2017/03/18 - 2017/03/18
108位(同エリア1225件中)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
《March.2017》あみんちゅ感謝のお礼参りの旅そのⅤ~松江後半・Epilogue編~
昨年6月に沖縄から帰って来てから、思い立ったように取り組み始めた資格取得。10月の第二種衛生管理者、12月の損害保険大学過程(更新)とビジネス実務法務検定3級、1月損害保険基礎単位(更新)、そして本命の2月リテールマーケティング(販売士)2・3級。その本命試験の発表が3月7日にありました。結果は合格。自己採点でも合格点は取れていたものの、2級前半試験のまさかの遅刻。他の商工会議所では遅刻=失格のように書いてあるところもあり、それがずっと引っかかっていました。しかし結局取り越し苦労だったことが判明し、無事合格の通知を受け取りました。
勿論合格がわかったことは〝嬉しい〟のひとことです。しかし私自身の努力だけで勝ち得たものでもありません。試験勉強のために休暇を取らせてくれた上司とスタッフ、そして厚かましいお願いをした出雲大社と菅原天満宮。神頼みもれっきとした〝後押し〟です。
初詣のときにリテールマーケティングの試験に合格したあかつきには〝お礼参り〟の旅に出ることを宣言していました。それを実行すべく昨日南淡海の国を出発しました。この〝《March.2017》あみんちゅ感謝のお礼参りの旅そのⅤ~Epilogue~〟では、お礼回りを済ませた後、バス発車の時刻まで〝松江観光〟を楽しもうと八重垣神社を訪れたところから始まります。松江の滞在時間残り5時間程でどれ位楽しめたのでしょうか?それでは今回の旅〝《March.2017》あみんちゅ感謝のお礼参りの旅そのⅤ~松江後半・Epilogue編~〟の波乱含みの展開が始まります…。
【平成29年3月18日土曜日】
八重垣神社 11:59 (8.2km:47.5km:35.7km/h)
《恋占い:100円+100円》
12:52
島根県庁 13:17 (6.7km:54.2km:16.4km/h)
《堀川めぐり:1,230円》
13:47~14:34
《松江城》
島根県庁 15:35
CALレンタカー 15:49 (3.6km:57.8km:15.7km/h)
《給油:541円》
15:57
松江駅 16:01
《水108円・そば1,000円》
17:18 出雲エキスプレス京都4号《3C:4,760円》
安富パーキングエリア 20:13
20:19
京都 22:01
22:17《240円》
石山 22:32
《タバコ他:999円》
22:42《230円》
バス停 22:55
自宅 22:58//
昨日日没終了となった八重垣神社ですが、今では出雲大社を凌ぐ勢いで日本全国から〝女子旅〟の目的地とされています。出雲大社は年齢層問わず男女差もそれほどないように聞いていますが、八重垣神社の場合圧倒的に〝Young女子〟が多いそうです。その年齢層に当てはまらない私がなぜ訪れたのかは自分でもわかりませんが、焦ることもしていないのはきっと神様のい・う・と・お・り♪なんて気楽に考えながらの〝ネタ集め〟なように思っています。しか~し、出雲大社との大きな違いは、拝殿・本殿はともかく、境内社に参拝する人がほとんどいないことでした。お姉様方の目的は、〝鏡の池の恋占い〟と見え、社務所で占い用の〝和紙〟を頂くとそのまま佐久佐の森の鏡の池に一直線のようです。ならば~と邪な気持ちもなく、同じように和紙の中央にコインを乗せて、占いをはじめると・・・こういう場合〝無欲の勝利〟となることもあるのか、15分以内だと許容範囲とされる時間も3分で沈みます。とにかくすぐに人が集まる場所ゆえ、占いを開始すると同時に場所を空けて、待たれている方に始めてもらいますが、こういう時って〝盲目状態〟になるものなのでしょうか?多くの女子はその場を動こうとせず、占いの行く末を眺めています。何人かは私よりも早く始めていましたが、あっさりと岸から近くて短い時間で沈んだ私の姿は、どのように写っていたのでしょうか(笑)。その極地はご祭神櫛稲田比賣を祀る祠から見た景色は、神様でない私が言うと失礼ですが、やはり滑稽に見えて仕方がありませんでした。また占いの世界でも現実は厳しいようで、池を対角線上に離れた場所でもなおかつ浮いている〝占いの和紙〟。どれくらいの時間がかかっているのかはわかりませんが、待ちくたびれて当の本人はその場にはいないようでした。
大抵は岸近くで沈んだ形跡が残っていますが、やはりかなりの時間浮いていたため、手が届かない場所まで行ってしまっている形跡も少しながら見ることができます。やはり〝占い〟をする前に〝神のご加護〟を得るために少なくともご祭神への参拝は欠かすことはできないことを改めて知りました。
櫛稲田比賣はお顔を池に映されました。今は人間が〝心〟を池に映しています・・・、そんな思いを持ちながら八重垣神社を後にして、いよいよ今回の旅最終のアクティビティである〝堀川めぐり〟へと向かいます。
僅か7kmの距離に25分もの時間がかかっているのはやはり週末ならではの混雑の影響でしょう。それに加えて松江城界隈では翌19日に女子のハーフマラソンが行われるため、大手前の駐車場が利用できません。最寄の駐車場が利用できないのは不便ですが、松江市では観光客のために県庁の駐車場が解放されています。そのため私もそれにあやかり、県庁駐車場に車を止めて、堀川めぐり乗船場にやって来ました。乗船券1,230円を購入し、しばらく待って乗船します。ここでまさかの展開になります。
堀川めぐりと言うからには〝船舶〟を利用するわけですが、船は法律によって厳しく〝定員〟が定められています。船舶安全法施行規則第八条に記載されているものですが、子供の人数計算は12歳未満の場合〝2人で大人1人〟にはなるものの、それには人数分の〝用途に見合った数〟の救命胴衣を積載していることが条件となります。この辺りは当然運航者は知っていて当たり前のはずですが、ちょうど乗り込んだ船には数人の子供もおり、それに加えて乗船客をまだ乗せようとしています。炬燵船では乗船客が炬燵に入れるように〝炬燵と炬燵〟の隙間を開けて調節するようですが、こんなに窮屈なのか・・・と感じる程でした。結局は定員オーバーであることが判明しますが、のんびりとした土地柄であることはともかく、手際の悪さから余計な時間を費やすことは許されないようにも思います。私自身が不慣れゆえ時間がかかることは仕方がないと思っても、下手すると人命に関わることが、ずさんに取り扱われることには抵抗があって当然だと思っているので・・・。
仕切り直してメンバーが決まり、堀川めぐりがスタートします。意外だったのは、使われている船舶にエンジンが取り付けられていたこと。てっきりお堀に水流があってそれを利用していると思っていたのですが、普通に考えればそうですね~(笑)。松江のガイドブックには必ず乗っている〝堀川めぐり〟ですが、さらりとした知識ではわからなかったこともありました。炬燵船もそうですが、通過する橋の高さによっては、船舶の屋根の高さを変えなければならないところが数ヶ所あります。折り畳み式となっている屋根が、モーターによって高さが低くなります。それはそれで面白いのですが、炬燵船の時期にはその炬燵に顔をつければ大丈夫と〝目安〟がわかりますが、夏とかはどうなんだろう・・・なんて思ったりもしました。寒い時期の炬燵船は確かに魅力的ではありますが、夏は夏でまた面白いように思いました。これで次回のミッションができました(笑)♪
真っ暗な場所や船がぶつかる位狭いところを通過したりと陸上での散策では絶対に体験できないコースを約45分かけて一周して来ました。JAFの割引があるようですが、こういう時に会員証を持参していません・・・(悲)。でも私自身は払った金額に見合う体験ができたと思っています。元々は前日の夕方に出雲からの移動時に行くはずだったものだったため、今日の行程いかんでは立ち寄れない可能性もありました。それがリカバリーの行程で立ち寄れたのは、ある意味〝神のご加護〟だったのかも知れませんね♪
そんなこんなで堀川めぐりのミッションをクリアし、残りの時間を確認します。車を止めている島根県庁からレンタカーの営業所までは約15分。ということは後1時間程散策出来そうだと考え、松江城へと向かうことにしました。
別名千鳥城と呼ばれる松江城は、関ヶ原の戦いで戦功を挙げた堀尾忠氏が24万石を与えられて慶長5(1600)年月山富田城に入り松江藩が成立します。しかし山に囲まれて地理的に偏った場所にあった月山富田城は、水上交通には不便である事や城下町を広く建設できない事などから、慶長8(1603)年に江戸幕府から新城建設の許可を得て、城を築く場所の選定に乗り出しました。その結果鎌倉~戦国時代に末次城が築かれた現在の松江城の場所である亀田山に築城を開始します。そして慶長16(1611)年冬に松江城は完成しますが、初代松江藩主とされる堀尾忠氏は慶長9(1604)年8月に急死したため、忠氏の嫡子である忠晴が2代藩主になるも僅か5歳という年齢のため、祖父の吉晴が執政を行い慶長16(1611)年冬に松江城が落成します。しかし吉晴は松江城の完成を見ることなく同年6月に急死しており、寛永10(1633)年には忠晴が嗣子なくして逝去。ここで堀尾氏は3代で改易となります。その翌年寛永11(1634)年京極忠高が若狭小浜から加増転封されて藩主となるも僅か3年で逝去します。その後寛永15(1638)年信濃松本藩主であった松平直政がやはり加増転封されて松江藩主となり、そのまま明治維新に至るまでの約230年間、松平氏による治世が続くことになります。
堀尾氏が松江藩主だった2代30年間。その藩主として挙げられているのは堀尾忠氏と忠晴の父子ですが、後に忠氏が急死した後幼い忠晴の執政を行った忠氏の父親である堀尾吉晴が、松江城の建築を最初に言い出したとされています。実際には吉晴と忠氏は共同統治していたとされる説が濃厚なようです。事実松江城入り口には〝堀尾吉晴公〟像が建立されており、歴代藩主としては挙げられていないものの、その功績は現代においても称えられていると考えて間違いないでしょう。
その後明治維新の廃藩置県によって明治4(1871)年に廃城となり、明治6(1873)年には〝廃城令〟によって天守閣を除いた建造物は払い下げられてすべて撤去されたものの、当時の陸軍が所有となった天守閣は往時の権力者の手によって買い戻され、保存されることになりました。明治22(1889)年には県知事によって〝松江城天守閣景観維持会〟が組織され、昭和2(1927)年には所有者である松平家から天守閣を含む城跡地が松江市に寄付され公園として整備されました。
史跡・重要文化財に指定される等その価値は着実に評価されていき、都市景観100選・日本100名城(64番)に選定されたのち、平成27(2015)年7月8日には全国で63年ぶり5件目となる天守閣が国宝に指定され現在に至っています。
江戸時代初期の建築物として、廃藩置県でもって取り壊されるはずであった松江城は、所有者と地元の有力者の手によって破壊されるのを免れました。松江城は城内に入るのであればお金がかかりますが、城の周りにある公園は無料で一般に解放されており、予算が限られた旅行者でも楽しめるようになっています。
今回の旅路では結構歩きの部分もあり、敢えてお城に登ることはやめました。それでも公園から眺められる天守閣は十分堪能でき、出雲・松江お礼参り旅のファイナルアクティビティとして旅の締め括りに相応しい場所であったことを改めて思いながら、そろそろ帰路につこうと思います。
松江城入場順路の逆を歩いて亀田山を下りて行きますが、その途中に〝神社〟を見つけて立ち寄ることにします。〝松江神社〟、神話の国ゆえその時代の神様がご祭神に祀られているのだろう…と思ったのが浅はかでした。由緒書によると寛永5(1628)年に松江藩の始祖ともいえる堀尾忠晴公が、西尾町に創建した東照宮御神霊のふたつを明治31(1898)年に合祀し、翌年明治32(1899)年に現在地である松江城二ノ丸に遷座して呼称を〝松江神社〟と改めます。その後昭和6(1931)年には松江藩中興の明主と崇められた第七代藩主松平治郷公と松江開府の祖堀尾吉晴公の遺徳を称えて御神霊を配祀し、現在に至っています。
よくよく見るとご祭神が〝すぐにわかる〟ヒントが存在するこの松江神社。恥ずかしくもしばらく私は気づきませんでした。賽銭箱前に刻まれている〝御紋〟がそれであり、〝徳川葵〟だとわかれば、家康が祀られていることにすぐに気づくはず…、でも気が付かなかった…残念。主祭神として松平直政公、合祀神が徳川家康公、配祀神が松平治郷公と堀尾吉晴公という比較的歴史の浅い神社ではあるものの、祀られているのは今の出雲松江を発展させた〝まさにその人物〟ゆえ、なんとなく親しみも沸いてきたりしました。15:00前後という時間もあり、松江城には多くの観光客が訪れていました。その順路に〝松江神社〟はあるため、気付かないということはないと思います。しかし立ち寄るものは私の他誰もいませんでした…。確かに国宝の松江城の方が〝見映え〟はするでしょう。しかし松江城が江戸時代初期に建てられたままの姿を今日見ることが出来るのは、保存をするべく基盤固めをして現実に移した偉人たちの功があっての賜物のように思えてなりません。
観光するだけでも旅行の楽しみは叶えられると思いますが、やはりそのバックグラウンドに対する知識があるのとないのとでは〝ハマり方〟に大きな差異が出てくるように思います。ガイドブックには〝見開き1ページ〟なのか、1/4に小さく書かれているかの違いがありますが、それを〝掘り進めること〟も事前準備の醍醐味だと思います。ゆっくりしたいのはやまやまですが、さすがにもう戻らないといけない時間になってしまい、車を停めた島根県庁へと戻ることにします。
島根県庁からレンタカーの営業所までは約4km、時間にして15分位で行けそうです。ある程度の渋滞を覚悟はしていましたが、心の準備をしていると大抵は〝取り越し苦労〟で終わってしまいます。今回もそうなり結局15:49に無事返車完了します。走行距離57.8km、松江のアッシー君になってくれた〝move〟クンともお別れです。
ガソリンスタンドがやっているレンタカーなので、給油もまとめて頼むことができます。4.01L入って541円…リッターあたり10km超えているので良しとしますが、それよりガソリン代が125円/Lもするのですね…。タカイタカイ。
行きはホテルから歩いて来ましたが、帰りは松江駅まで送って貰います。ただ…それをわかって貰っていると勝手に勘違いをしていて…車が車庫へと回されてしまいました。オヤっと思いながら恐るおそる〝駅まで送って欲しいんですけど…〟と言ってみるものでした。借りた車で松江駅へと送って貰い、いよいよ関西へと向かうカウントダウンが始まります。
松江駅に到着し、先ずは腹ごしらえと行くことにします。前回の初詣紀行では一日三食取るのが当たり前でしたが、今回のように〝時間に追いまくられる旅(私の場合ほとんどがこちら)〟であれば、〝昼飯抜き〟は当たり前です。出雲でも先を急ぐあまり食事も摂らず歩き出しました。そして今日も同じようになったのですが、駅に着いてやっと時間のめぼしがついたため、お食事処を探します。駅ターミナル内で探したところ、〝出雲そば〟を提供されているところは多々あるものの、なぜか中途半端なこの時間に結構お客さんの入りがある店が多く、ちょっと躊躇します。結局はJR改札口を出たところにある〝出雲そば たらら屋〟さんを発見し入ることにします。
このたたらやさん、改札前にあるということで〝立ち食いそば〟のお店とされているものもありましたが、れっきとした専門店です。ただ座席配列が通路の両脇に置かれ、見た感じでは〝立ち食いそば〟の店舗のように見えるのかも知れません。そのため複数人で訪れたときには〝対面〟で話ができないこともあり、ゆっくりとダベるには不向きかも知れません。しかし扱っておられるものは確かなものであり、奥出雲の具材を使っておられるお蕎麦にはハマります♪今回は割子そば定食を注文しましたが、結構なボリュームがありながら美味しかったです…ゴチソウサマデシタ。
30分程で完食しお腹いっぱいとなったらしばらくブラブラ歩き、一服した後松江駅北口にあるローソンで水を購入します。しか~し、ここでまた〝勘違い〟が発覚します。京都行の高速バスの松江駅発車時刻は17:15…。私は17:30とばっかり思っていました(汗)。3月1日から京都~松江・出雲市路線はダイヤ改正と減便が行われたこともあり、時刻が変わっているところもありました。当然バスチケットには正しい出発時刻が記載されているため、それで確認すればいいのですが、一旦そうだと思い込むと意外に人間ってそれを信じてしまうもので、後数分気付くのが遅れれば〝バス乗り遅れ〟となっていました。駅北口の喫煙コーナーで一服している時に正しい発車時刻に気付き、事なきことを得ました。この17:00台というのはかなりの数のバスが出発・到着します。広島行きが出発し、大阪と京都から来た出雲市行きが到着、そしてその次に入線したのが京都行き〝出雲エキスプレス京都4号〟。西日本ジェイアールバス京都支社オペレートのハイデッカー車両で運行されますが、以前この時間は京阪バスの運行だったように思います。とは言え乗ってしまうとそれまでとなり、定刻に遅れること数分で出発します。車窓から眺める松江駅、次はいつ来るのかな…、そんなことを思いながら特等席3Cに陣取りレッグレストやフットレストの位置の微調整をやっているうちにバスは出発しました。
京都まで約5時間の道程ですが、途中〝大山パーキングエリア〟と〝安富パーキングエリア〟の二ヵ所で休憩があり、下車ができます。ただ…松江駅を出発して約1時間で着く大山パーキングエリアですが、どうやら寝ていたようで記憶にありません…。気が付いた時には蒜山高原サービスエリア付近を走行していました。いくら南淡海の国より西に位置する場所とはいえ18:30頃であればさすがに夜の帳が下りようとしていました。松江や出雲には既に雪はありませんでしたが、この付近には普通に道路脇に雪が残っています。なんとなく撮ってみた動画でしたが、3月中旬だとまだ〝春〟とは言えないのかな…なんて思ったりもしながら、ウトウトしたり現在地を確認したりしながら夜の米子・中国自動車道をバスは走って行きます。
松江を出発して2時間ほどで姫路市の安富パーキングエリアへと到着します。案山子の里とも言われる安富地区、パーキングエリアにも案山子があって、旅行客を迎えてくれます。しかし20:00を過ぎた時間では、お店が開いている訳もありません(悲)。そのためトイレ休憩と一服、それに景色を写メるともうやることがなくなり、大人しくバスへと戻ります。確か休憩は15分とアナウンスされていましたが、多くの乗客は下車すらしなかったこともあり、私が最後にバスへと帰ってきた様子でした。結局予定時間を前にして乗客が全員揃ったことが確認され、少し早発するようにバスは出発。京都への〝本当〟のラストランが始まります。
安富パーキングエリアから中国自動車道・名神高速道路・阪神高速道路京都線を経由し、48時間前に出発した京都駅烏丸口JR1乗り場へと到着します。15分ほどの早着でしたが、この1時間は〝帰る時間〟に大いに関係するものでした。取り敢えずいつもの京都タワーと羅生門の模型、京都駅駅ビルをカメラに収め、早歩きで2番ホームへと向かいます。出雲エキスプレス京都4号の京都駅到着予定時刻は22:15であったため、京都駅を22:17に出発する電車には乗れないため、その次の電車に乗ると乗り継ぎの〝田舎の赤バス〟が23:20となり、自宅には23:40の到着となります。しか~し1本早い電車だと、京都駅22:17~22:31/田舎の駅/22:42~22:57田舎のバス停となり、到着時間が結構早くなります。いきなり現実問題に直面しますが、明日から5日間連勤になり、少しでも早く帰りたい…との気持ちもあったため、この早着はありがたいことでした。快速米原行きに乗車し、トンネルをふたつくぐるともうそこは淡海の国。名前だけの県庁所在地駅を越えれる間もなく〝田舎駅〟へと到着します。10分程バスに乗るまでの時間があることを確認して、馴染みのファミリーマート石山駅前店に立ち寄り、タバコを購入します。一服を済ませるとバスが入線してきたので乗車し、昼間なら瀬田川沿いの風光明媚な景色が広がる路線も夜ならば何も見えません(泣)。まあ見慣れているものとしては構わないので、ボケ~ッと車窓を眺めたまま15分、ド田舎バス停へと到着します。そして自宅には22:59到着、予定より40分早く到着することは私にとってはまずないことかも知れません。
今回のお礼回りの旅も何かと波乱がありました。そして変な誤解をうんでしまったところもあるようです。お礼参りの旅はあくまで〝試験合格〟に対する〝お礼参り〟だと言っていたにも拘らず、訪ねた先が〝縁結び〟所縁の神社が多いということで、〝その路線〟に入れ込んでいると言われています。まあ人がどう判断するかには私自身興味がないので、〝そう思うならどうぞ~〟なんて言っていますが、やはり旅行慣れしていないものからすれば〝行き先〟だけ見ると、そうとしか思えないのかも知れません…。今回訪れた特に縁結び所縁と言えば〝出雲大社〟と〝八重垣神社〟ですが、このふたつは公共交通機関を利用して普通に行くことが出来るため、敢えてレンタカーを借りる必要もありません。なぜレンタカーを借りなければならないかというと、一日数便しかなく、また平日のみの運行である〝コミュニティバス〟しかない〝菅原天満宮〟への足の確保に他なりません。別に私自身は自分の旅行の目的を何と言われようと構いませんし、気にもしません。でもその目的がわかれば、興味を持って貰える〝場所〟や〝交通〟等への〝思い入れ〟がわかると思います。そして何かの機会にそれを思い出して見て貰えればいいかな…という気持ちになっています。
相変わらずの長文にお付き合い頂きましてありがとうございました。これで〝《March.2017》あみんちゅ感謝のお礼参りの旅そのⅤ~松江後半・Epilogue編~〟を終わります。
【2日目費用:13,508円】
【総費用:36,326円】
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 レンタカー JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
昨日時間切れ終了となり、行けなかった八重垣神社の大鳥居前に改めて到着しました。
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八重垣神社、境内案内板。八重垣神社の由緒書きには次のように記されています。
〝早く出雲の八重垣様に、縁の結びが願いたい〟という歌は、出雲においては最も古い民謡の一節で、八岐大蛇退治で、名高い高天原第一の英雄、素盞鳴尊と国の乙女の花とうたわれた、稲田姫命との結婚物語の神話にゆかりの最も深いのが出雲の縁結びの大神として知られる八重垣神社で、御祭神も素盞鳴尊と御妃、稲田姫命の御夫婦が御祀りしてあります。大国主命の親神様であります。
素盞鳴尊が出雲の斐の川上に、こられた時、稲田姫を中に老夫婦(脚摩乳、手摩乳)が泣いておられる様を御覧になって、その理由を御聞きになり、悪者、八岐大蛇を退治して稲田姫を御救いなされたのであります。この時素盞鳴尊は、稲田姫を斐の川上から、七里を去った佐草の郷、佐久佐女の森(現境内、奥の院、鏡の池のある森、小泉八雲は神秘の森と称しておる)の大杉を中心に八重垣を造って姫を御隠しなされ、八岐大蛇を御退治になってから、御両親の脚摩乳・手摩乳の御許しを得て、「いざさらばー連れて帰らむ佐草の郷に」という、出雲神楽歌にもある通り佐草の地に宮造りされて「八雲立つ出雲八重垣妻込めに、八重垣造る、その八重垣を」という妻をめとった喜びの歌をうたわれて御夫婦の宮居とされ、縁結びの道をおひらきになったのであります。即ち天つ神(素盞鳴尊)、地つ神(稲田姫命)の二方が脚摩乳、手摩乳の承諾を得られた、正式結婚の初めの大神で出雲の縁結びの大神として、本家、本元の大祖神様であります。
「わすれしゃんすな八重垣様に、縁を結んだそのはじめ」と、古くから民俗信仰の厚い古社であり名社であります。 -
八重垣神社、隋神門。
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隋神門の中(左)には素戔嗚尊がおられます。
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そして(右)には櫛稲田比賣命がおられるようですね…。
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八重垣神社、隋神門左後ろの狛犬さま。
見た感じ犬というよりもは顔が鳥のようなカルラ天のような雰囲気です。全国に二個しかない貴重な物ということですが、かなり痛みが激しくことから歴史を感じます。 -
八重垣神社、隋神門右後ろの狛犬さま。
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八重垣神社、拝殿。
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八重垣神社、拝殿内部。
八重垣神社 寺・神社・教会
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八重垣神社、玉垣と本殿。
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八重垣神社、宝物殿。中は撮影不可(だったと思う…)です。
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天照大御神が祀られています。
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境内社〝山神社〟。祠のお隣にあるのは○○ですね(笑)。
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お社の傍にも〝なにげ〟に〇〇があります(笑)!
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こんなところにも〇〇がありました(爆)。
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(左)貴布祢神社。
(右)手摩乳神社。
大山津見神の子である手摩乳(てなずち)は脚摩乳(あしなずち)の妻である8人の娘がいたが、ヤマタノオロチに年に一人ずつ〝生贄〟を求められ、既に7人の娘を奪われていた。最後に1人残った末娘の櫛名田比売命もやがて捧げねばならず、泣いているところを高天原を追われて出雲へ降った須佐之男神に助けられた。 -
〝八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を〟
素戔嗚尊御歌だそうです。 -
この門を出ると〝佐久佐女の森〟に続く参道に繋がります。
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駐車場横にのびる〝佐久佐女の森〟に通ずる参道。
奥の院、佐久佐女の森(神秘の森)由来文より
本殿の後方に奥の院、佐久佐女の森がある。そこは稲田姫命が八岐大蛇の難を御避けなさった場所の中心地で、その森の大杉(今は其の跡が保存してある)を中心に周囲に八重垣を造って御避難されたといわれます。八重垣とは、大垣、中垣、万垣、西垣、万定垣、北垣、袖垣、秘弥垣という八つの垣で今も尚その垣の名が山の上や中腹、田の中等に地名が残っております。小泉八雲は神秘の森と称し、知られぬ日本の面影にくわしくのべております。この森は、出雲小唄の「出雲八重垣妻込め所、いとし女の置き所」と歌っています。 -
〝佐久佐女の森〟内『鏡の池』。
鏡の池の由緒書には次のように記されています。
境内奥地に佐久佐女の森があり、その奥に「鏡の池」という池がある。この池は稲田姫が御避難中の飲料水とし、姿をお写しなされた池であり、姿見の池ともいう。稲田姫命の御霊魂が根づいている池であり、縁結びの池として著名。すなわち紙片に硬貨を乗せて早く沈めば(15分以内)良縁はやく、遅く沈むと(30分以上)、縁がおそく、近くで沈むと身近な人、遠くで沈むと遠方の人と結ばれるといわれている。 -
社務所で頂いた和紙の中央に10円もしくは100円を乗せて池に浮かべると…。
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こんな感じになります。
鏡の池の占いは、岸からの距離が〝遠い〟〝近い〟で〝最寄りにいる人〟か〝遠くにいる人〟ということ。そして沈むまでの時間が〝早い〟か〝遅い〟で〝結ばれるまでの時間〟を告げるものとされています。 -
人がすぐに集まるので、場所を譲って〝占い〟を見届けます。
おや、私の動く方向にお告げが流れてきましたね~。 -
〝何事も ほどほどに 東と北 吉〟とのお告げです。心に刻んでおきます♪
すると『あっ』という間に沈みました。時間にして3分程。そして若干流れたものの岸辺近くで沈んだということは…?ムフフ。
なんて言ってたら周りに『それって自分に近付いて来たってことは、誰も来ないからひとり二役やれってお告げじゃないの?』と悪態をつかれました(泣)。マアイイケドネ
https://youtu.be/KTa_JlC5tkU -
占いに於いても〝厳しい現実〟というものもあります。奥に浮いている紙は多分沈むこともなく、滞在時間の関係で見捨てられたものでしょう…。
そしてそれ程の枚数は枚数ではないように見えますが、この辺りまで沈まないで来たのであればかなりの時間浮かんでいたことになります…。占いもシリアスですね…。 -
ちなみに私の隣にいた女子は少し前に占いを開始していたようですが、私のが沈んだ跡に〝鏡の池〟を一周して帰ってきたときにもまだ水面を見ていたようです…。
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鏡の池を見下ろす天鏡神社。ご祭神は櫛稲田比賣命。
鏡の池(縁結占いの池)由来文より…
〝美容調整の御神徳 出雲八重垣鏡の池に 写す二人の晴姿〟
この池は稲田姫命が八岐大蛇の難をさけるため、森の大杉を中心に八重垣を造って御避難中日々の飲料水とし、又御姿を御写しなされた池で姿見の池、鏡の池という。稲田姫が美容調整された池で神秘的な池である。こんこんと湧き出る清水は昔ながらの面影をしのばせ、稲田姫命の御霊魂が深く滲透しておるので縁結びの占の池として紙片に硬貨をのせ縁の遅速を占い早く沈めば良縁早く、おそく沈むと縁がおそいといわれています。
人の運勢は縁組の善悪によって一大転換をなすものですから御祭神の縁組が御栄えなさったように御神徳の広大な出雲の縁結びの本家、本元の大祖神である八重垣の大神を尊信して、良縁を得られ、二人の晴れ姿を、この神秘の森、鏡の池に写され、末永く御加護を受けて御繁栄されますよう念願いたします。池や附近の地帯は古代文化埋蔵地帯として国家より指定されています。 -
天鏡神社から見る〝鏡の池〟。笑ってはいけないとは思っても、やっぱり笑えてしまう…。
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夫婦杉。
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夫婦杉の由来分より…
〝神の御前で千年を契り、注縄もはなれぬ夫婦杉〟
昔稲田姫命がこの森の大杉を中心に八重垣を造って身を御隠しなされたという故事にちなんだ神社随一の古伝祭である身隠祭が五月三日夕闇せまる頃、この夫婦杉に神幸祭が執り行なわれます。 -
夫婦椿(子宝椿)。
夫婦椿とは、二本の別の椿の木が途中で繋がって一本になったものを指します。この夫婦椿(子宝椿)は佐久佐女の森にあるものです。 -
境内の夫婦椿(乙女椿)。
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八重垣神社、夫婦椿。
連理玉椿と呼ばれるこの夫婦椿の木は、八重垣神社石鳥居を出たところにありました。あの化粧品の〝資生堂〟の〝花椿会〟はこの玉椿を神聖化して名づけられたそうです。なので美容調整の御神徳があると言っても過言ではないでしょう。 -
八重垣神社の鳥居前でたかティムさん♪
縁結びの参拝を済ませ、堀川めぐりへと向かいます。 -
島根県立図書館の駐車場に車を停めて、堀川めぐりの乗船場へと向かいますが…実は翌3月19日日曜日に松江レディースハーフマラソンが行われるため、大手前駐車場が利用できません…。なので最も近い駐車場が使えなくなっています…(困)。
松平直政公 騎馬像 名所・史跡
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松江城のお堀に沿って歩いて行きます。
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堀越しに見える松江城天守閣は国宝です♪
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史跡松江城と国宝松江城天守の碑が建立されていました。
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松江城大手前木戸門跡にて、たかティムさん♪
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堀川めぐり、大手前広場乗船場に到着しました。
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こちらで乗船券を購入します。
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乗船券は大人1,230円です。
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ぐるっと松江〝堀川めぐり〟パンフレット(表面)。
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ぐるっと松江〝堀川めぐり〟パンフレット(裏面)。
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それでは乗り込むとしましょうか。
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出航して松江城に沿って進みます。
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北惣門橋を通過します。
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松江歴史館付近です。
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冬の堀川めぐりの風物詩、こたつ船♪
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八雲記念館付近です。
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松江北堀美術館付近です。
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稲荷橋手前付近です。
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新橋を通過します。
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堀川めぐりの船内にて、たかティムさん♪
ぐるっと松江堀川めぐり 乗り物
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間もなくふれあい広場です。
ぐるっと松江堀川めぐり 乗り物
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乗下船なしでふれあい広場を出航し、稲荷橋付近へと戻ってきました。
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北方向へと進んで行きます。
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マガモだったっけ…。
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大雪や台風の影響で倒れてしまった樹木もあるとのことでした。
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もうじき島根県立図書館や島根県庁が見えてきます。
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島根県立図書館が見えました。
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進行方向には小さな橋が見えてきました。トオレルノダロウカ・・・。
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うべや橋は最も狭く最も低い橋で、加えて最も暗い場所でもあるそうです♪
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うべや橋通過中。まさかのモバイルライトが点灯してしまいました(驚)。
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実際の明るさはこんな感じです♪
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京橋川エリアへとやってきました。
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新しい建物が並んでいます。
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普門院橋を通過したポイントが松江城の撮影ポイントだと聞きましたが…あれっ?チイサスギテワカンナイ。
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ズームしてみるとわかりますね♪
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松江ホーランエンヤー伝承館の隣を通り…。
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松江歴史館から塩見縄手通りに沿って船が進むと間もなく終着点になります。
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帰って来ちゃいました。45分の船旅は楽しいものでしたが、立った瞬間足が痺れてもつれかかってしまいました。コドモハゲンキダネ
少し時間が余ったので松江城へと向かいます♪ -
考え方によっては初代松江藩主ともいえる〝堀尾吉晴公〟銅像。
堀尾吉晴公の像 名所・史跡
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史跡松江城と国宝松江城天守の碑の前でたかティムさん♪
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松江城大手前木戸門跡。
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復興された一ノ門。松江城が建てられた頃はもっと大規模なものであったとされています。
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国宝の天守閣ですが、アングルの関係からかどことなく格好良くとれていません…。
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人がいない場所に切り込むと石垣が邪魔になったりします…。
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その合間を縫ってセルフショット♪
たかティム with 松江城! -
東郷大将御手植と書かれています。
東郷大将とは…日清日露戦争で活躍した東郷平八郎元帥のこと。軍人として全国をくまなく回っており〝お手植え〟とされるものが多く存在します。松江城山公園 花見
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周りがうるさいですが、形ではベストショットかな?
松江城天守閣♪ -
最後に松江城withたかティムさん♪
松江城 名所・史跡
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松江神社の石鳥居。
松江神社 寺・神社・教会
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松江神社、拝殿。
松江神社 寺・神社・教会
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松江神社に参拝します。〝三つ葉葵(徳川葵)〟の御紋です♪
松江神社 寺・神社・教会
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松江神社 with たかティムさん♪
松江神社 寺・神社・教会
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今回お借りしたmove君です♪
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よく走ってくれました♪
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125円/Lですか…結構しますねガソリン代…。
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松江駅へと戻って来ました。
松江駅 駅
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まずは腹ごしらえと行きましょう。
出雲そば たたらや グルメ・レストラン
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〝出雲そば たらら屋〟さん、割子そば定食です♪
出雲そば たたらや グルメ・レストラン
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お腹も膨れました。後は帰るのみ…。
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はいチ~ズ♪
松江駅とタカティムさん♪ -
松江駅17:15発出雲エキスプレス京都4号は西日本ジェイアールバス京都支社のオペレートです。
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3列セパレートシートの車両で特等席3Cを予約手配してます♪
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高速バスネットで手配した松江~京都間〝出雲EXP4号〟の乗車券。こちらはネット割に加えて早割5で取っています♪
松江市バス(路線バス) 乗り物
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バスが動き出しました。さようなら松江!また来る日まで!!
https://youtu.be/QMh4hfKu5oI松江市バス(路線バス) 乗り物
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間もなく安富サービスエリアに到着します。
大山パーキングエリア 道の駅
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2回目の休憩ですが、1回目の大山パーキングエリアは寝ていました・・・。
安富パーキングエリア(上り線)スナックコーナー グルメ・レストラン
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安富パーキングエリアは“案山子”で有名だそうです。
安富パーキングエリア(上り線)スナックコーナー グルメ・レストラン
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お店はすでにしまっており、案山子だけが目立ちます。
安富パーキングエリア(上り線)スナックコーナー グルメ・レストラン
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やはりすみっこに追いやられている“喫煙所”で一服した後バスに乗り込みます。
安富パーキングエリア 道の駅
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出雲エキスプレス京都号、行先表示板。
高速バス (西日本JRバス) 乗り物
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間もなく京都駅に到着します。
JRバスチケットセンター (京都) 名所・史跡
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京都駅まで運んでくれた出雲エキスプレス京都4号。センキュ~♪
京都駅 駅
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京都タワーが目を引きます♪
京都タワー 名所・史跡
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48時間ぶりに京都駅へと戻って来ました。
京都駅ビル 名所・史跡
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快速米原駅行きで石山駅へと帰って来ました。
石山駅 駅
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田舎の赤バスでLast Runです♪
京阪石山駅 駅
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ど田舎バス停で下車し、南淡海の我が家には22:59に無事到着しました♪
京阪バス (大津エリア) 乗り物
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