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夕方 それほど時間がない中サンマリノの見学が続く 1540 ケーブルカー乗り場からリベルタ広場へ.政庁となっているププリコ宮,リバルタ広場,自由の女神像をみる,政庁では衛兵が守っている.記念写真を撮る,サンマリノ大聖堂(Basilica del Santo)へ.新古典主義的な聖堂を見る.あまりサンマリノの雰囲気には合わないかな.<br />その後急な坂を上り,第1の砦に.La Rocca o Guaita グアイタの塔」という.真のすごく堅固な砦だ.紀元3世紀以来共和国なのはこれほどの自治意識なのだろう.12世紀に造られた砦だ.立派な砦だし,景色が抜群だ.この山ティターノ山は片方が崖で防衛しやすかったと思う.

2016.8スロベニア・イタリア旅行39-サンマリノ街歩き,リベルタ広場,サンマリノ大聖堂,第1の砦

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2016/08/20 - 2016/08/20

147位(同エリア230件中)

SUOMITA

SUOMITAさん

夕方 それほど時間がない中サンマリノの見学が続く 1540 ケーブルカー乗り場からリベルタ広場へ.政庁となっているププリコ宮,リバルタ広場,自由の女神像をみる,政庁では衛兵が守っている.記念写真を撮る,サンマリノ大聖堂(Basilica del Santo)へ.新古典主義的な聖堂を見る.あまりサンマリノの雰囲気には合わないかな.
その後急な坂を上り,第1の砦に.La Rocca o Guaita グアイタの塔」という.真のすごく堅固な砦だ.紀元3世紀以来共和国なのはこれほどの自治意識なのだろう.12世紀に造られた砦だ.立派な砦だし,景色が抜群だ.この山ティターノ山は片方が崖で防衛しやすかったと思う.

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
友人
交通手段
レンタカー 徒歩
航空会社
アドリア航空 (運航停止) ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 1540 Eugippo通りを歩く

    1540 Eugippo通りを歩く

  • 城壁が残る

    城壁が残る

  • 広場まででたので,通ってきた道を振り返る

    広場まででたので,通ってきた道を振り返る

  • サンタキアラ修道院

    サンタキアラ修道院

  • はるかむこうにサンレオ城

    はるかむこうにサンレオ城

  • ケーブルカー駅へ,2008年来た時は往復した

    ケーブルカー駅へ,2008年来た時は往復した

  • Borgo Maggiore の街

    Borgo Maggiore の街

  • Contrada Omagnano通りを行く

    Contrada Omagnano通りを行く

  • ケーブルカーのほうを見る

    ケーブルカーのほうを見る

  • なんだろうねえ 井戸かな

    なんだろうねえ 井戸かな

  • ププリコ宮 ここはサンマリノ政庁として使われている 1894年につくられたネオゴシック式様式の建築

    ププリコ宮 ここはサンマリノ政庁として使われている 1894年につくられたネオゴシック式様式の建築

  • イチオシ

    地図を見る

    リベルタ広場 広場・公園

    ここからサンレオの砦が見える.ぜひ見るといい by SUOMITAさん
  • 反対側に行く 自由の女神像

    イチオシ

    反対側に行く 自由の女神像

  • 自由の女神と言えば、誰もがアメリカのマンハッタンを思い浮かべるのではないでしょうか。アメリカにある自由の女神は、フランスから友好のしるしとして贈られたものですが、サンマリノ共和国にある自由の女神(la statua della liberta&#39;)は、それよりも古いものです。トスカーナ地方、カッラーラ産という良質の大理石が用いられ、イタリアの彫刻家ステファノ・ガッレッティによって作られました。そして1876年、サンマリノ共和国内のアックアヴィーヴァ市(Castello dell’Acquaviva)の伯爵夫人となったベルリンのヴァージェナー伯爵夫人から、自由のシンボルとして、サンマリノ共和国へ贈与されました。リベルタ広場に毅然と立つ“元祖“自由の女神は、長きにわたって民主・中立・自由を重んじてきたサンマリノ共和国のシンボルとされています。ちなみに、サンマリノ共和国が発行する2セントコインの裏側には、自由の女神がデザインされています.http://www.amoitalia.com/sanmarino/piazza_liberta.html

    自由の女神と言えば、誰もがアメリカのマンハッタンを思い浮かべるのではないでしょうか。アメリカにある自由の女神は、フランスから友好のしるしとして贈られたものですが、サンマリノ共和国にある自由の女神(la statua della liberta')は、それよりも古いものです。トスカーナ地方、カッラーラ産という良質の大理石が用いられ、イタリアの彫刻家ステファノ・ガッレッティによって作られました。そして1876年、サンマリノ共和国内のアックアヴィーヴァ市(Castello dell’Acquaviva)の伯爵夫人となったベルリンのヴァージェナー伯爵夫人から、自由のシンボルとして、サンマリノ共和国へ贈与されました。リベルタ広場に毅然と立つ“元祖“自由の女神は、長きにわたって民主・中立・自由を重んじてきたサンマリノ共和国のシンボルとされています。ちなみに、サンマリノ共和国が発行する2セントコインの裏側には、自由の女神がデザインされています.http://www.amoitalia.com/sanmarino/piazza_liberta.html

  • ププリコ宮の塔の上のフレスコ画

    ププリコ宮の塔の上のフレスコ画

  • 自由の女神の下には水道が

    自由の女神の下には水道が

  • ププリコ宮 ここはサンマリノ政庁<br />リベルタ広場には議会が行われているサンマリノ政庁(Palazzo Pubblico)があります。政庁内で開かれる議会は見学する事ができるそうで、国の財政を観光収入で賄っているサンマリノらしいアイデアですね。<br />政治は議員60人に加え、4月と10月に元首の役割をする執政と呼ばれる人が議員の中から2人選ばれて運営されています。つまり、半年間ですが一般人が首相になるようなもの!権力の集中を防ぎ、常に民主主義の精神を守ってきたこの国ならではの政治体制です。またサンマリノ共和国は、人口3万人ほどで、日本で言うと種子島の人口と同じくらいです。そこで、ほとんど皆が顔見知りの為に、裁判官は外国人を雇って公平さを保っているそうです。これも他の国では見られないものです。<br />http://www.amoitalia.com/sanmarino/piazza_liberta.html

    ププリコ宮 ここはサンマリノ政庁
    リベルタ広場には議会が行われているサンマリノ政庁(Palazzo Pubblico)があります。政庁内で開かれる議会は見学する事ができるそうで、国の財政を観光収入で賄っているサンマリノらしいアイデアですね。
    政治は議員60人に加え、4月と10月に元首の役割をする執政と呼ばれる人が議員の中から2人選ばれて運営されています。つまり、半年間ですが一般人が首相になるようなもの!権力の集中を防ぎ、常に民主主義の精神を守ってきたこの国ならではの政治体制です。またサンマリノ共和国は、人口3万人ほどで、日本で言うと種子島の人口と同じくらいです。そこで、ほとんど皆が顔見知りの為に、裁判官は外国人を雇って公平さを保っているそうです。これも他の国では見られないものです。
    http://www.amoitalia.com/sanmarino/piazza_liberta.html

  • 衛兵が守る

    衛兵が守る

  • 衛兵交代があるが,今日は見る時間がない.しかし衛兵はかっこいいね

    衛兵交代があるが,今日は見る時間がない.しかし衛兵はかっこいいね

  • 中に入れるが時間がないので,今回は入らなかった(2008年には入ったことがある)<br />

    中に入れるが時間がないので,今回は入らなかった(2008年には入ったことがある)

  • なんと日本のルパン三世 たしかにサンレオ城がカリオストロの城としてモデルになっているが

    なんと日本のルパン三世 たしかにサンレオ城がカリオストロの城としてモデルになっているが

  • サンマリノ大聖堂は1835年から1838年に建造された新古典主義様式のバシリカで、かつての聖堂の跡地に建てられました。https://retrip.jp/articles/31667/<br />右はサンピエトロ聖堂 今回は省略した.

    イチオシ

    地図を見る

    サンマリノ大聖堂は1835年から1838年に建造された新古典主義様式のバシリカで、かつての聖堂の跡地に建てられました。https://retrip.jp/articles/31667/
    右はサンピエトロ聖堂 今回は省略した.

  • サンマリノ建国の聖人である聖マリーノの遺物をまつった大聖堂.ローマ帝国によるキリスト教の迫害を逃れて来た石工職人マリーノが,ティターノ山の山頂に隠れ住んだのが、この国のはじまり.

    サンマリノ建国の聖人である聖マリーノの遺物をまつった大聖堂.ローマ帝国によるキリスト教の迫害を逃れて来た石工職人マリーノが,ティターノ山の山頂に隠れ住んだのが、この国のはじまり.

  • ギリシャ建築のようだ

    イチオシ

    ギリシャ建築のようだ

  • さらに歩いていく

    さらに歩いていく

  • 一度下ってからSanta Croce通りを登る

    一度下ってからSanta Croce通りを登る

  • 結構きつい坂だ

    結構きつい坂だ

  • 第一の砦(La Rocca o Guaita)

    第一の砦(La Rocca o Guaita)

  • 1629 12世紀に造られた立派な戦闘用の砦 1463年には実際の戦闘に使われた.(教皇・ウルビーノ公・サンマリノ同盟軍とリミニ領主との闘い)1743年には衛兵の要塞本部が置かれ,数世紀にわたり刑務所としても使われていたとのこと<br />

    1629 12世紀に造られた立派な戦闘用の砦 1463年には実際の戦闘に使われた.(教皇・ウルビーノ公・サンマリノ同盟軍とリミニ領主との闘い)1743年には衛兵の要塞本部が置かれ,数世紀にわたり刑務所としても使われていたとのこと

  • 小さな教会がある

    小さな教会がある

  • 中は改築されているようだ

    中は改築されているようだ

  • 第二の砦(La Cesta o Fratta)がみえる

    第二の砦(La Cesta o Fratta)がみえる

  • 標高738m 第二の砦が一番高く749m.

    イチオシ

    標高738m 第二の砦が一番高く749m.

  • 砦の周りには

    砦の周りには

  • このように窓があり周りを狙える

    このように窓があり周りを狙える

  • Str. Quinta Gualdaria通り沿い 丘の尾根づたいに家が並ぶ 東側になる

    イチオシ

    Str. Quinta Gualdaria通り沿い 丘の尾根づたいに家が並ぶ 東側になる

  • すごい砦だなあ 昔見た時もすごかったが 今回来たらやっぱりすごい 2008年は9月で空気が澄んでいてけしきはずっときれいだったが,今日は少し水蒸気が多いようだ

    すごい砦だなあ 昔見た時もすごかったが 今回来たらやっぱりすごい 2008年は9月で空気が澄んでいてけしきはずっときれいだったが,今日は少し水蒸気が多いようだ

  • 1653 第2の砦へ

    1653 第2の砦へ

  • 砦のわきにある城壁を越える

    砦のわきにある城壁を越える

  • 第二の砦に歩く

    第二の砦に歩く

  • 尾根伝いを行く

    尾根伝いを行く

  • 道の横を覗くと

    道の横を覗くと

  • 下は崖

    下は崖

  • もう少しで第2の砦だ

    もう少しで第2の砦だ

  • すべての博物館などに入れる入場券9ユーロ,カード代1.5ユーロ(返金可能)あわせて10.5ユーロ

    すべての博物館などに入れる入場券9ユーロ,カード代1.5ユーロ(返金可能)あわせて10.5ユーロ

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