2017/05/05 - 2017/05/05
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mistralさん
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5日,絵画館を出た後
200番のバスに揺られてツォー駅へ向かった。
この後は,図らずも戦争の痕跡をたどることになった。
最初にカイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。
この教会は第二次世界大戦終結の時に向けて、爆撃を受け
その姿のまま保存されている。
その後,Sバーンでグルーネヴァルト駅まで向かい駅の施設
を見学した。
今回初めてベルリンに来て、ドイツの中にあって独特な雰囲気を
この都市が持っていることを感じた。
アウシュヴィッツで公認ガイドをされている中谷さんが、かつて
このようにおっしゃっていた。
過去に起こった事実を知っていることは、同じ事態に直面した時に、
新たな判断の材料となってくる、と。
初めてベルリンを訪れ、わずか数日の滞在で、どれだけ一国の姿勢、
苦悩までわかるのかは全く自信のないことですが、それでも戦争の
記憶を後世にまで留めたいと努力しているドイツの姿勢は充分に
感じられたので、一編の旅行記にまとめてみました。
(表紙写真はカイザー・ヴィルヘルム記念教会)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
フィルハーモニー近くの停留所から、
購入しておいた一日乗車券で
200番のバスに乗車。
(最初に使用する際には打刻を忘れずに!)
ティーアガルテンの森に沿ってしばらくパスは走り
やがて動物園入口が見えてきたら間もなく
崩れかかったような教会の塔が見えてくるので
その近くで下車。 -
カイザー・ヴィルヘルム記念教会の
異様な姿が目の前に現れる。
交通の激しい都会の真ん中で見る
その姿は衝撃的でさえある。
手前にある低い建物が小礼拝堂
左手は新鐘楼(現在はカバーに覆われていた?) -
1888年に死去したヴィルヘルム皇帝のために
19世紀末建設された教会だが
1943年の空襲で破壊された。 -
砲弾の後など
そのままに残っている。 -
内部の損傷はどれほど?と思いながら
入っていった。 -
天井モザイクが
想像以上に綺麗に残されているが
キリスト像にもヒビを補修した跡が残る。 -
天井部分
-
旧教会堂は当時のドイツ皇帝
ヴィルヘルム2世の提案によって
初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世追悼と
その功績を記念するという目的で建設された。 -
右側のお二人が
ヴィルヘルム2世と皇后
アウグステ・ヴィクトリア -
-
旧教会堂内部は
第二次世界大戦の戦禍を思い起こす為に
記念ホールとしての役割を果たしている。
その中心に置かれているのは
コベントリーの鉄鋲十字架(写真には写っていない)で
第二次世界大戦時、ドイツ空軍による空襲で
崩れ落ちた英国国教会コペントリー大聖堂の梁から
出来ているそうだ。
戦争の被害の記録を後世に遺すためではなく
戦争に突き進んでいった側としての責務を果たす意味で
ここが遺されていることがわかる。 -
完成当初の教会の様子
主要な教会塔は113mの高さがあった。
また、各鐘楼には5つの鐘があり
鳴り出した時の音量は
当時ドイツ最大だったケルン大聖堂をも
上回ったという。 -
1943年11月23日夜
英国空軍によるベルリン大空襲によって
教会堂は炎上。
戦争終結後に、旧教会堂は再建するという
約束がナチス政府によってなされていた。
しかし戦勝国はヴィルヘルム帝政時代を思い起こす
旧教会堂の再建に難色を示し
崩れたままで放置されてきた。 -
1956年になって初めて
旧教会堂内部の瓦礫の撤去が
開始された。 -
-
-
1957年3月
新教会の設計者としてエゴン・アイアーマンが選ばれた。
彼は旧教会堂の完全撤去を前提として設計、
それに反対した市民側との間で論争が繰り広げられた。 -
結果的には1959年
71mの高さを持つ廃墟となった旧教会堂を
戦争記念碑として残したままで
新教会堂、新鐘楼、小礼拝堂の建築が新たに
開始された。 -
今ではこの教会群全体が
戦後ドイツを象徴する場となっているようだ。
市民の方たちは
8角形の新教会堂を「化粧コンパクトケース」
新鐘楼には「リップスティック」という愛称をつけている
そうだ。
ちなみに旧教会堂は「虫歯」というらしい。 -
新教会堂内部は2万枚以上のガラス窓からなっていて、
フランスだけで400もの教会の、他にも諸国のステンドグラス製作
にあたっているステンドグラス作家
ガブリエル・ロワールが
シャルトルの彼の工房で製作したガラスが使われている。
ロワールは、シャルトル大聖堂「エッサイの木」を表す
ステンドグラスに使われている青色からインスピレーション
を得たということだ。 -
当初、設計者アイアーマンのイメージでは
明るい青だったそうだが
ロワールによって深い青色に変わったことにより
一層教会内部に荘厳な雰囲気がもたらされた
ように思う。 -
-
青もところによって
赤、黄色など他の色も使われていることが
現地に来て見て、初めてわかった。
教会堂内部にしばらく坐っていたら
パイプオルガンの演奏が始まった。
多分コンサートに備えての練習のようだった。 -
教会から外に出て、たくさんの献灯された光景を
なんの気なしにカメラに納めていたが
帰国後ネットで調べてみたら
2016年12月19日
教会堂前のブライトシャイト広場でおきた
テロの犠牲者を追悼する為のもののようだ。 -
外部は昼間はこんな様子だが
-
暗くなってくると
青い光が漏れ出てきて、幻想的な
美しさになるようだ。 -
ツォー駅までやってきた。
(徒歩数分の距離)
このあたりで昼食をとっておきたかったので
中華風?ベトナム風?
焼きそばとクリスピーチキンのプレートを一つ
とって(6.5ユーロ)、簡単に食事を済ませた。 -
ツォー駅からSバーンでグル―ネヴァルト(Grunewald)
駅まで向かった。 -
グルーネヴァルト駅は
ポツダム行きの列車に乗ると
その途中の駅にあたる。
もちろん当日購入していた1日券が有効な
範囲に入っている駅。 -
グル―ネヴァルト駅についた。
ここまでやって来たのは
ナチスにまつわる歴史として避けることのできない
強制収容所について調べていた折
ベルリンにユダヤ民の方々を収容所に
送り出した駅の記録が残っていることが
わかったから。 -
昨年アウシュヴィッツを訪問したが
その先(前?)にある地として
ベルリン行きが決まった折には
是非その駅に行ってみたいと思っていた。 -
この駅の17番線(Gleis17)に
かつて使われていた貨物ホームがあるという。 -
そのまま、17番線ホームにすぐ
行ってみる気持ちにはなれず
駅から一旦外にでてみた。 -
駅周辺部は、過去の暗い歴史を感じさせないほどに
郊外のゆったりとした町の雰囲気をただよわせていて
その緑にちょっぴり救われた思いがした。
19世紀末から高級住宅地としての人気があった地域らしい。 -
再び駅舎に入り
-
そして17番線ホームを目指した。
絶滅収容所に送られていき犠牲となった
方々を追悼する為に
1998年1月、ドイツ鉄道によって設置された
とあった。 -
1941年10月18日
1251人のユダヤ民の方々を乗せた
特別列車がここを発って以来
終戦間際までの3年半のあいだに
約55000人がこの駅から強制収容所へ送られていった
というホームへ向かおうとしていた。 -
このような鉄板が全部で183枚
敷き詰められている。
それぞれの鉄板には列車が出た日付、その折のユダヤ民の数、
目的地がしるされている。
1942年10月28日 ユダヤ人 ベルリン‐テレジエンシュタット
(現チェコ)
テレジエンシュタットはチェコ北部にある小さな街、テレジン
のことで、そこは絶滅収容所へ向かう中継地点となっていて、
そこからアウシュヴィッツなどに収容者が送られると
補充のためにさらにベルリンなどから送られていったという。 -
途中から
アウシュヴィッツ行きも見られてくる。 -
-
ホームの先端までたどり着き
その先から反対側のホームに渡り
戻ってくる。 -
今となっては
使われることのない線路。 -
これだけの数でも
犠牲になったとされるユダヤ民全体の
100分の1にしかならないようだ。
毎年同じ時期に、ここで追悼集会が開かれるようだ。
絶滅収容所から生還された方も出席されていたようだが、
高齢化に伴いそれも難しくなってきたようだ。
最近では地元の高校生が、送還されていった犠牲者について調べ、
それを発表したりして、新しい世代による動きもあるようだ。 -
再びツォー駅まで戻り、200番のバスに揺られ
ホテルのあるポツダム広場を通り過ぎ
アレキサンダープタッツ駅までやってきた。
ちょっとした市内観光の気分で
窓からの移り変わる景色をぼんやりと眺めていた。 -
ここからはUバーンで
Hausvogtel pl.まで -
前夜訪れた
コンツェルトハウスのある
ジャンダルメンマルクトへやってきた。
ベルリンで一番美しいと言われる広場
らしいが、前夜はその広場を見る余裕も
ないままタクシーで帰ってしまった。 -
広場へたどりつくまでに
重厚な門扉のある建物を見ながら
しばらく歩くと -
-
前夜コンサートのあった
コンツェルトハウスにやって来た。 -
前の広場に向かって左右に
同じような教会があって
このあたり一帯は
ジャンダルメンマルクトと呼ばれる。
コンツェルトハウスに向かって右手が
フランスドーム
その折は 、何かのイベントに備えてか
広場をシートで囲っていた。 -
左手がドイツドーム
良く似た二つのドームが建っている。 -
お目当てはドイツドームの先
ヒルトンホテルの通りを挟んだ先にある
チョコレート・ショップの
Fassbender&Rausch
ファスベンダー&ラウシュ -
プラリネチョコなどが
ケースの中にびっしりと。
あれこれ選んで箱詰めにしていただける。 -
-
二階へ
ここは珍しいチョコレートレストラン。 -
お隣はヒルトンホテル
左手には先ほど歩いてきたドイツドームが
見える。 -
おすすめを伺ったら、
チョコレートのドリンクで
温、冷か?
好みのカカオ濃度?フレイバー?と選べるものがありますよ、
とのことから -
mistralは
冷たい方で
濃度は?中ぐらいにしたような、
ミントのフレイバーにし
出されたものがこのグラス。 -
二人で9.8ユーロだった。
-
一階のショップでお土産用の
チョコの物色。
急に暑くなったりして溶ける心配もあったので
控え目なお買い物で。
左下、クッキー詰め合わせ、大変おいしかった!(4.95ユーロx2)
また、右側、それぞれお味が異なっているチョコ
ばらうりになっているもの。(各1.80ユーロx5) -
カカオの濃度、産地が違うチョコの
詰め合わせ、32個入り。
ズラリと並べてみたら8種類の濃度のチョコが
入っていた。 -
Uバーンに乗って、ポツダム広場まで戻ってきた。
ガイドブックによると
広場近くに、まだ壁があった当時のままに
監視塔が残されているとのこと。
近代的な広場から程なくしてErna-Berger-Str.
にある、その監視塔にたどり着いた。
数組の方がやはり、その塔の写真を収めに
来ておられた。 -
広場の人通りの多い一角にも
壁が一部残されている(こちらは後で設置されたもの?)
一つの国が、また都市が
敗戦国となって、東と西に分断された現実を
今回のベルリンの旅ではあちこちで目にした。 -
この二日間歩いた地域が
東西に分断後は
東ベルリンに属していたことが
わかる 地図。
(ベルリンの秋 上 春江一也著 より) -
すぐ近くの
ホテルにたどり着きホッとすると
立派な衣装に身を包んだドアマン?の方が
にこやかに迎えて下さり
1日の疲れも吹き飛んだような気がした。 -
十分に歩き回った一日だった。
翌日は一旦ホテルをチェックアウトし
ライプツィヒへ向かう。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- ひらしまさん 2023/05/05 00:04:34
- mistralさんの視点に導かれた貴重な旅
- この旅行記は以前にお邪魔していたのですが、あらためて拝見して感じるところが多くありました。
僕はヴィルヘルム教会は外観を見ただけで、コベントリーの鉄鋲十字架のことは存じませんでした。
自分たちが受けた被害の現場に加害の記憶も刻んで残していく、ドイツ人の精神の強靱さに学びたいと思いました。
グル―ネヴァルト駅17番線ホームのことも初めて知りました。
ここにはより苦い加害の記憶が延々と刻まれているんですね。
mistralさんの視点に導かれて、貴重な旅をさせていただいた気がします。
ひらしま
- mistralさん からの返信 2023/05/05 10:02:41
- Re: mistralさんの視点に導かれた貴重な旅
- ひらしまさん
おはようございます。
古い旅行記に再訪していただきまして、コメントまで!
ありがとうございました。
ご夫妻はお御足を悪くされておられたんですね。
それにしましても精力的に街を歩かれ、美味しいものを味わい、
未知だったものに出会い、感動し、エネルギーをもらう。
大変ですけれど、行ってよかったと思える体験は
かけがえのないものですね。
おかげさまで、私も古い旅行記を再読しました。
あの時にヴィルヘルム教会で感じた想い、
17番線ホームで想ったことなどが蘇ってきました。
日頃は、時が過ぎてしまうと記憶の片隅に押しやってしまい
そのまま日常を過ごしています。
旅行記を残すことで追体験できることは、4トラの素晴らしさ
だと改めて想いました。
mistral
-
- ヴェラnonnaさん 2017/06/02 19:44:11
- 平和への 強い 思い・・・ コベントリーと 繋がっているのですね・・・
- mistralさん
無残な姿ですが 強烈な印象を与えますね。
各地に このような モニュメント的 戦争の証が 置かれている・・・
カイザー・ヴィルヘルム記念教会も 世界中の 犠牲者を その存在だけで
追悼しているように思います。
こちらの 旅行記で コベントリーの地が出てきましたが
2009年に 行ってきました。
ひょっとすると ご覧いただいたかもですが
リンクしますね。
http://4travel.jp/travelogue/10564628
ヴェラnonna
- mistralさん からの返信 2017/06/02 21:46:20
- RE: 平和への 強い 思い・・・ コベントリーと 繋がっているのですね・・・
- ヴェラnonnaさん
こんばんは。
早速コメントまでありがとうございました。
今コベントリーの旅行記に急ぎ飛んで行きました。
何故か不思議な感覚でした。
2009年にコベントリーを訪れられたヴェラnonnaさん
そこでの釘十字を見られたヴェラnonnaさんの旅行記を通して
今、カイザー ヴィルヘルム教会の釘十字との繋がりが
はっきりと焦点が結ばれたように思いました。
コベントリーから送られた釘十字
憎しみからさらなる憎しみを生み出さないよう
連鎖を断つ意味があったということですね。
その意味をドイツ側も、しっかりと受け止めたのでしょう。
ついでながら、同じ旅行記にのっていたゴダイヴァ夫人のエピソード
ゴディバチョコに使われているロゴ、馬にまたがった長い髪をなびかせた裸の女性、
はそのエピソードからとったもののようですね。
こちらも、そのエピソードがコベントリーでのものだったことが、今結びつきました。
ありがとうございました。
mistral
> mistralさん
>
> 無残な姿ですが 強烈な印象を与えますね。
> 各地に このような モニュメント的 戦争の証が 置かれている・・・
> カイザー・ヴィルヘルム記念教会も 世界中の 犠牲者を その存在だけで
> 追悼しているように思います。
>
> こちらの 旅行記で コベントリーの地が出てきましたが
> 2009年に 行ってきました。
>
> ひょっとすると ご覧いただいたかもですが
> リンクしますね。
>
> http://4travel.jp/travelogue/10564628
>
> ヴェラnonna
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