2014/10/18 - 2014/10/18
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hide-bachさん
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月見坂をさらに進むと右手の石段の上に中尊寺の山門がある。
平泉には二度目の訪問であるが、前回は観光バスでやってきて、
記憶に残るのは金色堂だけである。
平泉に来たのに中尊寺そのものが全く記憶にない。
まして本堂がどんな形であったのか、仏像はどんなだったかも覚えていない。
前回訪ねた時には、中尊寺そのものが無かったのではないだろうか、と思えるほどだ。
(中尊寺山門)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
(中尊寺本堂) -
(本堂入口の参拝客) -
本堂に上がって仏像を眺める。金ぴかの坐像である。
仏像がどんな印を結ぶのか、その印がどんな意味を持つかよく知らないが、
確かに見たことのない印の形をしている。
仏像の右手は手の平を前に向けて胸の高さに有り、
左手は甲を前に向けて、二本の指(親指と人差し指)を上に向けている。
(本堂の金色の仏像) -
平泉は、奥州藤原氏が密教の教えに従って想い画いた、
仏国土(極楽浄土)を現わす建造物と庭園群により、世界遺産に登録されることになった。
中尊寺の仏像は、その浄土を説き指し示しているのではないだろうか。
金色堂が示すように、
この世にない黄金の輝きの中に浄土を探し求めたように思える。
さらに進むと、金色堂、経蔵、旧覆堂に着く。
芭蕉は、
「兼ねて耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、
光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、
珠の扉風に破れ、金(こがね)の柱霜雪に朽ちて、
すでに頽廃空虚の叢(くさむら)と成るべきを、四面新に囲みて、
甍を覆ひて風雨を凌ぐ。
暫時(しばらく)千載の記念(かたみ)とはなれり。
・五月雨の 降りのこしてや 光堂」と述べている。
(金色堂の案内) -
(金色堂への道) -
(金色堂) -
(「七宝散りうせて」の七宝を散りばめた柱(東北歴史博物館のレプリカより) -
芭蕉が尋ねた時は、すでに四面を囲み覆堂が出来ていた。
現在の覆堂はコンクリート製であるが、旧覆堂も残っている。
芭蕉が言う二堂開帳すの二堂は、覆堂内の金色堂と経蔵のことだ。
光堂には「三代の棺を納め」とあるのは、
初代清衡、二代基衡、三代秀衡の三人の遺体を指しているが、
義経を自害させ、頼朝に討たれた泰衡の首級が納められており、
今では、親子四代のご遺体が納められていることが判っている。
(撮影できない金色堂ネットから) -
(撮影できない金色堂内陣ネットから) -
芭蕉が言う「経堂は三将の像を残し」と言っているが、これは現在の経蔵のことではないようで、
金鶏山のことを言っているようだ。(奥の細道菅菰抄より)
*「奥の細道菅菰抄」は別名 高橋利一著の解説書で、
芭蕉の100年後に著わされた、第一級の解説書と言われている。
(経蔵) -
(旧覆堂の案内) -
(芭蕉が見た旧覆堂) -
(芭蕉像と「奥の細道」文学碑)
平泉はこれで終わった。
次は「世界文化遺産の毛越寺(もうつうじ)と観自在王院跡」へ。
・秋風の 祈りにほほ笑む 仏さま hide-san
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