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梅雨の合間の一日、群馬方面にドライブに出かけました。<br />① 最初に向かったのは「高崎観音」・・・関越から遠くに見える高崎観音は、一度お詣りに行きたいと思っていた観音様です。<br />1936年に高崎市出身の実業家・井上保三郎によって建立された高崎観音は、正式名称が「高崎白衣(びゃくえ)大観音」。<br />平成12年に国の「登録有形文化財」に指定された高崎観音は、高崎のシンボルとして愛され、その慈悲深い優しいまなざしは、私たちの平和を見守っているかのようです。<br />② 次に向かったのは、関東屈指のパワースポット「榛名神社」・・・昨年の紅葉の時期にも行きましたが、新緑の時期は、しっとりと落ち着いた雰囲気でした。<br />③ 最後は、埼玉県東部の幸手市にある「県営権現堂公園」へ、見頃のアジサイを見に行きました。<br />関東のアジサイは、鎌倉の明月院や長谷寺が有名ですが、100種・16,000株もある権現堂公園のアジサイも見事なもので、訪れた人を満足させてくれます。<br />梅雨時の風物詩・アジサイの花を楽しんで帰路につきました。<br />写真は、高崎市の観音山に聳え立つ、41.8mの「高崎観音」。

高崎観音・榛名神社と幸手のアジサイ

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2017/06/25 - 2017/06/25

197位(同エリア596件中)

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ペコちゃん

ペコちゃんさん

梅雨の合間の一日、群馬方面にドライブに出かけました。
① 最初に向かったのは「高崎観音」・・・関越から遠くに見える高崎観音は、一度お詣りに行きたいと思っていた観音様です。
1936年に高崎市出身の実業家・井上保三郎によって建立された高崎観音は、正式名称が「高崎白衣(びゃくえ)大観音」。
平成12年に国の「登録有形文化財」に指定された高崎観音は、高崎のシンボルとして愛され、その慈悲深い優しいまなざしは、私たちの平和を見守っているかのようです。
② 次に向かったのは、関東屈指のパワースポット「榛名神社」・・・昨年の紅葉の時期にも行きましたが、新緑の時期は、しっとりと落ち着いた雰囲気でした。
③ 最後は、埼玉県東部の幸手市にある「県営権現堂公園」へ、見頃のアジサイを見に行きました。
関東のアジサイは、鎌倉の明月院や長谷寺が有名ですが、100種・16,000株もある権現堂公園のアジサイも見事なもので、訪れた人を満足させてくれます。
梅雨時の風物詩・アジサイの花を楽しんで帰路につきました。
写真は、高崎市の観音山に聳え立つ、41.8mの「高崎観音」。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
自家用車 徒歩

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  • 高崎ICで高速を降りて、高崎の中心街を通り「観音山」へ。<br />山頂にある観光センターの駐車場に車を止めて、観音様へ向かいます。

    高崎ICで高速を降りて、高崎の中心街を通り「観音山」へ。
    山頂にある観光センターの駐車場に車を止めて、観音様へ向かいます。

  • 駐車場の一角に戦争の犠牲者の冥福を祈る「平和塔」があります。<br />明治4年に廃藩置県で廃城となった高崎城(現・高松町一帯)は、翌年から陸軍省の所管となり、昭和20年の終戦まで陸軍歩兵第十五連隊が駐屯し、高崎は「十五連隊の街」と言われたそうです。<br />日清・日露戦争から、満洲・上海両事変、支那事変、太平洋戦争とほぼすべての戦役に参加し、終戦時はパラオで多くの隊員が戦死しました。

    駐車場の一角に戦争の犠牲者の冥福を祈る「平和塔」があります。
    明治4年に廃藩置県で廃城となった高崎城(現・高松町一帯)は、翌年から陸軍省の所管となり、昭和20年の終戦まで陸軍歩兵第十五連隊が駐屯し、高崎は「十五連隊の街」と言われたそうです。
    日清・日露戦争から、満洲・上海両事変、支那事変、太平洋戦争とほぼすべての戦役に参加し、終戦時はパラオで多くの隊員が戦死しました。

  • 駐車場の先には、参道商店街が続きます。

    駐車場の先には、参道商店街が続きます。

  • 参道の左右には、仁王像が・・・

    参道の左右には、仁王像が・・・

  • 途中には竹林もあり、いい雰囲気の参道です。

    途中には竹林もあり、いい雰囲気の参道です。

  • 参道を歩いていると、観音様が見えてきました。

    参道を歩いていると、観音様が見えてきました。

  • 参道は石畳の緩やかな坂道で、昭和レトロな雰囲気の土産物屋が連なっています。<br />縁起物のだるまは全国の寺社で見かけますが、その8割は「高崎だるま」で、年間170万個が生産されています。<br />選挙の時に左目を墨で描き、目出度く当選したら右目を墨で入れる「選挙だるま」は、殆どが高崎で生産されたもの。

    参道は石畳の緩やかな坂道で、昭和レトロな雰囲気の土産物屋が連なっています。
    縁起物のだるまは全国の寺社で見かけますが、その8割は「高崎だるま」で、年間170万個が生産されています。
    選挙の時に左目を墨で描き、目出度く当選したら右目を墨で入れる「選挙だるま」は、殆どが高崎で生産されたもの。

  • ふくよかな感じのする高崎だるまのお腹には「福入」、両肩には「家内安全・商売繁盛・大願成就・目標達成」などの金文字が書かれています。<br />「七転び八起き」のだるまさんは、どんな困難にも対処できる落ち着いた心と忍耐力のシンボル。

    ふくよかな感じのする高崎だるまのお腹には「福入」、両肩には「家内安全・商売繁盛・大願成就・目標達成」などの金文字が書かれています。
    「七転び八起き」のだるまさんは、どんな困難にも対処できる落ち着いた心と忍耐力のシンボル。

  • 群馬は総理大臣の名産地(?)・・・福田赳夫・中曽根康弘・小渕恵三・福田康夫と4人もいます。<br />観音様を見上げながら歩いていくと、途中の道の植え込みの中に、中曽根康弘の句碑がありました。<br />「ほほえみは 碧空にあり 初観音 康弘」<br />国会議員在職50年表彰だとか・・・

    群馬は総理大臣の名産地(?)・・・福田赳夫・中曽根康弘・小渕恵三・福田康夫と4人もいます。
    観音様を見上げながら歩いていくと、途中の道の植え込みの中に、中曽根康弘の句碑がありました。
    「ほほえみは 碧空にあり 初観音 康弘」
    国会議員在職50年表彰だとか・・・

  • 昭和11年に、高崎の実業家・井上保三郎によって建立された高崎観音は、高さが41.8mで、当時は東洋一の高さでした。<br />120mの「牛久大仏」には及びませんが、足元から頭頂までの高さが33.86mの「自由の女神」よりは大きい。

    昭和11年に、高崎の実業家・井上保三郎によって建立された高崎観音は、高さが41.8mで、当時は東洋一の高さでした。
    120mの「牛久大仏」には及びませんが、足元から頭頂までの高さが33.86mの「自由の女神」よりは大きい。

  • 目線と同じ高さで見ると、厳かな御顔立ちという印象ですが・・・

    目線と同じ高さで見ると、厳かな御顔立ちという印象ですが・・・

  • 下から見上げると、柔和で微笑んでいるような表情が素晴らしい!

    下から見上げると、柔和で微笑んでいるような表情が素晴らしい!

  • 人間と比べると、その大きさが分かります。<br />両肩などにあるのは、胎内巡り用の小窓。

    人間と比べると、その大きさが分かります。
    両肩などにあるのは、胎内巡り用の小窓。

  • これは、お土産屋に貼られていたポスターです。<br />新たな「縁結びスポット」として盛り上げるために、2011年から始まった「赤い糸祈願祭」・・・2/14(バレンタインデー)から3/14(ホワイトデー)までの一ヶ月間、観音様の小指に赤い糸が結ばれ、自分の小指に絡ませて願うと、観音様が仲立ちとなって、運命の相手との良縁を結んで下さるとのこと。

    これは、お土産屋に貼られていたポスターです。
    新たな「縁結びスポット」として盛り上げるために、2011年から始まった「赤い糸祈願祭」・・・2/14(バレンタインデー)から3/14(ホワイトデー)までの一ヶ月間、観音様の小指に赤い糸が結ばれ、自分の小指に絡ませて願うと、観音様が仲立ちとなって、運命の相手との良縁を結んで下さるとのこと。

  • 家族のために「開運招福」のローソクを一番上の段にお供えしました。

    家族のために「開運招福」のローソクを一番上の段にお供えしました。

  • 300円払って、胎内巡りへ・・・

    300円払って、胎内巡りへ・・・

  • 観音様の内部は9層に分かれており、20体の仏像が安置されています。<br />中に入ると、いきなり「閻魔大王」がお出迎えでビックリ!

    観音様の内部は9層に分かれており、20体の仏像が安置されています。
    中に入ると、いきなり「閻魔大王」がお出迎えでビックリ!

  • 左側の「大日如来」や「妙見菩薩」を見てから、階段を登ります。<br />全部で146段ある階段は、結構キツイ!

    左側の「大日如来」や「妙見菩薩」を見てから、階段を登ります。
    全部で146段ある階段は、結構キツイ!

  • 「鬼子母神」。

    「鬼子母神」。

  • 「阿弥陀如来」。

    「阿弥陀如来」。

  • 「釈迦如来」と「白衣観音」。<br />階段を上る途中に、外を眺める窓がいくつか開いています。

    「釈迦如来」と「白衣観音」。
    階段を上る途中に、外を眺める窓がいくつか開いています。

  • これは、観音様の肩のところにある最上階(9階)の小窓から見た高崎市内。

    これは、観音様の肩のところにある最上階(9階)の小窓から見た高崎市内。

  • 胎内巡りの後は、太鼓橋を渡って慈眼院・本堂へ。<br />この赤い橋は、平成8年に架け替えられました。

    胎内巡りの後は、太鼓橋を渡って慈眼院・本堂へ。
    この赤い橋は、平成8年に架け替えられました。

  • 高崎観音を護持する寺である「高野山真言宗・慈眼院」・・・もとは、高野山金剛峯寺の塔頭寺院の一つだった慈眼院は、昭和16年に高野山より別格本山としてこの地に移転しました。

    高崎観音を護持する寺である「高野山真言宗・慈眼院」・・・もとは、高野山金剛峯寺の塔頭寺院の一つだった慈眼院は、昭和16年に高野山より別格本山としてこの地に移転しました。

  • 千体観音堂は、高崎観音建立五十周年を記念して、昭和61年に建てられた新しい本堂。

    千体観音堂は、高崎観音建立五十周年を記念して、昭和61年に建てられた新しい本堂。

  • 若い人も線香をお供えしています。

    若い人も線香をお供えしています。

  • 堂内は、慈眼院本尊の聖観世音菩薩像を中心にして、左右に千体の観音像を配しています。(写真はHPより)

    堂内は、慈眼院本尊の聖観世音菩薩像を中心にして、左右に千体の観音像を配しています。(写真はHPより)

  • 観音様に開運招福をお願いした後は、パワーを求めて「榛名神社」へ。

    観音様に開運招福をお願いした後は、パワーを求めて「榛名神社」へ。

  • 土産屋の駐車場に車を止めて、本殿まで15分の参道を歩きます。

    土産屋の駐車場に車を止めて、本殿まで15分の参道を歩きます。

  • 参道の坂下を見ると、朱色の大鳥居が・・・

    参道の坂下を見ると、朱色の大鳥居が・・・

  • 参道脇には、土産物屋や宿坊が立ち並んでいます。

    参道脇には、土産物屋や宿坊が立ち並んでいます。

  • 榛名神社は、用明天皇元年(586年)に創建と言われる由緒ある神社。<br />昔の人は、ここでお参りしてから、更に榛名湖まで歩いて行ったのでしょう。

    榛名神社は、用明天皇元年(586年)に創建と言われる由緒ある神社。
    昔の人は、ここでお参りしてから、更に榛名湖まで歩いて行ったのでしょう。

  • 二の鳥居をくぐると、隋神門が迎えてくれます。

    二の鳥居をくぐると、隋神門が迎えてくれます。

  • 弘化4年(1847年)建立の「随神門」は、かつて仁王門と呼ばれていたそうで、神仏習合の地であったことが分かります。<br />南北朝時代の頃から上野・寛永寺の管轄に置かれて管理されてきましたが、明治の神仏分離により仏教は廃棄され、榛名神社として独立しました。

    弘化4年(1847年)建立の「随神門」は、かつて仁王門と呼ばれていたそうで、神仏習合の地であったことが分かります。
    南北朝時代の頃から上野・寛永寺の管轄に置かれて管理されてきましたが、明治の神仏分離により仏教は廃棄され、榛名神社として独立しました。

  • 随神門の右脇にある毘沙門天像。<br />江戸時代、衰退した榛名神社を再興させたのは、天台宗の僧侶・天海(1536~1643)で、日本に七福神信仰を広めた人物だと言われています。<br />そのためか、参道のあちこちに七福神の像が・・・<br />天海和尚は徳川家康の側近だった人物で、日光東照宮の造営や上野の寛永寺・浅草寺の開山や、かつて日比谷にあったとされる増上寺を江戸城の裏鬼門にあたる芝に移転させ、1588年には川越・喜多院の住職になった高僧です。

    随神門の右脇にある毘沙門天像。
    江戸時代、衰退した榛名神社を再興させたのは、天台宗の僧侶・天海(1536~1643)で、日本に七福神信仰を広めた人物だと言われています。
    そのためか、参道のあちこちに七福神の像が・・・
    天海和尚は徳川家康の側近だった人物で、日光東照宮の造営や上野の寛永寺・浅草寺の開山や、かつて日比谷にあったとされる増上寺を江戸城の裏鬼門にあたる芝に移転させ、1588年には川越・喜多院の住職になった高僧です。

  • 随神門を通って榛名川に掛かる「みそぎ橋」を渡り、本殿まで700mの参道を進んでいきます。

    随神門を通って榛名川に掛かる「みそぎ橋」を渡り、本殿まで700mの参道を進んでいきます。

  • 右手の川を挟んだ山肌に、アーチ状の奇岩が現れます。<br />これは「鞍掛岩」で榛名神社境内の奇岩のひとつ・・・もとは洞穴状の穴でしたが、奥の岩が落ちて橋のように残ったものです。

    右手の川を挟んだ山肌に、アーチ状の奇岩が現れます。
    これは「鞍掛岩」で榛名神社境内の奇岩のひとつ・・・もとは洞穴状の穴でしたが、奥の岩が落ちて橋のように残ったものです。

  • 参道の周りには、樹齢100年から400年ほどの杉が1000本以上も・・・「千本杉」の風景に重厚さを感じます。

    参道の周りには、樹齢100年から400年ほどの杉が1000本以上も・・・「千本杉」の風景に重厚さを感じます。

  • 縁起の良い布袋さん。<br />お腹は参拝者から触られて、ピカピカ・・・

    縁起の良い布袋さん。
    お腹は参拝者から触られて、ピカピカ・・・

  • ここは「御神水開運おみくじ浸し場所」。<br />本殿前のおみくじ売り場でおみくじを買い、帰りに御神水に浸して今日の運勢を占います。<br />内容に目を通した後、御神水の左にある「廻運燈籠」に、自分の干支の納め口からおみくじを入れて燈籠を回転させると、運が廻ってくる、とのこと。

    ここは「御神水開運おみくじ浸し場所」。
    本殿前のおみくじ売り場でおみくじを買い、帰りに御神水に浸して今日の運勢を占います。
    内容に目を通した後、御神水の左にある「廻運燈籠」に、自分の干支の納め口からおみくじを入れて燈籠を回転させると、運が廻ってくる、とのこと。

  • 私も200円払って「御神水開運おみくじ」を求め、御神水に浸すと、文字が浮かび上がってきました。<br />今日の運勢は「吉」・・・ご利益ありそう!!

    私も200円払って「御神水開運おみくじ」を求め、御神水に浸すと、文字が浮かび上がってきました。
    今日の運勢は「吉」・・・ご利益ありそう!!

  • 御神水の右にあるのは「水琴窟」。<br />竹筒に耳を近づけると、 ” キ~ン、キ~ン ” という澄んだ音が心地よく聞こえます。

    御神水の右にあるのは「水琴窟」。
    竹筒に耳を近づけると、 ” キ~ン、キ~ン ” という澄んだ音が心地よく聞こえます。

  • さらに進むと、鮮やかな三重塔が左手に。<br />最初の三重塔は慶長五年(1600)に建立されましたが、荒廃が激しく江戸時代末に改築され、明治2年に再建されました。<br />銅板瓦葺、高さは16mで、群馬県内では唯一の三重塔。<br />

    さらに進むと、鮮やかな三重塔が左手に。
    最初の三重塔は慶長五年(1600)に建立されましたが、荒廃が激しく江戸時代末に改築され、明治2年に再建されました。
    銅板瓦葺、高さは16mで、群馬県内では唯一の三重塔。

  • 三重塔や五重塔は、仏教の祖である釈迦の舎利(遺骨)をおさめる仏塔で、お寺にはありますが、神社ではあまり見かけません。<br />明治の廃仏毀釈の難を逃れた神仏習合の名残で、貴重なものです。

    三重塔や五重塔は、仏教の祖である釈迦の舎利(遺骨)をおさめる仏塔で、お寺にはありますが、神社ではあまり見かけません。
    明治の廃仏毀釈の難を逃れた神仏習合の名残で、貴重なものです。

  • 三の鳥居の手前には、恵比寿様。<br />ここは、榛名山の神を祀る神社で、現在の主祭神は火の神・火産霊神(ほむすびのかみ)(=五穀豊穣)と土の神・埴山姫神(はにやまひめのかみ)(=鎮火開運)。

    三の鳥居の手前には、恵比寿様。
    ここは、榛名山の神を祀る神社で、現在の主祭神は火の神・火産霊神(ほむすびのかみ)(=五穀豊穣)と土の神・埴山姫神(はにやまひめのかみ)(=鎮火開運)。

  • 平成21年に架け替えられた「神橋」の朱橋の先には、岩の屋根が。<br />ここからは、巨岩・奇岩が大杉とともに圧倒的なパワーで迫ってきます。

    平成21年に架け替えられた「神橋」の朱橋の先には、岩の屋根が。
    ここからは、巨岩・奇岩が大杉とともに圧倒的なパワーで迫ってきます。

  • 「行者渓」・・・こんな自然の不思議な風景を眺めていると、心が洗われ神聖な気分になってきます。<br />かつてはここで修業が行われていたんでしょうか?<br />ここが古くからの信仰の地だったということが、感じられます。<br />

    「行者渓」・・・こんな自然の不思議な風景を眺めていると、心が洗われ神聖な気分になってきます。
    かつてはここで修業が行われていたんでしょうか?
    ここが古くからの信仰の地だったということが、感じられます。

  • 大岩の下に嵌め込まれた扉は、「東面堂」というお堂の跡と言われており、後方には夕日岳・朝日岳という大きな岩山があります。

    大岩の下に嵌め込まれた扉は、「東面堂」というお堂の跡と言われており、後方には夕日岳・朝日岳という大きな岩山があります。

  • この辺りは、歌川広重(1797~1858年)の「六十余州名所」 版画絵の中で「上野国榛名山雪中」として選ばれた所。<br />神橋から仰ぎ見る行者渓は、巨岩や岩山が奥深く連なり、修行場に相応しい、仙界の様な景観です。

    この辺りは、歌川広重(1797~1858年)の「六十余州名所」 版画絵の中で「上野国榛名山雪中」として選ばれた所。
    神橋から仰ぎ見る行者渓は、巨岩や岩山が奥深く連なり、修行場に相応しい、仙界の様な景観です。

  • しばらく歩くと、正面にも巨岩が現れ、その下には昔からの雨乞い信仰の御神水をくみ取る「萬年泉」があります。<br />雨乞い祈願後、柵の中にある御神水を竹筒に受けて村に帰り、田畑にまくと雨が降るという言い伝えでした。<br />山が霧を生み、水をたたえた岩が泉になったのでしょう。

    しばらく歩くと、正面にも巨岩が現れ、その下には昔からの雨乞い信仰の御神水をくみ取る「萬年泉」があります。
    雨乞い祈願後、柵の中にある御神水を竹筒に受けて村に帰り、田畑にまくと雨が降るという言い伝えでした。
    山が霧を生み、水をたたえた岩が泉になったのでしょう。

  • 「瓶子(みすず)の滝」・・・滝の流れている両脇の岩を、神に捧げる神酒を入れる器の瓶子に見立て、そこから落ちる滝ということでその名がついたとの事。

    「瓶子(みすず)の滝」・・・滝の流れている両脇の岩を、神に捧げる神酒を入れる器の瓶子に見立て、そこから落ちる滝ということでその名がついたとの事。

  • 「矢立杉(やたてすぎ)・・・武田信玄が箕輪城攻略の際、矢を立てて祈願したといわれ、推定樹齢は1,000年、周囲は9m以上、高さも30m以上もある巨木。<br />この矢立杉は、1933年に国指定の天然記念物になりました。

    「矢立杉(やたてすぎ)・・・武田信玄が箕輪城攻略の際、矢を立てて祈願したといわれ、推定樹齢は1,000年、周囲は9m以上、高さも30m以上もある巨木。
    この矢立杉は、1933年に国指定の天然記念物になりました。

  • 矢立杉の隣にあるのが「御幸殿(みゆきでん)」・・・素朴ながら仏教風の重厚な造りで、安政六年(1859年)の建立。

    矢立杉の隣にあるのが「御幸殿(みゆきでん)」・・・素朴ながら仏教風の重厚な造りで、安政六年(1859年)の建立。

  • 石段を登った所に大きな奇岩に挟まれるように立っている「神門」・・・思わず見上げます。<br />その後ろに見えるのは「双龍門」。

    石段を登った所に大きな奇岩に挟まれるように立っている「神門」・・・思わず見上げます。
    その後ろに見えるのは「双龍門」。

  • 神門をくぐり・・・

    神門をくぐり・・・

  • 石段を登った先にあるのは、岩にめり込むようにして建つ「双龍門(そうりゅうもん)」・・・安政2年(1855年)の竣工ですが、よくぞ、こんな険しい地形に建立されたと思います。

    石段を登った先にあるのは、岩にめり込むようにして建つ「双龍門(そうりゅうもん)」・・・安政2年(1855年)の竣工ですが、よくぞ、こんな険しい地形に建立されたと思います。

  • 見事な彫刻で飾られた双龍門。

    見事な彫刻で飾られた双龍門。

  • 左右の扉には、「三国志」の透かし彫りや精巧な龍の彫刻が施されています。<br />こちらは右の扉。

    左右の扉には、「三国志」の透かし彫りや精巧な龍の彫刻が施されています。
    こちらは右の扉。

  • 左の扉。

    左の扉。

  • 双龍門をくぐって本殿境内へ進むと、本殿の向かいには、1764年再建の「神楽殿」があります。

    双龍門をくぐって本殿境内へ進むと、本殿の向かいには、1764年再建の「神楽殿」があります。

  • 神楽殿の屋根を支えているのは、風神でしょうか?<br />神楽が奉納される神楽殿ですが、ジャズやクラシックのコンサートも開催されるそうです。

    神楽殿の屋根を支えているのは、風神でしょうか?
    神楽が奉納される神楽殿ですが、ジャズやクラシックのコンサートも開催されるそうです。

  • 神楽殿の右にある「鉄燈籠」は、新田義貞(1300~1338年)の寄進と伝えられています。<br />現在の群馬県太田市で生まれた新田義貞は、鎌倉幕府を滅ぼした後、足利尊氏との戦いで戦死した武将。

    神楽殿の右にある「鉄燈籠」は、新田義貞(1300~1338年)の寄進と伝えられています。
    現在の群馬県太田市で生まれた新田義貞は、鎌倉幕府を滅ぼした後、足利尊氏との戦いで戦死した武将。

  • 燈籠の基礎にある「唐獅子」のレリーフ・・・歴代の有力武将からも榛名神社が崇敬されていたことが分かる、歴史を感じる空間です。

    燈籠の基礎にある「唐獅子」のレリーフ・・・歴代の有力武将からも榛名神社が崇敬されていたことが分かる、歴史を感じる空間です。

  • 本殿の左側にある「国祖社」(右)と「額殿」(左)。<br />慶長年間(1600年頃)に建てられた国祖社に増築する形で、文化11年(1814)に額殿が建立されました。<br />国祖社の右奥には、御祈祷待合所があります。<br />

    本殿の左側にある「国祖社」(右)と「額殿」(左)。
    慶長年間(1600年頃)に建てられた国祖社に増築する形で、文化11年(1814)に額殿が建立されました。
    国祖社の右奥には、御祈祷待合所があります。

  • 二羽の鶴が彫られた国祖社の彫刻。

    二羽の鶴が彫られた国祖社の彫刻。

  • 権現造の社殿は、拝殿・幣殿・本社が一体となり、さらに本殿の後ろが岩と合体している特殊な社です。<br />荘厳な雰囲気に身を引き締め、神聖な心持ちでお参りさせて頂きました。

    権現造の社殿は、拝殿・幣殿・本社が一体となり、さらに本殿の後ろが岩と合体している特殊な社です。
    荘厳な雰囲気に身を引き締め、神聖な心持ちでお参りさせて頂きました。

  • 1806年に再建された社殿は、それ程大きくはないのですが、細やかな彫刻や彩色が上から下まで、ぎっしりと・・・本当に素晴らしいと思いました。

    1806年に再建された社殿は、それ程大きくはないのですが、細やかな彫刻や彩色が上から下まで、ぎっしりと・・・本当に素晴らしいと思いました。

  • 日光東照宮を思わせる拝殿の凝った彫刻。<br />左右の海老虹梁(エビのように虹形に上方にそり返った梁)に巻き付いた躍動感に満ちあふれた紅白の双龍など、柱や天井はもとより、賽銭箱にまで見事な彫刻が施されています。<br />額には「鎮護国家」。

    日光東照宮を思わせる拝殿の凝った彫刻。
    左右の海老虹梁(エビのように虹形に上方にそり返った梁)に巻き付いた躍動感に満ちあふれた紅白の双龍など、柱や天井はもとより、賽銭箱にまで見事な彫刻が施されています。
    額には「鎮護国家」。

  • 拝殿の右側にも見事な彫刻が・・・<br />そして、本社の奥には巨岩が迫っています。

    拝殿の右側にも見事な彫刻が・・・
    そして、本社の奥には巨岩が迫っています。

  • 見上げると、何とも不思議な形をした岩が頭上にあります。<br />これが「御姿岩(みすがたいわ)」・・・本社に接して一体となり、ご神体はこの御姿岩の穴の中に祀られています。<br />御姿岩を見上げて、しばらく立ちすくみました。

    見上げると、何とも不思議な形をした岩が頭上にあります。
    これが「御姿岩(みすがたいわ)」・・・本社に接して一体となり、ご神体はこの御姿岩の穴の中に祀られています。
    御姿岩を見上げて、しばらく立ちすくみました。

  • 社務所の脇から境内を抜けて榛名川に降りると、「榛名山番所跡」があります。<br />信州大戸通りの裏往還の通行を取り締まった所で、1631年に設置され、1869年に廃止されました。<br />その先には、榛名川上流砂防堰堤が見えます。

    社務所の脇から境内を抜けて榛名川に降りると、「榛名山番所跡」があります。
    信州大戸通りの裏往還の通行を取り締まった所で、1631年に設置され、1869年に廃止されました。
    その先には、榛名川上流砂防堰堤が見えます。

  • 「榛名川上流砂防堰堤」は、榛名湖から流れる榛名川の最上流の砂防堰堤・・・過去に何回も発生した土砂災害を防ぐため、昭和30年に造られ、堤高は17m、堤長は69m。<br />その先には、風化・浸食を繰り返して出来た奇岩の「九折(つづら)岩」が見えます。

    「榛名川上流砂防堰堤」は、榛名湖から流れる榛名川の最上流の砂防堰堤・・・過去に何回も発生した土砂災害を防ぐため、昭和30年に造られ、堤高は17m、堤長は69m。
    その先には、風化・浸食を繰り返して出来た奇岩の「九折(つづら)岩」が見えます。

  • 榛名神社でパワーを貰った後は、幸手市にあるに「県営権現堂公園」へ。<br />ここは、菜の花と桜のコラボで有名ですが、アジサイ・曼殊沙華・水仙などの花の名所でもあります。

    榛名神社でパワーを貰った後は、幸手市にあるに「県営権現堂公園」へ。
    ここは、菜の花と桜のコラボで有名ですが、アジサイ・曼殊沙華・水仙などの花の名所でもあります。

  • 平成8年からボランティアの方たちを中心に植えられたアジサイの花は、100種・16,000株。<br />6月1日(木)~7月2日(日)は「あじさいまつり」で、最終日には9時から花の剪定が行われ、スタッフが剪定した花をもらえるので、人気の名物イベントになっています。

    平成8年からボランティアの方たちを中心に植えられたアジサイの花は、100種・16,000株。
    6月1日(木)~7月2日(日)は「あじさいまつり」で、最終日には9時から花の剪定が行われ、スタッフが剪定した花をもらえるので、人気の名物イベントになっています。

  • 広い駐車場に面した権現堂堤には、見頃を迎えた3,000株ものアナベルが・・・一面真っ白で、まるで雪や雲のように幻想的!<br />

    広い駐車場に面した権現堂堤には、見頃を迎えた3,000株ものアナベルが・・・一面真っ白で、まるで雪や雲のように幻想的!

  • 今の時間は17時半ですが、まだ多くの人がアジサイを楽しんでいます。<br />駐車場は無料で、8時半~19時まで利用出来ます。

    今の時間は17時半ですが、まだ多くの人がアジサイを楽しんでいます。
    駐車場は無料で、8時半~19時まで利用出来ます。

  • 6月から7月初旬にかけて見頃を迎えるアジサイは、梅雨や初夏を楽しむ風物詩・・・アジサイの原種は、日本に自生するガクアジサイですが、ヨーロッパ、アメリカなどでも観賞用に広く栽培され、多くの品種が作り出されています。

    6月から7月初旬にかけて見頃を迎えるアジサイは、梅雨や初夏を楽しむ風物詩・・・アジサイの原種は、日本に自生するガクアジサイですが、ヨーロッパ、アメリカなどでも観賞用に広く栽培され、多くの品種が作り出されています。

  • 種類が多いので、品種名を書いた札を立ててくれれば、良いのですが・・・

    種類が多いので、品種名を書いた札を立ててくれれば、良いのですが・・・

  • アジサイは、集(あづ=集まる)・真藍(さあい=青い花)、つまり「青い花が集まって咲いている」花の姿を表現したのが名前の由来だとか。

    アジサイは、集(あづ=集まる)・真藍(さあい=青い花)、つまり「青い花が集まって咲いている」花の姿を表現したのが名前の由来だとか。

  • この花は「墨田の花火」。

    この花は「墨田の花火」。

  • ウズアジサイ。

    ウズアジサイ。

  • ガクアジサイ。

    ガクアジサイ。

  • 見ごろを迎えた数々の美しいアジサイを楽しみました。

    見ごろを迎えた数々の美しいアジサイを楽しみました。

  • 日中は曇天でしたが、最後は綺麗な夕焼けです。<br />高崎 ⇒ 榛名 ⇒ 幸手 と300kmのロングドライブを楽しんだ梅雨時の一日でした。

    日中は曇天でしたが、最後は綺麗な夕焼けです。
    高崎 ⇒ 榛名 ⇒ 幸手 と300kmのロングドライブを楽しんだ梅雨時の一日でした。

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