2016/12/01 - 2016/12/04
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■初冬のロングドライブ車中泊の旅♪=3=3 福岡県・熊本県・大分県
~阿蘇の朝日&三隅川の底霧&歴史ある古き良き町並み散策&絶景!平尾台~
【 手記 】
老体にムチ打って、阿蘇で朝日(と運が良ければ雲海)を撮影することを目的にまたまた九州まで行って参りました。もちろん道中にあった古き良き町並みもいっぱい散策して参りました。
何度も何度も走り回っているコースで、大して新鮮さもないのですが、今回は10月の九州旅行(主に古い町並みの散策)のつづき、また4月の九州旅行(阿蘇の朝日を撮影する予定があの大地震で初日コールド)のリべンジ?です。
なので今回は、前回訪れることができなかった福岡県木屋瀬~朝倉市~八女市~熊本県阿蘇大観峰~大分県豊後大野市~臼杵市~湯布院町~玖珠町~日田市ラインをウロチョロして参りました。
男ひとり車旅、いつものように宿予約はしておりません。ただ初日は、阿蘇の朝焼けを撮影したいので、現地近くの道の駅で車中泊となりました。あとはいつものように出たとこ勝負。急ぐ旅でもなし、気ままにのんびりと景色を楽しみながら車を走らせて参りました。でも疲れますわ。
12/01福岡県北九州市八幡西区木屋瀬~古い時代の町並み
12/01福岡県朝倉市比良松~昔ながらの古い時代の町並み
12/01福岡県八女市本町&黒木町~古い町並み&SL見物
12/02熊本県阿蘇市~道の駅波野車中泊、阿蘇の朝日&雲海
12/02大分県豊後大野市緒方町~想い出の地原尻の滝を撮る
12/02大分県臼杵市臼杵~臼杵城&歴史ある古い町並み散策
12/02大分県由布市湯布院町&玖珠町~古い町並みと慈恩の滝
12/02大分県日田市豆田町~古い町並み&想い出深いH泊
12/03大分県日田市川原町~三隈川の朝霧&東峰村めがね橋
12/03福岡県北九州市平尾台~馬の背台から由布岳を望む
12/04山口県宇部市~古い町並み、道の駅ソレーネ周南で車中泊
▽三隈川の底霧/大分県日田市高瀬京町
霧の立つ町として知られる、四方を杉の美林に囲まれた盆地。この地の霧は底霧と呼ばれ、盆地独特の風物詩。三隈川の流れに沿って、盆地は乳白色のベールにつつまれます。
江戸時代、天領として栄えた大分県日田市。市内を東西に流れる一級河川・筑後川はこの地域ではなぜか三隈川と呼ばれています。
その名前は…日田盆地はもともと大きな湖で、ある日湖上を飛んでいた一羽の鷹が急降下して羽搏きをしたのが湖の神の怒りに触れて湖の水がたちまち流れ出てしまい、底には日の隈、月の隈、星の隈という3つの丘が残った…という伝説からきているらしいです。
三隈川は市の中心部で庄手川、隈川、そして本川の3方向に分かれ、西側で再び本流へと重なるという複雑なつくりを見せています。
【 2017.07.13追記 】
九州北部を襲った記録的大雨で、大きな被害が出ている大分県日田市&福岡県東峰村。わたくしが訪れたのは2016年末。きれいな川に、森閑とした山々、澄んだ空気。東峰村は、日本で最も美しい村と言うだけあって日本の農山村の景観を色濃く残している地域でした。
災害に遭われた方々が気の毒でなりません。復旧作業はまだまだこれからですが、何はともあれ、みなさんが一刻も早く元の生活に戻れるよう祈るばかりです。
被災された方々およびご親族・関係者の皆々様に心よりお見舞い申し上げます。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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■福岡・熊本・大分県車中泊の旅~阿蘇の朝日と雲海と三隅川の朝霧と古い町並み散策
老体にムチ打って、阿蘇で朝日(と運が良ければ雲海)を撮影することを目的にまたまた九州まで行って参りました。もちろん道中にあった古き良き町並みもいっぱい散策して参りました。 -
▽山陽自動車道・防府東IC付近/山口県防府市
何度も何度も走り回っているコースで、大して新鮮さもないのですが、今回は10月の九州旅行(主に古い町並みの散策)のつづき、また4月の九州旅行(阿蘇の朝日を撮影する予定があの大地震で初日コールド)のリべンジ?です。 -
▽中国自動車道⇒関門橋/山口県下関市⇒福岡県北九州市門司区
なので今回は、前回訪れることができなかった福岡県木屋瀬~朝倉市~八女市~熊本県阿蘇大観峰~大分県豊後大野市~臼杵市~湯布院町~玖珠町~日田市ラインをウロチョロして参りました。
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▽九州自動車道八幡インタOFF/福岡県北九州市八幡西区
男ひとり車旅、いつものように宿予約はしておりません。ただ初日は、阿蘇の日の出を撮影したいので現地近くの道の駅で車中泊になりました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
あとはいつものように出たとこ勝負。急ぐ旅でもなし、気ままにのんびりと景色を楽しみながら車を走らせて参りました。木屋瀬へ到着~。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
ここにも古い町並みがあるそうなので散策開始です。木屋瀬宿は小倉を起点とする長崎街道第2番目の宿場、筑前六宿のひとつです。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
筑前六宿とは、黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田で、慶長年間(1596-1615)から寛永年間(1634-1644)にかけて開通しました。
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▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
各宿場の入口には講口が設けられており、木屋瀬宿では西の講口(飯塚側)に石垣の遺構が残っています。
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▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
木屋瀬の町並みは、東から新地町、下町、本町、中町、新町。そこで大きく折れて遠賀川に沿うかたちで改盛町、感田町が形成され、西の講口を出たところが川渡し場でした。
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▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
中央の折れ曲がっている場所が町の中心で、本陣、脇本陣がありました。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
建物としては、江戸後期からの妻入の居蔵造をベースに、明治40年の大火以後の平入の居蔵造の町家が町並みを形成しています。近代以降は石炭産業を背景に栄えた町です。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
木屋瀬宿が いつ開かれたのか明確な記録はありませんが、参勤交代制度の確立によって整備されていったと考えらます。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
木屋瀬宿は筑前六宿の一つで、赤間街道(内宿通り)の起点でもあり、長崎街道との追分の宿として栄えました。
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▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
宿場は東構口から西構口まで約1.1キロメートルの街道で、裏通りのない一本道は本陣付近で「く」の字に曲がり、家並みはのこぎり歯状に建てられていました。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
これは、「矢止め」と呼ばれ、敵が攻めてきたときにそのくぼみに隠れたり不意をついて攻撃したりするために配慮されたものと言われています。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
宿街道のほぼ中間には、代官所、本陣、脇本陣、郡屋、人馬継所などの施設と共に14、5軒の旅籠がありました。
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▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
木屋瀬宿には、シーボルトやケッペル、測量学者の伊能忠敬だけでなく、白象が泊まったという記録もあります。古い町並みは、今も江戸時代の風情を漂わせています。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
なかなかいいムード -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
鏝絵だ。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
高崎家は屋号を柏屋(カネタマ)といい、本家柏屋(カネシメ)の7代目高崎四郎八(1795年~1865年)が分家して創立した家です。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
本家のカネシメは詩人、歴史学者として有名な頼山陽(らいさんよう)が立ち寄ったこともある土地の豪商です。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
分家の創立時期や家督相続の時期は明確ではありませんが、少なくとも天保7年(1836年)よりは遅くない時期です。四郎八は文政8年(1825年)から町年寄役を務め、翌年には大庄屋格に任ぜられています。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
屋敷地は木屋瀬宿の西構口跡近くの改盛町に位置し、建物は街道に東面して建っています。江戸時代末期の木屋瀬宿図絵馬によると、屋敷地は遠賀川堤防下まで広がっています。
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▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
建築年代は2階梁に残された墨書銘などから天保6年(1835年)と考えられます。
建物は平成9年3月に17ヶ月の修復工事を終え、江戸時代末期の大きな商家の代表的な宿場建築として蘇り、平成9年4月から春部に関する資料もあわせて展示公開しています。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
自撮り ブハハハ・・ -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
追分道標 (左)飯塚道(右)赤間道 -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
鈴生り~ -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
須賀神社のイチョウ 秋も終わり -
▽古き良き町並み散策/福岡県北九州市八幡西区木屋瀬
筑前木屋瀬祗園山笠会館
北九州市木屋瀬をあとにして朝倉市比良松へ向かいます。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県朝倉市比良松
比良松村は筑紫平野の東部、甘木の南東8kmの所に位置しています。村の中央附近を北から西に桂川が流れ、村中を日田街道(朝倉街道)が通っています。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県朝倉市比良松
江戸時代を通じて福岡藩領。この地方の主産業は米作中心の農業でした。上座米と呼ばれ最良品と云われました。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県朝倉市比良松
米作以外では上座煙草や木蝋でした。蝋生産は藩財政上からも重視され、櫨栽培が奨励され、全国的にも筑前櫨の中心地となっていました -
▽古き良き町並み散策/福岡県朝倉市比良松
元禄5年(1692)では家数48・人数237。寛政期(1789~1801)の家数64・人数292とあることから、筑紫平野東部で日田街道に沿った寒村でしたが、小さな在郷町的な性格も有していたようです。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県朝倉市比良松
寛文4年・寛延2年にそれぞれ博多まで水運で結ぼうと工事に掛かるも分水嶺があったり、水量不足などで頓挫してしまっています。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県朝倉市比良松
江戸期には幾度となく博多まで米を運ぼうと試みていますが、何れも失敗しています。このことは当地方が有数の穀倉地帯であった証でもあります。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県朝倉市比良松
今、古い町並みは旧日田街道に沿って展開しています。妻入り入母屋造りの商家建物が連なり見事な古い町並みを展開していますが、規模は小さくせいぜい200mくらいです。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県朝倉市比良松
比良松の町並の特徴として千本格子が多く残っていることです。ナマコ壁が少し残っているのは良く見かけられますが、千本格子の町並みがこれほど連続して残っているのはなかなかのものです。 -
▽古き良き町並み散策/福岡県朝倉市比良松
窓ガラスに×テープ 空き家のよう。 -
▽昔ながらの古い時代の町並み/福岡県久留米市御井町
道中の町景色。この交差点はよく通ります。八女市へ向かっています。 -
▽国道3号線/福岡県久留米市
道中の町景色 鉄人28号じゃ。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県八女市本町
八女福島は、関ヶ原の合戦の後,、田中吉政が柳川城主になり、慶長6年(1601年)に福島城を支城として築城、城下町を造りました。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
その後、久留米藩に参入され城は廃止されますが、奥八女の農産物の集積地ならびに手工業の町として繁栄しました。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
町割りは城下町を踏襲しているため整然としていますが、商家の並ぶ町並みはその中を、柳川方向から矢原町・古松町、京町、宮野町、紺屋町、唐人町と往還沿いに折れ曲がりながら続いています。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
横町町家交流館・・・江戸末期に建てられた元造り酒屋の建物を整備して文化・情報の発信や人々の集いの場所として利用されている施設です。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
北棟の母屋は当時を再現した佇まいで、どこか懐かしさを感じさせてくれます。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
福島の町家は土蔵造りで、商家的な色彩と職人的な色彩を併せ持った、江戸、明治、大正、昭和初期の伝統様式の130軒程度の建物が旧往還道路沿いに連なっています。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
通りには製蝋、酒造、和紙、製茶など諸産業の問屋の比較的大きな建築が多いです。18世紀の後半に何度か大火があったため、現在の町並みは19世紀からのものです。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
入母屋桟瓦葺き妻入で両端に下屋庇を設け、大壁から軒裏まで漆喰で塗り籠めた「居蔵造り」と呼ばれる重厚な町家の並びます。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
福島八幡宮 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
閉じた商店が目立ちます。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
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▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
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▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
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▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
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▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
宇宙の法則で「すべての生命現象は必ず古くなる」っていうはたらきがあります。…そりゃそうでしょうねえ。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
古い型式のベンツが放置されている。 -
▽古き良き町並み散策・八女福島の町並み/福岡県八女市本町
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▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県八女市黒木町
黒木町の古い町並みは国道442号線の一筋南の旧道沿いに展開しています。一部古い伝統的な様式で建てられた商家建物が連続した所があります。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県八女市黒木町黒木
イラストマップでは「100年以上前の町並み」と紹介されていました。妻入り、白漆喰塗込めの家屋が多いが統一された様式でなく、窓の形もそれぞれの意匠です。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県八女市黒木町今
旧国鉄黒木駅跡。駅舎・ホーム等は撤去され、交差点となっています。当駅の北側近くにC11形蒸気機関車(61号機)が駅名標とともに静態保存されています。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県八女市黒木町今
黒木駅は、かつて福岡県八女郡黒木町(現・八女市)大字今にあった日本国有鉄道(国鉄)矢部線の駅(廃駅)です。開業時の告示による駅名の読みは、町名と同じ「くろぎ」であったが、それ以後の『停車場一覧』では一貫して「くろき」でした。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県八女市黒木町今
矢部線の終着駅で、駅所在地は黒木町の中心地区の北端部にあたり、廃止まで駅舎が残り、委託駅員も配置されていました。この駅から先、線名の由来となった矢部村方面への延伸は成りませんでした。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県八女市黒木町今
1945年(昭和20年)12月26日 - 矢部線全線開通と同時に開業
1985年(昭和60年)4月1日 - 矢部線全線廃止に伴い廃駅 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県八女市黒木町今
黒木町は女優の黒木瞳さんの出身地なんですね。 -
▽国道442号線/福岡県八女市黒木町大淵
道中の景色 熊本県阿蘇市波野へ向かっています。 -
▽国道442号線/福岡県八女市黒木町大淵
道中の景色 =3=3 -
▽国道442号線/福岡県八女市黒木町大淵
道中の景色 =3=3 -
▽国道442号線/福岡県八女市矢部村矢部
道中の景色 =3=3 -
▽道の駅波野/熊本県阿蘇市波野
今回の車中泊現場です。近くの道の駅阿蘇は車が多く出入りするので、簡素な道の駅波野で車中泊することに。 -
▽道の駅波野/熊本県阿蘇市波野
移動途中のスーパーで食材を揃えて水炊きを作ったのだ(フライパンで ^皿^)
ぽん酢をつけて食べる。まいう~! -
▽道の駅波野/熊本県阿蘇市波野
昔から必要最小限の生活道具を積んだ愛車を操って動き回ることが楽しくて仕方ない。自力旅行とでも言いますか、実はこれが「ホントに旅をしているな~」と思える瞬間なのです。
走り回ったので疲れた~ 一人さびしく濁り酒を飲んで寝ます。 -
▽道の駅波野/熊本県阿蘇市波野
車中泊、寝室初公開かな? けっこう寝心地はいいんですよ。
Good night~♪ -
▽フォトスポット湯浦パーキング/熊本県阿蘇市湯浦
am4時30分、おっはようございまーす! 昨晩は熟睡しましたヨ。
国道212号線を北上してフォトスポット湯浦パーキングへやって来ました。残念ながら、雲海は発生せず。急いで大観峰へ回ります。 -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
ビューテホー!!朝焼けです。これを見たさに朝早くから動き回っています。 -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
大観峰は阿蘇の外輪山が出っ張ったところで、阿蘇外輪山の最高峰に当たり標高は936m。眼下には阿蘇谷が広がります。 -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
きれいやなあ~ ウルウル・・
目の前に涅槃像(ねはんぞう)として有名な阿蘇五岳が並んでいます。阿蘇の大自然が生み出したお釈迦様の寝姿です。 -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
根子岳 ちょっと画像処理をば。。。 -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
朝焼け -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
涅槃像・・・カルデラ内の山々を「中央火口群」と呼びます。中岳・高岳・根子岳・杵島岳・鳥帽子岳が並んだ「阿蘇五岳」などです。 -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
ススキ原が朝陽で染まっていく。 -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
すこ~しだけ雲海が出ています。 -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
くじゅう連山方向 少しズームで寄ってみる。 -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
くじゅう連山方向 東方向 朝焼けが美しいですねえ~! -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
-
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
雲海 -
∇城山展望所/熊本県阿蘇市一の宮町三野
こんな絵を期待していたんだけどなあー -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
朝陽と夕陽では、その赤さが違うことを知ってましたか?
-
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
朝陽の赤は、清々しい、オレンジ・ピンクに近い爽やかな赤なのに対して、夕陽は力強い赤であり、太陽の周りも赤く染まっています。 -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
これは2年前に撮った朝焼けシルエット -
▽大観峰から朝日を拝む/熊本県阿蘇市山田
昨年撮った朝日 ご来光~ -
∇阿蘇ミルクロード/熊本県阿蘇市
ミルクロードとは阿蘇外輪山南部大津付近から大観峰、やまなみハイウェイを経て外輪山北東部に至る阿蘇山を眺望する草原道路です。 -
∇やまなみハイウェイ/熊本県阿蘇郡産山村
朝日 -
∇やまなみハイウェイ/熊本県阿蘇郡産山村
朝日 -
∇やまなみハイウェイ/熊本県阿蘇郡産山村
朝日 -
▽旧小国街道(R442)/熊本県阿蘇郡産山村
日本一の大パノラマ展望 ここは何度来ても気持ちいい。 -
▽旧小国街道(R442)/大分県竹田市久住町
中組牧場 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県竹田市竹田
阿蘇の外輪山の裾野にあたる凝灰岩台地に、大野・稲葉川の両河川が深い谷を刻んだ。竹田の町は、この両河川の切り立った崖に囲まれた盆地にあります。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県竹田市竹田
この地形から、竹田の町に出入するにはトンネル通じて行われ、その数は77ヶ所といわれ、「れんこん町」の異名を持ちます。この得意な地形に目をつけて城下町を開いたのは秀吉に命ぜられた中川秀成で、文禄3年(1594)着手しました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県竹田市竹田
町人町は盆地中央の平坦部に配置、武家屋敷はそれを取り囲むように並べて、両地域の境には番所や木戸門が設けられました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県竹田市竹田
町人町の間口制限は無かったようだが、岡城の大手に通じる上町通りに面する町家はファサードに規制があり、軒高や柱寸法まで決められていました。町人地の町並みは、妻入入母屋の塗り籠め造り、土蔵造りなどの町家が見られます。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県竹田市竹田
岡城跡入口
2015/09/20竹田町並み散策記 ⇒ http://4travel.jp/travelogue/11059448 -
▽岡城跡/大分県竹田市竹田
海抜325mの台地、瀧廉太郎の名曲「荒城の月」を生んだ難攻不落の名城岡城「春高楼の花の宴 巡る盃影さして 千代の松が枝わけ出でし 昔の光今いずこ~♪」 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
想い出の地、原尻の滝を撮る。ここは道程上よく立ち寄る場所です。 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
原尻の滝は大分県の西南部豊後大野市緒方町の国道502号線より500mばかり入った緒方高千穂線沿いにあります。水車と茅葺屋根の民家がなんともノスタルジックな風景です。 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
滝幅120m、落差20mとスケールが大きく、その壮大な風貌からナイアガラを連想させることから「東洋のナイアガラ」とも呼ばれています。ナイアガラと言うにはちょいと無理があるようですが・・・。
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▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
今から20万年前、阿蘇の火砕流が平野に厚く堆積したところが次第に削られて来て今の姿となったのだそうです。 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
見下ろせば大迫力、見上げれば雄大さが楽しめる、幅120m、高さ20mの大瀑布です。 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
下流にある吊り橋 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
原尻の地は2002年3月に妻といっしょに訪れた想い出のある地です。当時、妻もビックリしておりましたが、驚いたことに、この原尻の滝は、のどかな田園風景にしか見えない場所に、いきなりその姿があらわれるのです。 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
案山子が。この辺りは牧歌的な風景がいっぱいある町です。 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
「かかしコンテスト」があったようです。 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
不動明王 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
おばあちゃんがお掃除されていました。毎日されているんだろうな。いい光景です。 -
▽原尻の滝/大分県豊後大野市緒方町
ここには緒方川から引き込んだ灌漑用水路があるため、大小様々な水車が今でも残されています。 -
▽三国街道(R326)沿い/大分県豊後大野市三重町
豊肥本線三重町駅近く キハ125系1両編成 Y-DC125ロゴ -
▽三国街道(R326)沿い/大分県豊後大野市三重町
豊肥本線三重町駅近く -
▽臼杵城&歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
想い出の地、臼杵へ横着しました。臼杵はもう何度目だろう。
過去の臼杵城訪問記 ⇒ http://4travel.jp/travelogue/10773763
過去の臼杵大仏訪問記 ⇒ http://4travel.jp/travelogue/10564853 -
▽臼杵城&歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
臼杵城は弘治二年(1556)、大友義鎮(宗麟)によって建てられた城です。城が築かれた丹生島は、文字通り元々は臼杵湾に浮かぶ島でした。 -
▽臼杵城&歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
守りの堅いその地の利を生かして、この地を城郭にしたと考えられます。 -
▽臼杵城&歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
大友氏改易後は、福原直高、太田一吉と城主が替わり、慶長五年(1600)の関ヶ原合戦後、稲葉氏が臼杵藩5万石余の主として、臼杵城に入ります。 -
▽臼杵城&歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
以後、明治維新まで臼杵藩は稲葉氏によって支配されました。その後、明治新政府の廃城決定により卯寅口門脇櫓、畳櫓以外の建物は全て破壊され、公園化されました(『城址説明板』) -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
ここもなかなか趣きのある昔ながらの町並みがあります。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
豊後水道に面する良港をもつ臼杵は、古来から会場を通じて中央や大陸とのつながりがありました。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
戦国時代、大友宗麟により名実ともに東九州の政治経済の中心地となり、特に南蛮貿易港としての国際都市でした。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
ポルトガル、イスパニア、明などとの交易を結び、当時港に出入する外国船、城下では往来する外国人、という境や博多に匹敵する国際都市でした。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
近世になって、宗麟によってつくられた町人地は海岸部に、武家地は基本的に山手に配置するという城下町が完成しました。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
現在でも、当時の城下町の区画はそのままに残っており、中級武士の屋敷や寺院、商家が建ち並び、閑静な佇まいを見せています。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
町人町は統廃合や埋め立てを実施して「八町」となりました。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
明治以降は周辺地域の商人が集まり「東九州の浪花」と称されるほど活況を呈したといいます。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
臼杵川に沿った町割となっている浜町、横町は酒屋や料亭が多い町並み。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
本町はかつての商業中心でありアーケード街でしたが、近年アーケードを撤去し町並みが復活しました。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
臼杵川は中州を形成しており、フンドーキン醤油と大分味噌のユニークな形をした工場が建っています。住吉橋の対岸にはフンドーキン醤油の洋館があります。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
大黒様の鏝絵 お好み焼き屋さんのようです。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
趣のあるいい町並みですね。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
恵比寿様の鏝絵 お好み焼き満月 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
畳屋町八幡社 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
臼杵城下の入口にあたる平清水から二王座にかけては要所要所に寺院が配置されました。平清水には街道沿いに古い町並みが残っています。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
平清水から山手の方に入っていくと二王座歴史の道です。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
地形に従って坂とうねりのある通りで、寺院や武家屋敷の間を歩いていきます。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
臼杵は港から発達した城下町の面影をどこでも感じられる巨大迷路のような歴史都市のようです。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
臼杵川を町から5kmほど上がると、有名な石仏群(国宝)がある。平安後期から鎌倉時代にかけて彫られ、規模、数量、質の高さにおいては国内随一です。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
直良信夫顕彰記念館 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
旧真光寺 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
旧真光寺 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
蓮乗寺 渋柿も日に照らされて甘くなる -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
法音寺 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
臼杵市役所ふるさと再発見より・・・大友宗麟が、丹生嶋(現在の臼杵公園)へ城を築いて以後、明治維新を迎えるまで臼杵は城下町として、あるいは商業都市として栄えてきました。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
現在でも市内の仁王座や横町、浜町周辺を歩いていると、どっしりとした量感溢れる門構えの武家屋敷跡や白壁の土蔵などが立ち並び、往時の城下町の姿や商業都市としての名残をとどめており、町全体に静かで落ち着いた風情が感じられます。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
町形成の歴史は古く、丹生嶋城の築城と時を同じくして町づくりも始まったと考えられます。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
文禄二年(1593)、山口玄蕃頭宗永が作成した「豊後国海辺郡臼杵荘御検地帳 惣町屋敷」の中に唐人町、畳屋町、唐人町懸ノ町、海添中町、横浜町、吉永小路片町、浜町、菊屋町、横町、祇園之洲内などの町名が十町見え、あわせて三百二十九軒(この内、十三軒は無主)の屋敷があったとしるされています。このことから考えても文禄以前にすでに町が形成され、町割りも行われていたといえます。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
その後、江戸時代になると各町の統合と分離が進み、さらに身分による生活地域の区分も行われています。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
万治年間(1658~1660)ごろの城下の様相を書き写した絵図を見ると、武家屋敷や寺院は福良から仁王座、海添にかけて立ち並び、町屋は現在の辻ロータリー、本町通りから北側、臼杵川までの範囲に限られています。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
現在の田町、畳屋町、本町、掛町、横町、浜町、新町、唐人町などの町並みは、ほぼこのころに形づくられたと思われます。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
古い建物と新しい建物が同居し対称をなす町並み、そんなアンバランスの中にも伝統と歴史の重みがひしひしと感じられます。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
町並みをぐるっと散策。臼杵城へ戻ってきました。 -
▽歴史ある古い町並み散策/大分県臼杵市臼杵
相棒は臼杵城前の駐車場へ停めておきました。これで退散します。 -
▽東九州自動車道・大分宮河内IC/大分県大分市宮河内付近
正面に大分銀行ドームが見えます。湯布院へ向けて走っています。 -
▽大分自動車道/大分県大分市高崎付近
由布岳(左)と鶴見岳が見えてきました。 -
▽大分自動車道・別府インター付近/大分県別府市
ゴルフ場(別府扇山ゴルフ倶楽部)からのボールを防ぐ、防球ネットです。トンネルの長さは860mあるそうです。 -
▽大分自動車道・別府湾SA(下り)/大分県別府市内竈
朝からなんも食ってなかったのでSAへ立ち寄る。 -
▽大分自動車道・別府湾SA(下り)/大分県別府市内竈
天ぷらうどんで腹ごしらえします。長い車旅で胃にもたれる恐れがあるのであまり食べないようにしています。 -
▽大分自動車道・別府湾SA(下り)/大分県別府市内竈
ぽん酢があったので購入 今月のヒーロー商品「豊後潮風ぽん酢」とある。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県由布市湯布院町
大分自動車道・日出ジャンクションを過ぎた辺り。由布岳と鶴見岳(左)が近くに見えてきました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県由布市湯布院町
ここに初めて訪れたのは40年前。昔と変わって完全に観光地化されました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県由布市湯布院町
由布岳などの火山斜面に続く由布院盆地の中心集落である由布院は、盆地の北東部を占め、由布院温泉があります。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県由布市湯布院町
旧町域北部の由布岳、山麓の塚原温泉、城島高原、南部の湯平温泉、山下池、小田野池などは九州横断道路(やまなみハイウエイ)の開通で急速に観光地化が進みました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県由布市湯布院町
こうした背景の中で、中心集落湯布院は近年観光都市化が目覚ましく、九州を代表する観光地となりました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県由布市湯布院町
駅から由布岳へ向かう一直線の湯の坪街道沿いには飲食店や土産物屋が建ち並び、あたかも旧軽井沢のような賑わいをみせています。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県由布市湯布院町
その町並みは観光目的に創られたものではあるが、何気に歩いていて楽しい気持ちにはさせてくれます。特に女子観光客に人気が高いようです。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県由布市湯布院町
由布岳 温泉に加えてお店がたくさんあると若い女子にも人気が出て観光地は成功するようです。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県由布市湯布院町
由布岳 日田へ向かいます。 -
▽国道210号線/大分県玖珠郡九重町
道中の町景色 -
▽国道210号線/大分県玖珠郡玖珠町
道中の町景色 九大本線 キハ125系1両編成 Y-DC125 -
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
道の駅 慈恩の滝くす -
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
前回訪問した時には道の駅はなかった。 -
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
日田市天瀬町と玖珠町の境界に位置する「慈恩の滝」は国道210号線のすぐそば、 万年山(はねやま)に源を発する山浦川が玖珠川と交わる所にあります。
-
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
滝の裏側から見ることが出来る「裏見の滝」と言われている「慈恩の滝」。この滝は下段と上段の2段になっており水量も多くトウトウと流れ落ちる滝は迫力満点です。 -
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
紅葉がチラリとアクセントになっている。 -
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
水量が多いナ。 -
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
ここは大蛇伝説があり、言い伝えでは・・・今から千数百年前、この滝に大蛇が住んでおり、まわりの田畑を荒らし農民は 困っていました。 -
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
これを見た旅僧がお経を唱え大蛇の体に寄生していた虫を取ってやったら田畑を荒らすことはなくなった。大蛇は虫で体がかゆくて田畑で体をくねらせていたのである。・・・という話が残っています。 -
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
紅葉と滝 -
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
-
▽慈恩の滝/大分県玖珠郡玖珠町
九大本線 福岡県久留米市の久留米駅から大分県大分市の大分駅に至る九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線 -
▽国道210号線/大分県日田市天瀬町
道中の町景色 天ヶ瀬温泉 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
想い出ふかい日田市豆田町へ到着。どこかのドローン撮影隊の方としばしお話をしました。たった今終了したとのこと、残念。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
日田は山々に囲まれた盆地の町。筑後川に通じる三隅川をはじめ花月川など大小支流が流れる水郷の町。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
古くから陸路・水運の要衝でもあった日田は豊臣秀吉時代の蔵入地を経て江戸時代は幕府直轄地「天領」となります。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
天領日田を管理するのは日田代官、正式には西国筋郡代といいます。全国の天領で「郡代」が置かれたのは3カ所のみ。飛騨高山・美濃・西国日田。いかに日田が九州の拠点として重用視されていたか分かります。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
ところで江戸期には日田の町名はありません。日田郡に属していた豆田町と隅町及び周辺地域を総称して日田と呼んでいました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
豆田は中世城下町を基盤に日田代官所が置かれて陣屋町を形成。町内在住の有力商人が周辺村の役人を務め「役所の町豆田」と呼ばれていました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
一方、隅町は三隅川の河港を持ち「商人の町」として発展しました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
物資の集散地として商業から始まり、酒・醤油・油などの製造業へ、蓄積された資本を元に貸し金業を行うなど九州を代表する一大市場へと発展していきます。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
日田を繁栄させたのもうひとつの要は幕府公認の商人「掛屋」。掛屋は税金の徴収と公金を運用するいわば民間の公的金融機関。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
公金の運用先は幕府の公共事業か大名への貸付に限定。日田の掛屋は莫大な運用益を得ました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
しかし、それも徳川の時代が終わると既得権益や権威を失った日田の町は急速に衰退していきます。その後近代化は進まず産業構造は江戸期のまま停滞したままでした。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
明治後期に豆田・隅両町が合併し日田町が誕生します。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
その後市域の町名を変更、豆田と隅の地名は1区画に残されました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
隅町は旅館街の道を歩み、城下町の豆田町には酒蔵をはじめ商家や町家の古い街並みが残っています。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
東芝もこのころはたいへん元気でした。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
フォルクスのカブリだ。かっちょいい! -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
国登録有形文化財「日本丸館」及び岩尾薬舗 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市中城町
薬師堂 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市中城町
龍の造り物が!一般の家だったと思うが、これも鏝絵なのかな。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/大分県日田市豆田町
明朝は久しぶりに三隈川の底霧を見たいので、どこで車中泊しようかと考えていたところ・・・「そう言えば、昔宿泊したことのあるホテルが近くにあるぞ。」と言うことでそこへ行ってみることに。 -
▽想い出深いホテル泊/大分県日田市隈
突然思いついて、直にホテルへ行ったわけですが、運よく空き室があった。2002年3月の大分・熊本・山口旅行の際に妻といっしょに宿泊したホテルです。当時も行き当たりばったり、直にホテルへ行ったナ。 -
▽想い出深いホテル泊/大分県日田市隈
もう15年近く前なんだ。いろいろ思い出してしまう・・・涙そうそうです。 -
▽底霧が立ちこめる早朝の三隈川/大分県日田市高瀬京町
日田は霧の立つ町として知られる、四方を杉の美林に囲まれた盆地。この地の霧は「底霧」と呼ばれ、盆地独特の風物詩。三隈川の流れに沿って、盆地は乳白色のベールにつつまれます。 -
▽底霧が立ちこめる早朝の三隈川/大分県日田市高瀬京町
江戸時代、天領として栄えた大分県日田市。市内を東西に流れる一級河川・筑後川はこの地域ではなぜか三隈川と呼ばれています。 -
▽底霧が立ちこめる早朝の三隈川/大分県日田市高瀬京町
その名前は…日田盆地はもともと大きな湖で、ある日湖上を飛んでいた一羽の鷹が急降下して羽搏きをしたのが湖の神の怒りに触れて湖の水がたちまち流れ出てしまい、底には日の隈、月の隈、星の隈という3つの丘が残った…という伝説からきているらしい。 -
▽底霧が立ちこめる早朝の三隈川/大分県日田市高瀬京町
三隈川は市の中心部で庄手川、隈川、そして本川の3方向に分かれ、西側で再び本流へと重なるという複雑なつくりを見せています。 -
▽底霧が立ちこめる早朝の三隈川/大分県日田市高瀬京町
屋形船 -
▽底霧が立ちこめる早朝の三隈川/大分県日田市高瀬京町
10月下旬から2月頃までの間、夜間の放射冷却の夜は、水温との気温差で霧が発生します。 -
▽底霧が立ちこめる早朝の三隈川/大分県日田市高瀬京町
三隈川対岸の日田温泉 -
▽底霧が立ちこめる早朝の三隈川/大分県日田市高瀬京町
屋形船と日田温泉 ええ感じ~♪ -
▽底霧が立ちこめる早朝の三隈川/大分県日田市高瀬京町
-
▽底霧が立ちこめる早朝の三隈川/大分県日田市高瀬京町
そんなに濃くなかったが底霧を見ることができて良かった。それでは次の地へ向かいます。
ブーッ =3=3 -
▽国道211号線・夜明大橋/大分県日田市夜明
夜明大橋を渡って、筑後街道(国道210号線)から国道211号線へ入ります。多連アーチ橋がある東峰村宝珠山へ向かっています。 =3=3 -
▽国道211号線/福岡県朝倉郡東峰村宝珠山
道中の町景色 =3=3 -
▽国道211号線/福岡県朝倉郡東峰村宝珠山
道中の町景色 =3=3 -
▽ふれあい広場つづみの里/福岡県朝倉郡東峰村小石原鼓
細かい場所がよくわからない。 -
▽ふれあい広場つづみの里/福岡県朝倉郡東峰村小石原鼓
地図で確認! -
▽国道211号線/福岡県朝倉郡東峰村宝珠山
道中の町景色 =3=3 -
▽栗木野橋梁/福岡県朝倉郡東峰村宝珠山
やっと見つけました。JR日田彦山線の筑前岩屋駅~大行司駅に架かる3つのめがね橋は、昭和18年に完成した多連アーチ橋です。 -
▽栗木野橋梁(東峰村のめがね橋)/福岡県朝倉郡東峰村宝珠山
全長71.2m、高さ20mの多連アーチ橋 -
▽棚田親水公園/福岡県朝倉郡東峰村宝珠山
-
▽宝珠山橋梁(東峰村のめがね橋)/福岡県朝倉郡東峰村宝珠山
JR日田彦山線 全長79.2m、高さ20mの一番大きな多連アーチ橋 -
▽国道211号線/福岡県朝倉郡東峰村宝珠山
道中の町景色 嘉麻市大隈町へ向かいました。 =3=3 -
▽道の駅小石原/福岡県朝倉郡東峰村小石原
ちょいと休憩です。 -
▽道の駅小石原/福岡県朝倉郡東峰村小石原
福岡県の東南部に位置する小石原村は、標高200m~500mの高原の村です。 -
▽国道211号線/福岡県嘉麻市桑野
道中の町景色 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県嘉麻市大隈町
大隈町へ到着。飯塚市の南東に国道や地方道がいくつも交差する嘉穂町があります。大隈は中世から江戸期にかけて城下町として発達し、藩政時代は宿場町として発展した町で、当時から大隈村に対し町場である大隈町に分かれていました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県嘉麻市大隈町
元和9年に黒田長政の次男長興に5万石を分知して秋月藩が成立すると、大隈は秋月藩主の参勤交代道である秋月街道の宿場町として整備されました。
。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県嘉麻市大隈町
さらに、田川街道や日田街道も大隈で交差し、嘉麻川には河港が設けられ陸路水路の要衝となり、人や物資の集散地として町は大きく繁栄しました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県嘉麻市大隈町
その為か大隈は古くから酒や醤油の醸造でも有名でした。近年まで3軒の酒蔵がありましたが、うち1軒は廃業し現在は「玉ノ井酒造」と「梅ヶ谷酒造」の2軒が操業しています。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県嘉麻市大隈町
町のメインストリート沿いには伝統的な商家建築が立ち並んでいますが、残念ながらその多くが看板建築や増改築されており、さらにその脇から顔を覗かせる本体の建物の重厚さが余計に惜しまれます。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/福岡県嘉麻市大隈町
国道211号線から国道322号線へ =3=3 -
▽県道28号線/福岡県北九州市小倉南区
道中の景色 平尾台へ登っていきます。 -
▽平尾台/福岡県北九州市小倉南区平尾台
平尾台は山口県の秋吉台(あきよしだい)とならぶ日本有数のカルスト台地で、天然記念物・国定公園・県立自然公園に指定 されています。 -
▽平尾台/福岡県北九州市小倉南区平尾台
銀杏並木の下に猫がいました。 -
▽平尾台/福岡県北九州市小倉南区平尾台
餌を投げてやると寄ってきた。しばらく遊ぶ。 -
▽平尾台/福岡県北九州市小倉南区平尾台
キジ料理とある。 -
▽平尾台/福岡県北九州市小倉南区平尾台
-
▽平尾台/福岡県北九州市小倉南区平尾台
カルスト地形 -
▽平尾台・茶ケ床園地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
いい景色です。 -
▽平尾台・茶ケ床園地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
-
▽平尾台・茶ケ床園地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
羊群原・・・標高300~700メートル、南北6キロメートル、東西2キロメートルにわたる広がりを持つカルスト台地で、石灰岩が散在する様子は、草原で遊ぶ羊の群れを思わせます。 -
▽平尾台・茶ケ床園地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
ここで出会ったパトロールの人に「景色の良いところまで連れて行ってあげましょうか?」と言われ、平尾台パトロール車に乗っけてもらい山の上まで連れて行ってもらいました。ラッキー!優しい人です。 -
▽平尾台/福岡県北九州市小倉南区平尾台
青龍窟 いろいろ説明をしてもらいながら中峠~無線中継基地へ -
▽平尾台貫山地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
平尾台の石灰岩は、約3億年前の古生代、赤道近くのサンゴ礁として堆積したものが、プレート運動によって移動して来ました。 -
▽平尾台貫山地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
貫山地には標高400m~600mのカルスト台地の平尾台が含まれ、標高711.6mの主峰貫山(ぬきさん)はその北に位置します。約6,700万前の中生代白亜紀後期、石灰岩はマグマにより熱変成を受けました。
-
▽平尾台貫山地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
平尾台から鶴見岳と由布岳を臨む。絶景じゃ!ここまで歩いてくるとなると坂道を3kmは登ってくることになる。死んでしまうな。 -
▽平尾台貫山地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
貫山やその東の水晶山は、マグマが固まった花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)で組成されています。 -
▽平尾台貫山地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
約160万年前の新生代第四紀になると、平尾台の石灰岩は雨水や地下水の浸食作用を受け、ピナクルやドリーネができ、地下には鍾乳洞が発達してカルスト地形ができました。 -
▽平尾台貫山地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
鶴見岳と由布岳 -
▽平尾台貫山地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
山歩きの人たち 少しお話をしました。 -
▽平尾台貫山地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
雲の上に鶴見岳と由布岳 こりゃ景色がいいわ。 -
▽平尾台貫山地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
山の名前を教えてもらったが、忘れてしもうた^^; -
▽平尾台・茶ケ床園地/福岡県北九州市小倉南区平尾台
ありがとうござました。車では行けない標高の高いところ(車両進入禁止)まで行くことができてラッキーだった。 -
▽平尾台・千仏鍾乳洞/福岡県北九州市小倉南区平尾台
鍾乳洞は石灰岩地帯特有の地下水の溶蝕によってできた洞窟です。 -
▽平尾台・千仏鍾乳洞/福岡県北九州市小倉南区平尾台
-
▽国道322号線/福岡県北九州市小倉南区
これで九州を脱出します。 ブーッ=3=3 -
▽関門トンネル→中国自動車道→山陽自動車道
関門トンネルは、山口県下関市と福岡県北九州市を結ぶ国道2号のトンネル(海底トンネル)です。 -
▽関門トンネル→中国自動車道→山陽自動車道
長さは3600mくらい -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/山口県宇部市船木
宇部市船木へ到着 ここは2度目です。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/山口県宇部市船木
山陽道は古代律令時代からすでにその形はありましたが、秀吉の朝鮮出兵の時期に近代的な街道として整備されました。かつては山陰道沿いの市場町であった船木市(ふなきいち)には御茶屋本陣や番所が置かれ、宿場市町として保護、整備されていきます。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/山口県宇部市船木
さらに吉見(宇部市)から代官所が移されると、江戸期から明治中期にかけて厚狭郡の行政中心となりました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/山口県宇部市船木
その後、宇部や小野田に産業の中心が移り、山陽本線が町域を大きく迂回したために、船木の町は衰退していきました。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/山口県宇部市船木
国道2号線が町を迂回しているため、静かな旧街道筋には明治期以降に建てられた古い街並みが広範囲に残されています。切り妻造りの平入り、妻入りの建物が混在しています。 -
▽古き良き時代の町並みを訪ねて/山口県宇部市船木
紅葉と郵便車 赤い -
▽道の駅ソレーネ周南/山口県周南市戸田
県内国道2号線沿いに周南市の西の玄関口である道の駅があります。 -
▽道の駅ソレーネ周南/山口県周南市戸田
疲れ果ててもう動く気がしない。どうしようかなと考えたが、ここで身体を休めるために泊まることに。車中泊だっぺ。 -
▽道の駅ソレーネ周南/山口県周南市戸田
食欲がなかったので、おつまみ用にたこ焼きだけ買ってお腹を満たす。 -
▽道の駅ソレーネ周南/山口県周南市戸田
たこ焼きをおつまみにしてセブンのまろやかビール(いつも数本積んでいる^^)を飲んで即寝ました。チカレたあー! -
▽道の駅ソレーネ周南/山口県周南市戸田
車中泊 カーテンを引くと豪華ホテルに変身! Good night~♪
翌日は体力に限界が来ていましたので、何処にも立ち寄らずそのまま帰途につきました。
これにて「冬のロングドライブ♪福岡・熊本・大分県車中泊の旅」が終了です。 -
▽帰路/山陽自動車道
いつものように華やかさもなく、味っ気もない、ただ走り回ってきただけの男独り旅でしたが、実はこれが「ホントに旅をしているな~」と思える瞬間で楽しいのです^^)ウッシ!
でも若いころのように距離が出ない、疲れますわ。 -
▽お好み焼きやんち/広島県呉市天応南町
と言うことで、早くに帰宅したので昼飯は行きつけのお好み焼き屋さんへ・・・(^p^)旅から帰るとつい食べたくなってしまうのです。 -
▽お好み焼きやんち/広島県呉市天応南町
うまいでがんすー!!帰宅して爆睡。それでは、また~。
THE END.
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