2017/05/15 - 2017/05/20
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Pontakaiさん
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かねてより訪れてみたいと思っていた唐の都、長安。現代では西安(シアン)と名を変え、抗日運動のための国共合作の舞台となった「西安事件」の場。
5月15日から20日海南航空の直行便で往復、直行便の便利さを存分に味わえました。現地到着後はその日の気分で予定を立てる気ままな自由旅をしてみました。
訪れたところは完璧内および付近の由緒あるお寺や博物館、そしてやや郊外の秦の始皇帝博物館(兵馬俑)、華清宮。当初予定していた崋山は昔スキーで捻挫した右ひざ痛が突如出発直前に沸き起こり中止。少しびっこをひきながら地下鉄と公共バスを適当に組みながら、歩くところは歩いてほぼ予定通り動けました。
しかし悔やまれることが一つ。行くべくところを1っ個所見逃してしまったこと。中国語は全然通じませんでしたが、お金の出し入れを含め、何とかなりました。英語の通じる範囲はきわめてわずかな範囲です。不愉快な思いをすることもなく、一般市民の親切には何度か助けられました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- 海南航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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成田⇔西安は海南航空直行便。行きはお昼過ぎ発西安夕方着。帰りは朝発昼過ぎ到着と動きやすい時間帯の飛行機です。上海や北京からの乗り継ぎ便は遅延やキャンセルなどが結構あると聞いていたので、あまり有名ではないけれど、海南航空を利用しました。結果大正解。CAは愛想良く親切でした。LCCではないので、お食事サーヴィスもちゃんとありました。
さて、上の写真(柱の向こう側)は西安咸陽空港の中国銀行のATM操作室です。
西安空港は国際空港であっても国際線の便数が少なく、ほとんどが北京や上海や中国各地からの国内線で観光客も来るようです。そのせいか、空港内は外国人観光客用のサーヴィス体制が今一つです。その一つが両替場所なし。代わりにATMが何台かおかれています。ですから市内の銀行で両替する以外にはクレジットカードによるCashingが中国元を得る唯一の手段となります。(成田で両替するとしてもかなりレート、手数料とも悪く損です。ただ、心配性の人は両替して持って行くのも一つです)
また旅行者が使えるprepaid SIMカードの販売場所も見当たりませんでした。わたしは市内中心街の「鐘楼」脇にある中央郵便局3階にある販売会社で15GB、通信費込み200元のカードを買って使いました。Googleが使えませんので、Baiduで地図検索をしました。1週間では使いっぱなしでもとても15GBは使い切れません。
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今回訪れたところの入場券の類を適当に並べておきました。このうちなぜか小雁塔と隣接の西安博物館では入場料は不要でした。他は65歳以上無料かと確かめるとみな中国人だけに適用と言われました。
順不同に行ったところは、兵馬俑、陜西歴史博物館、鐘楼、鼓楼、回民街、小雁塔、西安博物館、青龍寺、大雁塔(大慈恩寺)、清真大寺、興慶宮公園、広仁寺、革命公園、華清宮、南北西城壁門 などです。 -
街の中心をなす鐘楼の夜景です。イルミネーションで飾られる夜の方が見栄えがあります。
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修復される以前の様子が中に入ると写真パネルで見ることが出来ます。
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鐘楼と呼ばれる所以の大きな釣り鐘です。向こうに見えるのは鼓楼です。
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鐘楼上からは東西南北へと大街と呼ばれる大通りが伸びています。これは西大街です。西門すなわち安定門へと通じています。
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鐘楼から北西の位置にある鼓楼です。西安の夕暮れは遅く7:00頃になってようやく陽が落ち始めます。そしてライトアップが始まります。
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鼓楼と呼ばれる所以です。季節ごとに鳴らす太鼓が異なって並んでいます。3階まである屋根の軒には燕が巣をつくっており、親鳥が無数に飛び交っていました。
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鼓楼3階から鐘楼方面を眺めた景色です。
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鐘楼から地下鉄を乗り継いで(2号線から3号線へ)城壁外に位置する大雁塔のある大慈恩寺へ行ってみました。
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大慈恩寺は天竺(インド)から初めて仏教経典を持ってきた僧玄奘の功績をたたえて建てられた由緒あるお寺です。仏教経典を中国語に翻訳した人でもあります。この人の苦節の旅は「三蔵法師と孫悟空」のお話しとなって子供たちにも親しまれていますね。
ひっきりなしに彼を背景に記念写真を撮る人たちがいます。
こちらは地下鉄駅からですとお寺の壁に沿う形で7,8分歩き貫通して初めて入場門に至ります。観光バスはこちら側へ直接着くようです。 -
大慈恩寺の入場口です。背後に大雁塔が見えています。
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境内から大雁塔を背景に写真を撮る人がたくさん。
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大雁塔内部へは階段を上って上がれます。ただし、登るには追加の料金30元が必要です。
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塔の上からは旧市街を囲む新高層ビルが東西南北に林立しているのが良く分かります。
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大雁塔から地下鉄駅のある通りに沿って5分ほど歩くと対面に陜西歴史博物館があります。
青銅器、鼎、刀剣、装飾品などの展示があります。また兵馬俑の模造品による解説コーナーもあります。 -
興味があったのは唐三彩の成分表。これに依れば真贋はすぐにわかるということになります。
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正倉院の樹下鳥毛立女の源のような像もありました。
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専門家には常識かも知れませんが、イスタンブールを経由しないシルクロードと海の道からのアフリカ経由のヨーロッパとの交渉ルートがちょっと新鮮な驚きでした。
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鼓楼の北側に位置する回民街の入り口です。昔の長安はシルクロードでイスラムや南欧の世界ともつながっていたので、その末裔たちが中国人となっています。ウイグルや新疆地区の人々です。シルクロードの出発点の地であった長安の名残です。
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羊の肉料理やイスラム的な物産店、料理店がたくさん並んでいる大変にぎやかな街路です。
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オレンジジュースやザクロジュース、酸梅湯といった飲み物店や独特の甘いお餅やケーキみたいなものなども売っていました。歩き疲れた時には酸梅湯(と言っても冷やしてある)が一番スタミナ回復には効きました。
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17日は兵馬俑と華清宮へ行ってみました。西安火車駅(国鉄)前の大きな広場に兵馬俑行きのバスが並んでいます。
緑色の914、915バスの客引きと游5(306)バストが競争しています。料金はどちらも変わりません。7元。
立客は乗せずに満席となり次第、次から次へと発車します。平日のせいかあまり混んでいませんでした。しかし、9時、10時頃のバスは相当待つようになるとか……8時台には乗りたいですね。
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兵馬俑到着点から入場券売り場までは結構歩きます。(7,8分)その途中にはこんなところもあり、熊や狐の毛皮などを売っていました。禁止されているのでは……豹なども確か見かけたような……偽物を加工して売っているのかな?ならまだ許せるが……
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ようやく入場券売り場です。
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まだすいています。
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さらに周囲の丘陵の景色を見ながら緑豊かな公園のなかを5分くらい歩きます。花壇や林の中を歩くのは気持ちいいものです。
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ようやく入場券チェック場へ
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まずは1号館から。かまぼこ屋根型館で兵馬は保全されています。思ったより小さかったので少し、拍子抜けしました。
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ここが発掘の最初の地点。その奇跡の偶然については良く知られているところなので、説明は省略します。
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現在も修復作業が行われています。
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定期的にテラコッタ像のほこりを払っている
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前面からの写真は見慣れているのであえて後ろからの全景
1号館、2号館、3号館のそれぞれを見て行くときりがないので兵馬俑はここまで。別のBLOGで扱う予定です。 -
次に来たのは傾国の美女で名高い楊貴妃と唐の第九代玄宗皇帝が贅を尽くして遊んだ華清宮へ
写真は比翼連理のイメージで仲良く楽し気な二人の姿の像です。
愛に溢れた二人の生活ぶりを現代人は好意的に評するが、当時の人々や歴史的な位置づけでは……
現代史上ではこの地は後に台湾に拠点を置いた蒋介石が張学良に監禁され、抗日運動で結束した国民党と共産党との合作が成立した重要な舞台でもあります。 -
入口から入ってすぐ目に入る芙蓉湖、長生殿背後の山(Lishan)にはロープウエイがほぼ頂上まで牽かれています。また下からの登山道もあります。
蒋介石が追っ手から逃れるために隠れた岩場穴や彼の救出を試みた飛行機や戦車などが中腹の日月亭付近にあることが分かったので、右ひざに不安を抱えつつそこまで往復してみることにしました。 -
楊貴妃の浴衣と半裸像。西欧的な体形の女性像だが、西安にはこれくらい大柄でグラマーな体形の女性が結構目についたので案外実像に近い体形かもしれない。(真相は?)
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楊貴妃が使用していたという風呂の址。他にも玄宗と楊貴妃のお世話係の人々が使用した長方形型の大きな風呂(pool)なども別棟にあります。
この地には天然温泉が湧いていますので、当時はそれらのお湯をふんだんに使って楽しんだのでしょう。
このお風呂の大きさは直径2メートルくらい、深さは1メートルくらいありました。 -
玄宗皇帝、楊貴妃がらみの建物にはあまり興味がなかったので次は現代史の舞台へと気がせいて慌てて日月亭を目指します。そんなに慌てる理由は何もなかったのに……
なぜ日月亭に向かったかというと、そこに抗日(日本の侵略に抵抗する軍事行動)で一致した国共合作の舞台となった建物や部屋などがそこにあると思ったからです。事前にもっと下調べをしておけばよかったのですが、ホテルへ戻ってから調べ直したら周恩来や蒋介石が使用した部屋や銃撃攻防戦があった場所などは楊貴妃の風呂のあった建物ののすぐ真裏にあった「五間庁」というところであると分かりました。せっかく150元も払って入った華清宮だったのに……下調べ不足露呈((+_+))
写真はロープウエイでも登れる斯家山(Lishan)の中腹にある日月亭へ通じる登山道です。歩行者は右側の階段を使用します。舗装坂道は専用自動車用です。途中でなくなります。
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登って行く途中からは秦始皇帝陵が垣間見えます。
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蒋介石派の軍事訓練用飛行機や戦車などが途中置かれています。このあたりで軍事訓練が行われていたようです。まさか飛行機はこんなところでは飛ばさなかったと思いますが……
蒋介石が軟禁された時その救出を試みたが、失敗したと説明書きにありました。 -
西安事変(Xi'an's incidents)の舞台となったことを記念shて造られたレリーフ。当時の状況がレリーフで図解されています。
西安事件(中国では「西安事変」と記している)の真相は今も謎とされているようです。国民党と共産党の武力対立(内戦)により蒋介石が毛沢東率いる共産党をかなりの程度まで追い込んでいた状況下で、張学良によるこの監禁事件がなかったなら、共産党の今日はないとさえ言われているようです。
それだけ、抗日運動の方が中国国内の対立よりも重要であったということのようです。まず抗日で連帯し、日本敗北後再び、国民党と共産党の対立となり、蒋介石側は敗北し、台湾へ。そして中国共産党の勝利。共産党政権国家樹立、以後今日に至るという訳です。歴史の大きな分岐点となった事件(事変)です。
張学良、蒋介石、周恩来らによって語られ合意に至った真相は?張学良、周恩来というヨーロッパ留学体験のあった二人の役割がとても大きかったのでは……
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事件当日武力衝突の事態を知った蒋介石が護衛兵たちと逃げ隠れた岩場。護衛兵たちは銃撃戦で死亡し、彼だけが隠れたという。急峻な岩場ですが、それほど奥行きは深くなかったかと思いますが、右ひざ痛のため登ってみることは断念しました。
蒋介石も絶体絶命の危機一髪という状況を潜り抜けていた人なのだと妙に感心しました。この西安事件での妥協?の功績を考えて毛沢東らは後に蒋介石を最後まで追い込まず、台湾に逃した?のかなぁ?とさえ思ったものです。周恩来の懐の深さがあったのかな?(根拠なき単なる想像です) -
舞台は変わって西安清真大寺です。街の中心である鐘楼、鼓楼近くの回民街の一角にあるイスラム寺院です。
シルクロードを経て長安の都にイスラム教が入って来たのはごく自然な流れ。といってもどんどん変形してやはりここまでくるとすっかり中国式回教寺院という風情となっています。
昔は移動に時間がかかる分だけ、文化の伝達もじっくりと時間をかけて微妙にその姿を変化させながら伝達していったのでしょう。
写真は入り口から入ってすぐの壁。文様が特徴的です。
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ブルーモスクという訳ではありませんが、屋根はターコイズブルーの本堂。中ではイスラム教徒が跪いて祈りを捧げていました。
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なぜか欧米人観光客の多い寺院です。西安城壁内西北部にこのほかにも広仁寺というイスラム的な要素も感じられる寺院(詳細は後に)があります。
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こちらは興慶宮公園の入り口です。ここには遣唐使学生として渡った阿倍仲麻呂の記念碑が立っていますので訪れてみました。
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公園内はあちこちで老若男女がグループを作ってダンスや健康体操に興じていました。この集団は黒いユニフォーム姿でダンスを。ちょっと不気味。グループによって色とりどりの服装で楽しんでいます。
この公園だけのことでなく公園という公園はどこでも同様の人々が集い踊ったり、体操したり、運動に興じています。、 -
遥か昔のエリート留学生阿倍仲麻呂の事績を記念した石碑です。その脇ではバトミントンに興じる人々が……
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「天の原ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」の歌が刻まれています。
観光客であっても月夜にここに来て月を眺めるとまた違った望郷の思いに駆られるかも知れません。 -
青龍寺です。と言ってもなじみのない寺ですが、我が国真言宗の開祖、空海ゆかりの寺です。
地下鉄3号線にも青龍寺駅ができましたが、わたしは市バスで行きました。バス停からだと坂道を登らなくて済みます。 -
楼の中には空海の事績を紹介した展示コーナーがあります。当時の遣唐使船の絵がありました。手漕ぎですから大変な苦役です。
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恵果より密教皆伝を授かる空海の銅像 日本の四国の人々の篤志家たちにより建てられたもの。
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境内には赤い願掛けのリボンが無数に結ばれています。中国の人々(特に恋人たち)にとっても人気の場所となっているようです。
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四国お遍路さんたちにとっては札所札は大切なものですが、この中国西安市の青龍寺は札番号零番として巡礼者の人々には貴重なものだそうです。
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地下鉄2号線南稍門から5分ほど歩いたところにある小雁塔です。8世紀の建立。高さ43,38m、14,15層は毀損崩壊とのことです。佛舎利とか経典の貯蔵用のパゴダ(塔)のようです。
大雁塔同様世界遺産に登録されています。 -
境内に花壇や樹木が多く、こじんまりとしてまとまった落ち着いた感じの境内です。大雁塔のある大慈恩寺と好対照です。感じの良い古刹です。
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寺院としては最後に広仁寺を載せておきます。城壁内北西部にあります。バスでは蓬湖路沿いにある玉祥門で下車してから城内へと戻り、壁を北向きにに沿って少し歩きます。
このお寺はチベット仏教(=ラマ教)寺院だそうです。清王朝康煕帝の御世18世紀の建立だそうです。 -
極彩色で飾られた内部。
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最後に完璧の語源ともなった長安の都の城壁を門ごとに載せておきます。一番立派な造りで観光客を呼んでいるのは南門と呼ばれる「永寧門」です。写真は場外側からの写真です。大変大きな広場には花壇が広がっています。
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こちらは西門(=安定門)です。シルクロードの出発点となった門です。地味ですが、当時のシルクロードへの出発点となるということで、立派な楼閣が付いています。
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城壁の外側にはこうしたお堀が囲むようにあります。
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城壁旧市街内部側からの南門(=永寧門)。ここが一番人気の高い門なので城壁へ上る切符が高く100元です。壁の上には上がりませんでした。
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最後に西門にあるシルクロードへの出発する象徴の像をアップして締めます。本レポート表紙のカバーの写真を少し離れたところから撮ったものです。
本レポートでは西安旧市街内および付近と郊外の兵馬俑、華清宮の景色を中心に各訪問箇所の紹介を取り急ぎざっとしてみました。個別のレポートはまた別のところでする予定です。交通機関利用法やその他便利情報などは口コミ欄に記してみたいと思います。
ここまで長い間お付き合いくださり誠にありがとうございました。
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