2017/02/17 - 2017/02/19
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nichiさん
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スキーを終えて会津若松に着いた私たちは会津鶴ヶ城へ。
そして本丸に入ります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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本丸に入るのは有料です。
ここでチケット購入。 -
510円×2人
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塩蔵の入口。
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いよいよ中へ。
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1階2階は撮影禁止。
3階は撮影可ですがフラッシュ不可。
地下と4階5階は撮影可。 -
まずは地下から。
地下は塩蔵として使われていました。
ブレブレですみません。 -
1階と2階で、会津を治めた歴代藩主の変遷を、映像や様々な展示方法で表現されていました。
そして3階へ。
3階は戊辰戦争や白虎隊など幕末期の解説。
映像に見入っています。 -
鶴ヶ城が燃えているのを見て、飯盛山で切腹する若き白虎隊の絵です。
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鶴ヶ城の中では官軍に対抗するため、女子もなぎなたを手に戦いました。
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4階の壁には会津にゆかりのある方々の解説がありました。
歴史オタクの私たち夫婦にとってはたまらなく嬉しいもの。
時間をかけて一つ一つに見入ってしまいました。
2013年(4年前)のNHK大河ドラマ「八重の桜」の配役も併せて調べてみました。
萱野権兵衛。
NHK大河ドラマ「八重の桜」では、柳沢慎吾が演じていました。
容貌は秀麗、性質も温良恭謹で若い時から人望があったようです。
会津戦争の責任を取り、藩主松平容保の死を免ずる代わりに切腹しました。 -
佐川官兵衛。
NHK大河ドラマ「八重の桜」では、中村獅童が演じていました。
性格は直情的だが人情に厚く、多くの会津藩士から信頼されていたようです。
戦闘において勇猛で、「鬼官兵衛」と言われていました。 -
西郷頼母。
NHK大河ドラマ「八重の桜」では、西田敏行が演じていました。
会津藩の家老として新政府軍と戦いますが、惨敗。
元々は松平容保が京都守護職を受けたことに反対であり、官軍対幕府の政局に巻き込まれることを恐れていました。 -
秋月 胤永(通称・悌次郎)
NHK大河ドラマ「八重の桜」では、北村有起哉が演じていました。
幕末の会津藩を支えた公用人で、戦争責任を問われ終身禁固刑となりますが、特赦され、東京大学や熊本の第五高校などに勤め、小泉八雲とも親交を温めています。 -
山川浩(太蔵)
NHK大河ドラマ「八重の桜」では玉山鉄二が演じていました。
ドラマでは密かに八重に恋心を抱いていました。
ヨーロッパ視察を行い、戊辰戦争では家老となります。
後には東京高等師範学校や女子高等師範学校の校長になります。 -
山川健次郎
NHK大河ドラマ「八重の桜」では勝地涼が演じていました。
ドラマでは八重から鉄砲や砲術を学び、白虎隊として戦います。
敗戦後は留置所を脱出して雨リアに留学。
帰国後は東大や九州大学の総長を歴任します。 -
大山捨松
NHK大河ドラマ「八重の桜」では水原希子が演じていました。
山川浩(大蔵)や山川健次郎の妹。
わが国初の女子留学生。
なんと会津の敵であった元薩摩藩士の大山巌と結婚。
大山巌はのちに日露戦争で大活躍をします。
捨松は、明治の社交界で活躍するスーパーレディとなります。 -
山本覚馬
NHK大河ドラマ「八重の桜」では西島秀俊が演じていました。
八重の兄。武術や蘭学に優れ、佐久間象山の塾に入塾。
白内障で失明し、戊辰戦争開戦時に薩摩藩に捕らえられますが、西郷隆盛に認められ、京都の近代化でその手腕を発揮します。 -
新島八重
NHK大河ドラマ「八重の桜」では綾瀬はるかが演じていました。
会津藩の家に生まれ、娘時代は自ら銃を握り官軍と戦いました。
そして新島襄と結婚し、キリスト教を信仰。
同支社大学を設立します。
新島襄の死後、篤志看護婦として日清日露戦争の負傷者の治療にあたり、社会福祉活動にも力を注ぎます。 -
出羽重遠
会津藩士の家に生まれ、当初年齢が達せず白虎隊には加われませんでしたが、鶴ヶ城で戦いました。
後に海軍士官となり、大将にまりました。 -
広沢安任
NHK大河ドラマ「八重の桜」では岡田義徳が演じていました。
会津藩士で京都にて公用方として活躍しました。
敵であった新政府はその手腕を買い、広沢安任を政府に招きますが、彼は固辞。
牧場経営に没頭し、生涯をささげています。 -
飯沼貞吉
NHK大河ドラマ「八重の桜」では峯崎雄太が演じていました。
元白虎隊藩士。
会津戦争に敗れ、白虎隊の皆と飯盛山で自刃しましたが、瀕死の重傷の状態で村人に命を救われます。
飯沼貞吉が生き残ったことで、白虎隊の悲劇が後の世に伝わりました。 -
北原雅長
会津藩の家老の次男坊。
藩主である松平容保の京都守護職の拝命により、一緒に京都へ。
戊辰戦争に負けた後は元会津藩士として謹慎。
謹慎が解かれた後は公務員となり、なんと長崎市の初代市長となります。 -
日下義雄
会津藩の侍医の息子。
鳥羽伏見から会津、函館まで官軍と戦いました。
敗戦後謹慎。
謹慎後は同じく会津出身の北原雅長を支え長崎県政を担い、
日下部自身は福島県知事を務めました。 -
池上四郎
戊辰戦争の際、まだ子供で白虎隊に参加できませんでしたが、
士気を高めるために、城内で唐人ダコを揚げたのは有名な話。
会津敗戦後は、苦学して警察官になり、最後は大阪市長にまでになっています。
秋篠宮妃紀子様はひ孫にあたります。 -
柴五郎
戊辰戦争の時はまだ9歳。
後には陸軍の軍人となり、海外でも活躍しました。
中国における活躍は英国の高い評価を受けており、後の日英同盟締結の立役者となっています。 -
海老名リン
会津藩士の家に生まれ、夫は会津藩の老中にまで出世します。
会津藩の敗戦後、キリスト教を信仰し女子教育に力を注ぎ、会津に女学校を設立します。 -
井深梶之助
戊辰戦争の時はまだ若くて白虎隊には入れませんでした。
会津の敗戦後は会津に戻って勉学に励み、進学を学び牧師になりました。
明治学院大学が設立されると、教授として教壇に立ち、二代目の大学総長になりました。
井深八重
井深梶之助の姪。
同志社を卒業後、一度は教師の道に進みますが、看護の道へ。
生涯をハンセン病患者の救済に捧げました。
1959年には教皇ヨハネ23世より聖十字勲章を、1961年には赤十字国際委員会よりナイチンゲール記章を受章。日本カトリック看護協会(JCNA)初代会長となっています。 -
松江豊寿
戊辰戦争の時に若松で生まれ、22歳に陸軍少尉に。
捕虜収容所長時代、ドイツ人捕虜を人道的に扱い、 -
天守閣の最上階へ。
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北側に見えるものはーーー?
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会津若松駅方面を臨みます。
北側です。 -
奥の方ですが、雲の下に磐梯山の下側が見えます。
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今日の午前中に滑ったアルツ磐梯スキー場が見えます。
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手前の丘が飯盛山です。
ここから白虎隊はこの鶴ヶ城が燃えているのを見たわけですね。 -
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北側の城内です。
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眼下には城の武者走りが見えます。
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東側に見えるものはーーーー?
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会津松平氏庭園や会津武家屋敷が見えるはずなのですが、よく判らず、、、、
奥の山々ですが、
左側の山は慶山山。
右側の山は羽黒山です。羽黒山の麓は有名な会津東山温泉です。
この山の奥には猪苗代湖があります。
ここで猪苗代湖と会津の間に思ったより距離があることを実感します。 -
南側に見えるものはーーーー?
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南側です。
芦ノ牧温泉方面です。
真下にはお城の「南走長屋」が見えます。 -
大内宿はどの山の中なんでしょうか??
左側の雲の中の山が小野岳。
大内宿はその右側のくぼみあたりかと思われます。 -
雲にかかっている一番高い山は恐らく大戸岳です。
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南側の城内。
南走長屋の全景です。
鉄門が見えます。 -
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西側に見えるものはーーーー?
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西会津、その奥は新潟方面です。
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NHK大河ドラマ「八重の桜」の衣装の展示です。
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会津木綿の着物
山本八重(綾瀬はるか)の衣装です。 -
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木綿着物に木綿縞小倉袴
橡色(つるばいろ)地野羽織。
山本覚馬(西島秀俊)の衣装です。 -
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白地花織地に
青竹色有職紋染直垂に
蘇芳色染四菱織地に
金刺繍葵紋陣羽織
松平容保(綾野剛)の衣装です。 -
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鶴ヶ城の山本八重(綾瀬はるか)の籠城シーンでの衣装です。
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南の干飯櫓までつながる長屋です。
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長屋より官軍を撃ちます。
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官軍めがけて石を落とします。
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本丸より外に出てきました。
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鶴ヶ城をあとにします。
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この旅行記へのコメント (2)
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- picotabiさん 2017/08/25 23:18:37
- 八重の桜は見てなかっです
- 途中でなんだか面白くなくなってしまって。
で、わたしも会津旅行のまえから会津藩の本を読んでるのですが、鶴ヶ城の本丸にある人物紹介パネル、写真撮りたかったけどすごい人が多くて撮れたものじゃなかったのです。nichiさんのこの記事で、本の登場人物が知れて良かった…松平容保は綾乃剛だったんですね~。大河のイメージがない!
- nichiさん からの返信 2017/08/26 09:59:36
- RE: 八重の桜は見てなかっです
- picotabiさん
いいね&コメントありがとうございます。
大河ドラマ八重の桜は、東日本大震災がおこったことにより、NHKが急きょ東北を題材にしたテーマに変更したドラマです。
原作があるわけでもなく、急きょだったこともあり、多少無理があったのかもしれませんね。
会津編から京都編になって少し中だるみがあったような。。。。
家内が西島秀俊のファンであるのと、私が幕末が好きなこともあり、2人で見続けました。
鶴ヶ城に行ったのは今年の2月。
スキーの後に訪れたのですが、とにかく寒くて。。
お城の中は底冷えがしていて、空いていました。
会津にまつわる方々の人物紹介パネルは、2人で興味津々。
I-PADで大河ドラマの配役を確認しながらじーっくり時間をかけて2人で楽しみました。
でも、足の裏が冷たくて冷たくて。
私も以前、会津の本は数冊読みました。
覚えているのは
「わかりやすい会津の歴史 古代・中世・近世編」
「会津のこころ」
「明治維新の正体」
「王城の護衛者」
「街道をゆく 会津西街道編」
読んでて思うのは、薩摩や長州と会津の関係。
今でも鹿児島や山口と会津の間に蟠りがあるとは思いたくありませんが、年配の方にはまだ心の奥底に何か残っている場合もあるようですね。
それと会津人気質。司馬遼太郎を読むとよくわかります。
何が正しいかは人それぞれの解釈があります。
しかし客観的に事実は捉えたいですね。
イデオロギーの世界には入りたくないけど、、、、、
松平容保は綾乃剛だったんですね?。大河のイメージがない!
→私の容保のイメージにピッタリでしたよ。
・病弱
・イケメン
・正直でまっすぐ
・悩み多い(悲しげな表情をしていることが多い)
・大政奉還の後、貧乏くじを引かされる。(苦悩の人生)
・滅びの美学???
今日も暑いっすねーーーー!!!
picotabiさんの会津の続編、楽しみにしています。
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