2016/05/03 - 2016/05/03
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ミズ旅撮る人さん
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九州周遊SL探訪の旅で、福岡県の門司港駅横にある「九州鉄道記念館」に行きました。
旧九州鉄道本社の赤レンガの建物を利用しています。九州鉄道会社は、明治24年に開業し、国鉄になり、JR九州となっています。
本社だった建物は、平成15年に「九州鉄道記念館」として新たな役割を担っています。
建物の前には、9600・C59・EF10・ED72・キハ07・懐かしい特急車両・寝台車などが展示されています。生憎のものすごい風と雨にも負けず、かなりの入場者がいました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR門司港駅のすぐ隣に「九州鉄道記念館」はあります。
ここに来るのは2度目ですが、名車ぞろいなので何度来ても見る価値があります。九州鉄道記念館 美術館・博物館
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まず、出迎えてくれるのがこの3輌です。残念ながら、顔だけしかないのですが。いずれも九州を走った名車揃いです。
左がクハ481 246(485系)。「RED EXPRESS」と銘打って特急「にちりん」「きりしま」として活躍をしていましたが、2011年春のダイヤ改正で定期運用が無くなり廃車となりました。
真ん中がED76 1。昭和40年に導入され、ブルートレインを牽引する花形機関車でした。昭和61年に廃車となり、小倉工場に保管されていました。
右が、EF30 3。昭和36年三菱電機・新三菱重工業製造。下関~- 門司間を直通する列車の牽引に、双方の電化方式に対応する交直流電気機関車が必要となったため開発されました。
同様に、北海道と本州を結ぶ青函トンネルでも、トンネル専用の機関車が寝台特急「北斗星」や「カシオペア」などを牽引していました。
3号機は、JR発足前に廃車となりましたが、そのまま動態保存としてJR九州によって大分車両センターに保管されていました。
因みに試作車である1号機は、和布刈公園に保存されています。 -
展示車両のうち、一番手を担っているのが、59634です。9600型。1922年川崎造船所製造。
1974年廃車。福岡県粕屋町中央公民館で保存されていたものを2000年にJRに変換し、小倉工場にて修復、九州鉄道記念館に展示の運びとなりました。 -
さすが小倉工場、みごとな修復ぶりです。
JR小倉工場にはD51542が保存されています。構造を学習するためにあちこち切開されているのが、SLファンとしては不満ですが。 -
59634は、展示車用の屋根のギリギリ突端に設置されているので、このように風雨が激しいと雨ざらしになってしまいます。
この写真を撮るためには、入り口を入ってから一旦戻って強風と戦いながら奮闘するしかありませんでした。
みごとに傘はへし折られ、役立たずになってしまったのが、悔しい思い出です。 -
「後」とあるのは、昭和49年に最後に配属された後藤寺機関区の頭文字です。福岡県田川市(行橋市と直方市の南)の日田彦川線田川後藤寺駅でした。
筑豊地区は、石炭輸送で9600型機関車を多く使用していました。米坂線(山形県米沢駅~新潟県村上市の坂町駅)から転属になったのも、そのためでしょう。 -
惚れ惚れするような「鉄」の質感です。「R59634」の文字も誇らしげ。
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C591です。ナンバープレートが青く塗られてピカピカですね。
ここで記念撮影をするために、日付入り看板も設置してあります。 -
ご覧のように、この後もずらっと並んでいます。じっくり手前から見て行きましょう。
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「あかつき」のヘッドマークを付けています。
「あかつき」は、1965~2008年に運行されていた寝台特急で、新大阪~西鹿児島・長崎間を走るブルートレインでした。
1975年に西鹿児島発着の便を「明星」として系統分裂しています。 -
C591。1941年汽車製造。
「東海道、山陽本線の主力機関車として誕生。昭和31年に門司に配属され、寝台特急「あさかぜ」を始め、急行「雲仙」などに使用され、昭和37年には熊本に転属。
この年に誕生した熊本初の特急「みずほ」も牽引しています。
昭和40年の熊本電化が完成した時点で、本線用で軸重が重く転属先がないことから廃車となりました。同型の9両は解体されましたが、この車両は準鉄道記念物として小倉工場で展示保管されていました。廃車までに地球62周分を走行しています。」 -
「準鉄道記念物」の銘板です。
「C59形式1号機関車は、昭和16年大阪汽車会社で誕生。東海道本線の花形特急用機関車として初登場しました。
戦後電化が西進するにつれて山陽・鹿児島本線へと転進、昭和37年、熊本機関区に配属されて以来「特急みずほ」などを引いていましたが、昭和40年10月、熊本にあったC59形式10輌が全部スクラップにされる運命になりました。
将来、蒸気機関車が全廃されたあかつきには、貴重な存在になるものと思われますので、1号車であるこの機関車を永久に保存することにしました。」
「スクラップ」という言葉にはインパクトがありますね。こんなに直截(ちょくせつ)的な表現をする記述はそうは見ません。現場の人には産業廃棄物にしか見えなかったんでしょうか。 -
R C591
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鋼(はがね)の力強さを感じます。
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これが、スクラップにされなくて、本当に良かったです。
SLの美しさは、単に形だけなのではなく、こうした一つ一つの部品をすべて手作りした味わいが大きいと思います。
手作りだから、同じ設計でも個性が出ます。運転士はそれを長い間走らせながら把握して行き、手懐けていく。
往年のSLマンたちが、愛情を注ぐのもこうした積年のやり取りがあったからでしょう。
かつて運転助手をしていた方の話には、「こいつはここが苦手」とか「今日はよく頑張ったな」という、相手が鉄の塊などという考えのまったくない、相棒に対する愛情が込められていました。 -
JR北海道の苗穂工場では、C623がDE15に牽引されてではありますが、動いています。間にキハ40を挟んでいて、その客車に乗ることも出来ます。
また、栃木県真岡市にもC11325の走る真岡鉄道の他に、キューロク館で、49671がコンプレッサーの動力ながらも自力で館内から出て来ます。
動けるだけの元気があるなら、動かしてあげたいものです。 -
側面が光を反射しています。
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意外と炭水車は四角いのね。
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EF1035。1941年汽車・東芝製造。
「昭和17年の関門トンネル開通時にこの区間だけが孤立した電化区間となり、トンネル専用のEF10型直流電気機関車が配置され、下関と門司で機関車が付け替えられました。
昭和36年に九州側が交流2万ボルト、本州側が直流1,500ボルトの電化となり、交直両用機関車に役目を譲ることになりました。」 -
汽車会社と東芝のプレートが並んで付いています。
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「この機関車はその後、本州各地で昭和54年まで使用され、引退後は門司大里公園で保存されていました。」
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2009年の下関での機関車交換シーンです。この時は、EF81411が取り付けられました。
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ED721。1961年東芝製造。
「北九州電化で使用する交流電気機関車として登場。暖房用ボイラーを載せているため、車長が長く中央に動力の伝わらない中間台車があるのが特徴です。
暖房が蒸気から電気に変わり、ボイラーも不要となったため、旅客用に限定する必要もなくなり晩年は貨物列車にも使用されていました。この車両は試作機関車で他の同型機とは若干趣が異なっていますが、九州初の交流電気機関車として北九州市門司区の老松公園に保存されていました。」 -
中間台車はこの辺でしょうか。
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SLと違って、このタイプの機関車は両方向に進行方向を変えられるので、どちらから見ても同じ顔なんですよね。
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2009年にお世話になったED7690です。やっぱり現役の時の方が格好いい?
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イチオシ
彼の顔には「はやぶさ」のヘッドマークがありました。
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さて、キハ0741です。「大分のSL(2) 玖珠と豊後森 扇形機関庫を背景にピカピカの9600がいます!」
で予告したように、かつてあの機関庫に留置されていたキハ07が、ここにいます。 -
古い写真に、当時の様子が残されています。
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1937年日本車輛製造。
「戦前の代表的な機械式(クラッチで変速する方式)気動車で、連結運転の時は双方の運転士が合図しながら走っていました。昭和27年にガソリンエンジンをディーゼルエンジンに変更。
この車両は昭和32年に豊後森機関区に配置され、宮原線で使用されました。昭和44年に引退となり豊後森機関区や大分運転所で大切に保管されていました。
戦前に製造された同形車で原形を保っているのはこの車両だけです。」 -
「原形を保っているのはこの車両だけです」ちょっと疑問ありです。
岡山県美咲町の「柵原(やなはら)ふれあい鉱山公園」には、キハ702(もとはキハ075)が動態保存されています。
「片上鉄道保存会」が毎月第1日曜日に、展示運転をしています。
http://www.ne.jp/asahi/katatetsu/hozonkai/index.htm -
懐かしいサボ。都会では見られなくなりましたが、現在でも地方に行くと、終着駅で窓を上げて、このサボを交換する光景が見られます。結構重いんですよね、これ。だから交換のために何枚も持って歩くと、運転士さんは大変なんです。
最近、北海道で、このサボのミニチュア復刻版が駅の売店などで販売されています。ちゃんと鉄板なので、結構重さが感じられます。
1枚1,000円くらいしたような。ついつい買ってしまうんです。 -
内装がほとんど木製です。木の床はとても柔らかな感じがします。
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「つり革」は、本当に皮だったんです。それに木の吊り輪。「網棚」も網。
今では素材が変わってしまって、名前と合わなくなっています。 -
クハ481603。1969年日本車輛製造。
「昭和33年に登場した電車特急「こだま」型の発展型で、熊本電化に合わせて誕生したのが交流・直流の両方で運転できる481系です。
この車両は昭和44年にクロ481-5として誕生、東北地方で活躍していましたが、昭和58年に鹿児島車両所に配属となり、普通座席車へ改造されてクハ481-603と車号が変わりました。
九州では特急「にちりん」「かもめ」「有明」として使用された後、平成9年以降は小倉工場で保存されていました。」 -
国鉄「JNR」のエンブレム。
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運転席は、階段を上がって上にありました。
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なんだか懐かしい車内です。
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次は青い特急電車です。
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クハネ581-8。1967年日立製作所・日本車輛製造。
「世界初の寝台電車特急「月光」としてデビュー。昼間は座席特急として昼も夜も運転できる便利な特急用車両です。
昭和45年には仲間も増え「つばめ」「はと」などの関西・九州間特急に使用されました。昭和59年に小倉工場で普通電車に改造され交流電車715系(クハ151)として生まれ変わり、おもに長崎・佐世保線で平成12年まで活躍しました。
廃車後は登場当時の特急塗装に戻され小倉工場に保存されていました。」 -
これは、最後の姿ではなく、栄光の日々を再現したものなんですね。
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あずき色の塗装は馴染みがあるのですが、青色は見たことがないです。
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ブルートレインが最後を締めます。スハネフ1411。
「寝台特急客車14系11は昭和47年に2世寝台特急として日本車輛で製造されたものです。20系「さくら」「みずほ」などの置き換え用として運転を開始した車両です。保存されている「スハネフ14系11」は床下にディーゼルエンジンを搭載しており、自車輛を含む5両に電気を送ることが出来ました。また、製造時は3段寝台客車で車掌室付きできしたが、昭和57年から寝台が2段に改装されています。
永きに渡り活躍しましたが平成6年に寝台特急「みずほ」、平成17年には同「さくら」が廃止、平成21年の「富士」「はやぶさ」が廃止され、これが最後の運転となりましたが、九州では臨時列車として平成22年まで活躍し、引退後は熊本車両センターで保存されていました。」 -
イチオシ
2009年3月1日にあと2週間で廃止となる「富士・はやぶさ」に乗車して、九州までやって来ました。
ちょうどこの日に、JR九州ではICカード「SUGOCA」が発売されました。
小倉駅で「富士」と「はやぶさ」が切り離される間に、駅の階段を駆け上がり、発売直後の「SUGOCA」を購入したものです。
同じ車両だったのかなあ。 -
ついでに、「富士・はやぶさ」の浴衣が、今のJR仕様ではなく、国鉄時代の「工」柄だったことを追記しておきます。
最後の特急ブルートレインとあって、連日満員の状態。かつての姿を彷彿とさせる光景でした。 -
さて、現在に戻ります。スハネフの車両には入ることが出来ます。
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私が乗った車両の座席の色は茶色で、側面は緑色でした。「富士」には、何回か乗りましたが、この柄は見たことがありません。
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「便所使用知らせ燈」意味はわかりやいですが、あまりに直截的。もう少し品のあるネーミングは出来なかったのかな?
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旧九州鉄道本社社屋
「1888(明治21)年、九州最初の鉄道会社として「九州鉄道会社」が設立されました。
この会社は1889(明治22)年に博多~千歳川仮停車場間の営業を開始し、1891(明治24)年に門司(現在の門司港駅)~高瀬(玉名駅)を開業した時点でここを基点と定め、ここから九州各地への鉄道網を形成しました。
当初は博多に仮本社を置いていましたが、門司駅の開業と同時に本社として建てられたのがこの建物です。
以後、鉄道院、鉄道省、日本国有鉄道、九州旅客鉄道株式会社などと名前は変わりましたが、一貫して鉄道の中枢機能を担う建物として使われて来ました。門司港レトロ地区で保存されている建物の中でも、古いものの一つです。」九州鉄道記念館 美術館・博物館
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2階建てで、横に長い構造です。
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中央部分は吹き抜けになっていて、その真ん中に明治時代の客車があります。
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「この車両は九州鉄道が設計した客車で、全部で47両製作されたもののうち37両目の車両です。
国の鉄道(当時は鉄道院」の車両番号チブ37として明治42(1909)年に誕生したこの客車は、約20年間活躍した後、昭和4年に耶馬渓鉄道(大分交通耶馬渓線)に譲渡されました。
この客車は昭和46年まで同線で活躍しました。その後、中津市の「汽車ぽっぽレストラン」で保存されていましたが、当館の建設にあたって寄贈され、生まれ故郷の小倉工場で開館に合わせて約95年ぶりに往時の姿に復元されたものです。」
あらら、あのレストランにあったんですね。「大分のSL(3) 湯布院・中津 レストランから顔を出しているSLと列車ホテル」で紹介しています。
そう言えば店の女性が話をしていましたが、まさかこんなに晴れがましい場所にあるとは思ってもみませんでした。 -
座面が畳というのがなんとも明治らしい。下駄を履いて腰かけたのかな?
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2階は、年表や資料の展示です。
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線路を止める犬釘
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右の吹き抜けの真下に、明治の客車があります。
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九州を走っていた寝台特急たちのヘッドマーク。
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つばめコレクション
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4代目・5代目の「つばめ」。そうか、これらも「つばめ」だったね。
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SLのナンバープレートも。
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吹き抜けを見下ろすと客車が見えます。その奥に売店があります。
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タブレット閉塞機。単線区間での正面衝突を防ぐための仕組みです。レンガの壁に掛かっている丸い輪っかがタブレット入れです。運転士が受け渡しがしやすいように大きな輪がつけてあります。タブレット自体は金属の円盤で、輪の下部にある皮の入れ物に入っています。
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「上り列車も下り列車も同じ線路を走る単線区間では、通常、駅の構内だけを複線にして、列車は必ずここですれ違うようにしています。
この駅と駅の間を閉塞区間(1つの列車しか存在してはいけない区間)とし、通票(タブレット)を持った列車以外は走れない仕組みとしているのが、通票閉塞方式です。」
D51などには、このタブレットを自動で受け取れるように、運転席の窓の下に矢のような装置が付いていて、そこに輪っかを通して引っかかるようになっています。 -
硬券の押し型です。
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いろんな記念硬券がありました。
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記念切符も様々。
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やはり九州の物が中心なのかな?
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外に出ましたが、まだまだ風雨は強いようです。2階の端の展示室では、鉄道の写真展が開かれていました。
1階の売店も、なかなか品ぞろえが充実しているので、見るのが楽しいです。
次回は、まだまだある福岡県のSLを訪ねます。
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