2017/03/26 - 2017/04/04
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azianokazeさん
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エジプト2日目は南部ヌビア途方のアスワンへ移動 アスワンハイダム、イシス神殿、切りかけのオベリスクなどを観光 遺跡観光もさることながら、アスワン市内のスーク(マーケット)散策も面白いものがあります。
表紙写真は、アスワンのスークを歩く女の子達。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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3月28日朝のピラミッド 宿泊ホテル「スフィンクス ゲストハウス ギザ」からの眺めです。
大都市カイロの排気ガスのせいか、ピラミッドがかすんでいます。写真では見えなくなるぐらいに。 -
ホテル前のピラミッド入場チケット売り場付近
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ホテルの朝食 簡単なものですが、チーズなどはそこそこのものが出されます。
旅行会社と組んで、屋上でランチとかディナーとかやれば、きっと儲かるのでは・・・なんて考えたりもするのですが、余計なお世話です。 -
写真はアスワンハイダムからのナセル湖(ダム建設でできた人造湖で、琵琶湖の8倍の広さとか)の眺め。
今回のアスワン・アブシンベル・ルクソール方面の旅行は、カイロの“日本人宿”「ベニス細川家」に手配をお願いしてあります。
当初は、レディーメイドのコースを検討したのですが、ゆっくりと回りたい・・・といった希望もあり、結局すべて個人オーダーのパーツの組み合わせになりました。(ホテル手配は個人で)
この日はギザのホテルからカイロ空港まで車で送ってもらい、飛行機でアスワンに移動。
アスワンに着くと現地係員が待っており、専用車でアスワン観光へ直行します。
“ガイドなし”のつもりだったのですが、英語ガイドも同行していました。
そうなると、係員、ドライバーにガイド・・・チップは各人にどれだけ払ったらいいのだろうか・・・なんてことで頭を悩まします。係員は市内で連絡を取り合うだけで、観光スポットへは同行しません。こんなときはどうなるのか・・・なんて、貧乏人はつまらないことが気になります。 -
水面上に出ている部分は“氷山の一角”で、水面下に大きな基底部があります。(着工が1960年、竣工が1970年)
正直なところ、私はこのときあまりご機嫌がよろしくありません。
予定していなかったガイドが英語でダムの細かい話を説明し、「わかりますか?」と訊くのですが、英語が苦手な私としては「わららないよ!」といったところ。
それに、お昼のフライトで、まだ昼食を食べておらず、「何か食べたい」と言うのですが、昼食抜きの観光になっていること。
そもそもアスワンハイダムも、ダムの上からではただ湖が見えるだけで面白くもなんともありません。ダムの全体が見えるとか、豪快な放流がみられるというのであれば別ですが・・・。
料金は30ポンド -
反対側の下流方向
見た目には面白くもなんともないアスワンハイダムですが、エジプトにとってはナセル大統領時代に国威をかけて建設したもので、誇らしいものなのでしょう。
ただ、周知のように、このダムの建設で、ヌビア地方の多くの遺跡が水没することになります。
それらの中で、これから向かうイシス神殿とか、明日行くアブシンベル神殿などは、ユネスコ主導の国際的援助で現在ある場所に移動され、水没を免れています。
そういう意味では、これから向かう遺跡と重要な関連がある施設です。 -
世界各地の観光地同様、中国人観光客の姿が目立ちます。
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アスワンハイダムは早々に切り上げて、次に向かったイシス神殿。
神殿はフィラエ島というナイル川の小島にあるのですが、ここから船で渡るようです。 -
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とにかく昼を食べていないので、神殿に渡る前に簡単なものを買って食べます。
古代エジプトのお墓の壁画にも残されているエジプトのパン「アエーシ」 中は空洞になっていて、そら豆のペーストみたいなものが挟んであります。具材はポテトとかいろいろあるようです。
アエーシはイーストを使わない素朴なパンで、焼きたては膨らんでいますが、時間が経つと空気が抜けて平たくなりるそうです。
定番ローカルフードで、10ポンド(約60円)
空腹を満たすのには問題ありません。水でおなかに流し込んで、イシス神殿観光に向かいます。 -
船着き場に向かう道の両脇には土産物が並べられています。
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このような小舟で渡ります。
一人だと、どうやって島へ渡るのか?いくらするのか?帰りはどうなるのか?等々悩ましいのですが、ガイド同行ですから“おまかせ”。
その点では、ガイドがいて助かります。 -
右のお相撲さん体形の男性がガイド氏。
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夥しい数の小舟が停泊しています。稼働しているのは数隻。
エジプトはテロの影響で観光客が激減しています。 -
すぐに小島のイシス神殿が見えてきます。
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上陸すると、そこが神殿です。(入場料は60ポンド 約370円)
地名的には「フィラエ神殿」、イシス神を祀っているので「イシス神殿」とも。
****フィラエ神殿(イシス神殿)*****
現存する神殿はプトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものである。(中略)
550年に東ローマ帝国のユスティニアヌス1世によりフィラエ神殿は閉鎖された。閉鎖後は、4つのキリスト教会として再利用された。
アスワン・ダムの建設により、半水没状態であったが上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機にユネスコにより1980年、フィラエ島からアギルキア島に移築、保存されることとなった。
現在はアギルキア島をフィラエ島と呼んでいる。
1979年にユネスコの世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の一部として登録されている。【ウィキペディア】
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プトレマイオス朝時代に建設されたということで、古代エジプト文明からすれば比較的新しい時代、ロー時代の建築物ということになります。
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【http://golden-tamatama.com/blog-entry-1412.html】より借用しました。
中央の女神がイシス神で、オシリス神(左)の妹であり、妻でもあります。また、ホルス神(右)の母親でもあります。
イシスが頭にのせている階段状ものは玉座で、夫と息子の王権を守る母性の象徴でもあり、偉大なる魔法使いでもあります。
夫の死後にホルスを身ごもる逸話や、息子を守る姿などは、後のキリスト教におけるマリア像の原型になっているとも。
また、エジプトにコプト派キリスト教が広まると、イシス神殿は聖母マリアを祀る教会として使用されたそうです。 -
美しい列柱
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第一塔門
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左半分の下部は、敵を打ち据えるファラオ(王様)、上部は神々にお供え物を差し出すファラオ 左から二番目と三番目は夫オシリスと妻イシス、右側の一組はホルスと母イシスでしょうか、妻ハトホルでしょうか?
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塔門をくぐって、一番奥の至聖所に向かいます。
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ホルスを膝に抱くイシス・・・でしょうか。
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ナイル川の水位を測るナイロメーター
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ナイロメーターの奥の方 ナイル川水面に続く階段
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列柱の上部に彫られた女性の顔はハトホル神ではないかと思いますが、エジプト神話の神々の関係は時代によって様々な混同・融合もあるようで、よくわかりません。
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列柱はパピルス、ハス、ナツメヤシなどをデフォルメしたデザインになっているようです。
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コプト教会として使われた名残でしょうか。
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ところどろに十字架の文様がみられます。
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イシス神に供物を捧げるファラオ・・のようです。
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羽根でオシリスを守るイシス
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中央の顔が欠けているのがイシス神で、立った姿勢でホルスに授乳している場面
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こうしたレリーフが山ほどあります。
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残念ながら、素人にはよくわかりません。
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石臼
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手前がハトホル神殿 奥がトラヤヌス帝のキオスク
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向こうが本来神殿があったフィラエ島だ・・・・とガイド氏が言っていました。 ほぼ水没しているあたりでしょうか?よくわかりません。
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写真の中央に小さな丸い金属が打ち込まれています。
拡大したのが次の写真です。 -
ナンバーが刻まれており、水没から守るために移設した際に、復元の目印となったものです。
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ここも、夜には「光と音のショー」が行われます。
正面建築物はトラヤヌスのキオスク -
イシス神殿全景
行きに使用したボートで戻ります。ボート代金はツアー代金として支払い済みですが、チップに10ポンド。 -
次いでやってきたのは、「切りかけのオベリスク」(入場料 40ポンド)
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エジプトアスワンにある古代エジプト時代の北採石場に残された加工途中の巨大なオベリスク。「切りかけのオベリスク」とも呼ばれる。
おそらくカルナック神殿のオベリスクを補うため、第18王朝5代目のファラオ「ハトシェプスト女王(紀元前 1508~1458年)」の命により作業が始められた。
通常のオベリスクよりも10メートル近く大きなもので、完成すれば長さはおよそ 42メートル、重さ 1,200トンであったと推測される。【ウィキペディア】
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ハトシェプスト女王云々は、ルクソール・カルナックのアメン大神殿に残っているハトシェプスト女王のオベリスクの東面の碑文からの“推測”ですが、どうでしょうか・・・・。
いずれにしても、これだけの大工事を手がけることができたのは、当時のエジプトが繁栄していたことを示していますから、新王国時代の第18王朝から第19王朝にかけての頃、紀元前16世紀から紀元前12世紀の遺跡と考えてよいのではないかとの指摘も。【http://www.obelisks.org/unfinished_j.htm】 -
花崗岩の中にひびが現れたため途中で放棄されたとみられています。
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まず石に切り込みをつけてそこに本のくさびを打ち込み、次にくさびを水で濡らす。
するとくさびが膨張し、自然に石が割れるのだ。切り口はほとんど凹凸がなく、滑らかに切れるそうだ。【歩き方】
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切り出し作業でハンマーとして使用した石・・・・だそうです。ガイド氏がそう言っていました。
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今日の予定は終了しましたが、ガイド氏の勧めでやってきたパピルス・ペインティングのお店。
私は、博物館か何かかと思っていたのですが、大きな土産物屋さんです。
紹介ガイドへのキックバック等があってのことでしょうが、まあ、時間もまだ早いのでいいでしょう。
買うつもりもなかったのですが、日本語を流ちょうに話す店員がいて、パピルスで紙をつくる作業を見せてくれるとのこと。
なんとなく引き込まれて了承。こうなると、やはり何か買わないと・・・・という流れになります。まあ、パピルスなら軽いからいいか・・・ -
パピルスの皮を剥いて、ハンマーで叩きます。
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ローラーで押しつぶします。
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水につけて晒します。
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柔らかくなったものを縦横交互に組み合わせて並べます。
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圧縮・乾燥させて出来上がり・・・・なるほど。
この店のものはこうやって作った本物だ、光に透かせばわかる、安い土産物屋のものはバナナで作った偽物だ・・とも。 -
結局、お土産に1枚購入 35×67cmサイズ
描かれているのは古代エジプト三大美女の一人、ネフェルティティです。
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ネフェルティティ(紀元前14世紀中葉)は、エジプト新王国時代の第18王朝のファラオであったアクエンアテン(イクナートン、旧名アメンホテプ4世)の正妃であり、ファラオ・トゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)の義母にあたる。【ウィキペディア】
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夫のアメンホテプ4世は、宗教と都を変更した「アマルナ革命」で知られるファラオです。
ネフェルティティの胸像が発見されていますので、比較的実物に近いのかも。顔立ちは、やや硬質な感じです。 -
アスワンでの宿はネット予約した安宿「Queen N Hotel」(1泊1461円 朝食なし)
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安宿ですから、室内はこんなものです。
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夜中3時頃でも、外から大音響の音楽が聞こえていました。
おまけにロバの鳴き声も(そのときはラクダかと思って、「いくらエジプトでも街中になんでラクダが・・・」と寝ながら考えていたのですが、どうもロバのようです。ロバ車なら街中にもいますから)
明け方、窓から眺めると、駅のすぐ近くです。写真右奥が駅になります。
夜間に積み込み作業をする人たちが、眠気予防に音楽でもかけていたのでしょうか?
私は疲れていたこともあって、そうした騒音はほとんど気にもならなかったのですが、騒音を気にする人にはむかないかも。 -
夕食のために外へ。ホテルから徒歩3分でアスワン駅です。
ホテルで合流した現地係員の話では、写真右奥がスーク(マーケット)だとか。 -
駅前の広場
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アーチの奥がスークです。
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夜のスークは賑わっています。
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手前はヘチマのようです。エジプトではよくみかけました。やはり入浴時に使うのでしょうか?
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石も並んでいますので、食用ではなく、漢方薬的な生薬として使うのでしょう。
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おいしそうなチキンが焼かれています。
眺めていると店内から声がかかり、中へ。 -
チキン(4分の1)をメインにした夕食 今回エジプトでは初めてのまともな食事です。値段は40ポンド 約250円。
とてもおいしいチキンでした。味付けされたご飯も美味です。 -
おなかも一杯になったところで、スーク散策を続けます。
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中央女性のような、目だけを出して顔を覆う「ニカブ」ファッションは、いないことはありませんが、そんなには多くありません。
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若い女性の一般的ファッションはこんな感じ。
スカーフは必須アイテムですが、それ以外は自由な組み合わせで、シャツやチュニックに、細身のジーンズ・パンツ・レギンスといったところ。
靴はスニーカー風のものや、平底のシューズ。ヒールがあるような履物はあまりはかないようです。
欧州などで政治的な問題ともなるスカーフについては、イスラム国を観光するときにいつも思うのですが、宗教的なものというよりは、“女性”を象徴するファッションアイテムとしてごく普通に着用されているようにも見えます。
ひと昔前の“女性だったらスカートをはくのが当たり前”というのと似たような感覚でしょうか。
従って、女性らしさをアピールする性的な側面ももったファッションアイテムにもなるのでしょう。
当然に、スカーフの色、デザイン、被り方などは様々で、そのファッションを楽しんでいるようにも。
“女性権利の制約”の象徴といった欧米的とらえ方をしている現地女性は多くないようにも思えます。
もちろん、女性らに訊いた訳でもありませんので、勝手な想像です。 -
一方、中年以上の女性になると、写真中央のような、スカーフも衣服も黒ずくめという「カラスファッション」が増えます。
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ただ、「カラスファッション」の下には、以外にカラフル・派手な衣装が・・・とも言われます。もちろん、見た訳ではありませんので・・・。
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写真はカイロの店先
「カラスファッション」にしても、多種多様なデザインがあるようです。 -
アスワンのスークに戻って、おいしそうなパン
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エジプトは古代よりパンの国です。
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豆でしょうか、コーンでしょうか? よく見かけます。
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ここにもヘチマ(?)が。
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スークは次第に道幅が狭まりながらも、奥へ続きます。
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アルコール禁止のイスラム社会ですから、男性は水タバコ(シーシャ)やゲームを。
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大勢が眺めているのはサッカーのTV中継です。
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ここでもサッカー観戦しながらシーシャ
明日はアスワンから更に南に下って、スーダン国境も近いアブシンベルに向かいます。
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