2016/10/14 - 2016/10/28
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jijidarumaさん
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≪ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
第7日:10月20日(木) 118km、小雨・曇天、寒い一日7.0~11.5℃
13:10コッヘムを出発し、モーゼル川から離れ、ひたすら北上した。
雨も強まり、7℃と低くなって寒々しい。
途中、工事中などでMendigメンディヒの町中を迂回したが、45kmの距離もまずまずの走りで14:00にはMaria Laachマリア・ラーハの駐車場(Euro2)に入った。
走行距離計はそろそろ1,000kmに達する969kmを示していた。
写真は湖畔ホテルから見るマリア・ラーハの景観
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
この地方はアイフェル地方と呼び、Ahrアール、Rheinライン、Moselモーゼルに囲まれた地域である。
つまり、アイフェルの南がモーゼル川、東はライン川、北はその大部分がAhrgebirgeアールゲビルゲの丘陵地と称され、アール川が流れている。
西はベルギーとルクセンブルクのアルデンヌ高地に隣接している。
写真は「ゲノフェーファ」伝説:関係図 -
イチオシ
<Abtei Maria Laachマリア・ラーハ僧院>
D-56653 Maria Laach
http://www.maria-laach.de/
14:00~15:40 11.5℃
Eifelアイフェル地方のMendigメンディヒという町があるが、その町から北4kmにあるLaacher See ラーハ湖の南西に立つBenediktinerklosterベネディクト派の僧院である。
1093年から1216年、湖と共に在る僧院としてPfalzgrafen Heinrich II. von Laachプファルツ宮中伯ハインリヒ・ラーハ2世と妻Adelheidアーデルハイトによって建てられた。
1859年、13世紀からの大回廊を改装した。見事な西の入口、いわゆる“パラダイス”はアルプスの北における唯一のものとして評価が高い。
“パラダイス”の中央に“Loewenbrunnenライオン=命の泉”がある。6塔あるラーハ大聖堂はアーチ型のバシリカをもつ後期ロマネスク様式の僧院教会で、ドイツにおける最も素晴らしい建築の一つとされている。
写真はマリア・ラーハ僧院の秋マリアラーハ修道院 寺院・教会
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写真はKloster Maria_Laachマリア・ラーハ僧院の800年記念ドイツの切手
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山間の僧院の周辺はきれいに色づき始めています。駐車場から傘をさして数分歩くと、大きな僧院が目の前にそびえ立つ。いわゆる“パラダイス”と称される入口から院内に入る。
写真はマリア・ラーハ僧院の正面 -
聖母マリアとミラの聖ニコライを祭る僧院教会には迫力ある聖母マリアとミラの聖ニコライを祭る僧院教会には迫力あるキリストのモザイク画のある大聖壇が見られ、聖歌隊席、キリスト教の歴史を描いたステンドグラス、聖画、円天井の聖母マリア、15世紀の夕べの祈り・ピエタ像、地下のKryptaクリプタなどなどが見られた。
写真はキリストのモザイク画のある大聖壇 -
とりわけバジリカのガラスの中に、13世紀の僧院建設者であったプファルツ宮中伯ハインリヒ・ラーハ2世が木彫りを施した蓋で覆った石棺に生きるがごとく、大事に敬われていたのが印象的であった。
写真はプファルツ宮中伯ハインリヒ・ラーハ2世の石棺 -
イチオシ
お茶:マリア・ラーハのSeehotel湖畔ホテル・Restaurant "Seespiegel鏡湖"で
D-56653 Maria Laach 、Am Laacher See
http://www.seehotel-maria-laach.de/
14:50~15:30 Euro18(2,320円)
1865年創業、僧院教会附属のホテルは4星・全69室と中規模、現代的なホテルである。
ラーハ湖畔に面したホテルで、美しい庭園を眺めながらお茶を楽しみました。
今日の飲み物はKaennchenケンシェン(ポット)でダージリンの紅茶4.9X2=Euro9.8、この日のケーキはケーキのショーケースまで行って注文、いろいろとあって目移りしたが、結局食べ慣れているリンゴと木苺3.5X2=Euro 7にしました。
美味しいケーキに十分な量の紅茶、にこやかなスタッフのサービスも良く、満足でした。
写真は湖畔ホテルから見るマリア・ラーハの景観ゼーホテル マリア ラーハ ホテル
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写真は湖畔ホテルから見るマリア・ラーハの景観
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今日の飲み物はKaennchenケンシェン(ポット)でダージリンの紅茶、
ケーキはリンゴと木苺にしました。
写真は湖畔ホテルのレストランでお茶 -
写真はマリア・ラーハ僧院Abtei Maria Laach, von Fritz von Wille, フリッツ・ヴィレ、1908年作の絵
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ラーハ湖の周辺一帯2000haは自然保護地域になっている。
写真はマリア・ラーハの俯瞰 -
写真はマリア・ラーハ僧院の景観
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写真はマリア・ラーハ僧院所蔵の1800年以前の絵
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≪シューマンが完成・上演できた唯一のオペラ『ゲノフェーファ』について≫
伝説「ゲノフェーファ」はドイツのアイフェル地方のラーハ湖周辺に起源を持ち、この湖一体周辺に伝説に絡んだ話が残っているそうだ。
この伝説はヨーロッパ中に流布した伝説で、他の伝説にも影響を与えていると云われている。
グリム兄弟の『ドイツの物語』にも収録されている(Nr. 538)。
なぜか日本語には訳されていないと云う。
写真はラーハ湖周辺のゲノフェーファ伝説に関連する場所の図 -
写真は『ゲノフェーファ』:岩浪版、ヘッベルの『ゲノフェーファ』吹田順助訳、昭和26年第2刷・・・現在の発音表記と異なるが、同じもの。
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≪伝説:『Genovevaゲノフェーファ』とシューマンのオペラ≫
ドイツの作曲家Robert Alexander Schumannロベルト・アレクサンダー・シューマン(1810~1856年)のオペラは
Ludwig Tieckルートヴィヒ・ティーク(1773~1853年)の『Leben und Tod der Heiligen Genoveva聖女ゲノフェーファの生と死』(1820年作)と、
Christian Friedrich Hebbelクリスチャン・フリードリヒ・ヘッベル (1813 ~1863年)の戯曲『Genoveva. Eine Tragoedieゲノフェーファの悲劇』、全5幕(1843年作、ハンブルク初演)をもとに作られた。
1850年の6月25日に、ライプツィヒの国立歌劇場でシューマン自身の指揮で行われたが、評判は芳しくなく、大きな成功を収めることはできなかったと云われている。
・・・
写真はPortrait_of_Robert_Schumannシューマン自画像 -
『ゲノフェーファ』悲劇、全5幕 Christian Friedrich Hebbel (1813 - 1863)
Genoveva. Eine Tragoedie in fuenf Akten. Hoffmann & Campe, Hamburg, 1843. 劇はおおむね伝説に従っている。
第1幕 宮中伯ジークフリート出征、家臣ゴロー(ジークフリートの友人)はゲノフェーファ妃に恋心を抱く。無茶な冒険。
第2幕 城内の生活、迷い込んだユダヤ人。
第3幕 ゴローの乳母カタリーナとその姉マルガリータ(魔女)の登場、ゴローのゲノフェーファ妃への告白と妃の拒絶。
第4幕 牢に入れられた妃、子を産む。陰謀は進みマルガリータは宮中伯に幻影を見せる。
第5幕 森の中で妃と子は処刑されかけるが逃れる。ゴローは破滅する。
幕番号なしの「後のゲノフェーファ」が続く。七年後の森、狩で森に来た宮中伯と再会。
シューマンが実際にオペラとして取り組んだのは2曲だが、このうち『海賊』は未完であり、『ゲノフェーファ』(作品81)のみが完成した。
しかし、唯一のオペラである『ゲノフェーファ』も、優れた場面はあるものの、音楽・台本に一貫性を欠いており、親しまれているとは言い難い。(Wiki)
写真はオペラ『ゲノフェーファ』 -
Schumann:Genoveva Overture 、Munch & BSO (1951)
シューマン ゲノフェーファ序曲 ミュンシュ
https://www.youtube.com/watch?v=2bx0dgmUT5Y
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写真はAltar der Fraukirch (17. Jahrhundert) mit Darstellung der Legende
聖母教会(17世紀)の聖壇画に聖女ゲノフェーファ伝説が描かれている。 -
「夫ジーグフリートが十字軍に参加した留守に新妻ゲノフェーファは不倫をしたと風説を流され、いたぶられ、処刑寸前の祈りで、虚言とわかり、聖女と讃えられた」
写真はHensel_Genovefa Gustav Schwab: Die deutschen Volksbuecherドイツの民話集に描かれた聖女ゲノフェーファ -
写真はValerio_Castello作の絵:The_Legend_of_Saint_Genevieve_of_Brabant17世紀
聖女ゲノフェーファ(ブラバント家の娘)伝説の絵(17世紀) -
写真は『森の孤独の中のゲノフェーファ』(リヒター作、1841年:ハンブルク美術館)
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写真はゲノフェーファと鹿、森の動物:モーリッツ・フォン・シュヴィント作の絵、19世紀
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写真は宮中伯ジークフリートと妃ゲノフェーファと伝えられる石棺はFraukirchフラウキルヒ(聖母教会)、Mendigメンディヒにある。
伯爵妃ゲノフェーファの生没年は730? - 750? ブラバント公(Herzog)の娘で宮中伯ジークフリートの妃という記述がある。14世紀初頭のマリア・ラーハ修道院での記録である。修道院の南10kmに位置するメンディヒのフラウキルヒ(聖母教会)の1325年の免罪符に記載された聖女ゲノフェーファ伝説がマリア・ラーハで筆写されたと云う。 -
上では全5幕を記したが、他に全4幕ものも有って、こちらは筋が分かりやすく、参考に記させて頂いた。
《ゲノフェーファ》(初演1850年)の全4幕分
第一幕
730年頃の話、イスラム教徒のムーア人がフランク帝国に攻め込んで来たのでジーグフリートは出征する。
妻ゲノフェーファは悲しみの余り失神した。留守中の面倒を頼まれていたゴローは驚いて介護するが、彼女の魅力に耐えられず、唇を吸い、体の愛撫までしてしまう。
彼女が目覚めて、気まずい思いをし、ゴローは悩む。この場面を見ていたゴローの乳母マルガレータ(実は母)はジーグフリートを殺し、ゲノフェーファを息子のものにしようと企み、息子に策略を話す。
出征の場面で30分かかり、神のため静かな祈りが捧げられる。(この戦いは異教徒にたいするレ・コンギスタであるのを強調している。)次のゴローとゲノフェーフェァのやりとりは5分程度、マルガレータは陰謀を10分ぐらいで語る。
写真はGenovevaburgゲノフェーファ城ゲノフェファブルク城 城・宮殿
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第二幕
主がいないのをいいことに、召使は馬鹿騒ぎをしている。
彼女の閨室にゴローが来て、勝利を伝える。二人はゴローの得意な歌をデュエットで歌うが、途中ゴローは歌詞をすりかえ、ゲノフェーファへの愛の告白をし、失神のとき、既に接吻をしたと告白する。
彼女は毅然として「下劣もの」とののしり、これを転機にゴローの愛は憎しみへと変る。
ドラーゴ(家令)は召使の騒ぎを治めようと分け入り、「女主人の不倫が騒ぎの元」と知る。ゴローと相談すると、彼は振られた腹立たしさに謀ごとを企み、ドラーゴに「事実を確かめること」を助言する。
ドラーゴは信じて閨室のベッド下に潜む。ゴローは、悪仲間と寝室に入りこみ情人を探索する。このため舞台は薄汚い人々が現れ、ゲノフェーファの清潔さが侵される。悪党3人とドラーゴとが出会い、ドラーゴは一切の罪を着せられて殺され、ゲノフェーファは罪人として雪崩れ込んだ下人に担ぎだされ、処刑のため森に運ばれる。
他方マルガレータはジーグフリートの毒殺を計画していることをゴローに告げる。
写真はGenovevaburgゲノフェーファ城:正面 -
第三幕
戦地に近いアルザス・ストラスブールで傷を癒すジーグフリート、看病する変装したマルガレータ、傷口に毒をぬるが、効果はない。彼女は夫から妻への手紙を握りつぶしている。
魔法を使う彼女は彼に魔法の鏡で3日以内の出来事を見せる。
興味本位でみたジーグフリートは最後の1日ゲノフェーファとドラーゴがベッドに入っているのが写り、彼は怒って鏡を壊す。
その破片から殺されたドラーゴの霊が現れ、マルガレータに「お前は魔女として火焙りの刑に処せられるだろう」と予言。マルガレータは混乱する。
そこに現れたゴローにジーグフリートは結婚指輪と剣を与え、ゲノフェーファに見せろという。
写真はGenovevaburgゲノフェーファ城のGoloturmゴロー塔
尚、ゴロー塔は34mの高さがあり、塔の下部で3.7mの厚い壁になっていて、塔の直径は10.34mもあると云う。 -
第四幕、
ゲノフェーファは森の処刑場に連れてこられ、悪党2人に綱をつけられた彼女が引き回される。ゴローは彼女に指輪と剣をみせ、ジーグフリートの命令だと知らすが、彼女はジーグフリートを信じると訴える。
ゴローは身を許せば釈放するというが、彼女は拒否、処刑されるそうになるが、十字架にしがみついて最後の祈りを捧げているとき、軍隊の帰還ラッパがなり、マルガレータが全容を告白して殺され、ゲノフェーファの無実が証明される。
XXXXX
写真のStadt Mayenマイエンの町は人口18千人・・・町の中央にGenovevaburgゲノフェーファ城が見える。
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