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京の冬の旅、3日目の午後は、帰りの新幹線の時間を考慮して、京都駅から程近い東福寺から泉涌寺界隈を散策しました。<br />重森三玲の庭の観賞、京の大仏を参拝など、充実した時間を過ごすことが出来ました。<br /><br />コースは、<br />瀧尾神社(三嶋神社)→同聚院→東福寺→光明院→勝林寺→戒光寺(京の大仏)→今熊野観音寺→泉涌寺→即成院です。<br /><br />表紙の写真は、東福寺 八相の庭・南庭(重森三玲の作庭)。

2017 京の冬の旅:(その4)東福寺~泉涌寺界隈

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2017/02/19 - 2017/02/19

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morino296

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京の冬の旅、3日目の午後は、帰りの新幹線の時間を考慮して、京都駅から程近い東福寺から泉涌寺界隈を散策しました。
重森三玲の庭の観賞、京の大仏を参拝など、充実した時間を過ごすことが出来ました。

コースは、
瀧尾神社(三嶋神社)→同聚院→東福寺→光明院→勝林寺→戒光寺(京の大仏)→今熊野観音寺→泉涌寺→即成院です。

表紙の写真は、東福寺 八相の庭・南庭(重森三玲の作庭)。

旅行の満足度
3.5
同行者
一人旅
交通手段
新幹線
旅行の手配内容
個別手配

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  • 東福寺駅に近い瀧尾神社<br /><br />午前中はアサヒビール大山崎山荘美術館、サントリー山崎蒸溜所を見学し、JR山崎駅から京都駅で乗り換え東福寺駅まで移動。<br /><br />社殿は、下村家(現在の大丸百貨店)の手により、天保10年(1839)から11年にかけて造立されたもの。<br /><br /><br />

    東福寺駅に近い瀧尾神社

    午前中はアサヒビール大山崎山荘美術館、サントリー山崎蒸溜所を見学し、JR山崎駅から京都駅で乗り換え東福寺駅まで移動。

    社殿は、下村家(現在の大丸百貨店)の手により、天保10年(1839)から11年にかけて造立されたもの。


    瀧尾神社 寺・神社・教会

  • 瀧尾神社 舞殿<br /><br />天井には見事な龍の彫刻があるのですが、工事中のため見ることが出来ず残念。<br /><br />龍の姿は、5年前の旅行記をご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10643573<br /><br />龍は、夜な夜な抜け出し、近くを流れる今熊野川まで水を飲みに行くとの話が広がり、神社では拝殿の天井に網を取り付けて、龍が動けないようにしたと伝わります。

    瀧尾神社 舞殿

    天井には見事な龍の彫刻があるのですが、工事中のため見ることが出来ず残念。

    龍の姿は、5年前の旅行記をご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/10643573

    龍は、夜な夜な抜け出し、近くを流れる今熊野川まで水を飲みに行くとの話が広がり、神社では拝殿の天井に網を取り付けて、龍が動けないようにしたと伝わります。

    瀧尾神社 寺・神社・教会

  • 瀧尾神社 拝殿(京都市有形文化財)<br /><br />祭神は大己貴命(おおむなちのみこと)、<br />大黒天(大国主命)、弁財天、毘沙門天。<br /><br />創建年代は不詳ですが、「源平盛衰記」にその名が見られるそうです。<br />天正14年(1586)に豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現在地に遷座。<br />「北山貴船奧院御社」の旧殿を移築改築したもので、豪華な彫刻がほどこされています。

    瀧尾神社 拝殿(京都市有形文化財)

    祭神は大己貴命(おおむなちのみこと)、
    大黒天(大国主命)、弁財天、毘沙門天。

    創建年代は不詳ですが、「源平盛衰記」にその名が見られるそうです。
    天正14年(1586)に豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現在地に遷座。
    「北山貴船奧院御社」の旧殿を移築改築したもので、豪華な彫刻がほどこされています。

    瀧尾神社 寺・神社・教会

  • 瀧尾神社の境内にある三嶋神社<br /><br />今回の京都の旅の初日に訪ねた三嶋神社の祈願所がこちらにあります。<br /><br />三嶋神社本宮はこちらでご覧ください。<br />http://4travel.jp/travelogue/11217687

    瀧尾神社の境内にある三嶋神社

    今回の京都の旅の初日に訪ねた三嶋神社の祈願所がこちらにあります。

    三嶋神社本宮はこちらでご覧ください。
    http://4travel.jp/travelogue/11217687

    瀧尾神社 寺・神社・教会

  • 三嶋神社をお詣りされる秋篠宮殿下<br /><br />皇室とも縁があり、子宝祈願もされたそうです。

    三嶋神社をお詣りされる秋篠宮殿下

    皇室とも縁があり、子宝祈願もされたそうです。

    瀧尾神社 寺・神社・教会

  • 瀧尾神社の社務所で授与される三嶋神社の鰻の絵馬とお守<br /><br />鰻の絵馬は3種類ありました。<br />3匹の鰻が並ぶ絵馬は安産祈願で父と母の間に子供が生育する姿を表し、<br />2匹の鰻が絡み合う絵馬は子授け祈願で夫婦和合を表しています。<br />もう一つは、10月26日に行われる鰻放生大祭にのみ使われる縁起絵馬です。<br />

    瀧尾神社の社務所で授与される三嶋神社の鰻の絵馬とお守

    鰻の絵馬は3種類ありました。
    3匹の鰻が並ぶ絵馬は安産祈願で父と母の間に子供が生育する姿を表し、
    2匹の鰻が絡み合う絵馬は子授け祈願で夫婦和合を表しています。
    もう一つは、10月26日に行われる鰻放生大祭にのみ使われる縁起絵馬です。

    瀧尾神社 寺・神社・教会

  • 瀧尾神社の境内にある三嶋神社に奉納された絵馬

    瀧尾神社の境内にある三嶋神社に奉納された絵馬

    瀧尾神社 寺・神社・教会

  • 三嶋神社 陰陽石<br /><br />本宮の表鬼門より出土した御神石で、夫婦和合、子授懐妊に霊験があるそうです。<br />「おさわりいただき 御神徳をお受けください」とのこと。

    三嶋神社 陰陽石

    本宮の表鬼門より出土した御神石で、夫婦和合、子授懐妊に霊験があるそうです。
    「おさわりいただき 御神徳をお受けください」とのこと。

    瀧尾神社 寺・神社・教会

  • 東福寺へ向かう途中立ち寄った同聚院の山門<br /><br />東福寺の塔頭で、通称じゅうまん不動。<br />

    東福寺へ向かう途中立ち寄った同聚院の山門

    東福寺の塔頭で、通称じゅうまん不動。

    同聚院 名所・史跡

  • 同聚院の本堂<br /><br />本尊の不動明王坐像(重文)は、<br />寛弘3年(1006)藤原道長が旧法性寺に建立した五大堂の中尊と伝わります。

    同聚院の本堂

    本尊の不動明王坐像(重文)は、
    寛弘3年(1006)藤原道長が旧法性寺に建立した五大堂の中尊と伝わります。

    同聚院 名所・史跡

  • 東福寺 臥雲橋<br /><br />東福寺の渓谷に架けれた三名橋のひとつ。<br />(上流から偃月橋・通天橋・臥雲橋)<br /><br />

    東福寺 臥雲橋

    東福寺の渓谷に架けれた三名橋のひとつ。
    (上流から偃月橋・通天橋・臥雲橋)

    東福寺 寺・神社・教会

  • 東福寺 臥雲橋<br /><br />紅葉の名所として人気の東福寺。<br />紅葉の時期には、この橋にも人が溢れますね。

    東福寺 臥雲橋

    紅葉の名所として人気の東福寺。
    紅葉の時期には、この橋にも人が溢れますね。

    東福寺 寺・神社・教会

  • 東福寺 臥雲橋から見る通天橋<br /><br />紅葉に浮かぶ通天橋は絵になりますね。<br />

    東福寺 臥雲橋から見る通天橋

    紅葉に浮かぶ通天橋は絵になりますね。

    東福寺 寺・神社・教会

  • 東福寺 日下門<br /><br />奈良の東大寺と興福寺になぞらえようとの念願で「東」と「福」の字を取り、<br />京都最大の大伽藍・東福寺を造営。<br />嘉禎2年(1236)から建長7年(1255)まで19年を費やしたそうです。

    東福寺 日下門

    奈良の東大寺と興福寺になぞらえようとの念願で「東」と「福」の字を取り、
    京都最大の大伽藍・東福寺を造営。
    嘉禎2年(1236)から建長7年(1255)まで19年を費やしたそうです。

  • 東福寺 経蔵<br /><br />京都五山四位に列せられる東福寺は、相次ぐ火災のたびに再建されましたが、現在の仏殿・法堂・方丈・庫裡は明治14年に焼失後再建されたもの。<br />

    東福寺 経蔵

    京都五山四位に列せられる東福寺は、相次ぐ火災のたびに再建されましたが、現在の仏殿・法堂・方丈・庫裡は明治14年に焼失後再建されたもの。

  • 東福寺 仏殿から通天橋につながる通路<br /><br />屋根が独特のカーブを描きます。<br />

    東福寺 仏殿から通天橋につながる通路

    屋根が独特のカーブを描きます。

  • 東福寺 竜吟庵の前に架かる偃月橋<br /><br />東福寺三明橋の一番上流に架かる橋<br />

    東福寺 竜吟庵の前に架かる偃月橋

    東福寺三明橋の一番上流に架かる橋

  • 東福寺 竜吟庵 方丈(国宝)

    東福寺 竜吟庵 方丈(国宝)

  • 東福寺 庫裏<br /><br />方丈は明治23年(1890)に、庫裏は明治43年(1910)に再建。<br />ここから入り、方丈の庭を見学します。

    東福寺 庫裏

    方丈は明治23年(1890)に、庫裏は明治43年(1910)に再建。
    ここから入り、方丈の庭を見学します。

  • 東福寺 方丈の恩賜門

    東福寺 方丈の恩賜門

  • 東福寺 方丈の東庭 八相の庭「北斗七星」<br /><br />八相の庭は、作庭家・重森三0玲によって昭和14年に完成されたもの。<br />庫裡から進むと庫裡と方丈を結ぶ渡廊下があり、左右に庭が広がります。<br /><br />右側の東庭は、「北斗七星」を表す円柱、白川砂、苔、背後の二重生垣のみによって表現されています。<br /><br />この円柱は、山内にある「東司」で使用されていた礎石で、解体修理をした際に、余材として出てきたもの。<br />「一切の無駄をしない」という禅の教えから当時の執事長の要望により作られたものだそうです。

    東福寺 方丈の東庭 八相の庭「北斗七星」

    八相の庭は、作庭家・重森三0玲によって昭和14年に完成されたもの。
    庫裡から進むと庫裡と方丈を結ぶ渡廊下があり、左右に庭が広がります。

    右側の東庭は、「北斗七星」を表す円柱、白川砂、苔、背後の二重生垣のみによって表現されています。

    この円柱は、山内にある「東司」で使用されていた礎石で、解体修理をした際に、余材として出てきたもの。
    「一切の無駄をしない」という禅の教えから当時の執事長の要望により作られたものだそうです。

  • 東福寺 方丈の南庭 八相の庭<br /><br />渡り廊下の左側に広がる南庭<br />東庭の「静」に対し、この南庭は「動」。<br /><br />

    東福寺 方丈の南庭 八相の庭

    渡り廊下の左側に広がる南庭
    東庭の「静」に対し、この南庭は「動」。

  • 東福寺 方丈の南庭 八相の庭<br /><br />左から「えいじゅう」「蓬莱」「壷梁(こりょう)」「方丈」「五山」<br />砂の部分は「八海」

    東福寺 方丈の南庭 八相の庭

    左から「えいじゅう」「蓬莱」「壷梁(こりょう)」「方丈」「五山」
    砂の部分は「八海」

  • 東福寺 僧堂の廊下<br /><br />縁側に腰かけて庭を眺めると良い時が流れます。

    東福寺 僧堂の廊下

    縁側に腰かけて庭を眺めると良い時が流れます。

  • 東福寺 方丈の南庭 八相の庭「五山」<br /><br />南庭内にある築山は京都五山として表現したもの。<br />ここでは一切石を使わずに山の大きさや高さによって造形的な美を追求しているそうです。

    東福寺 方丈の南庭 八相の庭「五山」

    南庭内にある築山は京都五山として表現したもの。
    ここでは一切石を使わずに山の大きさや高さによって造形的な美を追求しているそうです。

  • 東福寺 方丈の南庭 八相の庭<br /><br />奥からの眺め

    東福寺 方丈の南庭 八相の庭

    奥からの眺め

  • 東福寺 方丈の西庭 八相の庭「井田市松」<br /><br />古来から伝わる伝統的な市松模様をサツキの刈込と葛石によって表現。<br />

    東福寺 方丈の西庭 八相の庭「井田市松」

    古来から伝わる伝統的な市松模様をサツキの刈込と葛石によって表現。

  • 東福寺 方丈の北庭にある通天台から見る通天橋

    東福寺 方丈の北庭にある通天台から見る通天橋

  • 東福寺 方丈の北庭 小市松<br /><br />市松模様に使われている石は、勅使門から方丈に向けて敷きつめられていた切石を再利用しているそうです。<br />

    東福寺 方丈の北庭 小市松

    市松模様に使われている石は、勅使門から方丈に向けて敷きつめられていた切石を再利用しているそうです。

    東福寺 寺・神社・教会

  • 東福寺 方丈の北庭 小市松<br /><br />西庭の大市松を受けてさらに小さな姿となり、東北方向の谷に消えていくという表現方法がとられているそうです。<br />

    東福寺 方丈の北庭 小市松

    西庭の大市松を受けてさらに小さな姿となり、東北方向の谷に消えていくという表現方法がとられているそうです。

    東福寺 寺・神社・教会

  • 東福寺 本堂(仏殿)<br /><br />大正6年(1917)より本堂の再建に着工し昭和9年(1934)に落成。

    東福寺 本堂(仏殿)

    大正6年(1917)より本堂の再建に着工し昭和9年(1934)に落成。

    東福寺 寺・神社・教会

  • 東福寺 三門と本堂(仏殿)<br /><br />威風堂々たる建物が並びます。

    東福寺 三門と本堂(仏殿)

    威風堂々たる建物が並びます。

    東福寺 寺・神社・教会

  • 東福寺 三門(国宝)<br /><br />応永32年(1425)に室町幕府四代将軍足利義持によって再建された日本最古の禅宗寺院では最大の三門(高さ約22m、幅25m)。<br /><br />(特別公開は1月末で終了していました。)<br /><br />

    東福寺 三門(国宝)

    応永32年(1425)に室町幕府四代将軍足利義持によって再建された日本最古の禅宗寺院では最大の三門(高さ約22m、幅25m)。

    (特別公開は1月末で終了していました。)

    東福寺 寺・神社・教会

  • 東福寺 三門の横に咲いていた紅梅

    東福寺 三門の横に咲いていた紅梅

  • 東福寺 三門の横に咲いていた白梅<br /><br />この後、三門の南にある六波羅門を出て少し歩きます。

    東福寺 三門の横に咲いていた白梅

    この後、三門の南にある六波羅門を出て少し歩きます。

  • 東福寺の塔頭 光明院<br /><br />1391年創建、通称「虹の苔寺」とわれ、<br />苔や紅葉が美しいことで知られます。<br /><br />こちらも久しぶりですが拝観させていただきます。<br />

    東福寺の塔頭 光明院

    1391年創建、通称「虹の苔寺」とわれ、
    苔や紅葉が美しいことで知られます。

    こちらも久しぶりですが拝観させていただきます。

    東福寺 光明院 寺・神社・教会

  • 光明院の山門脇にある注意書<br /><br />観光寺院ではなく、庭園を静かに楽しみたい人向けの場所として次のような注意書きがあります。<br /><br />「多勢入山者は好みません 庭の自尊心を傷つけますので 是非にと思われる方以外 どうでも良いと思われます方は自問の上入らないでください 尚皆様方を信じて居りますの故 諸作法をお守りくださいますようお願い申し上げます 右よろしく」<br /> <br />無人で玄関には拝観料(志納)を入れる大きな竹筒があります。<br />

    光明院の山門脇にある注意書

    観光寺院ではなく、庭園を静かに楽しみたい人向けの場所として次のような注意書きがあります。

    「多勢入山者は好みません 庭の自尊心を傷つけますので 是非にと思われる方以外 どうでも良いと思われます方は自問の上入らないでください 尚皆様方を信じて居りますの故 諸作法をお守りくださいますようお願い申し上げます 右よろしく」

    無人で玄関には拝観料(志納)を入れる大きな竹筒があります。

    東福寺 光明院 寺・神社・教会

  • 光明院 入り口にある「雲嶺の庭」

    光明院 入り口にある「雲嶺の庭」

    東福寺 光明院 寺・神社・教会

  • 光明院<br /><br />明徳2年(1391)開創。<br />方丈前の庭園は重森三玲の作「心の庭」。<br />池泉式の枯山水で、州浜型の枯池に三尊石組を配し、背後にサツキやツツジを雲紋になぞらえて刈り込み、雲の上に茶亭蘿月(らげつ)庵があり、月が昇る姿を形どるそうです。<br /><br />(庭に建物の影が映り、ちょっと全体が分かり難いですが。)

    光明院

    明徳2年(1391)開創。
    方丈前の庭園は重森三玲の作「心の庭」。
    池泉式の枯山水で、州浜型の枯池に三尊石組を配し、背後にサツキやツツジを雲紋になぞらえて刈り込み、雲の上に茶亭蘿月(らげつ)庵があり、月が昇る姿を形どるそうです。

    (庭に建物の影が映り、ちょっと全体が分かり難いですが。)

    東福寺 光明院 寺・神社・教会

  • 光明院 堂内に貼られた庭園のポスター<br /><br />JR東海「そうだ京都、行こう」のポスターに使われたようです。<br />日本の「ガーデニング」です。<br />「どなたか、この美しさについて論理的、科学的に説明していただけませんか」

    光明院 堂内に貼られた庭園のポスター

    JR東海「そうだ京都、行こう」のポスターに使われたようです。
    日本の「ガーデニング」です。
    「どなたか、この美しさについて論理的、科学的に説明していただけませんか」

    東福寺 光明院 寺・神社・教会

  • 光明院の丸窓

    光明院の丸窓

    東福寺 光明院 寺・神社・教会

  • 光明院の縁側<br /><br />よく見ると継ぎ目のない一枚板が使われています。<br /><br />光明院の庭を独り占めして楽しませてもらいました。<br />まだ少し時間があるので、次は、泉涌寺方面へ向かいます。

    光明院の縁側

    よく見ると継ぎ目のない一枚板が使われています。

    光明院の庭を独り占めして楽しませてもらいました。
    まだ少し時間があるので、次は、泉涌寺方面へ向かいます。

    東福寺 光明院 寺・神社・教会

  • 勝林寺<br /><br />東福寺の塔頭で、天文19年(1550)創建。<br />「東福寺の毘沙門天」と呼ばれます。<br /><br />ここは8年前の特別公開で訪ねました。<br />http://4travel.jp/travelogue/10313075<br />

    勝林寺

    東福寺の塔頭で、天文19年(1550)創建。
    「東福寺の毘沙門天」と呼ばれます。

    ここは8年前の特別公開で訪ねました。
    http://4travel.jp/travelogue/10313075

    毘沙門堂 勝林寺 寺・神社・教会

  • 勝林寺 本堂<br /><br />大檀那であった近衛家の表玄関を移築したものだそうです。<br />近衛家といえば、篤姫が養女となり徳川家に嫁いだことが知られています。<br /><br />8年前の特別公開では、87年ぶりにご開帳された毘沙門天立像や、吉祥尊天像、善膩師童子像、半跏のお地蔵様も拝観できました。

    勝林寺 本堂

    大檀那であった近衛家の表玄関を移築したものだそうです。
    近衛家といえば、篤姫が養女となり徳川家に嫁いだことが知られています。

    8年前の特別公開では、87年ぶりにご開帳された毘沙門天立像や、吉祥尊天像、善膩師童子像、半跏のお地蔵様も拝観できました。

    毘沙門堂 勝林寺 寺・神社・教会

  • 勝林寺 境内のナマズ<br /><br />「なぜナマズなのか?」と調べてみると、勝林寺の和尚さんのブログを発見。<br /><br />「先日知人の紹介で伊賀焼の日々窯さんにお越し頂きました。<br /> 茶香炉など素敵な作品を沢山拝見致しました。その中に目を瞑っている鯰が一匹・・・秋の個展に向けて作られた作品らしいです。<br />制作中に鯰が暴れると地震が起きるという伝説が頭の中をよぎり、そんな事にならないようにと願い眠りナマズを作られたらしいです。<br />面白いと思いまながらみていますと・・なんと・・・その鯰を頂けることになりました。」と書かれてありました。

    勝林寺 境内のナマズ

    「なぜナマズなのか?」と調べてみると、勝林寺の和尚さんのブログを発見。

    「先日知人の紹介で伊賀焼の日々窯さんにお越し頂きました。
    茶香炉など素敵な作品を沢山拝見致しました。その中に目を瞑っている鯰が一匹・・・秋の個展に向けて作られた作品らしいです。
    制作中に鯰が暴れると地震が起きるという伝説が頭の中をよぎり、そんな事にならないようにと願い眠りナマズを作られたらしいです。
    面白いと思いまながらみていますと・・なんと・・・その鯰を頂けることになりました。」と書かれてありました。

    毘沙門堂 勝林寺 寺・神社・教会

  • 陶磁器製造所の壁<br /><br />スマホの地図アプリに従って東福寺から泉涌寺へ向かう迷路のような道を歩いていると立派な壁が見えてきました。<br />何だろうと見てみると、陶磁器製造所の壁でした。

    陶磁器製造所の壁

    スマホの地図アプリに従って東福寺から泉涌寺へ向かう迷路のような道を歩いていると立派な壁が見えてきました。
    何だろうと見てみると、陶磁器製造所の壁でした。

  • 戒光寺の山門<br /><br />泉涌寺の塔頭、安貞2年(1228)、八条大宮の東、堀川の西に創建。<br />後堀川天皇の勅願所となった後、一条戻り橋の東に移り、更に三条川東を経て正保2年(1645)に現地に再興されたそうです。

    戒光寺の山門

    泉涌寺の塔頭、安貞2年(1228)、八条大宮の東、堀川の西に創建。
    後堀川天皇の勅願所となった後、一条戻り橋の東に移り、更に三条川東を経て正保2年(1645)に現地に再興されたそうです。

    戒光寺 寺・神社・教会

  • 戒光寺 身代わり丈六釈迦如来像の説明<br /><br />本尊釈迦如来(重文)は運慶・堪慶父子の合作。<br />極彩色で他に例をみない木彫の大仏であり鎌倉時代の代表作。<br />像高約10mの木造の仏像は、外からは顔が見えませんが、昇殿して参拝できます。(通常参拝は無料)<br /><br />内陣の特別拝観(有料)は、4月と11月に行われます。

    戒光寺 身代わり丈六釈迦如来像の説明

    本尊釈迦如来(重文)は運慶・堪慶父子の合作。
    極彩色で他に例をみない木彫の大仏であり鎌倉時代の代表作。
    像高約10mの木造の仏像は、外からは顔が見えませんが、昇殿して参拝できます。(通常参拝は無料)

    内陣の特別拝観(有料)は、4月と11月に行われます。

    戒光寺 寺・神社・教会

  • 戒光寺 本堂<br /><br />昇殿して立派な大仏を拝ませてもらいました。<br /><br />今年の酉年に合わせて、元日から15日まで限定で、不動明王坐像の特別公開がされていたそうです。<br /><br />

    戒光寺 本堂

    昇殿して立派な大仏を拝ませてもらいました。

    今年の酉年に合わせて、元日から15日まで限定で、不動明王坐像の特別公開がされていたそうです。

    戒光寺 寺・神社・教会

  • 戒光寺 本堂の左手に可愛い飾りつけがされていました。

    戒光寺 本堂の左手に可愛い飾りつけがされていました。

    戒光寺 寺・神社・教会

  • 今熊野観音寺の参道<br /><br />寺域が広く、泉涌寺へ向かう道から左に入り少し歩きます。<br /><br />泉涌寺の塔頭、西国33観音霊場第15番目の札所。<br />空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが始まりとされます。

    今熊野観音寺の参道

    寺域が広く、泉涌寺へ向かう道から左に入り少し歩きます。

    泉涌寺の塔頭、西国33観音霊場第15番目の札所。
    空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが始まりとされます。

    今熊野観音寺 寺・神社・教会

  • 今熊野観音寺 本堂<br /><br />この建物は正徳2年(1712)に建立。<br />本尊は、弘法大師作と伝えられる十一面観世音菩薩(秘仏)。<br />本堂には、大聖歓喜天、薬師如来、准胝観音、三面大黒天、京都七福神の恵比須神が祀られています。<br />また、寺域は、郭公鳥(かっこうどり)の名所だそうです。

    今熊野観音寺 本堂

    この建物は正徳2年(1712)に建立。
    本尊は、弘法大師作と伝えられる十一面観世音菩薩(秘仏)。
    本堂には、大聖歓喜天、薬師如来、准胝観音、三面大黒天、京都七福神の恵比須神が祀られています。
    また、寺域は、郭公鳥(かっこうどり)の名所だそうです。

    今熊野観音寺 寺・神社・教会

  • 今熊野観音寺 本堂に奉納された額

    今熊野観音寺 本堂に奉納された額

    今熊野観音寺 寺・神社・教会

  • 今熊野観音寺 大師堂とぼけ封じ観音<br /><br />大師堂には、当山開創の弘法大師、不動明王、愛染明王、また当山の伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像が祀られています。<br /> <br />大師堂の前に立つ「ぼけ封じ観音」には、たくさんの人が身代わりの石仏に願い事を込めて奉納されているそうです。<br />

    今熊野観音寺 大師堂とぼけ封じ観音

    大師堂には、当山開創の弘法大師、不動明王、愛染明王、また当山の伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像が祀られています。

    大師堂の前に立つ「ぼけ封じ観音」には、たくさんの人が身代わりの石仏に願い事を込めて奉納されているそうです。

    今熊野観音寺 寺・神社・教会

  • 泉涌寺 大門<br /><br />真言宗の寺。<br />歴代天皇が葬られる皇室の菩提所であることから「御寺」とも呼ばれます。<br />寺伝では、平安時代に藤原緒継が建立した法輪寺、後の仙遊寺に由来するそうです。<br />泉涌寺の名は、鎌倉初期に大伽藍を営む際、敷地の一角から清水が湧き出たことから名付けられたそうです。<br /><br />時間がなくなったので、門前にて失礼しました。

    泉涌寺 大門

    真言宗の寺。
    歴代天皇が葬られる皇室の菩提所であることから「御寺」とも呼ばれます。
    寺伝では、平安時代に藤原緒継が建立した法輪寺、後の仙遊寺に由来するそうです。
    泉涌寺の名は、鎌倉初期に大伽藍を営む際、敷地の一角から清水が湧き出たことから名付けられたそうです。

    時間がなくなったので、門前にて失礼しました。

    御寺泉涌寺 寺・神社・教会

  • 泉涌寺 仏殿(重文)<br /><br />当初の伽藍は応仁の乱でほとんど焼失し、現在の諸建造物はそれ以降建立のもの。<br />大門から参道を下って正面の仏殿は、寛文8年(1668)徳川四代将軍家綱によって再建され、現在伽藍の多くはこの時整備されているもの。<br />仏殿は一重もこし付入母屋造り本瓦葺き、唐様建築の代表作で、国の重要文化財である。<br />本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三尊仏。<br /><br />観音堂には楊貴妃がモデルという楊貴妃観音像(重文)も安置されている。<br />

    泉涌寺 仏殿(重文)

    当初の伽藍は応仁の乱でほとんど焼失し、現在の諸建造物はそれ以降建立のもの。
    大門から参道を下って正面の仏殿は、寛文8年(1668)徳川四代将軍家綱によって再建され、現在伽藍の多くはこの時整備されているもの。
    仏殿は一重もこし付入母屋造り本瓦葺き、唐様建築の代表作で、国の重要文化財である。
    本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三尊仏。

    観音堂には楊貴妃がモデルという楊貴妃観音像(重文)も安置されている。

    御寺泉涌寺 寺・神社・教会

  • 泉涌寺の総門<br /><br />大門からは随分離れたところに総門があり、泉涌寺の寺域の広さが改めて確認できます。

    泉涌寺の総門

    大門からは随分離れたところに総門があり、泉涌寺の寺域の広さが改めて確認できます。

  • 即成院 山門<br /><br />秋に行われる阿弥陀如来二十五菩薩お練り供養大法会で知られます。<br />

    即成院 山門

    秋に行われる阿弥陀如来二十五菩薩お練り供養大法会で知られます。

    即成院 寺・神社・教会

  • 即成院 本尊の説明<br /><br />寛治8年(1094)に造られたという阿弥陀如来と二十五の菩薩。<br />寺伝では、恵心僧都作と言われていますが、近年は平安時代の代表的仏師、定朝とその弟子による優品とされています。<br />阿弥陀如来の高さは5.5m。二十五菩薩もそれぞれ像高が150cmあり、見上げるほどに大きい阿弥陀座像と二十五の菩薩の姿は、極楽浄土の世界を立体的に描いたもので、国の重要文化財に指定されています。

    即成院 本尊の説明

    寛治8年(1094)に造られたという阿弥陀如来と二十五の菩薩。
    寺伝では、恵心僧都作と言われていますが、近年は平安時代の代表的仏師、定朝とその弟子による優品とされています。
    阿弥陀如来の高さは5.5m。二十五菩薩もそれぞれ像高が150cmあり、見上げるほどに大きい阿弥陀座像と二十五の菩薩の姿は、極楽浄土の世界を立体的に描いたもので、国の重要文化財に指定されています。

    即成院 寺・神社・教会

  • 即成院 本堂<br /><br />この日は拝観しませんでしたが、以前拝観した時は、立派な阿弥陀像と二十五菩薩の迫力に圧倒されました。<br /><br />是非、戒光寺と即成院の立派な仏像をお参りされることをお薦めします。

    即成院 本堂

    この日は拝観しませんでしたが、以前拝観した時は、立派な阿弥陀像と二十五菩薩の迫力に圧倒されました。

    是非、戒光寺と即成院の立派な仏像をお参りされることをお薦めします。

    即成院 寺・神社・教会

  • 即成院 境内にある那須与一の手洗い所<br /><br />源義経の家来であった弓の名士那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れ、伏見で療養していた際、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰し、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」で武勲を立てたとされております。<br />与一はその後、即成院の阿弥陀さまの仏徳を感じて出家し、最終的には即成院の阿弥陀さまの前で亡くなったことから、境内には与一の墓が立てられました。<br /><br />現在、那須与一の功績にあやかろうと、成功を願う人が、扇に願い事を朱色で筆書きし、「願いが的へ」と、与一の石碑に奉納されます。

    即成院 境内にある那須与一の手洗い所

    源義経の家来であった弓の名士那須与一は、義経の命を受け京に向かう道中、突然の病に倒れ、伏見で療養していた際、熱心に即成院の阿弥陀さまを信仰し、その霊験で病も癒え、「屋島の戦い」で武勲を立てたとされております。
    与一はその後、即成院の阿弥陀さまの仏徳を感じて出家し、最終的には即成院の阿弥陀さまの前で亡くなったことから、境内には与一の墓が立てられました。

    現在、那須与一の功績にあやかろうと、成功を願う人が、扇に願い事を朱色で筆書きし、「願いが的へ」と、与一の石碑に奉納されます。

    即成院 寺・神社・教会

  • 即成院の境内<br /><br />ちょっと珍しい塔が立っていますが詳細は確認できませんでした。<br /><br />3日間の京の旅、最後は、東福寺・泉涌寺界隈を散策し、重森三玲の庭や立派な仏像をお参りすることが出来ました。<br /><br />京都駅17:05発ののぞみで帰路に着きました。<br />(歩数計は3日間で66,000歩を超えていました。)<br /><br />お付き合いいただきました皆様にも感謝、またの再会を楽しみにしております。<br /><br />旅行記を最後までご覧いただきありがとうございました。<br /><br />(おしまい)

    即成院の境内

    ちょっと珍しい塔が立っていますが詳細は確認できませんでした。

    3日間の京の旅、最後は、東福寺・泉涌寺界隈を散策し、重森三玲の庭や立派な仏像をお参りすることが出来ました。

    京都駅17:05発ののぞみで帰路に着きました。
    (歩数計は3日間で66,000歩を超えていました。)

    お付き合いいただきました皆様にも感謝、またの再会を楽しみにしております。

    旅行記を最後までご覧いただきありがとうございました。

    (おしまい)

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