2017/05/03 - 2017/05/04
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mistralさん
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2016年5月にロシアへ、同9月にポーランドへ旅をして
2017年5月にはどこへ?と考えていたところ
夫からベルリンへ行ってこようとの提案があった。
夫はかつて統一前のベルリンを訪問していて、ある知人の
ドイツ人の奥様から、統一後のベルリンへは是非一度
行っておくべきだとアドヴァイスされていたらしい。
その数年来の想いがかなうこととなった。
mistral自身はといったら、どうしてもヨーロッパは南方に
足が向いてしまいがちであり、ほっておいたら再びフランス、
イタリア、スペインなどに向かっていたかもしれなかった。
ドイツも南半分は行ったことがあるが、ベルリンは未訪問。
こうしてベルリンへの旅の計画が始まった。
もしかしたらロシア、ポーランドの旅の延長線上にペルリン
があったのかもしれなかった。
まずはベルリンへ行くのだとしたら、mistralにとっては
マストの地、ペルガモン博物館見学までの旅行記です。
(表紙写真はペルガモン博物館、イシュタール門)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月3日の羽田
こいのぼりの飾り付けが。
LH715便 羽田 12:35 発
ミュンヘン 17:40 着 -
ラウンジにて休憩後
-
登場ゲートへ
-
ミュンヘンにて乗継
LH2050便 ミュンヘン 19:00 発
ベルリン 20:05 着 -
ベルリン テーゲル空港(TXL)にて
空港を離れる前に、21時まで開いているという
ツーリスト・インフォーメーションを探し回り
やっと3日間有効のミュージアムパスをゲットして
市内へ向かうバスを待つ。
TXL番のバスにて
中央駅まで向かう予定だった。
(乗車券は自販機にてABゾーンを購入、2.8ユーロ)
中央駅からはタクシーにてポツダム広場にある
ホテルに向かった。 -
5月4日 朝
7階のホテルの窓越しからも
肌寒そうな雨の様子が伝わってくる。 -
分断された地域となっていたポツダム広場は
統一後に再開発され
今では新都心的な存在となっている。
ホテルはThe Ritz Carlton, Berin。
ここに3泊し、1泊はライプツィヒに移動
最後にもう1泊する。 -
歩き出したら、想像以上に肌寒かったので
一旦ホテルに引き返し
更に重ね着をして
ブランデンブルグ門を目指して
歩き始めた。 -
ユダヤ人犠牲者記念館のある
広場を右手にみながら進む。
記念館は10時からの開館。 -
ブロックエリアのみを見ながら
進んでいく。
2711本あるというコンクリート製ブロックは
虐殺されたユダヤ民にささげられた記念碑であり
なんだか棺のようにも思えてしまう。 -
このエリアの地下に
情報センターがあるようだ。
地上部分は無名の人々のお墓のようでもあるが
地下にある情報センターには
犠牲となった方々についての生きた記録が
示されているようだ。 -
アンぺルマンの信号。
ここベルリンの信号は
意識して早足で歩かないと
渡りきれないうちに
赤に変わってしまうのでご用心を。 -
ブランデンブルグ門の建つ
広場に出てきた。
1788から91年にプロイセン王国の凱旋門として
アテネの神殿の門を見本にして建設された。
ドイツ古典主義建築の傑作。 -
門の上
勝利の女神と4頭立ての馬車カドリガは
1806年、ナポレオンがプロイセンを破った折
パリへ持ち去ってしまっていたが
1814年、ベルリンへ戻された。
勝者側の論理は、いつの時代も
どこであっても通用してしまう。 -
東西ドイツ分裂時代は
この門の周辺に壁が築かれていた。 -
最初に目指していたのは
森鴎外記念館。
開館時間は10::00~14:00と短い。 -
建物入り口のドアは
施錠されているので
左手の呼び鈴を押すと
開錠される。 -
フンボルト大学付属の記念館。
日本語に堪能な現地スタッフの方
(日系の方?)
が出迎えて下さった。 -
鴎外がベルリン留学中(1887~88年)に
滞在していたアパートの建物に
記念館が設けられている。 -
内部は撮影禁止。
鴎外の部屋を再現したコーナーや
直筆原稿、手紙類
関連の書籍などが
びっしりとおさめられている。 -
当日は日本人訪問者が
3組ほど。
mistralは特別希望していたわけではなかったが
どなたも多分、同伴者が
鴎外の作品のかつての愛読者たちであり
その熱意にほだされての来訪のような気が。 -
ウンター・デン・リンデンの大通りに戻り
フンボルト大学前を通過中。 -
この大学も数奇な運命をたどっている。
19世紀、プロイセン王国が根幹となりドイツ帝国が成立、
その首都の大学として政府の支援も受け発展。
1933年、ナチスが政権を取ると、ナチスの教育機関と化し、
34年にかけて250人のユダヤ系の教授が解雇され、学位も剥奪された。
ドイツ敗戦後は、ソ連占領地域である東ベルリンに位置していた為、
ソ連占領当局によって大学統制が強化されていた。
後に反発する学生、研究者たちにより、
1948年、西側占領地域にベルリン自由大学が創設。
ドイツ民主共和国(DDR)の崩壊まで、厳格な思想統一の元に置かれていた。 -
博物館の島を通り越し
やがてマリエン教会、更にその奥には
テレビ塔が見えてきた。
森鴎外の小説、舞姫で主人公、太田豊太郎が
美少女エリスと出会う場所がこのマリエン教会と
されている。 -
広場にある噴水
Neptunbrunnen -
-
やっとベルリンテレビ塔を見上げる地まで到着。
このテレビ塔の入場券を購入するには、時として
かなりの待ち時間を覚悟しなくてはいけないとの口コミが多数あった。
塔の入場について時間指定ティケットを捜してみた。
時間指定ができるのはVIPティケット。
(First View Ticket 19.50ユーロ)
このティケットがあると、展望台プラス一つ上のフロアにある
レストランの窓際の席が自動的に予約扱いになるとのこと。
ただ当日のお天気の予想まではできなかったので、雨の中
展望台に上がることになっても仕方なかった。 -
更に展望レストランのティケットは
12時に予約してあった。
結局、これらの予約はテレビ塔の予約サイトからでなく
VIATORという会社を通して予約した。
予約内容はそれぞれが持つe-ticketのバーコードに
盛り込まれている。
私たちの予約はテレビ塔の入場、レストランの食事を含め
一人9700円ほどだった。
写真は帰る際撮影した
セキュリティチェックの様子。
入場する際には
このチェックに結構時間がかかっていた。 -
当日もかなりの数の見学者がいたが
12時にレストランの予約があることを告げると
多少の列を飛ばして前へ入れて下さった。
テレビ塔の高さは368m。
エレベーターで203mの所にある
展望台まで一気に上がっていく。
そこから更に4m上にある展望レストランへ。
写真は上昇中のエレベーターから上部を
見上げたところ。 -
間もなく
窓際の席へ案内された。 -
予約されていた食事の内容は
2コースのランチ(前菜またはデザートとメイン料理)
2杯のワイン
1杯の温かい飲み物
ミネラルウォーター
がセットされていた。 -
スターターとして注文した
奥がトマト風味のポタージュ
手前は牛肉のカルパッチョ -
メインはそれぞれ
鱒のグリルを。
ワインは赤と白をお願いした。 -
食事中、
レストランはゆっくりと回転しながら
ベルリンを360度見渡していく。 -
-
雨模様のため
遠くが霞んで見えるのが残念だった。
窓には見渡せる建物の名前が記されている。 -
ここまでずっと歩きとおしてきたので
時間をかけてゆっくり食事をし
疲れもとっていった。
早く食事をしていたグループは大体が終わり、
私たちの後から入場した人たちが
後方にまだ食事をされている。 -
3時から
ペルガモン博物館の入場予約を
とってあったので、
2時過ぎに再び歩き出した。
左手に見えるのは大聖堂。 -
シュプレー川の中州となっている
博物館の島に入ってきた。
ここには5つの博物館が集まっている
ことからこの名がある。 -
-
3日間有効となる
ミュージアムパスは前日、テーゲル空港にある
ツーリストインフォーメーションで購入してあった。
(一人29ユーロ)
ペルガモン博物館は人気があるため
入場待ちの長蛇の列の時があるという。
やはり博物館のサイトで入場時間を予約済み。
時間の予約のみなので、その際は支払金額は発生しない。
ただ予約画面になると、ドイツ語となってしまい
適当に予約したので大丈夫か自信がなかった。
前日のツーリスト・インフォの方に
見ていただいたら
Perfect! これでパスと一緒に出せば
OKと言われ、安心していた。 -
博物館には3時前に到着。
当日は雨のせいか?入場待ちの行列はほとんどなく
予約プリントは使わず、パスのみで入場した。
古代ギリシャ、古代バビロニア、ヘレニズム期を
取り扱うこの美術館の特徴は
館内に再現されている古代建造物の数々。
ただ残念なことに
古代ギリシャ、ペルガモンから発掘された
ゼウス大祭壇が展示されているエリアは
2019年頃まで改修工事中であり
現在見られるのは東側部分のみ。 -
古代都市バビロニアのイシュタール門
新バビロン王国のネブカドネザル二世により建造された。
(現在の中央イラクに位置している。)
青の彩釉煉瓦が鮮やかで
シリシュという想像上の動物も描かれている。
(獣の体に鳥のような足、蛇のような首を持っている) -
-
イシュタール門から続く
行列通り
紀元前の
壮大な景観が再現されている。 -
ライオンの行列が続いている。
上下に続くお花の模様が美しい。
獅子はイシュタール女神の象徴であり
女神はメソピタミアの女神で
空と戦争と性の守護女神だったそうだ。 -
-
以下の写真は
気になったものを順次撮影していったため
説明がないものもあります。 -
-
祭壇の一部分
敷石の模様 -
-
-
-
-
石棺から出てきた
副葬品 -
Ashurnasirpal II 宮殿内浮き彫り
BC883-859
ライオン狩りは当時の王様の
特権だった。 -
ライオンと
馬たちのリアルな表情 -
-
-
-
多分
高貴な身分の方の副葬品? -
-
-
-
小アジアの古代都市ミレトス
にあった市場門。
(ミトレスはトルコにあったギリシャの植民地の街) -
この展示品は1909年に発掘されたもの、
AD220年ごろ造られたものと考えられている。
第二次世界大戦中爆撃を受け破壊したが
何度かの修復を受けて今に至っている。 -
4日の予定は次の旅行記に
まだ続きます。
結構ハードな1日!
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この旅行記へのコメント (10)
-
- わんぱく大将さん 2017/05/22 07:19:58
- 今年のヨーロッパは
- mistralさん
お久しぶりです。今回はベルリンでしたか。 今年のヨーロッパの天候は不順で、イースター過ぎると、冬のようになり、5月に入っても肌寒かったように思います。BCNでも雨が多く、私も仕事場に行く道中、傘は持っていましたが足元が絞れるくらい濡れ、ソックスをはかずに仕事をしていたら、風邪をひいてしまいました。でも、先週の終わり位にやっと夏がやってきたという感じでした。
ベルリン、そうですね、私も機会があれば一度行ってみたいなと思っていましたが。
ミュージアムのイシュタ―ル門の彩釉煉瓦の青のきれいなこと。今年流行りのブルーに似ていますが、こちらのほうがもっときれいな色です。(最近コーチのト―トバックの青を買ったのですが、思った色ではなく、違う色に替えていただきました。商品広告の色に騙されましたが、又、自分で何年写真やってるんだと情けなくなりました)
副葬品のセンスと色合いもいいですね。 今でも通用するデザインにも感心します。
というか、そういうものからインスピレーションを得たものが今のモノですよね。逆でした。
大将
- mistralさん からの返信 2017/05/24 12:52:44
- RE: 今年のヨーロッパは
- 大将さん
こんにちは。
天候不順、世界規模で起こっているようですね。
日本でも5月というのに真夏日の毎日だったり、、、
高齢者にとって暮らしにくい日々です。
雨の降りかたも半端ないほどの激しさですね。
コーチのトートバッグ、青は新作だったのでしょうか?
イメージとかけ離れていて、残念なことでした。
青、には何故かこころ惹かれます。
イシュタール門の青は古代の人々が作りだした青で
格別の色合いのように思いました。
再現を試みたとしても、全く同じ色を作り出す事は
難しいのでしょうね。
心の中に抱いている青のイメージは、きっとさまざまで
だからこそ、イメージでない青のバックの交換は
正解でしたね。
大将さんのイメージの青は、どんなかしら?と
メッセージを読みながら思いました。
mistral
>
> お久しぶりです。今回はベルリンでしたか。 今年のヨーロッパの天候は不順で、イースター過ぎると、冬のようになり、5月に入っても肌寒かったように思います。BCNでも雨が多く、私も仕事場に行く道中、傘は持っていましたが足元が絞れるくらい濡れ、ソックスをはかずに仕事をしていたら、風邪をひいてしまいました。でも、先週の終わり位にやっと夏がやってきたという感じでした。
>
> ベルリン、そうですね、私も機会があれば一度行ってみたいなと思っていましたが。
> ミュージアムのイシュタ―ル門の彩釉煉瓦の青のきれいなこと。今年流行りのブルーに似ていますが、こちらのほうがもっときれいな色です。(最近コーチのト―トバックの青を買ったのですが、思った色ではなく、違う色に替えていただきました。商品広告の色に騙されましたが、又、自分で何年写真やってるんだと情けなくなりました)
> 副葬品のセンスと色合いもいいですね。 今でも通用するデザインにも感心します。
> というか、そういうものからインスピレーションを得たものが今のモノですよね。逆でした。
>
> 大将
-
- yunさん 2017/05/14 18:32:03
- ベルリンの街
- mistralさん こんにちは
GWはベルリン訪問されたのですね。
第二次世界大戦中のナチス存在、さらに東西分断という重荷まで背負ったにもかかわらず現在ではEU内で安定し、リーダー格を務めるに至った国。
国民性が勤勉なのでしょうね。
ベルリンはちょっと古風な雰囲気で好きです。
テレビ塔の上部は回転する! う〜ん、知りませんでした。
ペルガモン博物館は「バビロニアの青」が印象的。
ゼウス大祭壇がクローズで残念でしたね。
祭壇へ上る大きな階段に見学者が皆座って、展示を見上げていたのを覚えています。
よその国からこんなに遺跡を持ってきちゃって…と、訪問時は思いました。
今の世情だと、ベルリンにあればこそ護られたのかもしれません。
ベルリンの街 mistralさんの視点を楽しみにしています。
yun
- mistralさん からの返信 2017/05/15 08:55:08
- RE: ベルリンの街
- yunさん
おはようございます。
この連休、yunさんは何処に?など
考えてました。
お会いしたことがないのに、いつもつながりを感じるのは
不思議です。
その前にブルターニュの旅行記が、、、
お待ちしてますよ。
巨石群との出会いはいかがでしたか?
ベルリン、訪問されていたんですね。
戦禍ののち、あれほどまでの復興を成し遂げたのは
勤勉な国民性によるのでしょうね。
それでも旧東ドイツ側はちょっと違う、重厚な印象を受けました。
背後にある歴史の違いが感じられました。
ペルガモン博物館では特に
おっしゃるように中東の情勢を思うと
ここに運ばれていて良かったね!と思いました。
異国に運ばれて、そこで組み立てられ
遺跡たちは違和感を感じていたのかもしれませんが
暴力的な破壊行為を受けるよりはずっと
ましなことでした。
色々なことを想いながら旅をしてきました。
mistral
> mistralさん こんにちは
>
> GWはベルリン訪問されたのですね。
>
> 第二次世界大戦中のナチス存在、さらに東西分断という重荷まで背負ったにもかかわらず現在ではEU内で安定し、リーダー格を務めるに至った国。
> 国民性が勤勉なのでしょうね。
>
> ベルリンはちょっと古風な雰囲気で好きです。
>
> テレビ塔の上部は回転する! う〜ん、知りませんでした。
>
> ペルガモン博物館は「バビロニアの青」が印象的。
> ゼウス大祭壇がクローズで残念でしたね。
> 祭壇へ上る大きな階段に見学者が皆座って、展示を見上げていたのを覚えています。
>
> よその国からこんなに遺跡を持ってきちゃって…と、訪問時は思いました。
> 今の世情だと、ベルリンにあればこそ護られたのかもしれません。
>
> ベルリンの街 mistralさんの視点を楽しみにしています。
>
> yun
>
>
-
- beachさん 2017/05/14 00:26:09
- おかえりなさい♪
- mistralさん
ベルリンはいかがでしたか?
テレビ塔も行かれたのですね。私が行けなかった場所の写真もあり興味深く読ませて頂きました(^-^)
早速また、行きたくなってきました!
旅行記の続き楽しみにしています!
beach
- mistralさん からの返信 2017/05/14 19:58:21
- RE: おかえりなさい♪
- beachさん
こんばんは。
早速のご投票とコメントまでありがとうございました。
おかげさまで五月のベルリンを堪能してきました。
いつもながらの慌ただしい旅でしたが。
同時期にbeachさんはアイルランドへ。
私は、憧れながらなかなかチャンスが訪れてきません。
ベルファストの市章、可愛らしいですね。
道端を彩るハリエニシダの黄色も
とっても癒されますね。
続きが楽しみです。
mistral
> mistralさん
>
> ベルリンはいかがでしたか?
> テレビ塔も行かれたのですね。私が行けなかった場所の写真もあり興味深く読ませて頂きました(^-^)
> 早速また、行きたくなってきました!
>
> 旅行記の続き楽しみにしています!
>
> beach
>
-
- ヴェラnonnaさん 2017/05/13 21:47:36
- いよいよ ベルリン記の 始まりですね。
- mistralさん
こんばんは。
ベルリン と聞くと 東西に分割されていた 不幸な歴史・・・崩壊前に 新聞などで
読んでいた 恐るべきシュタージの実態 や 映画「善き人のためのソナタ」などで
描かれた 妻をも夫をも 信じられない 密告社会構造などを 思い描き すごく
ナイーブになってしまう 私です。
以前 ドイツの ノイウルムから 大阪に観光に来られた 女性と
一緒に 名所を案内したことがあり その時も 崩壊後 しばらくの間は 東ドイツ出身と
いうと かなりの差別を受ける と 言われていました。
そんな マイナーな ベルリンの印象を mistralさんの旅行記で
払拭したいと 思います。
次の旅日記 お待ちしております (^。^)ノ~~~
- mistralさん からの返信 2017/05/14 19:46:00
- RE: いよいよ ベルリン記の 始まりですね。
- ヴェラnonnaさん
こんばんは。
早速のコメントまで、ありがとうございました。
ヴェラnonnaさんはご帰国後、いち早く旅行記、アップされましたね〜
さすがです!
> ベルリン と聞くと 東西に分割されていた 不幸な歴史・・・崩壊前に 新聞などで
> 読んでいた 恐るべきシュタージの実態 や 映画「善き人のためのソナタ」などで
> 描かれた 妻をも夫をも 信じられない 密告社会構造などを 思い描き すごく
> ナイーブになってしまう 私です。
ベルリンの壁、崩壊当時の私は、世界情勢にはあまり関心が持てず
突然の出来事にも今ひとつピンときていませんでした。
その後、春江一也さんの、プラハの春、ベルリンの秋、など読み
東西両陣営で繰り広げられる情報戦、シュタージの存在などなど
慄然としながら読み進めた記憶があります。
> 以前 ドイツの ノイウルムから 大阪に観光に来られた 女性と
> 一緒に 名所を案内したことがあり その時も 崩壊後 しばらくの間は 東ドイツ出身と
> いうと かなりの差別を受ける と 言われていました。
差別もあったんですね。
経済格差もかなりのものでしたね。
> そんな マイナーな ベルリンの印象を mistralさんの旅行記で
> 払拭したいと 思います。
払拭していただけるかはわかりませんが
ポーランドもドイツも、勤勉な国民性の故か
街並みは綺麗に整えられていました。
ただ過去に起こったことの記憶は忘れてはならない、という姿勢も
強く感じました。
> 次の旅日記 お待ちしております (^。^)ノ~~~
ありがとうございます。
私も大好きな街、ウィーンの旅行記、続きを楽しみにしております。
mistral
-
- マリアンヌさん 2017/05/13 15:32:05
- ベルリン
- mistralさん、こんにちわ。
GWはドイツに行かれていたのですね。
森鴎外記念館などあるのですね。
舞姫とかうたかたの記など懐かしいなぁ。
私もうたかたの記からルートヴィッヒ王やノイシュバンシュタイン城に憧れた口です。
ところで1996年にツアーで訪れました。
古代都市バビロニアのイシュタール門とそれに続く通りまで持って来ちゃったんだと驚いたことをおぼえています。
当時はまだ壁が壊れてからそうたってなかったせいかウンターデンリンデン通りでしたっけ?の裏はボロボロでした。
続き楽しみにしています。
マリアンヌ
- mistralさん からの返信 2017/05/13 22:55:54
- RE: ベルリン
- マリアンヌさん
こんばんは。
早速のご訪問、コメントまでありがとうございました。
マリアンヌさんも連休を利用され、どこぞ、イタリアの?へ
旅立たれていたご様子。
今はその旅行記アップのご準備中でしょうか?
> 森鴎外記念館などあるのですね。
> 舞姫とかうたかたの記など懐かしいなぁ。
> 私もうたかたの記からルートヴィッヒ王やノイシュバンシュタイン城に憧れた口です。
>
> ところで1996年にツアーで訪れました。
> 古代都市バビロニアのイシュタール門とそれに続く通りまで持って来ちゃったんだと驚いたことをおぼえています。
マリアンヌさんというとイタリアのイメージが強いのですが
あのルートヴィッヒ王に憧れられ、、、
ベルリンもご訪問されていたんですね。
> 当時はまだ壁が壊れてからそうたってなかったせいかウンターデンリンデン通りでしたっけ?の裏はボロボロでした。
それも壁崩壊後しばらくは、街の中はさぞかし荒れ果てていたことでしょう!
今となってはすっかり様変わりしていて、きっと驚かれることと思います。
> 続き楽しみにしています。
私もマリアンヌさんの連休の旅行記を楽しみにしていますね。
mistral
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