2017/05/14 - 2017/05/17
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kenichi291さん
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京都、葵祭見物をして来ました。先年桂離宮見学以来久々の上洛です。天気も良く楽しめました。1日目は青空が抜けるように綺麗だったので宇治平等院鳳凰堂を見学に。初めての宇治です。2日目は葵祭見物と北野天満宮御土居の青もみじを観賞。NHKブラタモリで紹介されて、御土居が結構人気らしいので訪れて見ました。3日目は八瀬・瑠璃光院の青もみじと詩仙堂、与謝蕪村の墓のある金福寺を見物。翌日は疲れたので早めの新幹線で帰京。今回は北野天満宮御土居の青もみじ八瀬瑠璃光院の青もみじと詩仙堂・金福寺です。写真は瑠璃光院の廊下に映る青もみじです。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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道真公の母君が大伴氏の出身であることから、伴氏社と言うのだそうです。御祭神は母君になります。
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楼門 楼門の上部に掛けられた額には、「文道大祖 風月本主」の文言が刻まれています。平安時代中期の学者・慶滋 保胤(よししげ の やすたね)、大江匡衡(おおえのまさひら)が菅原道真公を讃えた言葉です。年末に奉掲するジャンボ絵馬も、京の師走の風物詩として知られています。
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北野天満宮は、菅原道真公をご祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。天神信仰の発祥の地であり、親しみをこめて「北野の天神さん」、「北野さん」と呼ばれています。北野天満宮の創建は、平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らがここに神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされているそうです。
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天神さんの七不思議の一つ「筋違いの本殿(すじちがいのほんでん)」 参道の正面に本殿がそびえ立つ。というのが多くの神社で見られる光景ですが、当宮の楼門参道の正面には摂社の地主社が立っています。これは、もともとこの地には地主神社があり、のちに菅原道真公をおまつりする社殿を建てたという歴史的な理由から、本殿は地主社の正面を避けて建てられたそうです。
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三光門(重要文化財) 本殿前の中門で、日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれます。ただ、実際には星の彫刻はないとも言われ、「星欠けの三光門」として「天神さんの七不思議」に数えられています。
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社殿(国宝) ご祭神菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿、石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)です。現在の建物は慶長12年(1607)に造営されたもので、桃山時代の華麗な装飾とともに、歴史的に非常に貴重な建築とされています。
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天神さんの七不思議の一つ 唯一の立ち牛(ゆいいつのたちうし) 天神さまのお使いとして、境内には神牛の像や彫刻が数多くみられますが、これは菅原道真公が丑年生まれであったことと、大宰府でご生涯を閉じられた際、道真公の御遺骸をお運びする途中で車を引く牛が座り込んで動かなくなって、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しています。この伝説から神牛は臥牛(伏した牛)の姿であらわされていますが、一体だけなぜか立った姿の神牛が拝殿の欄間(らんま)に刻まれています。
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宝物館の展示を見せて頂く。
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青もみじ公開期間 平成29年4月15日(土)~5月31日(水)。ブラタモリで人気上昇中の史跡御土居の青もみじです。
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御土居の紅葉の碑か?入口の案内板かも。千宗室の書。お寺さんでいう檀家総代みたいなものでしょうか。
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菅公の歌碑。
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境内西側には、天正19年(1591)豊臣秀吉が洛中洛外の境界、また水防のため京都の四囲に築いた土塁「御土居」の一部が残り国の史跡に指定されており、現在でも自然林が残り、四季に応じ様々な美しさを感じることができる。 また御土居一帯にはおよそ300本、樹齢350年から400年にもなるもみじがあり、昨今では秋の紅葉で知られるが、初夏の青もみじの清々しい美しさもまた格別である。 舞台から見下ろす青もみじの木々、紙屋川にかかる鶯橋から見上げる、透き通るような芽吹いたばかりの新緑は、人々の心を癒してくれる。
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土塁「御土居」の上の遊歩道。
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御土居の上から天満宮を眺める。
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この碑は『菅家遺誡』から「和魂漢才」の語を含む二か条を記したものである。「菅家遺誡」は菅原道真の作といわれてきたが,現在は後世の偽作だとされている。「和魂漢才」の語は幕末から明治にかけて流行語となり,国学者のスローガンになった。北野天満宮には本殿の庭にも和魂漢才碑がある。碑文を揮毫したのは菅原家の後裔である東坊城聰長。
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御土居の断面は基底部が約20m、頂部が約5m、高さ約5mの台形状であったとされます。土塁の外側(西部一条通以南では内側)に沿って堀があり、その幅は10数m、深さは最大約4m程度であったそうです。これら堀の西側の多くは既存の紙屋川を利用し、また東部では鴨川を代用した。この土塁の出現により平安京では実施されなかった「羅城」が初めて実現したと言える。土塁のための土は膨大な量が必要だったと推測されるが、どのように調達されたのか未だ解明されていない。御土居の上には竹が植えられていたそうでブラタモリで紹介されて,結構俄かマニアでにぎわっているようです。
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河岸段丘を巧みに利用。自然の地形に盛土をした御土居。その後段丘の地下を掘削し、溜まった雨水を抜く水路とした。こういった地下水路は「暗渠(あんきょ)」と呼ばれる。「悪水抜き(あくすいぬき)」は安土桃山時代の暗渠。写真は排水口の現物。パックリ口を開けています。痕跡どころかバリバリ現役?御土居なき今となっては、役目はとっくに終えたはずですが。
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版築(はんちく)工法 版築は、古代から用いられてきた土木・建築工法で、土を突き固めて堅牢な土塁や塀を築造する技術だそうです。工法は版築を施工する部分を板などで囲み、枠を造り(現代でいう型枠のようなもの)、締固めに適した土(強度を高めるために礫や石灰等を混合する場合もある)を使用して、10cm以下程度の薄い土層に敷均した土を、タコ(突き固めなどに用いる木製の道具。)等の道具を使用して、何度も何度も叩き上げ、層を積み重ねていくもの。秀吉は土塁の上に竹を植えさらに強度を増したらしい。築城の天才らしい工事ですね。
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樹齢400年を超えるモミジの大木。
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青紅葉狩りと言った風情。
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樹齢600年の大欅。この地から天高く大宰府に東風を吹かせ続けているそうです。梅の香りも乗せて吹いているのかも?
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三光門の内側の彫刻。
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天神様の門前は花街。上七軒と言う辺りが程近く。売春防止法が施行されて赤線が廃止されたのは、1958年(昭和33年)。上七軒より揚代の安かった五番町には昔日の面影はまるでありません。ただ、引き取り手のない遊女の亡骸を葬った「投げ込み寺」と呼ばれた報土寺が、住宅街となりマンションの建つ町なかに、今もひっそりと残っています。そんな話を友人から聞いていたので立ち寄って見たいと思っていたのですが、昨日の宇治で16000歩、今日の京都御所と青もみじで10000歩。歩き疲れたので断念させて頂きました。行く前にネットで調べた所では表門と本堂が重要文化財となっているらしいです。内部拝観は要事前予約となっているらしいので次回上洛の折に訪れて見たいと思います。
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エクシブ京都 八瀬離宮 宿・ホテル
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今日は宿泊施設の和食で夕食。食べログ評価 3.64だったので。評価の要因にはコスパがあるかもしれません。料理はやすめのコースを選択。年を取ると風光明媚な絶景の写真よりも座るだけで撮れるこの手の写真についつい偏る傾向があるようで、あほと違うかと思われそう。
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先附け二種,
泡立つ順菜 新順菜と京丹後のフルーツ焼き玉蜀黍といくら醤油漬け。 -
焼き玉蜀黍といくら醤油漬け。
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吸物、玉露仕立て若狭ぐじ新茶蒸し。
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御造り 本鮪南蛮漬け鮪鯛松皮、煽り烏賊、縞鯵。
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黒毛和牛と蕗の飯蒸し。
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賀茂なすオランダ煮と芋茎。
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美山豆乳の東寺鍋。
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鱧源平寿司と泉州の水茄子漬け。
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抹茶のロールケーキ。
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食後のコーヒー。
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和食処棟は別棟。写真左横奥の宿泊棟からは遠くてかなりの距離がある。
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愛宕山の天然水。この近辺の山の伏流水と思われます。
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おぼろ豆腐。
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朝食は和食。三段重の松花堂のような造りでrす。
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各テーブルのお花は生花。
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瑠璃光院 拝観開始の午前10時前でも行列が出来始めています。ご住職が拝観のご案内をしています。
瑠璃光院 寺・神社・教会
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庭に出るのは禁止となっています。広い庭ではないのでしょうがないですね。拝観料2000円(写経代込)は、高いか安いかは、賛否両論と言った所。何とも言えません。
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かま風呂 日本式蒸し風呂の原型であり、「八瀬のかま風呂」の現存する希少な遺構。 見学が可能です。
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これが特別拝観の目玉、青もみじを映す座卓。二回の座敷にあります。
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磨き上げた廊下に映る青もみじも綺麗です。
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一階廊下の青もみじもなかなかの見物です。
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詩仙堂入口門。石川 丈山(いしかわ じょうざん、天正11年(1583年) - 寛文12年5月23日(1672年6月18日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人。もとは武士で大坂の陣後、牢人。一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。
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正しくは「凹凸窠(穴編に果)」(おうとつか)であり、「凹凸窠(穴編に果)」とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味だそうです。この「凹凸窠」の中心には、中国の漢晋唐宋の詩家三十六人の肖像を狩野探幽に描かせ、頭上にそれら各詩人の詩を丈山自ら書いて四方の壁に掲げた”詩仙の間”を中心としているところか「詩仙堂」とよばれているのだそうです。
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ここが発祥の地とされる、元祖「鹿威し」
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金福寺(こんぷくじ)は、京都市左京区一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺である。山号は佛日山。本尊は聖観音菩薩。 詩仙堂の少し南にあるこの寺には与謝蕪村の墓所があり、松尾芭蕉が滞在したとされ、芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって再興された芭蕉庵がある。また舟橋聖一著の「花の生涯」のヒロインである村山たか(村山たか女)ゆかりの寺として知られる。
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小小ん坊 (しゃしゃんぼ) 躑躅科の高木。葉は革質で固い。夏に長い壷状の白い花が咲く。秋に緑色の 実がなり、食べられる(次第に青く変わっていく)。実が丸くて小さいところから、この名前になったらしい。
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一条寺駅前の「キッチンアベ」で昼食。京都一のラーメン激戦区、ラーメン街道も近いんですが歩き疲れたので駅前のお店に入る。
キッチンアベ グルメ・レストラン
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冷麺を頂く。ラーメン激戦区だけにラーメン500円などコスパで対抗しているようです。
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今日の夕食は中華にしました。
中国料理 翆陽 グルメ・レストラン
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伝統の中国冷菜と旬菜を盛り込んだオードブル。
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フカヒレの上湯スープ。
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北京ダック 薄皮の蒸しパンに包んで頂く。
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蝦夷鮑と車海老のXO醤炒め。
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旬の野菜と京野菜 野菜で仕立てた華やかな一皿。
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黒毛和牛ロースト 香港風ステーキソース。
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冷やし担々麺。
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チャイニーズデザートプレート。
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朝食は今日も和食です。昨日とはメニューを変えてあります。
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湯葉鍋。
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京都駅に京都タワーが映っています。
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こちらが実物。
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京都伊勢丹で昼食。
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京都・神戸はパンのレベルが高いので楽しみの一つ。
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クラブハウスサンド。
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ミックスサンドイッチ。
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新幹線で帰京。殆どの田圃で田植えが終わっています。初夏ですね。
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エクシブ京都 八瀬離宮
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