2017/03/22 - 2017/03/23
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ブランメル伊達さん
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2017年4月より関東に転勤となった.
しばし東北を離れるので沿岸部の復興状況を確認してみた.
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
久慈での仕事を終え片付けも完了.
関東へ赴く前に仙台へ寄る.3時間半東北道経由ではなく沿岸45号を南下する.
野田村の十府ヶ浦海岸.
防潮堤も切れ目がなくなり海が見えなくなっている.十府ヶ浦海岸 自然・景勝地
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野田村の十府ヶ浦海岸の南の水門工事個所.
45号の迂回は継続中. -
野田村下安家.
45号と三鉄の橋梁が見える. -
普代村の水門.45号を離れ大田名部,北山崎経由で島の越へ向かう.
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田野畑村明戸の防潮堤.
完成していて天端部分の県道が通れるようになっていた. -
明戸の完成した防潮堤の海側には震災で損壊した旧防潮堤の一部が遺構として残されていた.
ここは通常生活の場から目に付く所ではないのでいいと思う. -
三鉄田野畑駅付近にかつて三鉄の車両をモチーフにした水門があった場所.
破壊された水門は撤去されて更になっていた.
新たな水門が建造されるのだろう. -
宮古市の宮古港.
港湾施設は比較的早い段階で復旧している.
近くの海の駅でマグロ丼を食す. -
宮古港で見られた防潮堤.
鋼管の杭を打ち込んで工場製作されたコンクリートの壁をはめていくハイブリット防潮堤だ.幅を取らず,比較的短期でできる工法だ.
鉄屋さんの売り込み勝ちかな.
高いので確かに海は見えなくなる. -
宮古市金浜地区の防潮堤.
こちらは土地があるので緩傾斜堤だ.
震災の教訓(波で洗われる)でコンクリートで被覆されるようになった.
こちらもブロック屋さんの売り込み勝ちだな.
現場打ちより早くできる. -
山田町の山田漁港.
港の工事はほとんど終わっている.
いい天気だ. -
山田漁港付近の防潮堤.
こちらはまだまだ工事中.
宮古港と同じ形式の防潮堤. -
山田町では45号線に戻っている.
国道沿いにあるこの駅にはいつも寄ってしまう.
三鉄への移管が決まっているJR山田線の宮古-釜石間の駅.
車両の到着をいつまで待つのか,本州最東端の駅の看板.岩手船越駅 駅
-
大槌町の旧大槌町役場.
綺麗に盛土され区画整理されている市街では異端の存在.
遺構にするか議論が続いている.
ここは周囲に家が建ちそうなので残さない方がいいと思うが. -
旧役場の写真を撮って場所で振り返ってもう1枚.
これから街が出来ていきます. -
釜石市に入る.
釜石湾と大観音が見える高台(鉄の歴史館の近く)より.
震災で倒壊した津波防波堤が見える.
いい天気だ. -
釜石港の津波防波堤(湾港防波堤)の北堤.
だいぶ工事が進んであと1年ほどで終わると思われる.
ただ最初の建造期間を考えると7年でも十分早いと思う. -
大船渡市に入る.釜石-大船渡間は三陸道がだいぶできているので所要時間がかなり短くなっている.
写真は野々田地区.ここは2年半ぶりに来たが見違えるほど盛土され,新しい建物(ルートインなど)が建ち始めている. -
イチオシ
大船渡港の津波防波堤(湾港防波堤).
新沼謙治のふるさとの看板が立つホテルの前より撮影.
こちらの防波堤はこの3月完成の式典が行われ,復旧を遂げた. -
防波堤のアップ.
いい天気だ. -
陸前高田市に入る.
2011年5月に岩手沿岸部を走った際に一番衝撃だった4階まで津波が被った定住促進住宅.
確か奥にもう1棟あったと思ったが解体されているので,この1棟だけが遺構になる模様.
陸前高田は盛土された場所や高台に街ができるはずなので,ここは住宅街にはならないと思うが,高い箇所からは見通しがきく位置ではある. -
陸前高田の盛土.
3年前にベルコンで山からドカドカ盛られていたもの.
既にベルコンは撤去され,街づくりが始まる段階だ.
ただ道路(45号線)は低い位置なので,その様子は伺えない.
続いて宮城県へ入る. -
気仙沼市に入って広田湾に面する荒谷前海岸.
防潮堤が完成している. -
気仙沼市街に入り復興屋台村.
盛土造成のためこの3月に閉鎖された模様.
気仙沼を元気にした場所の一つである.
何度か食事をしたな.復興屋台村気仙沼横丁 グルメ・レストラン
-
イチオシ
気仙沼港の埠頭に置かれているアーチ桁.
大島架橋のメインとなる鋼桁だ.
奥には非旋回式起重機船の富士.
この翌週に大島と本土が結ばれた.
その様子はこのほどNHKで富士の人たちの働きぶりとともに放映された.
いい番組だった. -
気仙沼港でもハイブリット防潮堤.
山田,宮古に続いて.
採用している場所が結構ある.
この日はここまでで気仙沼に宿泊.
居酒屋で海鞘を食す.美味しい海鞘もしばらく食べられなさそうだ. -
日付変わって南三陸町志津川へ移動.
この3月に仮設だった「さんさん商店街」が盛土上に常設に. -
平日にも関わらず多くの観光バスが.
これを継続的に続けるのが大変だ.
それにこの日は5軒の海鮮店のうち2軒が休みだった(*_*; -
商店街の八幡川を挟んで西側には盛土に囲まれた旧防災庁舎.
大川小とともに津波被災の象徴となった建物で震災遺構となることが計画されている.
ただ2年半ぶりの訪問だったが,劣化防止のために塗装がし直されていて当時の面影が皆無になってしまっていた.原爆ドームも当然保持のために補修等されているが,外見をなるだけ変わらないような努力がされている.こうなってしまては残す意味にも疑問が.住民の方々は撤去の方が多いのが現状なので. -
商店街の南側の展望台より.
街のいたる箇所が盛土され昔の道路のみが残されている.
奥には震災前から建つ高野会館?は残っている模様. -
志津川から戸倉,旧北上町経由で旧大川小学校に.
4回目の訪問だが,初めて誰もいない状況だった.
写真も初めて撮らせてもらった.
「記憶の風化」ということが頭に浮かぶとともに,人は忘れるものだということも改めて感じた. -
旧大川小からそのまま沿岸の旧雄勝町区域に.
ここも4年ぶりくらいか.
一部復興関連の建設施設の除いてかつての住宅街には何も建っていない.
3階建ての屋上に観光バスが乗っていたのはもう6年も前になるのか. -
女川町に入る.2年前に復旧したJR女川駅.
初めて訪問.
やや山側にバックしたのかな.
今は仙台に直でいける列車もあるようだ. -
女川駅前に伸びる新たな街並み.
観光用の飲食店のみなならず,通常の生活のための商店街のここにある.
ニュースでみた街びらきのころよりは人が減っていたのは気がかりではあるが(直前に見たさんさん商店街の対比も含めて). -
女川の駅前からの街並み.奥には女川湾.
この区域以外はまだまだ工事の真っ最中である. -
震災以降の女川交番の看板.
-
女川交番の横転している建物.
津波の浮力で基礎の杭ごと抜けてしまったそうだ.
女川は住宅地が高台になるので,ここに遺構として残すのはありだと思う. -
志津川で海鮮が食べそこなったので,女川のこちらのお店で海鮮天丼を食す.
とても旨し. -
石巻の市街に移動.
津波襲来時に陸の孤島と化した日和山の南の東浜の海岸部.
工業地帯で交通量の多い臨港道路の脇に防潮堤の一部が完成していた.
図面で目にしていたものが実現しているのを見るのは今の仕事をしている中で大きな喜びの一つである. -
石巻市西浜地区に作られた津波避難タワー.
立地している造船会社の一角に建てられた.
これも鉄屋さんというのは野暮で,使用されないことを切に願う. -
東松島市の野蒜地区に移動.
ここは太平洋と松島湾の両方から津波に襲われた場所だ.
高台が切り開かれ,新しい街が作られてJR仙石線も路線変更して新しい野蒜駅が作られている.開業して間もなく2年となる. -
野蒜駅のホーム.
奥には古い野蒜駅(被災し現在は「震災復興伝承館」となっている).
そのさらに奥に太平洋(野蒜海水浴場付近). -
新しい街のMAP.
名前は「野蒜ヶ丘」!.
古い地名がどんどん変えられる風潮(希望が丘だの恵み野とか,語弊があれば失礼)の中,まんまなのが笑えた. -
新しい野蒜ヶ丘の街並み.
これから住宅が建っていく段階である.
関東に来てしまったが遠くない時期に再訪すること決意し投稿する.
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この旅行記へのコメント (2)
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- melonpanさん 2017/10/08 21:54:42
- 8月末に被災地を巡りました。
- 早く行って御参りしなきゃと思いながらも、やっと孫を含めて家族と出掛けて来ました。被災から6年も経過して居るのに出掛けて被災の大きさを見ると仕方がなくテレビ画面より生で被災地を見る事の必要性を感じてきました。
陸前高田の松林では1本だけが残った「1本松」に行くと被災した水門や集合住宅などがそのまま残っていました。
被災の大きさに涙が止まりませんでした。
貴重な多く被災地写真を添付して頂きありがとうございます。
- ブランメル伊達さん からの返信 2017/10/09 22:46:13
- RE: 8月末に被災地を巡りました。
- こんばんは.
ご丁寧にどうも.
まぁ私自身厳密な被災者じゃないっすから.
社命であちこち行きましたが食うには困りませんでした.幸運です.
ホントの被災者の方々は茫然自失で泣いている人なんていなかったんじゃないですかね.
あと残念ながら人の記憶は風化します.
仙台ですら中心部にはもう震災が6年前にあったとは思えないような日常があります.幸せなことなんでしょうが.
被災地の写真掲載は自己紹介にもある通り備忘録の一部ですので他意はないはありません.
たまたま昨日半田のミツカンの蔵の辺りに行きました,すごい人ですね.
今後とも見させていただきます.
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