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5日,絵画館を出た後<br />200番のバスに揺られてツォー駅へ向かった。<br /><br />この後は,図らずも戦争の痕跡をたどることになった。<br /><br />最初にカイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。<br />この教会は第二次世界大戦終結の時に向けて、爆撃を受け<br />その姿のまま保存されている。<br /><br />その後,Sバーンでグルーネヴァルト駅まで向かい駅の施設<br />を見学した。<br /><br />今回初めてベルリンに来て、ドイツの中にあって独特な雰囲気を<br />この都市が持っていることを感じた。<br />アウシュヴィッツで公認ガイドをされている中谷さんが、かつて<br />このようにおっしゃっていた。<br />過去に起こった事実を知っていることは、同じ事態に直面した時に、<br />新たな判断の材料となってくる、と。<br /><br />初めてベルリンを訪れ、わずか数日の滞在で、どれだけ一国の姿勢、<br />苦悩までわかるのかは全く自信のないことですが、それでも戦争の<br />記憶を後世にまで留めたいと努力しているドイツの姿勢は充分に<br />感じられたので、一編の旅行記にまとめてみました。<br /><br />(表紙写真はカイザー・ヴィルヘルム記念教会)

戦争の記憶をとどめるための努力が、ベルリンのあちこちに。

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2017/05/05 - 2017/05/05

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mistral

mistralさん

5日,絵画館を出た後
200番のバスに揺られてツォー駅へ向かった。

この後は,図らずも戦争の痕跡をたどることになった。

最初にカイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。
この教会は第二次世界大戦終結の時に向けて、爆撃を受け
その姿のまま保存されている。

その後,Sバーンでグルーネヴァルト駅まで向かい駅の施設
を見学した。

今回初めてベルリンに来て、ドイツの中にあって独特な雰囲気を
この都市が持っていることを感じた。
アウシュヴィッツで公認ガイドをされている中谷さんが、かつて
このようにおっしゃっていた。
過去に起こった事実を知っていることは、同じ事態に直面した時に、
新たな判断の材料となってくる、と。

初めてベルリンを訪れ、わずか数日の滞在で、どれだけ一国の姿勢、
苦悩までわかるのかは全く自信のないことですが、それでも戦争の
記憶を後世にまで留めたいと努力しているドイツの姿勢は充分に
感じられたので、一編の旅行記にまとめてみました。

(表紙写真はカイザー・ヴィルヘルム記念教会)

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • フィルハーモニー近くの停留所から、<br />購入しておいた一日乗車券で<br />200番のバスに乗車。<br /><br />(最初に使用する際には打刻を忘れずに!)<br /><br />ティーアガルテンの森に沿ってしばらくパスは走り<br />やがて動物園入口が見えてきたら間もなく<br />崩れかかったような教会の塔が見えてくるので<br />その近くで下車。

    フィルハーモニー近くの停留所から、
    購入しておいた一日乗車券で
    200番のバスに乗車。

    (最初に使用する際には打刻を忘れずに!)

    ティーアガルテンの森に沿ってしばらくパスは走り
    やがて動物園入口が見えてきたら間もなく
    崩れかかったような教会の塔が見えてくるので
    その近くで下車。

  • カイザー・ヴィルヘルム記念教会の<br />異様な姿が目の前に現れる。<br /><br />交通の激しい都会の真ん中で見る<br />その姿は衝撃的でさえある。<br /><br />手前にある低い建物が小礼拝堂<br />左手は新鐘楼(現在はカバーに覆われていた?)

    カイザー・ヴィルヘルム記念教会の
    異様な姿が目の前に現れる。

    交通の激しい都会の真ん中で見る
    その姿は衝撃的でさえある。

    手前にある低い建物が小礼拝堂
    左手は新鐘楼(現在はカバーに覆われていた?)

  • 1888年に死去したヴィルヘルム皇帝のために<br />19世紀末建設された教会だが<br /><br />1943年の空襲で破壊された。

    1888年に死去したヴィルヘルム皇帝のために
    19世紀末建設された教会だが

    1943年の空襲で破壊された。

  • 砲弾の後など<br />そのままに残っている。

    砲弾の後など
    そのままに残っている。

  • 内部の損傷はどれほど?と思いながら<br />入っていった。

    内部の損傷はどれほど?と思いながら
    入っていった。

  • 天井モザイクが<br /><br />想像以上に綺麗に残されているが<br />キリスト像にもヒビを補修した跡が残る。

    天井モザイクが

    想像以上に綺麗に残されているが
    キリスト像にもヒビを補修した跡が残る。

  • 天井部分

    天井部分

  • 旧教会堂は当時のドイツ皇帝<br />ヴィルヘルム2世の提案によって<br />初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世追悼と<br />その功績を記念するという目的で建設された。

    旧教会堂は当時のドイツ皇帝
    ヴィルヘルム2世の提案によって
    初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世追悼と
    その功績を記念するという目的で建設された。

  • 右側のお二人が<br />ヴィルヘルム2世と皇后<br />アウグステ・ヴィクトリア

    右側のお二人が
    ヴィルヘルム2世と皇后
    アウグステ・ヴィクトリア

  • 旧教会堂内部は<br />第二次世界大戦の戦禍を思い起こす為に<br />記念ホールとしての役割を果たしている。<br /><br />その中心に置かれているのは<br />コベントリーの鉄鋲十字架(写真には写っていない)で<br />第二次世界大戦時、ドイツ空軍による空襲で<br />崩れ落ちた英国国教会コペントリー大聖堂の梁から<br />出来ているそうだ。<br /><br />戦争の被害の記録を後世に遺すためではなく<br />戦争に突き進んでいった側としての責務を果たす意味で<br />ここが遺されていることがわかる。

    旧教会堂内部は
    第二次世界大戦の戦禍を思い起こす為に
    記念ホールとしての役割を果たしている。

    その中心に置かれているのは
    コベントリーの鉄鋲十字架(写真には写っていない)で
    第二次世界大戦時、ドイツ空軍による空襲で
    崩れ落ちた英国国教会コペントリー大聖堂の梁から
    出来ているそうだ。

    戦争の被害の記録を後世に遺すためではなく
    戦争に突き進んでいった側としての責務を果たす意味で
    ここが遺されていることがわかる。

  • 完成当初の教会の様子<br />主要な教会塔は113mの高さがあった。<br />また、各鐘楼には5つの鐘があり<br />鳴り出した時の音量は<br />当時ドイツ最大だったケルン大聖堂をも<br />上回ったという。

    完成当初の教会の様子
    主要な教会塔は113mの高さがあった。
    また、各鐘楼には5つの鐘があり
    鳴り出した時の音量は
    当時ドイツ最大だったケルン大聖堂をも
    上回ったという。

  • 1943年11月23日夜<br />英国空軍によるベルリン大空襲によって<br />教会堂は炎上。<br />戦争終結後に、旧教会堂は再建するという<br />約束がナチス政府によってなされていた。<br /><br />しかし戦勝国はヴィルヘルム帝政時代を思い起こす<br />旧教会堂の再建に難色を示し<br />崩れたままで放置されてきた。<br />

    1943年11月23日夜
    英国空軍によるベルリン大空襲によって
    教会堂は炎上。
    戦争終結後に、旧教会堂は再建するという
    約束がナチス政府によってなされていた。

    しかし戦勝国はヴィルヘルム帝政時代を思い起こす
    旧教会堂の再建に難色を示し
    崩れたままで放置されてきた。

  • 1956年になって初めて<br />旧教会堂内部の瓦礫の撤去が<br />開始された。

    1956年になって初めて
    旧教会堂内部の瓦礫の撤去が
    開始された。

  • 1957年3月<br />新教会の設計者としてエゴン・アイアーマンが選ばれた。<br />彼は旧教会堂の完全撤去を前提として設計、<br />それに反対した市民側との間で論争が繰り広げられた。<br />

    1957年3月
    新教会の設計者としてエゴン・アイアーマンが選ばれた。
    彼は旧教会堂の完全撤去を前提として設計、
    それに反対した市民側との間で論争が繰り広げられた。

  • 結果的には1959年<br />71mの高さを持つ廃墟となった旧教会堂を<br />戦争記念碑として残したままで<br />新教会堂、新鐘楼、小礼拝堂の建築が新たに<br />開始された。

    結果的には1959年
    71mの高さを持つ廃墟となった旧教会堂を
    戦争記念碑として残したままで
    新教会堂、新鐘楼、小礼拝堂の建築が新たに
    開始された。

  • 今ではこの教会群全体が<br />戦後ドイツを象徴する場となっているようだ。<br /><br />市民の方たちは<br />8角形の新教会堂を「化粧コンパクトケース」<br />新鐘楼には「リップスティック」という愛称をつけている<br />そうだ。<br />ちなみに旧教会堂は「虫歯」というらしい。

    今ではこの教会群全体が
    戦後ドイツを象徴する場となっているようだ。

    市民の方たちは
    8角形の新教会堂を「化粧コンパクトケース」
    新鐘楼には「リップスティック」という愛称をつけている
    そうだ。
    ちなみに旧教会堂は「虫歯」というらしい。

  • 新教会堂内部は2万枚以上のガラス窓からなっていて、<br />フランスだけで400もの教会の、他にも諸国のステンドグラス製作<br />にあたっているステンドグラス作家<br />ガブリエル・ロワールが<br />シャルトルの彼の工房で製作したガラスが使われている。<br /><br />ロワールは、シャルトル大聖堂「エッサイの木」を表す<br />ステンドグラスに使われている青色からインスピレーション<br />を得たということだ。

    新教会堂内部は2万枚以上のガラス窓からなっていて、
    フランスだけで400もの教会の、他にも諸国のステンドグラス製作
    にあたっているステンドグラス作家
    ガブリエル・ロワールが
    シャルトルの彼の工房で製作したガラスが使われている。

    ロワールは、シャルトル大聖堂「エッサイの木」を表す
    ステンドグラスに使われている青色からインスピレーション
    を得たということだ。

  • 当初、設計者アイアーマンのイメージでは<br />明るい青だったそうだが<br />ロワールによって深い青色に変わったことにより<br />一層教会内部に荘厳な雰囲気がもたらされた<br />ように思う。

    当初、設計者アイアーマンのイメージでは
    明るい青だったそうだが
    ロワールによって深い青色に変わったことにより
    一層教会内部に荘厳な雰囲気がもたらされた
    ように思う。

  • 青もところによって<br />赤、黄色など他の色も使われていることが<br />現地に来て見て、初めてわかった。<br /><br />教会堂内部にしばらく坐っていたら<br />パイプオルガンの演奏が始まった。<br />多分コンサートに備えての練習のようだった。

    青もところによって
    赤、黄色など他の色も使われていることが
    現地に来て見て、初めてわかった。

    教会堂内部にしばらく坐っていたら
    パイプオルガンの演奏が始まった。
    多分コンサートに備えての練習のようだった。

  • 教会から外に出て、たくさんの献灯された光景を<br />なんの気なしにカメラに納めていたが<br />帰国後ネットで調べてみたら<br />2016年12月19日<br />教会堂前のブライトシャイト広場でおきた<br />テロの犠牲者を追悼する為のもののようだ。<br />

    教会から外に出て、たくさんの献灯された光景を
    なんの気なしにカメラに納めていたが
    帰国後ネットで調べてみたら
    2016年12月19日
    教会堂前のブライトシャイト広場でおきた
    テロの犠牲者を追悼する為のもののようだ。

  • 外部は昼間はこんな様子だが

    外部は昼間はこんな様子だが

  • 暗くなってくると<br />青い光が漏れ出てきて、幻想的な<br />美しさになるようだ。

    暗くなってくると
    青い光が漏れ出てきて、幻想的な
    美しさになるようだ。

  • ツォー駅までやってきた。<br />(徒歩数分の距離)<br />このあたりで昼食をとっておきたかったので<br />中華風?ベトナム風?<br />焼きそばとクリスピーチキンのプレートを一つ<br />とって(6.5ユーロ)、簡単に食事を済ませた。

    ツォー駅までやってきた。
    (徒歩数分の距離)
    このあたりで昼食をとっておきたかったので
    中華風?ベトナム風?
    焼きそばとクリスピーチキンのプレートを一つ
    とって(6.5ユーロ)、簡単に食事を済ませた。

  • ツォー駅からSバーンでグル―ネヴァルト(Grunewald)<br />駅まで向かった。

    ツォー駅からSバーンでグル―ネヴァルト(Grunewald)
    駅まで向かった。

  • グルーネヴァルト駅は<br />ポツダム行きの列車に乗ると<br />その途中の駅にあたる。<br /><br />もちろん当日購入していた1日券が有効な<br />範囲に入っている駅。

    グルーネヴァルト駅は
    ポツダム行きの列車に乗ると
    その途中の駅にあたる。

    もちろん当日購入していた1日券が有効な
    範囲に入っている駅。

  • グル―ネヴァルト駅についた。<br /><br />ここまでやって来たのは<br />ナチスにまつわる歴史として避けることのできない<br />強制収容所について調べていた折<br />ベルリンにユダヤ民の方々を収容所に<br />送り出した駅の記録が残っていることが<br />わかったから。

    グル―ネヴァルト駅についた。

    ここまでやって来たのは
    ナチスにまつわる歴史として避けることのできない
    強制収容所について調べていた折
    ベルリンにユダヤ民の方々を収容所に
    送り出した駅の記録が残っていることが
    わかったから。

  • 昨年アウシュヴィッツを訪問したが<br />その先(前?)にある地として<br />ベルリン行きが決まった折には<br />是非その駅に行ってみたいと思っていた。

    昨年アウシュヴィッツを訪問したが
    その先(前?)にある地として
    ベルリン行きが決まった折には
    是非その駅に行ってみたいと思っていた。

  • この駅の17番線(Gleis17)に<br />かつて使われていた貨物ホームがあるという。

    この駅の17番線(Gleis17)に
    かつて使われていた貨物ホームがあるという。

  • そのまま、17番線ホームにすぐ<br />行ってみる気持ちにはなれず<br /><br />駅から一旦外にでてみた。<br />

    そのまま、17番線ホームにすぐ
    行ってみる気持ちにはなれず

    駅から一旦外にでてみた。

  • 駅周辺部は、過去の暗い歴史を感じさせないほどに<br />郊外のゆったりとした町の雰囲気をただよわせていて<br /><br />その緑にちょっぴり救われた思いがした。<br /><br />19世紀末から高級住宅地としての人気があった地域らしい。

    駅周辺部は、過去の暗い歴史を感じさせないほどに
    郊外のゆったりとした町の雰囲気をただよわせていて

    その緑にちょっぴり救われた思いがした。

    19世紀末から高級住宅地としての人気があった地域らしい。

  • 再び駅舎に入り

    再び駅舎に入り

  • そして17番線ホームを目指した。<br /><br />絶滅収容所に送られていき犠牲となった<br />方々を追悼する為に<br />1998年1月、ドイツ鉄道によって設置された<br />とあった。

    そして17番線ホームを目指した。

    絶滅収容所に送られていき犠牲となった
    方々を追悼する為に
    1998年1月、ドイツ鉄道によって設置された
    とあった。

  • 1941年10月18日<br />1251人のユダヤ民の方々を乗せた<br />特別列車がここを発って以来<br />終戦間際までの3年半のあいだに<br />約55000人がこの駅から強制収容所へ送られていった<br /><br />というホームへ向かおうとしていた。

    1941年10月18日
    1251人のユダヤ民の方々を乗せた
    特別列車がここを発って以来
    終戦間際までの3年半のあいだに
    約55000人がこの駅から強制収容所へ送られていった

    というホームへ向かおうとしていた。

  • このような鉄板が全部で183枚<br />敷き詰められている。<br />それぞれの鉄板には列車が出た日付、その折のユダヤ民の数、<br />目的地がしるされている。<br /><br />1942年10月28日 ユダヤ人 ベルリン‐テレジエンシュタット<br />                    (現チェコ)<br /><br />テレジエンシュタットはチェコ北部にある小さな街、テレジン<br />のことで、そこは絶滅収容所へ向かう中継地点となっていて、<br />そこからアウシュヴィッツなどに収容者が送られると<br />補充のためにさらにベルリンなどから送られていったという。<br />

    このような鉄板が全部で183枚
    敷き詰められている。
    それぞれの鉄板には列車が出た日付、その折のユダヤ民の数、
    目的地がしるされている。

    1942年10月28日 ユダヤ人 ベルリン‐テレジエンシュタット
                        (現チェコ)

    テレジエンシュタットはチェコ北部にある小さな街、テレジン
    のことで、そこは絶滅収容所へ向かう中継地点となっていて、
    そこからアウシュヴィッツなどに収容者が送られると
    補充のためにさらにベルリンなどから送られていったという。

  • <br />途中から<br />アウシュヴィッツ行きも見られてくる。<br /><br />


    途中から
    アウシュヴィッツ行きも見られてくる。

  • ホームの先端までたどり着き<br />その先から反対側のホームに渡り<br />戻ってくる。

    ホームの先端までたどり着き
    その先から反対側のホームに渡り
    戻ってくる。

  • 今となっては<br />使われることのない線路。

    今となっては
    使われることのない線路。

  • これだけの数でも<br />犠牲になったとされるユダヤ民全体の<br />100分の1にしかならないようだ。<br /><br />毎年同じ時期に、ここで追悼集会が開かれるようだ。<br />絶滅収容所から生還された方も出席されていたようだが、<br />高齢化に伴いそれも難しくなってきたようだ。<br />最近では地元の高校生が、送還されていった犠牲者について調べ、<br />それを発表したりして、新しい世代による動きもあるようだ。

    これだけの数でも
    犠牲になったとされるユダヤ民全体の
    100分の1にしかならないようだ。

    毎年同じ時期に、ここで追悼集会が開かれるようだ。
    絶滅収容所から生還された方も出席されていたようだが、
    高齢化に伴いそれも難しくなってきたようだ。
    最近では地元の高校生が、送還されていった犠牲者について調べ、
    それを発表したりして、新しい世代による動きもあるようだ。

  • 再びツォー駅まで戻り、200番のバスに揺られ<br />ホテルのあるポツダム広場を通り過ぎ<br />アレキサンダープタッツ駅までやってきた。<br /><br />ちょっとした市内観光の気分で<br />窓からの移り変わる景色をぼんやりと眺めていた。

    再びツォー駅まで戻り、200番のバスに揺られ
    ホテルのあるポツダム広場を通り過ぎ
    アレキサンダープタッツ駅までやってきた。

    ちょっとした市内観光の気分で
    窓からの移り変わる景色をぼんやりと眺めていた。

  • ここからはUバーンで<br /><br />Hausvogtel pl.まで

    ここからはUバーンで

    Hausvogtel pl.まで

  • 前夜訪れた<br />コンツェルトハウスのある<br />ジャンダルメンマルクトへやってきた。<br />ベルリンで一番美しいと言われる広場<br />らしいが、前夜はその広場を見る余裕も<br />ないままタクシーで帰ってしまった。

    前夜訪れた
    コンツェルトハウスのある
    ジャンダルメンマルクトへやってきた。
    ベルリンで一番美しいと言われる広場
    らしいが、前夜はその広場を見る余裕も
    ないままタクシーで帰ってしまった。

  • 広場へたどりつくまでに<br />重厚な門扉のある建物を見ながら<br />しばらく歩くと

    広場へたどりつくまでに
    重厚な門扉のある建物を見ながら
    しばらく歩くと

  • 前夜コンサートのあった<br />コンツェルトハウスにやって来た。

    前夜コンサートのあった
    コンツェルトハウスにやって来た。

  • 前の広場に向かって左右に<br />同じような教会があって<br />このあたり一帯は<br />ジャンダルメンマルクトと呼ばれる。<br /><br />コンツェルトハウスに向かって右手が<br />フランスドーム<br /><br />その折は 、何かのイベントに備えてか<br />広場をシートで囲っていた。

    前の広場に向かって左右に
    同じような教会があって
    このあたり一帯は
    ジャンダルメンマルクトと呼ばれる。

    コンツェルトハウスに向かって右手が
    フランスドーム

    その折は 、何かのイベントに備えてか
    広場をシートで囲っていた。

  • 左手がドイツドーム<br /><br />良く似た二つのドームが建っている。

    左手がドイツドーム

    良く似た二つのドームが建っている。

  • お目当てはドイツドームの先<br />ヒルトンホテルの通りを挟んだ先にある<br /><br />チョコレート・ショップの<br />Fassbender&Rausch<br />ファスベンダー&ラウシュ

    お目当てはドイツドームの先
    ヒルトンホテルの通りを挟んだ先にある

    チョコレート・ショップの
    Fassbender&Rausch
    ファスベンダー&ラウシュ

  • プラリネチョコなどが<br />ケースの中にびっしりと。<br />あれこれ選んで箱詰めにしていただける。

    プラリネチョコなどが
    ケースの中にびっしりと。
    あれこれ選んで箱詰めにしていただける。

  • 二階へ<br />ここは珍しいチョコレートレストラン。

    二階へ
    ここは珍しいチョコレートレストラン。

  • お隣はヒルトンホテル<br />左手には先ほど歩いてきたドイツドームが<br />見える。

    お隣はヒルトンホテル
    左手には先ほど歩いてきたドイツドームが
    見える。

  • おすすめを伺ったら、<br />チョコレートのドリンクで<br />温、冷か?<br />好みのカカオ濃度?フレイバー?と選べるものがありますよ、<br />とのことから

    おすすめを伺ったら、
    チョコレートのドリンクで
    温、冷か?
    好みのカカオ濃度?フレイバー?と選べるものがありますよ、
    とのことから

  • mistralは<br />冷たい方で<br />濃度は?中ぐらいにしたような、<br />ミントのフレイバーにし<br />出されたものがこのグラス。

    mistralは
    冷たい方で
    濃度は?中ぐらいにしたような、
    ミントのフレイバーにし
    出されたものがこのグラス。

  • 二人で9.8ユーロだった。

    二人で9.8ユーロだった。

  • 一階のショップでお土産用の<br />チョコの物色。<br />急に暑くなったりして溶ける心配もあったので<br />控え目なお買い物で。<br />左下、クッキー詰め合わせ、大変おいしかった!(4.95ユーロx2)<br />また、右側、それぞれお味が異なっているチョコ<br />ばらうりになっているもの。(各1.80ユーロx5)

    一階のショップでお土産用の
    チョコの物色。
    急に暑くなったりして溶ける心配もあったので
    控え目なお買い物で。
    左下、クッキー詰め合わせ、大変おいしかった!(4.95ユーロx2)
    また、右側、それぞれお味が異なっているチョコ
    ばらうりになっているもの。(各1.80ユーロx5)

  • カカオの濃度、産地が違うチョコの<br />詰め合わせ、32個入り。<br />ズラリと並べてみたら8種類の濃度のチョコが<br />入っていた。

    カカオの濃度、産地が違うチョコの
    詰め合わせ、32個入り。
    ズラリと並べてみたら8種類の濃度のチョコが
    入っていた。

  • Uバーンに乗って、ポツダム広場まで戻ってきた。<br /><br />ガイドブックによると<br />広場近くに、まだ壁があった当時のままに<br />監視塔が残されているとのこと。<br />近代的な広場から程なくしてErna-Berger-Str.<br />にある、その監視塔にたどり着いた。<br />数組の方がやはり、その塔の写真を収めに<br />来ておられた。

    Uバーンに乗って、ポツダム広場まで戻ってきた。

    ガイドブックによると
    広場近くに、まだ壁があった当時のままに
    監視塔が残されているとのこと。
    近代的な広場から程なくしてErna-Berger-Str.
    にある、その監視塔にたどり着いた。
    数組の方がやはり、その塔の写真を収めに
    来ておられた。

  • 広場の人通りの多い一角にも<br />壁が一部残されている(こちらは後で設置されたもの?)<br /><br />一つの国が、また都市が<br />敗戦国となって、東と西に分断された現実を<br />今回のベルリンの旅ではあちこちで目にした。

    広場の人通りの多い一角にも
    壁が一部残されている(こちらは後で設置されたもの?)

    一つの国が、また都市が
    敗戦国となって、東と西に分断された現実を
    今回のベルリンの旅ではあちこちで目にした。

  • この二日間歩いた地域が<br />東西に分断後は<br />東ベルリンに属していたことが<br />わかる 地図。<br />(ベルリンの秋 上  春江一也著 より)

    この二日間歩いた地域が
    東西に分断後は
    東ベルリンに属していたことが
    わかる 地図。
    (ベルリンの秋 上 春江一也著 より)

  • すぐ近くの<br />ホテルにたどり着きホッとすると<br />立派な衣装に身を包んだドアマン?の方が<br />にこやかに迎えて下さり<br />1日の疲れも吹き飛んだような気がした。

    すぐ近くの
    ホテルにたどり着きホッとすると
    立派な衣装に身を包んだドアマン?の方が
    にこやかに迎えて下さり
    1日の疲れも吹き飛んだような気がした。

  • 十分に歩き回った一日だった。<br /><br />翌日は一旦ホテルをチェックアウトし<br />ライプツィヒへ向かう。

    十分に歩き回った一日だった。

    翌日は一旦ホテルをチェックアウトし
    ライプツィヒへ向かう。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ひらしまさん 2023/05/05 00:04:34
    mistralさんの視点に導かれた貴重な旅
    この旅行記は以前にお邪魔していたのですが、あらためて拝見して感じるところが多くありました。
    僕はヴィルヘルム教会は外観を見ただけで、コベントリーの鉄鋲十字架のことは存じませんでした。
    自分たちが受けた被害の現場に加害の記憶も刻んで残していく、ドイツ人の精神の強靱さに学びたいと思いました。
    グル―ネヴァルト駅17番線ホームのことも初めて知りました。
    ここにはより苦い加害の記憶が延々と刻まれているんですね。
    mistralさんの視点に導かれて、貴重な旅をさせていただいた気がします。

    ひらしま

    mistral

    mistralさん からの返信 2023/05/05 10:02:41
    Re: mistralさんの視点に導かれた貴重な旅
    ひらしまさん

    おはようございます。
    古い旅行記に再訪していただきまして、コメントまで!
    ありがとうございました。

    ご夫妻はお御足を悪くされておられたんですね。
    それにしましても精力的に街を歩かれ、美味しいものを味わい、
    未知だったものに出会い、感動し、エネルギーをもらう。
    大変ですけれど、行ってよかったと思える体験は
    かけがえのないものですね。

    おかげさまで、私も古い旅行記を再読しました。
    あの時にヴィルヘルム教会で感じた想い、
    17番線ホームで想ったことなどが蘇ってきました。
    日頃は、時が過ぎてしまうと記憶の片隅に押しやってしまい
    そのまま日常を過ごしています。
    旅行記を残すことで追体験できることは、4トラの素晴らしさ
    だと改めて想いました。

    mistral
  • ヴェラnonnaさん 2017/06/02 19:44:11
    平和への 強い 思い・・・ コベントリーと 繋がっているのですね・・・
    mistralさん

    無残な姿ですが 強烈な印象を与えますね。
    各地に このような モニュメント的 戦争の証が 置かれている・・・
    カイザー・ヴィルヘルム記念教会も 世界中の 犠牲者を その存在だけで
    追悼しているように思います。

    こちらの 旅行記で コベントリーの地が出てきましたが
    2009年に 行ってきました。

    ひょっとすると ご覧いただいたかもですが
    リンクしますね。

    http://4travel.jp/travelogue/10564628

    ヴェラnonna

    mistral

    mistralさん からの返信 2017/06/02 21:46:20
    RE: 平和への 強い 思い・・・ コベントリーと 繋がっているのですね・・・
    ヴェラnonnaさん

    こんばんは。
    早速コメントまでありがとうございました。

    今コベントリーの旅行記に急ぎ飛んで行きました。
    何故か不思議な感覚でした。
    2009年にコベントリーを訪れられたヴェラnonnaさん
    そこでの釘十字を見られたヴェラnonnaさんの旅行記を通して
    今、カイザー ヴィルヘルム教会の釘十字との繋がりが
    はっきりと焦点が結ばれたように思いました。
    コベントリーから送られた釘十字
    憎しみからさらなる憎しみを生み出さないよう
    連鎖を断つ意味があったということですね。
    その意味をドイツ側も、しっかりと受け止めたのでしょう。

    ついでながら、同じ旅行記にのっていたゴダイヴァ夫人のエピソード
    ゴディバチョコに使われているロゴ、馬にまたがった長い髪をなびかせた裸の女性、
    はそのエピソードからとったもののようですね。
    こちらも、そのエピソードがコベントリーでのものだったことが、今結びつきました。
    ありがとうございました。

    mistral



    > mistralさん
    >
    > 無残な姿ですが 強烈な印象を与えますね。
    > 各地に このような モニュメント的 戦争の証が 置かれている・・・
    > カイザー・ヴィルヘルム記念教会も 世界中の 犠牲者を その存在だけで
    > 追悼しているように思います。
    >
    > こちらの 旅行記で コベントリーの地が出てきましたが
    > 2009年に 行ってきました。
    >
    > ひょっとすると ご覧いただいたかもですが
    > リンクしますね。
    >
    > http://4travel.jp/travelogue/10564628
    >
    > ヴェラnonna

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