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史跡の足跡を探す散歩が楽しいので、何となく続いている旧東海道シリーズ。<br /><br />今回は以前より気になっていた、2009年に焼失した旧吉田邸が、ようやく再建されたタイミングで訪問できることに感謝。<br /><br />今回の訪問地は、明治政界の奥座敷と呼ばれ、明治の元勲の別荘が多かった場所であったためか、江戸時代の史跡は少なく、明治の香りがした。

旧東海道 大磯~二宮

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2017/04/02 - 2017/04/02

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Wind99

Wind99さん

史跡の足跡を探す散歩が楽しいので、何となく続いている旧東海道シリーズ。

今回は以前より気になっていた、2009年に焼失した旧吉田邸が、ようやく再建されたタイミングで訪問できることに感謝。

今回の訪問地は、明治政界の奥座敷と呼ばれ、明治の元勲の別荘が多かった場所であったためか、江戸時代の史跡は少なく、明治の香りがした。

旅行の満足度
3.5
交通手段
徒歩

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  • JR大磯駅のロータリーにあった湘南発祥の石碑。<br /><br />この石碑は昨年(2016年2月14日)にできた模様。<br /><br />(大磯にある湘南発祥の地の石碑は、前回訪れた鴫立庵の前にあり2つ目になる。)

    JR大磯駅のロータリーにあった湘南発祥の石碑。

    この石碑は昨年(2016年2月14日)にできた模様。

    (大磯にある湘南発祥の地の石碑は、前回訪れた鴫立庵の前にあり2つ目になる。)

  • 旧島崎藤村邸。<br /><br />大磯駅から線路に沿って、西に進む。<br /><br />明治の作家が、晩年を過ごした家が残っており、公開されていた。

    旧島崎藤村邸。

    大磯駅から線路に沿って、西に進む。

    明治の作家が、晩年を過ごした家が残っており、公開されていた。

  • 庭にあるカナメやモチの若葉、朝顔や萩、湯河原から取り寄せた寒椿などは、当時のままと言う。

    庭にあるカナメやモチの若葉、朝顔や萩、湯河原から取り寄せた寒椿などは、当時のままと言う。

  • 三間の平屋建ての民家。<br /><br />この家を「靜の草屋」と呼んでいた。<br /><br />最後の言葉は「涼しい風だね」と伝えられる。

    三間の平屋建ての民家。

    この家を「靜の草屋」と呼んでいた。

    最後の言葉は「涼しい風だね」と伝えられる。

  • 東海道(R1)に出ると、江戸時代より整備された松並木が続く。(西から東に振り返った眺め)

    東海道(R1)に出ると、江戸時代より整備された松並木が続く。(西から東に振り返った眺め)

  • 東海道沿いに宇賀神社があった。<br /><br />

    東海道沿いに宇賀神社があった。

  • やや小さめの鳥居が30、並んで建てられていた。

    やや小さめの鳥居が30、並んで建てられていた。

  • 日本橋から69kmの道標。<br /><br />宇賀神社と滄浪閣跡の所。

    日本橋から69kmの道標。

    宇賀神社と滄浪閣跡の所。

  • 宇賀神社の対面に滄浪閣跡があり、伊藤公滄浪閣の石碑があった。<br /><br />前回、小田原の滄浪閣跡を見てきたが、そこを引き払い、この大磯に移設し、別荘では無く、定住したという。<br /><br />建て物は、磯プリンスホテルの別館と看板があったが、閉鎖されていた。<br /><br />またグーグルマップで見ると隣は、旧西園寺公望邸となっていたが、それらしい敷地の門は閉ざされていた。

    宇賀神社の対面に滄浪閣跡があり、伊藤公滄浪閣の石碑があった。

    前回、小田原の滄浪閣跡を見てきたが、そこを引き払い、この大磯に移設し、別荘では無く、定住したという。

    建て物は、磯プリンスホテルの別館と看板があったが、閉鎖されていた。

    またグーグルマップで見ると隣は、旧西園寺公望邸となっていたが、それらしい敷地の門は閉ざされていた。

  • 東海道沿いにある八坂神社。

    東海道沿いにある八坂神社。

  • 切通橋から西を見ると、直進する道と、やや斜め右に進む道の分かれ道になっていた。<br /><br />その右側はこんもりした小山で、大磯城山公園だ。

    切通橋から西を見ると、直進する道と、やや斜め右に進む道の分かれ道になっていた。

    その右側はこんもりした小山で、大磯城山公園だ。

  • 直進の少し先を左に入ると、旧吉田茂邸だ。<br /><br />兜門から入る。この門は、サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられた門だという。

    直進の少し先を左に入ると、旧吉田茂邸だ。

    兜門から入る。この門は、サンフランシスコ講和条約締結を記念して建てられた門だという。

  • 池泉回遊式の日本庭園。

    池泉回遊式の日本庭園。

  • 旧吉田邸。<br /><br />2009年の焼失後ようやく再建され、4/1に公開された。<br /><br />この三日間は公開のお祭りになっていた。

    旧吉田邸。

    2009年の焼失後ようやく再建され、4/1に公開された。

    この三日間は公開のお祭りになっていた。

  • 七賢堂。<br /><br />元々、伊藤博文が、岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の4人を祀った四賢堂を自身の「滄浪閣」に建てたもので、後に伊藤博文、西園寺公望、吉田茂を合祀し、「七賢堂」となったという。

    七賢堂。

    元々、伊藤博文が、岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の4人を祀った四賢堂を自身の「滄浪閣」に建てたもので、後に伊藤博文、西園寺公望、吉田茂を合祀し、「七賢堂」となったという。

  • 旧吉田邸内は、有料施設で、2階の私邸にあった舟形の風呂。

    旧吉田邸内は、有料施設で、2階の私邸にあった舟形の風呂。

  • その2階の私邸からは富士さんが見える。(画像では認識できないが肉眼では見えた)

    その2階の私邸からは富士さんが見える。(画像では認識できないが肉眼では見えた)

  • 吉田茂の書斎。<br /><br />本棚には、ダイヤルの無い黒い電話機が置いてあった。<br /><br />首相官邸とのホットライン用なので、ダイヤルは無い。

    吉田茂の書斎。

    本棚には、ダイヤルの無い黒い電話機が置いてあった。

    首相官邸とのホットライン用なので、ダイヤルは無い。

  • 「バカヤロー」と読める四角い箱のオブジェ。<br /><br />吉田首相の「バカヤロー解散」のジョークだ。

    「バカヤロー」と読める四角い箱のオブジェ。

    吉田首相の「バカヤロー解散」のジョークだ。

  • これも本人の足袋のオブジェ。<br /><br />足跡?のジョークかな。

    これも本人の足袋のオブジェ。

    足跡?のジョークかな。

  • 食堂。<br /><br />大きな窓の先は、日本庭園が見下ろせる。

    食堂。

    大きな窓の先は、日本庭園が見下ろせる。

  • 庭園の池には、山側から小さな滝が流れ落ちくる。

    庭園の池には、山側から小さな滝が流れ落ちくる。

  • 対面の寺院は、西長院で、石造地蔵菩薩立像の本尊があるという。

    対面の寺院は、西長院で、石造地蔵菩薩立像の本尊があるという。

  • 東海道沿いの所々にあった小さな道祖神。

    東海道沿いの所々にあった小さな道祖神。

  • 八坂神社。

    八坂神社。

  • 六所神社。<br /><br />大化改新後、相模国の総社として現鎮座地に遷座いたしましたとある。<br />

    六所神社。

    大化改新後、相模国の総社として現鎮座地に遷座いたしましたとある。

  • 境内にあった六所龍神大神社。<br /><br />龍神信仰。

    境内にあった六所龍神大神社。

    龍神信仰。

  • 拝殿。

    拝殿。

  • 神奈川県大磯町から、二宮町に入った。<br /><br />上下線の真中にわずかに松林が残る。

    神奈川県大磯町から、二宮町に入った。

    上下線の真中にわずかに松林が残る。

  • 葛川の塩見橋に来た。

    葛川の塩見橋に来た。

  • この塩見の字を見ると、この辺りが塩田があり塩を生産していたと思われる。

    この塩見の字を見ると、この辺りが塩田があり塩を生産していたと思われる。

  • 現在の葛川では、その名残は見られない。

    現在の葛川では、その名残は見られない。

  • JR二宮駅前にあるガラスのうさぎ像。<br /><br />戦争の悲惨さを描いた体験記「ガラスのうさぎ」にちなみ、平和のシンボルとしてここに建てられた。<br /><br />

    JR二宮駅前にあるガラスのうさぎ像。

    戦争の悲惨さを描いた体験記「ガラスのうさぎ」にちなみ、平和のシンボルとしてここに建てられた。

  • 本来次の国府津駅前でさらに5kmほど歩く予定であったが、膝の後ろが痛み出し今回はここまで。<br /><br />その先の小田原は、先に訪問しており、関東の旧東海道を進むには後1歩となった。

    本来次の国府津駅前でさらに5kmほど歩く予定であったが、膝の後ろが痛み出し今回はここまで。

    その先の小田原は、先に訪問しており、関東の旧東海道を進むには後1歩となった。

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