2017/04/22 - 2017/04/22
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名古屋のmisakoさん
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名古屋市中区、中村区の神社仏閣の御朱印めぐりをしました
まだ御朱印をいただいていない神社仏閣をまわってみました
御朱印がないところもありましたが10種の御朱印が集まりました
名古屋総鎮守の若宮八幡社は以前御朱印いただいたので今回は立ち寄りませんでした
半日で、伏見駅から約4km徒歩、市バス(洲崎神社から若宮)、地下鉄(八田から伏見、上前津から栄、栄から八田)利用し、ドニチエコきっぷ600円で周ってみました
泥江縣神社(ひじえあがたじんじゃ)
御朱印あるようですがいただいてません 名古屋市中区錦1-7-29
御祭神:応神天皇・神功皇后・三女神
創建:清和天皇の貞観元年(859)に、豊前国宇佐(大分県宇佐市)の八幡宮の分霊として勧請(名古屋市教育委員会)
白龍神社
御朱印1枚 名古屋市中村区名駅南一丁目8番14号
御祭神:高おかみ神(たかおかみのかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと)
創建:慶長八年(西暦1603年)
洲崎神社
御朱印1枚 名古屋市中区栄1
御祭神:素戔鳴尊(すさのをのみこと)
五男三女神
稲田姫命(いなだひめのみこと)
「広井天王」や「牛頭天王」とも呼ばれ、江戸時代、洲崎の天王祭は東照宮時代祭と並ぶ2大祭であった。
洲崎神社のはじまりは、太古この地は入り江で洲崎になりこのところに地神(くにつかみ・「石神」)が祀られており同神の導きにより、平安時代初期に素戔鳴尊が奉祀され、「広井天王」または「牛頭天王(ごずてんのう)」と呼ばれていた。境内も広く椋(むく)・榎が密生し椋の森ともよばれ、その創建は貞観年中で名古屋城築城前からの御鎮座であった。(パンフレットより)
政秀寺
御朱印ないようです 愛知県名古屋市中区栄3丁目34-23
臨済宗妙心寺派の寺院、瑞雲山と号す。
天文22年(1553)、織田信長が、自分の素行不良をなげいて諌死した平手政秀の菩堤を弔うため、小牧山の南、政秀の領地小木村に創建し、沢彦和尚を開山とした。
寺は天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いで焼失。その翌年清須に再興され、慶長15年(1610)清須越で現在地に移設された。
本尊は木造十一面観世音菩薩坐像である。政秀の墓はかつて本寺にあったが、今は名古屋市の平和公園内政秀寺墓地に移されている。(HPより)
三輪神社
御朱印2枚(8日は特別朱印あり、2017.5/8は大神神社参拝のため朱印不可) 名古屋市中区大須3-9-32
御祭神:大物主神、徳川義宜公
元亀年間(1570~1572)奈良桜井三輪町から小林城(現在の矢場町交差点辺り)に移った牧若狭守長清が深く崇敬する生まれ故郷大和三輪山に大物主神(大国主神・大黒様)を鎮め祭ったと伝えられています
寛文8年(1668)尾張徳川家が京都の蓮華王院(三十三間堂)で威信をかけて競った通し矢の修練場(三十三間堂を模した長廊)矢場が当神社の境内に造られこの界隈を「矢場町」と呼ぶのも、ここに矢場があったことに由来します。
徳川時代には尾張八代藩主宗勝公を始め歴代藩主の崇敬が厚く供御米五斗(およそ九十リットル)が奉献され、明治時代になり尾張藩十六代藩主義宜公(1864年~1871年)が合祀される。(HPより)
万松寺
御朱印6枚 名古屋市中区大須3丁目29-12
宗派:曹洞宗系の単立寺院
万松寺は470年以上の歴史を持つ寺院です。
天文九年(1540年)尾張一円を領していた古渡城主、織田備後守信秀公(織田信長の父)が、織田家の菩提寺として開基しました。
御本尊は十一面観世音菩薩。
開山は信秀公の伯父の大雲永瑞大和尚。正式の寺号は亀嶽林(山)萬松寺。
(HPより)
春日神社
御朱印なし 名古屋市中区大須3丁目46-34
御祭神:武みかづちの命、経津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神
創建:天暦2年
朝日神社
御朱印あり今回は時間外のためもらえず 名古屋市中区錦三丁目22番21号
御祭神:天照皇大神、天児屋根命
創建:慶長16年清洲より現在地に移築遷座
豊臣秀吉公の妹君であり、徳川家康公の正室、朝日姫様の氏神様
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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泥江縣神社
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拝殿
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拝殿内部
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錦稲荷社
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菅原天神社、秋葉社
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小槌で魚の版木をたたくと神さまが気づくと言われています
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蛭子社
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堀川納屋橋の乗船所、サムライクルーズなど予約で乗船できます
定期ゴンドラ体験乗船会が4/22,4/23の11-16時に行われていました
乗船大人500円小人(小学校)300円
5月は堀川フラワーフェスティバルに合わせて5/13,14,20,21,27,28の土日11-16時に乗船会が行われる予定だそうです、要予約 -
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納屋橋乗船場
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白龍神社
当神社は現在、名古屋市中村区名駅南(旧町名 内屋敷町)に鎮座する。
社伝では、慶長八年(西暦1603年)、この地域は、古くは国広井郷と呼ばれ、南北に流れる清流の江川があった(現在は地下流)。その川に架かる橋(柳橋)の辺りの村に熱病が流行する。しかし、 「此の美しき良き所に大神をお祀りすれば、萬民の苦疫を救い、幸をたれ給う。」とのご神示が下った。
始めは、江川の傍にある柳の木の下に祠を建て、人々が崇め拝むようになる。その後、柳の寿命は終え、当時近くそびえる、いちょうの木へ大神様が移られ、引き続き御神木として、人々の崇敬が広まり、更なる大神様の御神徳が現わされ、いつの頃からか、二柱お神を総して「白龍様」「白龍さん」と親しまれるようになる。
その後、第二次世界大戦時には、空襲にいく度か合うが、神社と御神木は戦災を逃れた。
戦後、都市計画が施行され、社を約八十米ほど南(現在地)に移転、御神木を昭和三十三年に移植、御本殿を昭和三十七年に造営、御遷座し現在に至る。(HPより) -
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サトザクラが満開でした
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本殿
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白龍神社社務所
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御神木の銀杏の木
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洲崎神社
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本殿
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石神鳥居をくぐって難関突破
石神
布都御魂(ふつのみたま)
道祖神:猿田彦命(さるたひこのみこと)天鈿女命(あめのうずめのみこと) -
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白龍龍寿大神
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洲崎神社もお守り多数あります
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政秀寺
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本堂
明治24年(1891)濃尾地震により本堂、庫裡等がことごとく倒壊し、その後三年間かけて修繕が行われました。また周辺では、濃尾地震で、裏門前町の万年寺、門前町の性高院、金沢町の全性寺、東本願寺別院茶所が倒壊しています。
愛知県防災局防災危機管理課歴史地震記録に学ぶ防災・減災サイトHPより) -
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三輪神社
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八の字にくぐって三倍のご利益がある『三輪鳥居』
鳥居は三輪鳥居あるいは三ツ鳥居と呼ばれ
明神鳥居(笠木と島木の両端がそりあがり曲線になっている)の両脇に鳥居を持つ珍しい作りとなっています。
三輪鳥居の正式な通り方で通れば御利益は3倍です。 (HPより) -
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本殿
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赤い鳥居をくぐると
福光稲荷社
《御神徳》商売繁盛
(HPより) -
縁結びの木赤い糸でご縁を結ぶ『縁結びの木』
当神社の御祭神は大物主神(大国主神)縁結びの神様として、お力の強い神様です。 御神木である「縁結びの木」は、樹齢450年と推定される「くすのき」です。 「くすのき」の語源は「薬の木」と言われる説があり病気、害虫から守ると されているためこの木に手を当ててご縁を願えば、良きご縁のみが頂けます。
良縁には、男女の縁、家族の縁、友人の縁、仕事の縁、学校の縁など色々なご縁が あります。
この木に深いご縁を頂くために、「赤い糸」を結び願い事をされて行かれる方や その赤い糸に5円玉を結んで行かれる方も見受けられます。
(HPより) -
幸宮社(秋葉社、津島社、猿田彦社合祀)
《御神徳》家内安全 開運厄除け
(HPより) -
白龍社
《御神徳》開運隆昌 金運守護
(HPより) -
目標(良縁)を射抜く『尾張藩の矢場跡』
寛文8年(1668)尾張徳川家が京都の蓮華王院(三十三間堂)で威信をかけて競った通し矢の修練場(三十三間堂を模した長廊)矢場が当神社の境内に造られこの界隈を「矢場町」と呼ぶのも、ここに矢場があったことに由来します。
徳川時代には尾張八代藩主宗勝公を始め歴代藩主の崇敬が厚く供御米五斗(およそ九十リットル)が奉献され、明治時代になり尾張藩十六代藩主義宜公(1864年~1871年)が合祀される。(HPより) -
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神様のお使いのうさぎををなでて福をいただく『幸せのなでうさぎ』
御祭神の大物主神は大国主神と同一と言われ、神話「因幡の白兎」で有名な うさぎの石造を設けています。 このうさぎは神様のお使いであり、なでることで幸福が頂けます。
また、なでた部分の痛みを取って頂けるとも言われています。 うさぎはとても縁起のいい動物と昔から言い伝えられ、 ぴょんぴょん跳ねることから運気を上げ、また長い耳は福を集めるとされています。 (HPより) -
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本殿
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大須万松寺
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本堂
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本堂
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御深井観音
尾張徳川家初代藩主義直公の夫人春姫様の守護仏 -
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こちらが日本最古に属する仏足石
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春日神社
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本殿
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奈良の春日大社の創建にもかかわりのある神社でした
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広小路朝日神社前
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朝日神社
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拝殿
御祭神
天照皇大神、天児屋根命
由 緒
伊勢の神宮の神領地(御園)であった、清洲城下、朝日郷に鎮座されていたが、名古屋城の築城に伴い、慶長16年の夏、特に徳川家康公の請願により、正室、朝日姫様の氏神様である当神社を城下町碁盤割りの守護神として、氏子共々本丸の真南の現在地に移築遷座された。
城下町碁盤割りの唯一の神社として、清洲越しの士民の崇敬をあつめた。
広小路の起こり
特に万治3年(1660年)の大火により、この碁盤割りのことごとが焼失し、武家屋敷にも類焼したため、防火帯として、道路(当時の道幅は参間)の拡幅(15間幅)を行なった。これが今の広小路通 りである。
それまで神社仏閣の境内で行なわれてきた、小屋掛けの芝居や見せ物等の興行、露店もこの広小路通 りで行なうことが奨励された為、人の集まる所となり、広小路通りが一大繁華街となり、当神社の門前町となった。(HPより) -
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(左)公孫樹龍神社
(中)秋葉社・金刀比羅社
(右)天神社
(左)戸隠社・春日社
(右)八幡社 -
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