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北陸新幹線の上田駅から別所温泉に行く上田電鉄で約15分。下之郷駅下車で徒歩数分にあり、池の中の島に鎮座するという古代の形態をとる神社で旧社格は国幣中社である。<br /> 日本の中央にあるとされて「日本総鎮守」とも言われた神社で、ご祭神は万物を生成発展させる「生島大神」と、万物を充実満足させる「足島大神」が祀られている。<br /> 創建は古く、806年には封戸寄進の記録がある。延喜式神名帳では宮中で祀られる神々23座のうちに生島神、足島神の名があり朝廷との関係が深いことをしめしており、表紙写真にも最近の皇室からの御下賜金があったことが示されている。とくに天皇が都を定めるときには必ず生島足島の二神をその地に鎮祭されることとなっているという。<br /><br /> 社伝によれば、諏訪神社の御祭神が諏訪に下降する途次、この地で生国魂大神と足国魂大神に米粥を煮て献じたとの故事が伝えられており、これから生島・足島両大神は当地の古くからの地主神と見られ、現在も、これを再現する「御籠(オコモリ)祭」という神事があり、摂社の諏訪大神が11月から4月の半年間、生島・足島の両大神に粥を奉仕しているという。<br /> 先住の地主神や諏訪湖の龍神を征服して諏訪に鎮座したとされる諏訪大神が、移動の途次とは言えこの二神に敬意を払って、食事を奉仕していることは興味深い。<br /><br /> 池中の島にある生島足島神社は上の宮と呼ばれ、社殿は北面している。水域と道路を隔てて対置されている摂社の諏訪神社は下の宮と呼ばれ、「諏訪大神」(建御名方命と八坂刀売命)が祀られている。島をむすぶ神橋は、特別の時しか渡れない。<br /><br /> 日本の古い歴史がある神社では、諏訪上社や奈良の大神神社のように山をご神体としたり、一位の樹(諏訪秋宮)、杉の樹(諏訪春宮)など樹木をご神体にしたりする自然崇拝の例が見られるが、生島足島神社ではご神体は「大地」とされている。これは奈良の石上神宮で拝殿奥の「布留高庭」(禁足地)を祀っているのを思わせる。<br />生島・足島神社の現在の本殿は、旧本殿の覆屋として作られたもので、中にある御室とよばれる旧本殿(内殿)の左側が内陣、右側が外陣である。いずれも床が無くて土間であり、内陣の大地がご神体(御霊代)とされている。<br /> 外陣の土間は諏訪大神が半年間、生島足島両大神に食事を奉った場所とされており、現在も御籠祭はここで行われている。<br /><br />生島足島神社の宮司に、諏訪神社の神は各地の地主神を平定して諏訪に鎮座したとされているのに、当地では地主神の生島足島の両神に奉仕していることが結び付きにくいが、と質問したら、諏訪神社の宮司は上田地方(塩田平)の出とされているので、諏訪神もこの地方から出ているのかもしれないとのこと。<br />そうとすれば、諏訪神が出雲の男神と越の女神の子という伝説が、あとから作られたことになるなど、素人の楽しい思い付きを付言しておきます。<br /><br />もう一つ、神社が所有する「生島足島神社文書」は、国指定の重要文化財で、武田信玄の願文や、甲斐・上野の武将の起請文、真田昌幸朱印状など、94通があるという。<br /><br />(本稿には生島足島神社と題する2種のリーフレットと、諸種の公刊資料のほかに、神社の神官から伺った事項と現地での観察などを含めた)<br />

長野県上田市:日本総鎮守ともされた生島足島(イクシマタルシマ)神社

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2017/03/20 - 2017/03/22

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ANZdrifter

ANZdrifterさん

北陸新幹線の上田駅から別所温泉に行く上田電鉄で約15分。下之郷駅下車で徒歩数分にあり、池の中の島に鎮座するという古代の形態をとる神社で旧社格は国幣中社である。
 日本の中央にあるとされて「日本総鎮守」とも言われた神社で、ご祭神は万物を生成発展させる「生島大神」と、万物を充実満足させる「足島大神」が祀られている。
 創建は古く、806年には封戸寄進の記録がある。延喜式神名帳では宮中で祀られる神々23座のうちに生島神、足島神の名があり朝廷との関係が深いことをしめしており、表紙写真にも最近の皇室からの御下賜金があったことが示されている。とくに天皇が都を定めるときには必ず生島足島の二神をその地に鎮祭されることとなっているという。

 社伝によれば、諏訪神社の御祭神が諏訪に下降する途次、この地で生国魂大神と足国魂大神に米粥を煮て献じたとの故事が伝えられており、これから生島・足島両大神は当地の古くからの地主神と見られ、現在も、これを再現する「御籠(オコモリ)祭」という神事があり、摂社の諏訪大神が11月から4月の半年間、生島・足島の両大神に粥を奉仕しているという。
 先住の地主神や諏訪湖の龍神を征服して諏訪に鎮座したとされる諏訪大神が、移動の途次とは言えこの二神に敬意を払って、食事を奉仕していることは興味深い。

 池中の島にある生島足島神社は上の宮と呼ばれ、社殿は北面している。水域と道路を隔てて対置されている摂社の諏訪神社は下の宮と呼ばれ、「諏訪大神」(建御名方命と八坂刀売命)が祀られている。島をむすぶ神橋は、特別の時しか渡れない。

 日本の古い歴史がある神社では、諏訪上社や奈良の大神神社のように山をご神体としたり、一位の樹(諏訪秋宮)、杉の樹(諏訪春宮)など樹木をご神体にしたりする自然崇拝の例が見られるが、生島足島神社ではご神体は「大地」とされている。これは奈良の石上神宮で拝殿奥の「布留高庭」(禁足地)を祀っているのを思わせる。
生島・足島神社の現在の本殿は、旧本殿の覆屋として作られたもので、中にある御室とよばれる旧本殿(内殿)の左側が内陣、右側が外陣である。いずれも床が無くて土間であり、内陣の大地がご神体(御霊代)とされている。
 外陣の土間は諏訪大神が半年間、生島足島両大神に食事を奉った場所とされており、現在も御籠祭はここで行われている。

生島足島神社の宮司に、諏訪神社の神は各地の地主神を平定して諏訪に鎮座したとされているのに、当地では地主神の生島足島の両神に奉仕していることが結び付きにくいが、と質問したら、諏訪神社の宮司は上田地方(塩田平)の出とされているので、諏訪神もこの地方から出ているのかもしれないとのこと。
そうとすれば、諏訪神が出雲の男神と越の女神の子という伝説が、あとから作られたことになるなど、素人の楽しい思い付きを付言しておきます。

もう一つ、神社が所有する「生島足島神社文書」は、国指定の重要文化財で、武田信玄の願文や、甲斐・上野の武将の起請文、真田昌幸朱印状など、94通があるという。

(本稿には生島足島神社と題する2種のリーフレットと、諸種の公刊資料のほかに、神社の神官から伺った事項と現地での観察などを含めた)

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
タクシー 新幹線 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 上田駅では新幹線は一階で入場するが、旧JRの「しなの鉄道」と、上田電鉄の駅は跨線橋にある。<br /><br />JRから分離された「しなの鉄道」の入り口では リンゴなどを売っていた。<br />大玉4っで 250円というのを買って来たが香りも味も秀逸だった。

    上田駅では新幹線は一階で入場するが、旧JRの「しなの鉄道」と、上田電鉄の駅は跨線橋にある。

    JRから分離された「しなの鉄道」の入り口では リンゴなどを売っていた。
    大玉4っで 250円というのを買って来たが香りも味も秀逸だった。

  • 上田電鉄の車両。<br /><br />ワンマンで運行しているので、上田、下之郷、別所温泉以外の駅では運転手のすぐ後ろのドアしか乗り降りできない。

    上田電鉄の車両。

    ワンマンで運行しているので、上田、下之郷、別所温泉以外の駅では運転手のすぐ後ろのドアしか乗り降りできない。

  • 下之郷駅。<br /><br />ここで上りと下りがすれ違うので駅員がいて全部のドアが開く。

    下之郷駅。

    ここで上りと下りがすれ違うので駅員がいて全部のドアが開く。

  • 廃線になった西丸子線の駅舎とホームが向かい側に残っている。<br /><br />小さくてかわいらしい駅です。壁に駅名を書いた板が張り付いていた。<br /><br />右横書きで「郷之下」「うごのもし」と」書いてあった。

    廃線になった西丸子線の駅舎とホームが向かい側に残っている。

    小さくてかわいらしい駅です。壁に駅名を書いた板が張り付いていた。

    右横書きで「郷之下」「うごのもし」と」書いてあった。

  • 上掲写真の左側に 西丸子線の説明があった。<br /><br />延長8.6kmで11駅があったが、昭和30年代の豪雨で鉄橋、トンネルが破損し、38年に廃線となったという。<br />線路の一部は道路として残っており、駅舎も何か所か残っているらしい。

    上掲写真の左側に 西丸子線の説明があった。

    延長8.6kmで11駅があったが、昭和30年代の豪雨で鉄橋、トンネルが破損し、38年に廃線となったという。
    線路の一部は道路として残っており、駅舎も何か所か残っているらしい。

  • 下之郷駅前には 生島足島神社の大きな石碑が建っていた。

    下之郷駅前には 生島足島神社の大きな石碑が建っていた。

  • 案内版も しっかりしている。

    案内版も しっかりしている。

  • 遠くに石碑がみえる。その先が駅舎。<br /><br />この道を左へ歩いてゆく。

    遠くに石碑がみえる。その先が駅舎。

    この道を左へ歩いてゆく。

  • すぐに 大きな「両部鳥居」がある。これが北鳥居。<br /><br />両部とは密教の金剛界、胎蔵界を意味し、神仏習合の神社に多くみられる。

    すぐに 大きな「両部鳥居」がある。これが北鳥居。

    両部とは密教の金剛界、胎蔵界を意味し、神仏習合の神社に多くみられる。

  • 額は「生島足島神社」

    額は「生島足島神社」

  • 松本と上田を結ぶ道路に沿って建てられた社号標。この左に東鳥居がある。<br /><br />「式内大社」で「日本中央」といろいろな所に掲示してあった。

    松本と上田を結ぶ道路に沿って建てられた社号標。この左に東鳥居がある。

    「式内大社」で「日本中央」といろいろな所に掲示してあった。

  • 御柱は 南面する諏訪神社のうしろに2本、北面する生島足島神社の神池のうしろに2本が建てられている。<br />諏訪明神が諏訪に下降の途次 御柱を奉ったのが起源とされている。<br /><br />6年ごとの寅年と申年の4月中旬に、東山から切り出した赤松の大木を近隣住民が曳行してゆく。笛太鼓とともに進み 和やかな「お練り行列」と言われる。

    御柱は 南面する諏訪神社のうしろに2本、北面する生島足島神社の神池のうしろに2本が建てられている。
    諏訪明神が諏訪に下降の途次 御柱を奉ったのが起源とされている。

    6年ごとの寅年と申年の4月中旬に、東山から切り出した赤松の大木を近隣住民が曳行してゆく。笛太鼓とともに進み 和やかな「お練り行列」と言われる。

  • 美しい「神橋」。 一般人は渡れない。<br /><br />

    美しい「神橋」。 一般人は渡れない。

  • 手前が参道ならぬ「参橋」。奥が神橋。

    手前が参道ならぬ「参橋」。奥が神橋。

  • 拝殿の前の社号標と 皇室からの御下賜金の掲示。<br /><br />内殿(旧本殿)を覆う本殿と拝殿はいずれも権現造りで、昭和16年に国費で再建された昭和を代表する神社建築とされている。

    拝殿の前の社号標と 皇室からの御下賜金の掲示。

    内殿(旧本殿)を覆う本殿と拝殿はいずれも権現造りで、昭和16年に国費で再建された昭和を代表する神社建築とされている。

  • 拝殿に向かって右側に磐座がある。<br /><br />神社の神職は「昔は神社がある神島の全体が、このような石で囲まれていたのではないかと考えてもいる」と話してくれたが、その推定の根拠は聞き漏らした。

    拝殿に向かって右側に磐座がある。

    神社の神職は「昔は神社がある神島の全体が、このような石で囲まれていたのではないかと考えてもいる」と話してくれたが、その推定の根拠は聞き漏らした。

  • 違う方向から神橋と」拝殿。

    違う方向から神橋と」拝殿。

  • 西側から「御籠殿」を望む。

    西側から「御籠殿」を望む。

  • これが「本殿」<br /><br />昔の本殿を覆って建てられたので、昔の本殿は「内殿」と呼ばれる。<br /><br />内殿の左側の土間(大地)がご神体である。

    これが「本殿」

    昔の本殿を覆って建てられたので、昔の本殿は「内殿」と呼ばれる。

    内殿の左側の土間(大地)がご神体である。

  • 東側から本殿を望む。<br /><br />手前の池は神池と呼ばれ、蛙がいないとか色が変わるとかの七不思議が伝えられている。<br />島の名は「神島」。

    東側から本殿を望む。

    手前の池は神池と呼ばれ、蛙がいないとか色が変わるとかの七不思議が伝えられている。
    島の名は「神島」。

  • 生島足島神社の荒魂を祀った荒魂社(あらたましゃ)。<br /><br />ここにも 御柱が建っている。

    生島足島神社の荒魂を祀った荒魂社(あらたましゃ)。

    ここにも 御柱が建っている。

  • 摂社の諏訪神社。建物は1610年に真田信幸が再建したもので1本の大木から作ったとされている。<br />県指定の「県宝」である。

    摂社の諏訪神社。建物は1610年に真田信幸が再建したもので1本の大木から作ったとされている。
    県指定の「県宝」である。

  • どうにか本殿の屋根が見えた。

    どうにか本殿の屋根が見えた。

  • 県宝についての説明。

    県宝についての説明。

  • 諏訪神社の井戸神様。

    諏訪神社の井戸神様。

  • 歌舞伎舞台。回り舞台もある。<br /><br />現在では起請文などが展示され、例祭日には芸能行事が行われる。

    歌舞伎舞台。回り舞台もある。

    現在では起請文などが展示され、例祭日には芸能行事が行われる。

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