでお経は光明真言だけを唱え、そのあとにこれまでどのお寺でもお経のあとにつけ加えてきたお願いだけを声に出し、離れた場所にある大師堂に急ぎました。
大師堂では弘法大師御宝号以外を省略し、そのあとにまた、これまでのお願いを繰り返します。
「私が追い付くまで、妻が辛い思いをしないで待っていられるように見守ってください。私が必ず妻を見つけられるよう、妻の居場所を教えてください」 -
【 道の駅・日和佐 】
第二十三番薬王寺のそばにある道の駅です。 歩いて行ける距離にスーパー銭湯やコンビニもあり、食事も近くにいろいろな店があって、車中泊にはもってこいです。
道の駅は私にとってリッツカールトンにも勝るハイグレードホテルです。 客室は全て移動式離れで、写真中央の白いのがそれ。 私の部屋のルームナンバーは「49-89(四苦八苦)」です。 -
【 第二十二番平等寺 】
お遍路3日目。この日は平等寺から始まりました。
7時前という時間にも拘わらず、駐車場には1台のワゴン車が停まっており、昨日いくつかのお寺で見かけた男性が出てきました。
50代でしょうか、がっしりした体にオレンジ色のTシャツがよく似合う偉丈夫で、声も大きく、境内の掃除をしている女性に快活に言葉をかけながら、まっしぐらに本堂に向かって行きました。 手には納経帳を無造作に持っており、これは単なるスタンプラリーのオッサンかと思いましたが、どっこい本堂でお経を唱えているのを聞くと、朗々たる調子で、これはどうしてなかなかのお遍路さんだと思われました。
遍路衣装をまとっていながら蚊の鳴くような声で、しかもあちこち省略しながらお経を読んでいる私としては、近寄りがたいホンモノのお遍路さんでした。 -
【 平等寺・薬師如来像 】
前の写真にも写っていますが、仁王門から本堂まで五色紐が張られています。
そしてその先は本堂の中へ、さらにご本尊である薬師如来の手に繋がっています。
つまり参拝者は仁王門に垂れ下がった紐を握ることによってご本尊に触れることができるということになります。
私はまだこのころ薬師如来に対して恨めしい気持ちが残っていましたので、紐は握りませんでした。
白状すると、薬師如来への誤解が解けたあとになっても、やはり「お母さんを助けてくれなかった」という気持ちが完全には拭われず、今でも何か心に引っ掛かる思いがしています。 -
【 平等寺 】
参拝を終え、階段に差し掛かるとその紐が仁王門まで繋がっている様子がよく分かります。
私のケチなこだわりとは別に、何か人間くさい、民衆に寄り添ったお寺のたたずまいというようなものを感じます。 -
【 第二十三番薬王寺・仁王門 】
仁王様を網で囲っていないのが嬉しいですが、なにやら変な注意書きが。
「お賽銭を投げないでください(仁王像は町指定文化財です)」
仁王様にコインをぶつける人がいるのでしょうか? -
【 薬王寺・女厄坂、男厄坂 】
仁王門を入って左に行くと女厄坂といわれる33段の階段があり、その先にまた男厄坂という42段の階段があります。 -
【 薬王寺・女厄坂 】
なぜか女厄坂に小銭が散らばっています。
誰かが躓いて財布の中身をぶちまけたのかと思えばそうではなく、石段の下にお経の文字を書いた小石が埋め込んであるのだとか。
あの切幡寺の石段にも小銭が沢山ありましたが、同じようなことでしょうか?
「お母さん、拾っちゃまずいだろうねえ?」
-
【 薬王寺・泰山木の花 】
境内に泰山木の花が咲いていました。
妻が元気なころ、ウォーキングに通っていた公園にこの木があり、「季節を忘れずに見事な花を咲かせるね」などと話したことを思い出します。
八十八か所のうち、阿波の国にある二十三か寺を「発心の道場」と呼ぶそうですが、これでその全部を回ったことになります。
発心できたような気はしませんが、ともあれひとくぎりということでしょうか。
これでいいのかと自責の念にかられながらの霊場巡り。 こんなことで妻の供養になるのだろうかと心もとない限りですが、今私が妻にしてやれることはこのくらいしかありませんので、見よう見まねではありますが、このあとも土佐、伊予、讃岐と「遍路もどき」の旅を続けてゆきます。
「お母さん、お遍路って、これでいいのかなあ?」
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この旅行記へのコメント (10)
-
- ほいみさん 2022/02/12 22:37:50
- 今更ですが・・
- 心中お察しします。
私も目の前で一番の親友が滑落死してしまうのを見て、彼の葬儀の翌日から「お遍路」に出ました。それまでお遍路なんて意識したことが無かったのに、少しでも心が軽くなる方法は・・・と考えた末にお遍路に辿り着きました。途中で逢うお遍路さんとは、ほとんど話をすることも無いのですが、たまたま一緒に歩いて話をすると、お互いに深い話はしないまでも「この辛さをどうにかしたい・・」という気持ちが伝わって来ました。
同じお遍路日記でも、ねんきん老人さんのは読み易く、お寺素人にも分かり易く描かれていて楽しい?です。私のお遍路日記は、今になって見れば不真面目でバチが当たりそうですが、今のところ大した不都合も無いので、大師様が多目に見てくれたのかもしれません。
続きを大切に読ませて頂きます。
ほいみ
- ねんきん老人さん からの返信 2022/02/13 10:42:42
- 目の前で・・・。
- ほいみさん、おはようございます。 拙稿への書き込み、ありがとうございました。
山行でご友人を、それも目の前で亡くされたということですか。 小説や映画でそういう場面に接することはありますが、ご自身でそれを体験されたというのは、筆舌に尽くし難い思いだったことと拝察いたします。
当然、その後のお遍路も切実なお気持ちで行かれたことと思いますので、私などの「なんちゃって遍路」とは違う真剣なものだったことと想像します。
死後の世界というものがあるのかどうか、また、そこにお釈迦様がいらっしゃるのかどうか・・・。 多分、そういう世界はないのでしょうし、お釈迦様もいらっしゃらないだろうとは思います。 世界中の非仏教徒がそれぞれ別の「来世」を選んで迷いなくそこへ行くとも思えませんので、おそらく死後は時間も空間も認識できない、喜びも悲しみも感じない、味気ない状態になるのだと思います。
残された者としては、せめて忘れずにいることぐらいしかできないのですが、365日、24時間、常に一緒にいると思って行動することで、私が生きている間だけでも妻が「無」の世界に入るのを延ばしたいと思っています。
私は特定の宗教を信奉しているわけではありませんが、仏教は身近なだけに日常接することも多く、あと何年かは分かりませんが、お寺回りができたらと思っています。
今日、近所のお寺に行くことになっていますが、その折、存じ上げない方ですが、ほいみさんのご友人の安寧についてもお祈りしてきたいと思います。
ねんきん老人
-
- olive kenjiさん 2017/09/28 14:43:43
- 復帰しましたね。嬉しいです。
- ねんきん老人さん ご無沙汰しております。
今日いいねありがとうございました。おそらく何してるの、元気かい、私覚えているかい のサインかと思います。
失礼しました。7月は英国に遊びに行き、その後は反動で病弱になり今にいたっています。死ぬような病気ではありません。怠け病かと思います。
先輩もお元気になったようで、このお遍路さんの旅行記でたっぷり笑わさせて頂きました。
この様な変わった遍路記を読むのは初めてですが、中々本質を突いています。
おそらく一部の住職はカンカンに怒っていらっしゃるでしょうが、仏さまは木陰でくすくすと微笑んでいらしゃると思います。
○○kankoのばはん(御の敬称いらない)は困ったものですね。
ただあの話し方が私の地域の方言によく似ているし、あのようなばはんがいますからね。まーどちらにしろ私からお詫び申し上げます。
竜串での奥様の写真よかったですよ。
奥様に一言言わせて下さい。
奥様、いい所へ連れねて来て下さいましたね。
ご主人は優しくていい人ですね。奥様は幸せ者です。
このところ、お元気になったみたいで皆を楽しませて下さっていますよ。またどこかでお会いしましょうね。
olive kenji
- ねんきん老人さん からの返信 2017/09/29 10:42:20
- 復帰・・・と言えるかどうか。 でも受け入れてくださって、ありがとうございます。
- olive kenji さん、またまた拙稿へのお目通し、ありがとうございます。
周囲から「いつまでもくよくよしていると奥さんが死にきれないよ」などと言われて、表向きはハイ、ハイと答えていますが、はらわたが煮えくり返っています。
「死にきれなくて結構。俺から離れずに待ってるんだ」
「四六時中女房のことを考えているんだ。くよくよするのはアタリメエだろう。亭主が女房のことを考えちゃいけねえのか!」
な~んて、大人げないことを考えて、それでも表面的にはハイ、ハイと言っているのがいやで、引きこもっています。
4トラ用に遍路旅のあれこれを書いているときは妻と一緒のような気がして、その時間が一番いいのです。
言ってみれば、人に会わずにパソコンに向かっている時間だけが充実しているということで、そんな逃げ場所で書いた駄文を読んでくださるolive kenjiさんのような方がいらっしゃることが、なによりの励みになっています。
このあとも泣き言を並べながらの旅行記になると思いますが、どうかよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ねんきん老人
-
- norisaさん 2017/08/31 14:59:23
- ご冥福をお祈りいたしますーー
- ねんきん老人さん
前作を拝見した時とてもではないのですがコメントできませんでした。
奥様のご冥福をお祈り申し上げます−−。
お遍路さんにしろご旅行にしろご夫婦で行きたいものですね。
今の喪失感、表現不能かと存じます。
是非奥様の分も含め二倍旅して楽しんでいただければと思います。
失礼いたしましたーー。
norisa
- ねんきん老人さん からの返信 2017/08/31 16:25:54
- ご共感いただき、ありがとうございます。
- norisaさん、わざわざの書き込み、ありがとうございました。
旅の目的が何であれ、夫婦で行きたいものだということ、仰るとおりです。
妻が生きているうちは、一人旅も多くしていましたが、妻が死んでしまった今、一人旅ほどつまらないものはないと思っています。
この喪失感、虚脱感は、自分の覚悟を超えたもので、今は何をする気にもならず、旅行記という場を借りて妻を偲ぶことだけが日々の張り合いになっている有様です。
世間様の言うように「忘れる」とか「気を紛らわす」ということは全く考えておらず、むしろ今の悲しみを自分が死ぬまで持ち続けて、私だけは一時も妻のことを忘れずにいてやりたいとも思っております。
とはいえ、私の旅好きは妻のよく承知していることでありましたので、家に籠っている姿を妻に見せたくない気持ちもありますから、なるべく早い時期にまたどこかへ出かけたいとは思います。そのときは、手遅れとは思いますが、妻を連れて行く「つもり」でおります。
面識もない一介の老人とその妻に対してお心づかいをいただき、本当にありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ねんきん老人
-
- とんとんさん 2017/08/10 16:40:46
- お悔やみ申し上げます。
- 奥様と一緒に旅をされたんですね!
前編の素敵な奥様の写真を拝見した時に涙があふれました。
私も二週間前に同居していた義父を亡くしたので想いが重なったのかもしれません。
これからも素敵な旅行記楽しみにしてますね。
PS 補聴器はなぜ眼鏡屋さんに売っているのでしょう?
私も以前からそう思ってました。。
- ねんきん老人さん からの返信 2017/08/11 17:53:38
- 「私だけではない」・・・そう思うこと二度・・・ありがとうございます。
- お舅様が御逝去なさったとのこと、御心中いかばかりかと思いますが、同居されていたとのことで、それもなおさらのことと拝察いたします。
愚妻の死去でいまだに茫然としておりますが、身近な人を失うといういわば普遍的な体験は何も私だけではないのだと改めて思いました。
日々の暮らしに大きな変化がおありかと思いますが、どうぞそれをしっかりと受け止めて、悲しみは悲しみとして、寂しさは寂しさとして、ごまかさずに向き合っていただきたいと願うばかりです。
また、なぜ眼鏡屋で補聴器を売っているのかというおふざけクエスチョンに、トラベル民さんも同じことを考えていらっしゃったと知って、久しぶりにニヤリとしました。
ふとした弾みに浮かんだ疑問を人様と共有できたということは思いのほか嬉しいものです。
毎日カップラーメンと「お〜いお茶」での生活も3か月になりました。このままでは妻に叱られると思いますので、なんとか頑張りたいと思っています。
四国遍路を振り返っての旅行記を書き終えることで一区切りになろうかとも思っています。
湿っぽくない文章を書こうという気持ちはありますので、続編をアップしましたらまたお目を通していただけたら幸いです。
これからもよろしくお願いいたします。
ねんきん老人
-
- ちちぼーさん 2017/07/26 21:34:01
- 奥様と一緒のお遍路
- 奥様のご冥福をお祈りします。
まるで父の旅行記の様で、涙が止まりませんでした。
母は父と一緒に秩父と四国の遍路をしました。
そんな母も、1年半ほど前に他界しました。
父もおもわず「かーちゃん」と言ってしまった後
俺一人だったと思うことがあると・・・
父を見ていても大切は伴侶を失くした辛さは、簡単に癒されるものではないのかもしれません。
でも、これからも沢山旅してくださいね、奥様と一緒に!
うまく言えなくて、失礼なコメントになってしまったらごめんなさい。
ちちぼー
- ねんきん老人さん からの返信 2017/07/27 20:48:20
- お気遣いいただき、ありがとうございます。
- ちちぼー様、拙稿をご熟読くださり、その上親身になっての書き込みをしてくださり、ありがとうございます。
ご両親は秩父と四国をご一緒に回られたのですね。 それは何よりでした。 私は四国で夫婦遍路を見るたびに、妻を連れてきてやれなかった後悔に苛まれました。
母上が亡くなられたことは、何をもっても代えられない、取り返しのつかないことですが、その母上も、おそらくは泉下で旅の思い出を楽しんでいらっしゃることでしょう。 父上は大きなことをされたと思います。
伴侶を失うということは、寂しいことでもあり、悲しいことでもありますが、私にとって自分の寂しさや悲しさはどうでもよいことで、それより、先に死なせてしまった申し訳なさと、多くの楽しみを実現せずに人生を閉じなければならなかった妻が可哀想で、自分一人が寂しくも悲しくもない余生を謳歌するなんてとんでもない、と思っています。
むしろ私は自分が死ぬまで、この悲しさを持ち続け、毎日妻に語りかけたいと思っています。それが多分妻には聞こえないだろうということが最大の悔しさですが、いつか妻に追いついたとき、「俺はあの日からずっと泣いてたんだよ。お母さんのことは一日も忘れてはいなかったよ」と言いたいのです。
父上の寂しさ悲しさが薄らぐようにとのお気遣いは無用だと思います。ずっとその寂しさ悲しさを抱き続けることが夫婦の絆だと思いますし、ある意味、それが父上の、夫としての証だとも思います。
ちちぼー様としては、ただそっと見守っていてくださればいいのではないでしょうか。
自分のうろたえを棚に上げて偉そうなことを言ってしまいました。お許しください。
今後も「妻を連れて」どこかに出かけたいとは思っていますので、旅行記など投稿できましたら、またお目を通していただければ幸いです。
重ねて、ありがとうございました。
ねんきん老人
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