2017/02/25 - 2017/02/25
96位(同エリア129件中)
ぬいぬいさん
約500キロある東海道を2年がかり24日間かけて制覇した後は、昨年6月終わりから今度は一番長い中山道を歩き始めました。
山間を通り抜ける中山道はところどころに鉄道路線から離れて、公共の交通機関が途切れてしまうエリアが何か所かあり、年末に何とか信州の佐久までたどり着いたものの、そこから先の下諏訪までの100キロほどの道のりが、電車路線から大きくそれた場所で、3連続ウォークで距離を延ばさないと走破できない状態になってしまいました。
そうなると次に歩けるのはGW。
2か月近く街道歩きをしないと何となくむずむず・・・
トレーニングも兼ねて、距離の短い日光街道を先に片付けてしまおう。
そんな思いから先週から日光街道を歩き始めました。
わずか140キロほどの距離、5日か6日もあれば終わってしまうためちょうどよい距離感。
2回目は越谷の大袋から栗橋までの30キロを歩きました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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日光街道ウォーク 2回目は東武線の大袋駅からスタート
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改札出て駅前商店街と呼ぶにはちょっとさみしい商店街を150mほど進むと日光街道の旧道に出ました。
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旧道はしばらく4号線の新道と並行して進み、せんげん台駅入り口の少し手まえで新道に合流しました。
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ここで日本橋から30キロ地点を通過
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突き当りがせんげん台の駅 ここで東武線ひと駅分歩きました。
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細い川に架かる橋を渡ると春日部市に入ります。
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日光街道の春日部は粕壁宿の漢字が使われています。
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4号線はしばらく東武伊勢崎線の線路と平行して進んでいきます。
左に入ると武里駅 -
宇都宮77km 古河33km まだまだ先ですね。
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道端に咲いていた桜
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河津桜かな
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東武野田線の高架をくぐります。
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ここから4番目の宿場町粕壁宿に入ります。
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奥の細道の際に松尾芭蕉が宿泊したとされている東陽寺
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脇本陣跡の表示板
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後ろを見ると今は高層マンションに
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随分でかい家具屋さん
ちょっとした百貨店並みの規模ですね。
イケアもでかいけどここも相当なもの -
こちらの本陣跡は薬屋さんになっていました。
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街道沿いにある東屋田村本店前にある道標は天保5年(1834)のもので、日光・岩槻・江戸の三方面の方角が刻まれていました。
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ミセと蔵???
説明版の文面を読むと
『中宿(仲町)と呼ばれたこの辺りには、江戸時代に米問屋など蔵造りの商家や旅籠屋などが多く立ち並んだ。粕壁宿の商家は、間口が狭く奥行きの長い敷地で、街道の並びには商業空間としての「ミセ」を、その奥には生活空間としての「オク」がつくられた。このような短冊状の地割は、江戸時代の宿場町にみられる歴史的な景観の一つである。街道の北側の商家は古利根川沿いまで蔵を連ね、舟を乗りつけて荷を上げ下げされた。現存する蔵造りの建物は、火災除けのため、幕末から明治期にかけて建てられたものが多い。』
ふーん そういうことか。 -
これです。
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この辺りにはこんな蔵のある旧家が何軒かありました。
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公用の旅人や荷物を運ぶ人馬を手配した問屋場の跡
ここも表示看板のみ -
十九代続いているというお米屋さん
永島庄兵衛商店 -
享保年間創業の老舗だそうです。
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こちらの黒壁の土蔵は、戦前まで佐渡屋の屋号で米穀商を営んでいた、浜島家の土蔵。明治時代前期には建てられていたと推定され、1階は座敷、2階は使用人の部屋兼倉庫として利用されたそうです。
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成就院大日寺のなかなか立派な仁王門
でもそれほど古い感じはしませんね。 -
街道沿いではありませんがこんな大谷石の蔵もありました。
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新町橋は、江戸時代には大橋と呼ばれ、古利根川に架かる唯一の橋だったとか。
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新町橋の上流100mでは 右岸へ古隅田川が合流しています。
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橋を渡ってこの信号を旧道は左に進みます。
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宇都宮71km 小山41km
まだまだ距離がありますね。 -
元禄年間に建造されたという小渕山観音院の仁王門
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境内には芭蕉の「ものいへば 唇寒し 秋の風」の句碑があり、『奥の細道』の旅程で芭蕉がここに宿泊したといわれます。
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ここから杉戸町に入ります。
杉戸といえば駅は東武動物公園に名前が変わっています。 -
日本橋から11里目の三本木一里塚。
塚木は榎だったようですが今はこの看板のみ。
44キロ地点を通過です。 -
この辺りから5番目の宿場町 杉戸宿へ入ります。
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こちらは文政年間創業の酒屋関口酒蔵
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こちらは高札場跡
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近津神社 社殿は平成に入って焼失し鳥居のみ
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漢方医虎屋という代々この地域の医療を担ってきた漢方医の邸宅跡。
建物はなく立派な松の木だけが残っていました。 -
街道沿いに残る蔵のある風情ある古民家
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横町に残るかなり立派な古民家
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昭和22年9月に日本を襲ったカスリーン台風で、利根川が氾濫しこのあたり一帯は電柱にある1.2mの線まで冠水したようです。
この先に行くと2m近く冠水した場所もありました。 -
神明神社は伊勢神宮の分霊を祀った神社。
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明治天皇行在所碑
明治天皇はここに3度も訪れているようです。 -
奥に蔵が2棟見える民家
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この辺り蔵のある家が多くあります。
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関東でも指折りの桜の名所 権現堂堤
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ここは桜と菜の花のコラボレーションが楽しめるのですが、まだその時期には1ヶ月ほど早かったようです。
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こちらは外国府間道標
安永四年に建てられた道標には「右つくば道」「左日光道」「東かわつま前ばやし」とありました。 -
畑の梅は見頃を迎えているようですね。
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行幸湖とも呼ばれている権現堂調節池
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向こう岸にキューピーマヨネーズの工場が見えています。
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ここは野鳥が生息する池でマガモの団体に出会いました。
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東北自動車道の最寄りのインターは久喜だと思っていたら加須の方が近いんですね。
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焙烙地蔵
このお地蔵さんの祭られたお堂は関所破りで処刑された人を哀れんで作られたものだとか。 -
この辺りから日本橋から数えて7つ目の宿場町栗橋宿に入ります。
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こちらは顕正寺
栗橋宿を整備したという本陣役の池田鴨之助の墓があるとか。
池だけは明治に入っても戸長や町長をつとめている家柄。 -
この辺りはお寺の並ぶ寺町
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静御前の墓?
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栗橋駅前にあったこちらの墓
源義経の内妻であった静御前が、義経の後を追って平泉に向かう途中、ここで悲恋の死を遂げたと言われているそうです。
静御前の終焉の地は他にもいくつかあるようなのでどこが正しいのかはなかなか判断が難しいところですね。 -
この日のゴールは栗橋駅。
これで日光街道も2回目で58キロ地点まで到達しました。
今のところは順調なのでGW前には予定通り日光へたどり着けそうです。
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