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 今年(2017年)、有名な「直虎」に養育されている井伊直政(実質的な井伊家の祖)は、家康の関東移封により、家康の家臣として最大の12万石の領地を与えられ、箕輪城を近代城郭に改造して移り住んだ。その後、慶長3年(1598年)に高崎城に移封された。関ケ原の戦い終了後、石田三成の領地だった彦根に18万石を与えられ移り住み、明治まで続くこととなる。<br /> 直政最初の城、箕輪城は、榛名白川によって削られた河岸段丘に梯郭式に曲輪が配された平山城であった。高崎城は、この形式を継承しながら、天下泰平が近づいたということで、高崎城は烏川に沿って築城された輪郭梯郭複合式の平城としたと思われる。<br /> 高崎市で、数時間の時間ができた。遠くまで行く時間はない。車もない。となり、この井伊直政2番目のお城、高崎城に行ってみた。<br /><br />

井伊直政の2番目のお城:高崎城

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2017/06/25 - 2017/06/25

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駿河大納言

駿河大納言さん

 今年(2017年)、有名な「直虎」に養育されている井伊直政(実質的な井伊家の祖)は、家康の関東移封により、家康の家臣として最大の12万石の領地を与えられ、箕輪城を近代城郭に改造して移り住んだ。その後、慶長3年(1598年)に高崎城に移封された。関ケ原の戦い終了後、石田三成の領地だった彦根に18万石を与えられ移り住み、明治まで続くこととなる。
 直政最初の城、箕輪城は、榛名白川によって削られた河岸段丘に梯郭式に曲輪が配された平山城であった。高崎城は、この形式を継承しながら、天下泰平が近づいたということで、高崎城は烏川に沿って築城された輪郭梯郭複合式の平城としたと思われる。
 高崎市で、数時間の時間ができた。遠くまで行く時間はない。車もない。となり、この井伊直政2番目のお城、高崎城に行ってみた。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
同行者
一人旅
交通手段
新幹線
旅行の手配内容
個別手配

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  • 「Maxとき」で一路高崎へ。

    「Maxとき」で一路高崎へ。

  • まずは、地図で、全体像を確認。<br />この地図の上側は、烏川の高い崖で、ここから攻められる心配はない。<br />中心部の本丸は、御三階櫓を天守の代わりとしてもち、本丸御殿もある。<br />その廻りは、馬出しの連続となっている。見事な作りである。いわゆる「甲州流」の影響を大きく感じる。<br />ただ、残念なのは、残っているのが下半分の三の丸部分だけなことである。<br />高崎駅から真っすぐ来ると、左下の赤い印がある東御門に来る。

    まずは、地図で、全体像を確認。
    この地図の上側は、烏川の高い崖で、ここから攻められる心配はない。
    中心部の本丸は、御三階櫓を天守の代わりとしてもち、本丸御殿もある。
    その廻りは、馬出しの連続となっている。見事な作りである。いわゆる「甲州流」の影響を大きく感じる。
    ただ、残念なのは、残っているのが下半分の三の丸部分だけなことである。
    高崎駅から真っすぐ来ると、左下の赤い印がある東御門に来る。

    高崎城址 名所・史跡

  • お堀にそって、追手御門に向かう。<br />水面上の石垣は、3~4段(1m)ほど。その上に土塁が盛られている。<br />いわゆる「腰巻石垣」である。

    お堀にそって、追手御門に向かう。
    水面上の石垣は、3~4段(1m)ほど。その上に土塁が盛られている。
    いわゆる「腰巻石垣」である。

  • 追手御門までいくと、移築した乾櫓が見えてくる。<br />本丸西北(乾)にあった櫓で、払い下げされ、納屋として使われていたとか。今は、堂々としている!<br />

    追手御門までいくと、移築した乾櫓が見えてくる。
    本丸西北(乾)にあった櫓で、払い下げされ、納屋として使われていたとか。今は、堂々としている!

  • この奥に移築されているのが、通用門として使われていた御殿表御門。

    この奥に移築されているのが、通用門として使われていた御殿表御門。

  • この東門は、籠が通ることができるくぐり戸が作られているのが面白い。

    この東門は、籠が通ることができるくぐり戸が作られているのが面白い。

  • 裏(城内)から見たところ。見張り所が思ったよりも大きいことが分かる。

    裏(城内)から見たところ。見張り所が思ったよりも大きいことが分かる。

  • 続いて、リッパな櫓台。大手門(追手門)を彩る立派な櫓があったに違いない。<br />

    続いて、リッパな櫓台。大手門(追手門)を彩る立派な櫓があったに違いない。

  • さらに先を見ても、同様な堀と石垣が続く。

    さらに先を見ても、同様な堀と石垣が続く。

  • 再び、東御門に戻って、南御門の方にあるいてみるものの、同じような堀。<br />高い防御力が感じられないのは、時代が平和になったからなのか、高崎城の最も外郭部だからなのか、井伊直政は戦うことについて自信をもっていたのかは分からない。<br />いずれにしても、しっくりとした雰囲気をもっている

    再び、東御門に戻って、南御門の方にあるいてみるものの、同じような堀。
    高い防御力が感じられないのは、時代が平和になったからなのか、高崎城の最も外郭部だからなのか、井伊直政は戦うことについて自信をもっていたのかは分からない。
    いずれにしても、しっくりとした雰囲気をもっている

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