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世界遺産に登録されたばかりの群馬の境町島村新地の田島弥平旧宅とそれに関連する埼玉の深谷の渋沢栄一生地と尾高惇忠生家を車で訪れました。<br /><br />(見た目は普通の農家ですが、何故、世界遺産になった理由)<br />何故、明治時代の日本の養蚕が世界的に評価され、世界遺産にまでなったかという事は、当時、ヨーロッパの養蚕事業が病気の為、壊滅的になり、日本の蚕種(蚕の卵)が良種という事で注目されました。後で紹介しますが、そのため、ここ新地の田島弥平や田島弥三郎等が蚕種を持って、明治初めヨーロッパに行き日本の蚕種が良種である事を明らかにし、ヨーロッパの養蚕事業が復活しました。日本の優良な蚕種を生産する技法である清涼育(ここ島村新地で考案されました。)が日本から世界に広まったという事で世界遺産に選ばれた理由だそうです。なお、ここ新地は蚕種の販売でお金が入り、そのお金で江戸より学者を呼び学問所を開きました。その為、幼少時の深谷の血洗島の渋沢栄一もここ新地に学問を習いに来ていました。<br />{旅程}<br />①7/23(水)<br />自宅6:50-国道17ー熊谷・深谷バイパスー旧中山道ー牧西で右折8:30島村に着き、<br />1)島村蚕のふるさと園(P)-畑の中を歩いて、境島小学校の敷地内の<br />2)田島弥平旧宅案内所(ビデオ上映9:00-展示資料解説9:10-現地ガイド9:30(約30分)です。(ガイドさんはたまたま、旧宅に住んでおられる田島英雄さんでした。)<br />3)島村蚕種業績碑 島村見本蚕園 田島弥平顕彰碑を見て、旧宅に入ります。<br />4)東門 香月楼跡 新蚕室跡 別荘 井戸 主屋 番犬のモン吉 鳥居 石燈篭 氏神様  貞明皇后行啓記念碑 桑場 表門より外に出て、他の建物を見ます。<br />5)桑麻館(氏神様) 進水館 宗盛館 群馬埼玉県境 有隣館 對青盧等を見学し、案内所に戻ります。<br />6)田島弥平旧宅案内所の資料館を詳しく見ます。<br />7)車で利根川の島村渡し舟 島村教会を見て、深谷に向かいます。<br />(深谷は埼玉県なので次のブログに分けました。)<br />

2014年(平成26年)7月 群馬(世界遺産(田島弥平旧宅))と埼玉(深谷(渋沢栄一生地と尾高惇忠生家)を訪問します。

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2014/07/23 - 2014/07/23

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世界遺産に登録されたばかりの群馬の境町島村新地の田島弥平旧宅とそれに関連する埼玉の深谷の渋沢栄一生地と尾高惇忠生家を車で訪れました。

(見た目は普通の農家ですが、何故、世界遺産になった理由)
何故、明治時代の日本の養蚕が世界的に評価され、世界遺産にまでなったかという事は、当時、ヨーロッパの養蚕事業が病気の為、壊滅的になり、日本の蚕種(蚕の卵)が良種という事で注目されました。後で紹介しますが、そのため、ここ新地の田島弥平や田島弥三郎等が蚕種を持って、明治初めヨーロッパに行き日本の蚕種が良種である事を明らかにし、ヨーロッパの養蚕事業が復活しました。日本の優良な蚕種を生産する技法である清涼育(ここ島村新地で考案されました。)が日本から世界に広まったという事で世界遺産に選ばれた理由だそうです。なお、ここ新地は蚕種の販売でお金が入り、そのお金で江戸より学者を呼び学問所を開きました。その為、幼少時の深谷の血洗島の渋沢栄一もここ新地に学問を習いに来ていました。
{旅程}
①7/23(水)
自宅6:50-国道17ー熊谷・深谷バイパスー旧中山道ー牧西で右折8:30島村に着き、
1)島村蚕のふるさと園(P)-畑の中を歩いて、境島小学校の敷地内の
2)田島弥平旧宅案内所(ビデオ上映9:00-展示資料解説9:10-現地ガイド9:30(約30分)です。(ガイドさんはたまたま、旧宅に住んでおられる田島英雄さんでした。)
3)島村蚕種業績碑 島村見本蚕園 田島弥平顕彰碑を見て、旧宅に入ります。
4)東門 香月楼跡 新蚕室跡 別荘 井戸 主屋 番犬のモン吉 鳥居 石燈篭 氏神様 貞明皇后行啓記念碑 桑場 表門より外に出て、他の建物を見ます。
5)桑麻館(氏神様) 進水館 宗盛館 群馬埼玉県境 有隣館 對青盧等を見学し、案内所に戻ります。
6)田島弥平旧宅案内所の資料館を詳しく見ます。
7)車で利根川の島村渡し舟 島村教会を見て、深谷に向かいます。
(深谷は埼玉県なので次のブログに分けました。)

同行者
家族旅行
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 田島弥平旧宅東門

    田島弥平旧宅東門

  • 田島弥平旧宅

    田島弥平旧宅

  • 香月楼跡

    香月楼跡

  • 新蚕室跡

    新蚕室跡

  • 主屋と新蚕室を結ぶ廊下の跡(軒下の形が特徴的です。)

    主屋と新蚕室を結ぶ廊下の跡(軒下の形が特徴的です。)

  • 主屋(ガイドの田島英雄さんが住んでいるため、中は非公開です。)(幕末から明治にかけて優良な蚕種を生産する技法である清涼育を体系的に完成させた田島弥平旧宅で、1863年に建てられ1Fは住居 2Fは開放的な蚕室 瓦葺の屋根に櫓と呼ぶ換気の為の窓を設けたもので養蚕農家の原型として全国に広まりました。)

    主屋(ガイドの田島英雄さんが住んでいるため、中は非公開です。)(幕末から明治にかけて優良な蚕種を生産する技法である清涼育を体系的に完成させた田島弥平旧宅で、1863年に建てられ1Fは住居 2Fは開放的な蚕室 瓦葺の屋根に櫓と呼ぶ換気の為の窓を設けたもので養蚕農家の原型として全国に広まりました。)

    田島弥平旧宅 名所・史跡

  • 桑場室

    桑場室

  • 右は主屋と石燈篭と鳥居

    右は主屋と石燈篭と鳥居

  • ガイドの田島英雄さんが飼っている番犬のモン吉です。(当時10歳で2003年12月25日生まれで黒い顔に先祖のヨークシャーテリアの特徴が残る雑種犬です。)

    ガイドの田島英雄さんが飼っている番犬のモン吉です。(当時10歳で2003年12月25日生まれで黒い顔に先祖のヨークシャーテリアの特徴が残る雑種犬です。)

  • 主屋の軒下の屋号「遠山近水村舎」です。

    主屋の軒下の屋号「遠山近水村舎」です。

  • 貞明皇后行啓記念碑

    貞明皇后行啓記念碑

  • 鳥居と氏神様

    鳥居と氏神様

  • 表門と左は桑場

    表門と左は桑場

  • 境町新地を参加者とゆっくり歩きます。

    境町新地を参加者とゆっくり歩きます。

  • 桑麻館(田島弥平の本家の田島武平旧宅です。)

    桑麻館(田島弥平の本家の田島武平旧宅です。)

  • 田島武平旧宅の氏神様

    田島武平旧宅の氏神様

  • 田島武平旧宅の氏神様

    田島武平旧宅の氏神様

  • 進水館(幕末頃の築く)

    進水館(幕末頃の築く)

  • 新地地区養蚕農家群

    新地地区養蚕農家群

  • 栄盛館(1861年頃 築)

    栄盛館(1861年頃 築)

  • 群馬埼玉県境(境界線は住宅の中を通っています。)

    群馬埼玉県境(境界線は住宅の中を通っています。)

  • 有隣館(1868年築)

    有隣館(1868年築)

  • 有隣館(1868年築)

    有隣館(1868年築)

  • 對青盧(1866年築 主屋の北東隅に顕微鏡室があります。)

    對青盧(1866年築 主屋の北東隅に顕微鏡室があります。)

  • ここで江戸より学者を呼び学問所が開かれていた所です。幼少時の渋沢栄一も通って来ていました。

    ここで江戸より学者を呼び学問所が開かれていた所です。幼少時の渋沢栄一も通って来ていました。

  • 田島弥平旧宅を表門側より見ます。(左が桑場 中央が表門 右が別荘)

    田島弥平旧宅を表門側より見ます。(左が桑場 中央が表門 右が別荘)

  • 島村教会

    島村教会

  • 田島弥平旧宅案内所の資料館を詳しく見ます。<br />田島弥三郎は田島弥平と共にヨーロッパに行きました。<br />因みに、田島弥四郎(当時、島村の村長でした。)は私の曽祖父に当たる人です。

    田島弥平旧宅案内所の資料館を詳しく見ます。
    田島弥三郎は田島弥平と共にヨーロッパに行きました。
    因みに、田島弥四郎(当時、島村の村長でした。)は私の曽祖父に当たる人です。

  • 勿論、私の父(明治42年生まれ)も島村の出身ですが、その当時の小学校の卒業写真です。何処かに写っているかも知れません。

    勿論、私の父(明治42年生まれ)も島村の出身ですが、その当時の小学校の卒業写真です。何処かに写っているかも知れません。

  • 当時の島村の田島家の事を書いた文章です。

    当時の島村の田島家の事を書いた文章です。

  • 田島弥平や田島弥三郎達がヨーロッパ訪問の時の日記の本です。

    田島弥平や田島弥三郎達がヨーロッパ訪問の時の日記の本です。

  • 田島弥平や田島弥三郎達がヨーロッパ訪問の時の日記の本です。

    田島弥平や田島弥三郎達がヨーロッパ訪問の時の日記の本です。

  • 文献

    文献

  • 島村渡し舟(利根川を渡ります。)

    島村渡し舟(利根川を渡ります。)

  • 昭和36年9月10日<br />父と境村新地の旧宅跡に訪れました。(祖母の葬式の納骨のため)

    昭和36年9月10日
    父と境村新地の旧宅跡に訪れました。(祖母の葬式の納骨のため)

  • 昭和36年9月10日<br />旧田島弥四郎宅跡地です。まだ、土塀が残っていました。

    昭和36年9月10日
    旧田島弥四郎宅跡地です。まだ、土塀が残っていました。

  • 昭和36年9月10日<br />旧田島弥四郎宅跡地です。(戦前まで、田島弥平旧宅のような家があったそうですが、戦争で兵隊の宿舎の為に何処かに移築されました。敷地内を群馬埼玉の県境が通っていましたが、主屋が群馬県側にあった為に群馬県の住所になっていました。)

    昭和36年9月10日
    旧田島弥四郎宅跡地です。(戦前まで、田島弥平旧宅のような家があったそうですが、戦争で兵隊の宿舎の為に何処かに移築されました。敷地内を群馬埼玉の県境が通っていましたが、主屋が群馬県側にあった為に群馬県の住所になっていました。)

  • 平成5年5月4日<br />父84歳 母74歳の時、家族で島村を訪れました。(その時は、ここが世界遺産になるとは思ってもみませんでした。)<br />菅原神宮前で(この裏にお墓があります。)

    平成5年5月4日
    父84歳 母74歳の時、家族で島村を訪れました。(その時は、ここが世界遺産になるとは思ってもみませんでした。)
    菅原神宮前で(この裏にお墓があります。)

  • 平成5年5月4日<br />父親の母校境島小学校を訪れました。<br />

    平成5年5月4日
    父親の母校境島小学校を訪れました。

  • 平成5年5月4日<br />利根川の渡し舟の所です。(小さい頃、利根川を泳いで渡ったと話していました。)

    平成5年5月4日
    利根川の渡し舟の所です。(小さい頃、利根川を泳いで渡ったと話していました。)

  • 平成5年5月4日<br />本庄の本庄市立歴史民俗博物館にある旧田村本陣表門(父の家が本陣の家にお金を貸しましたが、返せず返済の為にこの門を島村の家に持ってきました。父の幼少時、この門に登って遊んでいたそうです。)

    平成5年5月4日
    本庄の本庄市立歴史民俗博物館にある旧田村本陣表門(父の家が本陣の家にお金を貸しましたが、返せず返済の為にこの門を島村の家に持ってきました。父の幼少時、この門に登って遊んでいたそうです。)

    本庄市立歴史民俗資料館 美術館・博物館

  • 平成5年5月4日<br />本庄の本庄市立歴史民俗博物館にある旧田村本陣表門

    平成5年5月4日
    本庄の本庄市立歴史民俗博物館にある旧田村本陣表門

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