2017/03/11 - 2017/03/11
69位(同エリア154件中)
ぬいぬいさん
約500キロある東海道を2年がかり24日間かけて制覇した後は、昨年6月終わりから今度は一番長い中山道を歩き始めました。
山間を通り抜ける中山道はところどころに鉄道路線から離れて、公共の交通機関が途切れてしまうエリアが何か所かあり、年末に何とか信州の佐久までたどり着いたものの、そこから先の下諏訪までの100キロほどの道のりが、電車路線から大きくそれた場所で、3連続ウォークで距離を延ばさないと走破できない状態になってしまいました。
そうなると次に歩けるのはGW。
2か月近く街道歩きをしないと何となくむずむず・・・
トレーニングも兼ねて、距離の短い日光街道を先に片付けてしまおう。
そんな思いから今度は日光街道を歩き始めました。
わずか140キロほどの距離、5日か6日もあれば終わってしまうためちょうどよい距離感。
3回目の今回は栗橋宿~小金井宿まで歩くつもりでしたが、途中古河と野木が見どころ満載で寄り道するところが多くて小山までしかたどり着くことができませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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2月に実施した健康診断の結果が出て引っかかったのが悪玉コレステロールの数値とメタボ。
毎度のこととはいえ、そろそろ本格的な改善をしないといけないと思い、中2週間を開けて3回目の日光街道ウォークを。
この日のスタートは栗橋駅から -
駅前のコンビニで買った朝食のコーヒーとパンをこちらの静御前の墓前のベンチで食べてから街道歩きをスタートしました。
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利根川の土手にそって続く日光街道の旧道
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この辺りが旧栗橋宿の宿場町の街並みです。
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日本橋から数えて7つ目の宿場町 栗橋宿
利根川を挟んで反対側には合宿の中田宿があります。 -
土手のすぐわきにある八坂神社
この右側の坂を上って堤に沿った道を鋭角に右に曲がり利根川にかあkる橋を目指して進んでいきます。 -
土手の菜の花は咲き始め
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利根川に架かる利根川橋 長さは640mほどありますが、日光街道としてにぎわっていた江戸時代には当然橋はなくて、手前の栗橋関所から左岸の中田宿までの間を渡船で結んでいたそうです。
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橋の向こうに薄ら雪をかぶった男体山が見えています。
写真ではちょっとわかりにくい。 -
利根川の真ん中が埼玉県と茨城県との県境。
ここから古河市に入ります。 -
橋を渡ってすぐ旧道は土手沿いの道を左に下って進んでいきます。
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こちらの鶴峰八幡宮は、源頼朝が奥州征伐の際に 戦勝を祈願したとされ、鎌倉の鶴岡八幡宮を分詞したものだそうです。
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栗橋の駅前に墓のあった源義経の愛妾・静御前が葬られ、遺品として守本尊・舞衣・義経の懐剣が納められたという伝承がある光了寺。
お寺の墓域を見ましたが静御前の墓らしきものはありませんでした。 -
しばらくまっすぐに進んでいくとJRの線路を渡って左に旧道は進んでいきます。
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さらに2キロほど歩いていくとようやく日本橋から9つ目の宿場町古河宿へ入ります。
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古河藩の城下町でもあった古河宿
日光街道で初めて色々見学できるところがある、日光街道の面影を残すなかなか素敵な町でした。 -
ここで旧街道をそれて横道に入ります。
入ってすぐにあった「ぬたや」
200年の歴史ある鮒甘露煮発祥のお店です。 -
旧古河城址周辺には色々見学できる施設が集まっています。
こちらは幕末の蘭学者で古河藩家老、鷹見泉石が晩年過ごした住居。
鷹見泉石記念館として無料で公開されています。 -
イチオシ
茅葺の母屋はもともとはもっと大きな武家屋敷だったそうで
今残っているのはその一部だけ。 -
こちらでは4月までひな人形の展示がされていています。
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古河城築造の際の余材を使って建てたと伝えられている建物を改修して公開しています。
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「新訳和蘭国全図」など、数々の研究に没頭した住まいで、海外情報について教えを請う幕府の役人たちがここを尋ねてきたそうです。
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ひな人形は玄関以外にも展示されていました。
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奥にある建物は奥原晴湖画室・繍水草堂。
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明治の南画界を代表する古河生まれの女流画家、「奥原晴湖」の画室を熊谷から移築し、一般公開しています。
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その奥にはこんな蔵もありました。
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向かいの旧古河城出城跡にある古河歴史博物館
古河藩家老鷹見泉石が収集・記録した蘭学関係資料、奥原晴湖や河鍋暁斎らの書画作品などが展示されていました。 -
こちらは古河文学館。
歴史小説の第1人者である永井路子、推理作家の小林久三、時代小説から現代小説まで幅広く活躍中の佐江衆一、詩人の粒来哲蔵、粕谷栄市、山本十四尾、歌人の沖ななも、児童文学者の一色悦子、金田卓也をはじめとする古河ゆかりの作家の作品や、児童文学史に大きな足跡を残した絵雑誌『コドモノクニ』の関連資料などを展示しています。 -
その隣にある古河第一小学校は明治5年に創設された歴史ある学校。
古河城址周辺は景観条例で外観の規制をしているエリアのようで2年前に建て替えた際に赤煉瓦の門とこの門かぶりの松を残して外観も風情ある意匠を取り入れて造られたそうです。 -
イチオシ
三階建ての土蔵に赤煉瓦のこの建物は日本で始めての篆刻専門の美術館。
篆刻って聞きなれない言葉ですが、印章から発展したもので、500年ほど前に中国におこったもので、四書五経や漢詩などから語句を選び、篆書という二千数百年前の古文字を柔らかい石や木に刻み、朱色の印泥をつけて紙に押したものを鑑賞するものだそうです。 -
建物は大正9年に建設された3階建て石倉を改修したもので国の登録文化財に指定されています。奥にも大谷石で造られた倉庫を改修した展示室もあります。
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イチオシ
こちらの白い土蔵造りの家は、直木賞作家の永井路子さんの旧宅
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永井さんは東京生まれで、間もなく母親の郷里である古河へ移り、結婚するまでの約20年間を過ごしていたそうです。
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旧宅は江戸末期に建てられたもので、約93平方メートルの2階建土蔵造りの建物で裏側の庭も散策できます。
見学は無料です。 -
古河を代表する景観のひとつ
武家屋敷の面影を残す街並み
といってもこちらの1軒だけでした -
こちら鍛冶町通りに残る明治から大正期の店蔵・煉瓦蔵・座敷蔵などの伝統的な町屋をコンバージョンした再生した飲食店
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鍛冶町は名前の通り江戸時代に野木町野渡から鍛冶職人が移転したといわれ、鍛冶職人の町、明治期以降は卸問屋の町として栄えてきたそうです。
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そんな場所だからこそこんな趣ある店蔵造りの建物が残っています。
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コンバージョンしたお店に入ってみたかったのですが、この時間は残念ながら閉まっていました。
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日光街道と筑波道の分岐の交差点の角にある珍しい常夜燈形式の道標
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明治44年創業の老舗鰻屋の武蔵屋
明治中期に建てられたという建物は国の有形文化財になっています。 -
「出没!アド街ック天国」で5位にランクされた蔵元の一つ 小澤麹店
こちらでは味噌や麹を売っているようです。 -
野木神社はおよそ1600年前、仁徳天皇の時代の建立された歴史ある神社。
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イチオシ
平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂が延暦21年(802年)にここに詣で、勝どきをあげたといわれています。
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樹齢約1200年の大いちょうは見事で「とちぎの名木100選」に入っているそうです。
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その足元にあるこちらは何?
イチョウの木の垂れ下がった気根の様子から、母乳の出ない人がここにお参りすると御利益があるそうでぶら下がっているのは奉納されたおっぱいのはり型でした。 -
ここはフクロウの生息する神社としても有名でフクロウは町の鳥に指定されているとか。約20年前から神社で見られるようになったそうで、巣穴は境内にある高さ約45メートル、樹齢650年以上のケヤキの約30メートルの高さにあるそうです。
下から見てもわかりませんでした。
後で気付いたのですがここのベンチで休憩していた時にスマホを忘れてしまったようです。 -
イチオシ
野木町には明治時代に造られた日本最古の煉瓦窯があると聞いていたのでこれは見なければといけないと思いちょっと寄り道。
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昭和46年までこの地で操業していた下野煉化製造会社の煉瓦窯で、明治23年に築造されたものです。
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効率よく連続して煉瓦を製造するために考えられた窯で、改良したドイツ人技師の名をとって「ホフマン式輪窯」と呼ばれています。
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十六角形のひとつひとつが入口の付いた窯になっていて、16室の窯を火が順番に回ることで、搬入から予熱、焼成、冷却、搬出までを繰り返し行えるようになっています。
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東京駅の赤レンガの駅舎や日光金谷ホテルなど、歴史的建造物にもここのレンガが使われたのだとか。
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このホフマン式輪窯、昭和26年には全国に26基あったそうですが、現存するのはわずか4基のみ。
初期の円形のものはほかにないそう。近代化産業遺産として、国の重要文化財に指定されています。
ちなみに見学は100円です。
併設するレストランでランチの後スマホがないことに気づきました。
実はスマホを地図代わりにして日光街道を歩いているため、スマホがないとこの後歩くことができないため、忘れたと思われる野木神社へ戻りました。 -
神社の境内に戻り先ほど座ってベンチを見るとスマホの姿は無し。
ダメもとで隣の神官さんの自宅を訪ねると、小学生の女の子とその父親が玄関にいてちょうど私が忘れたスマホを届けてくれたところでした。
親切な親子に感謝
スマホも戻ったところで日光街道旧道に戻って街道歩き再開です。
こちらは日本橋から数えて17里目の野木の一里塚。68キロ地点を通過です。
このプレートのみでした。 -
野木宿の道標
是より太平山道と刻まれていました。
昔は道案内の看板のみでなく道祖神的な役割もあったようです。 -
「日光道中絵図」にも描かれている、正観音を安置している観音堂。
手前にあるのは「馬頭観音」の石仏。 -
東京の日本橋をスタートして埼玉県、茨城県を抜けて栃木県の小山市に入りました。
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2代将軍秀忠から10石の寺領を与えられたという佛光寺
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こちらは明治の中ごろより乙女河岸において肥料問屋「車屋」を営んでいた小川家の住宅。明治末期に日光街道沿いのこの地に移築されたもの。
隣地にある米蔵は車屋美術館としてそしてこの母屋は小川家住宅として公開されています。 -
内部は洋風の応接室があったりしてかなりの豪邸です。
残念ながら内部は撮影禁止のため写真は外観のみ。
裏側にある庭も散策できます。 -
庭の梅の花いい感じに咲いていました。
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こちらの土蔵は明治27年建築され、明治44年この地に移築されたものです。
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間々田宿は江戸と日光からそれぞれ11番目の宿場にあたり、距離も18里の中間地点に位置していたので、「間の宿」と呼ばれていたそうです。
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珍しい鐘付き乗った山門がある浄光寺。
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イチオシ
街道沿いになった明治5年創業の老舗造酒屋西堀酒造
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約3500坪の敷地内にある蔵のほとんどが江戸末期~大正時代の建物で建築で、
創業当時の酒蔵を現役で使用している酒造場としては県内最大規模のものだとか。「長屋門」「仕込蔵」「瓶詰場」「煙突」の計4棟が国登録有形文化財として登録されています。 -
旧道はここで小山駅方面に向かってまっすぐ進みます。
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明治天皇行在所跡碑
後ろに、小山宿脇本陣があったそうです。
後ろに見える建物何となくそれっぽく見えますね。 -
その反対にあるのが「小山市まちの駅 思季彩館」
小山ブランドを初めとした地域の特産品や、地元産の新鮮野菜や果物、生花の販売など、地域のアンテナショップとなっています。 -
次の信号を右に曲がるとJRの小山駅になります。
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本日のゴールはここ小山駅。
本来は小金井駅まで歩くつもりでしたが、途中古河と野木で思いのほか見どころがたくさんあったため3回目の日光街道ウォークは24キロほどで終了です。
次は小山から宇都宮まで歩く予定です。
このペースなら4月中には日光にゴールできそうです。
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